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惨劇の家、ある家族の悲劇

黒島葵(くろしまあおい)は、何か得体の知れない物音で目を覚ました。

自宅の二階、夫と二人で就寝中だった真夜中の寝室である。

自宅があるのは札幌市郊外、近くに里山が広がる丘陵地帯。

自宅の裏庭は、そのまま原生樹木が生い茂る林につながっていた。

物音は寝室の外、一階から響いて来ているようだった。

ガリガリとも、ゴリゴリともつかない、名状しがたい不気味な物音である。

部屋の外では、もっと大きな音になるはずだ。

(やだ、何の音かしら)

整った眉目を、険しく(しか)める。

不安に駆られ、葵はダブルベッドの上、傍らで眠っている夫の洋貴(ひろき)の肩を揺すった。

「ねえ、アナタっ、あなたっ」

二度、三度と揺り動かしたが、ウンと唸るだけで起きない、目を覚まさない。

「あなたっ?!」

さっきよりやや、強めに声をかけたところでようやく、唸りながら洋貴が薄目を開けた。

「な、何だよ?」

気持ち良く寝ていたところだっただけに、機嫌が悪そうな声であった。

ついニ時間ほど前、夜の夫婦の営みを終えて寝入ったばかりだっただけに無理もない。

三十八才の洋貴は男盛り、葵も三十五才の女盛りである。

小学生の男の子二人の親となった今も、週に三回は性生活があった。

しかも洋貴は今なお性欲旺盛で、必ずその都度、二回戦まで求めてくる。

週末など、翌日が休日の時などは三回戦に及ぶことも珍しくない。

ちょうど明日は日曜日でもあり、その三回戦目を終えたあと、洋貴はそのまま寝入ったのだった。

もっとも葵もセックスは嫌いではないので、求められて拒んだことはない。

(さすがに三回もシた後じゃ、無理もないけど)

