5-31(ヒューバート).
ここは帝都レドムに近いジャール砂漠にある失われた文明の遺跡の一つだ。その遺跡の通路に無数の龍のレリーフが描かれている場所があった。クリストフが壁に描かれた一体の龍の目に触れ魔力を流すと低い擦れるような音を立てて壁が移動し地下に続く階段が現れた。
おおー、と言う感嘆の声がヒューバートの連れている白騎士団員たちから漏れた。
「こんなとこに」
ヒューバート自身も思わずため息を漏らした。
「どうだ驚いたか」とクリストフはまるで自分の手柄のように言った。
「ええ、正直驚きました」
「レオナルドも同じことを言っていた」
「レオの魔力にも反応したんですよね」
レオナルドはそれを確かめるためクリストフと一緒に先にここを訪れたはずだ。
「ああ、問題なくレオナルドにも開けることができた。レオナルドもこの後すぐに部隊を率いてここに来るはずだ。」
「ゼードルフたちは・・・」
「計画通りすでに中にいる。私が案内した。この中には脇道や広間がいくつかある。すでにゼードルフたちはその一つで待機している。ゼードルフたちも予定の時間には集合場所の大広間に現れるだろう」
クリストフの指示により、別働隊はヒューバートの部隊、ゼードルフの部隊、レオナルドの部隊の3つに分かれ別々に行動している。反乱軍の動きがある程度皇帝側に漏れているのは想定済みだ。なんといってもこれは挑発なのだから・・・。それでもこの場所だけは知られるわけにはいかない。そのため、もともと数の多くない別働隊をさらに3つに分け慎重に行動しているのだ。
「本当に俺たちと一緒に来るんですか?」
「ああ」
「最初の計画ではクリストフ様はグレゴリーたち本隊と一緒に行動する予定だったはずですが?」
「私だって、ネロアの最後を見届けたいんだ」
「そうですか」
思ったより勇気があったのか、それとも自身が皇帝になるのが現実味を帯びてそれらしくなってきたのか、ヒューバートには分からない。
「とにかく、常に安全な場所にいるようにしてください」
なんといってもクリストフは『聖なる血への回帰』の旗頭だ。
「降りるぞ!」
ヒューバートはこの通路を目にして高揚しているが態度には出さず先頭に立って階段を降りる。クリストフは全員が通路に入ったことを確認するともう一度魔力を通して扉を締めた。
ヒューバートの後に20人の白騎士団員とクリストフが続く。建物3階分くらいもの高さを降りた先には通路が続いていた。通路は思った以上に広い。
ここまでは拍子抜けするほど順調だとヒューバートは思った。
ヒューバートとクリストフたち22人は灯りの魔導具を手に薄暗い通路を急ぐ。ヴァルデマール領から出陣する予定の約500人の白騎士団が正面から黒騎士団と衝突している間に、ネロアとその家族を殺すのが別働隊の役目だ。レオナルドやゼードルフの部隊も合流することになっている。全員で50人以上の精鋭部隊になる予定だ。
これなら成功するとヒューバートは思った。なんといっても例の女魔族との契約がある。グレゴリーたちはイチイチも含めた予想以上に多くの黒騎士たちを引き付けてくれるだろう。
そう思いながらも、ヒューバートはこの先に幸運が待っていることを祈らずにはいられなかった・・・。
ヒューバートは辺りを確認しながら慎重に進む。通路は長い間使われていないにしてはそれほど傷んでいないように見える。
「地図の通りだ」とクリストフが地図を確認しながら言った。これまでのところ地図の通りに通路は続いている。いくつかの分岐も地図のおかげで正しい道を選択することができた。もともとそれほど複雑なものではない。
通路はジャール砂漠から皇宮の深部に繋がっているためかなり長い。ちょっとした迷宮のような規模だ。一度広間のような場所で休息を取る。不思議なことに広間は比較的明るい。次の広間がレオナルドたちとの待ち合わせ場所だ。ヒューバートたちが一番乗りのはずだ。
一行は休息の後、再び通路を進む。
休息の後、3時間くらい歩いて先程より大きな広間に到着した。
「ここだ」とクリストフが言った。
ここが集合場所の大広間だ。
「なぜだ・・・」
ヒューバートは呻くように言った。
大広間には30人くらいの騎士がいた。黒騎士団だ。そしてその先頭にいるのは・・・。
「残念だったな、裏切者のヒューバート」
30人の黒騎士団を率いているのはネイガロス副団長だ。ネイガロス副団長は心底馬鹿にしたような口調でヒューバートに呼び掛けた。先頭のヒューバートとそれに続く20人の白騎士団員、その全員が唖然として立ち竦んでいた。
この通路の存在を皇帝側も知っていたのか? だが、それはありえない。トリスゼンの血を引くものにしかこの通路を見つけることはできない。
それなのに・・・?
