第六十七話 狂信者は聖歌と共に、パンドラは大暴れ
神に捧げる聖歌が響いた。
聞く者の心を直接震わすかのような、不思議な声で紡がれるソレ。
「我が命は神の下に」
『『『我が命は神の下に』』』
「神敵が血肉を供物に、我らは神威を成す使徒なり」
『『『神敵が血肉を供物に、我らは神威を成す使徒なり』』』
幾千幾万の肉壁を前に、奇怪な集団が隊列を成している。
身に纏うのは白と金糸で製造された司祭服に、青白くやけにリアリティのある骸骨のようなガスマスク。手にするのはあまりにも実戦的では無い、大きく弧を描く刃をした大鎌。
まるでどこぞの長男を量産したような、白い死神のような姿をした総数二百の彼・彼女等は、アヴァロン最大宗教である【カナメ教】重度信仰者のみで構成された“致命者/致命女”達だ。
部隊名は<黄泉路>。パンドラやプトレマイオス、そしてハルピュイアには総合能力では若干劣るモノの、【神】と崇めるカナメの意思一つで何をするのも厭わない者ばかりである。
そんな彼・彼女らが紡ぐ聖歌は、高らかに響き渡る。
彼・彼女等が敬い奉る神に届く様に。
「故に命を惜しまず供物を捧げ、神のお告げを広めん」
『『『故に命を惜しまず供物を捧げ、神のお告げを広めん』』』
「愛せよ愛せ、全てを愛せよ」
『『『愛せよ愛せ、全てを愛せよ』』』
「全ては神に贈る供物、故に愛せよ、全てを愛せ」
『『『全ては神に贈る供物、故に愛せよ、全てを愛せ』』』
暗視機能と遠見機能、そして対閃光防御加工が施された魔導強化ガラスで覆われた骸骨の双眸の下には“致命者/致命女”達の狂気の灯った瞳があった。
カナメの為ならば死ねるという、真っ直ぐ狂った熱意にも似た感情がそこから垣間見れる。
それも仕方のない事なのかもしれない。
“致命者/致命女”達にとってカナメに奉仕する事こそがある意味で全てなのだから。
“致命者/致命女”達はほぼ全てが外の世界の住人だった。
飢饉で肉親を無くし孤児としてゴミ溜めでゴミを喰いながら育った青年、忌み児として疎まれ蔑まれ生贄にされかけた少年、貧しさから親に売られ幼い時から豚のような存在に犯され続けた少女、外では治す術が確立されていなかった病気によって生まれ育った村で最後の一人として死んでいく筈だった女性。その他にも多種多様な境遇がある。
皆差異はあれど、嘗ては絶望の底で生き、そしてカナメによって救われた者ばかりである。
いや、アヴァロンにはそう言った経験を持つ者ならば<黄泉路>に所属していない者にもそれなりの数が居る。
プトレマイオスで乙女座のクロスを纏うアウラなどは、種族が絶滅する寸前だった所を保護された経験がある。
だがしかし、だ。
自己を取り巻く環境を呪い、他者を呪い、世界を呪い、全てを呪った者に救い手が現れた時の想いは時が経つにつれて深くなり、その中でも信仰が極った存在が<黄泉路>の“致命者/致命女”達なのだ。
だから、“致命者/致命女”達の想念は強く。それにヒトは信仰によって理性のリミッターを外せる生物であり。
故に、カナメ以外には誰も止める事などできない。
玉砕すると理解していても、全力で突撃する様な妄信者達を前にただの人形がそれを押し留められる筈が無い。
「血を捧げよ! 肉を捧げよ! 命を捧げ祈りを捧げよ!!」
『『『血を捧げよ! 肉を捧げよ! 命を捧げ祈りを捧げよ!!』』』
「万象を捧げ妄信せよ!!」
『『『万象を捧げ妄信せよ!!』』』
聖歌が終わり、“致命者/致命女”――カナメの使徒達は動き出した。
目指すは西門。
そこに向け、邪魔する“愚者/人形兵”は手にもつデスサイズで首を刈り、四肢を薙ぎ、胴体を切り離して押し進む。