そう思いつつも、言わずにはいられなかった。

「ねぇ、聞こえる?下から、それも多分、外から、あの音?アタシ、何だか気持ち悪くて・・・・」

言われて、自分でも気づいたらしい。

「・・・本当だ、な・・・」

強制的に近い形で、眠気が吹き飛んだらしかった。

「お願い、ちょっと、見て来てくれない?」

頭を下げる代わりに、 半身を起こした。全裸である。むき出しになっていた、葵の形のいい豊かな乳房が、重そうにゆさりと揺れた。

「・・・仕方ないな、ちょっと見て来るか・・・」

こういう時、洋貴は基本的に断らない。

ゆっくりとした動作で、ダブルベッドから抜け出した。こちらも全裸だった。

営みを終えて、そのまま夫婦揃って裸のまま眠っていたのである。

さすがに脱ぎ捨ててあったパンツを履くと、その上にパジャマを手早く着込んだ。

さらに、ベッドサイドに立てかけてあったポンプアクション式のショットガンを手に取ると、スライドを引いて弾丸を装填する。

「ここを動くなよ」

それだけを言って、部屋を出て行った。

案の定、ドアが開いた途端、物音が大きくなる。

「気をつけてね」

葵はそう言って見送ったものの、一人になった途端に不安が倍増した。。

やはり、とりあえず自分も後について行こう。

そう決めて、ベッドから出た。

こちらもパンティを履き、素肌の上に直にパジャマを着る。

三十代半ばの、ほどよい皮下脂肪を蓄えた人妻の肢体が、強烈な女臭を放っている。

もっとも脂が乗りきった、半端なく色気のある時だ。

ノーブラなので、豊かな胸の膨らみが目立った。

物音はまだ、続いていた。

洋貴が何か、声をかけながら、ゆっくりと階下に降りて行こうとしているようだった。

恐らく、誰かいるのか、とか、何の用だ、といった誰何(すいか)的な意味合いの問いかけだっただろう。

葵は寝室を出てすぐ、ドアを締めた。

寝室を出て右手に階段があり、階段をはさむ形で子供部屋がある。

息子二人が寝ている部屋だ。

廊下に出ると、そのはずの長男の正貴(まさき)と次男の晴貴(はるき)が不安そうな顔で起き出して来ていた。

「ママ、あの音、なあに?」

晴貴が不安を隠さない声で尋ねてくる。

小学二年生なので、無理もない。

「パパ、大丈夫かな?」

正貴が続けて訊く。

「大丈夫よ、パパ、ああ見えても強いんだから」

葵は努めて、笑顔を作りながら言った。

洋貴は今でこそ市役所勤めの公務員だが、元々は陸上自衛隊、それも第一空挺団にいたエリート隊員である。

そのサバイバル技術の高さを買われ、請われる形で転職したのだった。

役職は、狩猟担当者。つまりは、公務員(ガバメント)ハンターというヤツである。

銃火器の取り扱いに精通しているのみならず、その訓練過程で身につけた狩猟技術も高いものを持っていた。

ツキノワグマではあったが、在隊中には二頭ほど仕留めた経験もある。

「そこにいろよ」

洋貴がもう一度声を、下から子供たちに声をかけながら一階に降り立った。

ショットガンを腰だめにして、一歩ずつ慎重に進んでいく。

相変わらず、得体の知れない物音が外からは聞こえていた。

洋貴の姿が一階のリビングに入り、葵たちの視界から消えるたのと同時に、家の中全体に、音だけでなく振動が伝わり始める。

壁を(こす)るような音がいつしか、叩くようなそれに変わってきた。

「な、何なの?ママぁっ?!」

「こ、怖いよおっっ?!」

「大丈夫よ、ここにいなさいっ!!」

正貴と晴貴が口々に不安を訴えるのを、葵

は必死に(なだ)めた。

自分にも、本当に大丈夫か、と言われれば、自信をもってそう言えたわけではない。

だが、この状況では、そう言うしかない。

母親の自分が、嘘でも落ち着いているように見せなくては、子供たちが落ち着くはずもないはずだった。

ふと、葵は家の中に微かだが、何やら嗅ぎ慣れない臭いが漂い始めたことに気づいた。

普段はあまり、鼻馴染みのない臭い。

しかも、どちらかと言えば不快な臭いである。大概の人間は、悪臭と感じるだろう。

糞尿とも、垢じみた不潔な服やゴミとも違うが、名状しがたいそれが、だんだん濃さを増していた。

「あ、アナタぁっ?」

増した不安を紛らわすために、葵が一階に降りた、ちょうどその時だった。

━━━コフゥーッ━━━━

得体の知れない、何かの生物の呼吸音らしき音が、葵の耳朶を打ったのである。

それと共に聞こえたのは、洋貴の叫びだった。

「葵っ、来るなっ!」

洋貴の叫びが終わらぬうちに、まるで紙でも破くようにバリバリと音を立てながら、何かが崩壊し始めた。

思わず葵は、その方向を見た。

音の源を、だった。

信じられない光景が目に飛び込んできた。

崩壊していたのは、家の外壁。

子供が悪戯で障子に穴を開けるように、まるで紙の如く壊されていく様子だったのである。

画像の一つひとつが、コマ送りのスローモーションのように見え、葵は悲鳴すら忘れた。

(な、何が起きているの?!)

あまりに現実味がない光景が、逆に現実として認識させなかった。

呆然としかけた葵の意識を、引戻したのは洋貴の叫びだった。

「み、みんな、逃げろーっ!!」

叫ぶなり迷わず、ショットガンを連射する。

ドゴん、ドッゴォン!

夜の屋内を震わせて、散弾の発射音が響き渡った。

「うわあぁぁっ」

背後で正貴か晴貴が、驚きと恐怖に引きつった悲鳴を上げていた。

いつの間にか、葵の後から降りて来ていたらしい。

葵は咄嗟に、子供たちに怒鳴った、

「裏口から、裏から逃げなさい、はやくっっ!」

二人の子の足音を背中に聞きながら、葵は洋貴と、その前方の崩れていく壁に目をやった。

洋貴の銃弾でより、破壊が進んだらしい。

外壁のところどころに、穴が空き始めている。

それにより、あの悪臭がより強烈になったようだった。

(そ、そうだわ、この臭いは??!)

