10.決意と、不本意な共闘準備
月雫草のおかげで、毒に侵されていた若者たちは一命を取り留めた。アシュレイさんと共に崖へ向かい、彼の意外な一面――私を助け、手当てまでしてくれたこと――に触れた出来事は、私の心に小さな波紋を残していた。もちろん、彼の態度は相変わらず冷たく、私への評価も辛辣なままだったけれど。
それでも、村の空気は、かつてないほど重く沈んでいた。森の主という圧倒的な脅威の存在が明らかになり、若者たちの討伐失敗によって、その力が人知を超えたものであることが証明されてしまったからだ。
浄水フィルターで一時的に病状が改善したとしても、瘴気の根源を断たなければ、いずれまた同じことの繰り返しになる。食糧難も、森の異変が続く限り解決しないだろう。このままでは、アッシュベリー村は静かに滅びを待つしかない。
「……どうすれば、いいんだ……」
集会所に集まった村人たちからは、そんな諦めの声ばかりが漏れる。村長も、古老も、ただ黙って俯いている。リオも、必死に負傷者の手当てを続けながらも、その表情には深い苦悩の色が浮かんでいた。彼自身、医術の知識だけではどうにもならない現実に、打ちのめされているようだった。
(このままじゃ、ダメだ……!)
私は、拳をぎゅっと握りしめた。
確かに、私は非力だ。特別な戦闘能力があるわけでもないし、世界を救えるような大魔法が使えるわけでもない。でも、この村に来て、たくさんの人に助けられ、支えられてきた。子供たちの笑顔、リオの優しさ、ぶっきらぼうながらも受け入れてくれた村の人々……。ここでできた繋がりを、失いたくない。
それに、私には【鑑定】と【型式決壊】がある。鑑定で敵の情報を探り、型式決壊で何か役立つものを作り出せるかもしれない。そして何より、私には……あの、とんでもなく強くて、性格は最悪だけど、いざとなれば頼りになる(かもしれない)騎士がいるじゃないか。先日の崖での一件は、その「かもしれない」という期待を、ほんの少しだけ確かなものに変えてくれていた。
(決めた……私が行く)
森の主を倒す、なんて大それたことは考えられないかもしれない。でも、せめて、追い払うとか、瘴気を弱めるとか、何かできることがあるはずだ。このまま、指をくわえて滅びを待つなんて、絶対に嫌だ。
私は立ち上がり、集まっている村人たちに向かって宣言した。
「私……行ってみます。森の主のところに」
シン、と集会所が静まり返った。誰もが、信じられないという顔で私を見ている。まるで、時間が止まったかのように、私の言葉だけが空間に響いた。
「シオリ!? 何言ってんだよ!?」
一番に声を上げたのは、リオだった。彼は血相を変えて私のそばに駆け寄ってきた。
「危険すぎるぜ! 若い連中があんな目に遭ったんだぞ! アンタが行って、何ができるってんだよ!」
「できるかどうかは分かりません。でも、何もしないでいるよりはマシです! 私には、少しだけ特別な力があります。それに……護衛もいますから」
私は、村の外れにいるであろうアシュレイの存在を匂わせた。
村人たちも、口々に「無茶だ」「やめておけ」「また犠牲者を出すつもりか」と私を止めようとする。村長も、「シオリ殿、気持ちはありがたいが、命を捨てるような真似は……」と渋い顔だ。
しかし、私は首を横に振った。
「死ぬつもりはありません。でも、このまま村が滅びるのを見ていることもできません。どうか、行かせてください」
私の揺るがない決意を見て、村人たちは言葉を失ったようだった。
すると、リオが私の腕を掴んだ。その手は、かすかに震えていた。
「……分かったぜ、シオリ。アンタの決意は固いみてぇだな。だったら……俺も行く!」
「えっ!? リオさん!?」
「アンタを一人で行かせるわけにはいかねぇ! 俺だって、この村の一員だ! 今度こそ、俺の手で…この村を守りてぇんだ! 亡くなったあいつに、胸を張れるようによぉ! そして、シオリ、アンタを危険な目には遭わせられねぇ!」
彼の瞳には、恐怖と、しかしそれ以上に強い決意の光が宿っていた。医術の心得がある自分がそばにいれば、万が一の時にシオリを守れるかもしれない、そう考えたのだろう。彼の優しさと、そして無謀さに、私は胸が熱くなると同時に、心配でたまらなくなった。彼の覚悟が、痛いほど伝わってくる。
「でも、リオさんは……!」
「大丈夫だ。足手まといになるかもしれねぇけど、それでも行くぜ」
リオの固い決意に、私はそれ以上、何も言えなかった。
こうして、私とリオが森の主の元へ向かうことが、半ば強引に決まった。村長は最後まで渋っていたが、私たちの覚悟と、他に打つ手がない現状を鑑みて、最終的には黙認してくれた。
残る問題は、アシュレイだ。彼が協力してくれなければ、私たち二人だけでは無謀にもほどがある。私はリオを村に残し、一人で村の外れ、アシュレイの定位置である大木の根元へと向かった。
彼は、相変わらずそこにいた。背筋を伸ばし、まるで石像のように静かに佇んでいる。私が近づいても、視線すらよこさない。
「アシュレイさん」
声をかけると、彼はゆっくりとこちらに顔を向けた。そのアイスブルーの瞳は、今日も底冷えするほど冷たい。
「……なんだ」
「お願いがあります。私と一緒に、森の主のところへ行ってほしいんです」
