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いつの時代もお役所は、理屈ばかりで無責任

高陽がヒグマを単独で討ち取る、約三時間前に話は(さかのぼ)る。

その日、高陽と健介の二人は、日高地方の町道を車で移動していた。次の赤隻眼(あかかため)の出現が予測されたポイントに向かっていたのである。

予測したのはつまり、高陽と健介が相談し、アカカタメの行動パターンを彼らなりに分析した上で算出したエリアだ。

それ故に、まるっきりの当てずっぽうではない。

そのエリアで拠点(ベース)を設けて網を貼り、アカカタメの出現をしばらく待つつもりだった。

車は健介の愛車、ランクルである。当然、ハンドルを握っていたのは健介だった。

その健介の運転で、通りかかった集落が何やら物々しい雰囲気になっていることに、最初に気づいたのが高陽である。

助手席にいたせいか、只事ではない様子に、すぐに気づいたらしい。

「停めてくれ、どうも、辺りの様子がおかしい」

高陽に言われた通り、健介がランクルを停車させた。

ランクルを停めた前方、四、五メートルほどの路肩に、五人ほどの男たちが集まっていた。

様子のおかしい理由はすぐに分かった。

五人のうち四人までが、狩猟用ライフルやら散弾銃を担いでいたからである。

誰が見ても只事ではない。

男たちは何やら相談していたらしく、全員が一様に険しい表情をしているのが遠目にも分かった。

高陽が降り立ち、彼らに近づいて行った。

熊狩士の資格証(ライセンス・カード)を提示しつつ、声をかけたようだ。

さすがに資格証の効果は絶大のようである。

全員が一斉に、高陽に頭を下げた。

見るとどうも、どう見ても高齢者ばかりのようだ。一番若くとも、六十を超えていよう。

(恐らくあれは、地元の猟友会だろうな)

どこの猟友会でも、高齢化に悩まされているのは同じだ。

それ故に健介がそう直感した時、高陽が振り返り手招きしてきた。こっちに来てくれ、という事らしい。

降りて歩み寄った健介に、高陽がひとことで説明する。

「ヒグマだそうだ。山に逃げ込んだらしい」

(やっぱりな)

それだけで全て察しがつく。何となく、そうではないかとの予感がしていたからであった。

「被害は何か、出てるんですか?」

健介の質問に、高陽ではなく、猟友会のメンバーの老人が答えた。年格好からすると、恐らく最年長だろう。

「今日は特に、被害は確認出来とるわけじゃ、ないんですがね、あの様子じゃ恐らく、どこかでまた、家畜が狙われたようでして」

次いで、高陽が質問を挟んだ。

「また?今までにもあったんですね?人的被害は?」

「幸い今日も含めて今のところは、まだ怪我人も死人も出てませんがね、この前に出た時は牛が一頭に、その近くの家の飼い犬が、可哀想に食い殺されましたんじゃ」

「この前というのは、いつ頃の事ですか?」

「つい、三日前ですよ」

高陽と健介は顔を見合わせると、どちらからともなく(うなず)いた。間隔が空いていない。明らかに、癖になっている。

(完全にこの辺りを、餌場として認識したんだ)

間違いない。それが二人の見解だった。

ヒグマは一度喰らうと、それに固執する習性がある。味をしめる、というやつだ。

つまり、人間を一度でも食ったヒグマは、一度男を襲って食ったらまた男を、女を食ったらまた女を繰り返し襲うようになる。

これは歴史上の事件・事故の事実が証明していると云え、特に日本獣害史上、最悪のケースとして知られる大正時代の「三毛別羆事件」でも実に、食い殺されたのは女ばかりであり、男では食われて死亡した者はいない。男の死亡者の死因は全て、外傷性ショックによるものだったことが記録に残っている。

また、三十年以上も前になるが、中標津(なかしべつ)周辺を恐怖に陥れた、通称「OSO(オソ)18」は好んで牛を襲ったことでも知られていた。

ヒグマは「味をしめる」と繰り返す。そういう習性がある生き物なのだ。

「それで、そのヒグマですが・・」

高陽が、猟友会のリーダーらしい老人に確認した。当然といえば当然ながら、彼の場合はヒグマが絡んだ話しでは先ず、この質問が恒例になっている。

「右目が潰れてはいませんでしたか?片目が赤く爆ぜたような感じには?」

「いやあ、両目ともあるようだったがの」

高陽は一瞬だがさすがに、僅かながら落胆の表情を浮かべた。

毎度がもしやという思いでの確認であり、半分以上、求める答えを期待しているわけではない。しかしながら、それでも一縷(いちる)の望みはかけてはいるので、やはり多少の失望はある。

