第七十六話 別れ
戦略飛行宝具<輝舟>は<宝具>という兵器であると同時に、巨大な空飛ぶ豪華客船である。
造られる切っ掛けとなったのはカナメが独立国家<アヴァロン>を建国した際、<アヴァロン>が存在する世界で最も危険な“星屑の樹海”のど真ん中から人間界と魔界の両界へと出向く為の交通手段の一つとしてだった。
だが竜種を素材として製造された機竜船のように輸入品や輸出品、国民を大量に一度で運ぶ事を目的としたモノではなく、カナメやポイズンリリーなどアヴァロン内でも限られた特定の要人の為に、というコンセプトで設計された。
その為飛行機のような構造をした機竜船と違い、輝舟には幾つもの娯楽施設や居住区が存在し、会議室やトレーニングルームなども完備と隙が無い。
そんな輝舟の一室。
豪華な椅子やテーブルが幾つも配置されて専用の舞台さえ据えられている【大宴会場】と名を付けられたそこは、混沌の坩堝と化していた。
陽気な大声が響き、酒の入ったコップが飛び交い、仲間内で交わされるどうしようもない会話がなされていた。
「がははははハハははっはァ! おらぁテイワズ、もォッと飲め飲めッ!!」
「や、やめ――ゴボゴォボォゴォボォォォッ!!」
大樽に入ったアルコール度数60%の酒を一気飲みし、それでやや頬が赤くなったかな? としか思えない程酒に強い狼男に肩を掴まれ、逃げる事ができない優男は、その口に<酒火童乱>と書かれたラベルが張られている酒瓶を突っ込まれていた。
<酒火童乱>は材料に“酒肉鬼の心血”や“酩酊樹の若葉”などが使用されている為おちょこ一杯分だけでも金貨数十枚分に匹敵するほど高価であり、アルコール度数96%と世界最高値を記録しているシロモノだ。
初め刺すような痛みと強烈な焦燥感を感じるが、それを過ぎると天上にでも登った様な心地よさを味わえると評判で、麻薬などではないが余りの旨さに中毒性が高く、世界の国王や皇帝に愛用者が多い一品である。
一応<酒火童乱>欲しさに国王や皇帝達が国民から血税を毟り取って買い求めるようにはならないように生産数は少なくされたり、良い政治をした国には贈り物として贈呈するなどして色々と細かい調整がなされている程の超超高級品だ。
ようするに<酒火童乱>は決して一瓶全てを一気飲みしていいような酒ではないのだが、そんな事は関係ないとばかりに消費されていた。
「ウゴボォッボォォゴォォォッ!!」
狼頭という構造的に大きな口を持っているウールヴヘジンならばそんな事をしても問題ないのかもしれないが、成人男性と同じくらいの大きさしか無い口をしたテイワズセカンドではその全てを飲むのは困難を極め、そもそも無理やり飲まされるのだから自分のタイミングとか飲み方などできるはずがない。
その為テイワズセカンドの悲鳴と共に嚥下される<酒火童乱>には限界があり、その限界を越えた量は口から溢れ出た。
溢れ出た<酒火童乱>はテイワズセカンドのローブを濡らし、ごぼごぼと音をたてながら気泡が弾けていく。
莫大な大金を生み出す<酒火童乱>が、無為に消費されていくその光景。
愛好家が見れば卒倒するに違いないだろう。
しばらくし、満タンだった酒瓶から全ての<酒火童乱>が無くなった。
それを見てウールヴヘジンはテイワズセカンドの口から<酒火童乱>を外し、中身が本当に無くなったのか確かめるように何度か上下に振る。
数度繰り返すが、<酒火童乱>からは数滴しか出なかった。
中身の殆どをローブで吸収してしまったが、それでも酒瓶一本の<酒火童乱>全てをテイワズセカンドは飲まされた事になる。
機玩具人形の中では特に酒に強いという訳ではないテイワズセカンドにアルコール度数96%の<酒火童乱>はキツかったのか、顔を真っ赤にした今の状態からは普段の知的な姿は一切窺えず、ただただ疲れ果てた優男にしか見えなかった。
だがこれで解放される、とテイワズセカンドが思ったのもつかの間の事だった。
ウールヴヘジンがテイワズセカンドの死角となっていた場所から新しい酒瓶――<酒火童乱>ではないが、<天上の朱盃>という度数やレア度がほぼ同じ逸品だ――を掴み出すのを見て、テイワズセカンドは涙目になりながら周囲を見回して助けを、現状からの救世主を求めた。
開かれた口の端からは涎と<酒火童乱>の混合液が幾筋か流れ、その痕がテカテカと光っている。
「だ、だずげ」
殺される。
機玩具人形の中では特に酒に強い訳ではないテイワズセカンドだとて、機玩具人形なのだからアルコール度数96%の酒を瓶ごと三本も四本も一気飲みしたとしても死ぬわけがないのだが、本人は本気でそう感じていた。
ベキンと蓋を指の力だけで開けられた新しい酒瓶<天上の朱盃>のように、自分も狼男に壊されるに違いない、というネガティブなイメージしか浮かばない。
だから助けを求めたのに。
その助けを求める声を聞いたのは、よりにもよって近くに居たソイツだった。
「あら嫌だ、そんな物欲しげに見ちゃってん。もー、私の<尻穿つ絶倫の槍>がいきり勃つじゃない。
あ、それとも、<尻抉る悦楽の薔薇指>とか<尻刺す快楽の薔薇指>の方が、お・こ・の・み?
