表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/77

第六十話 毒女と聖女の対話

 セツナの頬から顎にかけて、ツツーと冷や汗が流れていく。

 それを拭いたいという欲求が沸き立つモノの、しかしそのような行いはできない。できるはずがなかった。

 何故なら黄金の光りを発している<確約されし栄光の剣エクスカリバー>を正眼に構えているセツナ同様、約八メートル程という僅かな距離をあけて、ダラリと完全に脱力した両腕に一本ずつ、計二本の紫色の刀身が特徴的な<狂い神の毒刀マッド・ポイズン>を装備したポイズンリリーが、その無機質な紅い瞳でセツナの隙を窺っているからだ。

 だから汗を拭う、という隙以外の何物でもない行為はできない。できる訳が無い。

 そんな事をすればポイズンリリーがその一瞬を逃す筈も無く、訓練とはいえ実戦と同じく真剣勝負である現在の戦いの流れはまず間違いなく持って行かれるだろう。身体の総合的なスペックはそこまで大差ないので、ただでさえ経験が少ないセツナでは一度流れを持って行かれれば負けるしかない。


 それは嫌だ。セツナは負けず嫌いだった。


 だからセツナは奥歯を噛み締める事で汗が伝い落ちていく不快感をグッと我慢し、拭いたいという欲求を叩き伏せる。

 そのお陰か正眼に構えた黄金の剣エクスカリバーの剣尖が数ミリだけ揺れ、微かに集中が欠けただけで大した隙ではなかった。しかしそれでもピクリ、とポイズンリリーの肩は反応するのだから油断はできない。

 今回は小さ過ぎたので攻め込んで来なかったが、もしもう少し大きな隙だったならポイズンリリーは容赦なく攻めてきた事だろう。


(やっぱり、隙だらけだけど攻め込めない、か)


 ポイズンリリーがセツナの隙を探るように、セツナも注意深くポイズンリリーの動きを見ているのだが、やはり何度相対しても同じ事を考えさせられる。


 ポイズンリリーの姿はまるで蛇の様だ、とセツナは感じるのだ。


 ダラリと力無く垂れた両腕が蛇の胴体で、二本の毒刀は猛毒を獲物に打ち込む為の毒牙。紅い瞳は生来の狩猟者のそれだ。

 ゆらりゆらりとふらつく様に左右に揺れ、力無く垂れた両腕など一見すると隙だらけな姿なのだが、今まで幾千と切り結んできたセツナは経験によって知っている。あれはコチラの攻撃を誘う受けの体勢であり、それと同時に、攻めも可能とした攻防一体の構え。


 実に嫌な構えなのだ、あれは。


 素のスペックでさえ尋常ではないと言うのに、完璧な脱力が成されたポイズンリリーの両腕から繰り出される攻撃は、完全な静止状態から最高速度まで達する時間が恐ろしく短い。

 それこそセツナの身体能力を持ってしても、反応するので精一杯という程の速度。無論音速を越えている。セツナと同じかそれ以上の領域の攻撃だ。


 とは言っても、多くの事を予め教えてくれる<唯一なる神の声ラ・ピュセル>を聞けば防御も反撃も多少簡単にはなるのだろう。相手が動いてからコチラも動くのではなく、相手が動く前にその行動を知り、コチラが先に動くと言うのは圧倒的なアドバンテージとなるのだから。

 だが、今回はセツナ自身の地力を高める為の訓練の一環なので、神の声はセツナ自身が聞かないように努めているので聞こえない。響かない。

 だからポイズンリリーの挙動の一つ一つから行動を読み取るしかない。

 その為読み違えて防ぎきれない事もあるのだが、常時セツナを守護する不可視の膜――【盾】はオン・オフの切り替えができないので怪我をする事は少ないのだから、そう気負う事も無いと言えば無いのだが。


 ちなみに少ない、と言うのは不意に盾を突破してくる攻撃に対しても反応できるように、とポイズンリリーが気紛れで魔術を使って刀身に炎を付加する為、気を抜いていると盾を抜いてセツナが致命傷と言ってもいい大怪我を負う――ちなみに大きいモノだけだと三回以上、小さいモノだと数え切れない。

