5-6(ヒューバート).
「メンター隊長、まだ先に進みますか?」
「そうだな。もう少しだけ先に進もう」
「ハッ」
ヒューバート・メンターは帝国白騎士団第二大隊の第三部隊を率いて、3日前からエーデルシュタッドの街に滞在し魔物討伐を行っている。この辺りの治める領主サカリ・ハヴィランド子爵は旧貴族派だ。ハヴィランド領に限らず中央山脈に近い地域では魔物の活動が活発化することがある。そうした場合、地元の騎士や冒険者だけで対処が難しいと判断されれば帝国騎士団が派遣される。その場合、地方領主には旧貴族派が多いので帝国白騎士団の出番となることが多い。
「隊長、ブラックハウンドの群れです」
「ブラックハウンドだと」
中級だ。しかも群れかー。これは厄介だ。
「数は?」
「分かりません。確認できる範囲では20匹以上います」
中級が20以上・・・多い。
今ここには30名の白騎士団員がいる。
今回の討伐には白騎士団第二大隊の第三部隊と第四部隊、それにハヴィランド家の騎士を加えた合計300人が参加している。ハヴィランド家側のリーダーはS級冒険者上がりで有名なテオドールだ。その300人を30人づつに分けて魔物討伐を行っているのだ。中央山脈は巨大な山脈で魔物が活発化している地域も広い。
ブラックハウンドが20匹か・・・相手が中級なら一匹に対してできれば3人以上で挑みたいとこだ。ここは一旦撤退が正解だが相手は素早い・・・。やるしかないか。
ヒューバートが剣の柄に手をかけ部下に指示を出そうとしていたときだった。
「あれはなんだ?」
黒い影がヒューバートたちに近づいくる。四つ足だ。
「リーダーでしょうか?」
ブラックハウンドにしてはずいぶん大きい。
「リーダーだとしたら特殊個体か」
特殊個体だとすれば上級相当かもしれない。これは本当にまずい。ヒューバートの額から汗が滴り落ちる。
4つ足の黒い影はさらに近づく。どんどん大きくなる。
ば、馬鹿な・・・。
大きいなんてもんじゃない!
何だこの化け物は!
「メンター隊長! あ、あれは!」
いくらなんでも大きすぎる。その4つ足の怪物は、断じてブラックハウンドなどではない。その化け物には頭が3つあり、それぞれは奇妙に蠢く鬣でおおわれていた。
「まさか・・・ケルベロスなのか」
ケルベロス、伝説級の魔物だ!
ヒューバートも書物で得た知識で知っているだけだ。こんな人族の生活圏の近くに現れるはずのない魔物だ。ヒューバートが聞いたことがあるのは、過去に魔王が操っていたとか、エラス大迷宮の5階層だか6階層だかで目撃されただの、真偽不明の話だけだ。
だが、これで今回の件に魔族が関わっているのが確定した。なぜなら魔族にしかみえない紺碧の髪に額から一本の角を生やし赤い目をした女がケルベロスの背に乗っていたからだ。魔族がケルベロスを使って中央山脈の魔物を嗾けた。これが今回の件の真相だろう。中級程度の魔物ならケルベロスから逃げて人里近くに現れるのも無理もない。
「ひえー」
副官のカリスは奇妙な叫び声をあげるとヒューバートを置いたまま、人がこんなに速く走れるのかと思うような勢いで這うように逃げ出した。部下たちも我先にとカリスに続いた。
「よい部下を持ったな」
女にしては思ったより低い声で魔族がヒューバートを揶揄した。
この部隊は300人を適当に30人ずつに分けたものだから、まあ仕方がない。ヒューバートは意外と冷静だった。女魔族にあまり敵意が感じられないからかもしれない。
ヒューバートが辺りを見回すと、ヒューバートの部下どころかブラックハウンドもいない。ここにいるのはケルベロスと女魔族、それにヒューバートだけだ。
「魔族がなぜこんなところに」
魔族が襲ってくる気配がないので、ヒューバートはできるだけ動じていない振りをして尋ねた。
「魔族がいてはおかしいのか? もう三千年も戦争をしているのだから、何もおかしくないと思うが、まあ、多くの森林を抜け、エラス山の裾を横切り、中央山脈沿いにここまで来るのはそれなりに時間はかかったがな」
魔族の支配するゴアギールはシデイア大陸にある。人族の国家ではルヴェリウス王国だけがゴアギールと接している。そのためここ最近では魔族との戦いはルヴェリウス王国に任されていた。歴史を紐解けば、ヨルグルンド大陸に魔族が現れ戦闘になった話はいくらでもある。だが、ここ200年くらいは、シデイア大陸以外で魔族と戦闘になった例がほとんどなく、ヨルグルンド大陸の国家では魔族に対する危機感が薄れていた。
