第七話 天上より垂れし剣とカナメの狂乱
物語を語る前に一つ、昔話をしようか。
今から話すのは、三百八十年も前の埃に埋もれた大昔の出来事。
どれくらい昔かというと、俺が様々な国を旅してまわった末に「よし自分の国を作ろう」と思い立って造ったアヴァロンの歴史が、まだたったの二十年しか積み重なっていなかった頃の話になる。
ちなみに、この話を知っているのは当事者である俺を除けば、初期時に造り出した八人の機玩具人形達しか存在していない。
他は皆、死んでしまった。
しかし無理もない話ではあるだろう。そもそもあれから三百八十年も経っているのだし、人間は勿論魔族の中でも長寿種だった仲間達も、血で血を洗うような戦乱時代の流れに呑みこまれてしまったのだから……。
昔を思い返して、ほろりと目頭が熱くなる。
だがここは、少々暗い話は置いておこう。
過ぎたる過去を何時までも思い浮かべ留まっていようと、生き物は前に進むしかないのだから。
当時、俺は宇宙に対して並々ならぬ関心を抱いていた時期があった。
それもこれも、世界を旅している時に出会った一人の魔術師が見せてくれた『降り注ぐ災厄の黒き星』と呼ばれる継承魔術が切っ掛けである。
魔術師の名前はテイワズ・ジェン・ランページと言い、今現在でも歴史書や禁忌魔術が書かれた絶版の魔術書の作者として有名なのだが、彼は本当に凄かった。
天才というに相応しい非凡なる才能と、その才能に追随できる人間離れした魔力量を誇ったテイワズが行使してくれた継承魔術、『降り注ぐ災厄の黒き星』は、この世界で見てきた数多の魔術の常識とかけ離れていた。
旅をしていたお陰でちょっとやそっとでは動じなくなっていた俺でさえ、初めてそれを見た時は不覚にもあんぐりと口を開けるほど凄かった。
特筆すべきは、この魔術は彼一代で完成された<継承魔術>だという事だ。
人々の生活の一部として使われている簡易魔術や、今ある魔術を変化発展させた魔術などなら、ある程度の熟練と発想があれば誰でも数日程の期間で新しい魔術として作り変えれる。
例えば、寒さの厳しい場所では暖をとるために火系統の魔術が発達するし、砂漠のように水が少ない場所では水を得る為に水系統の魔術が発達していく。無論その地の特性にあった系統魔術――極寒の地ならば水系統や派生の氷系統など。攻撃魔術としては、その地の特性にあった魔術の方が効果が高い――も発展はするのだが、やはり相反する系統属性の魔術の方が、多く生まれていくのも事実ではある。
魔術とは、この世界の人間には学べば誰もが使える技法であり、日々進歩していく学問だと考えてもらえればいい。
ただ、魔術師とそうでない者が同じ魔術を行使した時の差は歴然――魔術師が火炎放射器とするならば、一般人はライターと言った具合である――であるとだけは補足しておかねばならないだろう。
だが、世界には誰もが普通に使える魔術とは一線を画する魔術が存在する。
それが先ほどから言っている、<継承魔術>。
全ての魔術師が到達するべき頂の一つであり、それを最初に造り出した者かその者の血を受け継ぐ子孫しか扱う事ができない、秘術の中の秘術。魔術の常識を覆し得る、選ばれた者だけの秘法。
それが継承魔術という存在だ。
そしてあらゆる継承魔術に共通する特徴として、世界中を探しても決して同じ魔術が存在しない事を語っておかねばならないだろう。
何故同じ継承魔術が存在しえないのか今現在でもはっきりとは分かってはいないが、世界の法則としてそうなっているだからそうとしか言えない。
その為多くの魔術師は何世代も時を重ねる事によって一族の血と才能を濃くし、途方も無い月日を重ねてたった一つの<継承魔術>を紡ぎ出す。しかし幾ら世代を重ねようとも必ず継承魔術に到達できる訳でもなく、その道は苛烈を極める茨の道だ。
それなのに、テイワズのように一代で<継承魔術>まで到達しえた者は、歴史を紐解いても恐らく数人しか存在しなかっただろう。
何という発想力か。
まあ、その発想があるからこそ天才だと言われるのだろうが。