だがそこは、さすがは高陽だった。

すぐに気持ちを切り替えたらしく、質問を変えた。

「役所や警察への連絡はどうなってます?」

「それは、私が連絡を受けてすぐに」

ここで初めて、一人だけライフルを担いでいなかった男が口を開いた。

見ると確かに、どこかの自治体の職員らしく、作業着のようなジャンパーを着ている。

年の頃は四十手前、中背の痩せた男だ。

「警察の方に、出動を要請しました」

「その割に、まだ警察官は来てないようですが?」

健介が疑問を口にした。思わず口をついたようだった。

「いや、もう来てますよ、この先の空き地で待機していただいてます」

「待機?ちょっと待って下さい」

ここで高揚が、やや目を()きつつ、役場職員の男に尋ねた。少しばかりだが、呆れ気味である。

「猟友会にまで出動を要請して、ハンターの方々はもうこの前線に出張ってるのに、自分たちは後方待機なんですか?」

「はい、それが何か?」

「何って・・、アンタね」

高陽は呆れたようにため息をつき、やや早口になりながら言った。

「この通りのご高齢のハンターの方々を真っ先に、本来危険が伴う最前線に送っておいて、肝心の警察や役所は安全な後方で高みの見物か?出動の意味がないって話しになるだろう」

役場職員がむっとした顔になった。明らかに、気を悪くしたようである。

「失礼な、高みの見物とはなんですか?」

「だってそうだろう?他になんと言えば良いんだよ?」

「お分かりでないようですがね、こういう時は先ず、手続きの手順というものがあるんですよ」

「手続きだとっ?ふざけるなっ、そんな悠長なことを言ってたら、オレらが狩りに出たその時にはもう、(やっこ)さんは安全な山の中だっ」

「ま、前野さん・・」

怒声混じりになりながら、高陽が役場職員に詰め寄ろうとするのを、慌てて健介が止めに

入ろうとした。だが、高陽は滅多に激昂しない代わりに、一度こうなると誰にも止められなくなる。

現に肩を掴もうとした健介の手を、振りほどかんばかりに前に出ようとしていた。

役場職員は、思わず後退りしていた。高陽の剣幕に押されたらしい。

高陽はさらに畳みかけた。この男らしからぬ早口で、一気にまくし立てる。

「オレは熊狩士だぞ、そんなことくらいはアンタに言われるまでもなく分かってんだ。ナメるんじゃないよ。アンタらお役所はいつもそうだ。何かが起きないと動かないは、起きたら起きたでまず相談やら連絡やら、果てはまだ手続きが完了しません、してませんからまだ動けませんと来る。ようやくアンタらが判断して駆除要請が出る頃には、肝心の熊はもう、山に帰ってしまってる。結果、駆除は出来なかったが、これで安心だなどとノタまった挙げ句、何の対策も講じないまま解散するお目出度(めでた)さは、あまりにも頭の中がお花畑すぎる。それで同じことが起きると、またも飽きもせず同じことを繰り返すんだ。それがアンタらお役所だ。こと、熊が絡んだ時の、警察のやり口だ。元警察官として、反吐(へど)が出るっ!」

「前野さん、いくら何でも・・・・」

言い過ぎですよ、と健介が言おうとした、その時。

「その通りだよなあ」

「全く、同感だよなあ」

同調の声が上がった。それも一つではない。

周りで高陽と役場職員のやり取りを黙って聞いていた、地元ハンターの老人たちからの声だった。

リーダー格の老人が、役場職員に尋ねる。

「アンタもどうせ、ワシらに前線で警戒に出るように申し伝えたら、後ろに下がってるつもりだったんじゃないのかね?」

口調は質問口調だが、目の奥に否定を許さないような、鋭い光りがあった。さすがは老いたりとはいえ、熟練のハンターである。

熊撃士ではなくとも、今まで幾度となくヒグマ相手に死線を潜り抜けているはずだった。

今さら言うまでもないが、熊撃ちは常に命がけで行うものである。当然のこと、ハンターは一度熊撃ちに出る際は例外なく、死を覚悟している。頭半分を吹き飛ばされた自分の亡き(がら)を、仲間に担がれて帰る羽目になることをいつも想定しているのである。

