歌劇の舞台ではないのですから、婚約破棄には相応の代償がつきものですわよ?~侯爵令嬢は裏切り者を許さない~
元々、婚約破棄は時間の問題だと理解していた。
けれど、この茶番はなんだというのだ。
侯爵令嬢アンジェラは痛む頭を押さえないように必死だった。
「アンジェラ・フォックス!! 僕はお前との婚約を破棄する!!」
煌びやかな夜会の会場で声高らかに告げたのはアンジェラの婚約者で伯爵令息のトニー・ハーストだ。
子爵令嬢ドロシーの腰を親しげに抱いて鼻息も荒く得意げに告げられた言葉に、手にしていた扇をばさりと広げアンジェラは口元を隠した。
迫力のある美人であるアンジェラに対し、ドロシーは思わず守ってあげたくなる可憐な少女だ。
彼女は吊り上がりそうになる眉をおさながら、あくまでも穏やかな声音で問いただす。
「婚約破棄……ですか?」
「ああ! お前は傲慢な女だ。僕の愛情がドロシーに向かったのを見て、悪辣な嫌がらせを行った! そんな女を伴侶になどできない!!」
(ご自分が選べる立場にあると思っているの、馬鹿すぎますわね)
アンジェラとトニーの婚約は互いの母親の仲が良かったために結ばれたものだ。
貴族にありがちな政略結婚でこそないが、身分はアンジェラのほうが上なのだから、婚約破棄をしたいのであれば相応の根回しをしたうえで、書面で粛々と進めるべきだった。
それをせずに、夜会などという公衆の面前で彼女を辱めるように婚約破棄を告げる。悪辣なのはどちらなのか、と問いたいのをぐっと我慢する。
(ああ、そういえば、ドロシー様の趣味は歌劇の鑑賞でしたわね)
歌劇場で最近流行りの断罪劇をしてみたかったのだろう。
可憐な恋人を悪役令嬢と呼ばれる悪女から守り、断罪し、幸せになる。そんな物語が令嬢たちの間で流行っていることはアンジェラも把握している。
トニーはなぜかアンジェラに支払いをツケて何度も歌劇場に足を運んでいる。
ドロシーとのお忍びデートのつもりだったのだろうが、当たり前に筒抜けである。
浅く息を吐き出す。浮気をしていることは知っていたし、近々婚約が白紙に戻る前提で動いてもいた。
だが、ここまで考えが浅いのは予想外だ。もう少し賢いと思っていたのだが。
(まぁ、そもそも賢い方は婚約者をほっぽって浮気など致しませんわね)
冷めた眼差しで二人を睥睨する。整った顔立ちのアンジェラがそういう目をすると迫力がある。
案の定、ドロシーがいささかわざとらしく肩をすくめ、庇うようにトニーが動く。
「アンジェラ! 嫉妬しているからといってドロシーを睨むな!」
「貴方、本当に馬鹿ですのねぇ……」
しみじみと言葉を吐きだしてしまう。
どうしてこうも自分が愛されていると自信満々に言えるのか。謎でしかない。
アンジェラの言葉にかっと頬を赤く染めたトニーが反論してくるより先に、彼女は勢いよく扇を閉じて、二人が大好きな歌劇の悪役令嬢のごとく笑ってみせた。
「ここは歌劇の舞台ではないのです。婚約を破棄されたからには、相応の代償を頂きます」
物語なら悪女が成敗されてハッピーエンドでも、現実はそうではない。
そもそもアンジェラは後ろ指をさされることなど何一つしていないのだ。
言いがかりをつけられて泣き寝入りなど、彼女の性分には合わない。
声高らかに宣言したアンジェラにトニーが鼻白む。
そんな様子を鼻で笑って、再び扇を広げると彼女はパチンと指を鳴らした。魔法が発動しアンジェラの手元に屋敷の自室に置いていたいくつもの書類が現れる。
「わたくし、アンジェラ・フォックスはトニー・ハースト様とドロシー・ソンダース様に賠償金と慰謝料を求めます」
「なんだと?!」
「どういうおつもりですの?」
目を剝いたトニーと怪訝そうなドロシーに、アンジェラは挑発的な笑みを浮かべる。
「わたくしが浮気に気づかない愚鈍な女だとお思いで? そもそも、隠すつもりが少しでもあったのでしたら、ほとんどすべての支払いをわたくしの名義にするべきではありませんでしたわね」
書類の中の一枚を抜き出して、風魔法でトニーの元に運ぶ。
咄嗟に受け取ったトニーが書面に目を通し顔色を青ざめさせた。
「わたくしの名義での買い物のお代は全て返していただくとして――貴族としてありえない婚前交渉の証拠もございますし、なによりドロシー様が流されたわたくしへの在りもしない悪意ある虚言についての名誉棄損の慰謝料もいただきます」
「っ!!」
「なにを仰っているのかわからないわ。アンジェラさまは被害妄想がお得意なのね」
