ムクゲ:信念
大学なんて、別に行かなくてもいいと思っていた。
早く義務教育なんて終わって働きたかった。
本当は高校も行かなくても良かったんだけど、高校に行かないと言った時、母さんがとても寂しそうな顔をしたのが辛くて、「ごめんね……」そう言って泣いていた母さん。女手一つで俺を育ててくれて、朝から夜遅くまで働いて、それでもいつも笑顔を絶やさない母さんを悲しませたいわけじゃなかった。
本心は早く働いて母さんに楽させてあげたかったけど、進学することを望む母さんの気持ちを踏みにじりたくはなかった。
学費は馬鹿にならないけど公立で奨学金をもらってなんとかなったし、中卒よりも高卒の方が働き口も多いかなと思って。それでも高校を卒業したら働くつもりで、みんなが大学受験に必死になってる時、俺は就職先を探していた。でも――
璃子が薬学部に行くのを聞いて、手に職もいいかな、なんてふっと思った。
四大と違って薬学部は六年間だから就職するまでまだまだ時間がかかってしまうけど、それでも卒業した時には資格を得て就職先に不憫することもないだろう。
高校の時もバイトしてたから、大学でもバイトすれば少しは生活の足しになるだろう。そんな安易な考えだった。
基本、物事を深く考えるのが苦手な俺はそんな考えでギリギリになって大学進学を決め、センター試験を受けた。なぜか進学すると言ったら、親だけでなく担任や学年主任まで大喜びだったのは不思議だった。
基本的に勉強は好きだからどうしても大学に行きたくないわけでもなかったし、大学進学のことを話すと母さんは安心したように笑っていたから、これでよかったのかなと今は思っている。
そんなこんなで慌ただしく受験することになり、たまたま、伝えるタイミングを逃しただけなんだ。別に黙っていたわけではない――璃子と同じ大学で同じ学科に進学することを。
入学式の日、璃子を家の前で待ち伏せてたのは、なんとなく。
今まで小・中・高って同じ学校だったのに、一度も一緒に入学式に行ったことはないなと思って、一緒に行こうと思ったんだ。
家から出てきた璃子は俺を見るなりすごく驚いた表情をして、俺の挨拶なんて聞えなかったような猛スピードで自転車を漕ぎ始めて駅に向かってしまった。
俺が就職すると思っていたらしいから、「なんでここにいるの?」とか思ってたんだろう。それでも俺にしたら、そんなふうに驚く璃子が可愛くて口元がほころんでしまった。
※
俺にとって璃子はすごく特別な存在だ。どんな関係かって言われたら親友と答えるけど、親友とも違う気がする。
十二年間、一番近くにいた存在、だけど遠い存在。家も近所で、ずっと同じクラスだったけど、いつも一緒にいるわけでもない。お互いにそれぞれ友達付き合いがあるし、俺は部活をやっているが璃子は高校は帰宅部だったから一緒に帰ることはほとんどなかった。
ただ、側にいてほしいと思う時に、璃子は必ず俺の隣にいてくれる。なにかを言うわけじゃなく、ただ、側にいてくれるんだ。
女の子の友達はたくさんいるけど、璃子はその女の子達とは違った。
※
大学三日目、クラス分けの試験が終わってから学科の友人と食堂に昼ごはんを食べに行き、それぞれ好きな食券を買って列に並ぶ。俺はスペシャルランチが美味しそうだと思ってそれに決めて、他のランチよりも時間がかかったため、友人達は先に席に行ってしまった。
まあ、探せばいいかな……と思ってウロウロとランチの乗ったトレーを持って歩いていたら、食堂の人混みの中に、ぴょんっと跳ねた毛先が見えて、思わずその後ろ姿を追ってしまう。
いつもポニーテールにしている璃子は、食堂の通路に立ち止まって、向かいに立つ男となにか話していた。
「璃子?」
「拓斗……」
振り返った璃子は困ったような顔で、小さく俺の名を呟いた。
いつも気丈な璃子がこういう顔をする時は、なにかある時だった。どうしたのか聞こうとした俺の言葉に被さって、璃子と話していた男が尋ねる。
「こいつが彼氏?」
いきなりされた質問に、俺はその男をまじまじと見つめてから璃子に視線を向ける。
「俺と璃子は親友だけど……?」
「私と拓斗は親友よ――っ」
初対面でなんでこんなこと聞かれるのか分からなくて首を傾げた俺の声に少し遅れて璃子も答える。
「なんだよ……、二人そろって仲良いんだな……」
男は不服そうに眉根を寄せて俺と璃子を交互に見る。その視線がなんだか突き刺さるように鋭く感じたのは気のせいだろうか。




