『「名門の恥」と呼ばれた色覚異常の令嬢ですが、同じ世界を見るお忍び王子に拾われました〜私の絵を嘲笑した者の前で、第一王子から熱烈な婚約発表をされています〜』
本作を開いていただき、ありがとうございます!
不遇な天才画家令嬢が、彼女の才能と見ている世界を全肯定してくれる王子様に拾われ、極甘に溺愛されるお話です。
王都にそびえ立つ、歴史と伝統を誇る王立美術館。
今美術館では、王立美術学園の展示会が行われており、その大展示室の片隅で、私、リーン・ヴァンダイクはひっそりと息を潜めていた。
「見てよ、またリーンの絵が飾られているわ」
「どうして学園もあんな絵を展示するのかしら。デッサンや輪郭を描くの『だけ』は上手いからって、あの色使いはあり得ないわ」
「美術史や絵の具の素材学とか、筆記試験がいつも学年トップだから仕方なく枠を与えられているんでしょうね。歴代の宮廷画家を輩出してきた名門の令嬢なのに、まさに『一族の恥』だわ」
クスクスと、嘲笑うような声が耳に届く。
私は、絵の具の染みが少しついた制服のスカートをぎゅっと握りしめた。
私には、他の人とは異なる「色彩感覚」があった。
皆が「美しい青」と呼ぶ空の色も、「鮮やかな赤」と呼ぶバラの色も、私には全く違う色に見えるのだ。
幼い頃から、私が描く絵の色合いは「気味が悪い」と大人たちに眉をひそめられてきた。
偉大な芸術家ばかりを生み出してきたヴァンダイク家にとって、私はまさしく不適合者だった。
家族からは冷遇され、絵筆を握ることすら嫌がられた。
それでも、私は絵を描くことをやめられなかった。
家で与えられた英才教育に必死で食らいつき、美術の歴史や顔料の知識を誰よりも学び、対象の輪郭を正確に捉える線画の技術を死に物狂いで磨き上げた。
私に見えるこの世界の色は、世間の基準とは違うかもしれない。
けれど、優しくて、とても美しい。
誰にも理解されなくても、キャンバスに向かっている時だけは、ありのままの自分でいられる気がしたからだ。
(……いいの。誰に笑われても、私は私の描きたいものを描くって決めたんだから)
私は隅っこに追いやられた自分の風景画を見つめ、小さく息を吐いた。
◇◇◇◇◇◇
その数日後。
学園の展覧会に、一人の特別な来賓が訪れていた。
ヒーリアス王国の第一王子、アーヴィン・サージュ・ヒーリアスである。
「殿下、本日は我が王立美術学園へようこそおいでくださいました」
すり寄るように出迎える学園長や教師たちに、アーヴィンは完璧な微笑みを返した。
金糸のように輝く髪と、深い海のようなサファイアの瞳。
誰もが平伏するような圧倒的な美貌と威厳を持つ彼は、若くして完璧な次期国王と謳われている。
だが、その完璧な笑顔の裏で、アーヴィンの心は鉛のように重かった。
(……また、この退屈で苦痛な時間が始まるのか)
アーヴィンは、美術品というものがひどく嫌いだった。
理由はただ一つ。
彼もまた、一部の色を周囲と同じように認識できない、特別な色覚を持っていたからだ。
王族として、数え切れないほどの「名画」が献上される。
しかし、どんなに高価で歴史的な価値があろうと、彼の目にはくすんだ染みの集合体にしか見えない。
周囲が「なんと美しい色彩だ」と絶賛すればするほど、アーヴィンは深い孤独と苛立ちを募らせていた。
自分の視界が他の人と違うことなど、完璧を求められる第一王子の立場では誰にも打ち明けられない。
