第三十五話 櫻田圭吾Vs深雪野乃
◇2033年3月17日 風花中学校・校庭◇
花蘇芳の香りが、その場の空気を支配した。
楓木に飛ばされた星羅は、頭を桜の木に強く打ち、ピクリとも動かなかった。
「……桐生楓木……裏切り」
真冬は、静かに告げると星羅に駆け寄らず、
目の前の敵――楓木とななみに視線を向けている。
瞬間、校庭に張り詰めた空気が一層重くなった。
真冬は感情が薄い。
星羅のこともなんとも思っていないと見える。
それもただの使い捨てのコマ程度に。
だから、楓木が裏切ったとしても、捨て駒が減った程度にしか思わない。
だって、自分が強いと自覚しているから。
「……ねぇ、楓木く〜ん♪そん〜なに、わたしたちの仲間にぃ〜……入りたかったのかなぁ〜?」
「本音を言えば、そうかもしれないな。だが、今は目の前に集中したい」
「ちぇ……つまんなぁいよぉ〜。もっといい反応して♡」
ななみは、ことごとく楓木を嘲笑った。
一年生の時、同じ“狂者”の仲間であったななみと楓木、そして篤樹、羅瞿、治郎。
楓木だけ仲間外れにされて、悲しかったと見込んだ彼女は策士とも言える。
しかし、初めから全てはななみの思惑通りだ。
どうにかして緊張をほぐしたくて、こんなことを言うのはななみらしい。
この緊迫した状況に一点の光を差したかっただろう。
目の前にいる”化け物”を倒すために。
二人は悟っていた。
このまま戦っても、時間稼ぎにしかならないことを。
そして――
どちらかでも欠ければ、圭吾の援護に行かれて野乃が負けることを。
ななみの手が小刻みに震える。
いつもの演技ではない。
「……怖いのか?」
楓木が優しくななみに話しかける。
「はぁ〜、怖いわけないじゃ〜ん♡……そっちこそ足、震えてるよぉ〜」
「あっ、そうだな」
楓木は指摘されてから気づいた。
プライド高い彼が、素直に認めるとは異常なことだ。
誰かが彼の人生感を変えてしまったのだろう。
乾いた空気がその場を包む。
ななみの顔が妙ににやけた。
うざいほどに。
彼女が何かを思いついた時に起こることだ。
口をガタガタ鳴らしながら、
「楓木く〜ん……わたし、犠牲になっちゃうよぉ〜。
……わたし、本当は怖い。でも、怖いからこそ……
だ、か、ら、あいつをお願いね〜♪」
と呟いた。
楓木は否定しない。
ななみの覚悟を汲み取ったのだろう。
こういう時だけ、男だ。
震える足を前に出し、一歩踏み出す。
一歩ごとに足が鉛のように重い。
ななみはそう思ってしまう。
――瞬間、真冬の拳がななみの腹に突き刺さる。
鈍い衝撃音とともに体がくの字に折れた。
続けざまに、ひざがみぞおちを抉る。
息を吐く暇もなく、踵が脇腹を薙ぎ払った。
骨が軋む感触がななみの耳元まで響く。
反撃の隙さえ、与えてもらえなかった。
「ゔっ……」
喉の奥から胃液の混じった液体が込み上げ、唇を汚す。
せっかく整えた顔も、赤黒く濡れて台無しになった。
お腹は押し返す力を失い、ただ打ち込まれたままに揺さぶられている。
冷や汗が背を伝い、地面まで落ちて行った。
「……ななみ!」
「だ〜いじょぶ……だ〜いじょぶ、まだ……たたかえる……かぁら」
見上げた視線の先に立つのは、無表情の真冬。
感情の色を欠いた顔。
淡々と標的を叩き潰す機械のような存在。
その不気味さはホラー映画を超えて、現実の恐怖を実感させた。
常人なら心が折れる。
だが、ななみは違う。
煽り、茶化し、笑い続けてきた自分の精神は、また鍛えられてしまっていた。
痛みにも恐怖にも、飲み込まれない。
――吹っ切れたのだ。
次の一撃を放つために拳を引き絞る真冬。