しかし、何より『降り注ぐ災厄の黒き星』という継承魔術によって収束され、制御されて地上に降り注がれる暗黒物質の魔術効果が原子分解だというのだから寒気しか感じない。
まだ原子という概念もあやふやどころか確認さえされていなかった時代で、物質を構成する原子や分子の結合を強制的に解く魔術を思いつくと言うことは、江戸時代の人間がパソコンを巧みに操っているようなものだ。
本当にテイワズは天才だった。――天才過ぎて気持ちが悪い。
ちなみにテイワズ曰く、『僕が『降り注ぐ災厄の黒き星』で収束させて降り注がせる暗黒物質は、原子と衝突するとその原子を最小にまで千切るという概念を持っている。簡単に言えば、君が造る宝具に通じる概念魔術なんだよ』だそうだ。
……あの時のテイワズの自慢そうな顔は、今でも腹が立ってくる。
天才で無駄に美形だったテイワズは嫌いでは無いけど、ウザかったなぁ……。
閑話休題。
ただ使用する時の欠点を挙げれば、この継承魔術を行使するのに必ず必要になる触媒――継承魔術はそれぞれ違う触媒を使用する――である隕石が必要だという事と、構築陣が馬鹿みたいに複雑怪奇な事と、個人の人間が持つには桁外れな魔力量が必要な事だろう。
しかしその欠点を補って余りあるその破壊力には脱帽だ。光の速度で迫る原子分解魔術に対抗する術など早々無い。というか、知っていても普通の奴には逃げる事も防ぐ事も殆ど無理だ。
防げるとすれば、テイワズの攻撃方法を知っている事と、同じく概念系統の魔術か概念攻撃でも使える事が絶対条件だろう。
ちなみに、俺でも初見だったならば瞬殺される事請け合いである。
だが、宇宙からの攻撃という発想は素晴らしいと感銘を受けたモノだ。自分では思ってもみなかった攻撃法だったからでもある。
しかしなによりも、当時娯楽というモノに飢えていた俺には、何よりも魅力的に映ったのだ。
だから、俺は造る事にした。
宇宙空間に漂い、暗黒物質を使って『降り注ぐ災厄の黒き星』と全く同じ現象を再現できる宇宙要塞を。
だが思い立ったまではよかったが、アヴァロンの国王である俺は日々積み重なる書類を消化しながらの作業をせざる負えず、そしてそれは思ったよりも困難を強いられる事だった。
職務と私事に翻弄される悪戦苦闘の日々が続き――
しかしニ年の歳月を経て、それは完成した。
殺人衛星『天上より垂れし剣』
それが俺が初めて造った衛星の名前である。殺人が付くところに拘りと言うか、趣を感じてくれればありがたい。
これを見せてやった時のテイワズのあの驚きようと言ったら……今でも笑える。
閑話休題。
しかし、個人で衛星を打ち上げるという馬鹿げた行いを現実として実行できる自分の力に、改めて恐ろしくなった事も覚えている。いや、本当に造る事に関しては俺の右に出る者は存在しないだろう。
造る事だけに特化した存在が俺なのだから。
という訳で、俺の娯楽の延長として出来上がったのがダモクレスであり、アヴァロンを護る最強の矛として三百八十年経った今も宇宙を漂っていたりするのだ。
そんなやり取りが過去あって今に至るのだが、実はダモクレスが戦闘又は戦争に使われた事は殆ど無い。
俺が造ったダモクレス以外の兵器だけで殆どの戦争は事足りる訳で、防御不可能な広域原子分解兵器であるダモクレスはなんでもかんでも分解するので、使い勝手が悪すぎたのだ。
もう少し収束できるようにしていれば……と今でも悔やむ事がある。
駄目な点を具体的に言えば、まずは味方を巻き込みかねない事だろし、何より戦争の目的である物資を分解させてしまっては意味がない。
そのため普段はアヴァロンにエネルギー兼研究材料として、暗黒物質をアヴァロンへ定期的に放出させる、エネルギー供給装置として活躍しているのが現状です。ちなみに、当然の事ながら放出装置が放つ暗黒物質には原子分解効果は付加されていない。
しかしまさか副産物的な何かを生んでくれるかも……と思い付きで取り付けた機能が最も役にたつとはおもっていませんでしたはい。
所で、何故突然こんな事を語ったのか不思議に思うかもしれない。
