第九話 無意識下での懺悔の心、だから寧ろ酷いカナメの話
存在自体が怨念に塗れた人だった存在の“残滓”であり、黒き陰鬱なる“陰の系統”に区分されているというのに、“それ”らは陰気な存在と言うには対照的な、一切の汚れがない純白の顔色をしていた。
“それ”らは眼窩と鼻腔の空虚な空間を晒し、ゆらゆらと後から後から湧きだし揺らめく闇で構築された肉体で、俺の身体を包みこんでいる。
全身を包みこんでいる言っても、それらに拘束力は全くない。腕を振れば闇を払い除けられるし、俺の行動を妨げるような事は一切できない。そもそも、垂れ流されているだけの闇に拘束力などあるはずがない。
だが、それでも、闇から伝わるこの独特な冷たさには慣れる事はないだろう。という考えは、これを今まで何千何万と経験してきた上で結論が出ている。
しかし、やれやれ、流石にそろそろ“それ”らが俺にぶつけてくる呪いの言葉にも、飽きたというか面倒と言うか、嫌気がさしてきたのも事実である。
ため息をつきつつ、俺は再度“それ”らの声に耳を傾けた。
『ヨクモ殺シテクレタナァ~』
『呪ッテヤルゾ呪ッテヤルゾ~』
『マダ死ニタクナカッタヨ~』
『何デ俺達ガ死ンデオ前ガ生キテイルンダァ~恨メシイ~』
『数日後ニ結婚式ガアッタンダ~ソレナノニ~』
独特な間延びした口調と低く響くおどろおどろしい音程。
これは深い冥府の闇に堕ちる直前だけに聞こえる、俺が殺した死者達の声。
――遺言。
そう、これは言うなれば遺言だ。自分達を殺した俺に対する最後の言葉にして呪いの言葉。
どうせ遺言を残すなら家族や恋人に逢いに行けばいいものを、と思ってしまっても仕方がない事なのだろう。彼らの意思で俺の方にくるのだし。
はぁ、と再びため息をついた。
男どもにモテても嬉しくもなんともないというのに。
もう一度“それ”らを見る。
頭部は白骨化した頭蓋骨で、それより下は実体のない闇で構築された身体。闇がまるでローブのように揺らめいて身体の様に見えなくもないが、その中には手も足も臓器も筋肉も血も、凡そ生命活動が可能な器官一切が何もない。
当然だ。
“それ”らは亡者。肉体が死んで、魂だけとなった哀れな存在。生前の名残りとして白骨化した頭蓋骨だけ実体があるが、首から下は俺に対する怨念の闇で形作られた魂の残滓。
死者の数はおよそ万。最早人ではなくなった存在に単位などありはしない。哀れな哀れな消え逝く化物共。
「死んだのはお前達が弱かったからだろうが。死んでまで化けて出てくるなよ。さっさと逝け」
死んだ後も動いていいのは、動く死体とか貪る死体とか死者の王とかそういった魔獣か魔族だけで十分だというのだ!
魂の残滓共は逝ってよし! というか早く逝けよ。面倒だし迷惑だ、と思ってしまっても当然の事だと思うのだが。
『恨メシイ~恨メシイゾォ~~!』
『呪ッテヤル~呪ッテヤルゾ~~!』
『オ前サエイナケレバ~~!』
『地獄ニ堕チロ~~!』
俺の思いを余所に、亡霊共の声が一際大きくなった。
視界一面にぎっしりと敷きつめられた白い頭蓋骨の壁から、俺に向けて一斉に呪言が放たれる。呪言と呪言は共鳴し、濃厚なる負の感情がある種の力場を形成してこの世界――俺の夢の世界を振わせる。
慣れない者ならこれだけで気が可笑しくなってしまうかもしれない。それほどまでに濃い呪言だ。特一級の呪いに勝るとも劣らない、人が生み出し得る最高級の呪い。
しかし俺に言わせれば、それがどうしたというモノ。
俺がこの何倍何十倍の呪言を聞いてきたと思っているというのだ。ハッキリ言って、経験が違うのだよ経験が。
俺を狂わせたいと思うなら、最低でもこれの三倍は持ってこい!!