言葉を失ったトニーとは対照的にドロシーは余裕が伺える。その上でさらに言葉を続けた。
「アンジェラさまの虚言のほうが酷いわ。わたしたちが婚前交渉をしてるなど、それこそ名誉棄損の侮辱よね?」
暗に証拠がないだろうといわれているのだ。
アンジェラはぱちりと瞬きをして蕩けるような笑みを浮かべる。
慈母のごとき尊き笑みに僅かにドロシーの眉間に皺が寄った。
「事実を並べたところで名誉棄損にはならないと思いますけれど。事実陳列罪、などというものはこの国の法律にはありませんから」
「だから、その証拠が――」
「あら? 流してよいのですか? 公衆の面前ですので、控えていたのですけれど」
パチン、再び指を鳴らすとアンジェラの前に巨大な光の壁が浮かび上がる。
ガラスのように透明なそこには、少し色褪せてはいるがみだらな行為に耽る男女の姿が映し出されていた。
――そう、トニーとドロシーだ。
固唾をのんで見守っていた周囲からどよめきが走る。
貴族の令嬢にとって婚前交渉は最もしてはならない禁忌だ。
こんなものを衆目の目にさらせば、今後ドロシーを相手にする者はいなくなる。だが、証拠の提示を求めたのは彼女なのだからアンジェラは悪くない。
「!!」
「貴女が望んだ証拠ですわ」
「魔法を使って作りだしたのでしょう!!」
「いいえ、投影魔法以外は使っておりません。疑うのであれば国家魔法士を連れてきてくださっても構いませんわ」
余裕をなくし激昂したドロシーの言葉に、どこまでも優雅に答える。
国家魔法士は国に仕える魔法の達人たちだ。彼らに魔法を用いた嘘は通用しない。
そもそも心当たりがあるはずのトニーが青くなっているのだから、証拠としては十分すぎる。
「もしかして、これだけではお認めにならない? では、こちらもどうぞ」
パチン、またも指を鳴らしたアンジェラの周囲に光の壁ができる。新しい光の壁は計四つ。
そのどれもでドロシーはそれぞれ違う男たちと情事に耽っている。
「なっ!!」
「侯爵家を甘く見ましたわね。フォックス家のモットーは『陥れるものに制裁を』ですわ」
数代前の当主が政敵に辛酸をなめさせられた経験からの家訓だという。
当然ながら、アンジェラもその教えを受けて成長してきた。
彼女に敵対し、さらには陥れようとしたトニーとドロシーに対して手心を加えることはない。
さすがに顔を青ざめさせたドロシーの隣に立つトニーに視線を投げかける。
びくりと可哀そうなほどに震えたトニーに対し、アンジェラは優雅に笑う。
「お相手が可哀そうですのでやりませんが、トニー様も他にも心当たりはありましてよね?」
「っ」
息を飲む。それが明確な答えとなった。
「さて、ここからは計算のお時間です」
扇を閉じて左手に叩きつけ注目を集める。
いまにも倒れそうな顔色のトニーとぶるぶると震えるドロシーに、アンジェラはあらかじめ用意していた二枚の書類を風魔法で届けた。
貴族の常識も知らぬ二人に近づきたくなかったのだ。
「わたくしの名義での買い物の数々――ああ、もちろん歌劇場でのお忍びデートなども含めます。わたくしを裏切った不貞の賠償に、在りもしない噂での名誉棄損、しめて総額――」
アンジェラが口にした金額に二人が大きく目を見開いた。
到底伯爵家と子爵家に払える額ではなかったが、二人を庇う声は上がらない。
法にのっとった計算であると誰もが理解しているためだ。
「耳を揃えて一括にて支払っていただきます! もし支払えないのでしたら、お屋敷ごとお譲りくださいな。そのまま貴族位を返上して市井に下るのであれば、取り立てはそこまでに致しましょう」
暗にお前たちが今後も貴族として暮らすことは許さない、と告げる。
最初の威勢が嘘のように、へなへなとトニーがその場に座り込む。
ドロシーは憎々しげにアンジェラを睨んでいるが戦慄く口から反論は出てこない。
勝ちを確信して笑みを深めた彼女の耳に、貴族社会ではまず聞くことのない大声での笑い声が飛び込んできた。
「はっはっはっは!! ものすごい見世物だ!!」
視線を滑らせれば、周囲がざっと引いていく。
スポットライトを浴びるように一人残されたのは、この国の第一王子にして王太子であるウィリアム・ティルヴァーンだ。
身体をくの字に折り曲げての大爆笑を披露したウィリアムは、注目が集まっていることに気づくと目じり溜まった涙を拭いながら顔を上げた。
「いやはや、すごい余興だった。ああ、その魔法に細工がされていないのは、私が証人となろう」
