第六十二話 外話 情報はとても重要である。
『ココとは異なる世界から、強力な軍隊が攻めてきた』
そんな噂が今、刃風国家<ヤマト>を形成する大小多数の島々に広がっていた。
最初に噂を何時、誰が流したのかはまでは分からない。噂の発信元が多過ぎる為に、ハッキリとはしないのだ。ただ首都<風守>が噂の中心点だと言う事は確かである。
そしてその噂が事実であるという事を知る天皇や大名などと言った国の首脳部は、この由々しき事態に頭を悩ませていた。
首脳部は噂の裏側まで知っているが故に、様々な対策を取る為に翻弄されているのだ。
長ったらしいかもしれないが大まかな道筋を話させて貰えば、今代、三番目に毒妃竜の鱗を入手する事に成功した<ヤマト>はそれを利用した【勇者召喚】ではなく、恒久的に異次元の知識や物資を得られないか、という考えの下動いていた。
それが【異界境界門】計画の始まり。
最初にそれを天皇に提案し、計画の総指揮を任命されたのは継承魔術<召喚門>を行使できる“門の一族”の一員であるゼリーロム・ゲーテ・シュテルノームと呼ばれる女性である。
齢二十四という若さながら、一族でも特に秀でた頭脳に知識量と内包魔力量、そして世界を放浪する一族の性質上各地で培った経験は歳に見合わず豊富だった。それにアヴァロンが世界中に張り巡らせた民間ネットーワークとも言える傭兵業斡旋施設にも所属しており、彼女のギルドカードの色は金色。
絵柄は【巨人を潰す巨岩】とランクは上から三番目であるが、それでもその若さで金色だと言う事はそれだけ彼女の才能の豊かさを示していると言えよう。
彼女は俗に言う≪天才≫だった。
『私はいつの日か、始祖エンディミオンを越えてみせる』
それが彼女の口癖でもあった。
数千年も前に<召喚門>を発明したとされる伝説の魔術師<エンディミオン>。
彼女は一族が現代まで口伝する彼が成した功績を越えたいと幼少の頃から願い、それを実現させるために日々想像を絶する程の努力を続けていた。
そしてその結果、彼女はその頭脳を持って一つの仮説を生み出した。
コチラの世界に堕ちてくれば【勇者】と言う存在になる上位世界で暮らす、ある程度以上の潜在能力を秘めた者をランダムで選び、選ばれた者の足下に堕とし穴を造ると言う始祖エンディミオンが築き上げた今までの方法ではなく、横の世界に繋がる扉――違う時間軸ながら上でも下でも無く、同等の世界地位に点在する平行世界のような場所に接続された出入り口――を造れれば、自在に世界を行き来できるのではないか、という仮説を。
とは言え当たり前ながら<召喚門>を普通に使用しただけでは結果に差異は無い。上位世界の人間が堕ちてくるだけの、エンディミオンが紡ぎだした従来の効果を発揮するだけだ。
だから改造を、改良を施す。
叡智の結晶とも言える<召喚門>の魔術陣を解析し、何処がどのような働きをするのかを理解し尽くし、特定の部位を変更又は新しい術式を追加する事でその効力を変化させるのだ。
と、簡単に言ってはみるモノの、それは決して簡単な事ではない。一般的な魔術でも弄り、完璧に意図した効力を発揮させるにはそれ相応の努力が必要になる。
その為複雑怪奇で難解極まりない<召喚門>を解析し、改造するとなるとそれはただ事では無いのは必然で。
しかし自らも≪天才≫と自負し、努力を怠ってはいなかった彼女には自信があった。他人では無理でも、自分ならばできるはずだ、という根拠なき自信。それに昔から培われていたエンディミオンを越えたいという想いが加算される。
彼女の想いは、執念に近いと言える程に大きかった。
とは言え彼女には多くの物が足りていなかった。
不可欠なキーアイテムであるリリアドリットの鱗は勿論、莫大な魔力を消耗する関係上それを補う人員や魔石などと言った補助品などが。