今日も公務だからと渋々足を運んだが、早くこの場を立ち去りたかった。
「殿下、こちらが今年度の優秀作品でございます。我が学園が誇る生徒たちの傑作を、とくとご覧ください」
教師たちが誇らしげに案内する大きな絵画を前に、アーヴィンは適当に相槌を打った。
彼にとってはどれも無価値なガラクタだ。何の感動も湧かない。
心を無にして展示室を抜けようとした、その時だった。
「……!」
部屋の最も暗い隅、まるで隠されるように飾られていた小さな一枚の風景画。
それが、アーヴィンの視界の端に飛び込んできた。
彼は弾かれたように足を止め、その絵の前へと歩み寄った。
「殿下? そちらは……」
戸惑う教師の声など、アーヴィンの耳には入らなかった。
彼は息を呑み、食い入るようにその絵を見つめた。
圧倒的な技術に裏打ちされた、正確で迷いのない輪郭線。
計算し尽くされた完璧な構図。
それだけでも十分に素晴らしい芸術だとわかる。
だが、アーヴィンの心を激しく揺さぶったのはそこではなかった。
彼が毎日見ている、本当の空の色。
彼が美しいと感じる、木々のグラデーション。
彼にしか見えないはずの『正解』の色彩が、その卓越した線画の上に、優しく温かい筆致で広がっていたのだ。
(なんという……なんという圧倒的な美しさだ……!)
アーヴィンの胸の奥で、ずっと凍りついていた何かが熱く溶け出していく。
これまでの人生で感じたことのない、魂を震わせるような強烈な感動。
自分と同じ世界を見ている人間が、この世に存在していたという奇跡。
「……この絵は、誰が描いた?」
震える声で問うアーヴィンに、教師はあからさまな嫌悪感を露わにして答えた。
「あ、あのような駄作に目を留められるとは……。あれはヴァンダイク家の恥さらし、リーンという生徒が描いたものです。線を描く技術と知識ばかり一人前で、あの異常な色使い……不快でしたら、すぐに片付けさせます」
「触るな!!」
アーヴィンの鋭い怒声が展示室に響き渡り、その場にいた全員がビクッと肩を震わせて凍りついた。
彼は周囲の戸惑いなど気に留めず、ただひたすらにリーンの絵を見つめ続けた。
(リーン・ヴァンダイク……)
冷め切っていたアーヴィンの心に、熱い火が灯る。
この奇跡のような絵を描いた才能ある少女に、どうしても会いたい。
いや、絶対に会わなければならない。
彼は深いサファイアの瞳に強い決意を宿し、その小さな風景画の前からしばらく動くことができなかった。
王立美術館での展覧会も、残すところあと数日となったある日のこと。
学園の授業が終わった後、私、リーン・ヴァンダイクは一人で美術館を訪れていた。
(もうすぐ展示期間も終わる。そうしたら、あの絵は学園の倉庫にしまわれてしまうだろう)
名門の恥と罵られながらも、どうしても描くことをやめられなかった私の絵。
せめて最後にもう一度だけ、しっかりと目に焼き付けておきたかったのだ。
しかし、薄暗い展示室の隅にある私の絵の前には、先客がいた。
「……」
その青年は、食い入るように私の風景画を見つめていた。
少し長めの前髪を下ろし、分厚い伊達メガネをかけている。
服装も地味で目立たない。
けれど、真っ直ぐに伸びた背筋や、絵を見上げる少しの動作に、隠しきれない気品と洗練された空気が漂っていた。
(ただ者じゃなさそうだけど……誰だろう?)
