2-30(サカグチさんの手紙).
ダゲガロさんたちと分かれて3日、ついに僕たちは大樹海を抜けた。
龍神湖畔の拠点を出て1ヵ月近くが経過している。もちろん平地での移動とは一緒にはできない。それも魔物たちと戦闘しながらの移動ならなおさらだ。タイラ村に滞在したせいもある。それでもイデラ大樹海は広い。
鬱蒼とした森から解放され、あたりは草原だ。
振り返ると、遠くに薄い墨で書いたようなアガイデラ山脈が見える。
「本当に脱出できたんだ」
「はい。やりました」
僕は空を見上げる。いい天気だ。
何で太陽とか雲とかを見るだけで、こんなにホッとした気持ちになるんだろう。
それに空だけ見ていると、ここが異世界には思えない。元の世界と全然変わらない。
本当によく生きてここまで来れた。
ちょっと強めの風が吹いて、クレアの少し碧味がかった銀髪がたなびく。
「クレア、トドスに入るのは特に問題ないのかな?」
トドスはここから一番近いキュロス王国の街だ。
「ハル様は冒険者証を持っていますよね?」
「うん。C級だよ」
「私もC級です。ルヴェリウス王国で冒険者をしていたときのものです。冒険者証を持っていればハル様も私もトドスに入るのは問題ないと思います」
冒険者ギルドは国を跨がる組織だ。その総本部はガルディア帝国の帝都ガディスにあるが冒険者証はどこの国でも身分証明書になる。ファンタジーでよくある設定と同じだ。魔物の被害が多い上、魔物の素材が生活に必須なこの世界で冒険者は必要とされている。高ランクの冒険者は尊敬されているしS級以上は各国共通で貴族扱いだ。魔物の討伐は各国の騎士団も行っているが、それでは不足なのだ。
僕とクレアは冒険者登録をしている。二人ともC級だ。C級と言えは一般的にはベテランの域なので、どこの国でも歓迎されるはずだ。
街に入ること自体に問題がないとすれば・・・。
「あとはお金かなー」
「魔物の素材を売れば問題ないでしょう。むしろ持っている素材が高価すぎて怪しまれないかが心配です」
サカグチさんにも注意しろと言われた。
「魔石を売るのはどうかな? 魔石なら魔鉱石の鉱山でも産出するんだよね? あと迷宮でも採れるし」
「はい。でも伝説級以上の魔物の魔石はその希少性からとても高価です」
希少価値か・・・どこかで同じような話を聞いた。
牙や鱗などの魔物由来の素材は魔素を含んでおり魔道具や装備などの材料になるのだが、高位の魔物の素材ほど多くの魔素を含んでいて魔道具などと相性がいいので高価だ。だが、高位の魔物の素材の値段が高い理由はそれだけではない。希少価値があるからだ。
すごく珍しい魔物の由来の素材でできた服などを身に着けていればそれだけで自慢できる。そういったものに金を惜しまない金持ちというのはどこの世界にもいるものだ。
アイテムボックスの中に入っている魔物の素材の中で、もっとも価値がありそうなのは・・・火龍の鱗と白いフェンリルの毛皮、それにヒュドラの魔石はクレアの剣とユイのローブと杖の素材として使ったから・・・残りは、ヒュドラの鱗と牙、ハクタクの2本の角、タラスクの甲羅の一部、それにサイクロプスの大きな角、あとはフェンリルの爪や牙あたりだろうか。それに伝説の魔物たちの魔石もある。これらを処分するときは注意した方が良さそうだ。とりあえず上級魔物や中級魔物の素材あたりを売却すればいいんだろうか?
「そういえばクレア、見たこともないような魔物の素材ってどうやって鑑定するの? 本物って分かるの?」
「冒険者ギルドには、鑑定魔法を使える人がいるので大丈夫です。でも冒険者ギルドでも大きいところでないと、伝説の魔物の素材を鑑定できるような高位の鑑定魔法を使える人がいない可能性はありますね。ましてヒュドラは伝説級どころか神話級の魔物ですから」
鑑定魔法は、無属性の特殊魔法だ。特殊魔法は魔導書で覚えるのではなくその人が生まれながらに持っている固有魔法でもある。鑑定魔法はクラネス王女が持っていた。クラネス王女は、それで僕たちの属性魔法適性を調べてくれた。鑑定魔法には魔物の素材を調べることができるものもあるみたいだ。
「それなら、大都市の冒険者ギルドとかでないとダメかもしれないね。トドスはどうなんだろう?」
「どうなんでしょうか。トドスは私も初めてですので・・・」
魔物の素材といえば、僕の黒い剣だけど、クレアがひょっとしたら闇龍の鱗でできているのではと言っていた。闇龍や聖龍と言った存在は火龍、地龍、氷龍よりも不確かな存在らしいが、魔王であるエリルが持っていたのだからそうであってもおかしくない。
僕たちは多くの伝説に彩られたイデラ大樹海の最深部から脱出できた。この冒険をいつかユイに話す日のことを想像したら少し元気が出てきた。
「空を飛べる魔物を使役して大樹海に侵入した人っていないのかな?」
エリルの言ってたことを思い出して、クレアに聞いてみた。
「どうでしょう。人族にも少数ですが魔物を使役する能力を持った人はいますけど、人を乗せて空を飛べるような魔物を使役している人は・・・。あ、そういえば帝国に・・・」
「帝国がどうかしたの?」
「いえ・・・」
クレアどうかしたのかな?