不意に葵は思い出していた。

近所の家の、外で飼われている犬の臭いを、であった。

それをより、強くすれば恐らく、こういう臭いになる。

思い当たり、そして気づいた。

(動物の、臭い!?)

そう、獣臭だ、ということにだった。

そして、これだけ強烈な獣臭を放つ動物と言えば、この北海道では一つしかない。

「く、く、くまっ、ヒグマっっ!?」

葵が叫ぶのと同時に、それが夜の家中に闇を裂くように響き渡っていく。

━━━━ゴォガァァアアアアアアっ!!━━

重低音の唸りが、葵に無理やり現実を思い知らせていた。

洋貴が発砲したことが皮肉にも、家の壁を破壊する助けになってしまったらしい。

メリメリという音と、バキバキとした破壊を象徴するかの如き音が、今や混在していた。

ドガンッガラガラゴォっ、ンドッ・・・、とでも形容すべき、轟音がした瞬間だった。

ガフっ。

鋭い呼吸のような唸りとともに、崩れた壁の瓦礫の向こうから、やにわに黒い丸太が飛び出たように見えた。

葵の目には、そう見えた。

丸太は、恐ろしい(はや)さをもって、洋貴の頭部を(かす)めたものである。

(あ、あぶないっ)

葵は声を出そうとしたが、洋貴は頭を咄嗟に下げて避けたらしく、そこに頭部はなくなっていた。

葵がそのことに安堵しかけた一瞬、葵のそばの柱に何か、重いボールのようなものが当たって跳ね、彼女の足元に転がる。

思わず、それを見た。

いや、見てしまっていた。

ボールなどではなかった。

それは、生首だった。

夫の洋貴の生首であった。

反射的に、前に立っている洋貴の身体を見向く。

そこに立っていたのは、もはや洋貴ではなく、洋貴だったものだった。

何か圧倒的な力で吹き飛ばされ、失った首の断面から勢いよく血が噴き出している。

「き、ギィャバァっあぁああああぁっ??!」

あまりのことに、葵がこの世を限りとの叫びを上げた。

洋貴は丸太の一撃を、避けてなどいなかったのである。

首だけになった洋貴の顔面は、左半面が無惨に潰れ、眼球が飛び出していた。

辛うじて無事な右の目は、かっと見開かれていた。

最期まで自分の目の前の現実を、理解出来なかったのだろう。

首を失ったことに今さら気づいたように、洋貴の胴体がドサリと倒れる。

それに合わせ、瓦礫をバリバリと踏みしめる音に混じり、獣の荒い呼吸音が部屋に響いた。

━━━コフッ、コフゥっ、ゴフゥ━━

音と共に、獣臭がより濃さを増した。

今や大きく開いた壁の穴はもはや、魔界の出口であり、黄泉の入口と化していた。

その大口から、獣臭の源たる巨大な悪意が、のっそりと宅内に侵入して来る。

憎らしいほどゆっくりと、だが、確かに圧倒的な存在感を伴っていた。

壁穴から差し込む月明かりが、凶暴な陰影(シルエット)を浮かび上がらせる。

それは、一目で恐怖を覚えるのに十分だった。

(赤い隻眼(かため)の、ヒグマ・・・・)

葵がヒグマの姿を認識した時、ヒグマがまた丸太を一振りした。

右の前足によるその一撃が、葵の胸元を掠める。

ビリりりりっ!!

