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王都の裏路地がごみだらけで疫病が広がったのに誰も回収しなかったので、前世で清掃員だった俺が普通の分別回収で食い止めることにした

掲載日:2026/04/23

一 死んだのは、収集車の後ろだった



 死んだのは、真夏の収集車の後ろだった。


 朝四時。


 市のごみ収集を請け負う会社で、可燃ごみの日だった。


 袋を持ち上げた瞬間、視界が白く飛んだ。


 熱中症からの心停止。


 享年四十七。


 清掃員としては、あまり褒められた最期ではない。


 二十年近く、朝の道路で働いた。


 臭いにも、重さにも、雨にも慣れた。


 だが、真夏だけは別だ。身体のほうが先に音を上げる。


 次に目を開けた時、床も壁も天井も白かった。


 目の前には、安っぽいカウンター。


 その向こうに、とんがり帽子と星柄のマントを着た青年が座っている。帽子は明らかにサイズが合っておらず、わずかに傾いていた。


 杖には、でかでかと「MAGIC」と書かれていた。


「先に言いますが、これは私の趣味ではありません」


 開口一番、それだった。


「たぶん、毎回つっこまれるんですね」


「ええ。ほぼ百パーセントで」


 青年は疲れた目で名札を指した。


「転生窓口の担当、ツクヨです。ここは、死んだ人を次の世界へ送る前の窓口だと思ってください」


「死後の市役所みたいなものですか」


「だいたい合ってます。書類はこっちのほうが多いですが」


 親近感があった。


 ツクヨは紙を一枚めくった。


「佐久間彰さん。前世の職業は清掃員。家庭ごみの収集、分別指導、班長経験あり。今回の配属先ですが、剣と魔法のある別世界です」


「ずいぶん急ですね」


「向こうが急いでるんです」


 ツクヨが机を軽く叩く。


「その世界では、どうにもならない困りごとが出ると、神殿にお告げを下して、別の世界から人材を送る仕組みがあります。英雄を送ることもあれば、今回みたいに実務屋を送ることもある」


「今回は実務屋」


「はい。王都の裏路地が、ごみで埋まっています」


 それだけで、だいたい分かった。


「鼠と病気ですか」


「ええ。下痢を伴う熱病が広がっています。表通りは毎朝きれいに水を撒いているのに、裏路地だけがごみ山です。貴族は『平民が怠けているからだ』と片づけ、平民は『捨てる場所がない』と肩をすくめる。誰も、集めて運ぶ仕組みを作らなかった」


「見える所だけ掃いて、見えない所に押し込んだわけか」


「その通りです」


 ツクヨがうなずく。


「ただし、先に申し上げます。今回は英雄向けの加護はありません。魔法も聖剣もなしです。前世の経験だけを持って行く、いわゆる凡人枠。つまり、普通枠です」


「チートなし」


「なしです」


「ありがたいですね」


 ツクヨが、二度瞬きをした。


「怒らないんですか」


「ごみは魔法で消すより、分けて運んだほうが早いことが多いんで」


「その返し、初めて聞きました」


 ツクヨが少しだけ笑った。


「身体は三十代後半の健康体に調整できます。備品も少しなら付けられます。何が要ります?」


「腰と膝を、壊れる前の状態で」


「切実ですね」


「清掃員の最重要装備です」


「ほかは?」


「長靴。革手袋。口と鼻を覆う布。あと、荷車の扱いに慣れた体」


「異世界転生の要望としては、驚くほど地味です」


「ごみは、派手に片づきませんから」


 ツクヨは書類に何か書き込んだ。


「それと、言葉と文字は通じるようにしてあります。窓口の標準対応です」


「助かります」


「通じないと、どの案件も二日で詰まるので」


「分かりました。ああ、向こうに着いたら、たぶん最初にこう聞かれますよ。『奇跡は使えますか』って」


「使えないと答えます」


「それでいいです。今回必要なのは、奇跡を起こす人じゃなくて、毎朝ちゃんと来る人ですから」


 白い空間が、溶けた。


 最後に聞こえたのは、少しだけ柔らかい声だった。


「行ってらっしゃい。ごみの運び方が分かる人は、たぶん剣の達人より少ないです」


(——慰められているのか、皮肉を言われているのか、分からなかった)



二 この街には、捨て方しかなかった



 目を開けると——臭いがした。


 強い臭いだった。


 腐った野菜、魚の骨、下水、獣の死骸。


 鼻の奥を、濡れた布でふさがれたみたいだった。


(——前世より、濃い)


