4-28(天啓).
その日の朝、シルヴィアが広大な大神殿の敷地の一角にある訓練場で汗を流した後、一人の騎士がシルヴィアに近づいてきた。
「シルヴィア副団長、聖女様が会いたがっています。私について来て下さい」
シルヴィアの耳元でそう囁いたの騎士は、ジェイコブス団長の部下の一人だ。聖女の警護にも加わっている。シルヴィアは驚いてその騎士の顔を見直した。その騎士はジェイコブスの部下の中ではシルヴィアと比較的親しい者の一人だ。もっとも最近は話す機会もなくなっていたが。その表情からは何も読み取れない。
シルヴィアは警戒する気持ちもあったが、黙って頷くとその騎士の後に続いた。
シルヴィアは騎士の後について大神殿の人影の少ない通路を歩く。この辺りは普段使われない魔道具などが保管されている場所だ。普段使われていないといっても、先日シルヴィアが忍び込んだ大神殿の奥に保管されているような貴重なものではない。
シルヴィアを案内する騎士の背中の先、通路の先に少し広くなっている場所がある。そこに鼠色のフード付きローブに身を包んだ人物が立っているのが見えた。シルヴィアは警戒を強める。
鼠色のローブといえば・・・。
騎士は鼠色のローブの人物に近づく。そしてシルヴィアも後に続く。いつの間にか騎士は鼠色のローブの人物の後ろに立ち、シルヴィアと鼠色のローブの人物が向かい合う形になった。
「シルヴィアさん」
鼠色のローブの人物はシルヴィアの名を小さな声で呼ぶとフードをとって顔を見せた。
「ユイさん! やっぱりユ・・・」
ドサっと音を立てシルヴィアは通路に倒れた。通路の陰から神殿騎士団の魔術師がシルヴィアに風刃を放ったからだ。風刃はスピードに優れる魔法だ。
「なんてことを! 話が違うわ。シルヴィアさんに会わせてくれるって」
ユイがシルヴィアを回復しようにも回復魔法を勝手に使うことは禁止されている。すると、どこからかジェイコブス神殿騎士団長が現れユイをシルヴィアから引き離した。
★★★
シルヴィアさんから衝撃的な情報がもたらされて以来、僕たちは王宮でドミトリウス殿下の居場所の手掛かりを求めて手当たり次第に様々な人に尋ね歩いていた。シルヴィアさんも教会の本部である大神殿で同じことをしているはずだ。
そんなとき、ある情報がジークフリートさんやボルガートさんを通じてもたらされた。市井で不穏な噂が広まっている。聖女様は偽物らしいと。
「ハル様、ジークフリート様が言った通りです。どうやら聖女様の治療を受けても治らなかった者たちが噂しているようです」
「そうか」
「はい。すでに王宮騎士団員の中にも知っている人がいました」
剣の訓練を通じて王宮騎士団員と親しいクレアは、同じような噂が騎士団員たちの間にも広まっていると報告してきた。
「最上級の聖属性魔法は凄い魔法だけど万能じゃない」
僕が自分に言い聞かせるように話しているのをクレアは黙って聞いている。
「聖属性魔法は病気には効き難い。それに手足を失うような大怪我の場合、怪我をしてから時間が経ちすぎると効かなくなる。たぶんそういった聖女の魔法が効かなかった人たちが噂しているんだろう」
クレアは僕の話に頷く。
「だけど、ここにきて噂が急に広がっているのには意図的なものを感じる。おそらくユイは切り捨てられるんだろう。早くユイを助けないと時間がない」
僕は冷静を装って喋っているが、内心は不安と怒りでいっぱいだ。ユイは切り捨てられようとしているのだ。
最初からユイを偽聖女にする計画が長期間上手くいくはずのないことは教皇派だって分かっているはずだ。ユイはこの世界で英雄といわれているジークフリートさんのパーティーの一員だったのだ。ジークフリートさんがこの国に来て、そしてシルヴィアさんの動きからも、そろそろ限界だと教皇派が判断してもおかしくない。
教皇派がユイを切り捨てようとしているのなら時間がない!