 一度腕が斬り飛ばされた事もある――事があるからだ。


 とは言え過保護と言ってもいいほど心配性なカナメがそれに対応できるように、と用意は整えられている。


 怪我をすればその都度訓練場の片隅にある治療室に待機している機玩具人形の五女で医療特化型であるフローレンス女史が治してくれるので、本当に深刻な問題は今の所発生していないのだ。

 腕を斬り飛ばされた時も、五秒にも満たない時間で傷痕一つ残さずに治せる程の能力をフローレンス女史は持っているのだから。

 ただやはり痛いのは一部例外を除いて誰だって嫌な事で、怪我しまいとセツナは集中し、ポイズンリリーを如何に上手く打ち負かすかを考えねばならない。


「どうしましたセツナ様? ヘジンの時の様に打ち込んでこないのですか?」


「そうしたいのは山々だけど、リリー相手だとカウンターが怖くてね。早々、ただ斬り込む事だけを考えればいいヘジンと同じ戦法は取れない」


「ガハハハははハ、ハハハハハははッ。確かにィ、リリーのォカウンターは怖ェーよなァ」


 二人のやり取りを聞きとったのか、それとも動かない二人に焦れたのか、遠く離れた場所から大声が響いてきた。

 声の主は赤茶色い体毛に包まれた狼男、ウールヴヘジンだった。

 他多数と共に二人の様子を観賞していた彼が声を上げた理由は、性格からして恐らく前者だろう。


「黙っていなさい、ヘジン。会話に入ってこなくていいのですよ」


 弟妹に甘いポイズンリリーはそれに反応したのか、ほんの一瞬だけ視線を五十メートルは離れた場所に居るウールヴヘジンに向けた。

 セツナからポイズンリリーが目を逸らす。それは一秒にも満たない時間だっただろう。

 しかしそれを見逃すセツナでは無かった。セツナの強化された視力はポイズンリリーの眼球運動でさえ捉え、その動きを目視していたのだ。


 エクスカリバーの柄を握る手に力が入り、全身に力が漲っていく。魔力による強化ブーストも神に声と同じく今回封じているモノの、それでもそのエネルギーは超人に匹敵する。

 ただ殴るだけでハ級の魔獣までなら一撃当てれば爆散できるほどだ。


(今しか、無いッ)


 セツナはこの一瞬で動く事に決めた。

 頭の片隅では罠の可能性が高いとは思っていても、このまま膠着状態を続けると、今までの経験からポイズンリリーに勝ちを拾われる確率が高くなるだけだと分かっていたからだ。そして自ら動くしかないと、そうしなければ勝機は無いのだとも。

 身体の総合的なスペックは同等レベルでも、兵装の数、体捌きなどと言った戦闘能力ではまだまだセツナよりもポイズンリリーの方が勝っている。しかしそれは当然と言えば当然の事。

 何せポイズンリリーはカナメと同じく五百年という長い月日を経験し、その間に数え切れないほどの実戦を経験してきた存在なのだから。


 簡単に言えば、セツナは【勇者】として簡単に、超絶の能力を得た存在ではあるが故に努力など積み重ねていないのでそこに存在としての深みは無い。無い、というよりも浅いが正しいだろうか。

 それに対して、ポイズンリリーはカナメから与えられたその身体の性能を十全に扱えるように錬磨し続け、日々を重ね、その結果存在としての深みを獲得している。


 身体の総合的なスペックが同等レベルだからこそ、その深みの差が勝敗を決するのだ。


 だからセツナはポイズンリリーと訓練する時は、と言うか機玩具人形を相手にした時は常に全力を尽くす。そうしなければ勝てる程、容易い相手では断じて無い。


「――――シッ!!」


 鋭く息を吐き出すのと同時に、セツナは一歩踏み出した。

 以前までなら力任せに踏み込んだ衝撃で足下が陥没していただろうが、それも実戦や睡眠学習機などによって戦闘技術を身に付け、技法を精神に浸透させ、故に以前よりも遥かに卓越した体捌きを行えるようになった今、それと分かる痕跡を残す事無く一瞬で最高速度にまで達した。