その刹那、ななみの身体が地面を滑るように沈み込み、足元へと潜り込んだ。
弾かれたように突き上げるアッパー。
顎をとらえたはずだが、真冬は硬直したまま微動だにしない。
無反応。
だからこそ、ななみは笑える。
ななみはついに、作戦を実行する。
そう――道連れだ。
真冬が逃げないように背中から確実に固定する。
腕は腕を、脚は脚を絡める。
彼女は逃げようとするが、覚悟ある奴から逃げられる人なんていない。
自分が負けても勝たせる――真冬にはそんな考えがないからだ。
「……離せ」
「む〜り♪
もうはなさないか〜ら♡
死ぬまでね」
真冬は必死に腕を振り回す。
腕が当たるだけで、すぐに青あざがその場に広がる。
抑えられてこれだ。
普通に食らえば、死ぬだろう。
「ななみ……ありがとう。
……ごめんな」
「…♪」
「…!」
楓木は、自分の拳にこれまでの怒りを乗せ、思い切り振りかぶる。
その拳は真冬の顔面に命中した。
顔が凹み、真冬はななみもろとも校庭に叩きつけられた。
楓木が確認しに行くと、二人は頭から血を流して気絶していた。
脈を確認する。
弱っているが、生きているようだ。
彼はほっと胸を撫で下ろす。
「……お前のおかげだよ」
楓木が初めて言った言葉だった。
「ありがとう」ということはあっても、誰かのおかげになんてすることはなかった。
彼の性格が許すことはなかったからだ。
――でも、今変わった。
人のことを捨て駒としか、思っていなかった彼が人として会話できるように。
◇◆◇◆◇
その戦いの衝撃は、少し離れた場所で圭吾と対峙する私の足元にも響いていた。
別の花――桜の匂いが強く広がり、鼻を刺激する。
「俺は、櫻田圭吾!
“櫻絆“のリーダーにてお前を倒すもの」
知っている。
3年近くは一緒にいたのだから、忘れるはずもない。
つまり、これは社交儀礼だ。
私も真似することにする。
「野乃は、深雪野乃。
“反逆者“のリーダーであなたを倒す人」
この勝負で、決まるわけではない。
どちらかのチームが全滅するまで、終わらない。
ただ、リーダーがいるか、いないかで指揮は格段と違うはずだ。
だから、私は圭吾を倒さないといけない。
――元仲間だったとしても。
「……圭吾」
声が震えていた。
でも足は一歩も退かない。
私はリーダーだ。
震えても、立ち続けるしかない。
仲間を傷つけるなんて、間違っている。
どうにかして別の方法を。
――見つけてどうなるの。
結局、戦わないと終わらない。
重苦しい空気が、辺りを包む。
私は周りを見渡した。
まだ、気絶していない人を、
探す方が難しいほどいない。
きっと万全なのは――私と圭吾、それだけだろう。
「……野乃、ごめんな。
俺が……いや、俺たちが勝たせてもらう」
「……わかった」
出せた言葉は――これだけだった。
私だけなのだろう。
戦いたくないと思っているのは。
だったら私は、それに応える必要がある。
リーダーなのだから。
先に動いたのは、圭吾だった。
あの技――特殊なパンチ、シオンの技、私が使えなかった技。
それは私を的確に狙う。
足の速さには自信がある。
圭吾が私の右肩を狙う中、
風のように流されて彼の背後に立つ。
彼は私が消えたと思い、焦っている。
……後ろにいるのに。
「瞬撃蹴っ!」
全身の力を右足に込めた蹴りは、かなり痛い。
ばんっという音が耳に残る。
浅い息が嫌なとこに聞こえる。
誰かが傷つく音だった。
圭吾は避ける隙もなく、そのまま地面に突っ伏してしまう。
痛みで悶えている。
まだ戦えそう……よかった。
ん? よかった?
