第五十七話 侵略者と魔術と、旧友達の策謀
高速で切り替る視界。遠くに在ったはずの山が一瞬で眼前に迫り、そしてまた一瞬後にはその山が遥か後方に移動していて、幻の様に消えていく。
イ級の魔獣が住むと言われる霊峰が、小さくも命を育む川が、賑わいを見せる他国の街が、貧しくも温かさを感じる小さな村が、何処までも続きそうな街道が、空を流れる白雲が、燦々と輝く太陽などの全てが、驚異的な速度で視界から消えては現れる。
【空間転移】
現在地と目的地を繋いだ線上を移動する一般的な移動方ではなく、点から点に一瞬で移動する現象。それをリュウスケは連続で使用する事で目的地であるアヴァロンまでの道のりを大幅に省略していた。
目まぐるしく切り替わる視界はそれが原因だ。
正直なところは一回の転移でアヴァロンまで跳べればいいのだが、しかし一度も行った事の無い場所に一発で、と言うのは流石に無理があった。
下手をすれば地面や岩などの中に転移してしまい、そのまま死んでしまう可能性がある。それを防ぐために高度を保っているのだが、それで絶対に安全だとは言い難い。そして何より、イメージが重要だという能力の特性上、行った事も無い場所を正確にイメージする事はそもそも不可能である。
仮に詳細にイメージできる程の情報があればできない事も無いかもしれないが、アヴァロン内の情報は一切知られていない。留学していた経験を持つ者に聞けば、とも思い話を聞いたが、アヴァロン関係の話になると何故か理解する事が不可能な言語としてしか聞こえなかった。
どうやらそういった処置が施されているらしく、一度での転移で向かうと言う手段はとれない。
だからこその連続使用。
能力を発動する度に持って行かれる魔力は決して馬鹿に出来るモノではないが、それでもそうするしか術は無く。それに体内にある魔力は回復せずとも約百回の能力使用が可能なので、多少感じる疲労にさえ目を瞑れば問題は少なかった。
そして、やがてそれも終わりがくる。
既に転移回数は五十を軽く越え、気だるさをリュウスケが感じた時にようやくそれは見えた。
多種多様な魔獣が生息する太古の森にてひときわ異彩を放っている、黄金色をした神金鋼塊製の堅牢な城壁。遠く離れた場所からでも確認できた城壁の上に到達するイメージをリュウスケは浮かべ、次の瞬間には到達した。
数センチほど上空に転移し、重力に引かれてリュウスケの身体が城壁に降り立つ。途端能力使用による反動で力が抜けて、倒れそうになるがそれは背後に控えていた喜の仮面を被る男に支えられて事なきを得る。
「ここが、アヴァロンか……」
体勢を立て直して、城壁から見下ろせるアヴァロンの街並みを観察する。
アヴァロンは積層都市だった。中心に向かうごとに、まるで階段を上るかのように高くなっており、その中心だろう王城はリュウスケが見てた中でも際立って雄々しく、厳かで、そして何よりも美しかった。
多くの星を渡り、その度にその星の文化を見て来たリュウスケを一瞬以上も虜にする程の美しさ。
しばし見惚れ、リュウスケはハッと気がつく。
既に敵地なのだ。なのに気を抜くなどとは、自殺行為以外の何物でもないと。
とは言え、そう思い気を引き締めようとしても、再度リュウスケは心を奪われる。
空を飛び交うヒト、宙を走る車のようなモノ、街灯のようなモノなど、リュウスケがこの世界で初めて見るモノばかりが溢れかえっていたのだから。
古代遺跡めいた石造りで統一された建造物の中に混じる、近代的ともいえる品々。
まるで外宇宙から齎された技術によって栄えた様な印象を受ける。
古今が節操無しに混じり合った様な、異質な国。そして未知の技術で溢れかえった世界。
それがリュウスケが最初に抱いた感想だった。
もっと近くで見たいと一歩踏み出して、そして再び気がつかされる。
敵地だから気を引き締め直そうとしたと言うのに、自分はまた失敗していたと言う事に。
「これはこれは、招かれざる客人の方々。本来ならば不躾な者には鉄槌をくれてやるのが習わしなのだが、しかし心友であるカナメの頼みでね。まあ、命を取らない程度に戯れてあげよう」
