ハリエニシダ:苛立ち
「じゃあ、後で連絡するね」
そう言ってはにかんで去っていった蕨先輩の背中をしばらく見送って、両手をおもいっきり空に向けて伸ばして深呼吸してから食堂へと戻った。
ほんの数分、他愛もない会話をしただけなのに、蕨先輩のお日様みたいなキラキラの笑顔を見たら癒されてしまった。
私と拓斗は親友。それが現実で事実なんだから、受け止めるしかないのよ。
そう自分に言い聞かせて、ちゃんといつも通り笑うこともできる。
夏帆たちが座っている席に戻ると、拓斗と七瀬君はすでに食べ終えて二人でなにか話してて、夏帆のお皿は半分ほどになっていた。
「璃子、おかえり。もう大丈夫?」
こっちを見た夏帆に声をかけられて私は苦笑して答える。
「うん」
人酔いとか言って心配させてしまったことがちょっと後ろめたくてぎこちない笑みになってしまう。
夏帆の向かいの席に座り、ほとんど手の付けられていないランチを見おろし、スプーンを手にとって、オムライスの端っこをちょこっとすくって口に運ぶ。
んー、冷めてるけど美味しい。
私はもう一口オムライスをすくって口に運び、結局、半分ほど食べてスプーンを置いた。
いろいろあって食欲なくなってたし、この後健康診断もあるしね。腹八分目くらいがちょうどいいよね。
夏帆を見れば、夏帆もちょうど食べ終わったところみたいだった。
「すぐ、健康診断行く?」
「食べ終えたばかりですぐは無理かな」
苦笑する夏帆に、私も頷き返す。
「そだね。あっそうだ、さっきね、蕨先輩に会って、今日サークルのメンバーで夕飯食べに行くから一緒にどうって誘われたんだけど、夏帆も一緒に行こうよ」
「いま昼食食べたとこなのに夕飯の話されても微妙だけど、まあ、いいわ、行く」
「よかったぁ~、正直、一人はちょっと緊張しそうだったから。だってまだ入部届も出してないし」
そうなのだ。実は入部届は昨日もらったけど、提出は最初の部会の時でいいって言われたからまだ出してないんだよね。気持ち的には入部する気満々だし、会ったことのあるアウトドア部の先輩は姫路先輩も乾先輩も啓子ちゃん先輩も蕨先輩もみんな優しそうな人だったけど、まだ顔を合わせていない先輩もいるから夏帆が一緒に行ってくれるなら心強い。
「なんだ? 小鳥遊はもうサークル決めたのか?」
拓斗と話していた七瀬君が静かな口調で会話に入ってきたから、内心驚きつつ、笑顔で頷き返す。
「うん、そうなんだ。七瀬君は? やっぱバスケ部入るの?」
「ああ、この後見学に行こうかって世良と話してたんだ」
「拓斗もバスケ部にするの?」
顔ごと横に向けると、拓斗はぼぉーっと宙を見つめていてはっとしたようにこっちを見る。
その表情が一瞬凍って、すっと視線を横にそらされてしまったから、私は内心首を傾げる。
なんだか様子が変だって分かったけど、私はあえて突っ込まずに七瀬君に向き直る。
「だから、今日は荷物が多いんだね? 鞄にバッシュとか入ってるんでしょ?」
「よくわかったな」
七瀬君のいつものクールな表情が少し驚いたようになる。
「んー、まあね」
私はあいまいな笑みを浮かべて誤魔化した。
会話が途切れて、少しの間を挟んで、夏帆が立ち上がりながら言った。
「片付けてくる」
「あっ、じゃあ私も」
そう言って立ち上がろうとしたら。
「璃子はちゃんとご飯食べなさい。残したら食堂のおばさんたちに失礼だし、体調悪い時こそちゃんと食べておかないと」
ギロっと視線を鋭くした夏帆に睨まれてしまった。
食堂のおばちゃんを持ち出されたら、残すなんて言えなくなってしまう。
私は浮きかけの腰をすごすごと降ろして、置いていたスプーンを持った。
「私、購買に用事あるから、その間に食べててよね」
「はーい」
私は苦笑しながら返事をして、食器返却口に歩いていく夏帆に手を振った。
夏帆の後を追うように七瀬君も食器を持って立ち上がり、行ってしまった。
つまり……
私と拓斗二人きりっということで。
いや、実際は食堂の中に学生はたくさんいるから二人っきりってことはないけど、近くの席に座っている人はいなくて。
さっきから感じるピリピリした空気に視線だけを隣に向けると、拓斗は相変わらず宙をぼぉーっと眺めている。だけど、その空を見つめる瞳は鋭く、張りつめた空気が放たれていて、困惑する。
どうしたんだろ、拓斗……
基本、穏やかな拓斗がこんなふうにピリピリすることってないんだよね。原因がなにか思いつかなくて、この話題に触れていいのか躊躇う。
仕方ない、どうしたらいいかわからないときはあえて触れないことにしよう。
そう思って、私はスプーンを手に取りオムライスをつつく。
夏帆にはちゃんと食べなさいって言われたけど、ほんと、あんま食欲ないんだよね……
どうしようかな、このオムライス。
そんなことを考えていたら。
「…………っ、…………」
ボソボソって隣から声がして、「ん?」って首を傾げて横を向く。
拓斗は相変わらず焦点の定まらない瞳で前を見てて、私の方は向いていないんだけど、何か言いたそうな空気だけは伝わってくる。
どのくらいか、沈黙を挟んで拓斗が口を開く。
「また、新しい彼氏ができたの?」
「えっ……?」
私は思わず聞き返していた。だって、あまりに拓斗の声が小さくて、そして冷ややかな声だったから。
「さっき言ってた蕨って人と付き合うんだろ」
私は隣に座る拓斗に体ごと向けているのに、拓斗は私の方をちらっとも見ずに前を向いたままの姿勢で言う。その態度が拒絶しているようで、胸の奥がジクリと悲鳴を上げる。
なんでそうなるの……?
なんでそんな不快そうな声で言うの……?
あまりに拓斗の雰囲気が冷たくて泣きそうになる。
蕨先輩とはなんでもないのに。違うって言いたかったのに、私の喉から出たのは気持ちとはうらはらな言葉だった。
「そうよ。サークルの先輩で、すごく優しい人なの……」
震えそうになる声を必死に冷静を装って、拓斗をじっと見た。
拓斗を包む空気がピリッと張りつめて、でも拓斗はやっぱり私を見ない。
「サークルの先輩って、まだ会って一日か二日くらいだろ? そんな会ってすぐ付き合うとか、どうせまたすぐ別れるんだろ」
口調は静かなのに。
誰――……?
って思うくらい苛立たしげな声音で言われて、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「そんなの……拓斗には関係ないじゃない!」