 石畳の細い路地に立っていた。


 道の端には、ごみの山。


 その上を、灰色の鼠が走る。


 壁際には割れた皿と、食べ残しと、古い寝藁が積み重なっていた。


 だが、路地を一歩出ると景色が変わる。


 表通りはきれいだった。


 道は水で洗われ、店先には香りの出る鉢植えが並んでいる。


 夜道を照らす灯りも、魔法の石でできているらしい。いかにも、剣と魔法の都だ。


(表は飾る。裏は腐らせる。最悪のやり方だな)


「——あの。もしかして」


 声がした。


 振り向くと、少女が立っていた。


 十六か十七くらい。栗色の髪を束ね、書類を抱えている。服は役人のものだが、袖口にインク染みがある。


「神殿が言っていた、別の世界から来る助っ人の方ですか」


「たぶんそうです。佐久間彰」


「私はリズ。王都の庶務局で書記見習いをしています。庶務局というのは、他の部署が押しつけてきた雑事を全部受ける所です」


「だいたい想像がつきます」


 リズが、俺の長靴と手袋を見る。


「ええと……奇跡は?」


(——ツクヨの予言、一言目で的中)


「ありません」


「魔法は」


「使えません」


「剣は」


「素人です」


「……では、得意なことは」


「ごみの分別です」


 リズの肩が、目に見えて落ちた。


「すみません」


「予想通りの反応なので平気です」


 俺は路地を指した。


「この街、ごみの回収は誰が?」


「していません」


「誰も?」


「各家で、裏に出すだけです。大きな店は人を雇って少し離れた場所へ捨てさせます。貧しい家は家の裏か、川沿いへ。表通りだけは、見た目が悪いので毎朝掃きます」


「回収日もない」


「回収日、ですか。出す日を決めるんですか」


「いつ、何を出していいか決める日です」


 リズは首を振った。


「ありません。そんなもの、考えたこともありませんでした」


「処理場は」


「処理場……集めたものを、持っていく先、ですか」


「集めたごみを仕分けして、燃やすものは燃やし、埋めるものは埋める場所です」


「ありません」


 見事なくらい、何もなかった。


(——何もないなら、足し算から始められる)


 リズが、少しためらってから付け足す。


「この街、魔法の道具はけっこうあります。広場の噴水は水をきれいにしますし、表通りの灯りも夜通し消えません。香りで虫を遠ざける高い鉢植えもあります。でも、そういう便利なものは高いんです。だから、上流区と大通りにはある。裏路地にはない。——それに、ごみそのものを消す魔道具は、ありません。臭いは散らせても、量までは減らせないんです」


「見た目の清潔だけ、金で買ったわけか」


「……たぶん、そうです」


 路地のごみ山を手袋で少し崩す。


 下から、病人が寝ていた藁が出てきた。吐いた跡もある。


 その脇に、銀の縁取りが入った酒瓶。貧民街の持ち物ではない。


(上からも流れてきてるな)


「病気が多いのは、どこです」


「東三区と、南川沿いです。熱を出して倒れる人が増えています。医者も神官も手が回りません」


「まず東三区からやりましょう」


「えっ。今ですか?」


「全部は無理です。だから一番悪い所からやる」


 リズはあわてて書類を抱え直した。


「何が要りますか」


「仕事のない人手を六人。丈夫な荷車二台。空き樽十個。石灰か灰。革手袋と口覆いの布を、人数分。革が足りなければ厚布で代用。あと、字が読めない人でも分かるように板と絵具」


「絵具?」


「魚の絵、火の絵、釘の絵を描くんです。文字だけだと回らない」


「それだけで、何とかなるんですか」


「最初は何とかします」


「予算は」


「庶務局の雑費枠で回せます。押しつけ仕事の経費を処理する枠なので、逆に動きやすいんです。荷車は門番詰所、樽は炊き出し小屋、石灰は南門の建材置き場。揃える先も、全部うちが窓口です」