それは例え彼女が優秀であると言えど、個人の力には限界があると言う事の証明だ。執念が、想いがあるとはいえできない事は幾らでも転がっているモノである。
だから彼女の仮説は仮説のまま、研究する事もできずに闇に葬られていたかもしれなかった。
しかしリリアドリットの鱗を<ヤマト>が手に入れたと聞き、彼女は今しかないと理解して天皇の下に訪れた。この機を逃せば後は無いと理解していたから、彼女の動きは早かった。
そして出会った。
<ヤマト>中にその武勇を轟かせ、天皇の地位に納まった男に。
そして呆気ないと言うか、在り来たりと言えばそれまでな話なのだが、彼女は天皇に一目惚れしてしまった。
民を治めるに足る威光を纏う天皇に、その魂を抜かれてしまったのだ。
だから彼女は自らが主と認めた今代の天皇にさらなる栄光を、と決意し、それと同時に自分が考えてきたこの仮説を仮説では無く事実にする為に研究にのめり込む事となる。
その後の流れは長すぎるので大幅に省略させて貰うが、長い時を今まで経験した事の無かった挫折と失敗で埋め尽くしながら、ゼリーロムは段々と余裕を無くしていく。
美しかった美貌は失せ、寝不足と苛立ちからか肌は荒れに荒れ、輝かんばかりに美しかった金髪からは色が抜けていく。その上痩せこけた頬に眼の下の濃い隈と言った姿など、まるで幽鬼のような不気味さを周囲に振りまいた。
それでも構う事無く彼女は研究に没頭し、その姿は以前の彼女を知る者からすれば痛々し過ぎるモノだった。
やがて、彼女は一つの結論に到達する。
もしくは到達してしまった。
自分の力ではこの研究は成功しないと言う結論に。
そこで彼女は一度打ちのめされた。
彼女は培ってきた知識の全て吐き出し、放浪の旅の間に溜め込んだ魔石や竜種の貴重な素材の全てを研究に注ぎ込み、傭兵業斡旋施設に赴いて高ランクの傭兵の特権を行使して貴重な書籍を取り寄せてもらうなどできる限り全ての手を尽くした。
美貌という女として重要なモノだって代償にした。
だがそれでも成功する事は無かった。
無理なのだと、自分程度の存在ではゲートは製造出来ないのだと。奇跡が起きたって自分の、自分達の力ではできない事なのだと。
それを理解してしまう頭脳があると言う不幸。
いっそ気がつかなければよかったと思ってしまう程の想い。
今まで一度だって経験した事の無い、想う様にならない現実がゼリーロムの精神をガリガリと削り取っていく。
しかし彼女は絶望し続けては居られなかった。
失敗を繰り返そうとも、それでも彼女に期待を寄せてくれる者が居たからだ。
打ちのめされる彼女は、その思いに応えたかった。
だけれど、やはり研究は上手くいかない。失敗が続く。幾度も幾度も失敗し続ける。
そして最終的に、研究する内に積りに積もった様々な想いが混じり合い、執念とも怨念とも言うべき暗くまるでタールのように淀んだ感情が、彼女がこれだけは無くすまいと最後まで持ち続けていたはずのプライドを捨てさせた。
そうして漸く、彼女はそれを掴む。
宝具<変刀分派>が一振り【門構】という、希望と絶望を齎す猛毒を。
その後の話は早い。
ゲートは門構を使用すると一発で完成できた。
能力を行使しすぎた為か門構は砕け、その破片は最初虹色の何かが渦巻く不安定で不完全だったゲートに作用し、バチバチと火花を散らしその場にいた研究員の目を眩ませる。そして目が回復した後には、そこに横幅八メートル、高さ九メートル程の大門が存在した。
それは結果として彼女の思いが実った瞬間であり、彼女の研究の中での唯一の救いであり、しかし絶望を際立たせるだけの光でもある。
結局、彼女の知識は、彼女の経験は、彼女の財産は、彼女の犠牲にした全ては、一本の刀の前に敗れた。その事実だけが残された。
