ゼラニウム:決意
ごろんっと寝返りをうつと、隣から声をかけられた。
「眠れないの?」
布団の上で横になったまま体ごと声のした方に向けると、母さんは仰向けの態勢で天井を見上げていた。
火事の後、璃子のお母さんの好意に甘えて、璃子の家に来ていた。
アパートの大家さんも火事を聞きつけて駆けつけて、熊倉さんや大木さんなど今夜アパートで過ごすことのできない人は大家さんの家に泊めてくれることになった。アパートの今後については後日どうするか連絡が来ることになった。
念のため、貴重品と明日の着替えを取りに部屋に戻り、戸締りをしてから俺と母さんは璃子の家に行き、客間の広々とした和室に布団を並べて横になっていた。
「うん、なんか目が冴えちゃった……」
「そうね」
「アパートどうなるのかな……?」
そう尋ねながら、なんとなく自分の中で答えを見つけていた。
「どうなるかな。きっと大家さんがいいように考えてくれるから大丈夫よ」
「うん……、誰も怪我したり亡くなったりしなくてよかった」
しばらくして横から静かな寝息が聞こえてきて、壁の方へ寝返りを打つ。
璃子の家には何度か遊びに来たことはあるけど泊まるのは初めてで。
璃子のいない家、でも、璃子の生まれ育った家には璃子の香りがして、いまこうしてここに寝ていることが不思議だった。
璃子に会いたいな――
ふっと湧きあがった感情に、俺はもどかしくてぎゅっと瞳を強くつむる。
なんだか最近、璃子の事ばかり考えている気がするな――
きっと、璃子と全然会ってないからだ――
そう自分に言い訳して、俺の意識は夢の中に落ちていった。
※
翌日は土曜日で、目覚めた俺は予定通りバイトへ向かった。
アパートのことは気になったけど、母さんが仕事の後アパートの様子を見てきてくれると言ったから、俺は自分のできることをするためにもバイトに専念する。
もしアパートを建て替えることになったら引っ越し費用やもろもろお金が必要になってくる。その時のために少しでも稼がなくてはという思いだった。
夕方、バイトが終わりまっすぐ璃子の家に向かうと、すでに母さんはいて、璃子のお母さんと一緒に夕食の準備をしていた。
「ただいま」
「おかえり」
「拓斗君、おかえり~」
台所を覗くと母さんとおばさんが出迎えてくれて、母さんは少しおばさんと話した後、手を拭きながらリビングを通って、俺達が昨日寝た和室にやってきた。
「アパートには寄ってきた?」
「ううん、これから行こうと思ってる。大家さんからなにか連絡あった?」
俺の問いに、静かに頷いた母さんは、俺に座るように視線で促す。
和室の中央に置かれた長方形の炬燵机を斜めに挟んで座ると、母さんは小さく吐息をもらしてから話し始めた。
「午後、大家さんから連絡が来てね。焼けてしまった熊倉さんの部屋は修繕するのは難しいだろうって。六十年前に建てられた木造住宅だから、火災にも弱いし。今回のことを気に建て替えるって」
最後は吐息と共に吐き出され、俺はじぃーっと母さんを見据える。その表情から、感情一つ読み落とさないように。
「どの業者に頼むとか、どのくらいの規模にするかはこれから検討するから、建て替えるのには半年くらいはかかるだろうって。いまの住人が継続して住むことを希望するなら優先的に部屋に入れてくれるって言ってくれたけど……、どういう間取りにするかもこれから決めるみたいだから……」
決まり悪げに眉尻を下げて母さんは言う。
いまは二Kの間取りの部屋が一階、二階にそれぞれ四部屋の計八部屋。そのうち埋まっているのは六部屋で、うちと隣の増山さん家はおじさんとおばさんの二人暮らしだけど、その他は一人暮らしの老人がほとんどだ。
アパート自体は築六十年の木造のボロアパートだけど、アパートの前には駐車場スペースとしてかなり広いスペースがある。でも、車を止めてるのは増山さん家だけで、それ以外のスペースはほとんど使われていない。
もしかしたら、そのスペースも使って大きなマンションが建つかもしれない。
マンションまではいかなくても、いまどき二Kの間取りはそんなに需要がないだろう。三LDKのテラスハウスとか立てることになるかもしれな。運よく、二K程度の間取りだったとしても、新築したら家賃は以前のように格安というわけにはいかないだろう。
どのみち、いまのアパートから出て引っ越さなくてはならない。
でも、いまのアパートみたいな好条件の物件が他にもあるだろうか……? 引っ越しは業者に頼むか……?
あー、こんなことなら、免許を取っておけばよかっただろうか?
運転できれば車借りて自分で荷物を運んで、業者に頼むよりは金額が抑えられるだろう。でも、そもそも教習所に通う金がない……
それに免許を取ったところで、車を買う予定もお金もなければ宝の持ち腐れになってしまう。
あっ、でも、就職するときに免許はあった方がいいかな……
一瞬の間にぐるぐる考えていた俺に、母さんが話を続ける。
「大家さんはね、子連れ家族が住むような三LDKと単身赴任や一人暮らし用の二Kの間取りを合わせたようなアパートにしたいって言ってた。新しい引っ越し先がきまるまでは璃子ちゃんのお母さんがここにいていいって言ってくれてるし。だから拓斗はそんな心配そうな顔しなくても大丈夫」
璃子のお母さんの優しさが胸にしみる。
母さんは、仕事の合間に不動産屋を回ることや、もしかしたらこの辺りじゃなくて遠いところに引っ越すことになるかもしれないけど大丈夫かと尋ねていたが、その声をどこか上の空で聞いていた。
お金がない――
いま直面している問題はそれに尽きる。
俺はどこか遠くに母さんの声を聞きながら、あることを固く決意した。




