4.閉ざされた村、警戒の目
遠くに見えた煙は、私たちの希望の灯だった。
もう何日歩いただろうか。足はマメだらけで、お腹は空き、服は泥と汗で汚れきっていた。それでも、人里が近いというだけで、心には力が湧いてくる。
「もう少しです、アシュレイさん!」
「……分かっている。浮かれて足を滑らせるなよ」
相変わらずの冷たい声。でも、ほんの少しだけ、彼の歩調も速まった……ような気がしないでもない。いや、気のせいか。
森を抜け、緩やかな丘を登り切った時、私たちの目の前に、ついにその光景が広がった。
石と木で組まれた、素朴な家々。畑らしき土地もあるけれど、手入れが行き届いていないのか、雑草が生い茂っている。そして、村の入り口らしき場所には、粗末ながらも木の柵が設けられ、その向こうに人影が見えた。
「やった……! やったー! 村だー!!」
私は今度こそ、喜びの声を上げて駆け出した。温かいスープ! 清潔な寝床! 文明的な生活!
しかし、その喜びも束の間だった。
「――止まれ!」
柵の向こうから、鋭い声が飛んできた。同時に、槍や錆びた剣、農具のようなものを持った村人たちが数人、警戒心を剥き出しにしてこちらを睨みつけてきたのだ。その目には、疲労と、そして明確な敵意が宿っている。
「なっ……!?」
予想外の反応に、私の足はピタリと止まった。笑顔も凍りつく。
彼らの服装はみすぼらしく、顔色も悪い。村全体が、どんよりとした重い空気に包まれているように感じられた。希望の光に見えた煙は、なんだか不穏な色合いを帯びている気がする。
「よそ者か……何の用だ!」
「この時期によそ者なんて、疫病神に決まってる!」
「さっさと立ち去れ! この村に災いを持ち込むな!」
口々に放たれる、拒絶の言葉。どうして……?
「ま、待ってください! 私たちは旅の者で、道に迷ってしまって……! 決して怪しい者ではありません!」
必死に訴えるが、村人たちの険しい表情は変わらない。むしろ、私の後ろに立つアシュレイの姿を認めると、さらに警戒を強めたようだった。
彼の、人間離れした美貌と、白銀の鎧から放たれる威圧感は、こんな状況では完全に裏目に出てしまうらしい。村人たちは明らかに怯えている。
「ひぃっ……なんだあの男は……!」
「騎士か……? いや、雰囲気が違う……禍々しい……」
「関わるな! きっと呪われているんだ!」
(うわぁ……アシュレイさんのせいで完全に悪者扱い……! いや、元はと言えば私が喚び出したんだけど!)
どうしよう、と途方に暮れていると、見張りの村人たちの中から、一人の青年が少し前に進み出た。歳は私と同じくらいだろうか。他の村人たちのような敵意はなく、困惑したような、それでいて心配そうな目でこちらを見ている。腰には、薬草らしきものを入れた袋を下げていた。
「……おいおい、いきなり悪者扱いするんじゃないよ。
悪いな、あんた達、村長が来るまで、待ってもらえないか?」
彼の落ち着いた声に、他の村人たちも少しだけ動きを止める。
ほどなくして、杖をついた白髪の老人が、険しい顔つきで現れた。村長のようだ。
「……騒がしいぞ。何事だ」
「村長! よそ者です! 追い払いましょう!」
「疫病神かもしれません!」
村人たちが口々に訴える中、先ほどの青年が村長に歩み寄った。
「村長、こいつらの話を少しだけ聞いてみないか?
