4-13(第二王子イヴァノフの話).
さあ、今度こそとりあえず宿に戻ろうかとクレアと話していたら、今度はなんと第二王子が訪ねてきた。
第二王子はイヴァノフ・カラゾフィスだ。
第一王子の次は第二王子だ。この調子なら第三王子、たしかアリウス殿下だったか、にも会えるかもしれない。
この国の王であるフィデリウス・カラゾフィスには3人の息子がいる。ドミトリウス、イヴァノフ、アリウスの三人だ。
そのうちイヴァノフ第二王子は、政治には全く興味がなく人嫌い。めったに表舞台には出てこない。しかし非常に博識で頭が良く天才だと噂されている。何を考えているのか分からず、周りから恐れられ敬遠されている。事前にシルヴィアさんから聞いていたイヴァノフ殿下の人となりは大体こんなところだ。
そのイヴァノフ殿下が、今僕とクレアの前に座っている。くすんだ茶色の髪を無造作に肩まで伸ばしたその容姿は、元の世界でもっと有名な宗教の教祖の肖像画によく似ている。もしくはデューラーの自画像か。
「ハルだったか、火龍が魔族に使役されていたのは間違いないのか?」
イヴァノフ殿下は挨拶もそこそこにそう尋ねてきた。
「はい。最後は二人の魔族を乗せて飛び去りましたから完全に使役されていたと思います」
間違いなく使役されていた。だが、エリルは言っていた。通常の使役魔法で神話級の魔物を使役することはできないと。
「うーむ。いくら魔族とはいえ、神話級の火龍を使役できるとは思えないが。だとすると・・・。いや・・・まさか」
イヴァノフ殿下は、そう言って考えこんでしまった。
「殿下は、使役魔法にお詳しいのですか?」
「魔法についてもいろいろ調べているが、俺が一番興味があるのは魔族についてだ。このあたりに魔族が現れることは滅多にないから、ちょっと話を聞いてみたくてな」
「そうですか。殿下がお調べになったところでは、たとえ上位の魔族であっても火龍のような魔物を使役した例はないのですか?」
「俺が調べた限りではないな。ただ・・・」
「ただ、なんでしょうか?」
「いや、なんでもない」
「それより、お前たちが戦った魔族について聞かせてくれ」
僕とクレアは、鼠男の戦いぶりや最後に現れたメイヴィスと思われる女魔族の様子などを覚えている限りイヴァノフ殿下に伝えた。イヴァノフ殿下はとても興味深そうに僕たちの話を聞いていた。魔族に興味があると言うのは本当のようだ。
中でも、女魔族が火龍に使った回復魔法に一番興味を持ったようだった。回復の様子についていろいろと質問してきた。興味を持っている魔族の話をしているせいなのか、噂に聞くような人嫌いとか気難しいとかは今のところ感じられない。
そこで話が一段落したのを見計らって前にクレアが言っていた疑問について尋ねてみた。
「イヴァノフ殿下はとても博識だと聞いています。それでお尋ねするのですが、勇者アレクとともに遺骸でこの地を訪れたシズカイ様がなぜこの地で神の使いとされているのでしょうか?」
「勇者アレクは亡き恋人であった大賢者シズカイの亡骸とともにこの地を訪れた。ハルはそう聞いているのか?」
「え、違うのですか?」
「いや、そういう話が広く伝わっていることは知っている。だが、この地には別の話も伝わっている」
なるほど。そう言うことか。なんせ二千年前の神話のような話だ。異説が存在してもおかしくない。
「それはどういう?」
「この地を訪れたとき、大賢者シズカイは瀕死ではあったが死んではいなかった。そしてその強力な回復魔法で生き延び。その後数年は、勇者アレクとともにこの地で暮らした」
シズカイは死んでいなかった!