それだけに老ハンターたちの目には、まだ若い高陽や健介では絶対に出せない、静かな凄みがあった。

得てしてこういう目には、下手な誤魔化(ごまか)しは効かない。嘘をつこうとしたところで、見破られるのがオチだと云える。

果たして、この場合の役場職員も例外なく、誤魔化すことは出来なかった。

「あ、いやあ、あの、その・・・・」

しどろもどろになりながら、すいません、その通りです、私らとしてはもう、あなた方にお願いする他の考えは思いつかないんです。

必死に頭を下げながら弁明する姿は、もはや哀れを通り越して滑稽ですらあった。

言いたいことを全て言った高陽はといえば、もう既にいつもの冷静さを取り戻している。

健介と顔を見合わすと、どちらともなくニヤリとした。頼もしいご老体方だ。年の功だな、とお互いの表情が語っている。

「まあまあ、皆さん、あまりイジメないで差し上げましょうよ」

健介がやんわりと止めに入ったが、続けたセリフが強烈な追い打ちになった。

「どうせ、下手に現場をうろちょろされたりしたら、邪魔だし足手まといなこと、この上ないですから。山の現場を知らない人間じゃ、何の役にも立ちませんよ。警察だろうと役所だろうと」

「それもそうじゃの。警察も役所も、熊撃ちの現場を知らなすぎるからの」

リーダーの老人がニンマリと、皮肉たっぷりに(うなず)いてみせた。

所在なげに呆然と立ち尽くすしかなくなった役場職員の男に、高陽が今度は穏やかに告げた。こんな状況での穏やかさも、それはそれで不気味ではあったろうが。

「聞いての通りだ。この際もう、後ろですっ込んでもらってた方がいい。手だけでなく口も出さずに見てることだな。でなけりゃ、熊と間違えられて撃たれるのが関の山だ」

せいぜい震えてろ。そうもつけ加えて高陽は今度は老人らに向き直った。

怒りと屈辱で顔を真っ赤にした役場職員にはもう、見向きもしない。

「と、いう訳で皆さん、この際もう、奴さんが先ずどこでどう目撃されたか、どういう経緯で皆さんに出動要請が出たかの説明はいいですから、それよりも・・・」

「それよりも奴さんが、どこのどの方角に逃げて行ったか、じゃろ?」

「もはや、どう追うか、が重要じゃからの」

高陽の問いかけに、老ハンターたちが察したように答えを代弁した。皆まで言うな、ということのようだ。

「その通りです。どの方向に逃げて行ったか、追いつけそうなポイントを教えてさえいただければ、オレらで責任をもって仕留めます」

「ワシらは、何をすればいいかのう?」

リーダーの老人が高陽に尋ねる。

「とりあえず、山の方からまた、奴さんが里に逃げ込んで来ないとも限らないので、皆さんはもう少し、この辺りで警戒をお願いします」

「よし来た、任せてくれ。ただ山の入口までの案内だけは、誰かにさせた方がいいんじゃないかと思うが?」

「それもそうですね、どなたかお願い出来ますか?」

リーダーの申し出に、健介が頼みで応じる。

「それなら、オレが案内するよ」

ハンターの中で一番若いと覚しき、六十をいくつか過ぎたばかりらしい男が声を上げた。

「決まりだ。皆さん、よろしくお願いします」

高陽が改めて頼む。

老ハンターたちが、熊狩士と熊撃士に頼まれたらしゃあないよ、といいながら動き始めた。

健介は一旦、ランクルの運転席に戻った。駐車出来そうなスペースを探し、乗り入れる。エンジンを切って車の後部に回り、リアゲートのドアを開いた。

ラゲッジスペースに積んであった、使い慣れたワジマ式を取り出し、通常弾の弾倉をセットする。チャンバーを引いて初弾を装填させると、ズシりとした銃の重さが健介を落ち着かせた。毎度ながら、頼り甲斐のある重みだった。

「近くが集落だから、フラッグ弾は使う訳に行かないもんな」

いつの間にか戻ってきた高陽が、愛刀の熊斬り太刀「雷神」を取り出しながら言った。

背中に括りつけるように、革ケースを背負う。例によって、柄頭から鯉口までがケースの外に露出しており、背中からでも即座に抜けるようになっていた。

腰にはもちろん、熊狩帯(くまかりおび)も着けている。

「必要ないですよ、フラッグまでは」

健介が不敵な笑みを浮かべた。

「爆薬弾頭でなくとも十分、仕留められます。前野さんがいれば」








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