「わたしたちがヨルグルンド大陸の人族国家を見逃してやっている間に、ガルディア帝国はずいぶんと力をつけたみたいじゃないか。感謝してほしいものだな」
確かにガルディア帝国は魔族との戦いをルヴェリウス王国に任せて国力を増強した。とくにバルトラウト家が皇位を簒奪してからはそうだ。ルヴェリウス王国のヨルグルンド大陸側の領土を難癖をつけて切り取ることさえしてきたのだ。
「だが、それもそろそろ限界だ」
限界・・・。そうか俺はここで死ぬのか・・・。まだ、何も成し遂げていないのに・・・。
ヒューバートがケルベロスと戦って生き残る可能性はゼロだ。ケルベロスの威容を見れば例えケルベロスを知らなくとも自明だ。だが逃げることもできそうにない。
ヒューバートは剣を抜くと中段に構えた。
「お前死にたいのか」
剣を抜いたヒューバートに女魔族が呆れたように言った。
「・・・」
「一つお前に提案がある」
「魔族が提案など」
「まあ、聞け」
女魔族はヒューバートの言葉を遮って話を続けた。
「お前、ネロアの奴が気に食わないのだろう?」
「・・・」
「我ら魔族は、お前たちが思っている以上に人族国家の内情に詳しい。もう三千年も争っているのだからな。しかもガルディア帝国は今一番勢いのある人族国家だ。我らが情報収集しているのも当然だろう」
女魔族はヒューバートの内心を探るようにヒューバートを見つめている。
「お前はネロアが、バルトラウト家が気に入らない。わたしは人族国家であるガルディア帝国がこれ以上力をつけるのが面白くない。お前がバルトラウト家を倒してくれれば両者にとって都合がいいとは思わないか」
「そんな帝国を弱体化させる話に俺が乗るとでも思っているのか。見くびるな!」
女魔族の表情は変わらない。激高するヒューバートを冷静に観察しているようだ。
「だが、お前はいろいろと働きかけている。特にヴァルデマール侯爵家にはな。私は知っているぞ。お前はその温厚そうな仮面の下に旧貴族でも最も過激な思想を隠し持っている」
「適当なことを言うな」
「適当か。そうかもしれないな。だがお前はやるつもりだろう? 実際、賛同者も増えてきている。大魔導士ゼードルフとかな。あとはクリストフ・ヴァルデマールを説得するだけだ。それに・・・そうだな、できればお前の上司とお前の親友のビダル家の小僧も参加させたい。お前が考えているのはそんなとこだろう? あれらが参加すれば人数もだいぶ増えるだろうからな」
女魔族は、まるでヒューバートの心の中を読んでいるかのようにすらすらと話した。
「なぜ、それを?」
「いや、お前がクリストフ・ヴァルデマールを説得するのを聞いていただけだが。密談をするときは、結界魔法くらい使うべきだったな。しかも皇位簒奪などという物騒な話をするのにあれはないだろう。そんなことじゃあ、絶対に失敗するぞ」
ヒューバートは怒りを抑えて女魔族を睨みつける。
「まだ、クリストフは迷っている。あいつは臆病だからな。だが、さすがに白騎士団まで牛耳られてしまってはな」
この女魔族はずいぶん帝国の内情に詳しい。これまで女魔族がヒューバートに喋ったことは全部当たっている。
「まあ、話の流れからすると、少数の精鋭が皇宮に入りネロアを弑す。ただ、黒騎士団を引き付け時間稼ぎをする者たちが必要だ。むしろ表面的はそっちのほうが本体だ」
正にその通りだ。黒騎士団の大半を引き付けている間に少数の精鋭で皇帝ネロアを弑逆する。基本はそれ以外にない。市街戦などもってのほかだ。ヒューバートが考えている通りのことを女魔族は説明してみせた。
「だが囮ともいえる本体が正面から黒騎士団にぶつかっても、大して時間稼ぎはできないぞ」
問題はそれだ。おそらくクリストフが躊躇っているのもそこにある。やはり黒騎士団のほうが圧倒的に実力が上だ。しかも、こちらが何人の賛同者を集めらるのか・・・。どう考えても大した人数になりそうもない。人数でも劣る反乱軍がいかに黒騎士団相手に時間稼ぎをするか、確かにそれが問題だ。だが、それでもヒューバートはやるしかないと思っている。それに、秘策がある。そのためにもクリストフを・・・。
そうだろうと言うように女魔族はヒューバートを見る。
「わたしが第三大隊を、ワイバーンたちを抑えてやろう」
なんだって!