 以前の様な無駄がそこには存在せず、だから以前以上の速度でセツナの肉体は前進する。


 音は聞こえない。音が追いつく速度では無い。音程度遥か後方に置き去りになっている。

 八メートルと言う一足で踏み込める距離が当然の様に消失し、エクスカリバーの殺傷範囲にポイズンリリーを納めた。それは同時に毒刀の範囲にも入ったと言う事だが、それが動く前に一撃で決めるべく、セツナは上段に構え――


(――ッ! やはり誘いか!!)


 ――グルリとセツナに向き直った紅い瞳を直視した。

 コレはやはり罠であり、誘いだったのだ、セツナに攻撃を仕掛けさせるための。

 ポイズンリリーの腕がまるで鞭のようにしなり、その輪郭がブレ、左右から挟み込むように毒刀が迫るのをセツナは目撃する。その速度は後から出たと言うのに、最高速度に達したセツナの攻撃と殆ど遜色は無かった。

 進む事によって微かにだがセツナが速い、その程度の差だ。

 しかし最早止まれない。止まる事はできない。否、止まればただ毒刀によって蹂躙されるだけだ。

 今の毒刀に炎の概念が付加されているかどうかは分からないが、もし仮に付加されていれば盾は容易く突破され、毒刀はセツナの胴体を切り裂くだろう。

 それに今の服装は訓練時の定番となっているタンクトップにホットパンツ姿で、露出が多く、とてもではないが防具とは言えない。だから今の防御力は盾を突破されるとセツナと同年代の少女とさして変わらない。毒刀などと言う一級の宝具の前では抵抗すらできずに斬り伏せられるだけだ。


 だから、セツナは改めて覚悟した。


 毒刀が自身を切り裂く前に、エクスカリバーをポイズンリリーに打ち込むのだと。


 ――殺される前に殺す。


 以前のセツナならば何か感じていただろうその思いも、アヴァロンに来てからは薄れている。あんなにも恐れ、忌避していた能力も含めて自分自身だと割り切る事が出来ている。

 それは成長だった。

 少女が大人の女になるような、確かな成長。


 だから――


 轟、と黄金の剣が大気を消し飛ばすかの様に振り下ろされた。






 ■ Λ ■






 ポイズンリリーは感心していた。

 セツナがワザと作った誘いに乗ったのはその性格からして予想通りだったが、その後の行動に。その決意に満ちた瞳に。

 即座に反応して繰り出した毒刀の挟撃がその身を刻む前に、より速くコチラを斬り殺す、というエクスカリバーの黄金の刀身に込められた生々しい感情に。


(どのような形であれ、ヒトは変化する、ですか)


 ふと、生みの親カナメが言っていた言葉を思い出した。

 何時、何処で、どのタイミングで言っていた言葉かは即座に思い出せないが、何故か今このタイミングで蘇った。だから、恐らくは何か今の状況と似た時に聞いたのだろう。

 そこまで考え、それ以上の思考は中断する。

 流石に今のセツナ相手で、無駄な思考に割く時間は無い。

 今回毒刀に炎の概念は付加されていないのでこのまま振り抜いてもセツナの身体に傷を負わす事は不可能だ。だが、ダメージが通らないなりにも使い方は在った。


「――フッ!!」


 接近するエクスカリバーに対して、あえて一歩踏み出す事で近づく。

 それを予期していなかったのかすぐ傍にあるセツナの表情に驚愕の感情が浮かび、それを見てポイズンリリーはニコリと小さな笑みを返す。セツナからすれば、それは最後の別れを告げる微笑みにでも映ったかもしれない。

 とはいえ、エクスカリバーの刃を直接その身で受け止めるつもりなどさらさら無い。

 存在自体が宝具であるポイズンリリーのランクはカナメが造ってきた作品の中でも極めて高いが、同じ初期作品とは言え今の人間形態だと、内包する概念強度でエクスカリバーに負ける可能性がある。そうなれば生身の人間のように切り裂かれるかもしれない。