「いい部署ですね」


「……そう言われたのは、初めてです」


 俺は路地の先を見た。


 子供がごみ山を棒でつついている。


 その足元を、鼠が横切った。


「これは怠けてるんじゃない。仕組みがないんです。ごみの問題は、性格じゃなくて流れの問題です」


「流れ」


「誰が、いつ、どこへ出して、どこへ運ぶか。そこを決めれば、山は減ります」


 リズのペン先が、紙の上を滑った。


「分かりました。人を集めます」


「ひとつだけ」


「はい」


「『汚い仕事だから』と言われても、引っ込まない人をお願いします」


 リズは布越しに息を吸った。


 それから、うなずく。


「……王都には、そういう仕事しか残っていない人が大勢います」


「じゃあ、その人たちに頼みましょう」


 ごみは臭う。


 汚れる。


 見下す人間もいる。


 だが、だから価値が低いわけではない。


 むしろ逆だ。


 誰も近づきたがらない場所に近づける人間が、最後に街を支える。



三 分別は、街の呼吸を作る



 翌朝。


 東三区の炊き出し小屋の前に、人が集まった。


 痩せた男。


 日雇いにあぶれた若者。


 子供を背負った女。


 彼女には回収に入ってもらわず、炊き出し小屋の前で帳付けと賃金の記録を頼んだ。危ない所へは入れない。


 そして、腕の太い大男が一人。名前はドーマと言った。


「ごみ拾いの仕事だと聞いた」


 ドーマが腕を組む。


「拾うんじゃない。回収だ」


 俺は空き樽を叩いた。


「家の前から持ってきて、分けて、運んで、処理する。ごみを消すんじゃない。流れを作る。今日から、それをこの街でやる」


「分ける?」


「混ぜるから腐る。混ぜるから臭う。混ぜるから病気が広がる」


 板を立てる。


 ひとつ目には魚の絵。


 ふたつ目には火の絵。


 三つ目には釘の絵。


 最後は赤い布を巻いた樽。


「魚は食べ残し。火は燃やせる紙や布。釘は——硬い物は全部釘だ。割れた皿、瓶、金物、欠けた器、全部そこへ入れろ。赤は病人が使った藁と布だ。これは素手で触るな。別にして、最後に燃やす」


 俺は集まった顔を見回した。


「先に言っておく。これは『誰でもできる雑用』じゃない。臭いに近づいて、重い物を運んで、病気を広げないよう手順を守る仕事だ。失敗すれば自分も倒れるし、街にも返る。だから、ちゃんとした仕事としてやる」


 若い男が眉をしかめた。


「そんな面倒なこと、誰が覚える」


「覚えられないなら絵を見る。字が読めなくても分かるようにした」


 もう一枚の板を出す。


 今度は、鐘を二つ、大きく描いた。朝の鐘が二つ鳴るまでに出せ、の意味だ。


「朝の鐘が二つ鳴るまでに出せ。夜に捨てるな。便桶はふたをして、灰を一杯かけたら、茶印をつけて戸口に出せ。鐘のあとに別の荷車が回る」


「灰をかける意味は」


 リズが横から聞く。


 もう書記ではなく、現場の顔になっていた。


「臭いと水気を抑える。虫も減る。あとで触る人間が少し楽になる」


「少し」


「この仕事は、その『少し』の積み重ねです」


「あとひとつ。飲み水は、井戸から汲んだら一度沸かせ。川の上流側で便桶を洗うな。ごみの流れと水の流れは、絶対に交差させるな」


 リズが、慌ててペンを走らせた。


 東門の外れに、使われなくなった煉瓦焼き場があった。


 そこを仮の処理場にした。


 食べ残しは穴に入れる。


 藁と土を重ねる。


 時間をかけて肥やしに変える。


 紙や布は、煉瓦焼き場の炉に投げ込んで焼く。


 瓶と金物は洗って売る。


 割れた皿は砕いて、穴の底に敷く。


 便桶は別回収にして、街外れの専用の穴へ運ぶ。


 赤い樽だけは、離して燃やす。


(——前世で組んだ行き先表を、異世界でもう一度書くことになるとは思わなかった)