「この地の民のためにその回復魔法を行使し、またイデラ大樹海から現れた強大な魔物を勇者アレクとともに討伐した。ドラゴンを倒した話は比較的有名だな。まあ、あくまで異説だからこの地でもそれほど知られているわけではない」
ドラゴンを・・・。
「なるほど。そんな異説が・・・。この地のためにそれほど貢献したのなら神の使いとされてもおかしくありませんね。でもなぜ勇者アレクではなく大賢者シズカイなんでしょうか?」
「異説では大賢者シズカイは生きてこの地を訪れたが長くは生きなかったとされている。やはり魔王討伐の際のダメージがあったのかもしれない。そして、この地に埋葬された。むしろそのことが大賢者シズカイを神格化したのかもしれないな。もしかして、大賢者シズカイを神格化したのはアレクかもしれないな。大賢者シズカイの死後の勇者アレクのことはほとんど何も伝わっていない」
「シズカイ様が亡くなったのがショックで、今度こそ本当に隠遁したんでしょうか?」
クレアが呟くように尋ねた。
「さあな、とにかく、勇者アレクのことはあまり伝わっていないんだ」
いや、さっきイヴァノフ殿下はアレクがシズカイを神格化したのかもと言った。そうか、イヴァノフ殿下が言いたいのはおそらく・・・。
原始シズカイ教の初代教皇はもしかして・・・。
「まあ、これはこの地で流布している勇者アレクと黒髪の聖女シズカイの物語の一つだ。だが、俺が調べただけでも様々な異説があり、本当のことは誰にも分からない」
「やっぱりハル様が話してくれたように、勇者アレクの愛がシズカイ様を神の使いにしたのですね」とクレアが小声で言った。
「二千年以上前の話ですし本当のところは分からなくて当たり前です。そもそも二人がどうやってこの地にきたのかも分かりませんし」
「それは明らかじゃないのかな」
「それはどういう?」
「この大陸よりさらに北のシデイア大陸からヨルグルンド大陸の南のこの地に魔王に受けた傷が癒えてないない状態で移動する。それができるのは転移魔法陣を使う以外ありえないだろう」
やはりこの人は頭が良い。なんせ僕たちがそうなのだ。エリルだってそうだ。そして何よりタイラ村のことがある。ゴアギール地域やルヴェリウス王国とイデラ大樹海やここ神聖シズカイ教国、両者は考えられている以上に縁のある場所なのだ。鍵を握るのは転移魔法陣だ。
そうだ、だからこそメイヴィスだってこの地に現れた。エリルは言っていた。メイヴィスは魔族の中でも古い一族の出だと。エリルでさえ知らない魔法陣がまだあるのではないだろうか?
「殿下は転移魔法陣のある場所に何か心当たりでも?」
「いや、ないな」
イヴァノフ殿下は即答した。その表情を見ても何も読み取れない。
僕は、最も肝心なことに話題を移した。
天才と言われるイヴァノフ殿下であれば、何か考えがあるかもしれない。
「それはそうと、イヴァノフ殿下は聖女様のことをどう思っているのですか?」
「回復魔法の得意な魔術師だろう。違うのか?」
「ただの魔術師で特別な存在ではないと?」
「俺がどう思っているかなど関係ない。だが、もし本当に特別な存在だとしたら困るのは教会だろうな」
「それはどういう意味なのですか? 失礼ですが、聖女様の存在は教会には都合が良くて・・・」
「兄ドミトリウスの王宮の権力の拡大という目的にはマイナスだと言いたいのか?」
イヴァノフ殿下は僕が言い淀んでいたことを付け加えると「俺は政治には興味がないが、まあ普通はそう思うのだろうな。だが短期的にはそうだとしても長期的には聖女の存在が教会にプラスとは思えないな」と続けた。
聖女の存在は長期的には教会にプラスにはならない?
