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貧民街には泳げるような場所は存在しない。
・・・トールが泳ぎを不得手とするのは、そういった環境由来の事情もあるのだが、そのような状況では当然、一定量の水が存在して、初めて可能となる遊びには親しみが無く、むしろ、知らない遊戯の方が遙かに多い。
・・・『水切り』もその数多存在する、彼の認知していない遊びの1つではあったが、今のトールの状況は、正にそれに酷似していた。
もっとも、似ているのは『投擲者』の方では無く、それが投げた『石』の方にではあったが・・・。
「ガッ!・・・ゴッ!・・・ウッ!・・・ギュ!・・・」
巨龍が真下に向かって放った光の球は、トールがいた小島に向かって衝突。
そして、それによって発生した、凄まじい衝撃は、湖面に飛び込もうとした、瞬間のトールの身体を吹き飛ばした!
彼の肉体は、たとえ水面に接地しようとも、入水することは出来ない。
トールは、水に身体を擦り付ける度に妙な呻き声を上げる。
そして、そのまま元いた場所・・・湖に入水した地点にまで戻されることとなる。
「グッ!・・・ギョ!・・・ドッ!・・・ビュ!・・・」
・・・しかし、陸上に上がっても、その威力は衰えない。
水上と変わらず、その飛距離を稼ぎ続けたトールは、結局、湖を周囲を取り囲んでいた大木の1本に衝突するまで、転がり続けたのだった。
「・・・・・・・・・」
たった1発。
自身の近くに光弾が着弾しただけで、このダメージ。
逃げなければいけない・・・そんなことは分かっている。
しかし、最早身体はピクリとも動かず、意識も朦朧としていた。
そんなトールは、それでもどうにか首を動かし、右手を見る。
それは、直前まで自らが握りしめていた『月下草』の行方を確認するためだったのだが・・・
「・・・無い・・・か・・・」
自らの努力の成果も、先程の衝撃が全て吹き飛ばしてしまったようであった。
「バサッ・・・バサッ・・・バサッ・・・」
先程まで群生した『月下草』によって、淡く輝いていた件の小島は、今や見る影もない。 一面焦土と化したその場所に、悠々と翼をはためかせ、白い龍は降り立った。
「グリュオオオオオオオ!!!!!」
そして1声上げると、勝ち鬨も程々に、巨竜は2つの眼を、息も絶え絶えの少年に向ける。
いくら無知で経験不足であろうと、ここまであからさまに殺気を向けられれば、嫌でも気付く。
ヤツの標的は・・・トールだった。
「・・・何で・・・?」
薄れゆく意識の中、トールは自らが、いつの間にか虎の尾を踏んでしまったことを知った。
・・・あの小島は、もしかしてヤツのお気に入りの場所だったのか?
・・・でも、ヤツは自ら、その場所を灰に変えてしまったぞ。
・・・でも、それは一種の独占欲の裏返し?
・・・誰かに取られるくらいなら、諸共破壊してやろうということ?
・・・・・・・・・。
「小さいなぁ・・・」
・・・トールは、自らのこの言葉に色々な意味を込めていた。
そこには自身の弱さや存在の小ささ。
そして、ほんのチョッピリだけ、目の前にいる化け物に対する嫌みもあった。
その声のボリュームは非常に小さいものだった。
・・・にもかかわらず、その直後、龍の起こした行動は、まるでその発言が聞こえていて、尚且つ、そこに含まれた侮蔑のニュアンスを読み取ったかの様だった。
「ああ・・・僕は本当に死ぬんだ」
巨龍の口先には、再び光球が出現し、どんどん大きくなっていく。
その弾道が、しっかりと自らにロックオンされているのは間違いない。
あんなものの直撃を受ければ、確実に骨も残らないだろう。
「・・・・・・・・・」
短い冒険だった・・・。
逃げて、隠れて、コソコソ歩き回り、泳いで、摘んで・・・吹き飛ばされる。
トールが、ここに来てやったことといえば、それだけだ。
勇敢に戦ったわけでも無ければ、何か大いなる使命を果たしたわけでも無い。
そして、なにより、本来の目的・・・『みんなのいえ』の者達を救うことも出来なかった。
だが、不思議と彼の胸に芽生えた感情は、悲壮感や絶望感では無く・・・
「・・・楽しかったな」
祭りの後にも似た、緩やかな高揚感だった。
自らを滅するべく、より大きさを増していく光球を眺めながら、トールは、訪れることの無い未来の展望を描いた。
「もっと、冒険したかった。もっと、強くなりたかった。まだまだ知らない場所に行きたかった。それで、自分が想像すらしたことの無い世界を知りたかった・・・!」
叶うことの無い夢が、次から次へと自らの口から出てくることに、トール自身驚いた。
自らに、これほど沢山の欲求があるとは知らなかったのだ。
きっと、彼は無意識に抑制していたのだ。
辛い現実・・・、守らなければいけない存在・・・。
そういったものと向き合う為、彼は知らず知らずのうちに、自らの思いに蓋をして生きていたのだ。
その蓋が、この土壇場で外れた結果、トールは自身も知らない自分の思いと向き合うことになったのだ。
「・・・来世があるといいな」
トールの目に涙が溢れた。
光弾は放たれた。
事実と反する、緩やかな時間の中で、トールが最期に思ったこと・・・それは、ギルドと貧民街を繋ぐ道・・・その間にある娼館前で手を振る美女の姿だった。
こんなときに思い浮かべることとして、それが適切なものなのかと非難されることがあれば、ぐうの音も出ないのだが、これも、男が本来持っている本能的欲求の悪戯かもしれない。
トールは別に誰とでもそう言う関係になりたいだなどと、節操の無いことは考えていなかった。
しかし、1人の男として、生涯をかけて愛する伴侶が欲しいと・・・思ったことが無いといえば嘘になる。
「来世では・・・そんな人とも会いたいな・・・」
そんな人並みな夢が、彼の最期の言葉となった・・・
「ウォオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!!!!」
・・・いや、なるはずだった!
トールの視界の端から、それこそ黒い光弾の如く現れた何か。
それは、目の前の巨龍をも凌ぐ叫声を上げながら、自身の前に颯爽と立つと、腰に佩いた2本の剣を正面に構える。
彼のぼやけた視界には、目前の人物の、おおよその姿と所作しか認識できない。
だが・・・背丈の割には色っぽい姿と、その人の背中を流れる綺麗な赤髪を見たトールは・・・
こんな人が良いな・・・
そんなことを最後に思い・・・彼は意識を手放したのだった。