「最終警告だ。さっさと逝くか、まだ俺の邪魔をするのか、十秒だけ待ってやる」
とりあえず、哀れな亡者達に選択肢を与えてみる。
それで相手がまだ逝かずに留まるというのなら、罰を与えればいいのだし。
五秒が経過した。
亡者達に変化はない。というか、俺の視界から見える頭蓋骨の数に変化は無いのでそう言うしかない。
八秒が経過した。以前変化なし。
そして十秒が経過した。
これも変わらず変化なし。
有言実行をモットーにしている俺としては、面倒ながらも亡者達に罰を与えねばならなくなってしまった。ああ、とてもとても残念でした。
さっさと逝けば良かったのに……。
「あ~はいはい。そうかいそうかい、逝きたくないんだったら留まればいいさ。ただし、地獄に堕ちるよりも苦しいかもしれないけどな」
俺は“口”を開いた。顔にある口ではなく、両手の掌にある、二つの口を。
そして合掌。合掌した時に掌の口と口が重なり、唇が無いため歯と歯がぶつかってカチンと音が鳴る。
その音を聞きながら、俺は静かに目を瞑った。
生前一度俺が殺し、こうして再び殺す事になった愚かで哀れな亡霊共に形式だけの祈りを捧げる。
「グッバイそして苦痛の中で消え失せろ」
掌の口を使って、俺は亡霊共を喰らった。
掌を翳した直線距離五メートル以内に居た頭蓋骨の亡霊共が、一瞬で消え去った。なにが起きたのか分かっていないらしい亡霊共をあざ笑いつつ、密集し過ぎた亡霊共を片っ端から貪り喰う。躊躇なく、喰い荒す。
今は呪言が響いているが、それもすぐに消え去る事だろう。
叫び続ける亡者と、喰らい続ける俺。
亡者の呪言は俺に対して効果を発揮せず、逆に俺の捕食は確実に亡者の数を減少させる。
実体があるのが頭蓋骨だけという特性を遺憾なく発揮していた亡霊たちは、俺を起点とした直径十メートルという空間に万にも及ぶだろう数が集まっている。
前後左右だけだったならば流石に全てが密集するのは無理だったかもしれないが、ここには地面という概念が有って無いような夢の世界。足元も頭上も全てが全て、亡霊共によって埋め尽くされていた。
というか、俺が居る場所から十センチも離れれば、そこは全て頭蓋骨によって埋め尽くされている。俺を包んでいる闇は、多すぎる頭蓋骨から流れ出た濃厚な闇によるものだ。
亡霊どもの囲い。頭蓋骨で形作られた白い檻。頭蓋骨のプール。
それが俺がさっきまで見ていた風景。
しかし、それらは一瞬で変化してく。
まず初めに白い檻に起きたのは、二点の虚空。俺が一番最初に喰らった箇所だ。
次いで起きたのが、点が線になっていく事。俺が腕を動かして、直線状になる全てを喰らっているからだ。
そして線は幾つも折り重なり、徐々に大きさを増していく。
線はやがて面と成り、その大きさは時を追うにつれて巨大化していった。
三秒もすれば、檻の一画には大きな孔が出来上がったいた。
そこでようやくなにが起きていたのか気がついたのか、亡霊共は一斉に逃げ出そうと蠢きだす。
だが、その行動は遅かった。反応もそうだが、何よりも動きがトロい。
嘲笑を浮かべながら思う。自分の事なのに、どうやら亡者共は知らなかったらしい。
闇でできた亡霊の身体は、素早く動くことはできないと言う事を。一度実験して分かった事なのだが、亡霊は最速で子供が歩くような速さしか出ないようだ。
推測するに、闇の身体は動くというのに不向きなのだろう。というか、慣れない肉体を上手く動かせないのかもしれない。
それを知る俺は当然、それを見逃すはずが無い。
というか、獲物を前にして舌舐めずりは三流のすることだ、とか言ってみたり。
「さっさと逝けばよかったのにな。どんまい」
カナメは心底呆れたようにそうぼやいた。
カナメにとって、これはただの掃除のようなもの。自分の夢を触媒にして精神に干渉してくる亡霊共を、規格外の能力を使って駆除していくだけの単純作業。ただ喰い散らかし、それで終わり。
それから万の亡霊全てを喰らい尽くすのに、使った時間は僅か十秒ほど。
たった十秒ほどの時間で、万の亡霊は成仏する事も化物に成り果てる事も出来なくなった。カナメの両掌にある“口”に喰われることによって、亡霊達は存在や魂の根源ごと捕食されてしまったからだ。