城壁の上に染み渡る様に響いた男の声。
声がした方向を反射的に振り向いたリュウスケは半ば自動的に天弓に天斧槍を番え、そして虚を突かれて動きを止めた。
視線の先に居るのは声の主だろう優男。
百九十近くある長身で、肩甲骨辺りにまで届く髪の色は漆黒。右目には片眼鏡を装備しているのでどこか知的さが感じられるが、しかし髪と同じ色の瞳が獰猛な輝きを灯しながらリュウスケを見つめる様は、理性と言う衣を着た猛獣のようにしか見えない。
身に纏うのは黒と白、そして黄金色を基調としたローブだ。雰囲気からして魔術師のようだが、腰には剣を下げているのでそうじゃないのかもしれない。
ただ言えるのは同性であるリュウスケから見ても、その男はカッコいいと思うだけの魅力があった。美男子である。
しかしそれよりもリュウスケが気を引かれ、動きを止めた理由は別にある。男に肩を抱かれて寄り添っている美女の方にこそ、リュウスケは虚を突かれたのだ。
彼女はまるでどこぞの王女様の様に美しく、銀糸の様な髪や瞳は見るだけで心が掌握されそうで、純白のドレス姿はただ美しい。まるで天女の如き美しさである。
首から下げられた金の十字架が陽光を反射させてリュウスケの瞳を照らさなければ、恋人であるアミルの笑顔が脳裏を過らなければ、今も見惚れていただろうと確信できる、それほどの美貌だった。
「あの、テイワズ様……。あの方は誰なのですか?」
その美女は若干怯えたような表情を浮かべ、優男を仰ぎ見る。
怯えた様な様子さえ彼女に対する保護欲をかき立てる為の起爆剤でしか無く、リュウスケの鼓動は自然と早くなった。
「怯えなくていいよ、アーチェ。彼は、彼等はただの賊だ。この国に剣を向ける愚か者だ。しかしアーチェは安心して成り行きを見ていればいい。君は、僕が命を賭けて守るから。君と出会った、あの時の様に」
「……はい、分かりました。私は、テイワズ様を信じてますから」
怯えた様な顔から一転し、美女は朗らかな笑みを浮かべた。
まるで花が咲いたような笑みだ。
それにつられたのか、肩を抱いている優男も微笑を浮かべる。
「そう、君には微笑みがよく似合うよ。本当に、綺麗だ。……アーチェ」
「テイワズ様……んん、」
などと言う会話が成され、そしてリュウスケの目の前で二人の唇は重なった。
優しく、しかし貪る様な激しいキスだ。まるで何も知らない美女に作法を教え込むような、そんな生々しいキスである。
そして優男の成すがままにされている美女――アーチェと言うらしい――の頬は朱色に染まり、激しい愛撫をぎこちなくだが懸命に受け入れようとしているその健気さがより一層艶めかしい。それと同時に妬ましいと感じるのは男の性か。 取りあえずなんだこれはと言いたい。何の喜劇だ、何の茶番だとも。
甘ったるい空気にあてられてか、リュウスケは軽く酔いそうになった。
リュウスケは彼らの行為をしばし茫然と眺めて、今の内に失われた魔力を補充すべきだと思考を切り替える。
魔力を回復させるには自然回復に任せるか、もしくは薬を使い補充すると言う二パターンが存在する。自然回復は回復量に個人差があり時間がかかるモノの反動が少ないという特徴があり、薬による補充は素早くできるモノの多少反動があると言う特徴がある。
薬ばかり多用すると後々面倒な事が起こる可能性があるものの、今回は手っ取り早く済ます為に、後者の手段を選択した。
腰に下げた<ポケット>から三角フラスコに似た形をしている魔力ポーションを取り出し、コルクを指で跳ねとばして、中の青い液体を一気に飲み干した。
青い液体という見るからに体に悪そうではあるものの、リュウスケが改造した魔力ポーションの効力は見た目に反して、または見た目通りに凄まじく、体内から失われていた魔力をほぼ回復させるに至る。正に秘薬とも言える絶大な効果だ。
アヴァロンの商品として売られているモノと比べても段違いの回復力だった。
唯一の欠点として、回復量だけ目的とした為に美味しいものでは無い事があげられるだろうが。
