2-26(脱出その3).
気がついたらクレアの顔が見えた。頭が柔らかいものの上に置かれている。
この体勢には覚えがある。
「ハル様、大丈夫ですか?」
起き上がって確認すると、お腹のあたりに少し痛みがあるが問題ない。クレアが回復魔法をかけてくれたのだろうか。クレアは初級ながら聖属性魔法を使える。
「クレア、ありがとう」
「エリル様から頂いた回復薬を使いました。ハル様の魔法のおかげで何とか倒せましたね」
「いや、クレアの剣術はすごいよ。ほんとに助かったよ」
「いえ、ですが上級回復薬を使い切ってしまいました」
「それはしかたがないよ。もともと上級回復薬なしでイデラ大樹海を脱出できないことは分かっていた。そろそろ一番危険な場所を抜けるはずだ。大丈夫、もう少しだ。頑張ろう」
「はい」
クレアは、僕に回復魔法をかけかなりの量の回復薬も使ったらしい。顔を赤らめていたので回復薬をどうやって飲ませたのかとは聞かなかった。だが、これで上級回復薬は使い切ってしまった。これからはあまり大怪我はできない。上級回復薬は非常に高価だ。ルヴェリウス王国でも一人1個だけしか配られなかった。エリルの拠点からもっと多くの上級回復薬を持ち出すべきだったかもしれない。エリルは魔王城に帰る前、好きなだけ持ち出すがいい、とか言っていたのに、変なところで日本人的美徳を発揮してしまったのかもしれない。
クレアは、僕が気を失っている間に魔石とフェンリルの毛皮の一部と爪や牙を回収してくれていた。そのあと僕がなかなか目を覚まさないので膝枕をして見守ってくれていたみたいだ。あれほど恐ろしかったフェンリルの白い毛皮は今ではとても美しく艶があった。
エリルもいない中、上級回復薬のお世話になったとはいえ、二人で伝説級の魔物を倒せた。エリルのアドヴァイスやフォロー無しの二人だけで伝説級を倒したのは最初のハクタクに続いて2体目だ。でも最初のハクタクはいろいろと運が良かった。今回のほうが自分たちの力で倒したって気がする。しかも今回のフェンリルは特殊個体だ。
でも・・・まだまだ安心するのは早い。
「クレア、先を急ごう」
「もう少し休んだほうが」
「いや、もう少しで一番危険な場所は終わりのはずだ」
「・・・分かりました」
エリルからとにかく一気に抜けろと言われた一番危険な場所はもう少しで終わりのはずだ。
急ごう!
★★★
フェンリルとの激闘から1週間が経過した。フェンリルの後も何度も魔物と遭遇したが、その脅威度は明らかに下がってきている。
「気のせいじゃないよね」
「はい。一番危険な地域は抜けたのかもしれません」
僕たちは最も危険地域を抜けるのに1週間は掛かると見積もっていた。すでに龍神湖畔を出てから10日以上が経過しているはずだ。だが、油断は禁物だ。僕はルヴェリウス王国で見た地図を思い出す。アガイデラ山脈とその麓に広がるイデラ大樹海はヨルグルンド大陸の4分の1以上を占めているのだ。しかも平地ではない。
それでも、伝説に彩られた危険な場所から生還できるかもしれないと考えると安堵の気持ちと同時に少し誇らしい気持ちが湧いてくる。いつかこの経験をユイにちょっと自慢そうに話す自分を想像すると自然と笑みがこぼれる。
「ハル様!」
クレアが鋭い声で注意を喚起する。
やっぱり油断は禁物だったようだ。それともさっきのはフラグだったのか。複数の魔物の気配を感じる。
「ハル様、多いです」
「うん」
20、いやそれ以上いる。
暫くして現れたのはブラックハウンドの群れだ。ブラックハウンドは中級の魔物だ。中級なら問題ない。ただ、数が多い。これまで出会った伝説級や上級の魔物はほとんどが単体で群れの場合でもここまで数は多くなかった。
「クレア、あれは」
「多分特殊個体・・・かと」
フェンリルに続きまた特殊個体だ。群れの中の一際大きな個体を観察する。大きいだけでなく威圧感もあり額の古傷が迫力を増している。上級相当と考えた方がいい。とすればこれまでの戦った中でいえば、上級のキングオーガに率いられたオーガの群れと同じ感じだろうか。ただ、あのときは10体程度で今回は倍以上だ。この数では逃げるのは無理そうだ。そもそもブラックハウンドはフェンリルと同じで素早い獣系の魔物だ。
やるしかない!