いや、ゲートが完成した事は確かに喜ばしい事ではあったのだろう。
現に彼女はそれを見た瞬間、涙を流したのだから。
しかし今までの記憶がフラッシュバックしていく内にその歓喜は失せ、ただただ黒い想いだけが体積を増していった。
他人が製作した物が無くては成せなかった結果が、彼女にとって恥だった。
信頼している仲間と共に取り組んだ研究など塵屑とでも言うかのような理不尽極まりない存在だった門構を掴まねばならない自分自身の無力さが、彼女には悔しかった。
自殺してしまいたくなるほどに、悔しさや怒りで憤死してしまいそうなほどに悔しかった。
本当ならばゼリーロムは仲間との協力だけで敬愛する天皇に異世界に渡る術を送りたかった。
一人の女として天皇を愛していたが故に、彼女の全ての結晶たるゲートを送りたかった。
しかしそれは成せなかった。どうしようもなかった。彼女の能力では不可能だった。
だから門構を使った。使うしか無かった。そして彼女にはゲート以外、本当に多くの大切な物を失った。
彼女は文字通り、自らの全てと引き換えにゲートを完成させたと言っていいだろう。
その後憔悴しきっていたゼリーロムは倒れ、研究が成功したと言う報告が首脳部に届く。幸いと言うか、ゲートは此方から何時でも起動できるようにと制御装置が付いていたので、戦力を整えるだけの時間が彼らにはあった。
その後アチラ側の世界についての情報を収集する為に、忍者などと言った諜報や隠密に長けたメンバーで構成された調査隊が送られ、アチラ側の住人を密かに数名を攫う事に成功する。
そして拷問などを使って絞り出した情報を整え、彼等は本格的な侵攻の開始を決意した。
それは彼等はアチラ側の世界の住人は“弱い”と考えたからだ。
魔力や気などで強化する事のできない弱い肉体、自分や他人の血に塗れながらも戦い続けられない脆い精神力、攫った誰もが知らなかった殺しの手管、スキルなどと言った法則さえも存在しないアチラ側の世界。
一応調査隊が見、捕虜から聞きだした見た事も無い建築物や着ている衣服などから、<ヤマト>よりも発達した文明であるようだが、それでも魔獣という人外の存在が跋扈するコチラ側で生きる我らがこのような非戦闘民族に負けるものか、という自惚れが在った。
そして何よりも、自らを敬愛するゼリーロムが全てを代償にし、最後には倒れながらも掴み取った成果だ。
人情を重んじる今代の天皇は、それを無碍にはできなかった。
だからこそ最終的に侵攻すると決めた。決めてしまった。
そして彼等は知る事となる。アチラとコチラの地力の差を、魔学技術と科学技術の違いを。
そしてアチラとコチラを繋ぐゲートは開かれた。<ヤマト>軍の侵攻が開始される。
侵略当初、刀や槍を装備し、鎧に身を包んだ<ヤマト>の軍は圧勝だった。
何処かの街中に出現したゲートから溢れた武士や侍は、武具など持ってはいないアチラ側の住人の首を刀が薙ぎ、槍で身体を串刺しにし、弓矢でその身を貫いていく。
中には果敢に反撃を試みた者も少数ながら居た。だが魔力や気で身体強化するスキルを使用していたり、魔術の代わりに発達した陰陽術によって肉体を強化していた侍や武士達はそれを一瞬で沈黙させた。
そもそも、追い詰められてようやく牙を剥いたアマチュアと、油断なく本気で殺しに来ていたプロとの勝負など、例え死に物狂いであったとしても奇跡は起こらない。
【窮鼠猫を噛む】という諺もあるにはあるが、あれは『弱い者も追いつめられると強い者に反撃することがある』と言うだけだ。本来以上の力をアマチュアが出したとして、十全の能力で殺しにかかるプロに抵抗できるはずがなかった。
<ヤマト軍>は抵抗らしい抵抗を受ける事無く、その日偶々ゲートの近くに居たモノから蹂躙していく。雄叫びを上げながら手にする獲物に血を吸わせ、肉と骨を断たせていく。