有象無象を一瞬で斬り伏せていくその様はまるで白い津波の様で、圧倒的に数が多い筈の人形兵達はただただ薙ぎ倒されていくばかり。
それはあまりにも理不尽で、かつ不可思議な光景だった。
幾ら個人の能力に大きな差があろうとも、人形兵の圧倒的物量によって押し込めば使徒達は殺せない事はない程度でしか無い。それに仮面を装備した状態であれば、例え死ぬ寸前だろうとも人形兵は動き続けるように設定されている。
まるで動く死体のようにだ。
しかし、現実として使徒達は白と金糸の司祭服を血色に染める事無く進撃していた。
普通ではあり得ない。
しかし単純な話、使徒達が普通では無いと言う事だし、皆カナメから授けられた三つの宝具を装備しているからだ。
白と金糸で造られた司祭服は“外界からの干渉を受け付けない”という概念が込められた宝具であり。
司祭服で隠れて見えないが、腰に巻かれたベルトは敵と強制的に一対一でしか干渉できなくする宝具なのだ。
そして一際目を引く大鎌は、その刃で斬り殺した生物の魂を喰らい、カナメの意思によって殺した魂をその身に集められた存在――ラルヴァートに送る能力を持つ、【魂狩り】の概念を持った宝具である。
その為、敵がどれ程の数であろうとも、個人として勝てるだけの力量が無ければ止められないのだ。
デスサイズを振り、人形兵の悉くに一撃必殺の斬撃を叩きこんで魂を蒐集する白き死神の軍勢は、狂気を帯びた肉壁を上回る狂気でもって切り裂いた。
<黄泉路>は、ただ神に捧げる供物を求めて突き進む。
その進撃を、阻める者は居なかった。
■ _ ■
「かぁー! あいっかわらず狂ってんなぁ奴等」
白き死神の行進を遠目にしながらそんな事を言ったのは、一体の機人である。
手にする身の丈よりも二メートルは長い赤い魔槍を持っている事から、機体名は<ランサー>で間違い様が無い。
ランサーのスラリとしなやかに長い四肢はラバースーツと甲冑を足して二で割った様な青い装甲具に包まれ、速さを求めた結果自然とほっそりとした体形をしている機体だ。
「クヒ、クヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
その上空を、一体の竜が飛んでいく。
ダイヤモンドのように輝く鱗を持つ、五十メートルほどの体長がある大型の西洋竜である。
一口で十数名は飲み込まれるだろう口にびっしりと生え揃えられた鋭牙は月の雫をそのまま鍛えた様な輝きを魅せ、竜翼を動かすだけで発生する突風が遥か下方である大地の表面を舐めるように吹き荒らす。
「クヒヒヒヒ、<ヴェノメージア>、ブレス、ブチかましてよ」
美しくも恐ろしい西洋竜――<ヴェノメージア>はその背中に乗せた主である<ライダー>の命を受け、巨大な口腔を晒した。
周囲の空気を急速に吸い込む動作は、竜種の特徴とでも言うべき強力無比な咆哮を行使する為の前準備だった。
そして約十秒後、溜めに溜めたブレスは外界へと解放される。
絶望的な破壊を持って、それは顕現する。
射出されたのは陽光を複雑に反射させる金剛石の塊だった。
ただし一つや二つでは無い。数え切れない程の宝石の散弾である。
速度は高速、モース硬度は最高値である10を越えるほどの物体が頭上から降り注げばどうなるかなど、誰だって予想ができる。
それは破壊の雨だった。
降り注ぐ宝石の雨は、その幻想的な光景とは裏腹に、あまりにも無秩序な破壊を齎す。
大地は穿たれ、削られ、掘り返された。
生物は潰され、切断され、臓腑をぶちまけられた。
臓物と肉片がそこかしこに散らばった。
竜の咆哮は、あまりにも無慈悲だった。
ただの一撃で、人形兵は数百単位でその生を断たれたのであった。
