5-13.
ヒューバートは何度目かになる説得のためクリストス・ヴァルデマールの帝都にある屋敷を訪れていた。
帝都はいよいよ武闘祭の本選が始まり、観光客も増えいつも以上に雑然としている。熱に浮かされたような雰囲気と言ってもいいだろう。だが、ヒューバートにとってはそれどころではない。黒騎士団は武闘祭の警備などに人を取られている。武闘祭の間にクリストフをなんとしても説得したい。
ヒューバートはいつも以上の決心を胸にクリストフと向かい合っていた。
「クリストフ様、決断の時です」
「だ、だがヒューバートよ。これは明らかに皇帝の・・・ネロアの挑発だ」
ネロアと口にするクリストフには怯えが見える。
クリストフは少しでも威厳を保つためなのか生やしている顎髭を撫でている。クリストフの髪の色は青だ。真っ青ではなく少しくすんだ暗い青だ。青い髪はトリスゼンの血を引くものに時折現れる。普通は魔族のようだと嫌われてもおかしくない髪色なのに、それが高貴な血の証拠になるのだから世の中はおかしなものだ。おそらくは魔力が多いせいだと思うが。
臆病な奴だと軽蔑する気持ちが表情に出るのを抑えて、ヒューバートは「クリストフ様、だからです。皇帝は私たち旧貴族を侮っているからこそ挑発しているのです。仮に我らが挑発に乗ったとしても、簡単に退けられる。その自信があるのです」と言った。
「実際、そうなるのではないのか? 白騎士団では黒騎士団の相手にはならないだろう。黒騎士団には『皇帝の子供たち』が多く所属している。そうだ、過去の武闘祭優勝者が二人もいる。たぶん今年ももそうなるだろう。おまけに」
「獣騎士団もいる。特に、上級でも上位の伝説級に近い魔物ワイバーンが3体もいますね」
ヒューバートは、今日この場に来る途中でも帝都の空を旋回するワイバーンを見た。
「分かっているのなら」
「詳しくは言えませんが、ワイバーンについては策があります」
「策が?」
「ええ」
「それは一体」
「今は言えません。でもクリストフ様、私を信じて下さい」
ヒューバートはクリストフを睨みつけるように見つめる。ヒューバートも必死なのだ。あの女魔族との悪魔の契約・・・。カイゲルが白騎士団の団長になるなどいうふざけた話を聞いてから、これはクーデターを仕掛けるしかないと思っていた。そう、かってガニス・バルトラウトがやったのと同じだ。そこへあの魔族の提案だ。
これはチャンスだ!
天は我らを見捨てなかったのだ。一時的に帝国が弱体化したとしても、また強化すればいい。ここはルヴェリウス王国ではない。ゴアギールと隣接しているわけではないのだ。
ヒューバートは知っている。目の前のクリストフは見ての通りどうしようもない臆病者だ。だが、その心の裡には抑えきれない権力欲を秘めており、バルトラウト家に対する卑屈な鬱憤が爆発寸前なことを。
「だ、だが、例え獣騎士団を抑えられたとしても、やはり黒騎士団には」
「確かにまともにぶつかればそうでしょう。ですが、皇帝さえ弑すればいい。黒騎士団などいくら強かろうが、なんの志も持たないただの戦闘集団です。正当な資格を持つクリストフ様が皇帝になれば、結局黒騎士団も従うでしょう。クーデターを起こし皇宮にいるネロアとその家族さえ殺せばいいのです」
クーデターという言葉に身震いしたクリストフだが、クリストフこそ正当な皇帝となるべき者との言葉にクリストフの表情が変わったのをヒューバートは見逃さなかった。
あと一押しだ。
「そこでクリストフ様の協力が必要です。いつだったか、仰っていた皇宮の秘密のことです」
あの秘密が本当なら皇帝の不意を突くことができる。帝都ガディスはガラティア闘技場を見ても分かるとおり、もともと古代文明の街の上に作られている。
「い、いや、あれはただの冗談で、私も詳しく知っているわけでは・・・」
「・・・」
ヒューバートは黙ってクリストフが決断するのを待った。
しばらくして、クリストフは、ふーっと大きく息をすると「分かった。ヒューバート、確かにあれはある。だが、あれがあるからと言って必ずく、クーデターが成功するわけではない」と言った。クリストフにはなおも怯えが見えるが、自身でクーデターという言葉を口にした。
「それはそうでしょう。さすがになんのリスクも無しに、ことが成就しないことくらいは分かっていますよ」
「だが、条件がある」
臆病なクリストフにしては妙に目が座っている。やっと決断してくれたのだろうか。
思えば、ここまで来るのにずいぶん時間がかかった。ヒューバートがクリストフの懐に飛び込んだ何年も前から、クリストフに決断することを促し続けていた。それはまるで子供のお守りをするようなもので、おだてたり、たしなめたり、また鼓舞したりと・・・まあ、大変ではあった。
だが、それも遂に報われそうだ。ネロアがあからさまな挑発をしてきたおかげでもある。ならこっちは逆にそれを利用するだけだ。