このとき僕は特殊個体に率いられているとはいえ、相手が中級魔物の群れと言うことでどこか油断していた。要するに、伝説級のフェンリルを、それも特殊個体を倒したことで自惚れていたのだ。
「特殊個体って、こんなに出会うものなのかな?」
「この大樹海が特殊なのでしょう」
クレアの言う通りだ。世界で最も危険な場所であるイデラ大樹海では生息する魔物もずいぶん強化されている。
「行きます」
クレアが群れの真ん中に突っ込む。僕が黒炎爆に魔力を溜める時間を稼ごうとしているのだ。魔物の群れに出会ったときのいつもの戦法だ。だが、ブラックハウンドはかなり素速い上に、これまで相手にした魔物の群れの中で最も数が多い。もしかしたら、これまでの魔物はその強さゆえにあまり群れなかったのかもしれない。
何匹かがクレアの剣で傷を負ったものの致命傷には至らない。さすがのクレアもこれだけの数を一人で相手にするのは無理だ。
「クレア離れて!」
僕の合図でクレアは群れの中心から脱出する。クレアの頬と腕から血が流れている。
「黒炎爆発!」
クレアが脱出した群れの中心に黒炎爆発を放つ。クレアが魔物の注意を引き誘導する。そこに僕が範囲魔法を放つ。相手の数が多いときのいつもの作戦だ。でも限界突破する時間はなかった。
「ギャー!」
「グルルゥゥゥーー!!」
ブラックハウンドたちが咆哮する。かなりの数のブラックハウンドを巻き込んだ。ただ全体を巻き込むように範囲を広く発動した上、限界突破もしていないのですべてを戦闘不能にするには至っていない。それでも黒炎爆発は、炎爆発に比べれば威力が上がっている。中心付近の何匹かには致命傷を与えた。
上出来だ。
この調子で時間をかけて数を減らしていけば。
「ハル様!」クレアが叫ぶように僕の名前を呼んだ。
クレアの声に思わず振り返った瞬間、景色が揺れた。
「グァァァーーー!!!」
気がついたら、いつの間にか僕の後ろに回り込んでいた特殊個体の左前足が、僕の頭から右肩を切り裂いていた。
「ハル様ーー!」
クレアの声がなければ死んでいたなー。ああ、血が入って右目がぼやける。僕は他人事のようにそんなことを考えていた。
これってもしかしてやばいのか。
ここまで来て・・・。
「ハル様、しっかりしてください」
クレアが僕を庇うように特殊個体と対峙する。
意識を保つのがやっとだ。魔法で・・・魔法でクレアを援護しないと・・・。
クレアと特殊個体はお互いを警戒している、その間に残ったブラックハウンドたちが僕たちを取り囲む。
特殊個体のフェンリルだって倒したのに、こんなところで・・・。クレアが牽制しながら時間を稼ぐ。相手も慎重になっている。
今度こそ!
