第五十八話 魔王と対談と兆し
勇者であるセツナが元の世界に帰る為には、その時代の魔王の心臓が絶対に必要不可欠である。
他の何よりもまずそれがないと話にならない位に重要で、必要不可欠なキーアイテムである。
大事な事なので同じような事を二度繰り返した。
その事は俺も実体験として知っているのだが、どうせもう一人の勇者では相性的に会った瞬間に敗北するだろうし、面倒だからと後回しにしていて心臓の情報――心臓の性質やら形など詳細なデータは実際に一度見れば全て分かるし、そうなれば全く同じモノを複製するのは容易である――を確保してはいなかった。
明らかに怠慢である。
そしてその事がセツナにばれたのがつい先日。
ちょっと黒っぽくなったセツナに身の危険を感じ、謝罪しつつも真剣に説明という名の言い訳をして一先ずは矛を収めてもらった時の安堵感は今でも忘れられない。
その為流石に心臓確保の案件は行動に移しておかないと後が無いな、と感じたので、平日の午後三時の現在、時間をつくって現魔王≪テオドルテ・ハチェット・ロンガヌス≫との話し合いの準備は終わった。
「お前の心臓を見せてくれ」
「それはおまえ様なりのプロポーズかのう?」
今回の取引は、そんなやり取りから始まった。
「んなわけねぇーだろうが」
「なんじゃ、ようやく我の愛に応えてくれたのかと心底喜んだというのに。グスングスン、あんまりじゃ。心を傷物にされてしもうた。……うぬ? おお、ならばおまえ様は責任をとって我を嫁に――」
「だから、お前は可愛い妹みたいなものでしかないし、立場的にも手は出せないと言ってるだろう」
お前も早くその事に納得してくれ、と俺は毎度毎度同じ事を思いながらため息をつく。
しかし執務机の上に置かれた、俺の前にある鏡――遠隔通信宝具<対話な通信鏡>に映っている魔王テオドルテはバレバレなウソ泣きを続行しつつも、可愛らしく唇を尖らせる。
表情は不機嫌そうで、声音は不満を漏らす子供そのものである。
しかし、それはテオドルテの容姿と相まって大変可愛らしいものだ。
魔石灯の光によってキラキラと輝くのは腰まで伸びる銀色の髪、新雪のような汚れ一つない白い肌、燃える紅玉のように綺麗な瞳に、計算された様に配置された顔のパーツはただ美しさだけを見る者に感じさせる。
そして基調色は黒で、至る所に可愛らしいフリルが施された衣服――所謂ゴスロリなる服を身に纏いイスに腰掛けるその様はまるで人形のようである。
ただ、テオドルテは美女ではなく、美少女でもなく、それより若い、若過ぎる見た目をしていた。
つまり美幼女とでもいった所か。
パッと見の年齢は、よくて十代前半までしかないだろう。
そんな見た目でも、齢百五十を越える怪物である。
「うぬー。おまえ様は我を妹、妹と言うばかりでちっとも女として見ようとせぬのぉ。うぬぬ、やはりこの幼い姿では惑わされぬのか……。やはり、こう、カーデルベルクの小娘ようにボン、キュッ、ボン、な大人な色香と若さを兼ねそろえた年齢の外見がよいのかのぅ。
うぉのれシャオレンめぇ。なぁーにが、『はぁはぁはぁはぁ、ま、魔王様はやはりアダルトな姿よりも少女――いえ幼女な姿の方がお美しいでゴザイマスよエクセレント! ああ、ああ、魔王様の甘い匂いに、漲 っ て き た ー!』じゃ。やはり我の言った通りおまえ様の反応は変わらんではないか。
無駄骨じゃった、徒労じゃったではないか。まったくアヤツめ、後で折檻せねばなるまいか」
「…………」
とりあえず、最初に、やけに声真似が上手かったとだけは言わせてもらおう。
話の中で上がった変態魔族――シャオレンとは、≪魔王≫であるテオドルテの筆頭秘書兼魔界統括軍元帥、という魔族の中でもトップクラスの権力を有する職業につく、かなり優秀な男の名前だ。
しかし趣味、というか特殊な性癖が原因で果てしなくマイナスな評価になる馬鹿の事である。