これより亡霊達は輪廻の輪から乖離し、カナメの内で飼い馴らされる事になる。
それは家族や恋人を残して死んだり、身体を十数の剣で貫かれる事よりも残忍で苦痛を伴う事だろう。自分を殺した張本人によって飼われるというのは、屈辱的でただひたすらに辛い。
これはある種の、魂の奴隷化と言える行為だった。
「あ~胸糞わりぃ。死んでまで俺に殺されるとか、どれだけ馬鹿なんですかまったく。少しは学習しろよ」
万の亡霊を喰らいし魔神――カナメは、そんな事を呟いた。
目が痒いのか、手の甲で目元を拭っている。
「さっさと成仏しろよな、まったく」
カナメは敵には容赦がない。自分から先制攻撃をしない代わりに、敵対し攻撃してきた存在には、女子供でも容赦なく殺しつくす。そこに同情や施しを与える事は一切ない。ただ圧倒的なまでの戦力を以て駆逐するのみ。
それは先ほど吸収した万の亡霊達の事でもよく分かる事だろう。例え魂になろうとも、自らの邪魔をする者は隷属化という非道を強いる。
だから、これはきっと幻なのだろう。
目元を拭う手の甲が、僅かに湿り気を帯びているというのは……。
◆ ■ ◆
時は深夜過ぎ。
広大な草原の中に、一つの帆馬車の姿があった。
草原の名前は“アクッティアス”。魔獣の強さを決める七段階の階級で、上から四番目に当たるニ級に分類される魔獣――トライホーンウルフが群れをなして生息している事で有名で、その他にも夜になるとトライホーンウルフを喰らう夜行性のイ級の地角竜が出現する、有名な危険地帯だった。
一応街道は通ってはいるのだが、通常の商人や傭兵にとってあまりにも危険極まりないため、そうそう通る者がいない寂れた場所だった。
でも、その分大きく迂回しなければならない他のルートより、次の街には四日程早く到着する事ができる。
その為実力のある傭兵団などは偶に利用する事もあるルートではあるが、そんな彼らでも、この草原では野営する事を避けている。ここを渡る時にはアクッティアスに入るギリギリで日が変わるのを待ち、明朝になると一気に駆け抜けるという方法がよく使われている。
これが一番安全な交通方法なのだが、それでも、トライホーンウルフの群れに遭遇すれば全滅したり、全滅とまでは行かずともそのまま夜を迎える事もあったりと、この草原の危険性を完全に回避する事は難しい。
それなのに、帆馬車は夜の草原に止まっていた。
本来なら、こんな所で野営するなど自殺としか言いようがない。トライホーンウルフに襲われるというのは勿論の事、トライホーンウルフに襲われている所に地角竜まで現れれば全滅は必至だろう。
そして通常なら、帆馬車の周囲にはトライホーンウルフの群れに囲まれていても可笑しくは無い。
しかし、帆馬車の周囲にはトライホーンウルフの影も形も無かった。
――それは何故か?
簡単なことだ。トライホーンウルフよりも遥かに強い魔獣であるライオンさんが近くで眠っているので、トライホーンウルフは本能的に帆馬車を避けているためだ。
近づけば死ぬと、本能的に分かっているからだろう。
魔獣の強さ(ランク)は傭兵業斡旋施設が取り決めたものではあるが、そのランクは極めて精確だ。
一部の個体によってはその限りではないが、その種族全体としての強さはランクは絶対的である。
それにライオンさんよりも高位の為に近づける地角竜ではあるが、地角竜はトライホーンウルフを主食とする為、帆馬車の周辺にトライホーンウルフが居ないのだから率先して襲っては来ない。
弱肉強食が全てである世界の中で、帆馬車が今宵襲われる可能性はほぼ皆無だった。
そんなライオンさんという絶対的な護衛に守られる帆馬車の中に、カナメとポイズンリリーの姿があった。
寒くないようにとポイズンリリーが用意した毛布に被り、寝息を立てているのはカナメ一人で、ポイズンリリーは薄暗い帆馬車の中で一人椅子に座っている。
「また、夢を見ているのですね……」
ポイズンリリーは、その目の前のソファで眠りについている主の顔を覗き込みながら、消え入りそうな声音でそう洩らした。主が目覚めないように、一応気を使ったのかもしれない。