だから最後に言っておこう。
これはただの、俺の自慢話だと。
◆ ■ ◆
街と街を繋ぐ石造りの街道を、カナメとポイズンリリーはライオンさんが引く帆馬車に乗って優雅に進んでいた。今回の旅で初めて寄った街<メサイティウス>を出発した昨日は風が荒れていて大変だったのだが、現在は風も落ち着き、帆馬車の中で午後のティータイムを満喫している所である。
香しい紅茶が注がれたカップを右手に取り、カナメはアヴァロンから送られてくる報告書を帆馬車には不釣り合いなソファベッドに寝転びながら目を通す。灰色のソファベッドは旅を快適にするためにカナメがメサイティウスを出発する直前に材料を取り込んで造り出したモノで、普通のモノよりも高さが低く、ソファというより座椅子に近い。
そしてその傍らでポイズンリリーは<ポケット>と呼ばれる魔道具からティータイムのお菓子となるクッキーを取出し、カナメの隣へと静かに腰掛けた。
ポケットとは袋の形をした魔具で、その中は亜空間に繋がっている。生き物は入れないが、食べ物ならば何時までも腐ることなく保存できたりする便利グッズだ。
ポケットは世界的に普及しているモノで、ポケットの中に入れられるモノは大きさではなく、重さとして指定されている。設定された重さであるならばどんなに大きなものでも中に入れられ、逆に重さ以上のモノはそれ以上入れる事はできない。
安く一般的なのが指定量百キロのもので、高価になれば三百や五百、千と入れられる重さが上がっていく。しかも入れているモノの重さによって袋の重量が増加する事が無いので、ポケットは旅に必要な荷物を収納するだけではなく、傭兵やハンターが依頼で狩った魔獣の鱗や外殻を入れて持ち帰ったり、金品の輸送や生産物の輸送にと幅広く使われている。
ポケットは、人々の生活で最も使われている魔具である。
そして補足で言えば、ポケットの発祥の地はアヴァロンだったり……。
カナメのすぐ横に腰掛けたポイズンリリーは、取り出したクッキーを丸皿に移し、小さな机の上に置いた。
それを見てカナメは一旦報告書を腹の上に置いて、すぐ横の机に置かれたクッキーに手を伸ばすが――。
「もぐもぐ……まだですカナメ様。毒味が済んでおりません。もぐもぐ……」
ペシンと、ポイズンリリーによって叩き落された。
「……おい」
「もぐもぐ……もぐもぐ……」
「そんなに勢いよく食べといて、毒味も何も無いだろうが」
「もぐもぐもぐもぐ……いえいえ、まだまだです。もしもの事があっては……もぐもぐ」
「いや、なに食べる速度上げてるんだリリーよ」
「いえいえ……もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ、ぷはぁ~。……あ、飲まないのでしたら紅茶貰いますね」
残像を残しながらクッキーを欠片も残さずに食い散らかしていくポイズンリリーの魔手が、遂にカナメの紅茶を奪取せんと伸びる。それをカナメは反射的に叩き落とし、ため息交じりで肩を落とした。
「自分のを飲め自分のを。なんでワザワザ俺のを飲もうとするんだお前は」
ほれ、とカナメは自らのコップのすぐ傍にあるポイズンリリー用のコップを取り、押し付けるように差し出した。
ポイズンリリーはそれを受け取って、その朱に染まった綺麗な唇を縁に付けてゆっくりと飲む。飲む姿ですら絵になると言うのだから、ポイズンリリーの仕草は完璧だ。
完璧すぎて、見慣れなければ――いや、見慣れていたとしても、思わず見惚れてしまう事だろう。しかしカナメにとってそれはすでに見慣れたものというよりも、生活風景の一部と言ったほうが正しかった。その為他者のように動きを止めるはずも無く、その隙にカナメは菓子を取ろうと手を伸ばして――。
「ば……馬鹿なッ!」
驚愕の声を上げた。
「どうしましたか?」
「ク、クッキーが消えてやがるッ!!」
ジーザス! 神は死んだッ!! と頭を抱えて叫ぶカナメに憐れみの視線を向けつつ、ポイズンリリーはカナメの肩にそっと手を置いて『美味しく頂きました』と口元を僅かに歪めて嘲りの言葉を洩らした。唇の隅に少しだけクッキーの名残りが在るだけに、余計に憎たらしい。