血の海が、屍の山が出来上がるのにそれほど時間はかからなかった。
アチラの住人にとっては、まさに地獄だったと言える風景が出来上がるのに、そこまでの時間は必要なかった。
その風景が出来上がったのには、軍勢の統率者として来ていた【近衛十本刀】と呼ばれる<ヤマト>でも屈指の実力者である二人が持つ、クサナギノツルギがニ本も在った事も大きいだろう。
炎熱を操る【火産霊】は人を、建物をその業火によって燃やして地獄絵図を演出し。
雷光を操る【建雷命】の雷は機器を滅茶苦茶にして情報伝達を遅らせ、長大な光の剣が軌道上にあった全てを両断する。
本当に多くの人間が武士や侍達によって殺された。殺しに殺され、死にに死んだ。
だが、アチラ側の暴力たる“軍隊”が到達すると先ほどまでの優位性は奮闘虚しくも覆り、<ヤマト>軍は敗走する事となる。
敵兵の持つ八九式小銃やM9の射撃、十式戦車による砲撃などは【火産霊】と【建雷命】の壮絶な攻撃の前にその大部分を防がれながらも、しかし<ヤマト>の武士や侍達を恐怖に陥れるのには十分すぎた。
殆どの武士や侍が、強化された動体視力でさえも見る事の出来なかった銃撃に心底恐怖したのだ。
しかしそれは仕方の無い事でもあった。
“銃”などと言う兵器が広がっていない世界に住んでいた<ヤマト>軍の武士や侍はそれが何なのかを知らず、戦車などは鋼鉄の甲殻を持つ魔獣にしか見えなかったのだから。
弾丸が矢の様に見えたならば刀で、あるいは槍などで彼等は叩き落とすか、もしくは回避できた事だろう。それだけの技量をヤマトの武士や侍たちは持っている。
しかし高速で飛来する弾丸を直接見る事ができなかったのだからどうする事もできない。
いや、見えずとも攻撃方法を知ってさえいればそれを予測し、断つ事はできるのだろう。
しかし知らないのだから、どのような攻撃によって傷付き、同僚が何故死んだのか分からない。
最初はそれでも吼え、果敢に攻めていくがそのような勇敢な者から撃たれ、死んでいく。
やがて熱は冷えるモノで、最終的には敵の武具の性能に恐怖し、撤退するしかないと思わせ始めた。
未知は恐怖である、といういい例だろう。
そして未知の恐怖に捕われ始めた時に戦場に到着した、アチラ側の科学力を注ぎ込んでようやく配備され始めていた三メートル程の背丈がある科学技術の結晶――特殊駆動鎧を装備した特殊部隊の活躍がその恐怖を確固たるものに換えてしまった。
武士や侍の本領を発揮する近接戦に置いて、全身を強化装甲で形成されたアーマードスーツを装備した部隊はそれを真正面から潰して行った。
高速で振り抜かれた刀は全身を覆う強化装甲に傷を刻む事まではできたが、その下のコードなどの精密機械までは断てず、その間に巨拳で殴り殺されたり重火器でミートペーストにされたり、足裏のホイールによって高速で突っ込んできた鋼鉄の体当たりで殺されていく。
アーマードスーツを相手にして、<ヤマト>軍は最早どうする事もできなかった。
それは最早闘争ではなくなっていた。狩人と獲物の立場が、完全に覆っていた。
遠距離では“銃”という全く未知の武器によって近づく前に殺され、鋼鉄の鎧であるアーマードスーツを装備した敵にはただ純粋な暴力により叩き潰される。
アチラの軍が相手では、<ヤマト>軍に勝ち目は無かった。
このような状況になってしまえば、例えカナメが造った宝具が有ろうとも片寄った能力しか無い刀では建て直せない。未知の敵を前に、効果的な使用ができない。
しかしそれでもとその能力は発揮され、その能力は自軍に甚大な被害を齎す砲撃や銃撃を喰い止め、多くの味方の命を拾い上げる。
そして<ヤマト>軍はゲートに逃げ込んだ。全員が逃げ込み、その上でゲートを閉めてしまえば追撃は無いはずだった。