ポイズンリリーが覗きこんでいるカナメは眉間に皺をよせ、微かに寝心地が悪そうにしながらよく寝返りをうっている。長年カナメを見て来たポイズンリリーには、そういった微かな変化でカナメが見ている夢の内容を概ね把握できるのだった。
オオオオォォォォォォォォォン――――
トライホーンウルフの雄叫びが外から聞こえて、ポイズンリリーは一度視線を外に向けた。するとそよ風に靡いて揺れる草の動きで、見えない風の流れがよく分かる。
それに伴い少々ひんやりとした夜風が中に入ってきたが、機玩具人形であるポイズンリリーにとって害になるようなものではないし、極寒の山脈に生きる雪狼の毛皮から造られた毛布に包まっているカナメにも問題ない。一定の熱を溜め込む性質がある雪狼の毛皮から造られた毛布は、物凄く温かいのだ。
一応敵が近付いていないか周辺を索敵するが、敵影は見受けられなかった。これは十時間程前に大軍に襲われたので、一応警戒してのことだ。
それから危険はないと判断し、ポイズンリリーは再度、じっとカナメの顔を見つめた。
五百年前から、一切変化する事の無いカナメの顔を。成長する事のない主の顔を。
大昔、<アクアレギオン>を壊滅させた時に、とある騎士の一刀によって腹部を大きく斬られたカナメ様は、瀕死の間際に自らの命を繋ぎ止める為に生みだした秘薬――神酒を飲み、その瞬間からカナメ様の肉体は不変と化している。
カナメ様は五百年経った今でも一切成長しない。そればかりか、一部の例外を除いて肉体にはほんの少しの変化も無い。
剣で斬られても腹を穿たれても死ぬ事がない、不死に特化した存在。五百年前より今現在に至るまで全く同じ姿であり続ける、人間なのに魔族に近い存在として他国に恐れられている御方。
権力者が憧れがちな不死性を得たカナメ様だけれど、決して良い事ばかりではない、と常日頃から私に言っている。
不死とは不変。何をしても変わる事のない存在。
変わらないという事は、ある意味死んでいるのと同じ事だ、とカナメ様は独白するように語る事がある。
現にカナメ様は、不死の代わりにどれ程鍛錬したとしても筋肉は発達しない身体だ。鍛錬をしても以前と全く変化は無く、鍛錬しなくても以前と全く変化しないのがカナメ様の身体。
――私はカナメ様が自分を蔑みながら語る言葉を聞く度に、常に思う。
何時までも同じ状態であり続ける肉体で、生きているという実感は得られ続けられるものなのだろうか。実感が得られないというのなら、私がカナメ様に生きている実感を与えなくては、と。
一応、カナメ様の精神は成長している。肉体が成長しない分、一部分を除いてカナメ様は老獪だ。政治の手腕は五百年のキャリアによって間違いなく世界最高峰だろうし、裏の情報にも精通している。カナメ様を出しぬける存在は、恐らく人間界にも魔界にも存在しない。
身長の部分さえ押さえられるようになれば問題無いのだけれど……。
閑話休題。
カナメ様の不死性は、ある種の“固定化”と言えるもの。
怪我をしても神酒を飲んだ当時の健全な状態で“固定化”されている事で、身体はすぐさまにその状態に復元する。痛みはあれどそれも一瞬の事で、腕を斬られて上半身下半身に分かれても恐らくは生き続ける。
流石に身体がバラバラにされれば精神的に可笑しくはなるのでしょうが、それも時間が経てば回復するでしょう。カナメ様を物理的に殺す方法はいまだに見つかってはいないのが現状です。
再度繰り返しますが、カナメ様は成長しない。
つまりはカナメ様のコンプレックスである身長も、本来ならもっと伸びていたかもしれませんが、そんな可能性の話をしても仕方のない事でしょう。
カナメ様本人はその可能性に気が付いていないので、そっとしておいた方が無難です。
まあ、面白そうだから黙っているだけなんですがね……。
「本当に、カナメ様は優しすぎます。一々殺した相手の魂が夢に侵入するのを許すなんて……。普通、無意識の内に人間は拒否しているというのに――」
カナメ様のさらさらとした前髪を指ですくい、顔を近づけてカナメ様の黒髪を軽く噛む。この感触がなんだか心地良い。
そしてカナメ様の優しい匂いをセンサーが捉え、私の気分はさらに高揚した。
愛おしくて、愛おしすぎて、いつまでもカナメ様の傍から離れたくないと思ってしまうのはいけない事なのだろうか?