私が戸惑って立ち止まっていると、静かな展示室に、青年の低く心地よい呟きが響いた。
「……美しい。なんて、優しい色彩なんだ」
えっ、と私は息を呑んだ。
聞き間違いだろうか。今まで「狂っている」「不快だ」としか言われなかった私の色を、彼は美しいと言ったのだ。
驚きのあまり、小さく「あっ」と声を漏らしてしまう。
その声に気づき、青年が振り返った。メガネの奥にある深い瞳が、私を真っ直ぐに見つめる。
「君は……もしかして、この絵の作者を知っているのか?」
青年の問いかけに、私は恐る恐る頷いた。
「……わ、私です。私が、描きました。リーンと申します」
「君が!」
青年は弾かれたように私に歩み寄り、その両肩をガシッと掴んだ。
地味な装いからは想像もつかないほど、彼の声には熱がこもっていた。
「素晴らしい絵だ。圧倒的な線画の技術もさることながら……君には、この世界がこう見えているのか。この、温かくて澄んだ色が」
「っ……はい。でも、私の目は少しおかしくて。他の人とは違うみたいなんです。家族にも、色使いが異常だと笑われて……」
私が俯き、震える声でそう告げると、青年の瞳に痛切な光が宿った。
「異常なんかじゃない。君を笑う者たちの方が間違っている」
青年の力強く、けれど酷く優しい声が、私の耳に届く。
「確かに、他の人たちとは見え方が違っているのかもしれない。だが、俺には……世界がこの絵と全く同じように見えているんだ。俺は、君の絵が誰よりも美しいと思う」
ポロリ、と。
私の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
ずっと、ずっと誰かに言ってほしかった言葉だった。
自分の見ている世界を、たった一人でもいいから肯定してほしかった。
しかも彼は「自分も同じように見えている」と言ってくれたのだ。
涙を拭おうともせず泣きじゃくる私を見て、青年はハッとして手を離した。
泣かせてしまったと焦ったのか、不器用にポケットからハンカチを取り出して差し出してくれる。
「すまない、泣かせるつもりはなかったんだ。俺は……アーヴィ。ただのしがない学生だ。……歳も同じくらいだろうし、もしよかったら敬語はなしにしないか?」
気遣うようなアーヴィの言葉に、私はハンカチを受け取りながら小さく頷いた。
「分かったわ。ありがとう、アーヴィ」
「ああ。……君は、これからも絵を描くのか?」
「うん。本当はもっと色んな絵を描きたいんだけど……学園や家だと、変な色だってすぐに笑われちゃうのよね」
私が少し寂しそうに笑うと、アーヴィは真っ直ぐに私の目を見て言った。
「……ならば、俺が君の絵の最初の観客になろう。学園や家族の目がある場所では描きづらいだろう。どこか、いい場所はないか?」
「それなら……王都の郊外に、私が見つけた秘密の原っぱがあるの。いつもあそこで、一人でこっそり絵を描いていて……。もしよかったら、そこに来てくれる?」
「ああ、もちろん。喜んで行こう」
◇◇◇◇◇◇
それから数日後。放課後になると、私はキャンバスと絵の具を抱えて秘密の原っぱへ向かい、そこにアーヴィもやって来るようになった。
心地よい風が吹き抜ける原っぱで、私は真っ白なキャンバスに向かう。
今日描いているのは、ヒーリアス王国の国花である『ブルースター』だ。
世間では鮮やかな水色の花びらと緑の葉を持つとされる花だが、私の目には純白の花びらと、琥珀色に色づいた温かい葉に見える。
私が筆を動かす隣で、アーヴィは静かに芝生に腰を下ろし、その様子を見守っていた。
「……本当に綺麗だ。君が色を重ねるたびに、花が命を吹き込まれていくようだ」
アーヴィの穏やかな声が、くすぐったいような、心地よいような気持ちにさせてくれる。