だが、その時にゲートの開閉機能が故障している事が発覚した。ゲートの開閉の操作ができなくなったのである。
原因は分からないが、逃げて来たばかりの<ヤマト>軍には故障の原因を調べ、直すだけの時間はなかった。
閉ざされるはずだったはずのゲートは、閉じられる事無くアチラをコチラを繋いだままで。
そうしてそれほど長い時を置かずに、アチラ側の軍は開いたままのゲートを通ってコチラ側にやって来た。恐れていた追撃である。
そして当然ながら一度逃げ出した<ヤマト>軍が自分達の世界に戻って来たからと言って勝てる訳では無く、コチラ側でも再びその戦力の差を見せつけられる。命が散らされていく。
結果としてゲート周囲は占領され、【火産霊】と【建雷命】の奮闘虚しくも<ヤマト>軍は瓦解し、今度こそ本格的な敗走に入る。
幸いにもココは彼らのホ-ムグラウンドであり、逃げ道を知っている彼等は速かった。
そして更なる追撃が行われなかったのは、アチラ側の軍がコチラの世界についてまだよく知らなかったというのも運が良かった。問題の先送りでしか無いモノの、運は良かった。
そして侵攻時は五千五百名も居た軍は、首都<風守>にまで逃げ帰った時には半数以上を失うと言う酷い有り様だった。それに逃げ帰った時にはまだ生きていた者も大怪我を負っていた者が大多数であり、治療が間に合わずに死んだ者も多く居る。
【壊滅】と言うべき結果に、天皇や首脳部は沈黙するしかなかった。
正に起こしてはならない竜の尻尾を踏んだ様な気分だったのではないだろうか。
苦肉の策として、首脳部は敵が何者であるかについて緘口令を敷いた。
もしアチラ側の軍をコチラに引き込んだのが自分達だと知られれば、最早どうする事もできなくなるが故に。
だけれど、やはり人の口を完全に閉ざす事は難しい。
それが噂の始まり。
死に逝く者が、詳しい事情を知らぬ者が、死ぬ前にと家族に語ってしまった警告と言う名の真実。
とは言えども、噂を最初は信じる者は少なかった。看取った肉親から直に聞くなりしなければ、確かに有りえないと言って信じない程度には、荒唐無稽な話だったからだ。
しかしその噂は広まるにつれて、新たに浮上してきた様々な情報によって補完され、矛盾や不明瞭な部分が払拭され、次第に信憑性を帯びていった。
そしてそう時間を掛けることなくその噂は、ただ“事実”として国民の意識に根付いた。
『首都<風守>の傍にある霊峰<不死磨>を越えた場所にあるフキの丘に、見た事も無い武器の様なモノを持った人間が大勢いる』
『得体の知れない、見た事も無い様な轟音を響かせる魔獣を乗り回す人間を見た。そいつ等は見た事も無い衣服を着ていて、変な武器みたいな物で武装している』
『奴等が何か変な筒の様なモノを向けると、その先端から火を吹いて遠くにいる生物を殺す事ができるらしい。実際に、それを見た奴も居たとか』
『奴等はあそこに城を造りだしたようだ。それにとても頑丈そうな城壁が、数時間で驚くほど早く造られていくんだとか』
等々、そんな噂話。
ただしその中にも、首脳部が細工した情報はあった。
それが『異世界の軍が最初に攻めて来た』という嘘。
首脳部だって馬鹿じゃない。
緘口令を敷いてもやがては綻ぶと最初から知っていた。理解していた。それでも時間稼ぎをと敷かれたのが緘口令だった。
そしてそれが意味を無くし、噂が広がり始めるのを切っ掛けに上から流されたその嘘は、まだ不確かだったが故に、時が経つにつれて“真実”の中に根付いていった。
コレで自分達の過ちで災禍を引き込んだ事は隠せるだろうと安堵しつつも。しかし彼らの戦いは始まったばかりである。
どうにかしなければと、天皇は自らが侵してしまった過ちに歯を食いしばる。