よいのだろうか。
私が勝てば、もう終わるはずのに。
圭吾にはまだ戦ってほしい自分がいる、
ああ、そうか。
私は、圭吾のことを馬鹿にしながらも、少しは尊敬していたのだろう。
何事にも曲げない姿、仲間を失ったとしても他の仲間の心考える献身的な姿、努力する姿。
私には似ては似つかない姿。
こんな人に――私はなりたかった。
「圭吾……まだ立てる?」
「いでて……やりすぎだろ!
まだ戦える。
俺が勝つまで」
私が勝つ意味はあるのだろうか。
圭吾の方が――。
だって、私は未来の希望を失った。
私が“反逆者“に入れたのはシオンのおかげ。
シオンが私の居場所を作った。
でも、あの人はもういない。
将来を捧げたいと思うほど、私は心酔していた。
もうこれを曲げることはできない。
圭吾になら、この国を任せられるかもしれない。
「おい……ふざけるなよ」
圭吾の目がつりあがった。
私の気持ちを見透かしているような気がした。
私が廃人になりかけた時も、
最後まで気を遣ってくれたと聞いた。
嬉しかった。
こんな生きる希望もないやつを救ってくれて。
でも、意味がない。
「……お前、諦めようとしてるだろ」
「……」
「お前がどう思おうが俺は知らない。
……ただ、人のために生きる人生じゃなくて、
自分自身のことを考えるべきだ。
シオンならそう言った」
シオン……が?
彼はそんなこと言うわけない。
あの人は意外とめんどくさがり屋だ。
落ち込んだ時、
ある程度まともなことを言ってしまったら、少し黙る。
そして、寄り添ってくれる。
それがシオンだ。
……。
……。
そうだなあ。
シオンは私が負けることなんて望んでいない。
暗い気持ちなんて最初から吹き飛ばせばよかったんだ。
私は私として生きる。
それが自分の望んだことだから。
曇り空から、
一点の光が階段のように差し込んだ。
「圭吾!
野乃は今から本気出す!
あんたも本気、出しなさいよ!」
「そうこなくっちゃな。お前らしいよ」
少し、距離を取る。
相手の位置、行動範囲がわかる位置へと。
刹那、
圭吾が飛び出し、私の腹を殴る。
口から赤黒い血が流れ、地面に滴る。
でもこれは、私の濁った気持ち。
それを吐き出させてくれたのだろう。
圭吾がもう一度、
拳を構え殴ろうとするが、右脚で止める。
そのまま腕を地面に叩きつけ、彼を見下ろす。
負けじともう片方の手は私の足を引っ張り、
軽い私はバランスを崩した。
滑稽な戦いだ。
ただ、この戦いも思い出になる。
なら、少しでも長く楽しめるように――。
私は離れ、体制を立て直す。
それを追いかけようとするが、圭吾は私のスピードには勝てない。
だったら、私が合わせるしかない。
正面から近づき、圭吾のみぞおちめがけて膝を打つ。
「ぐぼっ」痛みの声が圭吾から漏れた。
「いっっ……」
「……ま、だ…!」
声が出にくくなった。
肺周りを潰された感覚に襲われる。
私はなぜか気分が良くなった。
今までここまで長引いた戦いはなかった気がする。
まあ、これはジリ貧戦なんだけど。
私の脚は再び掴まれ、地面に顎を打ちつける。
また、血が飛び出た。
今度は、鮮血だ。
圭吾は私の上に馬乗りになり、
顔を中心に殴る。
どうにか防ごうと、手を伸ばすが、押し返される。
右頬は切れ、唇は汚れ、顔中あざだらけだ。
もう負けを認めてもいいはずだ。
未来はやっぱりこいつに――。
突然、扉が大きく開かれる音がした。
風がなびき、
鉄の匂いが春の匂いに置き換わった。
懐かしい匂い。
そして、ぼやける視界には、あの人が映っていた。
死んだ彼――春先シオン、その人だった。