パチパチと一人だけ乾いた拍手をしたウィリアムの言葉に、内心でガッツポーズをする。
ウィリアムは王太子でありながら、国一番の魔法士だ。魔法に関して彼の言葉を疑う者はいない。
思わぬ援護射撃を受け、アンジェラは悠然と微笑み続ける。
「では、明日にでも我が家の者が取り立てに参ります。用意しておいてくださいませ」
これにて失礼しますわ。優雅なカーテシーを披露して、颯爽とその場を後にする。
背後から情けない声で名を呼ばれたが、振り返ることはしなかった。
翌日、有言実行とフォックス家のサインをいれた書状を持たせた騎士たちに取り立てに行かせた。
騎士たちは金銭の代わりに両家の当主――トニーとドロシーの父親を連れてきた。
予想の範囲内だったので驚くこともなく応接室に案内する。
この件に関して、当主である父親から「お前の好きにやりなさい」と権限を一任されていた。
唯一少しだけ眉を顰めたのは、両家の当主以外の人物が混ざっていたことくらいだ。
「やあ、お邪魔するよ」
「……ええ、どうぞ」
にこやかに笑っているのは昨夜援護射撃をしてくれたウィリアムだ。
無下に扱うわけにもいかず、応接室に案内する。
王太子まで現れたことで、余計に肩身を狭くしている当主たちにソファに座るように促した。
ウィリアムは当然の顔をしてアンジェラの隣に腰を下ろす。突っ込むと面倒になりそうなので放置した。
「愚息が申し訳ないことをした!!」
「我が娘が誠に申し訳ないことを……!!」
勢い良く頭を下げた二人を冷めた眼差しで眺める。
(平謝りされても時間は戻らないのですけれど)
今回の場合、浮気とお金はさして問題ではない。
一番アンジェラが問題視しているのは、ドロシーとトニーが一緒になって流した悪評だ。
『アンジェラは金遣いが荒くて困っている』『アンジェラさまに髪を引っ張られましたの』『彼女は無茶な要求ばかり押し通して辟易としている』『アンジェラさま、他の令息の方々に色目を使っていてトニー様がおかわいそう』エトセトラ。
貴族社会において致命的な悪評である。
昨日の騒動である程度アンジェラは被害者だとアピールできただろうが、そもそもあんな騒ぎを起こされては暫く関心が向くことは避けられない。
お茶会でも夜会でもいい噂の種になることは明白だ。面白可笑しくうわさ話に尾びれや背びれをつける人間も現れるだろう。
そっと息を吐き出して、その辺りをどうわからせればいいか考える。
溜飲は下がっていないが、感情的になってはいけない。
男社会で生きている当主たちに、女社会で二人が流した噂がいかに致命的かを思い知らせる必要がある。
一呼吸してアンジェラが口を開いた時、そっと彼女が膝の上に置いた手が握られた。
驚いて視線を上げれば、常に笑みを浮かべていると評判のウィリアムが珍しく険しい表情をしている。
「ハースト伯爵、ソンダース子爵、彼女の傷ついた心が貴方方の謝罪だけで慰められるとお思いか?」
冷徹な言葉に両家の当主が息を飲む。そして慌てて首を横に振った。
「そんな! そんなことは決して!!」
「滅相もありません! 私どもは、ただ、謝罪を、と!」
「謝罪に意味がないと知れ」
すっぱりと切り捨てたウィリアムの横顔を驚きと共に眺める。
苦労を知らぬ王太子だと思っていたが、今の彼の横顔は為政者のそれだった。
アンジェラより二歳年上なだけのウィリアムが酷く大人びて見える。
「今回の件、陛下はいたくお怒りだ。結婚前の令息と令嬢が不特定多数と関係を持ち、その上侯爵令嬢を貶めようとした。彼女の父親が重用されていることを知らぬとは言わせぬぞ」
アンジェラの父親は侯爵でありながら、宰相の公爵以上の信を国王陛下より賜っている。
公の場で明言はしないが、宰相の苦言が聞き入れられないときはアンジェラの父に話を回せと言われるほどだ。
昔馴染みだと聞いてはいたが、改めて嘘ではなかったのだとウィリアムの横顔から悟った。
「も、申し訳」
「言葉は良い。態度で示せ」
「っ」
ハースト伯爵の言葉を遮ったウィリアムに、彼がすくみ上る。隣のソンダース子爵も同様だ。
沈黙した当主二人に、ウィリアムが冷徹に告げた。
「ハースト伯爵家とソンダース子爵家は今代までとする。子に家督を譲ることは許さん」
「そんな!」
「あんまりです、殿下!!」
「それだけのことを、お前たちの息子と娘はしたのだ」
それとも、と言葉を繋げる。少しだけ声音を柔らかくして、ウィリアムが告げた。
