第三十二話 未来を潰す人
◇2032年12月25日 北九州市小倉◇
クリスマスの夜、小倉の街は光で満ちていた。
アーケードから続く通りには、色とりどりのイルミネーションが並び、カップルや家族連れの笑い声が重なる。
空気は冷たいのに、そこだけは不思議と暖かい空気だった。
私は1人で、その中を歩いていた。
足元のタイルに映る青や金の光が、歩くたび揺れて消える。
――本当は、シオンと来たかった。
あの人となら、この景色はきっともっと綺麗に見えたはずだ。
写真を撮り合ったり、ケーキで言い争ったり……そんな未来を、私は当たり前のように思い描いていた。
けど、それはもう叶わない。
よくよく考えれば、シオンが私とクリスマスなんて来るわけなかった。
でも、もしかしたらありえた未来かもしれない。
背後から聞こえる笑い声に振り返ると、肩を寄せ合う二人が通り過ぎていく。
その距離すら、胸を締め付けた。
立ち止まって、目の前の大きなツリーを見上げる。無数の光が瞬いて、まるで「今を楽しめ」と言っているみたいだ。
でも、私の未来は……あの日、潰されてしまったんだ。
吐く息が白く広がって消える。
私はそっと、手袋越しに自分の胸を押さえた。
あの体育館の演説が、今も頭の中で繰り返される。
私が、いち早く動いていればああはならなかった。シオンも……死ななかった。
勝野智哉の話では、政府の役人が撃ったらしい。
いつか、私がこのまま勝ち進んで、見つけることができたら……その時は、後悔させる。――生まれたことを。
ツリーから離れてそのまま歩き出したとき、ふと脇の細い路地に視線が吸い寄せられた。
暗がりの中、何かが倒れている。……人?
胸がざわつく。私は思わず足を向けた。
近づくにつれ、街の騒音が遠のき、代わりに冷たい静かさが耳にまとわりつく。
路地の隅で、誰かがうずくまり、かすかに肩を震わせていた。
「……楓木?」
薄暗い街灯りに照らされていた顔。間違いない。
桐生楓木――元“狂者”のリーダー。
1年生の初め頃、私はこの人に自由を潰された。
毎日のように厳しい修行をさせられ、勝手に逃げれば制裁。
あの息苦しい日々を、私は一生忘れないと思っていた。
でも今の楓木は違う。更生して、圭吾が率いる“櫻絆”の幹部になっている。
……なのに、どうしてこんなところで?
「ねぇ、大丈夫?」
しゃがみ込むと、楓木はうっすらと目を開けた。
その瞳に、かつての鋭さはなく、代わりに疲れ切った光が沈んでいた。
「……深雪……野乃、か」
かすれた声が、冷たい空気に溶けて消えていく。
全身ボロボロで、顔は血で赤く染まっている。そして、バックから何かが盗まれた跡がある。
……泥棒?
「……深雪、逃げ、ろ。……危険だ……ここには……あいつが」
拙い力で、私を街へ戻そうとする楓木。素直に戻れば……危険はない。
でも、気になってしょうがなかった。もしかしたら、何かがあるんじゃないかと。
楓木の手を振り解き、奥に見える薄暗く照らされる扉を見つけた。
その扉のドアノブを開く手を止めた。……本能がそうしろと言っている。
私は悩みに悩んだ末、開けることにした。
中は薄暗く、奥が続いていた。進んでみると二つの人影が見えた。
近づいてはいけない、そんな雰囲気を感じた。
一人は見覚えがある。
あれは、近藤真彦だ。元“覇者”の副リーダーで今は高校生くらいの年齢だろう。
そして、もう一人は大人びていて知らない顔だ。
スーツを纏っていて、どこか丁寧そうな人に見える。
……まるで政府側の人間に見える。
ふと、会話が聞こえてきたので耳をすます。
「桐生は潰した。あのまま放置しておけば、死ぬだろう。だから報酬を早く」
「まぁ待ちなよ。君さ、甘いんだよね。僕は確実に仕留めて欲しいんだよね。後が面倒だから。殺すのが怖いのかな?」
「いえ、そんなことはない……けど。少しでも生を実感できる時間をと思い」
どちらもやばいやつの会話だ。
近藤は戦った時も「洞海湾に沈めてやる」と言っていたのに、なんか甘い気がする。
そんなことよりも楓木が心配だ。だって死ぬらしいじゃん。
楓木のことは嫌いだけど、見捨てたら胸糞が悪い。 急いで戻るため部屋を出ようとしたその時――、
カンッッ!!