なんと、女魔族はヒューバートが最大の障害の一つとなると思っていたワイバーン擁する第三大隊を抑えてくれると言う。
「お前たちは、その間に皇帝の首さえ取れればいいのだろう?」
「まあ、ワイバーンたちを抑えるついでに人族が何人か死ぬかもしれんがな」
いや、こいつの目的にはそれも入っているはずだと、ヒューバートは冷静に考える。帝国を混乱させその力を削ぐためにも全く犠牲者を出さないつもりのはずはない。それに獣騎士団と呼ばれる第三大隊に打撃を与えれば、それだけ帝国の力を削ることにもなる。
これは悪魔の取引だ。
ヒューバートたちがバルトラウト家を廃すれば、帝国は混乱し一時的に弱体化するだろう。魔族にとって今一番勢いのある人族国家を弱体化させるのはメリットがある。
一方のヒューバートにとっては、長年の宿願であるバルトラウト家から皇位をトリスゼンの血を引くヴァルデマール家に取り返すことができる。正直、クリストフは臆病な男で皇帝の器には見えないが、それはこの際しかたがない。
将来はヒューバートがトリスゼンの血を引く姫でも妻にすれば・・・。
とにかく臆病者のクリストフを皇帝にすればメンター家やレオナルドのビダル家を始め旧貴族家もその力を取り戻すことができるだろう。
「ガルディア帝国はゴアギールとは接していない。少々弱体化しても我らにすぐに滅ぼされることもなかろう」
女魔族は、どうだと言うようにヒューバートを見た。
「分かった」
ヒューバートは女魔族の言葉に頷いた。考えてみればここで首を横に振っても死ぬだけだ。それなら・・・。
「うむ、お前は賢いし気概もある。レオナルドやクリストフよりもな。後はなんとしてもクリストフを説得するんだな。そもそもそれができなければ大儀もないし誰も付いてこないだろう」
「それは分かっている」
「なら、いい」
女魔族の言う通りだ。もともと言われなくても、ヒューバートはなんとしてもクリストフを説得して革命を起こすつもりだった。
女魔族はその背中を押しただけだ。女魔族の介入により一時的に帝国が弱体化したとしても革命の成功率が上がるのならそっちを取るべきだろう。
女魔族はレオナルドの返事に頷くと「私がしてやれるのはワイバーンたちを抑えてちょっとばかり時間稼ぎに手を貸してやるだけだ」と言った。
「俺が裏切るとは思わないのか?」
「裏切りたければ裏切ればいい。そのときは、この辺りでちょっと暴れてゴアギールに帰るだけだ。帝国は調子に乗り過ぎだからな」
確かに、こいつがケルベロスを使ってこの辺りの魔物を嗾ければ、いやケルベロス自体に暴れさせれば、帝国は相当な被害を受けるだろう。
だが、いくらケルベロスを使おうとも、白騎士団だけでなく黒騎士団も派遣されれば、それこそ1000人単位の騎士が討伐に向かえば・・・。いや、1000人もいらない。『皇帝の子供たち』を始めとする強者を揃えて立ち向かえば・・・。これまでだって人族はドランゴンでさえ討伐したことがあるのだ。
女魔族はそんなヒューバートの考えを読んだように「わたしは帝国で本格的な戦争をするつもりはない。そうなりそうになったらゴアギールに帰るだけだ」と言った。
女魔族の言う通りだ。帝国としてもこいつらをゴアギールまで追って行くことはできない。一方で、この女魔族の目的はガルディア帝国を滅ぼすことじゃない。とりあえず弱体化させることだ。
確かにお互いにメリットがある。ヒューバートはそう判断した。
「あー、そうそう、これはお互いに秘密の取引だ。クリストフにも黙っておけ。それに、クリストフを説得できなければ、この話は白紙だ。そうなれば、さっきも言ったようにこの辺でちょっと暴れてゴアギールに帰る」
こうして、ヒューバートは女魔族と悪魔の契約をして革命の成功に一歩近づいた。