武力が物を言う<ヤマト>に置いて、脳筋とどこぞの国王に揶揄されもしたが、天皇は最も武勇に優れた者が受け継ぐのが習わしだ。
そしてそれ故に、アチラ側の軍隊が自分達の軍の力よりも強大だというのが理解できていた。
クサナギノツルギがあるのでそう簡単には負ける事は無いだろうが、兵士一人一人の総合な殺傷能力、鋼鉄の甲殻を持つ魔獣の中に入りその巨躯を自在に操る技術、原理の分からない攻撃手段などなど、不安要素が多過ぎる為に油断はできないとも。
未知は恐怖でしか無い。知らないと言う事は、それだけで不利益に繋がる。
早急に、それも攻撃手段についてはどれよりも早くそれがどういったモノなのかを知る必要があった。
凡愚のようにただ勝てると信じて居られればどれ程気楽だっただろうか、などと意味の無い考えを巡らせ、それと同時に天皇は過去の迂闊だった自分を想像の中で殺しながら、思い付く限りの策を練り続けた。
まあ、とは言え、天皇達の苦悩は、そう長い間は続かなかった。
別種の苦労が舞い込んだが為に。
別格の災害を造っていたが故に。
「我が主の命により、弁償金の請求に来ました」
「愚かなる罪人よ、神に祈る時間だけは待ちましょう」
凶悪極まりない、神父とシスター姿な二人組の借金取りが、<ヤマト>に来訪した。
■ _ ■
盛り上がった土をジャンプ台に見立て、カーキ色の自動単輪車が弾丸のように飛び上がった。
それに追随するのも同じカーキ色の自動単輪車。飛んだ数は合計四台。
搭乗者は座席の上で中腰になり、着地と同時にくる衝撃をサスペンションと一緒に吸収する。
その重量に見合わずかなり軽い衝撃のみを搭乗者に伝え、名前通り一つだけの太い車輪で走るバイクは走り続ける。
「うっひょーーーーー! ああもう、なんてこったリアルファンタジーワールドッ!!」
着地し、しばらくそのまま走行していると、菱形を形作るように隊列を組んでいた四人の中で殿を務めていた一人が声を張り上げた。
彼等は全員西洋甲冑のような九十式装甲服、と呼ばれる防護服を身に纏い、顔まで覆い隠すヘルメットを着用している為に素顔や性別はハッキリとは分からないまでも、声を出した一人はその声から察するに、比較的若い男性だろう。
「っか~ッ! 俺、生きててよかったぁ!! 軍に入ってて良かったッ!!」
そしてそれは正解である可能性が高かった。
防弾や防刃は勿論の事、防塵防熱防寒性のある特殊繊維と金属板を幾重にも組み合わせている為に分厚く、それでいて見た目よりも遥かに軽量で隙間無く全身を覆う防護服の胸部に女性特有の膨らみが見当たらないからだ。
貧乳で男言葉を使う女性、という可能性が無きにしも非ずだが、百八十近くあるだろう体躯の為可能性は極めて低い。
「ああ、感じる! 異世界の風を俺は感じているッ!!」
肌を露出している部分が全くないので彼は肌で風を感じる事は無いモノの、土が剥き出しで舗装されていない場所を時速六十キロオーバーで走っている現在、それに見合った加速感と変わっていく流れていく風景だけで彼は十分興奮できるらしかった。
「五木、何度も叫ぶな。任務中は私語は慎め。ココは一応、敵地だぞ」
視界を保護するヘルメットの強化ガラスに投影された背後の光景と、内蔵されている通信機越しに聞こえた歓喜の叫びに、菱形の先頭を走るバイクに乗った人物――渋い声から確実に男性だろう――が、見咎めた様にそう告げる。
胆力の無いモノならば震えあがりそうなモノだったが。
「そりゃねえっすよ備前隊長。ほら、ほらほらほら! 見るからにファンタジーチックな光景じゃないですかッ!? 興奮するなって方が無理でしょ!!」
上官に怒られたと言うのに、殿の男――五木は興奮を隠す事はできなかった。