ヒューバートはクリストフから仄めかされた秘密の通路の存在に賭けて皇帝ネロアの挑発にあえて乗った。リスクがあるのは最初から分かっていた。分かってはいたが・・・。成功を確信していたさっきまでの高揚した気分が今はどん底まで沈んでいる。
俺は、結局ここで死ぬのか・・・。
父上、申し訳ありません。母上、アリス・・・。結局、俺は勝手に突っ走って家族にも部下にも迷惑をかけただけだった。
せめて・・・。
「ネイガロス副団長、父上や母上、それに妹のアリスはこのことについては何も知らない。できれば寛大な処置をお願いしたい。それに部下たちも俺が無理に連れてきたけだ」
「た、隊長!」
ネイガロスはヒューバートの必死の願いには返事をせず別のことを話した。
「ヒューバート、お前が首謀者なのは分かっていた。最初からな」
「最初から? どういう意味だ」
ネイガロスはヒューバートの質問に不機嫌そうに答えた。
「お前はどうせ死ぬんだから、教えてやる。クリストフ様は最初から我らと通じている。お前はクリストフ様を説得していたつもりかもしれないが、クリストフ様のほうがお前を唆していたんだ。この通路の存在を仄めかしてな」
「ま、まさか・・・」
ヒューバートは驚きのあまりそれ以上言葉が出てこない。
臆病なクリストフが・・・。あれは演技だったのか?
そういえばクリストフは?
「ヒューバート、お前は私を馬鹿にしていた。説得しながらこの臆病者とな。驚いたか? お前のその顔が見たかった。だからわざわざついて来たのだ」
クリストフはいつの間にか黒騎士たちの側にいた。クリストフの顔は醜く歪んでいる。これがクリストフの正体だったのか・・・。
そうか、クリストフは臆病な振りをして実は俺を煽ってたのか。それなら、ネイガロスたちがこの通路の存在を知っているのは当たり前だ。
ネロアが俺たちを挑発しているのは最初から分かっていた。だがクリストフもグルだったとは・・・。所詮ヒューバートが勝てる相手ではなかったということか。ヒューバートは全身から力が抜けるのを感じた。
「ヒューバート、礼を言わせてもらうよ。お前のおかげで白騎士団の中でも特に排除すべき反乱分子が誰なのかが分かった。ネロア様の狙いは最初からお前だったんだよ。真っ先に挑発に乗ってくるのはお前だろうとクリストフ様から報告を受けていた。いやー、予想した通りに動いてくれて感謝するよ。人質まで取って反皇帝派を集めてくれたんだからな。クリストフ様はな、もうずいぶん前から皇帝派だ」
お、俺は利用されていた。俺のせいで俺の家族もレオも・・・グリゴリーも・・・。ヒューバートを絶望が襲う。
「頼む。ネイガロス副団長、俺はどうなってもいい家族だけは、家族の命だけは助けてくれ! それにレオナルドたちは脅されて協力しているだけだ。クリストフ! お前だって知っているだろう!」
「その顔だ! その顔が見たかったんだ」
だめだ。クリストフは話にならない。こいつは狂っている。
ネイガロスのほうは何も答えない。当然だ。さっきネイガロス自身が言った通りレオナルドたちが脅されているのは分かっている。その上で反皇帝派を全員排除しようとしているのだ。
「ヒューバート投降しろ。まあ、投降したところで極刑だがな」
ここにきてヒューバートは己の愚かさを悟ると同時に覚悟を決めた。部下たちの助命も受入れられそうもない。ネイガロスたちの目的は反乱分子の排除であり白騎士団の弱体化なのだから。