どれを選んだって天獄に連れて行って、あ・げ・る・わ・よ?」
テイワズセカンドの視線の先に居たのは頬を紅潮させた、ツナギ姿で屈強な肉体をチラチラと露出させている最強のオカマだった。
ズゾゾゾゾ、と別の生物のように複雑な動きを見せる舌はまるでテイワズセカンドを捉え喰いたいとでもいうような不気味さを纏い、ツツツとソフトタッチで顎を撫でてくるその指の感触で殿筋が無意識に収縮し、ツナギの隙間から見える胸筋の厚さはあくまでも魔術師タイプであるテイワズセカンドでは抗えない膂力を発揮するのだろうと静かに示している。
テイワズセカンドは貞操の危機を直感し、ただ絶叫した。
「ふざけんなァーーーーーーッ!!」
テイワズセカンドに、助けは無かった。
それはもう大学の新入生歓迎会で泥酔した先輩に絡まれた時のように。周囲に人は居れど、誰も助けの手を差し出さない。視線を合わせても逸らされるか、そもそも存在しないモノとして放置されてしまっている。
テイワズセカンドがその後どうなったかは、あえて語るまでもないだろう。
そして狼男とオカマという、個性豊かな機玩具人形の中でもある意味最強の二人に弄られ滅茶苦茶にされる犠牲者の隣では、至って平和な場が造られていた。
「はぁい、ジルちゃん。これもどうぞ」
「……ん」
「わさわさわさ~~。シエネエ私にもわさ~~」
「はいはい、カラちゃんはコッチね。それと、セリちゃんはコレ」
「ありがとな、シュヴァリエ姉」
妹達を甲斐甲斐しく世話する和服美女は、椅子に座ったパンドラの不死鬼族――ジル・サンタリオを人形のように愛で、その隣でソファに寝そべっている魔蟲の女王を愛で、その更に隣の椅子に座っている魔獣姫を愛でていた。
柔らかい雰囲気を纏うクーラーシュヴァリエが妹達を世話するのは何処か微笑ましく、そのすぐ隣で展開されている光景など遠く離れた出来事のようである。
いや、むさ苦しく暑苦しい二人の男と男女の戯れを、みめ麗しい女性達の歓談と比べる事がそもそも間違っているのかもしれないが。
「うふふ、マカロンとかケーキもあるから、たんと食べなさいな」
「わさわさわさ~~美味しそうなのわさ~~」
姉に差し出されたクリームたっぷりのショートケーキを前に、スカラファッジョは満面の笑みを浮かべながら噛り付いた。
傍に置かれているフォークなどは使わず、手掴みで直接食べるという、豪快、というよりもはしたない食べ方のためその両頬に大量のクリームが付着してしまうが、そんな事を気にするはずもなく。まるで幼い少女のように瞬きの間に喰い尽くした。
それを見て微笑むクーラーシュヴァリエは細く美しい指で妹の頬を白く染めているクリームを拭い、拭ったクリームを自分で食べてから、妹を諭す。
「フォークがあるんだからそれで食べなさいね、カラちゃん。私達の前ではそれでもいいけれど、他の人が居る前では止めなさい。ね?」
「はーいなのわさ~~。気を付けるわさ~~」
「うふふ、ならいいのよ」
笑みを交わす姉と妹。
その隣で黙々とケーキを平らげるジルとセリアンスロピィは、まるで食べる量を競い合う様に静かに熱を纏う。
「……んッ」
「おかわりやッ」
一つ二つ三つと自分の皿に乗せられていたケーキやマカロンなどを喰い尽くしたジルとセリアンスロピィがお代わりをねだる。突き出された皿、隣を見る闘志に燃えた瞳、負けないぞと語る表情。
それを見て苦笑を見せるクーラーシュヴァリエ。お代わりをとるため席を立とうとするが、その直前テーブルに新しいケーキの山が乗った皿が置かれた。
皿を置いたのは、メイド服を着た双子――リリヤとアリアだった。
二人で一人として製造されている為殆ど同じ容姿だが、髪飾りでどちらがリリヤでどちらがアリアなのか判断できる。
『お持ちいたしました、シュヴァリエお姉さま』
重なる独特の声。何処か無機質で、しかし温かみのある声音である。