今回ポイズンリリーが用意したクッキーはアヴァロンで最も美味しいと有名な菓子店、『アレサンドラ』が誇るジンジャークッキーシリーズだった。カナメの大好物の一つである。
「お……お前なぁ~……ッ!」
しばしの喪失感に襲われた後、カナメは幽鬼のような形相でゆっくりと起き上った。首は真横に傾いたままで、目は血走っている。口は大きく吊りあがって、迫力のあまり牙が徐々に鋭く大きくなっていくような錯覚が起きそうだ。
温厚なカナメでも流石に好物を目の前で貪り喰われるという行為には耐えきれなかったのか、手には一瞬で物質化させたカナメ的調教鞭が握り締められ、手の中でぎりぎりと反りかえっている。
調教鞭の長さは三十センチほどで、叩いた時に大きな音が鳴るように先端には小さな板が取り付けられていた。
しなりを確かめるように数回振い、カナメは鬼のような形相でポイズンリリーと向かい合う。
「久しぶりのお仕置きだ、そこに直れッ! 今から夜までキッチリと足腰が立たなくなるまで……」
「貴殿等は完全に包囲されたッ! 投降すると言うのなら殺す事は無いッ! 賢明な返事を期待する!!」
さて今から困った子供に躾けをするか、と鬼のような偽の表情の下で意気込んでいたカナメの気分が、突如響いた一声によって儚くも崩れ去った。頭から冷水をぶっかけられた気分である。
先ほど響いた重低音の声は帆馬車のすぐ外で聞こえたもので、なにこの面倒そうなフレーズの言葉とぶちぶち呟きながらカナメは外の様子を確認しようと身を乗り出す。
そして外の光景にげんなりした。
自然とため息が漏れ出る。
しかしうな垂れていても自体は好転していない所か泥沼化していく事を知っているカナメは、仕方なく現状の分析を開始した。
今カナメから見える範囲でも、軽く数千人の人間が居るだろうか。
その数千人の一人一人が頭の天辺から足の先まで完全武装がされた武装集団、というかまんまどこぞの国の軍隊である。全体の規模を考えると、万に届くだろう大軍勢。
一応槍を扱う部隊や弓を扱う部隊などには分かれているようだが、その万にも届こうかという大軍隊はカナメ達二人と一匹の全方位を完全に囲んでいる。
陣の厚みに大きな差はなく、一点突破しようにも千数百人を相手にしなくてはならないだろうか。
街道のすぐ脇を流れている小川の中にもミッチリと兵士が待機してるのだが、脚が水に浸かって寒くは無いのだろうかとカナメは小首を傾げる。
「え、なにこの完全包囲陣」
子供が弱い者イジメをする時のような包囲陣に、馬鹿じゃねと思わず本音が漏れた。
「ああ、随分と前からこそこそと動いていましたね。――――まったく、もう少し空気を読んでもらいたいです」
自ら服をはだけてその綺麗な柔肌を見せていたポイズンリリーは何事も無かったかのように服を整え、少々怒ったように唇を尖らせる。
だがすぐに何事も無かったように顔を整えてから、面倒だ面倒だと言っているカナメに、随分前から知っていましたと淡々と告げた。
何処までもマイペースなポイズンリリーである。
「はぁ……。幾ら不運補正があるって言ってもさ、旅に出てまだ六日しか経ってないんですけど、これってどうよ?」
不運補正とは、その名の通り不運になってしまう補正のことだ。
この世界に堕ちてきてからやたらと厄介事に巻き込まれるようになったカナメが不思議に思って自分を詳しく調べた結果、堕ちた時から持っていたユニークスキル<堕ちて来た勇者>が持つ特性の一つのせいだと判明している。他にもいくつかあるが、今は説明している暇がない。
「再度問う! 貴殿等は完全に包囲されたッ! 投降すると言うのなら殺す事は無いッ! 賢明な返事を期待する!!」
今度は見ていたので、誰が声を出したのかカナメにもはっきり分かった。
降伏を進めていたのは、帆馬車の真正面に位置する軍勢の後方で、鋼の鎧で何箇所か補強された軍馬に跨る五十歳程の将軍であった。将軍が着ている白銀の鎧の胸部には薔薇の紋章が刻まれ、紅いマントが風に靡く。手にしているのは、独特の光沢を放つ長大のバスタードソード。戦で身をたてた生粋の戦士だと、迸る強大な闘気で分かる。
