6-19(5階層その13~まさか!).
「ハルくんたちが強いのは知っている。ちょっとでも動いたらユイさんの命はない」
レティシアさんはユイは抱えたまま、僕たちより少し高い場所に移動して距離を取った。その間も短剣をユイの首元に突きつけたままだ。
「レティシアさん、なぜ?」
レティシアさんは、返事をせず黙って僕とクレアを見下ろしていたが、しばらくすると、いつもとは違う淡々として口調で話し始めた。
「私には年の離れた兄がいてね。兄も私ほどじゃないが結構強かった」
レティシアさん、一体何を言っているんだ?
「しがない行商人だった両親は、兄と私に才能があったおかげで、私たち兄妹を騎士養成所に入れる代わりに多額の金を得ることができた」
騎士養成所!
そういえば、レティシアさんは魔素の濃い場所に長くいると魔力適性が上がるという話をしていた。あれでクレアも騎士養成所のことを思い出したんだった。
「そうそうアンガスのパーティーのフランシスは騎士養成所で私と同期だ。『神々の黄昏』は帝国の傘下にあるクランさ。フランシスの話じゃあ、クリフは、お前たちを始末しろという帝国から指示を受け取って戻ってきたらしいぞ」
夜、誰かに会っているレティシアさんを見たのは夢じゃなかった。会っていたのはフランシスだったのか。今の話からすると、レティシアさんは僕が目撃した夜の後にもフランシスと連絡を取っていたみたいだ。
一体いつの間に?
フランシスたちは探索に出ているはずだから、こっそり『始まりの村』に戻ってきてたのか、それとも野営地でか、どっちかだろう。どっちにしても僕たちは帝国にずいぶん恨みを買ってしまったみたいだ。
「それじゃあ、レティシアさんは帝国の命令で」
「帝国なんて関係ない! 私はただの冒険者だ。フランシスにはお前たちは私が始末するからちょっと待てと言ってある」
それじゃあ・・・。
「騎士養成所を出た兄は騎士になった。私は自由が好きだったので冒険者になりたかった。帝国には約束が違うと言われたが、有望な騎士と見なされていた兄が一緒に頼んでくれたおかげで私の願いは聞き届けられた。兄は騎士団ではあまり好かれていなかったみたいだが、私には優しかった」
レティシアさんは、淡々と喋る。
「その優しかった兄がね。反逆者として殺された」
反逆者として殺された。まさか・・・。レティシアさんは緑がかった金髪をしている。同じような髪の色の男を僕は知っている。
「そうそう、兄は私と同じで剣士なのに剣を操りながら魔法を使うことができたんだ。私たち兄妹の特技だよ。兄は私のように三重発動はできなかったけどね。それに知っての通りハルくんほど自由自在ってわけにはいかなかったんだけどね」
緑ががかった金髪で剣を操りながら魔法を使う。
「レティシアさんのお兄さんってネイガロスなんですね」
「ネイガロスさんだろ! おい!」
ネイガロスの名前を出すと、レティシアさんは突然鬼のような形相で怒鳴った。
「兄さんはな、苦労して成り上ったんだ。兄さんは決して人付き合いのいい方じゃなかった。それに剣技だって私のほうが上だ。武闘祭に優勝して黒騎士団の副団長になるのにはな、苦労してんだよ。そしてその兄さんのおかげで私は自由な冒険者になれたんだ」
それまでの淡々とした話し方から一変したレティシアさんはまるで別人だ。
「それを、お前たちのせいで。兄さんは上の命令で動いていただけなのに。ヴァルデマール侯爵と結託してただと。そんなめんどくさいことができる人じゃないんだよ!」
レティシアさんの目は大きく見開かれ血走っている。
「だとしたら、悪いのは皇帝ネロアだよ」とユイが言った。
「うるさい! 死にたいのか!」
レティシアさんの短剣を持つ手が怒りで震えている。
「お兄さんを殺したのはイズマイル団長ですよ」
僕は変貌したレティシアさんに気圧されながらも反論した。
「そんなことは知ってる。ネロアのやつもいつかぶっ殺す。イズマイルのやつもな。何が兄さんの陰謀に気がついて已むを得ず処刑しただ。そんなわけないことは分かってる」
「じゃあ・・・」
「だが、とりあえずは余計なことをしてくれたお前ら3人だ。お前ら3人にはここで死んでもらう。お前ら3人がいなければ兄さんが死ぬことはなかったんだ! 特にハル、お前がな!」
レティシアさんは、ユイの首元に短剣を当てたまま僕を睨みつけた。
「あのときのことを知っているんですか?」
「兄さんの部下から聞いた。あのとき本当は何があったのかをな。兄さんだってな、少しは慕ってくれる部下もいたんだよ」
確かにあのときネイガロスやエドガーの部下の黒騎士団員たちがいた。イズマイルも団員たちを皆殺しにしたりはしなかった。