「ありがとう、リリヤちゃん、アリアちゃん。はい、ジルちゃんとセリちゃん、皿を出して。
……そう言えば、お父様はいつココにいらっしゃるの? もう十五分は経ってますよ?」
『カナメ様は……今、です』
ジルとセリアンスロピィの皿にケーキを乗せたクーラーシュヴァリエが佇んだままのリリヤとアリアに質問すると、数秒だけ目を閉じ、何かを考える様な仕草をするリリヤとアリア。やがて目を開けると同時に設置された専用舞台の方を振り向いた。
それにつられて皆がそちらに視線を走らせるのと、縦に黒く虚ろな空間が開いたのは同時だった。
開かれた空間から出てくるのは、カナメ、セツナ、ポイズンリリー、そしてテオドルテの四人。
亜空間での戦闘を終え、宝具を使って王城からココに直接飛んできたのだ。
「はーい、ちゅうもーくッ」
舞台の上で、カナメがいつの間にか造ったマイクを片手に声を出した。
輝舟の全機能を一人で管理・運用している電子精霊<揺り籠の船主>がマイクの電波を拾い、【大宴会場】全てにその声を響かせる。
その声に反応し、【大宴会場】に満ち溢れていた雑音が一瞬で消えた。そして全ての視線がカナメに集中する。
会場に居る大半はカナメを崇拝する信者であり、残りもそれと似たようなモノなので、カナメに向けられる視線の大半は奇妙な熱気――神を見る信者のような――を帯びていた。
それに一瞬苦笑を見せたカナメは気を取り直し、
「えー、今回の騒動もコレにて終了だ。って事で、恒例の無礼講を……既に始めているが、取りあえず恒例行事を行います。
準備はできてるかー?」
「はぁやくしろやぁカナメよォ!」
「ガナメッ、だずげでぐれッ!!」
「うるさいぞヘジンとテイワズ。ちょっと黙ってろ。で、準備できてるか?」
茶々を入れてきたウールヴヘジンと助けを請うテイワズセカンドをまとめて叱咤しつつ、周囲を見回したカナメは自分と同じタイミングで乗船したセツナとポイズンリリー、そしてテオドルテも準備できているのを確認し、自分も運んで来させたコップを掲げ、声を張り上げた。
「今日も一日お疲れさん。乾杯ッ!!」
『『『乾杯ッ』』』
ガチャン、とコップとコップが音をたてながら衝突した。
勢いが強過ぎたのか派手に中身がぶちまけられるモノもあったが、それを気にするものはいない。
乾杯を交わした後は、皆それぞれ雑談を再開した。再び雑音で溢れ、運ばれてくる新しい料理が喰い散らかされていく。
コレから二時間をかけ、輝舟はゆっくりとアヴァロンへ帰還する。
この宴は今回の戦争に参加した者達全てにカナメが送る、一種の報酬の一つだった。
「さて、取りあえず飯でも食いますか」
乾杯を終え、舞台から降りたカナメはバイキング形式で並べられた料理を自分の皿に乗せていく。久しぶりに本気を出して戦ったからか、小腹がすいてしまったのだ。
カナメが皿にのせていくのは“黄金牛”や“皇帝人参”など<酒火童乱>に使われているのと同じ超高級素材ばかりで造られた料理の数々であり、他国では天上の料理と言われるだろう逸品ばかりだ。今振舞われている料理の総額は一国の経済を傾けられる金額に達しているのだが、そんな事知った事ではないとばかりに、芸術的な配置で大皿に盛られた料理を崩して自分の皿に移す。
一皿目の許容量を越えたので近くに来ていたリリヤに持たせ、二皿目を新たに盛ろうとし、そこでカナメの横から近づいていた人物が声をかけた。
「して、おまえ様。いつ我の心臓を見せればよいかの?」
声をかけたのは、赤ワインの入ったコップを手にしたテオドルテだった。
その双眸には不可思議な魅力の光が宿り、十代後半に見える年齢となっている現在の姿は幼さと大人っぽさを併せ持ち、とてつもなく魅力的であった。
コップに触れる赤い唇は、どこかカナメを誘う艶やかさがある。
