第二十七話 前へ
◇2032年8月17日 深雪家◇
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最近、深雪野乃が学校に来ていなくて心配だ。今は夏休みだから来る必要はないが、去年なら毎日のように修行をしに学校へ行ってたのに……。やっぱり病んでるのかな?
俺は、心配で野乃の家に向かう。ついでにそこらへんでアイス食べてた芝ななみの首筋を掴んで連れていった。
「ちよっ、ちょっとぉ!?い、いたいってば〜っ……!ねぇねぇ、掴まないでよぉ〜、おかしくなっちゃう〜〜……。もう〜、櫻田くんってば、ほんと強引〜。わたし、そんなイヤがってないのにぃ〜?逃げないってばぁ〜♡」
どこにいくかは伝えてない。言ったら確実に嫌がると思う。確か一年生の時に、ななみは野乃にボコボコにされた気がする。
そしてななみは野乃を苦手にしているらしい。……今回も大海羅瞿と細井篤樹がいたから“反逆者”になっただけで、野乃がいると知ったら辞めようとしてた。その時も野乃はずっと空虚だったらしい。
野乃の家は意外と遠い。風花中学校から歩いて10分くらい。俺の家から40分くらいだ。俺は自転車があるから便利なんだけどなぁ。
なぜか、俺の買った自転車は翌日に壊れる。何もしてないはずなのに。……タイヤの中に水入れたり、サドルをペダルにつけたりしたら壊れた。……おかしいよね。
野乃の家には一週間に一回は来るようにしている。元“反逆者”のメンバーもたまに来ているようだが、俺ほどではない。それよりも野乃の親友だった七瀬沙彩はどこにいるんだろうか?
小学生のときは、仲良かったはずだ。中学に入学したときも一緒にいたことを覚えている。それ以降は一緒にいたところを見ていない。それどころか3年生になったから七瀬の姿がない。
たしか転校することは禁止だから、学校には籍があると思うけどいると思う。……野乃もななみよりも七瀬を連れてきた方が喜んだかな?
野乃の家は高速道路が近い分、かなり高い位置にある。唯一、免許を持っているシオンもこの高速道路を使えばいいのに、なぜか関門橋を渡ってくる。ケチじゃなかったと思うけど。
そろそろ着く。ななみもおとなしくついてきてくれている。
毎回思うが女子の家に、インターホンを押すのって緊張するな。
ピンポーン……。
少し待つと年齢の割に若い見た目の人が出てくる。野乃の母親、深雪好実さんだ。好実さんは笑顔で俺を見た後、後ろにいるななみに視線を向けた。
「まぁ……いらっしゃい、圭吾くん。きてくれてありがとうね。そちらの可愛いお嬢さんは……もしかして、あなたの彼女さんかしら?」
「あっ、初めましてっ♡わたし、芝ななみっ言いますぅ〜♪」
両手を前に重ねてぺこっと、笑顔を作ってななみは言った。続けてこう言った。
「彼女さんだなんてぇ〜、そんなそんなぁ♡圭吾くんとはねぇ〜、ただのおともだちなんですよぉ〜♪」
腕に軽く触れて、笑顔でカメラ目線みたいな完璧な愛想を作っていた。俺にはわかる。……これが演技だと。
俺は首を縦に振って肯定した。ななみはどちらかと言えば性格は悪い方。見た目はかなり可愛い方だとは思う。
玄関に足を踏み入れて靴を並べる。ななみも俺を真似してちゃんと靴を並べてくれた。
野乃の部屋は2階だから階段へと向かう。その際にリビングを経由する必要があるのだが、できれば目を向けたくない。
リビングには埃の跡が目立ち、洗濯物が無造作に置かれている。そして、キッチンの洗い場には洗われていない皿が山積みになっている。