「問題を起こした二人を廃嫡するか? ならば、他の子供、あるいは養子に家督を譲ることは許そう」
「――っ!」
「っ」
目を見開いたハースト伯爵とソンダース子爵に少しだけアンジェラは同情した。本当に少しだけ。
トニーは嫡男ではあるが、五歳年の離れた弟がいる。
ドロシーは長女だが、年下の長男がいたはずだ。二人の当主がどちらを選ぶのかは明白だった。
「……殿下のご随意に」
「ハースト伯爵に、同じく」
項垂れるように肩を落とす姿は滑稽だったが、ここで笑わない程度の常識は持ち合わせていた。
その後、ウィリアムが魔法で取り出した契約書にサインをさせられ、両家の当主は小さくなりながら帰路についた。
彼らがいなくなり、二人だけ残される。
未婚の男女なので、護衛とメイドは同席しているが、空気と同一化している彼らを気にする必要はない。
「どうしてここまでしてくださったのですか? ――目的がおありだったのでしょう?」
そっとアンジェラが問いを口にすると、ウィリアムは先ほどまでの王族然とした雰囲気を霧散させ、柔らかく笑った。
普通の令嬢ならば胸がときめくのだろうが、あいにくとアンジェラには効かない。
「私の為政に、あのようなぼんくらどもは必要ない。膿は出せるときに出しておかなければ」
「理解いたしました」
彼もまた自身の未来のために使えない人間を切り捨てたのだ。
納得して頷いたアンジェラの手をウィリアムが取る。先ほどから触れ合ったままだったのをすっかり忘れていた。
その上、ソファから立ち上がりその場に膝を折った。
護衛とメイドがさすがに動揺したのが伝わってきたが、アンジェラは眉ひとつ動かすことはない。
「殿下?」
「理不尽に屈せず、証拠を集め立ち向かった姿勢をこそ、私は尊ぶ。どうか、我が妃となってくれ」
(そういえば殿下には婚約者がいらっしゃらないわ)
今年十八になるというのに浮いた話一つ耳にしない。
彼の目に叶う令嬢がいなかったのだろうと察してアンジェラは内心でため息を吐く。
表情は崩さないまま、凛とした面持ちで返事を口にした。
「嫌です」
「そうか、では早速陛下に……なに?」
「嫌です、と申し上げました」
当たり前に了承されると思っていたらしいウィリアムが驚いたように眉を顰める。
そんな彼に叩きこまれた侯爵令嬢としての鉄壁の笑みを浮かべて、アンジェラは微笑む。
一拍おいて、高らかな笑い声が響いた。
「はっはっは! この流れで断るか! 実に面白い!!」
本当に心底面白いと思っているのだろう。不敬だと怒鳴られればまだやりようはあったというのに、面白がられては始末が悪い。
眉を寄せたアンジェラに立ち上がったウィリアムが顔を近づけてくる。
口づけをしてくるようなら張り倒そうと思っていたが、彼はアンジェラの耳元に顔を寄せて囁きを一つ落としただけだった。
「必ず振り向かせてみせる。覚悟しておけ」
それだけ告げてウィリアムが離れていく。眉を顰めたアンジェラの前で、彼は得意げに笑っていた。
その日から、ウィリアムの怒涛のアプローチが始まった。
今まで令嬢どころか他人に興味を示さなかった王太子の変わりように、貴族たちはすぐに面白おかしく噂を交わす。
それはアンジェラの悪意ある風評を吹き飛ばす勢いで広まって、二週間が経つ頃にはすっかり二人の仲は公然のものとなっていた。
アンジェラは当然頭を抱えたが、ウィリアムはどこ吹く風だ。どこまで計算ずくなのかわからなくて怖くなる。
以来、顔を合わせれば愛の言葉と求婚を絶えず口にするウィリアムの怒涛のアプローチから、必死に逃げ回るアンジェラという図が出来上がった。
国王と侯爵が面白がって、アンジェラがいつ落ちるのか裏で賭けをしていることも知らず、彼女は戸惑いと共に過ごすことになる。
数年後、二人がどうなったのかは。
アンジェラの赤く染まった頬と、隣に誇らしげに立つウィリアムの姿から察せられた。
読んでいただき、ありがとうございます!
『歌劇の舞台ではないのですから、婚約破棄には相応の代償がつきものですわよ?~侯爵令嬢は裏切り者を許さない~』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?
面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも
ブックマーク、評価、リアクションを頂けると、大変励みになります!