カナメ様からは「リリーってさあ、俺にべったり過ぎないか? 俺の護衛って立場もあるけどさ、もう少し自分がしたい事してもいいんだぞ?」と言われた事がある。
だから私は好きなようにカナメ様の近くにいるのだけど……。
気がついてくれないのは何故だろうか。
「そんな所も、私は好きなのですけれどね……」
でも、何よりもカナメ様の優しい所が私は好きだ。鈍感で時々子供っぽい部分が出るけれど、殺した人間の魂を無意識の内にとはいえ、懺悔する為に自分の夢の世界に入れるその優しさが。
まあ、無意識であるが故にカナメ様にとっては勝手に侵入してくるように感じているのでしょうけれど……。
これも面白いから黙っているんですけれどね。
「それから、仕方ないですね。悪夢が覚めて、良い夢が見れる御呪いをして上げます」
カナメ様の寝顔に、そっと自分の顔を近づける。カナメ様の寝息が顔に感じる程近づいて、それよりもさらに近づける。
そして私とカナメ様の距離はほぼゼロになり、私はカナメ様の両目の瞼に唇を落とした。
触れるだけの、ささやかなキス。
これが私なりの御呪いだが、効果があったのかカナメ様の眉間の皺は和らぎ、しばしの間を置いて綺麗さっぱり無くなった。
自然と笑みが零れ――
「お休みなさいです、カナメ様」
機玩具人形は眠らない。
だから私は一晩中、カナメ様を眺めて過ごすのだった。
とてもとても、幸せな時間が過ぎていく。
◆ ■ ◆
「アクッティアスを抜けた瞬間にこれですか」
こんな時ほど自分が持つ<堕ちて来た勇者>のスキル特性である不運補正を取り除きたいという思いに駆られるが、<堕ちて来た勇者>は固有スキルであるために何をしても変更するのも取り除く事もできない。
固有スキルとはこの世界が内包する神秘の一つで、ある程度の装備とか状況とかで変更できるレアスキルとかノーマルスキルとは違い、何をやっても変更する事も修正する事も出来ないふざけた機能だ。
もと居た世界では無かった魔術が普通に存在するように、ただそういうモノとして存在するから存在しているとしか言えない世界のブラックボックス。獲得した瞬間から自らから取り除くことができなくなる、神秘の力というか悪魔の呪いと言うか。
召喚された勇者が強制的に持たされる<堕ちて来た勇者>は、一種の呪いのようなモノかもしれない。というか呪いなのだろう。
抗議したい。
……無理なのは分かっているのだが。
本当に、こんな世界を作った神なんて居たらぶっ飛ばしたいというか、間違いなくぶっ飛ばしている所だ。
ん? 何? 罰当たりじゃないかって? 知るかそんなもん!
閑話休題。
俺が先ほどから固有スキルと単語を使っているが、スキルと呼ばれるモノには大分して三種類ある。
本当に限られた者しか持つことのできない固有スキル。
ユニーク程ではないが珍しく、ある一定の条件をクリアするか、生まれ持った才能でしか得られない希少スキル。
それから一般的で誰でも得る事の出来る通常スキル。
の三種類。他にも細かく分類できるが、だいたいこんなものだろう。
ちなみに補足だが、レアやノーマルは装備等で変更したり外したりすることはできる。しかしながら、なぜだかユニークスキルだけは変更解除不可という有様だ。
それからスキルといっても、そのまま技巧だけを指すものではない。勿論何らかの技巧を指すものではあるのだが、スキルとは一種の称号のようなモノと考えてほしい。
俺が持つ<堕ちて来た勇者>という称号は不運補正だけでなく、異界法則生成とか、王道闊歩などの特性がある。
他にも例を上げればレアスキルである<魔術師>という称号には魔力共鳴って特性があるし、ノーマルスキルである<鍛冶師>なら鍛冶と錬鉄といった特性などなど、スキルの数は人の数だけ有ると言えるものだ。
それからスキルは大半が持つ者にとってプラスになるように傾いているのだが、俺が持つ<堕ちて来た勇者>の特性である不運補正のように、果てしなくマイナスになるものも存在する。
マイナスの例を上げれば防御力低下とか機動力低下とかそんな感じ。本当に不必要所か害にしかなりません。