 ポイズンリリーにも一応人間を真似た臓器が詰まっていて、斬られればそれが体外に零れ出てしまうだろう。痛覚は無いので痛みは無いが、そこまでの損傷を負えばカナメが直すしか無くなる。


 ポイズンリリーのプライドが、そんな無様な姿を見せる訳にはいかないと叫んでいる。


 だから、ポイズンリリーは右袈裟懸けに振り下ろされたエクスカリバーが最初に斬る左肩関節に搭載された、奥の手の一つでもある武装を展開する。


 武装の展開は一瞬だった。カナメが“そう言ったモノだ”として想像し、創造した為に展開時に生じるはずの間は存在せず、音速を越える速度で動く両者でさえ目視できない速度で広がったそれは重撃の黄金刃を受け止めた。


 受け止めたのは、左肩関節から飛び出した紫紺の剣翼。


 翼を形成しているのは菱形を薄く伸ばした、まるで鏃のような剣の群。数にして数十枚以上。

 それら一枚一枚が神剣魔剣の類の様に周囲の環境さえ歪めそうな程の濃厚な魔力を内包し、万物を切り裂けそうなほど鋭利に研ぎ澄まされていた。だから紫紺の片翼は飛ぶ事では無く、その鋭さで対象物を切断する事に特化しているのだと見れば理解できるだろう。

 これならばセツナの速度で繰り出されたエクスカリバーの重撃でさえ受け止められたのも必然だろう。剣翼の厚みの前に、エクスカリバーは沈黙した。


 ちなみに剣翼を形成する鏃の様な剣は単純な硬度、切れ味だけで言えばエクスカリバーと同等かそれ以下。ウールヴヘジンが振り回す宝剣<阻める物無き蛮勇の剣デュランダル>とは比べるまでもなく下だ。

 しかしそんなモノは、切断能力などは、剣翼の最も注意すべき能力では無い。


「――ッツツツツ!! な、んだ、これはッ!!」


 紫紺の剣翼が放つその強烈な毒気、内包する猛毒、それこそが最も注意すべき能力。

 エクスカリバーのような高貴さや尊さなどは微塵も無く、デュランダルのように真正面から敵を斬り伏せるという心意気も無く、ただただ対象を汚染し、切り分け、溶かし、腐敗させるかのような、ただそこにあるだけで世界を壊死させそうな、可視化している程濃厚な毒気こそが剣翼の最大の能力。


 ポイズンリリーが展開したそれは、あまりにも狂気的な兵装だった。


 手にした毒刀マッド・ポイズンが放つ毒気など霞み消える様な程の濃厚な毒の塊。

 瘴気とも言うべき程の環境汚染能力。


 そんなモノを眼前にして、幾ら盾でその異常なまでの毒さえ完璧に無効化できているとはいえ、流石のセツナも動揺を隠せる筈が無かった。だから声が漏れ、ほんの僅かだが後ずさろうとする。

 セツナの本能が、恐怖によって猛毒の剣翼から遠ざかろうとしたのだ。

 とは言え、セツナはそれ以上離れる事ができなかった。

 セツナの速度で振り落とされたエクスカリバーの一撃は剣翼の剣を十数枚は両断し、しかしそれでも数十枚の剣が折り重なった剣翼の守りは突破できず、その守りを突破できなかったばかりにエクスカリバーの刀身は剣翼に埋没し、即座に抜く事ができなくなっていたからだ。

 そうなってしまえば攻撃したくともできず、また防御する事もできない致命的な隙が生じる。

 ポイズンリリーは笑みを深める。


 その後の結末は早かった。


 渾身の一撃を防がれた事と、初めて目にしたあまりにも毒々しい剣翼によって発生した一瞬にも満たない忘我の間に、セツナの胴体を左右から切り裂く軌道上にあった毒刀を腕力だけで無理やり変更する。