缶が空を舞い、遠くに落ちた。下を見てなかった私が蹴り飛ばしてしまった。
その音が静寂を破り、二人の人影が一瞬でこちらを振り向く。
「……誰だ?」
スーツ姿の男が低く問い詰める。近藤は冷たい目で闇の中を見つめていた。
心臓が激しく打つ。もう後戻りはできない。
「……野乃だ」
声は震えていたが、必死に背筋を伸ばす。
私に気づいた近藤は、驚いていた。昔ボコボコにしたので当たり前だろう。
でも、雰囲気が違う。
「おい少女!早く離れるんだ!ここは危ない」
「うーん。君ってこんな感じだっけ?いつもなら『死ぬぞ』と脅すような気がしたけど。もしかして関係者?」
「……っ!」
近藤は息が詰まったかのように、冷や汗をかく。
男はニヤニヤしながら、それがさっきの発言が本当だと気づいた。
あたりに緊張が走る。
「じゃあ……こいつも始末しなきゃ。目の前で、さぁ早く」
「待ってくれ!あの少女は無関係なんだ。だから見逃してくれ」
私を庇うように近藤は、発言を続ける。私も何かがおかしいと思い、知らない人のふりをした。
でも、男の態度は変わらなかった。
「でもね、見られたから消さないと。君がしないなら僕がやらないと」
男の手が懐に伸びる。金属の光が闇に煌めいている。
ナイフ――。
「やめてくれ!」
近藤が私の前に立ちはだかる。その瞬間、男の手が素早く動いた。
シュッ――。
鈍い音と共に、近藤の首筋から血が噴き出す。
彼の身体がゆっくりと崩れ落ち、冷たいコンクリートの上に倒れた。
「近藤!!」
私は思わず叫んでいた。嫌いな相手だったはずなのに、胸が締め付けられる。
彼は最後の瞬間、私を守ろうとしてくれた。
「あーあ、やっちゃった。でもまぁ、君が躊躇するからだよ」
男は血のついたナイフを軽く振って、まるでなんでもないことのように呟く。
その無感情な態度が、私の怒りに火をつけた。
「……あんた」
私は震える声で男を見つめる。スーツ姿、冷たい表情。
「……ん、あれ?君見たことあるかも。たしか、風花中の演説だっけ?あの時のリーダー殺した時の横にいた気がする」
……は?
こいつが?こんなやつが、シオンを、私の大切な人を殺した?
反吐が出る。許せない。
「まさか……あんたが」
「僕の名前は、榊原直樹。政府の役人だね。もしかしたら、君の大切な人を奪ったって人かも、ね?」
血管が切れそうなほど、怒りが沸騰した。
シオンを殺したのは、この男だったのか。
目の前で人を殺しておいて、なんでそんなに平然としていられるの。
「……許さない」
私の声は低く震えていた。拳を握りしめると、爪が手のひらに食い込む。
榊原は興味深そうに私を見つめている。
「おや、怒ってるの?でも君、僕に勝てるとでも思っているの?」
ナイフをクルクルと回しながら、まるで遊んでいるかのような態度。
この余裕。きっと私なんて、虫から程度にしか思っていないんだろう。
でも――
「勝てるかどうかなんて、やってみないとわからないじゃん!」
私は腰を落とし、構えをとる。2年半の修行で身につけた技術。3ヶ月楓木に鍛えられたときの、あの厳しい日々が今なら意味を持つはず。
榊原が一歩、音もなく間合いを詰めてくる。
私の呼吸が早くなる。目を逸らしたら殺される――そんな気配が、全身の毛穴を突き破って広がっていく。
「じゃあ――試してみようか」
その瞬間、榊原の腕が弾丸のように動いた。
鋭い痛みが肩を走る。
「っ……!」
左肩に、冷たい感触。ナイフの柄が突き出ていた。
熱い血がじわりと広がっていくのがわかる。
「ほら、終わりだろ?」
榊原は鼻で笑い、刃を抜こうとする。
そのとき――私は肩の痛みを無視して、両手でその柄をがっちりと掴んだ。
驚いた榊原が力を引くが、私は渾身の力で引き寄せる。
「……っ!」
刃が肩から抜ける瞬間、私は腰をひねり、そのまま榊原の足へ――
ズブッ!
鈍く湿った音とともに、ナイフが榊原の太ももに突き刺さった。
彼の表情が一瞬だけ歪み、口から短い息が漏れる。
「ぐっ……」
足元が崩れ、榊原が膝をつく。
私はその隙に部屋を出て後退し、楓木の元へ駆け寄った。
彼はまだ意識があるが、かなり危険な状態だ。
「楓木、立て……る?」
「……無理、だ……」
「じゃあ、担ぐ」
私は痛む肩を押さえながら、楓木の身体を背負い上げた。
思ったよりも重い。でも、置いて行く選択肢はない。
「逃げるな!」
榊原の怒鳴り声が背後から響く。
けれど足を引きずる彼は、すぐには追ってこられないはずだ。
私はそのまま路地を飛び出し、灯りのある大通りへと走った。
人々の視線は集まるが、気にしている暇はない。
すぐ近くの救急病院――そこまで行けば、楓木は助かる。
息は切れる。肩がずきずきと脈をうつ。
でも、足は止まらなかった。
――必ず助ける。あの日、誰も救えなかった自分とは違うために。
◇◆◇◆◇
自動ドアが開き、温かい空気と消毒液の匂いが全身を包む。
「誰か!怪我人です!」
私の声に、看護師たちが慌ただしく駆け寄ってくる。楓木の身体はすぐにストレッチャーへ移され、私はその横に並走する。
「意識はありますか?!」
「……あぁ……」
楓木の声は、弱々しいけどまだ聞こえる。
処置室に入る直前、彼が私の手首を掴んだ。
「……深雪……聞け」
「なに……?」
その瞳が、かつての鋭さをわずかに取り戻していた。
「……あいつ……みたいな……政府の役人……今……風花中3年の……チームを……殺しまくっている……理由は……わからん……だが……お前も……気をつけろ……」
「ちょっと!もう離れてください!」
看護師が私を押しやる。楓木の手が力無く離れ、まぶたがゆっくり閉じる。
「楓木!!」
返事はない。モニターの電子音だけが淡々と響く。
ドアが閉まり、私は処置室の外へ立ち尽くした。
胸の奥に、冷たいものが広がる。
榊原だけじゃない――同じような役人が、まだどこかにいる。
そして、その標的は……私たち、風花中3年。
クリスマスの街の光は、もう少しも綺麗に見えなかった。