「我としては、おまえ様と別室にあるベッドの上でゆっくりと見せたいんじゃが、な」
「そうだな……じゃ、ちょっと隣の部屋に……」
二皿目の盛り付けをしながらカナメはテオドルテの色香を少しも意識せず、忘れない内に用事を済まそうか、とでもいうような軽さで二人で外に出ようとしたが、背後から投げかけられた言葉で停止した。
「別室に行かずとも、宝具で肉体を透視すればいいだろう? 別にベッドに行く必要は無いと思うぞ、カナメ。それよりも、せっかく皿に料理を盛ったんだ、コッチにきて食べればいい」
カナメの背後には、椅子に座ってジト目を向けるセツナの姿があった。
何処か非難するような眼と、隣の椅子をパンパンと叩いてカナメを呼ぶ仕草はどこか愛らしい。
が、明らかにテオドルテと視線で火花を散らしている現在の状況はカナメにとって面倒な場面と言えるかもしれない。
どちらかを選べば、何かしらの騒動が起こる可能性が非常に高かった。
しかしその時、救いの手が差し出された。
「カナメ様、ご報告したい事があります」
救い主は、ポイズンリリーだった。
小脇に書類の束を抱え、カナメの背後に何時の間にか立っていたのである。
「お、おお。どうしたリリー」
「はい、つい先ほど異世界関係の書類がラルヴァート達から送られてきましたので」
「そうだな、うん、じゃちょっと先にそれを見て……」
垂らされた救いの糸にカナメは手を伸ばし、
「というのは冗談です」
「そんな冗談は今必要ねーよッ」
しかしそれは毒の糸である事を知った。
ポイズンリリーは相変わらずだった。
うな垂れるカナメの両肩を軽く叩くリリヤとアリアの優しさが、より一層カナメの涙を誘う事になるが、それはどうでもいい話だろう。
カナメの受難は、後二時間続く事となる。
■ Д ■
無限の魔力を生み出す器官にして【魔族】を【魔王】に改造する原因――【夢幻の心臓】は、継承魔術【召喚門】によってこの世界に堕ちてきた異世界の【勇者】を元の世界に帰還させるために必要不可欠なアイテムである。
というのも、勇者をこの世界に留めて他世界へと移動する事を封じている【堕天の楔】がコレを使用しなければ絶対に解呪されないからだ。
それはスキルなどと同じく、世界の覆せない絶対概念の一つとして定められており、カナメが造る宝具の力を用いても堕天の楔を引き抜く事はできない。
もし【堕天の楔】が容易く抜けたのならばカナメは遥か昔に帰還していただろうが、そんなあったかもしれない未来の話などはさて置き。
今代の勇者であるセツナが欲してやまなかったアイテム、【夢幻の心臓】が剥き出しの状態で、今、ドクンドクンと机の上で動いていた。
大きさは人間のモノと大差ないが、表面に走る血管と肉の質感、そして単体で机に置かれているのに一切拍動を止めないその様は何処か気持ちが悪く。
しかしそれは机に置かれた心臓が、今代の魔王テオドルテの心臓の複製品だからである。
カナメが正確に模倣して造った、テオドルテの心臓――【夢幻の心臓】
それはセツナがカナメと出逢い、約束の半年が経過し、そしてテオドルテを打倒して得た帰還への切符だった。
「おめでとう、セツナ。コレが見事テオドルテに勝った君が得た、“帰還する為の鍵”だ。
後はセツナが触れて、握り潰せば、【堕天の楔】は解呪される」
場所はアヴァロンの中心にそびえ立つ王城内部に存在する、カナメの寝室。
巨大なベッドと高価な調度品の数々で彩られた品の良いそこで今、カナメとセツナは心臓が置かれた丸テーブルを挟んで対面していた。
現在の時刻は夜である為、寝室を照らすのは天井に設置されたシャンデリラのような魔石灯である。
「コレが……そうなのか」
感慨深げに、セツナはそう零した。
微かに震えながら、そっと、セツナの指が魔王の心臓の表面に触れる。そして五指が心臓の存在を確かめるように動き、逃がさない様にしっかりと握られて、グジュ、と一瞬で握りつぶした。