ああ、しかしこう思い返してみれば、この世界を創造した存在が悪ふざけで造ったシステムとしか思えないのは何故だろう。
何度も思うが、神が居たとすれば俺は全力で殴りたい。神殺しの武器でも考えておこうかな……。
現実逃避から持ち直してもう一度前を見る。
俺達が居るのは次の街<アグバウア>へと続く石畳の街道の上、横ではゆったりと流れる川には水精霊達が戯れているし、周囲に遮蔽物となるモノが無いために視界の先で繰り広げられているデスレースがよく観察できる。
距離としてはここから五十メートルは離れているだろうか。
今俺達が進んでいる街道が縦とするならば、デスレースが繰り広げられているのは横に当たる街道だ。このまま行けばデスレースが繰り広げられている街道と十字に交わるだろう。
そこでは矢を射かける盗賊染みた服装の人間――というかモロ盗賊である――が、ごてごてな装飾が施された馬車を襲っているのだ。
もちろん現在進行形で。
馬車は如何にも高貴な人間が乗ってますと言っているようなモノで、全方位をフォローできる箱型であったお陰で、何とか盗賊の矢から中に居るだろう貴人を防いでいられるという風体だ。
しかし、それもこれまでだろうとその様子を観察して直感した。
というか、見れば分かる。
どうやら盗賊の一人に魔術師が居たらしく、馬を走らせながら片手で巨大な魔炎を生み出しているのがここからでもよく見えるからだ。大きさから察するに、あれは軽くナパーム弾程度の破壊力を持つ火系統の中級魔術だろう。
盗賊なのだから馬車自体を攻撃して木っ端微塵にする事はないだろうが、あれで馬車の前の街道を焼かれれば、流石に馬の脚も止まるというもの。
その後は見るまでもない。
ただ中に居る人間が捕われるか殺されるかの違いはあれど、最早あの馬車は逃げれない。
盗賊の餌食になるのは確定だ。
このまま俺達が手を出さなければ――だが。
「本音を言えば見捨ててもいいんだけどさ、どっちに転んでも経験上この後俺にも厄介事がくるんだよね」
「そうですねカナメ様。ちなみに調べによりますと、カナメ様がこのような場面で馬車を助けて厄介事に巻き込まれる確率は六十九パーセント、見捨てた場合でも面倒事が起こる確率は七十三パーセントと出ています」
どこからともなく取り出した――というかポケットからだが――書類を見ながら、秘書染みた仕草でポイズンリリーは簡単にそう述べた。まあ、秘書なのだが。
ポイズンリリーの報告に、俺は自然とため息が漏れる。
「そうか……だろうな。……ところでさ、リリー。一つ疑問に思ったんだが、そんなもの何時調べたんだ?」
「何を仰いますか。無論面白かったから記録を……カナメ様の身の安全の為に調べたまでです。当然の事ではないですか」
「…………」
再び抗議の視線を送ってみる。
「それでカナメ様、助けるのですか? それとも助けないのですか?」
講義の視線はポイズンリリーには効果が無いようだった。しかしまあ、深く考えてはいけないのだろう。だってポイズンリリーだし、考えれば俺の身体と精神はきっと持たない。
「確率的には助けたほうがよさそうだし、助けますかね」
そうと決めれば合掌を一つ。
別にこの動作をしなくても色々と造れたりはするのだが、気合いを入れる精神集中の呪いとうかなんというか、つまりは俺の癖だ。
今から造るのはここから一方的に盗賊を駆逐する事ができる狙撃銃。脳内で三次元的に基本設計を構築し、それを元に重ねた掌の中で物質化させていく。
空想の肉付け。俺の能力を一言で表せばそんな所だろうか。
それに俺が空想した狙撃銃であるだけに、もちろん俺好みなオプションをもり込んだワンオフ品で、ハイスペックならぬ廃スペック仕様だ。それに今回のは造り慣れたものなので、僅か一秒弱でそれを造ることはできた。
これで合掌を止めれば、これは物質としてこの世界に生まれ出る。
だから俺は合掌を解いて物質化した時に起こる発光現象を細目で見ながら、ずっしりと重たい狙撃銃を手にした。
細長い銃身に、長い銃身を支えて狙いを安定させる二脚のアタッチメント。盗賊は十人程いるので一回一回装填しなければならないボルトアクションではなく、自動装填方式を採用。光学照準は俺の意思一つで見える距離が変えられるようにした、遠距離から敵を確実に駆逐できる一品だ。
