第六十四話 外話 来訪は、竜の咆哮と共に
「契約により、貸し出していた【変刀分派】の一振りである【門構】、その完全破壊に対しての弁償として我々は金貨八千枚と、その原因であるゼリーロム女史の身柄の引き渡し。
そして神刀等を十品、もしくは高位魔術礼装三十品の納品を要求します」
黒と紫と白と赤の四種類の色で彩られた下地に、黄金のラインが宗教的な構造に沿って様々な意味を描き表す司教服を着た美しき青年――ラルヴァートが発したその無慈悲な言葉に、天皇を筆頭とした<ヤマト>の重鎮達は吹き出す汗を拭うどころか微動する事すらできなかった。
そして何かを言おうと奮起する度にラルヴァートが向ける無機質な、それでいて絶対的な圧を放つ視線によってその決意は残らず磨り潰されていく。
ラルヴァートの横に立つ美しき修道女――デスフィールドの存在もまた、それに拍車をかける。
そうなってしまえば、できる事などただ顔を蒼白にさせつつ、深い絶望を抱きながら沈黙する事だけだった。
それを不様と断ずる事ができる者が居るとすれば、それはラルヴァートを造ったカナメただ一人だけだろう。
機玩具人形の中でも【最強】を誇るラルヴァートを前にして、重鎮達の反応は至極当然のモノだった。
ヒトの皮を被った化物が相手ではこのような反応もいた仕方なし、と誰が思う中、ただ一人だけは普段通りの振る舞いを続けている。
それは天皇だった。
<ヤマト>随一の武士と自負する自らが屈してしまえば、それは<ヤマト>全体がラルヴァートただ一人だけに屈したと思ってしまうが故に。
だから天皇はラルヴァート達を前にしても情けない姿を晒す事は無く。
しかしやはり内心ではある思いで溢れていた。
(ヤマトは、私の代で潰えてしまうかもしれぬな……)
国の頂点としてのプライドはそのままに。
しかし冷静な分析がその結論を導き出していた。
まず賠償金として要求された金貨八千枚とは、現在の<ヤマト>が支払う事など到底不可能な金額である。
ただでさえこの世界に導き入れてしまった異世界の軍勢によって失った戦力や備品を再び揃えるのに、決して少なくない額が必要になる。それだけでかなりの出費になるのは間違いなく。今後も出費を余儀なくされる<ヤマト>では到底払う事もできない。
もし仮に無理やりにでも掻き集めたとしても、それは直接<ヤマト>が異世界軍の占領地となる道しか存在しなくなると言う事だ。
ゼリーロムの引き渡しについては、天皇は深く考えない。
情もある、親しみもある、慕ってくれるゼリーロムの為にも何かしたいとは思う。
しかし自らが負うべき責任は、その手段は、既に天皇は考えている。だから、深くは思わない。
神刀の類の引き渡しは流石に呑めるモノでは無く、高位魔術礼装で済ます考えだ。
「その要求を了承した……と言いたいのだが、<ヤマト>には金が無い。金貨八千枚は、到底払えない」
天皇はたったそれだけの事を言う事が、これほど重労働だと思った事は今まで無かった。
表面には出していないが、背中には冷や汗で服の色が変わる程濡れているし、腕は今にも震えてしまいそうだった。
それに気付いているのかいないのか、ラルヴァートはさして残念そうでも無い表情を浮かべながら――
「そうですか、残念です。では、別の物で補って貰いましょう」
――<ヤマト>の地にその名を刻む権利を得る。
「要求するのは、金貨四千枚とゼリーロム女史の身柄に、貴方達が開いてしまった≪ゲート≫の所有権、並びにこの地に来訪した異世界の軍勢に対抗するためのアヴァロン軍を派遣させる事の権利を、頂きたい」
その要求は、当然断れるモノでは無かった。
それどころか、今の<ヤマト>からすれば願っても無かった条件だ。
国の為を思うのならば、異邦人でしかないゼリーロムを引き渡し、半分の金貨を払い、異世界軍は<アヴァロン>が相手にしてもらえるのだから。
ここで<ヤマト>がアヴァロンに攻め落とされるのではないか、と考えないのはアヴァロンがその気になっていれば、大昔に支配下にされているだろうと理解しているからだった。
武がモノを言う<ヤマト>は天皇を含めた上層部は達人ばかりが揃っている。だから異世界軍がどれ程の軍事力を持っていようとも、アヴァロンならばどうにかできるだろうと、目の前のラルヴァート達が放つ圧によって理解もしていた。
しかし、
「一つ聞きたい」
「はい、何でしょうか?」
「ゼリーロムは、どうなるのかな?」
天皇は、それが気になった。
「勿論、異世界人との交渉材料になって頂こうかと。彼女は、言うなればアチラ側にとって元凶と言うべき存在ですので」