途端心臓から膨大な魔力が噴出し、セツナの身体を神々しい光が包む。あるいは、セツナの身体から神々しい光が放出された。
カナメは腕で遮光しながらセツナの変化を観察し続け、セツナは突然の事態に困惑しながら<唯一なる神の声>によって光が無害である事を知る。
“セツナを包む/セツナから放出される”神々しい光は十数秒も経過せずにゆっくりと消失していった。
後に残ったのは、握りつぶされた肉の塊と、何ら変化の見られないセツナだった。
「これで、終わり?」
「ちょっと待って」
小首を傾げて自己の変化を確認しようとするセツナだが、実感を抱けないのか疑問符ばかり浮かべている。
カナメはそんなセツナに苦笑を向けながら、セツナの周囲に常時展開されている“盾”を掌の“口”で喰い、その僅かな孔からレアスキル<断定者>を使って観測。
その結果、セツナの中から無事【堕天の楔】が消滅している事を確認した。
「うん、コレで問題は解決した。後は、俺が帰還する為の宝具を行使すれば、セツナは帰る事ができる。丁度三日後が約束の日だから、セツナがココに居るのも、後三日だね」
「……ありがとう、カナメ」
「ん?」
「カナメがいなかったら、私は壊れていたと思う」
「……かもな」
「それだけじゃなく、他にも色々と私にくれた。居場所も、繋がりも、安心も、本当に沢山のモノを私はカナメから貰った。感謝の気持ちとか、言葉だけじゃ、とても足りない大切なモノを、沢山」
セツナは椅子に座ったまま胸の前で両手を重ね、頭を垂れ、まるで祈る聖女のような姿勢になる。
顔は伏せられたのでカナメがセツナの表情を窺う事ができないが、セツナの声には何処か泣いているような、湿った響きが混ざっている。
「なのに、私は、カナメに何も返せていないと、思う。何かをあげた事も、ないかもしれない」
「気にする事じゃないさ、セツナ。俺がやりたくてやった事だから」
照れくさそうに頬を指で掻きながらカナメはセツナの顔を上げさせようとするが、頭を左右に振る事でセツナはそれを拒否し、言葉を続けていく。
「でも、それじゃ、ダメだと思う。与えられるばかりじゃ、私はカナメと対等になれない。だから、私はまだ、カナメと……」
そこまで言い、セツナは椅子から立ち上がって身を乗り出し、カナメに顔を近づけた。
そしてカナメは、吐息を感じれる程近くでとある感情によって潤んだセツナの黒い瞳を見、甘く熱い思いで上気した表情を見た。
「一緒に……」
セツナの表情は、好きな人を、愛しい男を見る女のそれだった。
テオドルテと戦い、会話し、確信した思いが今、セツナに帰還する道とカナメと共にある道の選択を迫り、そして帰還する道ではなく、カナメと共にある道を選ぼうとしていた。
帰れなくても、カナメと居たい。どうしようもないその感情に、セツナは突き動かされていた。
この世界に召喚されて、セツナは一度壊れかけた。
容赦なく動き続ける現実に、持ってしまった過剰な暴力に、自分を観察する周囲の瞳に、隠された策略の意思に、ただの女子高生でしかないセツナでは耐える事の出来ない、数え切れない程の重圧と悪意に一度壊されかけた。
だが壊れる直前に現れたのが、カナメだった。
自暴自棄になりかけていたセツナの全力を受けとめ、溜まりに溜まっていた鬱憤を発散させたのはカナメだ。
怪物、化物、と自分で自分を蔑んでいた考えを打ち砕いたのもカナメだ。
余裕満々で、力に恐怖して知らない間に自分を止められるモノがいないなんて馬鹿らしい勘違いをしていたのを正してくれたのもカナメだ。
その後も時代は違えど同郷、という事で話し易く、また良く笑うカナメとの付き合いはセツナの荒んでいた心を癒す事に繋がった。
今のセツナがあるのは、カナメが居たからだ。
カナメと出会えたからこそ、セツナはセツナとして、今も居られる。
