理想論者はやっぱり、机上の空論がお好き
東京、新宿副都心の、とあるビルの一室である。
部屋の真ん中に置かれた円卓の周りに、十数名の男女が座していた。全員、スーツ姿だ。
年の頃は様々だが、どうやら上は五十代よりは若く、下は二十代後半ほどのようである。
メンバーの中で女性は五名ほどだが、一番の年長者と覚しき女も恐らくは三十代始めごろと皆、若い。
どこかの企業の重役会議のようでもある。が、彼らはビジネスマンなどではなかった。
一体、何の集まりだろう?
目にした者がいれば、先ずはそう、疑問に思うはずだった。
会議の冒頭、沈黙を破ったのは、一番の年嵩らしい、貫禄たっぷりの銀髪の男。
「諸君、かねて聞き及んでいると思うが」
と、重々しくことばを区切る。
「秋田支部の酒井と黒沼が、熊狩士に逮捕された。相手は、かの有名な、前野高陽だ」
ゆっくりとだが、貫禄に見合う低音で告げた。
途端、部屋中をどよめきが包む。
「我々、マウント・ウルフの人間にとっては、まさしく不倶戴天の敵。宿敵とも、天敵とも云える。もちろん、それは前野だけの話しではなく、その相方、熊撃士の村井健介もそうだ」
銀髪がどよめきに構わず、コメントを続けた。
そう、どこの何の会議だったのか。
他ならぬ、マウント・ウルフの幹部連の会議室だったのであり、銀髪の紳士は、マウント・ウルフ理事長、江田川良三だった。
この会議室が入っているのは、十階建てのビルの七階。ビル自体はマウント・ウルフの所有物件であり、三階から屋上を含めた最上階までがマウント・ウルフの事務所として使われている。団体の全国的な活動の拠点にして、日本中のメンバーから「聖地」として崇められてもいる場所だった。
ちなみに一、二階は賃貸物件として不動産収入を得ており、団体の活動費の一部になってもいる。
「よりにもよって、あの前野と村井コンビに手を出したというんですから、あまりにも軽率ですな」
「仮にも我が組織内のメンバーなら、配布された資料から顔を真っ先に覚えておかねばならない連中のはず」
「熊が多数生息する、熊のメッカとも云える秋田で、取締担当の責任者ともあろう者が、その顔を見てすぐに、ピンと来なかったというのは、役に能力が見合ってなかった証明だ」
江田川の説明に同調するように、発言が相次いだ。
江田川が軽く右手を上げて、騒然としかけた場の空気を制しつつ続けた。
「彼ら二名の素行に関しては以前から問題があったと、秋田支部長より報告を受けている。確かに、仮にも一支部の取締担当部長と副部長ともあろう者が、熊狩士と熊撃士の顔を失念していた時点で、彼らの落ち度だ。だが、」
一旦、一呼吸を置く。言葉を区切るためだ。
「だからといって、前野と村井の両名をいつまでも野放しにしておいては、我が組織の活動に大きな障害となるのもまた、事実だといえる。そこでだが、」
江田川以外の幹部らが、固唾を呑んで次の言葉を待つ。
「前野高陽と村井健介、この二人には、この世から消えてもらうのが一番と判断した。この両名、生かしておいては必ず、我が組織の災いとなる」
部屋中をまた、どよめきが包んだ。
「そ、それはつまり・・・・・」
女性陣の最年長らしい、女性幹部が遠慮がちに質問の声を上げた。
望月紗耶。三十二才の若さだが、東大をトップクラスで卒業した才媛であった。濃紺のパンツスーツを着こなす、スラリとした美人だが、切れ長の目がやや冷たい印象を与えている。
「殺し屋を送る、ということですか」
「はっきりと言ってしまえば、そうだ」
望月の質問を、江田川がはっきりと肯定した。
「殺し屋、ですか?そうは言っても、我が組織内には、現役の熊狩士や熊撃士を相手に出来るような手練れは、とてものこと・・」
「何も組織の人間で何とかすることを、考えることはない」
望月がさらに口にした、否定的な疑問を江田川がさらに否定する。
「内部にそういう人間がいなければ、外部に発注すればいい話しだ。そう、プロにな」
「し、しかし理事長、そのプロに、誰かに心当たりはおありなのですか?」
幹部の一人からまた、質問の声が上がった。
「もちろんだ。あるからこそ、ここで話している」
ここで江田川が、三条くん、と声をかけた。
江田川の後方で、この会議室の中にあってただ一人立っていた、細身のメガネをかけた長身の男━━三条宗近━━が、手にしていたA4版の資料を配り始める。
「では皆さん、説明させていただきます」
幹部らに資料を配り終えた三条が、やや硬い声で説明を始めた。鼻筋の通った一目で美男と分かる、三十を過ぎたばかりと覚しき男だ。一見、逞しさはないが、スッキリと引き締まった体躯は、逆に貧弱さも感じさせない。
「お手元の資料の一枚目をご覧下さい」
室内のメンバー全員が資料に目を落とした。
左上に、正面を向いた女の顔写真がカラーコピーで印刷されている。モデルを彷彿させる美女だが、どこか酷薄な印象が両目に表れている顔だった。
「興梠麻里絵、二十九才。
身長168センチ、バスト89センチ、ウエスト60センチ、ヒップ87センチ・・・」
三条がここまで説明した時、若い男性幹部の誰かが思わず口にしたらしい、(最高ですな)という呟きが聞こえた。
三条が構わずに続ける。
「元は陸上自衛隊のレンジャー部隊にいた、エリート中のエリートです」
「陸自のレンジャーに?じゃあ、つまり・・」
幹部の一人がはさみかけた質問に答えるように、三条がさらに説明する。
「そう、あらゆるサバイバル技術を身につけた、破壊活動のプロ。射撃、格闘技、ナイフや銃火器から爆薬、毒薬まで様々な殺人術をマスターしている。恐ろしいことに在隊中の異名は、女ターミネーターだったそうで・・・・」
軽々しく、最高だなどと言えるような、可愛い女性でないことは確かですね。
三条が先ほど呟きを漏らしたらしい男性幹部を見ながら、チクリと指摘した。
男性幹部が苦笑しつつ、両肩をすくめる。
三条の説明が続いた。
「三年前に除隊していますが、この理由というのが、どうも、異性関係に問題があったようですね」
「異性問題?どういう問題だったんだ?」
江田川が質問をはさんだ。
「つまりは、不倫だったようです。それも、同時に複数の同僚との。相手の中には彼女の当時の上官もいたとか。それが表沙汰になり、陸自にいられなくなった。ゆえに、依願退職は表向きの建前で実際には、懲戒免職に近かったとか」
「同時に複数とは恐れ入ったな。得意なのは何だったんだ?むろん、性技の話しではないぞ、戦闘技術の方だ」
「ライフルを用いての狙撃だったようです。一説によれば、最大有効射程距離は、一千メートルだとか」
「女ターミネーターというより、もはや女ゴルゴ13じゃないですか」
中年の男性幹部から、素直な感嘆の声が出た。
「そう、つまり、山林のようなフィールドでは、彼女ほど、暗殺者としてうってつけの人物はいないと思われる次第です。少々、男なしではいられない婬乱の気があるという問題はあるようですが・・・・」
「婬乱だろうが男好きだろうが、腕さえ確かならば、それでいい」
江田川が結論づけた。
「何にせよ、この女なら確実に始末してくれるだろう。前野高陽も、村井健介もな」