「くそー! 投降などしない!」
ネイガロスは馬鹿にしたようにヒューバートを見た。
「投降しないなら無駄話はここまでだ」
ネイガロスは剣を抜いた。その後ろにいる30人近くの黒騎士団員も戦闘態勢を取っている。この広間が狭く感じるほどだ。なんとその中には第一大隊の隊長でイチイチの隊長でもあるエドガーもいる。ネイガロスと同じく武闘祭の優勝者だ。全く勝ち目はない。
「ネイガロスよ、さっさと終わらせてくれ。そろそろグレゴリーたち本隊と合流せねばならん。なんといっても私が反乱軍の旗頭なんだからな。もうヒューバートの絶望する顔は見飽きた」
く、クリストフ! ヒューバートの唇から血が滴り落ちた。
覚悟を決めたヒューバートは剣を構えた。
だが、ヒューバートの後ろにいる20人の白騎士団員は唖然として立ち竦んでいるだけだ。
もう勝負は決まっている。ヒューバートたちは全員ここで死ぬのだ。ここにいるヒューバートたち白騎士団21人がネイガロスやエドガーを含む黒騎士団30人に勝てるはずもないことは全員分かっている。武闘祭の優勝者というのはそれほどまでに強い。まさに一騎当千の強者だ。しかも人数も相手のほうが多いのだ。
ヒューバートの後ろにいる白騎士団員たちは戦意を喪失している。それでも、ヒューバートの部下たちものろのろと剣を抜いた。誰だって死にたくはない。
父上、申し訳ありません。俺のせいでメンター家は・・・。
「ネイガロス、バルトラウト家の犬が、俺は絶対に引かない」
ヒューバートはネイガロスを睨みつける。
「ふん、臆病者がやっと覚悟を決めたか。それに免じて俺が自らあの世に送ってやろう」
ネイガロスはそう言い終わると、あっと言う間に間合いを詰めて剣でヒューバートの胴を払った。
「ぐわっ!」
ヒューバートの持っていた剣が、カランと間の抜けた音を立てて床に落ちると、ヒューバートは腹を抱えて蹲っていた。
一瞬の出来事だった。
これが武闘祭優勝者にして帝国から剣聖の称号を与えられているネイガロスの実力だ。ヒューバートは甘すぎだったのだ。ヒューバートはあまりの実力差に笑えてきた。
「つまらん。これでネロア様に逆らおうなどと。まあ、一撃で死ななかっただけ褒めてやろう」
ネイガロスは蹲ったままのヒューバートを見て吐き捨てるようにそう言うと「皆殺しだ!」と部下たちに指示した。
ネイガロスはこの後、レオナルドの部隊とゼードルフの部隊を始末しなければならない。始末しやすいように反乱軍が別働隊と呼んでいる部隊を3つに分けてこの通路に侵入させたのもネロアの指示でクリストフがやったことだ。
ネイガロスは思う。それにしても気持ちのいい仕事ではない。クリストフも気に食わない。
ネイガロスは喜々として次々と白騎士団員たちを殺しているエドガーを見た。どうやら、そう思っているのはネイガロスだけらしい。ほとんどの黒騎士団員、特にネイガロスやエドガーと同じ『皇帝の子供たち』はネロアの指示に何の疑問も持っていない。クリストフも自分を担ぎ上げようとしてくれていた白騎士団員たちが殺されていくのを無表情に眺めている。
考えてもしょうがない・・・。
どうやらこの場にいる皇帝派の中で最も人間的な感情を持っているのはネイガロスのようだ。
ふーっと、溜息を吐くとネイガロスも殺戮に加わった。