妙に乾いた音とともに薄い布地が裂け、葵の上半身を覆っていたパジャマが一瞬で吹き飛ぶ。

不思議と奇跡的に、身体には傷一つつかなかった。

葵の白い肌が、裸身が、豊かな乳房がまたも露わになり、葵は改めて生命の危機を実感した。

(に、逃げ、逃げなきゃ・・・)

必要性を自覚した途端、今更ながら恐怖が頂点に達していた。

「い、いやあああああああっ・・・!!」

叫び声を上げ、一も二もなく振り返る。

だが、ヒグマに限らず熊に背を向けるのは本来、もっともやってはいけない行動(アクション)である。

当然ヒグマは、赤隻眼(アカカタメ)はそれを見逃さなかった。

━━━ガァウウつ━━━

短い咆哮を上げ、葵の背中に追いすがる。

ドス黒い魔性の口腔を広げ、白い巨大な牙が見えたのは一瞬。

人智を超えた力が、凶暴な野生が、葵の右首すじから肩にかけて喰い込んでいた。

バリバリと骨が噛み砕かれる音と、葵のこの世のものとは思えない絶叫が同時に上がる。

━━━━ギャアアアアアアアづづっ━━━

濁点のついた悲鳴を残し、アカカタメが葵を咥えたままの顎を勢いよく一振りした。

そのまま振り向き、壁の穴に向かって歩み始める。

葵はすでに、事切れていた。

一切の力の抜けた葵の亡骸が、足が、ズルズルと引きづられていく。

白い肌に鮮血が流れ、たちまちのうちに乳房が、上半身が朱に染まっていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


やはり、いた。

この中から、匂いがした。

人間の、メスの匂い。

人間は確か、女、というのだったか?

我らが言うところの、メスのことを。

この人間の巣穴、これも確か人間たちは、家、と言っていたな。

そう、この家の周りに濃く残っていた。

人間の、女の匂いが。

夜になるのを待ったのは、昼間明るいうちに近づいて、ハンターらに邪魔されたくなかったからだ。

食事を、それも、半年振りの人間を、な。

やはり人間は喰うなら、女に限る。

柔らかさの中に、薄く皮下脂肪がついているのが、たまらなく良い。

一度喰ったら、病みつきになる。

人間の、女の肉の味は、な。

我らの中には、逆に人間のオスを、男の方が喰うなら旨いという奴もいるが、気が知れん。

固く締まった筋肉の、歯応えある食感が良いなどと言うが、やはり吾は、女が良い。

男など、喰う気にならん。

どこが旨いか、だと?

それは、決まっている。

乳だ。メスが子に、乳を飲ませる、あの乳房だ。

人間のメス、女の乳は、喰った途端にいつまでも喰っていたくなる。

特に、たっぷりと筋肉と脂肪がバランス良くついた、人間の女の乳は目にしただけで嬉しくなる。

こと、さらに言うと、乳は子持ちの方が良い。乳腺が発達しているからか、格別だ。

たまらない、独特の食感がある。

癖になる旨さだ。

昼間、この人間の巣に、家に、子連れの女が入ったのを確かに見ていた。

だから、この家には乳のデカい女がいると思ったのだ。

それも、子を産んだメスだから、な。

ああ、昼間から我慢した甲斐があった。

ようやく喰える、このたっぷりとした、肉の塊を。

そういえば、吾が人間のメスを好んで喰うようになったのは、いつだったかな?

ああ、そうだ。

あの時だ。

初めて人間を喰った、あの時。

あの、吾の右目を潰した人間の(メス)だ。

あの、拳銃とかいう豆鉄砲で、我が目を打ち砕いた女だ。

吾も若かったからか、そのせいで頭に血が上ったのさ。

だから、骨も残さず喰ってやったんだ。

腹いせに。

頭から爪先まで、な。

残したのは、黒い毛髪だけだ。

さすがにあれは、歯に絡みついて邪魔なことこの上ないからな。

だが、おかけで吾は知ることが出来たんだ。

人間の女の乳の味を、食感を、旨さを、な。

あの女の乳も、たっぷりした歯応えある食感だった。

今思い出しても、旨かった。

最高の、女であり、乳だった。

あれほどの逸品は、あれ以来、喰えていない。

さあ、今夜のこの女のそれはどうやら、あの時の女に匹敵する。

久々の、ご馳走だ。

真っ先に、喰ってやるぞ。

二つまるごと、いっぺんにな。

さて、いただこうか。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


アカカタメは骸と化した葵の身体に、文字通り武者振りついた。

ブチリ。

何かが千切れる、嫌な音がした。

アカカタメが、葵の双の乳房を、一息に噛みちぎった音だった。

その後から、アカカタメの肉を咀嚼する音だけが、暗闇に響いていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


