スミレ:小さな幸せ
「ほんと最悪っ!」
バンっと勢いよく紙皿を机に置いた。
そんな私を見て、両隣りに立つ綾と琴羽が苦笑する。
「東海林君ってほんとに璃子ちゃんのことが好きなのね」
「愛されてるじゃん~」
「もうっ、冗談はやめてよ。そんなんじゃないんだからっ」
私はくるっと振り返って、机に体重を預けて空を仰いで苦々しいため息をついた。
午前中のレクリエーションは無事に終わったわよ。ええ、翔の行動を除けば……
翔ったらベタベタ触ってくるし、やたらに甘い言葉を囁いてくる。そういうの鳥肌が立つ。
「昨日のキスは、ビックリしたけどね~」
綾が眉尻を下げて私の腰をちょんっと小突く。
キス――と言われて、不覚にも顔が赤くなってしまって、私は手のひらで頬を隠して、決まり悪くて視線をそらす。
「あんなの……キスじゃないし……」
そう言った私を綾はけらけらとおかしそうに笑う。
「もう、人事だと思って……」
今は昼食のバーベキューの片づけ中で、男子達はバーベキューの機材を受付に片しに行ってて、ここには女子しかいない。
その女子からちらちらと鋭い視線を向けられて、居たたまれない……
この視線の理由は翔の昨日からの目立つ行動と、昼食の時の拓斗の問題行動が原因で――
※
「璃子」
バーベキューの機材は一班に一つずつ貸しだされて、昼食もそれぞれ班ごとに食べることになって、相変わらず私の隣をキープする翔を無視して綾と琴羽と話していた私は、その声に振り返る。
なぜかうちの班の隣には拓斗の班がいて、拓斗が紙皿の上に焼けたエビを持って近づいてくる。
「拓斗、なに……?」
小声で尋ねる。拓斗がなんで私に声をかけてきたのか、だいたい予想はついてるんだけど、周りの視線が気になってそう尋ねるしかない。
だって、周りの女子達がわいわいバーベキューを楽しんでるように見せかけながら、こっちを盗み見てるんだもの。
「エビ、食べる?」
拓斗はうっとりするような甘い笑みを浮かべながら、エビの乗ったお皿をこっちに差し出す。
「食べる……ってか、拓斗が食べたいんでしょ……?」
思わずぽろっと嫌味がこぼれてしまったのに、私の言葉に拓斗は邪気のないに笑顔で頷くから、ため息がもれる。
「もうっ、ほんとにっ」
口調は怒りを表しながら、手では拓斗のお皿を受け取って近くの簡易テーブルに乗せて、手早くエビの殻をむき始める。
拓斗ってなんでもできるのに、こういうとこめんどくさがりっていうか甘えたなんだよね。
元々は小学校の給食の時、その日は煮魚が出て普通に食べてただけなのに。
「璃子ちゃん、すごく綺麗に食べる」
その言葉に隣の席の拓斗をみれば、お皿の上の煮魚は見るも無残になっていて唖然としてしまう。
真ん中の骨をとって端から皮と身の間に箸を滑らせれば簡単に身がとれるのに、こんなこともできないのかと、内心呆れてしまう。
「拓斗君は……食べ方下手ね……」
当時の私は、そんなわざわざ言わなくてもいいことを呆れ口調で言ってしまった。まあ、拓斗はへらっとした笑顔で。
「璃子ちゃんは上手だね」
なんて言うのよ。嫌味なのに笑顔で返されて、こういうとこが憎めないのよね。
それからというもの、給食時に私は拓斗の“ママ”をやっている。
魚の骨をとってあげたり、エビのからをむいてあげたり、エトセトラ。結果――
エビ好きなのに殻がむけないって、いつも私のところに持ってくるのよ。
まあ……私が甘やかしたから、いけないのよね……
だから、バーベキューの具の中にエビがあるのを見た時から、拓斗がこうやって私のとこに持ってくるのは予感はしていたし、持ってきた事がちょっと嬉しくもある。
周りの視線を気にしてたことなんてすっかり忘れて、殻をむいたエビを乗せたお皿を拓斗に渡して、自分は手拭き用の布きんで手をぬぐう。その手は赤くなってかゆみを帯び始めていたけど、素知らぬ顔をする。
横目でちらっと見ると、拓斗が美味しそうにエビを頬張ってとろけそうな笑みを浮かべてる。この笑顔を見れるなら……
拓斗から自分の手に視線を戻した私は、誰にも気づかれないような小さな吐息をもらして手を隠す。
私もエビは好きだし食べられるんだけど、こうして拓斗にエビの殻をむいてあげるようになってから気づいたこと――私、甲殻類アレルギーみたい。
食べるのは平気なんだけど、殻を触ると肌が荒れてしまう。でも、私がむいてあげないと拓斗がエビを食べられないから、このくらい我慢する。
でもやっぱりかゆみがどうしてもおさまらなくて、拓斗に気づかれないように手を洗いに行こうとしたら、はしっと手を握られて驚きに振り仰ぐ。
「どうしたの、これ……?」
至近距離に拓斗の顔があって、ドキンッと胸がはねた。
「えっ……なにが……」
しどろもどろになりながら誤魔化そうとしてみたけど、こういう時の拓斗はいつもみたいに誤魔化されてくれないから嫌になる。
「手、赤い」
「えっと、これは……」
思考をフル回転でなんとか誤魔化そうと思ったけど、息が触れそうな距離に拓斗がいて、手を握られていて、思考が上手く回らなくて言葉が出てこない。
「わっ、ほんとだ。璃子の手、真っ赤じゃないっ」
横から顔を覗きこませた綾が驚いた声を上げて、拓斗の顔がわずかに険しくなる。
「もしかしてアレルギー?」
私は誤魔化すのを諦めて、こくんと首を縦に振る。瞬間、ぐいっと拓斗が手を引いて歩きだし、バーベキュー場の端に設置された手洗い場に連れて行かれた。
その有無を言わせぬ腕を引く強さに、胸がズキズキと痛んでいく。
「ちゃんと、手、洗わないと」
蛇口をひねって流れだす水に私の手を当てて、拓斗が真剣な声音で言うのがどこか遠くで聞える。
ドキドキと鼓動が耳の奥で鳴り響いて、水の冷たさだけが私を現実に繋ぎとめていた。