「そうか……なら、少しだけ条件の変更をお願いしたいのだが、可能だろうか?」
「ええ、構いませんよ。我が主は、人の意思を尊重する御方なので、大きく損害を出す様な提案でなければ問題はないでしょう」
「それはありがたい。では――」
天皇が要求した条件の変更。
それは、ちょっとした騒動を醸しだした。
ただしそれは、大きな流れにはあまり関係が無く――
■ Λ ■
その日は天候がよく、清々しい青空が広がっていた。
<ヤマト>の人間からは“フキの丘”と呼ばれる場所にあるゲートを囲うように建設されている大日本軍“外地”特別調査部隊の拠点は、重機やアーマードスーツ等の働きにより、凄まじい速度で完成に近づいていた。
あと一週間も過ぎれば、今ある細々とした問題も改善される事だろう。
そんな施設の一室。
対面ソファに腰掛け、上官である君嶋一等陸佐に出されたインスタントコーヒーを啜りながら、備前二等陸尉は世間話をしていた。
「施設の建築に問題はなく、ある程度分解された状態で運び込まれたヘリコプターも問題なく機能して、上空からの調査の手は幅広く伸びている。その過程で飛行するモンスター達はミサイル等で迎撃できる、とは判明しているが、この世界を備前君はどう思う?」
君嶋はニコニコと人の良さそうな笑みを絶やさない、普段通りの振る舞いながら、備前は君嶋が毒蛇のようにしか見えなかった。
恐らくだが、君嶋はこの機を逃さずにこの世界の地下資源等を確保する所存なのだろう。
それが上層部の意思なのかどうかはともかく、君嶋は備前に何かをやらさせようとしている風に見受けられた。
「確かに、近くに聳える山の上空を飛び交う翼竜などは脅威ではありますが、しかしその遺伝子構造や鱗などは、貴重な研究資料だとは思います」
「そう、その通りだ。今まで無かった生物、今まで空想の中でしかいなかった生物が、ココには入る。ここは宝の山だ、宝物庫だ。雄大な土地があるし、豊富な地下資源もある事だろう。
そしてコチラには、国民を、家族を無残に殺されてしまったと言う大義名分がある。この世界に第二の大日本を造る事だってできるだろう。
しかし、文明レベルが低いコチラの世界の住民に対してあまり暴力に訴えた手段を採ると国民は反発する。面倒な事だがな。
そこでだ――」
「私の隊で周辺の村に調査を行いに行け、と言う事ですか」
「そうだ。地道な作業になるが、それが最も近道だろう。捕虜からある程度の情報を引き出すにしても、言語が違う相手と分かり合うにはまず相手を理解しなければならない。
君の隊は周囲の村を回り、捕虜から得た情報で判明している単語が本当にそれを指すのかの確認と、また新しい言語の蒐集が主な任務だ」
「ただし、地下資源などの情報も集める、でいいでしょうか?」
「理解が早くて助かる。それで――」
君嶋が詳細な話を続けようとしたその時、備え付けの通信機が鳴った。
話を一旦止め、君嶋はそれをとる。
「私だ、どうした」
その後幾つかのやり取りを終え、表情を兵士のそれに換えた君嶋は声を荒げた。
それを備前は何事かと見つめる。情報を待つ。
「急いで外に行くぞッ!」
「一体何が?」
直ぐ様立ち上がった備前は問いかけ、君嶋は頭を横に振った。
「詳しい事は分からん、分からんが、相当な異常事態であるらしい。言葉だけでは要領を得なかった」
現状何が起きているのかを正確に把握する為に、二人は部屋を飛び出した。
長い廊下を走り、幾つかの曲がり角を走りぬけ、外に続くドアを開けた。
そして見た。
目撃した。
空を埋め尽くすそれ等を。
「な、なんだ、あれは……。私は、夢でも見ているのか?」
「いえ、現実です……。私も幻を見ていないのならば……ですが」
二人が見、そして緊急通信が発せられた原因。
それは、空を覆い隠すドラゴンの大軍だった。
大日本軍“外地”特別調査部隊は今まで翼竜、などと言うこの世界のドラゴンの派生の派生の派生で、生物学上正確に言ってしまえばドラゴンではないが姿形が似ていることから亜竜種に分類されている魔獣しか観測する事が出来ていなかった。
知らないから、識らなかったからこそ、ワイバーンをこの世界のドラゴンの標準として考え、鱗は強力な銃弾があれば撃ち抜けるなどの今までの情報から個体能力の上限も大した事はないだろうと思われた。
三日に一回は攻めてくる狐鬼や大蛇、火車に餓鬼や鬼などと言った<ヤマト>特有の魔獣の大軍を銃器で射殺していた事からも、魔獣に対して多少なりとも油断を招く要因となってしまった。
しかし、だからこそ本物を前にしてその反応は必然だった。