せっかくユイを見つけたのに。隷属の首輪の効力は厄介だ。ユイを安全に取り戻すにはどうすればいいのか。そもそも隷属の首輪を使ってユイを操っているのが誰なのかを特定しなくては何もできない。なんせ隷属の首輪の効力がある限り、ユイにどんな危険な命令が下されるか分からない。
あー、堂々巡りだ。
クレアがそっと僕の手を握ってきた。
「クレア・・・。とにかく行動しなくては、僕には時間がない」
「はい。どこへでお供します。もとはと言えば私の責任です」
クレア・・・。
「クレア、イヴァノフ殿下を尋ねてみよう」
イヴァノフ殿下は、ドミトリウス殿下が排除されれば、普通は次の王の候補筆頭だ。そう普通であれば・・・。
アリウス殿下とは、あれから少しだけ言葉を交わした。ゾーマ神父が亡くなってから元気がないアリウス殿下だが、最近では新しい孤児院の運営に関わっているようだ。ジークフリートさんは永久にこの国にいるわけではないので、将来はアリウス殿下主体で孤児院は運営されることになっているらしい。
イヴァノフ殿下とはしばらく話をしていない。王宮騎士の人を通じて確認すると、幸い時間は空いていたようで、イヴァノフ殿下とすぐに話しができることになった。
「イヴァノフ殿下、ご無沙汰しております」
部屋に入って挨拶をするとイヴァノフ殿下は、前に会ったときと同じようなざっくばらんな様子でいきなり「ハルとクレアだったか、何か面白い話でも持ってきたのか」と訊いてきた。
「殿下はお父様であるフィデリウス王殺害とドミトリウス殿下の拘束についてどうお考えになっておられますか?」
僕はすぐに核心に切り込んだ。
「俺がどう考えようと関係ないだろう」
僕は、そう言ったイヴァノフ殿下の表情がわずかに変化したことに気がついた。
「殿下には何かお考えがあるようにお見受けしますが気のせいでしょうか?」
「気のせいだ」
「そうですか。僕は何もせずとも後継者に決まっているドミトリウス殿下がフィデリウス王を殺害したとはどうして思えないんですが。それとも殿下もしくはアリウス殿下のどちらかは市井の噂とは異なり王になることに興味があって、何か争いでもあったのでしょうか?」
「貴様無礼なやつだな」
「失礼しました。ただ殿下は率直にお話をすることを好んでおられるように思ったものですから」
「答えは否だ。用件はそれだけか」
「殿下は今ドミトリウス殿下がおられる場所をご存知ではありませんか?」
一瞬の間をおいてからイヴァノフ殿下は「知らん」と否定した。
「心当たりはありませんか?」
「ない!」
イヴァノフ殿下は僕の重ねての質問に今度は強く否定した。なんだか怪しい。
「ジェイコブス団長を中心とした教皇の側近だけで取り調べは行われたようです。他の者にはドミトリウス殿下がどこに拘束されているかすら分からない。なんでも宰相が王宮騎士団に捜索させても分からないらしいですね。ちょっと伝手があって冒険者ギルドも動いてくれていますが、それでも分からないんです」
「シルヴィア副団長はどうなのだ?」
「シルヴィア副団長にも分かりません。シルヴィア副団長は教会で教皇に近い一派からは距離を置かれています」
「すでに聖都から連れ出されているのではないのか?」
「ジェイコブス団長たちが頻繁に聖都を留守にしているという情報はありませんし、やはり聖都のどこか、そうでなくても近くじゃないかと。正直あまり根拠はないのですが」
「残念ながら、俺には思い当たる場所はない」
僕はイヴァノフ殿下の表情の変化を見逃すまいと細心の注意を払って話しを続ける。
「イヴァノフ殿下は、このままドミトリウス殿下が罪に問われることになっても良いのですか? ドミトリウス殿下から何の弁明も聞いてないのですよ」
「ジェイコブスの奴・・・」
イヴァノフ殿下は何もない空間を睨みつけるように何かを呟いている。やっぱり、元の世界の有名な宗教家に似ている。
あっ!