単刀直入に切り出した。回りくどい言い方をしても、彼には通じないだろうと思ったからだ。
アシュレイは、眉一つ動かさなかった。
「……断る」
「なっ……!?」
予想はしていたけれど、あまりにも即答すぎる拒絶に、言葉を失う。先日の、ほんの僅かな歩み寄りは、やはり私の幻想だったのだろうか。
「どうしてですか!? このままじゃ、村が……!」
「村がどうなろうと、我の知ったことではない。我の契約は、あくまで貴様個人の護衛だ。魔物退治に付き合う義理はない」
「でも、私がそこへ行くなら、護衛としてついてくる義務があるはずです! 私が死んだら、契約も終わりなんですよね!? それは困るんでしょう!?」
必死に食い下がる。彼の理屈を逆手に取るしかない。
「……ふん。詭弁だな」
アシュレイは鼻で笑った。「貴様が自ら危険に飛び込むというのなら、それは契約違反とも言える。我には、貴様を止める権利もある」
「そ、そんな……! ひどい……!」
彼の冷たい言葉に、涙が滲みそうになる。やっぱり、ダメなのか。彼は、本当に、私やこの村のことなんて、どうでもいいんだ……。心が、冷たい氷で覆われていくような感覚だった。
諦めかけた、その時だった。
「――頼む!!」
背後から、切羽詰まった声が聞こえた。振り返ると、リオが息を切らして立っていたのだ。どうやら、私の後を追ってきたらしい。
「俺たちの村と、シオリを守る力を貸してくれ! あんたが強いのは分かってる! この通りだ!」
リオは、なんと、アシュレイに向かって深々と頭を下げたのだ。村一番の美青年(リオもかなりのイケメンだと思う)が、誇りも何もかもかなぐり捨てて、必死に懇願している。その姿は、悲壮なまでに真剣だった。
アシュレイは、驚いたようにわずかに目を見開き、それから、心底不愉快そうに顔を歪めた。
「……どこまでも、騒々しい奴らだ」
彼は深いため息をついた。その音は、いつもの冷たさだけでなく、どこか、ほんの少しだけ、違う響きを含んでいるような気がした。気のせいだろうか。まるで、硬い氷の奥底で、何かが微かに軋むような音。あるいは、彼自身の中の何かが、この状況にわずかに反応したのかもしれない。
「……良いだろう。貴様の護衛という名目で、一時的に同行してやる。ただし、勘違いするな。村のためでも、ましてや貴様のためでもない。あくまで、契約上の義務だ。そして、我の指示には絶対に従え。足手まといになるようなら、その場で斬り捨てるぞ」
「……! 本当ですか!?」
信じられない、という気持ちと、安堵感で、私はへなへなと座り込みそうになった。リオも、驚きと喜びが入り混じったような複雑な表情で、顔を上げた。
「あ、ありがとう……ございます……!」
「礼など不要だ。……行くならさっさと準備しろ。時間の無駄だ」
アシュレイはそれだけ言うと、再びそっぽを向いてしまった。相変わらずのツンケンぶりだけど、それでも、彼は同行を承諾してくれたのだ! 彼の言葉の裏に隠された、ほんの僅かな変化を、私は見逃したくなかった。
村に戻り、私たちはすぐに出発の準備に取り掛かった。村の有志の中から、腕に覚えのある若者が数名、私たちに同行してくれることになった。リオは回復薬や解毒薬、治療道具などを念入りに準備している。その傍らで、彼は亡くなった友人がお守りにしていたという、丸い石をぎゅっと握りしめていた。その横顔には、悲壮なまでの覚悟が滲んでいる。
私も、少ないMPをやりくりして、【型式決壊】で討伐に役立ちそうな「物」を作り始めた。
まずは、目くらましに使えそうな「煙幕弾もどき」。唐辛子や刺激の強い植物の粉末を混ぜ込んだ紙包みだ。うまく燃えてくれればいいけれど……。
次に、足止めに使えそうな「粘着罠シート」。松脂のようなネバネバした樹液を塗りたくった大きな葉っぱだ。効果があるかは未知数。
それから、音で陽動するための「カラカラ笛」。木の実や小石を詰めただけの、単純なもの。
あとは、アシュレイさんが使うかもしれないと思って、予備の矢(これも歪だけど)と、剣を研ぐための砥石(ただの硬い石かもしれない)も、一応作っておいた。
どれもこれも、気休めにしかならないかもしれない。でも、何もしないよりはいいはずだ。今の私にできる、精一杯の準備だった。一つ一つに、祈りを込めるように。
準備を終え、私たちは村の入り口に集まった。村人たちが、不安そうな、しかし祈るような目で見送ってくれている。
「シオリさん、リオ、皆……気をつけてな」
「必ず、無事に帰ってくるんじゃぞ」
村長の言葉に、私たちは力強く頷いた。
アシュレイは、すでに少し離れた場所で、森の方向を向いて立っている。その背中からは、相変わらず冷たいオーラが漂っているけれど、今は少しだけ、頼もしくも見えた。まるで、嵐の中心に立つ不動の塔のように。
「行きましょう」
私の声に、リオと村の若者たちが頷く。
いよいよ、森の主の元へと向かう時が来た。生きて帰れる保証はない。それでも、私たちは行かなければならない。この村と、大切な人たちを守るために。
私は、隣に立つリオと、そして遠くに立つアシュレイの姿を交互に見つめ、ぎゅっと唇を引き結んだ。胸に宿るのは、恐怖と、そしてそれを上回る確かな決意だった。