シャオレンは幻術と偽装に長けた幽幻族と呼ばれる少数種族の純粋種で、何を隠そうアヴァロン出身者である。齢は五十と人間ならばかなりいい年なのだが、シャオレンはパッと見では二十代前半という若々しく、パリッとアイロンのかかったスーツ姿という紳士然とした見た目。
しかし馬鹿だ。変態だ。そこは忘れないように。
シャオレンが魔界で今の職業につく前はアヴァロンでも優秀な文官として働いていてもらっていたので俺もかなり楽をさせてもらっていたのだが、外交、というかアヴァロンに遊びに来ていたテオドルテを一目見て、今まで彼の中で燻っていた性癖とか感情が爆発し、身分も弁えずに暴走して、そして魔族最強の魔王であるテオドルテに呆気なく返り討ちにあった、という武勇伝まである。
シャオレンがアヴァロンを旅立ち魔界統括軍に入って早二十数年、今も変わらず変態的な行動をしているらしい。
しかしまあ、純粋というか、単純というか、変態でも優秀なシャオレンの事をテオドルテは信用しているらしく、今回もシャオレンの策に嵌っている様である。
いい加減気がつけよ、とは思うが、まあ、楽しそうなので良いかと思う事にしよう。
「まあ、よい。シャオレンの事はよい。して、おまえ様。突然我の心臓を見せよ、とは一体どうしたのじゃ? 魔王の心臓――<夢幻の心臓>ならば既に過去の魔王のデータが存在しておろう?」
シャオレンの処罰については一旦放置する事にしたらしく、テオドルテは可愛らしく小首を傾げた。
人差し指を眉間に当てて、答えを考えているのかうむー、と唸る。
「ん、あー。勇者が召喚された、ってのは知っているな?」
と、一応は聞いてみる。
最も、【魔王】であるテオドルテが、自身の天敵とも言える【勇者】の来訪に気が付いていないとは考え難い事だが。
「それは無論じゃ。我のユニークスキル<軟きこの身が背負うのは幾億の同胞の御霊>は、既にそれを知覚しておる。とは言え、この世界に来たと言う事だけしか漠然とは分かっておらんがな」
「そうか。なら包み隠さずに言うけど、勇者の一人が俺の手元で保護して還してやるつもりだから今回テオの心臓が必要になった。でもう一人の勇者は、まあ、ちょっと細工して放置してるから、暴走してくれるのを待っている段階だ」
「ふむ。ならば我の、一応の脅威はおまえ様が放置しておる勇者ただ一人かのう」
「そうなる。ちなみにその勇者の名前はリュウスケ。能力は、まあ、後で詳細なデータを送っておくから目を通しておいてくれ」
「承知した」
「あと、多分だが、リュウスケはお前のユニークスキル<愚者は我が前に跪け>で出会い頭に駆逐できると思う。アイツ、俺と同じで精神攻撃が弱点だしな」
「なるほどのぉ。しかし、おまえ様は我の精神屈服を全く寄せ付けなんだのじゃがのぉ? おまえ様のどこが精神攻撃に弱いんじゃ?」
「ま、それは生きた年月から培った経験だからな。二百年にも満たない時しか経験してない子供とは一味も二味も違うのさ」
「うぬぅ~。今に見ておれよ、おまえ様。何時かおまえ様をメロメロにしてくれようぞ」
テオドルテは悔しそうにそう呻き、バタバタと手足を振る。まるで本当に子供のような仕草であり、しかし肉体年齢を自在に変化できるテオドルテは精神年齢も肉体に引かれて幼くなっているので、まあ、変ではない。
テオドルテの意思で十代後半の美少女とか、色気たっぷりの美女な年齢になればそれ相応の仕草を見せてくれるだろうが、今は美幼女な姿なのだから仕方が無い。
やっぱりテオドルテの事は妹の様に可愛いなぁ、と再認識しつつ、取引を続行する。
「ま、ってなことだからお前の心臓を見せてくれ」
「別にそれはいいんじゃが、そうじゃな、ではアヴァロンからの輸入品の値段を一年間、六割以上はまけて貰おうかのぉ。流石におまえ様の頼みとはいえ、一応は魔王の象徴とも言える我の心臓じゃ。流石にそれ以上は妥協できんて」
流石に魔界を統べる魔王であるだけに、無償で心臓を見せてくれないのは分かっていた。