「病人の藁は振るな。二人で持て。顔を触るな。終わったら必ず手を洗え」


 路地に入る。


 最初の一時間は地獄だった。


 表面だけどけると、下から濡れた生ごみが崩れる。


 鼠が飛び出す。


 割れた瓶で手を切りそうになる。


 臭いは、昨日よりひどく感じた。


 だが、二時間後には石畳が見え始めた。


「おい、赤はそっちじゃねえ」


 声を張ったのはドーマだった。


 赤樽に瓶を投げようとした若者の手を止めている。


「釘だ。そっちは病人の布だろ」


「知らねえよ、そんなの」


「今、教わっただろうが」


 短い声だった。


 だが、十分だった。


 その頃、若者が一人、黙って帰った。戸口で家族に袖を引かれていた。


 引き止めはしなかった。


 抜けた一人分は、今いる人間が運ぶ。それが現場だ。


 昼過ぎ、家の戸がひとつ開いた。


 腰の曲がった女が、野菜くずの入った桶を抱えて出てくる。


「これ、どこに置けばいいんだい」


「魚の絵の樽に。朝の鐘が二つまで。混ぜなければ持っていきます」


 女は樽の絵を見た。


 魚の横に、自分の指で空中に同じ形をなぞる。


「……分ければ、持っていってくれるのかい」


「持っていきます」


 女は桶を置いた。


 それから、自分の家の前を箒で掃き始めた。


 風が通った。


 大げさではない。


 ごみの山が少し減っただけで、路地の空気は本当に動いた。


 臭いも、一段だけ薄くなる。


 子供が戸口から顔を出す。


「今日は臭くない」


「昨日よりは、な」


 俺が答えると、その子は魚の絵の板をじっと見た。


 夕方、作業を終えた。


 灰汁と油で作った粗い石鹸で手を洗わせ、沸かした水を飲ませる。


 賃金は銅貨で日払いにした。高くはないが、その日の働きがその日に返ると、人は翌朝も来る。


 ドーマが荷車の軸に油を差しながら言った。


「俺、昨日まで仕事がなかった」


「そうか」


「路地の脇で寝て、追い払われて、それで終わりだと思ってた」


 ドーマが荷車の持ち手を軽く叩いた。


「でも、今日は誰にも追い払われなかった」


「今日からは、追い払われる側じゃない。街を回す側だ」


 返す言葉は、もうそれで十分だった。


 帰り支度をしていた時、庶務局の小僧が封筒を届けに来た。


 便箋が一枚。——読んだ。続けろ。


 署名はない。


「庶務局の古株からです。議会には出ない人で、黙って報告書だけ読んでいます」


 リズが、少し声をひそめた。


(——顔の見えない味方が、一人、いるらしい)