黒島正貴は、裏の物置の中、中二階で身を潜めていた、

一人で、ではない。

弟の晴貴と一緒だった。

何かに襲われる両親の姿をちらりと見ながら、母の叫びに従って、迷わず逃げ出した。

ヒグマのものらしい咆哮を聞いたのは、その直後だった。

家の裏口から、二人で外へ飛び出してすぐ、とりあえずここに隠れたのである。

両親の無事を確かめたかった。

両親を見捨てて逃げることも出来なかった。

漆黒の闇の中を逃げるのが、本能的に怖かったのもある。

何より、下手に逃げ回ってまた、本当にヒグマに遭遇するのが怖かった。

「兄ちゃん・・・」

晴貴が兄のパジャマの袖をつかみ、不安そうな声を出していた。半分、泣き出しそうになっている。

「パパとママ、どうなっちゃうの・・・?」

「・・・・・・」

正貴は弟の問いに答えるための、適切な言葉が浮かばなかった。

いや、分かってはいる。

小四の少年といえども、どうなるかは分かりきっている。想像がつく。

だが、言えなかった。

言えば、予想を全て認めることになる。

その予想通りの結果を、想像したくなかった。

無理もない。

何しろが兄弟ともまだ小学生であり、あまりにも幼い年代である。

目の前の現実を直視しろというには、あまりにも酷と言うべきであろう。

正貴が逡巡している間に、母屋からはもの凄い悲鳴が聞こえていた。

母の悲鳴だと、すぐに分かった。

思わずビクリとしつつ、晴貴が思わず叫ぶ。

「に、兄ちゃんっ、い、い、今の声っ、ま、ママの・・・・」

「そんな訳ないだろっ・・・!」

つい、怒鳴りながらも、語尾が自信なさげに力を失ったのは、自分でも説得力のないことを言っていると思ったからだった。

怒鳴りつつも、震えている。晴貴ばかりでなく、自分もである。

怖い、その一言に尽きる思いで、今の兄弟の心は占められていた。

恐怖、それのみである。

だからこそ、兄弟そろって、物置の中から飛び出すことなく隠れていられたと云えた。

そして、図らずもそれが正解だったと知ることになったのは、二人で戸の隙間から外の様子を(うかが)った時である。

息を殺して覗き見た、その光景は、幼い兄弟にとってあまりにも残酷なものだった。

最初、ヒグマが咥えているのは白布かと思った。

だが、すぐに気づいた。

白布からは、無数の黒く長い紐が伸びていることに。

それが髪の毛だと気づいた瞬間、その持ち主が誰か、即座に悟らされていた。

(ま、ママ・・・・・・)

兄弟ともに、叫びを呑みこんでいた。

理由は半分は驚きの、もう半分は恐怖のあまりである。

人間は真にあまりの恐怖に直面すると、逆に声すらだせなくなるという。

この時の兄弟二人の反応が、まさにそれだった。

ブラブラと揺れる白布のように見えたのは、服が破けて裸身を晒していたからであり、それは彼らの母、葵の死体だったからである。

「ひ、ひ、ひいぃっっ・・・・」

晴貴が小さく悲鳴を洩らし、その座りこんだ尻の下が、たちまち生温かいアンモニア臭の液体で濡れ始めた。

失禁しながら、低くすすり泣きを洩らし始める。

月明かりに浮かんだ母の顔は、見開かれた目が完全に焦点を失っていた。

恐怖と絶望に、彩られた表情で固まっている。

同じく月明かりに照らされた、ヒグマの顔を正貴は生涯、忘れられなくなった。

(か、片目、それも、赤い・・・・)

そのアカカタメが、(はは)の乳房に喰らいついたのを目にした瞬間、正貴の思考は完全に停止していた。

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