カナメ達からは直線距離にして四百五十メートルほども離れているのだが、やたらと大きく響く声は、どうやら将軍が風系統魔術である<声量拡大>を使用しているからなのだろう。
それから将軍の後方に掲げられている様々な国の国旗から推測するに、この軍勢は数ヶ国のよって結成された連合軍なのだろう。それなりに統制のとれている所から、精鋭連合軍とでも言った所だろうか。
しかしそんな事はカナメにとって関係無く、ただ面倒事なだけであり――
「すいませーん。俺としてはさっさと先に行きたいんでどいてくれませんか~?」
相手がどいてくれればそれでいい事なのである。
カナメとしては軽い気持ちで言った訳だが、どうやらこの発言は相手の逆鱗に触れてしまったようだ。
無理も無い。相手からすれば、自分達を舐めきっているとしか思えないのだから。
「――ッ! 貴様、我らを愚弄する気かッ! 此方が降伏を進めてやったというのに、其方がその気ならば良いだろうッ! 慈悲も無く殲滅してくれる! 全軍、攻撃開始ッ!」
将軍の号令と共に二人と一匹に対して攻撃を開始する万の軍団。攻撃方法は矢や魔術による狙撃を行いつつ、歩兵達が徐々に距離を詰めてくるという一見地味ながらも、絶対に逃がさない殲滅包囲陣。
まるで瀑布に呑みこまれようとしている小石ようなカナメ達だが、その姿は実に落ち着いていた。
「だってさ。どうするリリー? 俺は面倒だから動きたくないんだけど……」
「ならば私達が掃除をしてきましょう」
「ガフッ」
「んじゃそういう事で、よろしく」
カナメとしては、飛んでくる矢に刺さろうが剣で斬られようが死なない肉体なので――ポイズンリリーは元より、ライオンさんの外皮も相当硬い――無視して突っ込んで逃げてもいいのだが、生き残りに執念深く追いかけられても面倒極まりないので、ここはポイズンリリーとライオンさんに掃除してもらう気満々だった。
怠惰上等、昼寝上等。防犯装置が設置された帆馬車を突破できるならしてみろ、と中指を立てて後方でふんぞり返っている将軍にアピールして、いそいそと中に引っ込んでいく。
しかし、帆馬車に引っ込もうとしたカナメの代わりに出て来たポイズンリリーの姿を見て、今度は騎士道精神溢れる――かどうかは不明な――将軍様が言ってはいけない一言を言ってしまった。
「ふんッ! なんとも情けない姿か! 女の後ろに隠れるとは、漢の風上にも置けない腑抜け者がッ! その子供のように小さき体躯でも我らに挑もうとは思わんのかッ!! ふん、まあ、そのような軟弱そうな肉体では仕方のない事なのかもしれんがな!」
ドッ、と笑い声が敵軍全体から上がった。最も近い所にいる兵士達でさえ、微かに笑っているのが良く見える。この圧倒的戦力差に余裕があるのだろう。
将軍の発言を聞いたカナメはピクリと止まり、ゆっくりと振り向いた。
「……あ? 今何て言った?」
「カナメ様、目が据わってます目が。でも、そんな御顔のカナメ様を見るのは久しぶりでゾクゾクします。そして害虫の皆さま、ご愁傷様です」
カナメには、あるコンプレックスがある。
コンプレックスというのも、その決して高くは無い身長の事である。
カナメの身長は神酒を飲んだ時と変わらず百六十九センチと、極端に低いという訳ではない。だが決して高いとも言えない身長だ。
しかしこの世界の男性の平均身長は百七十五センチ以上。女性に焦点を合わせて見ても、カナメと殆ど大差が無い所か若干高いというのが現状だった。その為カナメはよく子供扱いされる事が多く、前々から気にしていた事だけに徐々にコンプレックスに昇華されてしまったという訳だ。
基本的に温厚なカナメであるが、身長について侮辱した奴だけには別だ。激情のままに、狂気に身を委ねて攻め立てる事が多い。
「良いだろう。人が折角助けてやるというのに、そんなに死にたいなら一瞬で死に散らせ屑がッ!!」
