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リナリア*セレネイド ―この恋に気づいて―  作者: 滝沢美月
かけがえのない存在 side拓斗
32/71

タチアオイ:野心



 見上げるほどの大きな門扉に俺はごくんっと唾を飲み込んだ。

 国内で一、二を争う規模の大手食品会社、橘食品の現社長が父方の祖父だと知ったのはつい一昨日の出来事。

 ずっと母さんと俺を捨てたと思っていた父親。でもそうじゃなかったという事実はまだ上手く消化できずに俺の胸の中でくすぶっている。

 母さんたちの結婚を反対した張本人である橘慎太郎が、十八年の時を開けて母さんの前に現れて。


『拓斗様を次期後継者として橘家にお迎えしたいと申しております。拓斗様が橘家に入り、次期後継者として責務を果たすのであれば、橘家の子として認知し、穂様も橘のお屋敷で暮らすことを許すそうです』


 社長秘書だという柏原という男が告げた。

 俺はその申し出を断ろうと決めた――……

 母さんたちの結婚を反対して、追い詰め、十八年間も放ったらかしていたくせに、自分の都合が悪い時にだけ呼びつけるだなんて腹が立った。

 直系だなんだってこだわるなら、なんで母さんたちの結婚を反対したんだ――?

 今更、橘家の次期後継者だとか、認知だなんだって言われても、何一つ心に響くものはない。

 そりょ、裕福とはとても言えないけど、母さんと二人暮らしていく分には困らないだけのお金はある。今の暮らしに不満は何もない。橘家にいくことに何の魅力もない。

 柏原が訪れた時の母さんの何かを堪えるような弱弱しい表情を思い出すと、とてもじゃないけど、橘家に行くことがいいことだとは思えない。母さんは俺の決断に従うって言ったけど、橘家に行ってもきっと居心地はよくないだろう。わざわざ肩身の狭い思いをさせたくはない。

 だから断ろうと思った。でも。

 そう決意した矢先にアパートの火事騒ぎで、引っ越しを余儀なくされてしまった。

 引っ越し代はばかにならないが、どうにかやりくりして出来ないことではない。でも、できればこの土地を離れたくない。

 そう思う俺の脳裏には、ちらちらとポニーテルの揺れる毛先の姿が思い出される。

 璃子――……

 橘家に行くということは、結局はこの土地を離れるということだ。でも賭けてみるのも悪くないと思った。

 この状況で橘家へ行くこと。相手の思い通りにはならない、という気負いを胸に、俺は柏原にもらった名刺を頼りに橘家の門をくぐった。



  ※



「まさか、こんなに早くお返事を頂けるとは思っていませんでした」


 絨毯張りの長い廊下の先を歩く柏原が振り返らずに喋る。


「ええ、ちょっと事情が変わったので」


 苦々しく答えた俺に、柏原は僅かに振り返って一瞬、口元に微笑を浮かべる。


「アパートの火事のことなら聞き及んでいます。災難でしたね」


 その言葉がやけに他人事のように艶めいていて、俺は眉根を寄せる。

 まさか――という嫌な想像を胸に押し込めて、皮肉たっぷりに返す。


「情報が早いですね」

「ええ、こういう仕事をしていますと、常にあちこちの情報に気にかけるのが癖になってしまいます」


 俺の言葉を気にした様子もなくさらっとかわされて、俺は黙り込む。無言のまま廊下を進み、突き当りの重厚な扉の前で柏原は止まりノックした。


「柏原です」


 コンコンと重みのある音が響き、少しの間を開けて室内から声が入ってくる。その声を聞いてから、柏原は俺にここで少し待っているように言って、一人室内に入っていった。

 俺はお例外誰もいない廊下に立ち、閉じられた扉の向こうにいるだろう人物――これから会う祖父を想像した。

 どのくらい経ってからか、扉が開かれて柏原が顔をのぞかせた。

 もしかしたら数分だったかもしれないけど、緊張して酷く長く待たされた気がした。


「どうぞ、社長がお待ちです」


 俺は一つ頷くと、ぎゅっと決意を込めて拳を握りしめ室内に足を踏み入れた。

 室内は臙脂色の毛足の長い絨毯が敷かれ、奥に重厚な机が置かれ、天井までの高さの窓に白いカーテンが敷かれている。中央には二人掛けのソファーと対面に一人掛けのソファーが二脚、壁側にはお洒落な硝子棚が並んでいる。右手の壁には扉が一つあり、その奥へと案内される。