「ふふっ、ありがとう。アーヴィが見てくれていると思うと、なんだか筆がすらすら動くの」
「そうか。俺はただ、君の描く世界を見ているだけで……とても心が安らぐんだ」
たわいない世間話をしながら、私は絵を描き、彼はそれを肯定してくれる。
誰にも理解されなかった孤独な私たちの距離は、穏やかな自然の中で、絵を通じてゆっくりと、けれど確実に縮まっていった。
この静かで優しい時間が、いつまでも続けばいいのに。
私は筆を握りながら、密かにそう願っていた。
数日後
秘密の原っぱでの穏やかで優しい日々が続き、私のキャンバスには『ブルースター』の絵が完成しようとしていた。
世間では鮮やかな水色の花びらと、緑の葉を持つとされる花。
けれど、私のキャンバスには色素の抜けた純白の花びらと、琥珀色に色づいた温かい葉が描かれている。
アーヴィと一緒に過ごした時間のように、優しく光を帯びた一枚だった。
しかし、そんな幸せな日々は、唐突に終わりを告げた。
「リーン、お前に話がある」
冷え切った屋敷の応接室。
お父様は私を前にして、まるで事務連絡でもするかのように冷酷に言い放った。
「今度の王宮主催の夜会で、お前の婚約を発表することになった。相手は地方の辺境を治める、ゴルドン卿だ」
「えっ……ゴルドン卿って、あの、お父様よりもずっと年上の……? 芸術なんて無駄なものだと公言している方じゃありませんか!」
「それがどうした。お前のような色もまともに塗れない『欠陥品』を、後妻として引き取ってくださるのだ。ヴァンダイク家の名前に感謝するんだな」
「そんな……お父様、嫌です! 私はまだ学園で絵を学びたい……っ」
「みっともない声を出すんじゃないの」
すかさず、隣に座っていたお母様が扇子でピシャリとテーブルを叩いた。
「いい加減になさい。色も分からず、枯れ草のような気味の悪い絵しか描けない娘など、もはや一族の恥でしかないのよ。学園も退学させます。部屋にあるガラクタ……絵の具やキャンバスはすべて捨てて、さっさと嫁ぐ準備をしなさい」
取り付く島もない両親の言葉に、私は目の前が真っ暗になった。
私が今まで必死に磨いてきた線画の努力も、美術の知識も、彼らにとっては「異常な色」というだけで、すべて無価値だったのだ。
◇◇◇◇◇◇
翌日の放課後。
私は没収される前に何とか持ち出した、完成したばかりのブルースターの絵だけを抱きしめ、ふらつく足取りで秘密の原っぱへと向かった。
「リーン? ……どうしたんだ。目が真っ赤だ。何があった?」
いつものように芝生に座って待っていたアーヴィは、私の顔を見るなり弾かれたように立ち上がった。
心配そうに覗き込んでくる彼の深い瞳を見た瞬間、私はもう、無理に笑うことすらできず、堪えきれずに泣き崩れてしまった。
「アーヴィ……っ、ごめんね。私、今日でここに来るのは……最後なの」
「最後って、どういうことだ。誰かに何かされたのか?」
「……王宮の夜会で、年老いた貴族のところへ後妻に出されることになったわ。絵の道具も、全部捨てられちゃった……もう、絵は描けないの……っ」
しゃくり上げながら事情を話す私を、アーヴィは痛ましそうに見つめていた。
私はキャンバスをぎゅっと抱きしめ、ポツリポツリとこぼす。
「お父様たちの言う通りなのよ。このブルースターの絵だって……きっと、私がおかしいのよね。純白の花びらも、琥珀色の葉っぱも……他の人から見たら、色が抜け落ちた枯れ草の絵なんだわ……」
自嘲しながら絵を手放そうとした私の手を、アーヴィが力強く、けれど酷く優しく握りしめた。
「自分を卑下するのはやめろ、リーン」
「でも……っ」
「枯れ草? 冗談じゃない」
アーヴィは私の手からキャンバスをそっと受け取ると、その絵を愛おしそうに見つめた。