「黒炎弾!」
「ギァーー!」
だめだ! 外した。
特殊個体の額を狙った一段階限界突破した黒炎弾は、狙いを外して特殊個体の肩を貫いた。これでは致命傷にはならない。怪我もあり集中力が足りなかった。
最後の力を振り絞って限界突破したのに・・・
フェンリルのこめかみを貫くことさえできた魔法なのに・・・。
今にも意識を失いそうだ。集中力を保つのが難しい。
くそー、もっと集中して限界突破した魔法を急所に当てさえすれば・・・。
狙いさえ外さなけば・・・。
こんな奴なんかに負けない・・・はずなんだけど。
絶対・・・負けない・・・。
「ハル様、しっかり!」
クレアが僕の後ろから襲い掛かろうとしたブラックハウンドを斬り伏せた。まだかなりの数が残っている。
すぐに僕の前に戻って特殊個体を牽制する。
「ク、クレア」
「はい」
「僕が合図したらこの場を離れて、クレアだけでも」
「ハル様・・・」
僕は、僕の最強魔法である黒炎爆発に魔力を溜める。
クレアは特殊個体と残ったブラックハウンドを牽制している。特殊個体はさっきの僕の魔法で肩を貫かれたのとクレアの剣技を警戒して慎重だ。残っている他のブラックハウンドが僕にちょっかいを出そうとするがクレアがなんとか防ぐ。
ブラックハウンドたちも慎重になっている。今が魔力を溜めるチャンスだ。
なんとか僕は黒炎爆発を一段階限界突破するのに成功した。今の状態では二段階限界突破するのは無理だ。集中力が持たない。でもフェンリルやハクタクを相手にしているわけじゃない。これでも威力としては十分なはずだ。ただ、僕たちは二人ともブラックハウンドに囲まれた状態だ。おまけに僕はほとんど動くことができない。
「クレア逃げて!」
「黒炎爆発!」
黒い炎の塊が特殊個体を中心にドーム状に広がり爆発した。
ドゴォォォーーーーン!!!
爆風と熱で思わず目を閉じる。この距離では自分も巻き込まれる。覚悟の上だ。
死も覚悟したそのとき、暖かいものに包まれた僕は浮遊感を感じていた。クレアが僕を抱きかかえて大きくジャンプしたのだ。
風属性魔法だ!
クレアはその強力な身体能力強化に加えて風属性魔法を使って僕を抱えたまま脱出を図ったのだ。爆風に乗ったクレアは、僕を抱えたままブラックハウンドたちの囲みから大きく離れた位置に着地した。クレアは僕を抱えたまま地面をゴロゴロと転がる。
助かったのか・・・。
「グォォォー!」特殊個体が叫んでいる。
まだなのか・・・。肩から血を流し体中から焦げた匂いをさせながら特殊個体がヨロヨロと近づいてくる。
エリルの手助けもあったが、一段階限界突破した炎爆発は神話級のヒュドラにさえ通用した。しかもあれからエリルのおかげで黒炎爆発に強化されている。特殊個体とはいえブラックハウンド程度ならもう死んでいてもおかしくない。それとも、その素早さで直撃をまぬがれたのか?
どっちにしても、こいつは、なかなか根性がある。
僕を地面に横たえたクレアが大剣を支えにしてよろよろと立ち上がる。クレアも直撃していないとはいえ、僕の黒炎爆発のせいでボロボロだ。
「私はブラックハウンドだけには負けるわけにはいきません」
ボロボロのクレアが僕を庇うように特殊個体の前に立つ。相手も瀕死だ。
「もう大切な人を失うわけにはいかない」
「クレア・・・」
そうか、クレアの両親を殺したのもブラックハウンドの群れだった・・・。
クレアに襲い掛かる特殊個体の口から牙が覗く。ここで気を失うわけにはいかない。ここで死ぬのだとしてもクレアの戦いから目を逸らすわけにはいかない。体に全く力の入らない僕は地面に横たわったままクレアの戦いを見守る。
そのとき、地面近い僕の右耳にパタパタと何かが近づく音が聞こえた。
「お前たち、なんでこんなところに」
「それよりブラックハウンドが先だ」
「ん、あれが目的のボスだろうけど・・・あいつもう死にそうじゃない?」
助けが来たのか?
こんなところに人が?