だから、セツナの思いは、愛情は、なんら不思議な事ではないのかもしれない。
だけど、
「いた……」
「ダメだ、セツナ」
「え?」
全てが紡がれる直前、セツナの両肩を優しく掴みながらカナメが言ったのは、セツナの言動を封じる言葉だった。
きょとん、と虚をつかれたセツナは一瞬呆けた表情を見せ、カナメの真剣な表情を見て口を噤む。
「セツナの帰りを待っている人達が居るだろう?」
「それは、そうだけど……」
カナメに言われ、セツナの脳裏を過るのは家族の顔や友人の顔。
カナメに出会ってからはあまり思いださなくなっていた人達の顔が、一瞬で再現されては消えていく。
「俺は、もうどうやっても帰れない。どうやったって、俺自身が父さんや母さん達と会う事はできないんだ。でも、セツナは違う。セツナは俺と違って、帰る事ができるんだ」
セツナの肩を掴んだままで、カナメはセツナの瞳を見据えながら、本音をぶつける。
「俺はセツナに、俺と同じようになってもらいたくない。俺はセツナが好きだよ、大好きだ。でも、だから帰るべきだ。留まるべきじゃない、セツナは、帰るべきだ」
今まで見た事が無いほど真剣なその言葉に、その瞳に、その表情に、セツナは言葉を失った。
言おうとしていた言葉は引っ込み、もう出てくる事は、無かった。
「それは、そうかもしれないけど……あ、もう一度この世界に戻ってくる事はできないのか?」
「ん~……それは難しい、だろうな」
「そ……そうなの、か……」
両者沈黙。
カナメは再び俯いたセツナの次の言葉を待ち、セツナは思考を巡らせて自分なりの答えを出す為に。
静かな時がどれだけ過ぎただろうか。
それは分からないが、沈黙を打ち破ったのは、再度顔を上げたセツナからだった。
「……分かった。でも、このまま別れるのは、嫌だ。一つだけだけど、私がカナメにあげられる確かなモノが、ある。それを……」
「分かった、ありがたく、貰う事にするよ」
何をあげられるのか、を聞く前に、カナメは椅子から立ち上がって素早く移動し、セツナの華奢な身体を抱き上げ、部屋に据えられた自分の大きなベッドに運んでいく。肉体は五百年前から変化していないが、セツナ程度は抱きあげる事ができる。
「な、な、な――ッ!!」
「セツナの考えは分かったから、さっさと行動させてもらってます」
レアスキル<断定者>を持つカナメに、隠し事はできない。
観ようと思えばある程度の考えまで読める<断定者>はセツナの考えを正確に読み取り、カナメはセツナが何かを言う前に行動したのである。
「あ、その、あの、カナメ」
「大丈夫、優しくするから」
現状何が起こったのかを理解したセツナは顔を真っ赤にしながらあたふたするが、カナメは優しく微笑みながらそれを唇で封殺した。
こうして長く熱い夜が過ぎて行く。甘い叫びを、か細く響かせながら。
■ Д ■
戦争が終わり、時が過ぎた。
そして今日はカナメとセツナが交わした約束の日であり、セツナが元の世界に帰る日である。
時刻は夕方。紅に輝く太陽の半分は山で隠され、空には夜空と星月が広がり出していた。
場所は王城の何処か。窓から入る夕陽の紅は部屋を染め、別れの時を染め上げる。
「今までありがとう」
夕日を浴びて紅に輝く<帰還門>の前に立つセツナは、この世界に一緒にやってきた自分の旅行鞄を手に持っていた。着ている衣服は白とピンク色を基調としたパーカーとシャツとホットパンツと、太ももが強調される組み合わせだ。
ただこれらはカナメが造った作品で、可愛らしいデザインはセツナの魅力を引き上げるだけでなく、ありとあらゆる害悪からセツナを守る宝具でもある。
そして胸元にある黄金剣のペンダントは、更に様々な能力強化を施したセツナの愛剣<確約されし栄光の剣>だ。
もう会えない恋人に向けて、カナメが送ったプレゼントの数々は、二人の別れを彩っている。