外見的にはH&K社製のMSG―90を意識している。というかそのまま使っているのは周知の秘密です。
「さてさて、じゃ速攻で決めさせてもらいますかね」
今回使用するのは実弾でも破壊力抜群な属性弾といった殺傷性のある弾丸ではなく、撃たれても死ぬことは無い非致死性のSRRB弾だ。SRRB弾とはゴム弾とスタンガンが融合した弾丸で、着弾すると高圧電流が流れて一定時間神経を麻痺させる。
一応雷の属性弾に分類できるのだが、非致死性というのが重要なポイントだ。このSRRB弾は対象を死なせる事は無いが、雷の属性弾は確実に相手を殺せる威力がある。
盗賊は今回直接俺と敵対していないのだし、態々殺す必要性は無い。動きを麻痺させるだけで十分だと判断した。まあ、落馬して怪我したりするかもしれないけれどそんな事は知った事じゃない。
ただ、もし俺が馬車を助けてその仕返しに来るというのなら容赦はしないとだけは言っておこう。
「ライオンさんストップストップ。動いたら狙いがぶれちまう」
帆馬車の中で寝そべって、スナイパーライフルに取り付けられているスコープを覗き込む。
別にライオンさんに引かれていく帆馬車の中だろうと大波に揺られる船の中だろうと問題無く標的に命中させられるのだが、こういうのは雰囲気が大切なんです。
静かに獲物を喰らう狙撃手ってカッコいいですから。
スコープを覗き込んで、一番先頭を走る獲物を捉える。
不細工な顔だな~、と思わず本音が漏れたが、盗賊の右肩にある模様に俺は首を捻った。
「ん~? 翼を広げた鷹が蛇に絡みつかれて今にも食べられそうなあのマークって……確か……」
鷹を喰らう蛇という不吉な模様はどこかで見覚えがあった。
思い過ごしだといいな~と淡い期待を抱きつつ、気になって盗賊全員の右肩を見てみると、揃いもそろって同じエンブレムが縫いつけられている。
記憶の中でそのエンブレムが何だったか検索したその結果、ある答えに俺は到達した。してしまった。
そして俺は面倒事に間違いなく巻き込まれると確信する。
巻き込まれる自信がある。
「あれはヴァイスブルグ皇国の反乱軍が掲げるエンブレムですね。ということは、追われている馬車はヴァイスブルグ皇国の貴人か、それとも皇族か……」
ポイズンリリーの言うとおりだろう。
今ヴァイスブルグ皇国は内乱状態だし、反乱軍が掲げるエンブレムを付けた奴が敵方の重要な人物を襲っているとみて間違いようが無い。
それにデスレースが繰り広げられている街道は、現在地から北東に行った所あるヴァイスブルグ皇国から、南にあるアヴランジス連合国に続く街道だ。その為馬車にはヴァイスブルグ皇国の関係者が乗っているとみて間違いない。
ちなみに俺達の目的地であるオルブライトは、このまま真っ直ぐ東に行った所にある。
閑話休題。
これで馬車の中にいるのが貴族の美女とか美しき皇女とかだったら王道でとっても嬉しいのだが、俺の不運補正はそれさえも簡単に覆す。助けたら普通に貴族のボンクラ息子だったり無駄に美系な皇族の皇子だったりするので、侮ってはいけないし期待してもいけないのだ。というか、そちらの可能性の方が格段に高い。
過去の思い出が脳裏をよぎり、俺は一人落ち込んだ。
だからもう見捨てて見なかった事にしようかと思ってしまっても、これは全くもって仕方が無い事だ。
だがしかし――
「ああ~面倒くせえ。でも一度助けるって決めちまったしな~」
自分で一度は助けると言ってしまっているので、有言実行がモットーの俺としては助けてやる事にした。馬車の人間には心底感謝してほしいモノだ。
でもタダ働きは嫌なので、ここは見返りとしてアヴァロンに物資を無料で提供して貰おうかな。まあ、中に居るのが美女とかなら必要ないんだけどさ。
ところで、プライベートな旅の途中でさえ国を思って働く王様というのは、自分で言うのもなんですが、とてもカッコイイような気がします。
しゃーない覚悟しますかと呟いて、俺はスナイパーライフルのトリガーを引いたのであった。