好実さんはやっぱり優しい。俺たちのために普段は作らない笑顔を作ってくれて優しく振る舞ってくれる。けど、目の下に浮かぶクマや、痩せた頬を隠すことはできない。
どう考えたって野乃が、病んでしまっているせいでこうなっている。好実さんも野乃のお父さんである深雪修一さんも病んでしまってあるのだ。……1人の死のせいで。
2階に上がった俺とななみは、野乃の部屋の前に立つ。……下の方から啜り泣く声が聞こえた。やっぱり俺たちの前だけ明るく振る舞っているだけだった……。
部屋に入るとお昼なのにも関わらず、部屋全体が暗くなっていた。カーテンが閉められていて光が入ってこないからだ。そして、部屋の真ん中に丸い机が置いてあり、それにうつ伏せるように野乃がいた。
机の上には、食事が置いてあるが食べられていない。……いつもの光景だ。
「野乃……大丈夫か?俺だ……圭吾だ。一応、見舞いに来てやったぞ。……食事食べれそうにないなら下げてくるが……どうする?」
野乃はゆっくりと顔を上げた。目には好実さんとは比較にならないほどのクマ。そして、痩せたこけた頬。前はツヤツヤしていてストレートだった髪がボサボサになっている。
ゆっくりと頭を下げた野乃を見て俺は安心した。日に日に悪化しているように見えるが、回復の目を見せてほしい。そう願って通っている。
「ちょっと野乃、腕を見せてくれ」
これは必要なことだ。もしかしたらシオンに会いたくて自傷行為に走ってるかもしれない。……確認してなければそれでいい。あったら……もうダメかもしれない。
ゆっくりと手を差し出してくれた。夏なのに長袖を着ているから腕を捲り、確認する。……綺麗なままだ。……良かった。そして頭を撫でる。
「ななみ……ちょっと野乃といてくれないか?お前が野乃のことを嫌いなのはわかっている。……でも慰めてほしい」
俺は、近くにあった勉強机の前にある椅子に座った。ななみは野乃と近いところに座る。そして俺も勉強机に項垂れる。……病んでるのかな……。
ななみは一点を見つめ続ける野乃の肩を、ぽんぽんしていた。野乃は軽く反応するだけでそれ以上はなかった。ななみはその反応が気に入らなかったらしい。
「もしも〜し?野乃ちゃんったら!いつまでそんな惨めな顔してるのぉ?」
俺はまずいと思い、止めようとした。しかし、体がそれを拒んだ。もしかしたら、こいつなら野乃を元気にさせることができるかもしれない。淡い期待をしてしまう。
今までも何度も励ます言葉をかけた。いつもは、肯定するが、時には否定したり、怒ったりすることもあった。……全て惨敗だった。
今まで煽った奴は見たことがない。というか仲間で俺しか励ましてないから、俺は煽ってない。もし、煽りが野乃に聞いてくれたら……。そう思って黙って聴くことにした。
「えっ、なに?その顔……マジで落ちすぎじゃない?まさか、ちょっと何かあっただけで自我崩壊とか言わないよねぇ〜?ぷくく♪」
「わたし、あなたにボコボコにされたのにぃ?そ〜んなに落ち込まれても、わたし……なんか、困っちゃうなぁ〜♪」
ベッドに座らした野乃の顔を覗き込みながらくすっと笑って、口元に手を当ててななみは言った。
「大切な人失ったからとかぁ〜……ダッサ〜い。人生ってぇ〜、そういうの、いっぱいあるもんだよぉ〜?」
言葉は軽く、口調は甘い。だけど目は笑っていない。ななみはわざとらしく首を傾げながら、少しづつ距離を詰める。
野乃の指が震えた。ななみの言葉ひとつひとつが、鋭く脳を刺す。しかし、これは嬉しいことかもしれない。葬式の日から感情が希薄になった野乃からすれば……。