 ギチギチ、ギガガガガ、と両腕の生体金属が軋む。普通ならば筋繊維が断裂するそんな無茶苦茶も、機玩具人形であるポイズンリリーだから成し遂げられる。

 右の毒刀はセツナの左側頭部へ、左の毒刀はセツナの右足首へと向かい、円を描くように思いっきり薙ぎ払う。

 炎の概念が付加されていない毒刀はどれ程強かに打ち据えてもセツナの盾によって無効化されるのでセツナ本人は痛みを感じ無い。つまりダメージは全く通らないと言う事だが、それでも体勢を崩す事は可能だ。

 セツナからすれば思いっきり押されたか、一瞬無重力になって天地不覚となる感じに似ているのかもしれない。

 セツナの身体が中空で勢い良く回転した。


「うわ――きゃ」


 小さく、可愛らしい悲鳴がセツナの口から洩れた。

 呆けた瞬間に体勢を無理やり崩されて、流石のセツナも背中から地面に落ちた。

 

「――我が刃は炎熱を宿すドロテア・メギスト


 その隙に魔術で炎を付加した右の毒刀をセツナの首筋に添えて、今回の模擬戦はそれで勝敗は決した。

 盾を貫通する毒刀に加えてこの状況、それらをひっくり返す術はセツナには無いのだから。


「セツナ様、降伏を」


「……負けました」


 拗ねた様に唇を尖らせるセツナが可愛らしくて、ポイズンリリーはクスクスと笑みを零しながら毒刀を体内に収納した。






 ■ Д ■





 遥か上空に存在する地下都市の“天井”に設置された気象制御装置によって涼しい風が吹き抜けるように設定された、芝生の上に椅子と机が幾つか並べられた休憩所の一角に、セツナとポイズンリリーの姿は在った。


「はぁー、やっぱりリリーは強いなぁ。少しはいい所まで行けたと思ったのだけど」


「私とセツナ様では経験が違います。ですが、ここ数カ月で段違いに強くなられましたね。まさかこの段階で奥の手の一つを使わされるとは思っていませんでした。それとコーヒーです」


「ありがと」


 木製の丸椅子に腰掛け、ポイズンリリーから受け取ったコーヒーを啜りながらも先ほどの勝敗についての反省会をしていたセツナはうな垂れながらそう言った。

 今回でセツナとポイズンリリーの戦績は八十二勝百三十六敗十一引き分けとなり、ただでさえ負けているのにココ五・六回は連続でポイズンリリーが勝ちを拾っているのだからセツナの不満も仕方が無いだろう。

 自分自身の力不足もその思いを加速させている。

 

「しかしやはり、駆け引きってやつは面倒な」


「セツナ様は良くも悪くも真っ直ぐですからね。私としては、やり易い相手です」


「くぅ。反論できないのが痛い、か……」


 クスクスと口元に手を当てながら上品に笑うポイズンリリーの姿は様になり、それに対してぶすーっと不機嫌そうなセツナとの対比は姉と妹という上下関係を思い浮かばせる。

 セツナがアヴァロンに来て早数ヵ月。カナメ以上に同じ時間を共にしているのはポイズンリリーだけなのだから、仲が良くなるのは必然だったと言えるだろう。

 二人の間に、穏やかな空気が満ち満ちる。

 

『ガハハハはははハハハハはははぁ!! どォしたどォしたお前等ァ!!』


『うわぁぁぁぁぁぁぁぁ死にたくねェェェェェェェェェェェェェ!!』


『クソクソクソクソッ!! 故郷に妻も子供も居るのにィィィィィ』


『どチクショォォォォォォォォォォ!!』


『やっぱヘジンの旦那との戦いはおもろいわぁ!! ほな気合い入れて行かせてもらいましょかッ』


 そんな中で、遠く離れた訓練場からココまで響いてくる絶叫と歓声。

 声につられてセツナがそちらを振り向けば、誰が何をしていたのか直ぐに分かった。


 あれはウールヴヘジンによって訓練――と言う名の拷問に近い何かを受けている聖典騎士のメンバーなのだ。セツナと共にアヴァロンにやって来てからと言うモノ、彼等は近接戦はウールヴヘジンが受け持ち、遠距離攻撃に対してはシルバーチップが担当する、という豪華だが普通の人間からすれば謹んで辞退したいほど強烈で濃密な訓練をこなしている。