彼の瞳には、静かだが激しい怒りの炎が揺らめいていた。
「こんなに温かい琥珀色と、澄み切った純白の花びら。命の息吹に満ちているじゃないか」
「アーヴィ……」
「俺にはわかる。君の描く世界は、誰よりも美しい。……この絵は、俺が大切に預かっておくよ」
「いいの……? 気味悪がられない?」
「俺の世界と同じなんだから、気味悪いわけがないだろう」
アーヴィは少しだけ口角を上げて微笑むと、私の頬を伝う涙を、親指でそっと拭ってくれた。
「泣かないで。……実は俺も、今度の王宮の夜会に出るんだ」
「え……? でも、あれは高位の貴族しか出られないはずじゃ……」
「大丈夫だ。約束する。当日は必ず俺が君を見つけ出して、君のすべてを守り抜く」
ただの学生であるはずの彼から放たれる、絶対的な自信。
「だから、どうか下を向かずに……俺を待っていてほしい」
その温かく頼もしい声に、私の心は不思議なほどに救われ、すっと落ち着きを取り戻していった。
◇◇◇◇◇◇
そして迎えた、王宮の夜会当日。
煌びやかなシャンデリアが照らす大広間で、私は一人、壁際で小さく息を潜めていた。
家族からわざとあてがわれた、装飾の少ない地味でみすぼらしいドレス。周囲の貴族や同級生たちは、私を遠巻きに見てあからさまなヒソヒソ話をしていた。
「見てよ、あのドレス。あの子、本当にヴァンダイク家の令嬢?」
「ああ、あの『名門の恥』ね。枯れ草みたいな気味の悪い絵しか描けないから、勘当同然で売られるんでしょう」
「よくあんな娘、買いたがる物好きがいたものねぇ」
心ない言葉が刃のように突き刺さる。
さらに、不快な香水の匂いとともに、下卑た笑みを浮かべた年老いた男――婚約者候補のゴルドン卿が近づいてきた。
「ヒッヒッヒ、初めましてだな、私の可愛いお嬢さん。お前さんは絵を描くのが好きだそうだが、私の屋敷に入ればそんな無駄な真似はさせんよ。大人しく私の飾りになっていればいい」
吐き気のするような言葉。今にも逃げ出したい。
けれど。
(大丈夫……アーヴィが、来てくれるって言ったから)
私はギュッと目を瞑り、ドレスの裾を握りしめて耐えた。
その時だった。
突然、会場の空気を震わせるように、高らかなファンファーレが鳴り響いた。
「――第一王子、アーヴィン・サージュ・ヒーリアス殿下の御入場です!!」
ざわついていた大広間が、水を打ったように静まり返る。
誰もが平伏すような圧倒的な威厳とともに、この国の次期国王が、ゆっくりと会場へ足を踏み入れた。
彼が一歩進むたびに、次々と媚びを売る声が上がる。
「殿下! どうか我が家の娘に御挨拶の栄誉を!」
「ああ、殿下がこちらへ向かってこられるわ……!」
「まさか私をファーストダンスの相手に選んでくださるの?」
着飾った令嬢たちが頬を染めて期待の視線を向けるが、彼は彼女たちを一瞥もせず、完全に無視して通り過ぎていく。
私のお父様とお母様も「殿下! 我が名門ヴァンダイクの――」と意気揚々と声をかけたが、それすらも冷たい風のように通り過ぎた。
彼が迷うことなく真っ直ぐに進み、ピタリと立ち止まったのは――会場の最も暗い隅で、怯えて俯いていた私の目の前だった。
不意に止まった足音に、私は恐る恐る顔を上げた。
そこには、見慣れた深いサファイアの瞳があった。
「……アーヴィ……?」
驚いて目を丸くする私に、高貴な装いをした彼は、少しいたずらっぽく、けれど原っぱで見せていたのと同じ酷く優しい微笑みを向けた。
「びっくりした?」
声も出せずにコクコクと頷く私を見て、彼は困ったように少し眉を下げる。
「今まで隠しててごめん。俺の本当の名前はアーヴィじゃなくて、アーヴィン……この国の第一王子なんだ。ずっと黙っててごめんね。」