 その夜、路地の入口に板を立てる。


 魚。


 火。


 釘。


 赤。


 リズの描いた魚は妙に太っていた。


 火は鳥の羽みたいだった。


 釘だけは、誰が見ても釘だった。本人もそこは胸を張っていた。


 だが、読めなくても見分けはつく。


 翌朝には、近所の子供が板の前で読み上げ役になっていた。


 字の読める子が、読めない大人に教える。


 ごみは力仕事だ。


 だがその前に、連絡仕事でもある。



四 見えない場所に捨てれば、なくなったことになるのか



 三週間で、東三区のごみ山は半分になった。


 鼠駆除を頼む家も減った。


 熱を出して寝込む子供も、前より少ない。


 だが、南川沿いだけは、病人の数が思ったほど減らなかった。


 庶務局の小部屋で、リズが帳面を閉じる。


「東三区は減っています。でも、川沿いは変わりません」


 机の上に、昼に拾った瓶を並べた。


 細工の入った葡萄酒瓶。


 銀糸入りの食卓布の切れ端。


 どれも、貧しい地区では手に入りにくい品だった。


「上から来てるな」


「上って」


「上流区からです。表通りがきれいな家ほど、夜に裏へ流してる」


 その夜、衛兵二人と一緒に、南川沿いで張り込んだ。


 リズも来ると言って聞かなかった。


 ドーマは無言で、荷車を止めるための縄を握っている。


 夜半過ぎ。


 幌付きの荷車が音を立てて現れた。


 表の門を通る時に使う通行札つきだ。上流区の使用人でもないと持てない。


「今だ」


 ドーマが横から飛び出す。


 衛兵が前をふさぐ。


 俺は幌をめくった。


 中身が崩れた。


 食い散らかした骨。


 酒瓶。


 果物の皮。


 刺繍入りの布。


 そして、その下から出てきたのは——熱で汗を吸った寝具と、吐いた跡のある藁束だった。


 リズの息が、半拍遅れて戻ってきた。


「病人の……寝藁」


 御者が叫ぶ。


「命令だったんだ! 表通りの近くに置くなって! 客にまで臭いが届くと困るって!」


 ドーマの手が、荷車の縁を握ったまま止まった。


 奥歯で、言いかけた言葉を噛んだのが分かった。


 翌朝、庶務局長の認可と衛兵の立ち会いのもと、臨時報告の席が設けられた。


 俺たちは証拠を抱えて、会議の長机へ乗り込んだ。


 長机の向こうには、腹の出た貴族と、眠そうな官吏たち。


 臭いのする路地を知らない顔ばかりだった。


「荷車一台で騒ぎすぎだ」


 貴族が鼻を鳴らす。


「たまたま裏に捨てただけだろう」


「たまたまなら、三週間分も出ません」


 リズが帳面を開いた。


 手は震えていなかった。


「東三区と南川沿いで拾った、上流区の印入り瓶が四十七本。高級食堂の箱が十一。上流区使用人寮の印入り寝具が七。偶然ではありません」


 貴族の顔がしかめられる。


「見える場所だけ磨いて、見えない場所に押し込むのは掃除じゃありません」


 俺は言った。


「移動です。しかも、一番弱い所へ押しつけている」


「平民の区画で病人が増えたところで——」


 そこまでだった。


 机の端にいた老役人が、ゆっくり顔を上げる。


「増えたところで、何だ」


 会議室が静まった。


 老役人は俺を見る。


 机の上の紙束に、親指で触れていた。


 端には、東三区から送った日報が積まれている。


「数字は読んだ。では、どうする」


(——顔が、つながった)


 やっと、現場の話になる。


「王都全域で、回収の仕組みを定めます。何をいつ出すか、区画ごとに板で示す。東門外と南門外に処理場を置く。病人の寝具は赤印で別回収、別焼却。違反者には罰金。払えないなら、処理場で働いてもらう」


 貴族が顔をしかめた。


「貴族にもか」


「ごみは身分を区別しません」


(——鼠も、同じです)