「聖女の権威が上がっても長い目でみると教会の権威が上がるわけではないということですか?」
「俺の言いたいこととは少し違うな。もし聖女が教会の教え通り神の使いであり、神と一体のもの、もしくは神の慈悲を具現化したものであるとすれば、それは王であろうが教皇であろうがその辺の奴隷であろうが等しく慈悲を与える存在だ。だとすれば、ハルが指摘した通りで必ずしも教皇の権威が上がるとは限らない。だが、俺が言いたいのはそれではない。民衆は奴隷になりたいのだ」
奴隷になりたい?
「そのほうが楽だからですね?」
「ほう、クレアと言ったか? その通りだ。俺の言いたいことはそういう事だ。もしすべての民が自由であり等しく神の慈悲を受ける権利があるとすれば、民が本当に自由だとしたら苦しいだろうな」
自由だと苦しい。そうか、そういう事か。自由とはすべて自分で決めていい代わりにすべて自分に責任があると言うことだ。それは結構苦しいことだ。
クレアにはそれが感覚的に理解できるのだろう。だってクレアは・・・。
「ハル様、私は両親を魔物に殺された後、自分に向き合うことから逃げていたのです。自分で考えることを止め、周りの言う通りに行動してきました。そのほうが楽だからです。今でもハル様に依存しているのかもしれません。ハル様はそれに気がついて、私が正式に奴隷になるのを止めて下さったのですよね? 私の意思で決めなくてはいけないと教えてくださったのですよね?」
「クレア・・・」
いや、僕はクレアに何か教えられような人間ではない。ただ、クレアを奴隷の首輪とかで言うことを聞かせるなんて嫌だっただけだ。
クレアは強くて美人でそばにいてくれるのは正直うれしい。でもやっぱりそれはクレアが心からそうしたいと自分で思ってくれてのことでないとうれしさも半減だ。クレアに教えるとか立派なものではない。
「クレアの言う通りで、人は依存していると楽なのだ。教会の存在意義とは、民を楽にするために、教えを説き、教会の言う通りにすれば救われると思わせることだ。そのため本来の教えに反し教会の中には教皇を頂点とする地位がある。本来は神のもとでは皆平等なはずなのにな。だが本当に神の使いである聖女が現れたとしたらどうなるかな? 教皇より聖女のほうが上、なんせ神の使いもしくは神そのものなのだからな。そして教会の教えが真の意味で正しいということになれば、むしろ教会は困るだろう。いや民も困るな。なんせこれまでなら教皇を頂点とした教会の言う通りにしていればそれが正しいことであり、教えに背くような行動をとればそれは悪であり誤りだと考えれば良かった。実に分かりやすい。それが本当の意味で神の前では聖女の前では教皇も含めて皆平等で自由だと言われればどうかな?」
「教会にとっても民にとっても聖女様は不要ということですか?」
「さっきも言ったように、もし聖女が本物なら長期的には教会には都合が悪いということだ。現状では教会が助かっていることを否定はしない」
「イヴァノフ殿下は聖女様が偽物だとお考えなのですか? いや、そもそも神や聖女を信じておられないのでは?」
「俺は神の存在を信じている」
「なら、どうして・・・」
「俺は神の存在を信じてはいるが、神を信用していない」
「信用していない?」
「もし神が教会の教え通りの存在なら・・・。ハル、お前はこの世界のありようをどう思う? それに、人はなぜこんなにも不完全なのか。最初の質問に答えよう。俺は神を信用していない。だから聖女が本物の神の使いだろうが、偽物だろうがどっちであっても何も変わらない。まあ・・そういうことだ」
イヴァノフ王子はそう言うと、後は自分で考えろとばかりに口を噤んでしまった。
元の世界の最も有名な宗教家によく似た容姿を持つイヴァノフ殿下は、皮肉にも神の存在は信じるが信用はしないと断言した。
こうして僕は、今日一日で、カラゾフィス3兄弟のうち、二人と話をした。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
この辺りの話は作者なりのロシアの文豪の名作へのオマージュとなっています。




