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不老不死の成功者

作者: 雉白書屋

 ――死にたくない……どうしておれが……。


 刑務所の独房の中、男は震えていた。

 死刑囚である彼は、逮捕され死刑判決を受けたとき、鼻歌を口ずさんでいた。犯し、奪い、殺し、好き勝手に生きてきたからだ。思い残すことはないとまでは言わないが、死刑が執行されるのを待つ間、余韻に浸るには十分な思い出がある。

 そう思っていた。しかし、時が経つにつれ、体の奥底からじわじわと『死にたくない』という思いが這い上がってきた。それは次第に膨れ上がり、ある日ふと気づいた。これまでの余裕はただの虚勢だったのだと。


 ああ、嫌だ……死にたくない……死にたくない! どうしてだよ! なんでおれが死ななきゃいけないんだ! なんで、なんで……殺される……そうだ、死刑なんて国家による殺人だろ! こんなことが許されてたまるか! なんとかしろよ! ああ、くそくそくそ、死にたくない。いつ執行されるんだ。ここに来てから、もうすぐ一年だ。そろそろかもしれない。そんな気がしてきた……ああ、嫌だ、嫌だ嫌だ……絶対、死にたくない……。


 木々が葉を落とし、新たに色づき、そしてまた枯れ落ちる。季節の移ろいを感じられない狭く冷たい独房で、男にできるのは嘆くことだけだった。

 そして、ついにその日がやってきた。


「二十九番、出ろ」


「あ、あ、ああああ! い、嫌だ! 死にたくない! やめてくれ! こんなのひどすぎる!」


 男は泣き喚き、床にしがみつこうとした。だが、掴めるものは何もなく、赤ん坊のように這いずることしかできなかった。看守は呆れたようにため息をつく。


「好き勝手に法を犯し、人を殺しておいて、その言い分か」


「しょうがないだろ! ああ、被害者の気持ちを考えろって言いたいんだろ? わかるかよ! お前らだって、おれの気持ちがわからないだろ! あああああ! 死にたくない! 死にたくない! 生きたい! 生きたい!」


 叫び声が刑務所の廊下に空しく響き、そして沈んだ。


「……まったく。運がいい男だ」看守が言った。「提案があるそうだ」


「て、提案……?」


 男がゆっくりと顔を上げると、硬い音とともに、磨き込まれた靴が視界に入った。


「どうも、初めまして。あなた、不老不死になりませんか?」


 看守の後ろから現れたその男は、ある企業の研究員だった。そして提案とは、不老不死手術の実験体になること。

 現代科学はついに不老不死の実現に向けて足を踏み入れ、実用化の最終段階に達していたのだ。

 だが、人体実験には大きなリスクが伴う。失敗すれば即死。だからこそ、死刑囚が実験対象に選ばれたのだ。むしろ他に適任者はいない。実験が成功すれば、死刑は保留される。

 受けなければこのまま死ぬだけ。選択の余地などない。彼は即座に提案を受け入れた。

 刑務所から研究所へ移送され、彼は手術台の上に横たわった。そして…… 


「成功だ……!」

「おお、ついに!」

「ようやく……おめでとう、おめでとう!」

「あなたが不老不死の第一号です」


 手術は成功し、彼は不老不死の体を得た。肉体は老いることがなく、どんな傷も瞬時に回復する。

 男は歓喜した。死刑を免れた上に、永遠の命を手に入れたのだ。こんなに素晴らしいことはない。まさに完全な勝利だった。


 ――ははは、やった! やったぞおおお! おれは永遠に生きられるんだ! ざまあみろ! はははははは!


 その後、彼は二十四時間、研究所で生活することになった。貴重な成功例である彼を外に出すわけにはいかないし、元死刑囚という事情もある。

 ただ、彼にはもう罪を犯す気はなく、むしろ社会奉仕でもしてやるかという気すら起きた。これまで抱えていたストレスが消えた反動だろう。心に余裕があると、そんな気にもなる。

 与えられた部屋は広く清潔で、テレビやゲーム、雑誌の差し入れなど、要望はある程度叶えられる。刑務所の独房とは比べものにならないほど快適だった。

 検査のとき以外、部屋から出ることはなかったが、文句を言うことはなかった。この実験のことはまだ世間には公開されていない。むしろ、今外に放り出されても困るだけだ。世間に、それこそ被害者遺族に見つかったら、ただでは済まされないだろう。

 焦ることはない。不老不死の体なのだ。百年、いや七十年も経てば、事件の記憶も薄れ、世論も変わるだろう。そう嫌悪されることもないはずだ。仮に批判されても、しおらしくしていれば『彼はもう十分反省した』『いい人になった』と擁護する者も現れるかもしれない。簡単なものだ。

 そう考え、彼は指示に従って大人しく過ごした。

 そうして時が流れ、やがて不老不死手術の成功者として、彼は世間の注目を浴びるようになった。

 テレビ番組などに出て、本人が直接喋ることは許されなかったが、あらゆるメディアにその存在が取り上げられた。『人類の未来を切り開いた最初の男』などと好意的に語られ、不老不死手術の広告塔として彼はずっと利用され続けた。

 そう、“ずっと”……




「いつまで……いつまで続くんだ……」


「いつまでもだよ」


 彼の問いに、今や巨大企業の役員となったかつての研究員が冷たい声で答えた。


「君は死ねない以上、死刑が執行されることもない。つまり、罪はずっと消えない。そして、新しく広告塔を立てる必要もない。世界初の不老不死者である君が広告塔として存在し続けることこそ、不老不死技術の何よりの証明なんだからね」


「ずっと……? この先もずっとここに……?」


「そう、ずっとこの部屋で生きるんだ。ちなみに、他の死刑囚たちはみんな死刑が執行されたよ」


「おれは……ずっと死ねないのか……もう、死にたい……死にたい……」


「死ねるさ。また新たな技術が必要とされればね」


 あれから数百年経ったが、不老不死となった人々が死を望むようになり、彼がその広告塔として利用される日が訪れる気配は、まだない。

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