「クリストフ様、条件とは?」
「ヒューバート、我らが帝国を正道に戻すために立ち上がるとして白騎士団のうちどれくらいのものが賛同してくれると思う?」
ヒューバートは「そうですね」と言って、何人かの旧貴族出身の白騎士団の隊長クラスの者の名前を上げた。
「これらの者とその部下たちは確実に立ち上がってくれるでしょう」
「だが、それでは白騎士団200にも満たないな」
「ですが、ぜードルフがいます」
ゼードルフは白騎士団の中の魔術師部隊を率いている男で大魔道士と呼ばれている。もともと多くの魔術師を排出している名門貴族の出身で帝国最高の魔術師と言われている。自らの扱いに不満で、俺は白騎士団の部隊長なんかで終わる男じゃない、が口癖だ。
「500だ! 白騎士団500が我らに賛同してくれるとの確信が得られたら私も立ち上がろう」
ヒューバートはクリストフの言葉を反芻する。
500・・・。大きく出たものだ。臆病なクリストフらしい。まあ、確かにゼードルフに加えて500いれば、とりあえずの時間稼ぎはできるだろう。そしてその間にネロアとその家族を・・・。
「しかし、そこまで大きく動けば、こちらの動きがバレる可能性も高まります」
「これは挑発なんだから今更だ。特にレオナルドの協力はほしい。親友なのだろ?」
レオナルド・ビダル。ヒューバートの親友でありビダル家の嫡男だ。レオナルドの母がクリストフの姉であり、レオナルドはクリストフの甥でもある。それなのにクリストフとはあまり親しくない。ビダル家は武門の家であり現ビダル伯爵は白騎士団の副団長だ。レオナルド自身も第三大隊の隊長で第二大隊第三部隊の隊長であるヒューバートより地位も上だ。
「親父のほうは腑抜けだ。だがレオナルドは若く理想に燃えている。それにヒューバート、お前の親友でもある」
もともとヒューバートもできればレオナルドの協力は仰ぎたいと思っていた。あいつは隊での人望もあるからレオナルドが参加すれば、ずいぶん人数も増えるだろう。
「確かにレオナルドは理想に燃えている。ですが合理的な考えの持ち主でもあり、見かけより慎重な男です」
「そうだな」
普通に説得できればいいが、これまでのところ上手くいってない。ヒューバートはレオナルドの顔を思い浮かべる。無理に協力させる方法があるとすれば・・・。
「クリストフ様、レオナルドだけではなく500もの白騎士団員をクーデターに参加させるためには、少々強引な手段が必要です」
白騎士団全体で皇帝派に反感を持っている者は500どころか大半がそうだ。だが実際にクーデターに参加するかといえばそんなことはない。
「強引な手段?」
「クリストス様は暫くの間、人を隠すのに都合の良い場所を知りませんか?」
「人を? まさかヒューバート、お前・・・」
「そのまさかです。クーデターが、いえ革命が成功すれば、結局彼らは感謝することになるのですから、止むを得ないでしょう」
そう内心で皇帝派に反感を持っているのは事実なのだから・・・。
クリストフの目が泳ぐように宙を見つめている。
ふん、臆病者め!
ヒューバートは、クリストフ自身の決断を揺るぎないものにするためにも、クリストフを深く計画に関わらしておく必要があると考えた。
「ヴァルデマール領にはサクラ迷宮がある」
クリストフはしばらくするとそう言った。
クリストフの言う通り帝都ガディスを中心とする皇帝の直轄領に隣接するヴァルデマール領にはサクラ迷宮がある。サクラ迷宮はエニマ王国のエラス大迷宮などと比べれば小規模な迷宮だ。すでに最下層まで攻略されている。それでも帝都ガディスへの魔石の供給によりヴァルデマール領に大いに貢献している迷宮である。騎士の訓練に利用されることもある。
「それは知っています」
「サクラ迷宮の中の安全地帯の一つが私の私有地になっていて、そこに私の別邸がある」
なるほど、迷宮の中に別邸が・・・なんに使っているのかは知らないが臆病者らしい。
「私の部下で武では、それこそ『皇帝の子供たち』にも引けを取らない者がいる。武闘祭に出てもおかしくないほどの手練れだ」
ほう、ヒューバートも知らない『皇帝の子供たち』にも引けを取らない者を確保しているとは、クリストフもなかなか侮れない。
「別宅の警護はその者にさせる」
ことが終わるまで、絶対に取り返させない・・・そういうことか。
「分かりました。レオナルドを含めて協力者が白騎士団の500以上になるように動きます。説得が難しい者についてはクリストフ様に相談することにします」
「分かった」
ふん、臆病者もやっと開直ってくれたようだ。
ヒューバートは追加で協力者になりそうな者たちと、それらの者たちを確実に協力者にする方法を考えながらクリストフの屋敷を後にした。
こうしてヒューバートは革命の成功にまた一歩近づいた。