ルリヤナギ:胸の痛み
璃子も黙りこんでしまい、気まずい空気にどうしたものかと悩んでいたら、ちょうどそこに松本さんが現れた。
「璃子、お待たせっ」
声のする方を見れば、松本さんと一定の距離を保った場所に七瀬もいた。
璃子は松本さんに駆けよるなり抱きついた。松本さんの質問で璃子と話してた男が東海林といって同じ薬学科だと分かる。
名字が東海林なら俺とも学番近いな――そんなことを考えていたら、璃子と松本さんが歩き出し、俺は無意識にその後についていく。その横には七瀬も。
テーブルに荷物を置いた璃子たちはランチを買いにいき、俺は璃子が鞄を置いた隣の席に座る。
戻ってくるまで待っているかどうか迷ったが、冷めてしまっては美味しくないし、先に食べることにする。
スペシャルランチは普通のランチよりも少し高いが、オムライス、ポテトサラダ、スープにミニデザートまでついている。
しばらくしてランチを買って戻ってきた璃子は、俺の方をちらっと見てから席に着いた。璃子も俺と同じスペシャルランチなのを見て、笑みがこぼれる。
そういえば、璃子ってオムライス好きだったな。俺はそんなに好きなわけでもないけど、璃子の影響で今は好きな方だ。
璃子と松本さんは喋りながらランチを食べ始め、少しして璃子が俺に話しかけてきた。
「拓斗、友達と一緒じゃなかったの?」
「んー、そうだけど、人多すぎてどこの席にいるか分からなくなったから、いいよ」
俺はスプーンですくったオムライスを口には運びながら答える。
璃子はなぜか小さなため息をついて、それ以上は何も聞いてこなかったが、しばらくしてカチャンっとスプーンが置かれる音がする。
「璃子……大丈夫?」
心配そうに尋ねる松本さんの声に隣を見ると、璃子は青ざめた顔で何かを堪えるようにきゅっと唇をかみしめていた。
「ごめん、ちょっと……人酔い。外行ってくるね」
笑顔を向けてそう言った璃子がその直後にはすごく苦しそうな顔をして立ちあがったのを見てしまい、胸がぎゅっと締めつけられる。
璃子は俯いたまま足早に食堂を出ていき、隣の席にはほとんど減っていないオムライスが置かれている。
「璃子、どこか体調悪いの?」
心配になって松本さんに尋ねたが。
「さあ」
素っ気ない返事しかもらえなくて、俺はもう一度、璃子が出ていった食堂の扉を振り返る。
璃子が元気がないのは分かるのに、その理由は俺には分からなかった。理由が分からなければ、璃子を元気づけることもできない。そう思って、俺ははじめて自覚する。
いままで俺が悩んでる時や落ち込んでる時、璃子は側にいてくれたけど、璃子が元気がない時に俺が力になれたことは一度もない。
それは、璃子が俺の前で弱音を吐いたことがないからだと気づく。いつも、なんでもないって笑顔で誤魔化していく。その笑顔が嘘だと気づきながら、俺から璃子にその理由を聞くことはなかった。いや、聞けない――が正解かな。
もし、璃子が俺に相談してくれた時は、いくらでも力にはなるつもりだ。だけど、俺からは理由は聞けない。
でも、璃子は一度も俺に元気がない理由を話してくれたことはなかった。
今回もきっと俺に話してくれることはないと、心のどこかで思っていた。
こんなに気になるのに、俺は聞かないし、璃子は話さない。これが俺と璃子の関係だから。
一番近くて……、一番遠い……
一瞬、ズキンっと胸の奥で小さく痛む。その胸の痛みに突き動かされるように、俺は無意識に席を立って、璃子が消えて行った扉に向かっていた。
その足取りはゆったりしたものだけけど、内心では気持ちがはやる。
なんでこんな行動をとってしまったのか、なんで胸が苦しいのか、俺には分からなくて。ただ、なにかに突き動かされるように璃子の後を追っていた。
食堂を出ると、そこは噴水があるちょっとした広場になっていて、左側が校舎、右側には芝生広場がある。
振り仰いだ空はどこまでも透き通ったブルー。
煌々と太陽が照りつけ、半袖でもいいくらいの気温に、俺の足は自然と芝生に向かっていた。
しばらく進んだところで、俺は足を止める。
俺がいる場所よりも少し登った丘のようなとこに璃子がいて、でも一人じゃなかった。
一緒にいるのは俺の知らない男、そして、璃子もさっきまでの元気のない表情じゃなく笑っていて――……
きっと、璃子はあの男に悩んでいたことを相談して、元気づけてもらったのだろう。
璃子が相談した相手が自分じゃないことが、璃子を笑顔にしたのが自分じゃないことが無性に悔しくなる。俺が璃子に一番近い存在だと思ってたのに。
って、悔しいってなんだよ……
いままで感じたことのない気持ちに、戸惑いと焦りが生まれる。
だって、分かりきっていたことじゃないか。
俺は璃子にとって一番近い存在だけど、同時に遠い存在だってことに。
その時。風向きが急に変わって一陣の風が芝生の上を吹きぬける。その風に乗って聞こえた声に、心臓が握りつぶされたように痛んで、息ができない。
「はい、ぜひお付き合いさせてください」
弾むような嬉しそうな璃子の声が、棘のように胸に突き刺さってもやもやさせる。
俺はそのまま放心したようにふらふらと食堂に戻っていった。