ハンドルから右手を放し、心底嬉しそうに前方に聳える山脈を、雲に隠されて頂上の見えない霊峰を指差しながら、五木は身振り手振りも追加してその心境を表現する。
「って、うっひょー! 見て下さいよ山頂付近、デッカイ何かが飛んでますよ!! もしかしてドラゴンとか?! なんてこったッ!」
「五木、何度も――」
「備前隊長、五木三等陸曹の事は無視して下さい。放置しておけば、静かになりますので」
身振り手振りで心境を表現する五木と、それに呆れながらも備前が再び注意しようとして、今度は右側を走行していた隊員の声によって遮られた。
声の高さと装甲服の胸部の膨らみと体格から、女性隊員であるらしい。
「相変わらず冷たいなぁー後眞二等陸曹わ。俺がこうやって浮かれてるのも、一重に皆の緊張を解き解そうと――」
「いやぁー、五木さんのは素じゃないかと僕は思いますけどー」
棘があった後眞の言に反論しようと口を開いた五木だったが、しかしそれをやや間延びした声が遮った。最後に残っていた左側を走る隊員である。
男性とも女性とも聞こえる中世的な音質で、ヘルメットを被る四人の中で唯一ハッキリとその性別を知る事はできない。
「いやいやいや、渡久地二等陸曹? 俺は本気で皆が過剰に緊張しないようにしてるだけですよ?」
「いやいやぁー、絶対素だよねー」
「いや、だから……」
「素、だよね~?」
「えと……はい」
渡久地は五木の反論と言う名の言い訳を、そのやや間延びした口調で封殺する。
基本的にお調子者である五木は、隊長である備前や女性で階級が一つ上な後眞よりも、天然なのか演技なのか未だに分からない渡久地のマイペースさが苦手であるらしく、最終的には押し黙った。
黙らされた、と言う方が的確かもしれないが。
「これでいいですかぁー備前隊長、後眞さん?」
「ああ、それでいい」
「渡久地さん、お疲れ様です」
備前達四名は、大日本軍“外地”特別調査部隊の第四偵察隊に所属する軍人である。
今現在備前達が遂行している任務は“外地”と呼ばれるこの世界の簡単な地理の調査だった。
ヘリコプターなどを使って上空から調査できれば遥かに早く、それも正確にできるのだろうが、しかしながらゲートの大きさの都合から直接コチラに送る事ができないのである。パーツ事にばらしてコチラで組み立てるにも、数を用意するにはそれなりに時間が掛かってしまう。
しかしながら、敵地に置いて地理の把握は早い方がいいのは間違いなく、それゆえに周囲の調査を備前達が所属する第四偵察隊は四人一組の班単位で機動力と踏破能力に優れた自動単輪車に乗って調査を行っているのだった。
そして調査をする事しばし、彼等は一体の魔獣に出逢った。
平均的な大きさ程度の牛の肉体に、中年男性のような人間の顔をつけたような魔獣に。
魔獣の名は“件”。
生まれてから一週間程度しか生きられないと言う宿命を背負い、ヒトの言語を理解し尚且つ未来に起こりえる災害を出逢ったヒトに語って教える、という奇妙な習性を持つヒトを襲わない珍しいタイプの魔獣だった。
『ホホウ、汝ラガ我ノ相手ナノカ』
草原の中でポツリと佇む件を見つけ、生物についての調査も任務に含まれていた備前達は近づき、そして絶句した。備前達からすれば動物――正確には動物では無く魔獣だが――が人語を解すなど、自ら語ってくる事など、そもそも人面であるなどと言う事からして常識外だったからだ。
「……備前隊長、外地って、凄いっすね」
「五木、珍しいがお前の意見に同意する」
「備前隊長、検体として捕獲するべきでしょうか?」
「ヘェー……喋れる動物って居るんですね、こっちの世界って」
バイクに取り付けている自動小銃を構えるのも忘れて頬をピクピクさせながらどうにか平常心を保たそうとする備前達であるが、その目の前に在る件はそれを無視し、朗々と語る。