いや、この場に居るのはカナメとセツナの他に、ポイズンリリーだけなのだから、三人の別れを彩っている、という方が適切だろう。
「お元気で、セツナ様。これは帰ってからお読みください」
手紙をセツナに渡してから頭を下げ、短い別れの言葉を紡ぐポイズンリリー。
唯一この場に同席する事が許されたポイズンリリーは、既に別れを済ませたがココに居る事を許されなかった他の者達の分まで、別れの気持ちをセツナに伝える役割を担っていた。
そして短いながら、込められた思いは全てセツナに届いている。セツナは言葉ではなく、笑みで返答を行った。
そして視線がポイズンリリーの隣の人物――カナメに向けられる。
「元気で、健やかに。セツナの幸せを祈っている」
「ありがとう、カナメ」
別れの言葉を交わしながら、距離を詰める両者。
殆ど密着した様な状態でしばし見つめ合い、どちらからともなく顔を近づける。
そして、重なる唇。相手の身体に回される腕に力がこもり、互いの身体を抱きしめあう。
最後だからか、より情熱的なそれはしばらく続き。
「私はカナメが好き、大好きだ。でも、だから、さようなら、カナメ」
「ああ、俺もだよ。さようなら、セツナ」
別れの言葉は短かった。涙を流す事も無かった。
だが、思いは伝わった。故に二人の別れは、これでいい。
セツナは背後を振り返り、夕日に照らされて紅に輝く<帰還門>を潜った。空間が歪み、何処に繋がっているのかも見えないその中へ。
一度も振り返る事無く、毅然とした姿でその姿が完全にこの世界から消失した。
こうしてセツナは――今代の【勇者】桐嶺刹那は、元居た次元に帰還した。
カナメはその後ろ姿を日が沈むまでジッと見送り、星月が夜空に輝きだして、ようやく動き出す。
「ふぅ――別れってのは、何歳になっても慣れないなァ」
零れたのは、愚痴だった。
セツナを帰還させる。その選択にカナメは後悔は無い、微塵もだ。セツナは帰るべきだと心から思っている。
だが、寂しくないと言えば嘘になる。
だから出た愚痴。それは仕方の無いモノだった。
「慣れるようなカナメ様は嫌いです」
「そうか? ……そうかもな。ん~、とりあえず、今度は繋がっちまった異世界関係、だな。どんな世界か知る必要があるだろうし、コッチの世界の奴等が向こうの奴らを殺した謝罪にも行かんとなァ」
「はい。そう言うと思いまして、既にコチラがアチラに出向く準備は整えております」
「流石リリーは手慣れてるな。優秀な部下を持って俺は幸せだよ」
「そうでしょう、そうでしょう。感謝してもらいたいものです。カナメ様に傷心している暇なんて、与えませんよ」
「全く、ああ全く。リリーには本当に敵わんなぁ俺」
「そもそもカナメ様が私に勝てるなんて甘い幻想です」
「かもな。んじゃ、行くぞリリー。今度は異世界を切り崩す、ついてこい」
「畏まりました、カナメ様」
普段と同じ黒のコートを翻し、カナメは帰還門の前から去って行く。
愛する者との別れは辛い。五百年を生きるカナメが経験したその回数は既に数え切れるモノではなく、これからもそれは続くだろう。
別れに慣れる事ができれば救いとなるのかもしれないが、しかし、カナメは慣れる事はないだろうし、死という終わりを迎えるかどうかも怪しい存在だ。
だから、全てを背負って生きていく。
造り育てた国も、新しくできた友も、死んでいった仲間達も、自らが殺した者達などありとあらゆる全てを背負って生きていく。
それがカナメの生き方で、それはコレからも変わらない。
「異世界かぁ、さて、どんな所やら」
小さなカナメの呟きは、虚空に溶けて消えていった。
その顔に浮かべているのはセツナとの別れに対する悲しみであり、そしてコレから待ちうける新しい娯楽に対する期待だった。
Re:Creator――造物主な俺と勇者な彼女――
第四部 戦争編
――END――