「……あれぇ〜?なにぃ〜、泣いちゃうのぉ?あの人のこと思い出したぁ〜?でもねぇ〜、その人、もういないんでしょぉ〜?いないってことはぁ〜、ほら……死んだってことぉ」
その瞬間だった。……パチンと、何かが切れるような音が野乃の脳内で鳴った。
「っ……あ、あっ……あぁ、ぁ、あ……っ!」
全身から力が抜け、膝からガクンと折れる。野乃はそのまま床に崩れ落ちた。過呼吸……いや、それ以上だった。
呼吸が、できない。空気が、胸に入らない。何度も吸っているはずなのに、まるで肺が拒絶しているようだった。
「ひっ、ひ、あ、あぁ、ああああ……っ!!うぅ、あっ、あぁああっっっ!!」
過剰な酸素で指が痺れ、視界の端が白く滲む。目を開いたまま、野乃は自分の胸をかきむしり、吐き出すように絶叫した。
「うぅ……ぅ、あ、あ、し……シオン、シオンっ!!やだ、やだ、やだやだやだやだやだやだぁああああああああッ!!」
涙とよだれが混ざって、顎を伝って床に落ちた。シオンとの思い出、シオンが撃たれる場面を思い出してしまったのだろう。
息を吸って、吐いて、また吸って、でもそれが全部苦しくて、叫んで、苦しくて。周囲の誰かの声も、助けも、もう何も届かない。
◇◆◇◆◇
しばらくの間、野乃は何も聞こえなかった。ただ自分の心臓の音だけが耳に残っていた。
俺が水を渡して、背中をさすってやった。ようやく浅い呼吸が落ち着き、野乃はゆっくりと顔をあげる。視界の先には……芝ななみ。さっきまでとは打って変わって、どこか静かな表情をしていた。
「……落ち着いたぁ〜?」
ななみの優しく問いかけた声に、野乃は微かにうなづいた。ななみは少し間をおいてから、視線を逸らしていった。
「……あのねぇ〜、わたし、リーダーって……1番、感情を殺さなきゃいけない人だと思ってるの」
野乃は目を見開いた。俺も息を呑む。
「だってぇ〜、仲間が泣いてて怒っててもぉ〜……リーダーが一緒になって感情で動いたから、全員が崩れるでしょぉ?」
少し苦笑いしながら、ななみは手をひらひらと振る。俺は、ななみの意見に一理あると思った。……だって、シオンはいつも冷静だったから。
「野乃ちゃんがどう思っているかは知らないけどぉ〜……深雪野乃って名前で、春先ちゃんのあと、継いだんでしょぉ?」
その通りだ。野乃はシオンから直接、リーダーになれと言われた。他でもない野乃を。
「春先ちゃん、わたし好きだったよ〜?優しくて、冷静で、でもちゃんと人のために動ける人だった」
ななみは、ふと真っ直ぐ野乃を見る。
「あなたもそ〜いう人に、なってみたら?」
「……っ」
「自分の痛みばっか見てないでぇ〜、仲間のために動くのが、リーダーなんだよぉ〜?」
その言葉は、痛いほど鋭くて、けれど不思議とあたたかった。……思い返せばシオンも、そうしていた。仲間のために、最後まで。
「あなたがリーダーに向いていないって言うならぁ〜、わたしに譲って?いやだよねぇ〜。なら、野乃ちゃんがちゃんとやってみせてよ?」
その瞬間、野乃の胸に火が灯った。心の奥で……もう一度、何かが動き始めた気がした。長く動き出さなかったものが。
「……野乃、やってみる。もう、病まない!」
しぼり出すような声で、けれどはっきりと言った。
「野乃、シオンみたいになれるか分かんないけど……でも、野乃も、みんなのために……動きたい!」
それを聞いたななみは、わざとらしく肩をすくめた。きっと……演技じゃない。俺は確信していた。
「ふ〜ん?……まあ、期待しているよぉ〜?リーダーさん」
野乃の元気は、完全に戻ったわけじゃない。でも、今日何かが変わった。俺の2ヶ月は無駄だったかもしれない。けど、今日ななみを連れてきて良かった。