まあ、もしできたとしても、空にもワイバーンやドラゴンがいるから徒歩以上に危険かもしれない。
「ハル様は使役魔法は使えないんでしょうか?」
「え、それってどういう・・・?」
「エリル様は『魔王の加護』の能力を正確に知らないと言ってました。魔族と言えば、誰もが一番に思い浮かべるのは魔物を操るのが得意だということです。ですから『魔王の加護』にもそんな力があるのではと思ったのです」
うーん、どうだろう? それにエリル自身使役魔法は使えないって言ってたし。
だけど・・・。
「もしドラゴンを使役して空を飛んで旅ができたら楽しそうだ」
「はい。とても楽しそうです」
クレアは笑顔でそう答える。
もちろんそのときはユイも一緒だ・・・。
「使役魔法の使い方なんてよく分からないけど、いつか試してみたいね」
空を飛んで移動、まさにファンタジーの世界だ。
空を飛ぶ魔物といえば、鳥型の魔物を使役する職業はある。なんに使うかというと人を乗せるとかではなく情報の伝達である。要は、伝書鳩ならぬ伝書鳥型魔物である。国交のある国同士は、伝書鳥型魔物を使役するお抱えの魔術師を使って情報交換してるみたいだ。とても優遇される職業だそうだ。確かに情報を制する者こそが勝者だ。
人やモノを移動させる転移魔法陣や多くのモノを運べるアイテムボックスは存在するのに、情報を運ぶ電波のようなものはない。いずれ魔導技術の発展により可能になるのかもしれない。
「あ、そういえば」
僕はダゲガロさんから渡されたサカグチさんからの手紙を取り出す。ユイを探そうと心が逸るあまり忘れていた。
僕は手紙を読み始める。
その衝撃的な手紙は、ルヴェリウス王国には注意しろ、から始まっていた。
〈ルヴェリウス王国の異世界召喚魔法はとても危険な魔法だ。召喚の度に多くの死人が出る。召喚された半分以上の者が死体で召喚される。瀕死の場合もある。さらに召喚後もなぜか病気になる者がいる。その病気の原因は、魔素が合わない体質の者がいるせいではないかと考えられている。多くの場合、召喚後3ヶ月くらいまでに発病し、発病すると100%死ぬ。ルヴェリウス王国は異世界召喚魔法は100年、200年の単位でしか使えないと公表しているが、実際にはもっと頻繁に使っている。ただ成功しないだけだ。〉
「こ、これは・・・」
サカグチさんのお爺さんの話から、思ったより短い間隔で異世界召喚魔法が使われているのではと想像はしていた。
だけど・・・。
「ハル様、大丈夫ですか?」
「・・・うん」
半分以上が死体で召喚される・・・。
どうして今まで気がつかなかったのか。あのとき教室には僕たち9人だけじゃなくもっとたくさんの生徒がいた。10人? いやもっといたと思う。残りの生徒たちはどうなったのか? 死んだのか?
それに病気だ!
魔素不適合症とでも呼べばいいのか・・・。僕たち異世界人は魔力適性が高くて魔法を扱うのに長けている。なのに魔素が体質的に合わない者がいるなんて皮肉な話だ。みんなは無事なのか。ユイは? そもそも僕自身は? イデラ大樹海に転移して段階で、すでにこの世界に来て半年以上が経過していた。ということは召喚されてからは3ヶ月どころか、すでに1年半くらいは経っている。たぶん大丈夫なのだろう。みんなも大丈夫だと信じたい。
僕は手紙の続きを読む。
〈これは祖父のアキラ・サカグチから聞いた話だ。祖父がタイラ村に来る前から似たような話がタイラ村には伝わっていた。もし日本人に会うことがあればこの話を伝えてくれ。そして可能ならルヴェリウス王国に異世界召喚魔法を使うことを止めさせてくれ。祖父は、そう俺に言い残して亡くなった〉
だが決して無理をするな、で手紙は終わっていた。
「クレア、これを読んでみて」
クレアは黙って手紙を読む。
「まさか、そんな・・・」
クレアも知らなかったようだ。クレアの立場でこんな秘密を教えられているわけがない。
普通に考えれば知っているのは、王国の上層部の一部の者だけだろう。クラネス王女もどちらかと言えば知らない可能性が高い。僕たちの訓練の責任者であるギルバートさんとセイシェル師匠に関しては可能性としては半々くらいか。セイシェル師匠のことは信じたいが、そう簡単ではない。
このことをサカグチさんのお爺さんはどうやって知ったのか。知ったからこそルヴェリウス王国を離れたのか。
まだまだ疑問は多い。
僕がタイラ村の住人になると言えばもっと詳しいことを教えてくれたのか。いや、それでもサカグチさんはこの手紙を託してくれた。祖父と同じ日本人の僕のことを心配してくれたのだろう。それにしてもルヴェリウス王国は信用できない。
僕とクレアは黙って歩き続けた。
遠くに城壁に囲まれた街が薄っすらと見えてきた。思ったより大きくて都市と言ってもいい規模だ。城壁の外にも街が広がっている。さらにその周りには村や畑が点在しているが、それほど広い範囲ではない。やはり大樹海が近いせいだろう。
さらに近づくと、村のいくつかの家の煙突から煙がたなびいているのが見えてきた。料理でもしているのだろうか? まるでフランドルの画家が描いた中世ヨーロッパの風景画のようだ。
「クレア」
「はい」
「取りあえず、ユイを見つける」
「はい」
「すべては、それからだ」
「はい」
僕とクレアは前を向いてトドスの城門を目指す。