穏やかだった顔付から悪魔のような顔に一変したカナメは合掌し、その手にとあるスイッチを物質化した。
そのスイッチは随分と長い間カナメの脳内メモの奥底に眠っていた悪魔の兵器を行使する、気軽に押してはいけない禁忌のスイッチだった。
◆ ■ ◆
「くくく…………フハハハハハハハハハハハハ! 煉獄の底で後悔しやがれこんちきショー! フアハハハハッハハハハハ!!」
高笑いが街道であった場所に響いては消えていく。
自分の高笑いがどこか悪役染みた雰囲気を撒き散らしているのは重々承知の上で、しかしこれを止める事ができない。まるで全身の隅々から、自らの奥底に潜んでいる狂気が滲み出ているようだ。
ああしかし、腹の底から笑いが込み上げてくる!!
「ああ……数十年ぶりに見せるその間抜けながら尊大な高笑い……御懐かしゅうございますカナメ様。ですがその三下的発言だけは御止めください。全部台無しです」
降り注いでくるのは暴虐なる黒き極光。
それは万物を灰燼に帰す宇宙から降り注ぎし暗黒物質の円柱だった。
全てを喰い、全てを飲み込む光の暴力が、今現在目の前で吹き荒れている。いや、目の前だけではない。俺の前後上左右全てが極光によって蹂躙されているのだ。
既に視界一杯の景色は黒一色によって染め上げられ、極光以外の全てがこの場から原子レベルで分解されていく。
地面を舗装していた石製の街道も、脇に生えていた木々も、すぐ隣を流れていた小川も、俺を狙って集まっていた数カ国の精鋭連合軍も全て消え去った。それら全てがこの世界に居たという痕跡は、この地に深く刻まれるであろう<孔>だけとなる。
これが笑わずにいられるか、というものであった。
「フハハハハハハハハハハハハハ! 俺の敵となるという事はこういう事だ!! たっぷりと地獄で後悔するがいい!」
人を――敵を千人単位で殺した所で、俺の中には愉快という考えしか浮かばない。もし五百年前の俺ならば殺した事で吐き気を催し、罪悪感に苛まれていた事であろう。昔は今と違って命を奪う事に抵抗感が強かったのだ。元居た世界の常識で育った俺としては、人殺しというのはあまりにも精神的にきつ過ぎた。初めて人を殺した時は、今でも覚えている。というか、忘れられるはずがない。
しかし人間とは繰り返せばすぐに慣れる生き物だ。
この世界から元居た次元に帰れないと分かった時に、俺が八つ当たり気味にというか仕方なくというか、殺意を持って<アクアレギオン>の王族とか貴族とか兵隊とか国民を老若男女含めて軽く七万人をこの世から消した時には、俺は人殺しになれてしまったと思う。どこで慣れたかはあやふやだが、とりあえず、<アクアレギオン>を壊滅させた瞬間はすっきりした事しか覚えていない。あの時は味方など皆無で、周囲の人間全てが敵だった。
罪悪感とかは全く無く、ただ血溜まりの中で気持ちよく笑っていた。だって殺したのは敵だから。敵だから殺しても仕方が無いのだ。
いや、俺が異常者という事は、まあ、認めている。敵の四肢を切り裂き、関節を砕き、眼球や睾丸を繰り抜いて、性器を潰す事に抵抗を持つ所か面白がるという反応を見せられる俺は、正常者から見れば異常者にしか映らないというのも納得済みだ。
しかしだ。そんな風に俺を変えた奴にこそ責任があると思う。
俺を変えたのは俺をここに堕とした<アクアレギオン>の第十八代国王だったのだが、人の都合もお構いなしに無理やりこちらに堕としておいて、「魔王殺しも出来ぬ役立たずがッ! 貴様の御蔭で我らがアクアレギオンは世界的な頂点という立場を失い、その代りにアリスマリスが頂点に立ってしまった!! そのせいで我が国の経済は大きく低迷しつつある! それもこれも全ては貴様が不甲斐ないせいだッ! ええい、誰かこの虚け者の首を跳ねい! この深き罪はそれをもって償ってもらうぞッ!!」とか言われて実際そうなりかけたら、そりゃ殺したくもなるって。誰でも腹に据えかねるって。不満が爆発しても、それは仕方が無い事だって思うって当然だって!! そう思うだろう? 思うはずだ。思わないはずが無い!!!?