「――ふぅ。して、用意は済んだかな?」
リュウスケの魔力が全快するのと同時に、優男は美女の唇を貪るのを止めた。アーチェが若干名残惜しそうな表情を見せる。
優男はどうやらリュウスケが準備を整えるのを待つ間の時間を利用して先ほどの行為に及んだらしく、それが余計に苛立たせる事となる。
「馬鹿に――するんじゃない!!」
舐められている。それを自覚した時、リュウスケの口からは怒声が吐き出された。
それと同時に、まるで主人の怒りに呼応するかの如く、リュウスケが指示を出すまでもなく背後に佇んでいたマスカレード四名は先ほどまでの不動から一転し、まるで疾風と化したかのように速く動いて、優男を断ち切らんと迫る。
常人ではマスカレードの連携の取れた高速軌道を捉え切れず、瞬きの内に凶刃にて切り伏せられてしまうに違いない。そう思うだけの速度。
しかしソレを迎え撃つ優男は余裕綽々な笑みを浮かべ、行為の余韻からか赤面のままボーっとしているアーチェを守る為に彼女の身体を一歩後ろに押して、腕を一度振り上げる。
そして、宣言する。
「僕は機玩具人形五男・【魔導元帥】テイワズセカンド。数百年の時を経て培った知の理にて汝を砕く」
宣言と共に優男――テイワズセカンドの指先に五色の光が顕現する。
● Д ●
マスカレード中最速を誇る喜の仮面を被る青年――喜面が手にした紅い片手剣が、最も早くテイワズセカンドに迫った。
大気を切り裂いて迫る最中、フランベルジュの刀身が揺らめき、炎熱を纏いだす。フランベルジュはその名の通り炎剣となり、高温の炎熱にて万象を焼き斬る魔剣だったのだ。
まるで小さな太陽のような光量と熱量。生半可な防御ではそれごと焼き斬られてしまうだろう一撃。
されど、テイワズセカンドは何処までも青く澄み切った灯火を纏う中指だけを突き出し、そっと呟いただけだった。
まるで戯れるような、軽い調子で。
「――炎熱は凍る」
一瞬瞬く青い魔術光、そして変化は唐突だった。
ビキビキと何かが凍る異音が響いたのと同時に、フランベルジュの燃える刀身は急激に温度を失い、テイワズセカンドの元に辿り着いた時には刀身が完全に氷で覆い尽くされていた。
フランベルジュは既に剣としての機能を失い、ただの鈍器に成り下がる。
しかしそれでも凶器である事には変わりない。殴殺するのに問題は無い。
だからだろうか、何をされたかのかも分からないだろうに、というよりもそんな事さえ考える事無く、喜面はテイワズセカンドを殴りつける。テイワズセカンドは、それを防御するでもなくただ身体で受け止めた。
ドゴンッ! と鈍い音が響いた。
喜面だけでなく、マスカレードは全員リュウスケによって徹底的に肉体を改造され、強化されている。その為ただの一振りでも考えられないような威力を秘めているのは想像に難くなく、そしてそれは先ほどの音からも良く分かる。
普通ならば肉は潰れ、骨は砕けているだろう。
しかし、直撃を受けた筈のテイワズセカンドの身体は微動だにせず、逆にフランベルジュを覆っていた氷が砕け散っただけだった。
「――ッ」
「この程度で僕を如何こうしようなんて、夢は寝て見るといい」
攻撃直後の硬直を逃がす事無く、一歩踏み出し、足先から指先まで捻りを――つまりは螺旋を描く事で一切の無駄なく力を伝達し、威力を増大させたテイワズセカンドの掌底が喜面の胸部を捉えた。
そして響く、先ほどよりも重く鈍い音。喜面の胸当てはべコリと凹み、その身体は軽やかに宙に舞い上がった。
十数メートルほど飛び、ようやく地面に不時着した喜面の身体は勢いが衰える事無くゴロゴロと転がっていく。
「――なッ!!」
リュウスケは驚愕の声を上げた。
確かに剣として斬撃能力を失っていたとはいえ、棍棒で殴りつけたのと変わり無かったのだ。
それも自らが強化したマスカレードによる一撃。岩さえ容易く砕く程の威力があったはずだ。それが全く相手に通じない。リュウスケの額に汗が滲みだすが、しかし動揺はすぐに押さえつける。