だから別段慌てる事も無く、というか、普通なら見せてくれる事はあり得ないのに、これだけの条件で見せてくれると言うのはそれだけ信頼されている事の表れでもある訳だ。
全く可愛い奴め、と思いながら、軽い気持ちで頷いた。
「妥当だな。じゃあ、一年間は四割引くから、残りの埋め合わせは高ランク宝具を三つ送る事で納得してくれ。で、どう言った系統の能力が必要だ?」
「そうじゃな、まずは大人数の怪我人を纏めて治せる治療用のモノが一つ、魔界統括軍の全体的な能力向上を促す軍団強化用のモノが一つ、後は魔剣やらお菓子やら、持ち主の好きな物を幾らでも生産できるようは宝具がいいのぉ。攻撃には、おまえ様がくれた創造槍≪ティアマト≫があるから問題ないしな」
「了解した。なら後日輸送しておくから、確認してくれ」
「あい分かった。……ふむ、これでおまえ様の用事は終わったのかの?」
「……まあ、そうだな。コレで用事は一先ず終了した」
しばし何か言い忘れた事が無いかを考え、無かったので頷いておく。
その途端パアッと満面の笑みに変わったテオドルテ。
頬にはやや朱が混じり、キラキラと紅い瞳が眩しいほどの輝きを見せる。
「そ、そうか。では少々話をせぬか? 以前話したのは、もう一ヶ月も前じゃったからのぉ」
「あ~、悪い。この後リリーとセツナと一緒に買い物に行く予定なんだ」
「そうか……残念じゃ」
残念ながら予定があったのでそう断りを入れたが、途端に弱々しくうな垂れるその様が何だが胸を締め付けた。
悪い事をしてしまった、という気持ちのよくない感情が渦巻く。しかも今のテオドルテは幼女の姿だ。余計に強くそう感じる。
「そうか……まあ、リリーならば仕方ない、かのぉ。……うぬ? そう言えば、おまえ様」
「ん? どうした?」
「セツナ、とは、誰じゃ?」
「ああ、手元で保護してる勇者だが……」
小首を傾げながら問いかけてくるテオドルテの姿が可愛らしく、反射的に思わずポロリとそう零して――
「ほほう。名前からして、おまえ様。セツナとは女かのォ」
――地雷を踏んでしまったようである。
テオドルテの、酷く冷たい声が響いた。
「あ、ああ……と」
自分がこぼしてしまった失言に冷や汗が流れ、どう言い包めようかと思考を巡らせる。
が、テオドルテはシャオレンにはあっさり騙されてくれるのに、何故か俺の時はあっさりと真実を看破してくるのだから面倒だ。
「よい、よいよおまえ様。みなまで言わずとも、我は分かっておるとも。そう、分かっておる」
そう言いながらも、テオドルテの右手のすぐ傍にあった黄金のコップがグシャリ、とまるで柔らかいプラスチック製のモノであるかのようにひしゃげた。
中に入っていたのだろう赤い液体が溢れだし、テオドルテの手を濡らすが、そう時間を置く事無くジュワワと音を立てながら蒸発してしまう。
その原因は簡単で、顔を真っ赤にしてプルプルと震える事から、恐らく、今テオドルテは怒りを抱いている。
その為テオドルテの体温は急激に上昇し、赤い液体――恐らくはワインだろう。誕生日に樽単位でプレゼントした記憶がある――を蒸発させるまでに達してしまったに違いない。
ユニークスキル<軟きこの身が背負うのは幾億の同胞の御霊>
魔王が死ぬと、その後数日から数十年の間に後継者を見つけ、適合者を魔王へと変える世界のブラックボックスの一端である。
その能力は強力極まりなく、適合者の心臓を無限の魔力の生成装置である<夢幻の心臓>に変換する事から始まり、全魔族中の権限魔術の劣化行使、攻撃力や防御力と言った身体能力は魔族内でその数値が最も強き者の二倍にまで強化する、というモノだ。
つまり魔族ないで魔王に勝てる存在はあり得ない。
どのように強い魔族でも、その二倍の能力を有し、劣化しているとはいえ幾百の権限魔術を行使する魔王には勝つ事ができない。
だからこそ、テオドルテによってひしゃげた黄金のコップの結末は仕方の無い事だった。