「ライダー? あんまりやり過ぎて味方巻き込まんといてやァ~?」
それを見ながら、ランサーの搭乗者であるケイオス・ヘンリッタはヘラヘラと笑っているような声音で通信を入れる。
ライダーが一瞬で齎した破壊など大した事ではないと言う様に、実に気楽にである。
事実、大した事はないのだろう、パンドラメンバー全員が装着している五メートルの巨体を持つ強化外骨格を持ってすれば。
「ねむい……」
ライダーのすぐ横に、何時の間にか別の機体の姿があった。
浅黒い鉄のようなゴツゴツとした表皮に、隆起した生体金属製の筋肉のラインがハッキリと分かる機体である。その手には溶岩をそのまま剣の形にしたような巨大な武器の姿があるが、決して<セイバー>ではない。
その機体は七体ある強化外骨格の内で最強を誇る<バーサーカー>である。
バーサーカーに搭乗しているのは不死鬼族のジル・サンタリオであるが、彼女は普段通り眠たそうにふらふらと身体を揺らしていた。
「眠たいんなら寝ててもえんやで? 別に、バーサーカーが出んでも十分過ぎるわ。……つか、バーサーカーが暴れると、俺達の出番が悉く潰されるしの」
「そうしたいけど~、頑張ったら、カナメの血を直接飲めるし……うん、ガンバろ~」
何がスイッチになったのか、それは分からないが、バーサーカーは手に持つ溶岩をそのまま剣の形にしたような巨大な武器を頭上に掲げ、起動言語を唱えた。
「燃えて燃えて、終わらせろ――<灼熱秘めし神の鉄>」
噴火が起きた。
バーサーカーの掲げた溶岩をそのまま剣の形にしたような巨大な武器が、轟音を轟かせて弾けたのだ。そこからはじき出されるのは大量の溶岩と、ドロドロに溶けた鋼鉄の散弾である。
どこにそんな質量が、と聞きたくなる様な量の溶岩と溶けた鋼鉄の散弾は、バーサーカーの前方に立っていた人形兵に降り注ぐ。まるで世界を浸食するかのようにだ。
先ほどのブレスとは比べ物にならない程の暴力が、全てを蹂躙していった。
と言うか、ハッキリ言って効果範囲が広すぎる一撃だった。
「うは……黄泉路の連中巻き込まれてるし」
世界を燃やし尽くすかのように蹂躙範囲を広げ続ける溶岩に白き死神達が人形兵諸共に呑まれていく光景を目の当たりにし、ランサーは流石に引きつった声音を出した。
あれでは、流石に助からないと思ったのであろう。
が、数秒もすれば白き死神達は大急ぎで空に舞い上がった。魔術を行使したのは特徴的な魔術光で一目瞭然だ。それを見てそっと安堵の溜息が零れ出る。
もし宝具を装備していなければこの一撃で味方二百名が綺麗さっぱり蒸発していたのは間違いなく、ハッキリ言って。
「やり過ぎだ」
ゴツン、とバーサーカーの頭部に拳骨が振った。
「あう」
「視界内の敵の大部分を屠る、西門を溶かす、まではいい。が、味方まで巻き込むのはやり過ぎだ」
バーサーカーに拳骨を喰らわせたのは、ランサーではない。純白の甲冑を装備したような姿をした、パンドラを取り仕切るリーダーの<セイバー>であった。
「ぬ~、じゃあ、さっさと終わらせてくる」
「それでいい」
バーサーカーは一瞬だけ揺れると、その後はまるで弾丸のように走りだした。
その後を、セイバーが追走する。ランサーはその後ろ姿をぼんやりと見つめながら、やれやれと言う様に肩をすくめた。
「元気やなァほんま。ま、俺の生まれ故郷やし、因縁もあるんで、行かせてもらいましょか」
ランサーは軽く準備体操をするように足首を回した後、クラウチングスタートのような構えをとり、そして走った。
強化外骨格最速を誇るその速度は先を走るバーサーカーとセイバーを追い抜き、燃え溶けている西門を一番最初に駆け抜けていくのであった。