全力の一撃を苦も無く燃え散らしたデスフィールドが居る国なのだ。この程度の事ができる者が居たとしても、むしろ居る方が自然だと思い直す。
それにまだ、攻撃は済んでいない。
まだ絶望したり恐れるには早すぎる。
「■■■■■■■■!! ■■■■■■■■!!」
巨大な両手斧を持ち上げ、怒面の大男がテイワズセカンドを真っ二つにせんと迫る。熊の様な肉体は赤色の全身装甲鎧を着る事で更に迫力が増し、見た目からは想像できない程の速度で駆ける状態から繰り出されるだろう一撃は間違いなくマスカレード中最強の一撃。
それに怒面が手にする両手斧には【重撃倍加】と呼ばれる攻撃力増加能力がある。先ほどとはケタが違う一撃は、果たして。
「コレは、なかなか良い一撃だった。が、無駄だ」
テイワズセカンドはそう言うと、今度は黄色い光が灯る人差し指を突き出した。
「――啼く守成り」
再び瞬く魔術光の黄色い光、そしてそれと同時に鳴り響くは雷鳴だった。
「■■■■■■■■!」
怒面の絶叫が響く。まるで何かに全身を貫かれたかのように全身を痙攣させ、しかし先ほどの勢いが若干残っていたのか、それとも執念なのか、それは分からないが両手斧は振り下ろされた。
ただし、振り下ろせただけだ。そこに本来の威力などあるはずも無く、重量とささやかな膂力が添えられただけの一撃。
それを何気なく、さも当然と言う様に刃の部分を二本の指で受け止めて、テイワズセカンドは冷めた目で後方に居るリュウスケを見据える。
微かな嘲笑が浮かんでいた。
「この程度、ですか?」
小首を傾げ、さも期待外れだとでも言うかのように。
「――ッツ!! 千切れ、飛べッ!!」
馬鹿にされている。それを知り、リュウスケがイメージしたのは空間の局地的断裂。空間と空間の間に薄く、まるで刃のようなラインを生成する事で発生する、万物を捻じり切る次元刀。
テイワズセカンドの肉体的強度を無視した刃。それをリュウスケはイメージする。
【スキル現象<次元斬刀>が発動しました】
射出された次元刀の数は三。縦横斜めと角度に違いはあれど、それらがテイワズセカンドに迫る。それにマスカレードもただ茫然とはしていなかった。
マスカレードは次元刀の切断効果範囲外となるスペースを占領しながら、つまりは逃げ場を潰しながらテイワズセカンドに迫る。手にした凶器が怪しい光を反射させている。
怒面だけはテイワズセカンドの真正面に立っているままなので逃げようとするが、先ほどの攻撃による余韻のせいなのか両手斧を掴む手が開かず、そして両手斧がテイワズセカンドに掴まれている為に微動だにしない。
両手斧を捨て、離脱するしかない。そう判断できているのにそれが実行できず、何とかしようとしている間にテイワズセカンドの指が両手斧に食い込んだ。事も無げに、まるで抵抗など感じ無いとでも言うほどあっさりと。
そして摘まんだ両手斧を、左から包丁を持って迫る楽面に向けて投擲する。と同時に、怒面の腹部に鋭い蹴りを打ち込み、指を無理やり引き剥がした。
怒面の巨体が軽やかに宙を舞い、そして走る勢いを殺し損ね、避け損ねたマスカレード唯一の女――哀面と衝突。けたたましい音と共に二人は絡み合う様に転がった。
投擲され、己を両断せんと高速で回転しながら迫る両手斧を弾こうと楽面が錆びた包丁を振うが、両手斧の重量と速度、そして何よりも【重撃増加】の効果によって完全に防ぐ事はできなかった。
錆びた包丁と両手斧は衝突し、火花を散らし、錆びた包丁が弾かれた。その為一瞬無防備になってしまった楽面の片腕は、両手斧の刃によって斬り飛ばされる。両手斧が地面にざっくりと突き刺さった一瞬後には、夥しい鮮血が切断面から噴出する。
そして邪魔だったマスカレードを排除し、できた次元刀の効果範囲外のエリアにアーチェと共に潜り込み、間髪入れずにテイワズセカンドの腕が振り上げられる。
それと同時に親指に灯る紅い光がより一層強さを増した。
「――紅い触枝」
それは紅い、炎で構築された枝だった。
リュウスケとマスカレードの足下から吹き上がった炎の枝は服を焼き、皮膚を焙り、大気を貪欲に貪った。