俯き、プルプルと震える様からはテオドルテが今どのような表情をしているのか見る事はできないが、恐らくは――
「うう、うううううううううううううう」
泣いていた。
涙を溢れんばかりに溜めて、テオドルテは泣いていた。
「セ、セ、セツナという勇者が、おまえ様は好きなのじゃな? そうなのじゃろう。そうでないのならば、おまえ様がわざわざ、自分が動いてまで我の心臓は求める事はないのじゃ。そうじゃろう、おまえ様」
涙だけでなく、鼻水まで流れているのかすんすんと鼻を鳴らす。
傍から見ればまるっきり虐めているようにしか見えないな、と思いながらも、いたって真面目な表情で、俺はテオドルテの質問に頷いた。
途端、ギリギリまで溜まっていた涙があふれ出た。
「ううう、うううううううううう。我は何時まで経ってもそのような立場に成れぬのに、セツナとやらは意図も容易くおまえ様の隣に並んでおるのか。うぬうう、うううううう」
そう言って、テオドルテは流れ出る涙を服の裾で拭うが、後から後から溢れ出てくるので目元を擦り続ける事となった。
悔しいのだろ。幼女の姿なのだから、精神的に幼くなっている今では余計にそう感じているに違いない。
テオドルテは先代魔王が死んで、魔王になった時からの付き合いがある。
年月にして既に百年以上、と言った所か。
なのに、それだけの時間があっても自分の思いが届かないでいる。
いや、立場的に、あくまでも中立を保つアヴァロンの国王である俺が、魔界のトップである魔王たるテオドルテを嫁にするというのは、つまり中立ではなくなってしまう為にできないのだ。
人間界にある同盟国から嫁いでくる者や、パンドラのカノンのように魔族の者ならばまだいい。両界との交流は大切だ。
しかし、魔族のトップである魔王だけはダメだ。それでは、中立とは言えなくなってしまう。
その事はテオドルテに幾度となく繰り返し言ってきた事であるし、テオドルテだってそれを理解している。そしてその上で、自分の思いを俺に伝え続けているのだ。
……テオドルテには、悪いとは思うが。
「……」
「うううううう。ひぐっ。うう、ううう。……おまえ様ぁ」
慰めの言葉を言う資格が無かった俺は、ただテオドルテが言葉を発するまで沈黙を貫いた。
時間にしてたったの数十秒程度だろうが、しかしその間は何倍にも、何十倍にも感じられるほど長かった。
ようやく泣きやんだテオドルテは、目元を赤く泣き腫らし、鼻を啜りながらも、言った。
「条件を追加じゃ」
「……何だ?」
「心臓を見せるのは、勇者が……セツナとやらが我と闘った後でじゃ。ソヤツの姿を見、剣を交えないのでは、我の気が収まらん」
「分かった」
「日付は我が決めて、連絡する。じゃから、おまえ様は、セツナとやらに言うておけ。『手加減はせぬ』と。我――魔王≪テオドルテ・ハチェット・ロンガヌス≫が、全力を持ってお主を叩き潰す、との」
「分かった。……悪いな」
「ふん。謝るでない。我とて、この程度で諦めるつもりはないのじゃからの。おまえ様は絶対に、我の物にしてくれる」
涙を拭い、笑みを浮かべるテオドルテは可愛らしく、健気で。
罪悪感が、胸を締め付けた。
「では、またの、おまえ様。リリーを待たせると、後が怖いのでのぉ」
「ああ。じゃあ、一応リュウスケには気をつけろよ」
「もう一人の勇者じゃったの。なに、セツナとやらを殴り飛ばすまで、我は死にはせぬよ」
さらりと死亡フラグっぽい発言をするテオドルテ。
しかし、まあ、今回はそれに見せかけたモノだろうし、というか、相性的に、リュウスケはテオドルテに勝てないだろうから問題なし。
苦笑を浮かべ、手を振る。
「ああ、じゃあ、またな」
そして映像が消え、そこにあるはただの鏡面。
苦笑を浮かべたままの自分の顔がそこにある。
「はぁー。テオには、悪い事しちまったか」
微かに後悔の念が混じったため息が零れ出た。