 その部屋は先ほどの部屋と同じほどの広さで、窓側にベッドが置かれ、そのヘッドボードに寄りかかるようにして老人が上半身を起こして腰かけていた。

 年は六十代くらいだろうか、白髪交じりの髪は少し癖でうねっていて、皺の刻まれた顔、瞳が獲物をいるように鋭く重圧感があった。

 彼は、俺が部屋に入ってきた時から目踏みするようにジロッっと鋭い眼差しを向け、表情一つ動かさない。

 そのことがなぜだか無性に腹立たしい。

 別に感動の対面を期待していたわけじゃないけど、眉一つ動かさない非情な態度が気に食わない。

 でも、俺もそんな胸の内を隠し、優等生の仮面でなんでもないような態度を振舞う。

 ベッドの目の前まで進むと、前を歩いていた柏原がすっと横にずれ、一礼して部屋から出ていった。

 取り残された俺は、ふっと微笑を浮かべ、軽く頭を上げる。


「はじめまして、世良 拓斗です」


 わずかに皮肉をにじませて、それでも極上の笑みを浮かべて挨拶する。

 俺の目的を果たすためには、私心を隠して上手く立ち回らなければいけない。

 頭の中で次の行動、言葉を瞬時に計算して振舞う。


「会うのは初めてだが、お前のことは知っている」


 その言葉に、ぴくっと眉が動いてしまう。


「認知していないとはいえ、橘家の跡取りだった拓也の息子だ。こちらが関係ないと言っても、血の繋がりを理由にとんでもないことを言ってくるかもしれないからな。常に、お前の素行調査はさせていた」


 その言葉に、ビリっと体中に電流が走る。

 怒り。その言葉に尽きる。

 俺はこれまで橘家のことなんて知らなかったし、知った時だって関わるのなんてこっちから願い下げだって思った。母さんだって同じはずだ。だから今まで一言も橘の名前も出なかったし、父さんの葬式の日に「もう、お会いするつもりはありません」と言ったんだろう。

 それを、まるで俺ら親子をハイエナかなんかみたいな言いように、苛立ちが腹の底から湧き上がる。

 血の繋がりを理由にとんでもないことを言ってきてるのはそっちじゃないか――

 十八年間生きてきて、これまでにこんなに誰かを憎いと思ったことはない。他人とある程度の距離を置いて接してきたから、誰かに強く気持ちを揺さぶられることはなかったのに。

 俺はぎゅっと強く目をつぶって、気持ちを落ち着かせる。決して感情を表に出さないように、微笑みを浮かべつづける。


「しかし、さすがは橘家の血筋ということかな。成績は常にトップ、素行も問題なく人間関係も良好。大学もまずまずのレベルのとこに通っているようだな」


 冷徹そうな口元に自慢げな笑みを浮かべたのを見て、俺は横に視線をそらしてふっと鼻で笑う。


「さすが橘家……ですか? 関係ありませんね、俺は世良 拓斗だ。橘家のために良い成績をとっているわけじゃない」


 真正面から老人を見据え、強くはっきりした口調で言う。


「橘家の次期後継者だというのならなってもいいと思ってます。でも、あなたのためじゃない、俺が動くのは俺自身のためだ。母さんを傷つけ、父さんを追い詰めたあなたのことは許さない」


 瞬間、老人を取り巻く空気が張りつめたのが分かった。それでも俺は目をそらさない。そらした瞬間、喉元を鋭い牙で噛みつかれそうだったから。




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