 否、強制的に強いられている、と言った方が正確だろう。泣こうが叫ぼうが気絶しようが骨折しようが、鞭で叩かれながら動き続けさせられている。途中退場したくともアヴァロンの医療で即座に完治させられるのだから始末が悪い。

 しかも訓練に慣れて堕落しないように、と日々その訓練は厳しくなり続け、その中でもたった一人――言うまでも無いかもしれないが、聖典騎士随一の実力者であり自由人であるルシアンだ――を除いて屈強な精鋭ばかりだった彼・彼女等に死んでしまう殺される、とまで言わしめるのが今回の様なウールヴヘジンやシルバーチップとの模擬戦だ。


 とは言っても流石に手加減はしていて、総合的なスペックを二段階は落とし、ウールヴヘジンは無手の状態で対峙し、シルバーチップだとゴム弾を打ち出す二丁拳銃である。


 が、やはりそれでも圧倒的なのは変わりない。


 柔軟な人肉のようでありながらもカーボンナノチューブ以上の強度を誇る生体金属製で、身長は280センチ程とヒトとは比べ物にならない巨体を誇るウールヴヘジンは肉体一つで十分兵器として通用する。

 それにウールヴヘジンが接近戦に特化した特攻駆逐型である以上、殴り合いでウールヴヘジンに勝てる存在は機玩具人形の中でさえ居ないのだから仕方無い。


『オオラァ!! へばってんじャアァねェーぞォー!! ガハハはははッハハハァ!!』


 遠く離れたココまで風切り音が聞こえてきそうなほどの速度で振われたウールヴヘジンの巨拳は、逃げ遅れた者を容赦なく殴り飛ばす。

 ルシアン達は皆武具を装備した状態なのでそれなりの重量があるはずなのだが、そんなモノなど一切関係無いと言わんばかりに殴られれば数メートル上空まで舞い上がり、傍で待機している魔術師が魔術で衝撃を緩和させていた。

 重量も攻撃も守りも一切合切無視するウールヴヘジンの攻撃には、何度見ても呆れるしかないだろう。あんなモノばかり見ていると、常識が可笑しくなりそうだ。


『ヘジンの旦那、一手御教授お願いしまっせい!!』


『オオっ、こォいこォい!! 温かったらァその愛剣をよォ、叩き折ってやッからなァ』


『<水竜報剣リヴァン・アルヴァーナ>は俺の命、ヘジンの旦那と言えども折らせんよッ』


『グハハはははハハハ、吼えたァなぁルシアン。なら意地でもォ叩き折っちまうぞォイ!!』


 訓練が始まってから数日の間に本来の彼・彼女等の装備はズタボロにされてしまい、現在ルシアン達が装備している武具はルシアンの愛剣<水竜報剣リヴァン・アルヴァーナ>を除いて、全てアヴァロン製の品に買い替えられている。

 そのお陰か彼・彼女等の実力以上の性能が装備によって引き出され、地力は地獄の訓練を行っている現在、以前と比べモノにならない程の高みに至った彼・彼女等は外の世界ならば正に一騎当千の猛者と呼ばれるだろう。

 その中でも飛び抜けて成長しているのは、今ウールヴヘジンと真正面から切り結んでいるルシアンだった。【速度上昇】や【防御貫通】などの能力を持つ装備品を幾つも所持している、というのもあるのだろうが、磨かれた剣術と鍛えられた肉体は手加減したウールヴヘジンと数十秒は渡り合えるのだから凄まじい。