国王の責任は貴族の責任。貴族の責任は民の責任。民の責任は上が腐っているのに革命も何もしなかった事。
という信念の元、俺は<アクアレギオン>の首都を一人で陥落させた訳だが、まあ、その時の詳しい話は置いといて、俺はその時「ああ、敵に容赦はする必要ないな」と悟った。敵に女子供なんて関係ないですはい。
だから俺は俺の敵に対して容赦はしない。無駄な殺生は好まないけれど、俺に害を成す敵を殺すのに躊躇など必要はない。敵は消すに限る。敵を消すのは良い事です!
敵じゃ無いなら、よほどの事が無い限り俺は愛をもって接していますとも。
そんな俺を偽善者だという人もいるかもしれないが、人間そんなものだ。
そして俺が今先ほど消しさった万はいたであろう軍団は全て敵。
敵なのだから、容赦をする必要性など髪の毛一本ほどもありはしない。
怒らした向こうが悪いんです。
サーチアンドデストロイです。
「しかしカナメ様、<天上より垂れし剣>をこの程度の輩に使うというのはどうなのでしょうか? というかやり過ぎですよこのド三流悪役め」
「そういうなリリー。偶にはダモクレスも本来の目的に沿った使用法で使ってやらんと、誤作動を起こすかもしれんだろう。まあ、そんな事はありえないから、本音を言えばムカついたからだ」
ポイズンリリーの暴言は鍛えに鍛えたスルースキルを持って受け流す。敵に口を挟む隙を与えては此方が瞬きの間にやられてしまうだろう。
一応警戒したが、ポイズンリリーは俺が逸らした話に乗ってくれた。
一人ほっと胸を撫で下ろす。
「ムカついた……ですか。まあ、昔からカナメ様はああ言われると凄く怒っていましたが……しかしだからと言ってわざわざ<天上より垂れし剣>を使わなくとも良かったのでは? まったく……」
ハア、とポイズンリリーはため息を一つつく。
その息が少しだけ紫色だったので、カナメは急いでハンカチを取り出して自分の鼻と口を隠した。
つい二日前に、この毒の霧吹きでカナメは自分の意識を断たれたという事を、アヴァロンから報告書を持って来たシャドウキャットからそれとなく聞いていた。カナメ自身がはっきりと覚えていない事から、カナメはポイズンリリーに記憶操作薬を盛られたという予想をたてているのだが、証拠が無いのであまりはっきりとポイズンリリーを攻め立てられていない。仕返しが怖いからとも言える。
カナメの身体になにかがあったという事は無いので今は放置している状態なのだが、カナメはどうやらポイズンリリーの毒には注意しているようだった。
「ため息をつくなため息を。しかも無意識の内に神経毒が漏れ出ているぞ」
「ああ、ワザとです」
「……いや、もうそういうのいいから。ほんと、いいから」
「なにがですか? 幾ら私が機玩具人形でも、呼吸するように造ったのはカナメ様ではないですか」
「神経毒の所を抜かしてやがるッ! てああ、少しだけ身体がピリピリしてきたぞ!」
「はぁ……何を言っているんですかまったく。はぁ……」
「ああ、だから段々と濃度が濃くなっているからため息をつくんじゃない!」
「ふぅ~」
「だからこっちに意図的に吹くんじゃない!! ゴハァッ!」
指向性を持った毒は狙い違わずカナメの肉体に侵入を果たした。身体が僅かに痺れる程度に調整された毒は、ハンカチの防壁を突破してカナメの自由をしばしの間奪いとる。
だが、その程度ではこの黒き極光からカナメとポイズンリリー、ついでにライオンと帆馬車を護っている不可視の防御領域は崩れないどころか揺らぎもしない。
この程度の障害では、カナメの捕食を中断させることはできないのだ。