防具の能力によって重大な損傷を負う事こそ回避できたものの、リュウスケはこの世界に来て初めて、怪我を負った。この世界で初めて感じる死の気配。まざまざと見せつけられた地力の差。
そしてそして、リュウスケが渇望して止まない、未知の知識がそこにある。知りたい知りたいと、恐怖を感じながらもリュウスケは喘いだ。
恐怖はある。生命活動の停止という大き過ぎる恐怖。しかしそれと同じくらいにある好奇心と知識欲。
それらが混ざり、反応し、そしてそして――
【勇者リュウスケに属性≪狂化(弱)・暴走(中)≫が付加されました】
【勇者リュウスケのスキル熟練度が上昇しました】
【勇者リュウスケはレベルアップしました】
リュウスケの脳内で、そんなアナウンスが響いた……。
■ Д ■
『はい皆お疲れさん。今回の模擬戦争も無事終了し、死者は当然両陣営共に無かった。ただ怪我人も少なからずいたけど、そいつ等は今後経験を糧に努力するように』
時は既に星が輝く夜。
即席の大宴会場とかした第二飛行場にて、演台の上でコップを右手に、マイクを左手に持つカナメの声が響いた。それを今回の模擬戦争に参加した者全員が聞き、各自様々な反応を見せる。
「アヴァロンは最強じゃきぃーのー! 結果は当然じゃい」
「私、敵ではなく味方の誤射で負傷したのですが……」
「……」
「あら、何故目を逸らすのかしら、カイツェ?」
「いや、うん。そうだね、誤射はよくないよね……」
「そうですわね、ええ、そうですとも」
「うむ。しかし、ゴーレムは些か手強かったで御座るな」
「あ、僕、コウスケ様が斬り飛ばしたゴーレムの破片で巻き添え喰らっちゃったんですけど、それでもあのゴーレムはかなり奮闘してましたよね」
「であるな。確かに、あのゴーレムは気迫が違った」
等々、雑談が広がっていく。
それを見下ろしながら、まるで慈しむような笑みを浮かべ、タイミングを見計らってカナメは口を開けた。
『とまあ、長々と何かを言うのは面倒だし、さくさくと英気を養うべきだろう。って事で、準備は万全か?』
そう言いながらコップを掲げ、それに連動するように他のモノたちもまた、コップを掲げる。
『乾杯!』
「「「乾杯!!」」」
ガチャコン、とコップがぶつかり合う音と、乾杯の合唱が響いた。
そしてそれからは雑談に興じる者、バイキング形式である為にズラリと長テーブルに並べられた料理を取りに行く者、まずは酒だとでも言うかのように酒樽から直接ガバガバと胃袋に入れる者など、思い思いに行動を開始した。
模擬戦争後に行われるこの宴会は実際に戦った者だけが参加できるイベントであり、宴会中にはボーナスとして豪華賞品が獲得できる抽選会があったり、基本的に無礼講なので今まで交流する機会が無かった者達――機玩具人形とかパンドラボックスなどのエリート部隊員など――とも交流ができると言う事で、非常に人気がある。
とは言え、行動に映すには勇気が必要なのは言うまでも無い。
しかし若人は非常にエネルギッシュだ。幼少の頃から憧れていた存在と交流できるかもしれないチャンスを逃すまいと、興奮しつつ、怖がりつつ、しかし勇敢に突貫していく。
多くの場合、自爆してしまうのだが。
「リリー様! ずっと憧れていました! 罵って下さい!!」
「……」
「……ええ、と」
勇者は体格のいい男子生徒だった。
外見から年齢を推察した限り、恐らく初めてこの宴会に参加したのだろう。そして初めて肌で感じた戦場の気に当てられて、押さえが効かなくなっているのかもしれない。
そんな彼が腰を九十度曲げ、大声を上げながらセツナと共に料理を皿に乗せていたポイズンリリーに懇願する。
それにポイズンリリーは無言で冷たい視線を浴びせ、隣でその一部始終を見ていたセツナは何だろこれ、と疑問に思いながらもどう反応すべきか決めかねていた。でもすぐに関わる事でも無いかと思ったのか、自分の皿に大量の料理を乗せていく。セツナは見かけによらず、腹ペコキャラだったようである。
そして周囲に居る者には先を越されたと言う者が居たり、何ふざけた事をと武器を片手に憤る者が居たり、笑いながらそれを見る者が居たりとかなり混沌としていた。