そのとき、僕の頭の中に天啓とも呼べるものが訪れた。
そうか!
なぜ今まで気がつかなかったのか・・・。
「殿下、大賢者シズカイのお墓ってどこにあるんですか?」
僕は、興奮で体が震えるのをなんとか抑えて尋ねた。
「大神殿の中にシズカイ様の遺骸があると言われているな」
「言われている?」
「誰も見たものはおらず教会がそう言っているだけだからだ。それにあの神殿は黒髪の聖女シズカイや勇者アレクが活躍した時代よりはだいぶ後の時代の建物だ。原始シズカイ教の教会は別の場所にあったという説もある」
やっぱり・・・。
「なんせ数千年前の話だ。伝説とか神話とかいった類の話にはこと欠かん。例えば、原始シズカイ教の教会からシズカイ様の遺骸を大神殿に移したとすれば、シズカイ様の遺骸が大神殿にあるというのも本当かもしれん」
「それなら、原始シズカイ教の教会があった場所を教皇は知っているかもしれませんね」
「そうだな。教会は古い文献を多く持っている。それこそさすがの俺でも読んだことのないようなものをな。奴らが俺の知らないことを知っていてもおかしくはない」
イヴァノフ殿下は僕の顔を覗き込むようにして「もし、そんな場所があるのなら、兄上を隠すのには丁度いい場所だろうな」と続けた。
「・・・そう・・・ですか。やっぱりイヴァノフ殿下のお話は参考になりますね」
「俺は書物の虫で引きこもりだからな」とイヴァノフ殿下は自虐的な笑みを浮かべる。
「それに単なるおとぎ話だ。それよりジェイコブスの思い通りになるのが気に入らない。あいつの目的は俺たち兄弟が不幸になることだ。あいつはそれだけのために行動している」
「これも失礼な質問ですが・・・」
「あいつの生まれのことなら噂は真実だ。俺たちは本当は四兄弟なのさ。あいつもカラゾフィスの兄弟なんだ。そして兄弟の不幸があいつの望みだ」
イヴァノフ殿下はなぜか薄っすらと笑みを浮かべていた。
そうか。やっぱりジェイコブス団長もカラゾフィスの兄弟で間違いないのか。かなり状況は整理されてきた。
でも、僕はまだ何かを見落としているような気がする・・・。
「そうだ、こないだ話した異説によると、この地で勇者アレクと黒髪の聖女シズカイが倒したドラゴンは普通の奴より強大な個体だったらしい。なんせハクタクさえ喰らっていたって話だからな」
「ハクタクを・・・」
ハクタクはイデラ大樹界に転移した僕とクレアが最初に戦った9つの目を持つ伝説級の魔物だ。
「古い文献で読んだ話だ。ハクタクすら喰らう魔物。まるでお前たちが撃退した火龍のようだな。そしてハル、お前も黒髪だ。聖女が現れた後、お前がこの国を訪れた。もしかしてお前勇者なのか?」
僕は勇者ではない。でも勇者と同じ異世界から召喚された者だ。やはりイヴァノフ殿下は侮れない。
「ま、まさか違いますよ」
「そうか。そういえばその文献にはこうもあった。ハクタクを喰らう龍の目は真実を見抜くとな」
なんで、イヴァノフ殿下はこんな話を?
「それはどういう?」
「さあな。その龍はアレクを勇者と見抜いていたのかもしれないな。まあ、聖女も勇者も俺には関係ない。話はこれで終わりだ」