 先ほどの本気でぶつかり合ったセツナとポイズンリリーの戦闘と比べれば遥かに見劣りするが、それでもそれは武芸を極めた者の完成形を見るようなモノだった。

 赤茶色い何かが縦横無尽に動きまわり、それを追う様に青い剣光が迸る。


「ルシアンは元気だな……」


「無駄なくらいですけど」


「それは否定できないけど、せめて言い方を……あ、吹っ飛んだ」


「ヘジンをちょっと本気にさせたルシアンが悪いですね。まあ、剣を壊されないように攻撃を受けなかったのは褒めれるかもしれませんが。あれは全治二日コースですね」


 など、褒めていたらルシアンの身体は高らかに舞い上がっていた。胸当てに大きな亀裂ができている。

 流石にちょっとだけ本気を出したウールヴヘジン相手ではどうしようもなかったようだ。


「時に、セツナ様」


「ん? なに?」


「セツナ様がアヴァロンに来て既に三ヶ月程が過ぎましたが、元居た“場所/世界”に帰りたい、という思いは変わりありませんか?」


「それ……は……。……私は、今も向こうに、帰りたい。帰らなくちゃ、いけないと思う」


 以前のセツナだったならば即答していただろうその問いに、しかし、悩むような表情を浮かべて言い淀んだ。

 そのような返答をした要因はセツナ自身が成長した事と、召喚された当初のように外に発散する事もできずに内に秘める事しかできなかった憤りや恐怖など猛る思いが、ポイズンリリーやウールヴヘジン達を相手に全力で動く事によってそれらを発散している為、今のセツナは以前ほど逼迫した感情を抱いてはいなかったから、というのが挙げられるだろう。

 それに生活習慣の違いなどから発生していた大小様々なストレスも、アヴァロンではオルブライトとは比べモノにならない程小さい。セツナの好みに合わせて造られた料理は美味しく、娯楽も豊富で、トイレなど身の周りのモノが発達しているからだ。


 そして自分で言った事に対して、セツナも少し信じられないような感情を抱いたようだった。

 何故このような答えを出したのかを自問するように腕組みし、眉間に皺を寄せ、唸る。

 その様子を見ていたポイズンリリーは淡々と質問を続けた。


「その様子ですと、以前の様に今すぐ帰りたい、という訳では無い様ですね」


「……そうなのかも、しれない。ココは、居心地が良いから。でも、私は帰りたい。それだけは、その思いだけは……嘘じゃない。向こうに居る父さんや兄さん達が心配しているだろうし、友達も」


 セツナはそう答え、いや、自己に言い聞かせるように呟いた。

 今のセツナは誰から見ても困惑しているのが分かるだろう。

 それを知りつつも、ポイズンリリーは語る。


「セツナ様、ご家族とご友人を大切にする気持ちはとても大切です。だからその方達の為に帰りたいと、心配させたくないという思いは立派でしょう」


「……」


「ですから、私がコレから語るのはただの独り言です。何も言わずに、ただ聞いてくれるだけで結構ですので」


 そう前置きしてから、ポイズンリリーはゆっくりと話を続けた。

 他愛も無い独り言を。


「とある所に一人の迷子が居ました。性別は男性、容姿は平凡、迷子になった当初は突出した特技はコレと言って無く、歳は十代後半だったにも関わらず迷子になってしまった様なダメ人間です。愚図、と言ってもいいでしょう。

 そんな迷子でダメ人間な彼ですが、迷子になった先で養ってくれる周りのヒトからは期待されていました。そんなモノは彼からすれば身勝手すぎる、重過ぎる事でしかありませんでしたが、彼なりにその期待に応えるように、というか不安を払拭する為に迷子になってから得たたった一つだけの特技を使い続けました。努力しました。

 それから暫くし、彼は旅に出ました。ええ、変な話ですよね。迷子なのに旅に出るなんて」


「いや……そうだろうけど」


「ただその旅は彼が帰る為に必要なモノを得るためのモノなので、彼が帰りたいと思っていた以上その旅は不可避だったのです。しかし、その旅はすぐに終わってしまいました。何故なら無意味になってしまったのです、必要なモノが失われたから。それが手に入らなかった彼は、迷子のままになってしまった。彼の居た場所に帰る術を失ってしまったのです。彼はココで、最初の絶望を味わいました。