見るからに疲弊している。追い返すのは簡単だが、もしか すると……」
青年の声には、どこか切実な響きがあった。その目には、何かを憂うような、**大切な何かを失ったかのような、**微かな影が差しているように見えた。
村長は、青年の言葉に少し考える素振りを見せ、やがて、鋭い目で私とアシュレイを値踏みするように見た。
「……ふん。訳あり、か。まあ、話だけは聞いてやろう。だが、その物騒な騎士は村に入れるわけにはいかん。そこで待っていろ」
アシュレイは鼻を鳴らしたが、特に反論はせず、私に無言の目配せだけして少し離れた木陰に移動した。その姿が見えなくなったことで、村人たちの緊張も少しだけ和らいだようだ。
私は村長に促され、恐る恐る柵の中へと足を踏み入れた。青年――彼の名はリオというらしい――が、心配そうに私に付き添ってくれる。
村の中は、想像以上に寂れていた。家々は古びており、畑は荒れ放題。すれ違う村人たちの顔にも生気がない。時折、家の中から苦しそうな咳の音が聞こえてくる。空気にさえ、淀んだ何かが混じっているような気がした。
村長の家(といっても他の家より少し大きい程度)に通され、私は事情を説明した。過労死して異世界に来た、なんてことはもちろん言えないので、「遠い国から来たが、旅の途中で仲間とはぐれ、道に迷ってしまった」という、ありきたりな嘘をついた。
村長は黙って私の話を聞いていたが、やがて重いため息をついた。
「……遠い国、か。気の毒だが、今のこの村にお前さんのような旅人を歓待する余裕はない。見ての通りだ」
村長の話によると、この村――アッシュベリー村というらしい――は、数ヶ月前から原因不明の病に苦しめられているという。最初は軽い風邪のような症状だったのが、次第に悪化し、衰弱して寝たきりになる者も多い。特に、抵抗力の弱い子供たちの症状が重いらしい。
さらに追い打ちをかけるように、作物の不作が続き、食糧も底をつきかけているとのことだった。
「医者もいない。薬もない。ただ神に祈ることしかできん。そんな時に、よそ者が来てみろ。村の者が警戒するのも無理はあるまい」
村長の言葉に、リオが俯いて唇を噛みしめる。彼の脳裏にも、病で苦しむ人々の姿が浮かんでいるのだろう。
話を聞きながら、私は密かに【鑑定】スキルを使っていた。村の空気、地面、近くにあった古井戸の水(汲み置きだろうか)……。
すると、鑑定結果に不穏な文字が浮かび上がった。
【アッシュベリー村周辺の空気】
状態:微量の瘴気汚染あり。長時間暴露は健康に影響を及ぼす可能性。(瘴気レベル:低)
【古井戸の水(汲み置き)】
状態:清浄に見えるが、解析不能な微量の毒素を検出。継続的な摂取は体調不良を引き起こす恐れ。(毒素濃度:微弱)
(やっぱり……! 何かおかしい!)
病の原因は、この瘴気や水の毒素かもしれない。
私は意を決して、村長に告げた。
「あの、村長さん。私、少しだけ薬草や病気の知識があるんです。もしかしたら、この村の病気の原因が分かるかもしれません。どうか、少しだけ時間をいただけませんか?」
私の言葉に、村長は訝しげな顔をした。リオは、驚いたように目を見開き、そして、わずかな希望を宿した目で私を見つめていた。
「……お前さんが? よそ者の、しかも若い娘がか?」
「はい! 必ずとは言えませんが……! 以前、似たような状況を見聞きしたことがありまして……何かお役に立てるかもしれません。」
私の必死の訴えに、村長はしばらく黙考していたが、やがて、もう一度深いため息をつくと、こう言った。
「……好きにするがいい。ただし、村の者に余計な混乱をもたらすような真似はするな。それと、騎士の男は引き続き村の外だ。……リオ、この娘の案内と監視を頼む」
「お、おうよ! 村長!」
リオが、少し緊張した面持ちで、しかし力強く頷いた。
こうして、私は一時的ながらも、この閉ざされた村での滞在を許されることになった。
しかし、村人たちの疑いの目は依然として強く、原因不明の病と食糧難という深刻な問題が、重くのしかかっていた。
(まずは、水の鑑定結果をちゃんと伝えないと……でも、信じてもらえるかな……リオさんなら、力になってくれるかもしれない。)
前途多難な村での生活が、静かに始まろうとしていた。




