第七十一話 魔王は強い、と言う話
そこは豪奢な部屋だった。
広々とした部屋を彩る調度品の数々は、調度品だけで城が幾つか建築できるだけの価値を持った物がちらほらと確認できる。
天井にある魔石灯製のシャンデリアは最高級品のシロモノであり、床に敷かれた赤い絨毯は貴重な魔獣の素材で造られたモノだ。戸棚にはこれまた最高級品の宝石が無数に並べられ、整頓されて飾られた槍や鎧や刀や槌などの武具の数々は全て、それぞれ特有の概念を内包する宝具である。
その価値を知るモノが見れば、卒倒するに違いない程の財宝がこの部屋にはあった。
そんな部屋の中に、三人の男女が居た。豪奢な椅子に座る男と、その傍らで直立不動で構える美女が一人、男と対面するソファに座っている黒髪の美少女が一人居た。
言うまでも無く、カナメとポイズンリリーとセツナである。
そんな三人の視線の先には、中空に投射されたスクリーンがあった。
そこに映っているのは、今まさに外で、遥か下の地面で起こっている現実である。
名剣魔剣聖剣の刃が走り、ライフルの銃声が轟き、神に捧げられる祝詞が詠唱され、圧倒的物量と体格差などにより、数えきれないほどの人間がまるで虫のように潰されていくその光景を、セツナは黙って見ていた。
腹が斬られて臓腑が飛び出るのを、頭部が西瓜を撃ち抜いた時のように弾けるのを、霊魂が大鎌によって喰われていく魂の叫びを、強大な獣が人を踏み潰すのを、黒き災害がその骨肉を一片も残さずに啜り喰らうのを、ただ見続けている。
その黒い眼は何を映し、何を思うのか。
普段の凛々しい姿が消え失せ、能面のような無表情をした今の姿からは何も察する事ができない。
ただ一人を除いて。
「非現実的な映像だろう?」
「……ええ」
鋭く冷たい声音で応えるセツナを気にすることなく、カナメはディスプレイに投影された光景を見る事も無く、ただ真っ直ぐセツナを見つめながら、淡々と語った。
「セツナだって、コレと同じ事はできる。いや、<確約されし栄光の剣>があるんだから、コレ以上の事もできるだろうさ。それも、容易くだ。
セツナ自身の身に危険があるのならやればいい。でも、あえてやる事も、ない。
セツナは俺とは違うのだから。“本当の化物”とは違うのだから。
だけど、だからこそこの光景を心に焼きつけて、俺のようには成るな。成らないで欲しい」
俺のような化物にはな、とカナメは自嘲気味にそう言った。
それを聞き、無表情だったセツナの顔に感情が浮かんだ。
何かを言いたくて、でも適切な言葉が見つからない。そう言った表情だ。
「そんな事を……」
セツナは何かを言おうとしたが、やはり言葉が見つからないのか、何も出てこない。
しかしそこに、助け船が出された。
「何シリアスぶっているんですかカナメ様」
「イダッ」
何も言えなかったセツナに割り込む形で、傍に控えていたポイズンリリーが取り出した紫色に発光するハリセンが、カナメの後頭部を吹き飛ばした。比喩ではなく、文字通りに。中身が飛び出るほどの威力があった。
ハリセンはポイズンリリーの体内にある収納空間から取り出されたのだから、宝具の一種であり、この威力にも納得がいく。
幸い光学ハリセンだったので触れた血液は一瞬で蒸発し、脳漿はドロドロに溶かされて溶接され、周囲を汚す事は無かった。ポイズンリリーの技量の高さもあったのだろう。
だが当然、掻き混ぜられた中身を周囲に晒すも、十数秒もしない内に完全に復元した。
カナメを不老不死の如き存在に変えた“神酒”の効力によるものだ。
復元し終えると、カナメは勢い良く立ち上がった。
「痛いぞ、リリー!! 少しは手加減をだな」
「はっ。柄にもなくシリアス風の空気を作って、セツナ様を困らせるからですよ」
「いや、これは俺なりの忠告というか、」
「言い訳とは、無様ですねカナメ様。何と、情けない事でしょうか」
カナメの言葉を、ポイズンリリーはバッサリと言葉の毒刀で切り捨てた。
セツナの前で繰り広げられる普段通りのやり取りに、思わず苦笑が零れ出る。
それを見て、カナメとポイズンリリーはコントを止めた。先ほどまでセツナが出していた暗い雰囲気は払拭されていたからだ。
それぞれの表情は、微笑みを作っている。如何せん暴力的な事ながらも、これはある意味でやらなければならなかった行為だったのかもしれない。
「ま、暗い話はここまでとして。セツナ」
「ん? なに?」
「このリュウスケ城攻略戦と平行して行われる、セツナと魔王テオドルテ戦についての、アドバイスを贈ろうと思って」
そう言いながら紅茶を飲むカナメに、今さっきまであった胸中の思いが消えていくのを実感しながら、セツナは頷く。
元居た世界に還るにはまだあった事の無い魔王テオドルテと戦い、勝利しなければならない。そう思えばこそ、テオドルテの情報は多く知りたい為、真剣だ。
「テオドルテは、ハッキリ言って強い。尋常じゃなく、強い。機玩具人形でも、テオドルテと戦って勝てる可能性があるのはリリーと、フィールドと、ラルぐらいだろう。俺が今まで見てきた勇者でも、恐らく初見では全員勝ち目が無い。
魔王特有の莫大な魔力量。全魔族が扱う権限魔術の全てを駆使する権能。魔族特有の強靭な身体能力。それに元々、テオドルテは天才だった。ユニークスキルを、アイツはアイツ個人として持っている。