優しく語りかける彼に、私はハッとして後退ろうとした。
「第一王子、殿下……。でも、私なんて……家族にも見捨てられた家の恥で……王子様に関わっていいような人間じゃ……」
身分の違いと自分の境遇を恥じて身をすくめる私。
しかし、アーヴィンは逃げようとする私の手を優しく、けれどしっかりと取り、何百人もの貴族が見ている前で、私の指先に恭しく口付けを落とした。
「君は誰よりも美しい。俺が証明しよう」
甘く、力強い声が大広間に響き渡る。
「君が俺に『絵の素晴らしさ』を教えてくれたように……今度は俺が君を、一番光の当たる場所へ連れ出す番だ」
アーヴィンの揺るぎない深い愛情に触れ、私は堪えきれずに大粒の涙をこぼしながら彼の手を握り返した。
「あの欠陥品に殿下が跪いただと!?」
様子を見ていた周囲の貴族たちは驚愕で言葉を失っている。
アーヴィンがパチンと指を鳴らすと、控えていた従者がイーゼルに立てかけられた一枚のキャンバスを会場の中央に運び込んできた。
私が描いた『ブルースターの絵』だ。
それを見た両親とゴルドン卿は、血相を変えて進み出てきた。
彼らは、殿下が私の「欠陥」を知らずに騙されているのだと思い込み、後で一族の責任を問われるのを恐れて慌てて忠告しにきたのだ。
「で、殿下! お待ちください、殿下はその娘の顔に騙されておられます! その娘は色が分からず、神聖なブルースターを枯れ草のようにしか描けない異常者なのです! そのような気味の悪い絵を殿下の御前に出すなど……!」
「左様です! 私が夫として責任を持って引き取り、そのような不快なゴミはすべて燃やして差し上げます!」
へつらうように笑うゴルドン卿。
その瞬間、アーヴィンの纏う空気が絶対零度に凍りついた。
「……ゴミだと?」
低く地を這うような冷酷な声に、大広間が震え上がる。
「命の息吹に満ちたこの温かい琥珀色と純白が、貴様らの濁った目には枯れ草に見えるのか」
「え……?」
「俺にも、彼女と全く同じ色が見えている。この絵を、そして彼女の色彩を侮辱することは、未来の国王である俺の目を侮辱することと同義だ」
その宣告に、両親とゴルドン卿の顔から一気に血の気が引いた。
「衛兵。この者たちをつまみ出せ。不敬罪として追放し、ヴァンダイク家には身分剥奪を含む厳重な処分を下す」
「お、お待ちください殿下ぁぁっ!!」
泣き叫びながら引きずられていく両親とゴルドン卿。
彼らが会場から完全に排除され、静寂が戻った大広間で、アーヴィンは再び冷たい王子の仮面を捨てた。
そして、原っぱにいた時のような甘く優しい顔で私に向き直ると、何百人もの貴族たちが息を呑んで見守る中、再び私の前に静かに跪いた。
「……さて、邪魔も入らなくなったところで。リーン、俺は君に、俺の専属画家になってほしい。そして……」
彼は私の手を両手で包み込み、熱を帯びた瞳で私を見つめ上げる。
「俺の愛する、ただ一人の妻になってほしい。君が描く色をもっと見たい。君が絵を描く隣で、ずっとその筆先を見守っていたいんだ。俺の隣にいてくれるだろうか?」
孤独だった私を肯定し、絵を描く喜びを再び与えてくれた彼からのプロポーズ。
もう、迷う理由なんてどこにもなかった。
「はい……っ。私でよければ、喜んで」
私がポロポロと嬉し涙をこぼしながら満面の笑みで頷くと、アーヴィンは立ち上がり、私を強く、けれどとても優しく抱きしめた。
「ありがとう、リーン。……愛しているよ」
私の目に映る世界は、もう孤独で冷たい色なんかじゃない。
私を誰よりも愛してくれる彼と見るこの世界は、何よりも温かくて、世界で一番美しい世界だった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!