「と言っていれば、カナメ様。どうやらダモクレスの一刀は終わったらしいですよ?」
ポイズンリリーが黒く塗りつぶされたままの空を見上げていると、世界を塗りつぶしていた黒は唐突に途切れて消え去っていく。一秒も経てば、前後上左右にあった黒は跡形も無く消え去り、空を見上げれば普通の青空がそこに広がっていた。
ダモクレスが暗黒物質を射撃できる時間は僅か十秒未満。
だが、地面にはダモクレスが刻み込んだ<孔>が深く開いていた。
カナメを中心とした半径五メートルの円を境に、直径九百メートル程の巨大な円状の孔が形成されている。街と街を繋ぐ街道に突如として崖が出来上がっていたといった状態だ。孔の底を目視する事はできるが、石を落してみてもなかなか音が返ってこない。
そして円の中心にポツリと浮かぶ点に、カナメ達は存在していた。
自らの体内に入り込んだ毒を徐々に捕食することによって解毒したカナメは、服に付いた土を払いつつ何事も無かったかのように立ち上がって会話を続ける。
「そうだな。で、次の街にはだいたい二日後くらいか?」
「そうですね。それに次の街には有名な温泉が湧いているようなので、そこにはぜひ立ち寄るべきかと」
「温泉か……そうだな、そうしよう」
「ふふ、湯上りの私を見て興奮してもしりませんよ? ちなみに湧いている温泉には美肌効果とかがあるそうです。カナメ様には、私のさらに綺麗になった肢体を舐める権利がありますが、その権利を行使しませんか?」
「いや、何となく怖いから遠慮しておこう。寧ろ俺としては、そんなリリーの隣で野郎共の殺意の視線に立たせられるというのが既に面倒なんだが」
「ガフッガフッ」
二人が談笑――傍から見ればそう映るだけ――していると、ライオンさんが「無視しないで」と声を上げた。今の彼には野生としての雄々しさは無く、どこか大きな飼い猫のような可愛らしい雰囲気がある。
ライオンさんのニ対の翼は既に大きく開かれ、空を飛ぶ準備は整ったとカナメに知らせていた。帆馬車も車輪の軸から小さな羽を幾つも伸ばし、パタパタと準備運動のような動きをしている。
「準備はバッチリみたいだな。じゃ、一っ飛びよろしくな」
「ガフッ!」
カナメの声に大きく頷き、ライオンさんはその巨大な翼をはためかせて浮力を得る。カナメに強化されるまえなら帆馬車を率いては空を飛べなかったであろうライオンさんは、しかし力強い動きで空に舞い上がった。
帆馬車も少しでも負荷を軽減しようと、まるでプロペラのように羽を高速で回転させて推進力を生みだし、ブイィィィィーーーーーーーーン! と独特な駆動音を響かせる。
「これはこれで、なかなか面白い」
ふわりと飛びあがった帆馬車の中で、カナメは一人呟いた。
流れる風がカナメの黒髪を撫で、邪魔するモノの無い空中から見た景色は遠くのことまで良く分かる。遥か彼方にそびえ立つ山脈には虹のアーチが形成され、その真下を怪鳥が飛んで行く姿を目撃できた。
下を見てみると地面は既に遠く離れている。真下にあるであろう地面はダモクレスによって造られた孔の奥底なので、百メートルも上空に昇れば最早底は薄暗くて見る事ができないのだ。
ふとカナメは空を見上げ、雲一つなくなった青空をしばし見た。
ダモクレスを使う前までは雲に覆われた曇天だったというのに、今はその名残が全くない。
ただ蒼穹が広がっているだけだった。
「オルブライトまでは後十日ほどだから、その間にどんな厄介事に巻き込まれるやら……」
自分にある不幸補正を恨みながら、カナメは遠い目をして未来にあるだろう不幸にウンザリした。