普通に戦ったら、今のセツナの勝率は五割もあればいい方だろうさ。
それにダメだしで、俺がテオドルテに百数十年も前に贈った創造槍<ティアマト>がある。これを使われると、セツナの勝率は一割以下になるだろう」
「すまない、カナメ。<ティアマト>、とは、どういった宝具なのだ?」
「<ティアマト>は、俺が造った宝具の中で最強だろう作品の一つだ。形状は槍で、ランクとしては、セツナの<確約されし栄光の剣>と同等、あるいはそれ以上だな、うん」
「……なんでそんなシロモノを、ただでさえ強い魔王に渡したんだ?」
「そりゃ、」
「テオドルテが可愛かったからですよ、セツナ様。確か、テオドルテ様と最初にお会いした時は、十二、三歳ほどの可愛らしい少女でしたか。
あの時のカナメ様は、鼻の下を伸ばしてそれはもうだらしなく」
「ちょ、おま! 何その悪意のある言い方ッ」
カナメは慌てふためく。その行動はまるで事実を言われたようにしか見えず、セツナは思わずジト目を向けた。視線が冷たく、物理干渉でもしているかのようにカナメは見つめられる部位がチリチリと痛い。
ダラダラと冷や汗を流し、カナメは言い訳を始めようとした。
「いや、嘘だからな。あったのは十五、六歳の時だったし、贈った理由は、」
「言い訳は全てが終わった後にしてもらえませぬか、カナメ様。説明の続きをどうぞ」
「そうだな、その話は後でじっくりと聞くとして。カナメ、説明して欲しい」
テメェこの野郎、と言った視線をポイズンリリーに贈りつつ、冷たく無機質な視線を向けてくるセツナに気圧され、カナメは後で来るだろう地獄を思いながら説明を続けた。
「<ティアマト>は白銀の槍に海蛇が絡まってるようなデザインをした宝具だ。別に切れ味が極端に良いとか、刺されたら呪いを付与するとか、振っただけで衝撃波が飛んで山を削ったとかと言った常時発動型の能力は、無い。能力を使用しなければ、ただの不壊の槍でしかない。
ここまでは、<確約されし栄光の剣>と同じだ。
が、起動言語を使用して発動する能力<隔たり無き原初の混沌>を使うと話は違ってくる。これも、<確約されし栄光の剣>と同じ点ではある。
しかしだ、速度と規模が違うんだ」
そこまで言い、カナメは話を一旦止めた。
それにセツナは小首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「いや、ココから先は映像も交えてやろうと思って」
そう言いながら、カナメは合掌した。
数秒もせずに、その掌の間から光が漏れ出した。
その後、カナメとセツナの間にあったテーブルにデン、と置かれたのは透明な板で囲まれた一辺が一メートル程ある箱と、コントローラーだった。
箱の中は荒原で、そこに槍を持った可愛らしい少女の小さな人形と、少女の五倍以上の大きさを誇る赤い西洋竜が一体佇んでいる。
「これは?」
「身長十センチの魔王テオドルテ。本体が少女時だと身長百六十センチだから、十六分の一サイズだな。そして赤い西洋竜はファイヤードレークっていう、実在する竜だ」
「人形を造って笑みを浮かべる。正に変態ですね」
「ちげーよ!!」
「で、カナメ。続きは?」
「ん、ああ。人形はコントローラーで操作できるから、コマンドを入れて、と」
コントローラーを手に、カナメの指が動いた。それと連動して、箱内のテオドルテ人形が高速で動く。
白銀の槍――<ティアマト>を振り上げ、その穂先を地面に突き刺す。そして――
『混濁する生命の源――<隔たり無き原初の混沌>』
――沸騰する赤き海水が箱内を蹂躙した。
赤い海水は、始まりにして終わりでもある原初の海水を再現したモノだ。
その効力は“生物限定”ではあるが、その威力は強力無比である。
「赤い海水は、数え切れない程の生命の因子を内包している。機械とかにはただの海水程度の効果しか齎さないが、一度生物が触れると、ああなる」
カナメがそう言い、セツナの見つめる先で、赤い海水に触れたファイヤードレークの身体が溶けた。溶けて、赤い海水に変わった。
ファイヤードレークの断末魔が上がり、しかしそれも数瞬の事。数秒もせず、ファイヤードレークの肉体は全て赤い海水となって混ざってしまったのである。
その光景に、セツナは息を飲んだ。
「攻撃速度は光速で、効果範囲内のモノは問答無用で叩き潰す<確約されし栄光の剣>に対し、生物限定ではあるけど撃滅力と効果範囲では<隔たり無き原初の混沌>はそれを超越している。まあ、一長一短はあるけど、ドチラも俺の最高の作品だな」
「……これは、私の“盾”で防げるのか?」
「いや、難しいと思う」
「それは、何故だ?」
「赤い海水は沸騰している。つまり熱を持っているんだ。それも、かなりの高熱を。
すると、若干だが“燃やす”という“炎”の概念に通じるモノがある。確実、とは言えないが、盾を素通りする可能性がある」
「そうか……」
ふぅ、と息を吐き出しながら、セツナはソファの背もたれにもたれかかった。
瞼は閉じられ、恐らく先ほど見た光景を思い浮かべ、対処法を考えているのだろう。
それを見ながら、カナメは合掌しつつ、
「さて、アドバイスはココからだ」
セツナが勝利する為の策を、提示した。