「……野乃、シオンのことは残念だった。でも、勝野智哉を殺すのはやめてほしい。あいつも、しょうがなかったんだと思う」
「…ん?あっ、もうぜ〜んぜん気にしてないよ〜!あんなの一時の感情だしね♪」
野乃の顔からクマがすっと消えたような気がした。人の笑顔はすごい。ここまで暗かった人間を戻すことができるのだから。
「ふふ、もう飽きたから……わたし帰るねぇ〜。涙とか情熱とか、そういうのぉ……お腹いっぱい〜♪青春ドラマじゃあるまいし?」
唐突に、ななみは髪を揺らしながら背を向けた。ぺたぺたと足音を響かせながら、ゆっくりと歩き出す。
「野乃ちゃんもぉ……次の試合、ちゃんと頑張ってねぇ〜?勝てなかったら、ふふ、だっさ〜い♡わたしもだけどね♡」
そのまま軽やかに去っていく後ろ姿は、まるで嵐のように空気をかき乱して去っていった。
▲▽▲▽▲
ななみが帰ったあと、私の部屋に私と圭吾の2人きりになった。ちゃんと話すのは2ヶ月ぶりだ。今までかなりお世話してもらってるらしい。
「圭吾……ありがとう。いろいろしてくれて……。でも、覚えていないんだ。ごめんね」
「全然いい。……俺が善意でやったことだ。お前の親にも元気になったこと、伝えろよ。お前と同じ状態になってるから」
「うん!野乃のせいで、みんな悲しくなるなんておかしいもん!……頑張らなきゃ!」
私はさっきと面影がないように振る舞う。もう弱さを見せてはいけない。みんなを苦しめないためにも。
「あっ、そういえば爽馬負けてたぞ。つまり2年生と戦うのは、“反逆者”だ」
「爽馬負けちゃったんだ……。事実を知ると悲しいね」
蒼井爽馬は変人だが、実力はかなりある方だと思っていた。でも、やっぱり負けてしまうんだなぁ。2年生の強さを知らないから私はどうすればいいかわからない。
「……野乃、2年生には絶対に勝ってくれ!そして、俺に挑むんだ。正々堂々やろうぜ」
「別にいいけど……圭吾弱いじゃん。野乃圧勝しちゃうかもね」
「元気になったこれだよ。すぐ俺のことを煽ってくるじゃないか」
圭吾の口調は怒っていたが、顔は笑っていた。私が元気になってくれて嬉しいのかな。私も笑顔だと嬉しい。
圭吾は、覚悟を決めたような顔をして私に問いかけた。
「野乃……お前さ、シオンのこと、好きだっただろ?」
その瞬間、空気が跳ねたように、野乃の身体がビクンと跳ねた。
「……は、あ、えっ……?な、なに、いって……」
あまりに唐突すぎて、言葉が口からこぼれ落ちる。目は泳ぎ、頬が一気に熱くなる。手が震えているのに自分でも気づかない。
「はっ、そんな、ちがっ、ちがうし……!えっ、え……?なんで、そ……そんなこと言うの……?」
語尾が潰れ、目の端にじわりと涙が滲む。
「だ、だって……ちがうもん……ちがうのに……っ」
否定の言葉ばかりが、喉を焦がすように溢れ出る。だけど……その姿をこそが、何よりの肯定だった。けど、胸が締め付けられる。
「……そっか。悪かったな、変なこと聞いて。もし好きだったら野乃の悲しみは、俺では計りきれなかっただろうから」
その言葉に、私ははっとして顔を上げた。だけどもう、圭吾はそれ以上は何も言わなかった。……その沈黙が、何よりも優しかった。
今更好きなんて言えない。シオンが生きている間に、好きって言う気持ちを認められていたら……また変わっていたかな?
「……俺帰るわ。野乃も元気になったことだしな」
圭吾は私の勉強机の椅子から立ち上がり、部屋を後にした。私は何も言えなかった。
シオンのことは、忘れられない。でも、いつまでも過去に囚われるなんてダサい。だったら前に進むしかない!まずは2年生を倒そう!