 老役人の指が机を叩く。


「費用は」


「放置より安いです。瓶と金物は売れます。残飯は肥やしになります。処理場の人手は、仕事のない者を雇えばいい。今、東三区だけで食えてる家が出始めています」


「担当部署は」


「新しく作ってください。街の衛生だけを見る係を」


 老役人は、短く息を吐いた。


「では今日から、まずは臨時の掛として立ち上げる。名称は衛生掛。掃除と病気のあいだを受け持つ」


 隣で、リズのペン先が紙を走った。


 貴族が吐き捨てる。


「穢れ仕事に役所を作るのか」


 老役人は、そちらを見もしなかった。


「穢れを放っておいた結果が今だろう」


 それで決まった。


 会議が終わって廊下に出る。


 リズが帳面を抱えたまま、こちらを見る。


「衛生掛、ですって」


「名前がつくと、門番が通してくれますからね」


「それだけじゃありません」


 リズは少しだけ顎を上げた。


「仕事にも、名前がつきました」


 その日の夕方、最初の班に布の腕章が配られた。


 ただの白布に黒い糸で印を縫っただけの、安いものだ。


 ドーマが腕章を裏返したり表にしたりして言う。


「こんな仕事にも、印があるんだな」


「こんな仕事だから、印が要るんです」


「胸を張って歩いていいってことか」


「最初から、そのつもりでした」


 ドーマは何も言わなかった。


 ただ、腕章を巻く指だけが、妙に丁寧だった。



五 ごみの山が減るたび、人が減らなくなる



 三ヶ月後。


 朝の鐘が二つ鳴る前に、東三区の家々の前へ桶が並ぶ。


 魚の絵の桶。


 火の絵の箱。


 釘の絵の樽。


 赤い布を結んだ、小さな包み。


 茶印の便桶は、鐘のあとに別の荷車が回る。


 もう、路地の真ん中には積まれない。


 子供まで知っている。


 食べ残しは魚。


 燃えるものは火。


 割れ物は釘。


 病人のものは赤。


 先頭の荷車を押すのはドーマだ。


 腕章には、新しく作られた衛生掛の印が入っている。


「魚はこっち! 赤は触るな! 手袋を外すな!」


 声がよく通る。


 前よりずっと、胸の底から出ている声だった。


 南門外の処理場では、別の班が穴を管理している。


 残飯には藁と灰を混ぜ、土をかぶせる。


 瓶と金物は洗って売る。


 赤い包みだけは離して燃やす。


 新人は最初に、手の洗い方から教わる。


 あの日、子を背負って現れた女は、今では炊き出し小屋の帳場を任されている。日払いの銅貨を数える手つきは、初日よりずっと早い。


 最初の日に桶を抱えていた腰の曲がった女は、今では回収の前に水差しを戸口へ置いてくれる。


 何も言わない。


 ただ、濡れ布を巻いて少し冷たくした水が、毎朝そこにある。


 庶務局——いや、衛生掛の小部屋で、リズが報告書を読む。


「東三区、南川沿い、西二区。熱病の届け出は三ヶ月前より六割減。埋葬許可も三ヶ月前の半数以下。清掃員の雇用は二十七名」


 ペンを置く。


 指先のインク染みは、前より濃かった。


「数字、出ましたね」


「出ました」


 窓の外では、荷車の車輪が石畳を鳴らしている。


 上流区の台所からも、今はきちんと桶が出る。


 違反した家には罰金を科した。


 二度目は、当主でも処理場へ立ってもらった。


 ごみの臭いを一度知ると、捨て方はだいぶ丁寧になる。


 午後、新しく雇った若者たちに安全講習をする。


「いいか。速く運ぶのは大事だが、無理に持ち上げるな。腰をやる。重い袋は二人で持て。赤印は最後まで別だ。終わったら、水と石鹸」


 若者の一人が手を挙げた。


「佐久間さん。これって、いつまで続くんです」


「街がある限り」


 答えると、何人かが目を丸くした。


「ごみは毎日出る。だから回収も毎日いる。英雄みたいに一日で終わる仕事じゃない」


 ドーマが、少し笑った。


「そのかわり、一日終えるたびにちゃんと街が生き返る」


 その言葉に、誰もすぐには返さなかった。


 だが、荷車の持ち手を握る手は、少しだけ強くなった。


 講習が終わる頃、一人の若者が俺のところへ来た。


 初日の午前、戸口で家族に袖を引かれて帰った男だった。


「……今日は、家族も止めませんでした。腕章がある仕事なら、と」


 予備の腕章を一本、手に乗せた。


「じゃあ、明日から」


「はい」


 夕方、路地を歩く。


 前みたいな臭いはない。


 水が流れ、石畳が見え、家の前には小さな箒が立てかけてある。


 ごみが減っただけで、子供の遊ぶ場所ができた。


 鼠が減っただけで、寝込む家が減った。


 王都の疫病を食い止めたのは、聖剣でも大魔法でもない。


 長靴。


 革手袋。


 荷車。


 回収の仕組み。


 処理場。


 分別。


 地味で、汚れて、誰にも褒められにくい仕事だ。


 だが、誰かがやらなければ、人が減る。


 リズが報告書の最後の一行を読み上げる。


「——ごみの山が減るたび、人が減らなくなる」


 少しだけ、声が詰まった。


「いい文章ですね」


「現場を見ていたら、そう書くしかありませんでした」


 窓の外で、子供の声がする。


「衛生掛のおじちゃん! これ、魚で合ってる?」


(——「おじちゃん」は、異世界でも回避できないらしい)


 見ると、小さな男の子が桶を抱えていた。


 横でドーマが片手を上げる。


「合ってる! 今日はそれでいい!」


 百点じゃなくていい。


 合っているものが一つずつ増えれば、街は変わる。


 強い魔法の代わりに、俺たちには朝がある。


 決まった時刻に起きて、決まった道を回って、決まった場所へ運ぶ。


 それを続ける。


 それだけで、人は死ににくくなる。


 それが、清掃員の仕事だ。


お読みいただきありがとうございます。

「凡人枠」シリーズ最新作です。


『台帳』で領地を立て直した地方公務員の次は、

『分別』で街の朝を取り戻す清掃員の話でした。

ごみは、見えない場所へ押し込めば消えるわけではありません。

誰かが分け、運び、洗い、燃やし、埋める。

その地味な流れが止まると、人の暮らしはあっという間に壊れます。

逆に言えば、その流れを守る人がいるから、今日も「当たり前」が続きます。


この話で、清掃の仕事の見え方が少しでも変わったなら嬉しいです。


面白かったら、★評価・ブックマーク・感想をいただけると励みになります。

凡人枠シリーズ、次も「チートでは片づかない困りごと」を、普通の仕事で片づけに行く予定です。

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― 新着の感想 ―
 『神(神殿)の後ろ楯』がある清掃要員。『客は神様だろ?』の悪習(悪い魔法の言葉)が使われぬ環境、素晴らしい。分別の面倒な加工品がないのも、良き…。  あの時、燃やせる物に抜き身の果物ナイフ捨て…
面白かった。 ゴミ担当役人が居ないとか、おそらくゴミ担当役人の方が軍人(警察含む)より多い日本人としてはイメージわかないわ。 ただ、王都にも職人はそれなり以上にいるはずなので産業廃棄物に対する突込み…
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