それを見た者の殆ど全てはその雄々しき姿と、ヒシヒシと全身で感じる力強さに圧倒され、目の前の光景があまりにも常識を逸していたが故に幻影なのではないかと考えてしまい、即座に行動に移せなかったのだ。
――翼ある黄金の蛇がいた。
四百メートルを超える巨体に、広げれられた巨大で鷹の様な形をした八対十六の翼は胴体よりも大きく、外見的には西洋の竜と言うよりも東洋の龍のような細長いフォルムをしている。
全身から生える鱗は黄金一色と無駄に豪華でいて神々しく、四肢は無く大樹を十数本纏めた様な太い胴体を持つ存在が浮かんでいた。
思わず跪き、両の掌を重ね合わせ、一心不乱に祈りを捧げていても可笑しくないほどにその姿は神々しく。
――赤く巨大な蜥蜴がいた。
背中から生える三対六翼の刃のように鋭角的な翼が、まるで天でさえも斬れるかのように速く、鋭く動く事で巨大を浮かび上がらせている。それでいて、ココまで烈風が吹いてこない事が異常であり。
恐竜のような前方に迫り出した頭部に、鋭く伸びる四本の剛角は特徴的で。鋭い岩大の剣を並べた様な顎に、チロチロと零れる炎の吐息はただでさえ凶悪な面をさらに凶悪なモノにしている。
ただ見られただけで腰が抜けてしまいそうで、恐怖のあまり目線を逸らせなくても仕方がないと言えた。
睨まれでもすれば、失禁してしまっても決して変ではない。
――黄金雷を纏う黄色き龍人がいた。
それは人の胴体に八本腕を生やしたとしか表現できない奇妙な上半身に、牙を剥き出しにした獅子のような頭部を持ち、蛇のように太く長大な下半身の長さは軽く六百メートルはあるだろうか。
黄色い鱗、と言うよりも黄色の棘が鱗のように身体全体から生え、その頭部から伸びる双角はバチバチと雷が産み出しては爆ぜていた。
その他にも空には数え切れない程の強大なドラゴンの姿があり、上空を埋め尽くしていた。
割合で言えば空の青が三で、ドラゴンが七だ。翼なども含めてだが、それでも驚異的な数である。
理解できなかった頃から時間がすぎ、ようやく幻覚ではないと理解しはじめた兵士は皆、恐怖に震える。
圧倒的捕食者を前にしてその反応は至極真っ当なものだ。
恐怖によってトリガーを引きたいという欲求が沸き立ち、だが、命令が無いのでそれは実行されない。とは言え命令されても恐怖で引けない可能性もあるし、逆に恐怖のあまりトリガーを命令や意思とは無関係で引いてしまう可能性もあるだろう。
本能が撃てば死ぬと囁いているが、絶対的なブレーキにはなりきれていない。
だが確実に言える事は、一体のドラゴンを見るだけで、それから発せられる生命の力強さが、秘めた力の凄まじさを全員が感じた。
一瞬で勝てないと誰もが理解した。
数秒見て勝てるはずが無いと確信した。
目撃してしまった全員が、核兵器を撃ち込んでもアレは殺せないのでないかとすら思った。
それほどの存在が、ビッシリと空を埋め尽くしている様は、ただ恐怖でしかない。
攻めてきた<ヤマト>の軍勢が低い文明程度しか無かったが故に、勝手にこの世界のレベルを判断してしまっていたが故に、この出会いはどうしようもなくインパクトがあった。
「まさか……これが、あのモンスターが言っていた事なのか?」
空を見上げながら、備前はぼそりと呟いた。
脳裏を過るのは、数日前に出逢ったモンスターの言葉。
まるで脳内に直接囁かれた様なあの響きが言った事と、現在の状況は似通っているように思われた。
だからもし、一発でも銃弾が放たれれば……。
そこまで考え、備前は慌てて全体に通信を飛ばす。
「コチラ備前二等陸佐、全軍に告ぐ、絶対に撃つなッ! いいか、死にたくなければ、絶対に撃つなッ!!」
『――了解ッ』
通信機から帰ってくる返事は震えていて、視界に入っていた兵士の何人かはあからさまにホッとした様子で、トリガーから震える指を退けていた。
撃つな、と命令された事によるある種の解放感は表現し難いモノがあった。
しかしそれよりも表現し難い出来事が発生したのは、次の瞬間である。
『あーあーあー、テステス。……コレで問題ないでしょうか?』
「……は?」
『はい、ラルヴァート様。音声翻訳にも放送機能にも、問題は見られません』
『よろしい。……では、こんにちは、そして初めまして異世界の方々。私の名はラルヴァートと申します。
この度はコチラの世界の一ヶ国がご迷惑をおかけして申し訳ございません。
つきましては、賠償金等の取引を行いたいと思うので、取りあえず着陸しても宜しいでしょうか?』
今まで言語も全く異なって居た筈なのに、流暢な自国語でそう語られれば、誰だって間抜け面を晒してしまうものだろう。
だから、備前は再度言った。
「……は?」
衝撃的な来訪は、竜の咆哮と共に。