 そしてそれでも帰りたいと思った彼は、他にも術があるのではないかと失意のなか、彼を養ってくれていた場所に帰り、そしてそこで二回目の絶望を味わった。詳細な説明こそ省きますが、恐らくはその時でしょう、彼の芯に大きな歪みが発生したのは。

 間を置かずに二度の絶望は、彼の芯を歪ますのに十分だったのではないかと思います。

 そして最初の頃はまだ矯正できた筈のその歪みは、誰かが直してくれるはずも無く、だから長い月日と多くの経験によって確固としたモノとなり、それからも時が過ぎるにつれて酷いモノになり続け、捻じれに捻じれ、結果として彼は破綻した。破綻するしか無かった、という方が正確です。

 破綻したヒトは普通、自己の欲望に忠実になるモノ。溜まった鬱憤を他者にぶつけるなどがそれでしょうね。

 しかし彼は優し過ぎた。ヒトとして破綻して尚、彼の意思で抱え込んだ多くのモノを護るために、叶えたい願いから目を逸らし続け、生き続ける道しか在りはしなかった。

 だから、彼の本心から生じる願いは絶対に彼の口から出る事無く、秘められたままになりました。彼は自己を偽り、他者を偽り、道化として在り続けたのです。


 だから彼は迷子のままで、だから彼は救いが無くて、だから彼は自らから意識を逸らす為に悦楽を貪るのです」


 そこまで言い、ポイズンリリーは数秒の沈黙を挟んだ。

 黙したままセツナの手の中にあった空のコップを受け取り、少し離れた場所に備え付けられていた洗浄機の中に自分の物と一緒に放り込む。蓋を締め、スイッチを押せば駆動音が鳴りだし、上下左右から吹きだす水によって洗われていく。

 セツナはその後ろ姿をぼんやりと見つめ、振り返ったポイズンリリーが語る話の続きを待つ。


「セツナ様は、迷子のままな彼の様になりたい、と思いますか?」


 背中を向けたまま、ポイズンリリーは問う。

 そう淡々と紡ぐ声音は、感情と言うモノが窺えない冷たいモノだった。


「それは、嫌だ。同情もするし、悲しいとも思う。でも、私はその彼と同じ立場にはなりたくない。迷子のままなんて、嫌だ」


 セツナは心底ポイズンリリーの話に登場する彼に同情している。

 悲しい事だとも思うし、何か違う未来があったのじゃないかとも思う。

 話を聞いた限り、その彼の話にはあまりにも救いが無い。だから救いのある未来があったのではないかと、セツナは思わずには居られなかった。

 そして、だから、そんな彼と同じ境遇になりたいか、と言われれば当然ノーだ。

 そんな人生なんて絶対に嫌だ。それにポイズンリリーはかなりソフトな表現で話している節がある。

 それを含めて話を膨らませてやれば、話の中の彼が歩んだ道はそれこそ想像できない程過酷だったのではないだろうか。誰が好き好んでそんな道を歩みたいと言うのか。

 セツナの答えは、至極当然なモノだった。


「ならば――」


 セツナの回答を聞いて、ポイズンリリーは振り返る。

 そして浮かべていた表情は笑みだった。無表情がデフォルトなはずのポイズンリリーが浮かべるその笑みは美しく、妖艶で、それと同時に慈愛に満ちていた。

 冷たい微笑ではなく、温かい笑み。同性とはいえ思わず見惚れてしまうほどだった。


 ただしその内に秘めた感情まではセツナは読み取れない。神の声はポイズンリリーの内心を教えてはくれず、今までの付き合いで抱く思いとは全く異なる表情を浮かべる事の方が多いのだとセツナは知っていたからだ。

 ただ、一つだけは分かった。無機質な紅い瞳に灯る優しげな光で。

 ポイズンリリーは、心底セツナの事を心配しているようだった。


「――ただ、帰りたいと言う想いだけは、忘れないで下さい」


 そうなりたくないのなら、とセツナは聞こえない筈の声を聞き、じっとポイズンリリーの瞳を見つめ続けた。

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