「話を聞いて、すぐお前たちを追いかけたんだよ」
「それで4階層で僕たちを待ってたんですね」
「そうだ。幸いお前たちは3人でパーティーには空きがあった」
レティシアさんが僕たち3人のパーティーに加わった経緯は変だとは思っていた。だがいつしか、それを忘れていた。
そうか・・・。
ネイガロスにも慕ってくれる妹や部下がいたのか。どんな人間にだって表もあれば裏もある。ネイガロスだって上の命令に従っただけで根っからの悪人というわけではなかった。僕が帝国の政変になんて首を突っ込まなければ。
そういえば・・・。
あの秘密の通路でネイガロスと話したとき、ネイガロスはクリストフにずいぶん嫌悪感を持っているように感じた。それに皇帝も魔族なんじゃないかと僕が指摘したら、ネイガロスだけが動揺していた。
僕のせいでレティシアさんはお兄さんを亡くした・・・。
「ハル、しっかりして! ハルのせいじゃないよ!」
ユイ・・・。ユイの言葉に我に返った。
「ハル様! ユイ様の言う通りです。ハル様のせいではありません。ネイガロスを殺したのはイズマイル団長です。そしてネロアの指示に従って動いたのもネイガロス自身の意志なのです。誰かの人生を自分のせいだなんて思うほうが傲慢なのです!」
クレア・・・。
「私はハル様が動いてくれたおかげでレオナルド様が助かったことに感謝しています。私自身の心にけじめを付けることができました。ハル様は自分のしたことに自信を持っていいんです!」
「そうだよハル! クレアの言う通りだよ!」
「お前らうるさい! 黙ってろ!」
クレアはレティシアさんの目を見ると「もっと早く私たちを殺せたんじゃないですか?」と尋ねた。
レティシアさんはクレアの問に「ふん、そうかもしれないな。最初に会ったときも罠だと教えなければな。だが、魔物じゃなくて私の手で殺そうと思っていたんだ。この手でな!」と答えると「それに5階層の秘密にも興味があったからな」と付け加えた。
「それは違いますね。レティシア様!」
クレアが大きな声でレティシアさんの言葉を否定した。
「レティシア様には覚悟を決める時間が必要だったんですよね。私たちを殺す覚悟をする時間が・・・」
「・・・」
「レティシア様は、すぐには私たちを殺せなかった。決断するのに時間が必要だったんです」
「そんことはない!」
レティシアさんは大声で言い返す。
「いえ、レティシア様は迷っていたんです。だから今まで私たちを殺せなかった。チャンスは何度でもあったのに。だったら後悔する前に止めたほうがいいですよ」
「クレアの言う通りです、レティシアさん。きっと後悔します」
そうだ。あのときクレアも迷っていた。レティシアさんの気持ちを一番分かっているのはクレアだ。
「うるさい! くそー! クレア、まずお前からだ。私の魔法で殺してやる。動けばユイが先に死ぬ」
いくらクレアでもこんな至近距離で魔法を食らったら。
「クレア、逃げて! ハルも。二人だけなら逃げられるよ。このままじゃあ・・・」
「ユイ、余計なことを言うな!」
絶対絶命だ。でもユイを見捨てることは絶対にできない。もちろんクレアもだ。
そのときドスドスと何かが近づいてくる音がした。
「あれは・・・」
「ハル様・・・」
あれはフェンリルだ。しかも3体いる。
先頭に立って逃げているのは・・・。
「アルベルト・・・さんですね」
クレアの言う通りだ。
アルベルトさんは、さすがの身体能力で逃げている。盾は持っていないようだ。だけど、フェンリルは速い。フェンリルたちが引き返さない限りアルベルトさんが逃げ切るのは無理だ。
もうこの周辺に3体のフェンリルが湧いたのか? いや、それどころじゃない。
「た、助けてくれー!」
アルベルトさんが叫ぶ。レティシアさんも呆気に取られている。
ドン!
「うっ!」
ユイがレティシアさんの隙を見逃さずにレティシアさんの胸に肘打ちを食らわせて逃げ出した。
「ユイ!」
「ユイ様!」
とりあえずユイは助かった。だけど一難去ってまた一難だ。
「助けてくれ!」
また、アルベルトさんが叫ぶ。
「黒炎盾!」
僕は何かあったときにユイを守ろうとさっきから準備していた二段階限界突破した黒炎盾をフェンリルとアルベルトさんの間に生成した。
バシン!
バシン!
フェンリルたちが黒炎盾に激突している。
「ハル、だめだ!」
そのときアルベルトさんとは別の大声が聞こえた。スレイドさんだ。
「アルベルト! お前なんてことを! おかしいと思って来てみたら。そうか前のときもお前の仕業だったんだな!」
一体、何が起こっているんだ。