目の前に現れた備前達の、引いては大日本軍が遭遇するだろう未来の“災害”について。
『数日モ経タズニオ前達ノ脅威ハ空カラヤッテ来ルダロウ。青空ヲ埋メ尽クサンバカリノ王者ノ群ニ恐レ慄キ、誰カガ咆哮ヲ轟カス。ソレハ破滅ヲ呼ブ事トナリ、大イナル破滅ハオ前達ヲ飲ミ込ムダロウ。
故ニ、オ前達ハ咆エテハ成ラヌ。死ニタクナケレバ沈黙シ、王者ノ君臨ヲ見届ケヨ。ソウスレバ破滅ハ回避サレ、オ前達ハ生キ残ル』
件はそう語り、そして、その身体はグラリと傾く。
ズズズン、と重低音の鈍い音が響いた。
「は?」
それは誰の声だったのか。
五木かもしれないし、備前か後眞、もしくは渡久地だったのかもしれない。
もしくは全員だったのかもしれないが、それはともかく、予言を告げ終えた件は倒れた。
何が起きたのか理解できていなかったが、隊長である備前はバイクを降りて件の首や口に手を添え、生死の確認を行う。
「……死んでるな」
「えーっと、備前隊長。何だったんすか、コイツ」
「それは分からん。が、先ほどのコイツが言っていた事は、一体なんだったんだ?」
「私には予言か忠告のようにも聞こえましたが」
「確かにー、それに近いかもしれませんねー」
備前達は揃って首を傾げるものの、深く考える時間は無かった。
ゴォォォォォォォォォッッ!!
魔獣の雄叫びが轟いたからだ。
油断していた為備前達の身は竦む。反射的に声がした方を見れば、そこには一体の魔獣が居た。
それは一言で言えば【鬼】だった。
憤怒の表情を見せる凶悪極まりない顔に、それを引き立てている剥き出しの乱杭歯は人間の四肢を容易く噛み千切ってしまうのだろうと思わされる迫力があった。血色の頭髪はゴワゴワで、それに若干隠されながらも額から生える二本の角は牛のように反り、三メートル近くはあるだろう筋骨隆々の体躯はそれだけで威圧感に満ちている。赤銅色の肌はまるで鋼鉄のようであり、腰には大きくボロイ布が巻かれているのは、見たくも無いモノを隠してくれる、せめてもの配慮なのかもしれない。
そんな鬼が手にする金属製の棍棒には円錐状の突起が存在し、その凶暴さをより一層引き立てている。
心の中で『鬼に金棒』とはこの事かと納得しつつも、そんな化物が血走った眼で自分達を見つめているのだから、備前達の全身からはブワッと冷や汗が吹き出したのも仕方が無い。
と言うか雰囲気からして、口から涎を垂らしている時点で、殺し、喰らう気満々である。
完全に獲物と定められている備前達が選んだ選択は、ただ一つ。
「総員退避ッ!!」
「「「了解ッ!!」」」
当然選ばれた選択肢は逃走だった。
そも、初めて見る鬼は熊などよりも数段上の迫力があり、討伐ではなく調査が任務であった備前達は得た情報を持ちかえらなければならない訳で。
だから、逃げ出した。一人バイクから降りていた為に若干出遅れた備前だったが、エンジンを止めてはいなかったのが幸いした。もしエンジンを止めていたら、高速で走ってくる鬼に捕まって、バリバリと喰い殺されていたに違いない。
装甲服を着てはいても、その上から人体が耐えきれない圧を加えられれば死んでしまう。五木達も援護射撃はしてくれるだろうが、弾が通るのかも未知数なので希望は薄い。
やはり捕まれば死ぬ可能性の方が高いだろう。
が、それはもしもの話でしかなく、喰い殺される事無く備前達は離脱する事ができた。
執拗に鬼が追ってくれば厄介だったかもしれないが、近くに件の死体が在った事もあり、興味はそちらに移ったようだった。
どんどんと遠のく件を貪る鬼の姿を見ながら、全力でバイクを走らせる。
「ふぅ……。まったく、この世界はどうなっているんだ」
備前の呟きは、しかし返事を貰う事無く溶けていく。
件の予言の意味を備前達が理解する事になるのは、予言通り数日後の事である。