何やら賭けをしだす者まで居る。
そして肝心要のポイズンリリーは、無言。
微妙に呆れた表情から、またこの手の馬鹿が、と言いたげではある。
そして男子生徒からお願いされてから、きっかり十秒後。ポイズンリリーはその唇を震わせた。
「もっとマシな男になってから出直しなさい。子供を相手にする気は在りません」
「はいッ! その時はもっと激しくお願いします!!」
下げた頭を上げた男子生徒はいい笑顔でそう言った。
頬は若干赤く染まり、鼻息は荒く、決意に満ちた瞳が眩しい。しかし罵って下さいと言った彼は間違いなくMである。そしてMなのだから、きっと彼は、未来のご褒美の為に努力していくのだろう。
こんな国民が他にも居るのかと思うと、国王である俺は未来に不安を抱かずには居られなかった。
しかしいつまでも落ち込んでいていい訳がないので、気分をさっさと切り替える。
「ほら、さっさとあっちに戻りなさい」
「はいッ!」
そして元居たグループに走って戻っていく男子生徒の背中を見ながら、ポイズンリリーは隣で皿に小山を造ったセツナを向いて。
「申し訳ありません、セツナ様。恐らく、これからもっとこの手の者が……」
「リリー様! お、おお、お、お姉さまと呼んでもいいでしょうかッ!?」
「あ、ずるい! わ、私もそう呼んでもいいでしょうか!?」
男子生徒を切っ掛けにして、周囲でタイミングを窺っていた者達が一斉に集まってくる。
その光景はまるで砂糖に群がる蟻のようで。
「あは、あははははは。リリーも大変なんだな」
「ええ、宴会は毎回このような結果に」
はぁ、と普段からは想像できない可愛らしいため息をついてから、ポイズンリリーとセツナはあっという間に人垣の中に紛れて見えなくなった。
◆ Д ◆
そこは雑多な部屋だった。部屋の中心にあるのは巨大な作業台であり、そこには造りかけだろう何か奇妙な形をしたオブジェクトが鎮座している。
四方の壁にある巨大な棚には赤や青など大きさも色も違う竜鱗や竜殻などが種類ごとに整頓され、その隣には円柱状の硬質そうなガラス瓶の中にホルマリン漬けにされた様々な魔獣の腕や生殖器やらがズラリと並んでいる。中にはドラゴンの首を丸々入れているモノまで見受けられた。
それらは恐らく、この部屋の主の研究素材なのだろう。
他の棚には貴重な鉱石が同じように種類ごとに分かり易く区分されているので、何か素材を欲した際には素早く目的のモノを見つけられるに違いない。
しかし床は棚とは比べ物にならない位に乱れていた。所構わず積み重ねられた紙の束はその下にあるだろう絨毯を覆い隠し、天高く積み重なった膨大な数の魔術書は絶妙なバランスで崩れる事無く紙の牙城を築く。
そんな部屋のさらに奥に存在する部屋。
そこには真中に一際豪奢なベッドが鎮座し、その周囲に幾つものベッドがあるという不可思議な場所だった。
「で、どうだった? 勇者の実力は」
その豪奢に横たわる部屋の主に向けて、宴会で乾杯と言ったまま直行してきたカナメが問いただす。
手には未だに中身の入ったコップがあり、マイクを持っていた左手には酒瓶の姿があった。
「まあ、流石は勇者と言うべきか。なかなかに面白い奴ではあったな」
部屋の主――テイワズセカンドはそう答え、肘から先が無くなった為にユラユラと揺れる右腕を掲げてカナメに見せる。
「やられたよ。いやはや、驚きを禁じ得ないね。彼の能力は生体金属を壊し得るのは分かっていたが、概念に護られた僕に傷を負わせられる筈が無かったんだけど。まさか途中で概念まで纏ったのは、驚きだった」
「ふむ。成長しちゃったと言う事か」
「そうだね、ちょっと強くなったね。まあ、本気では無かったとはいえ、これはちょっと驚愕に値する」
「ほほう、そうかそうか」
「そう、まさに、ね」
ニタニタと、ニヤニヤと、まるで何か楽しい事があったかのようにカナメとテイワズセカンドは嫌らしく、策謀に塗れた笑みを向け合い、何を考えているのか伝えあう。
アヴァロンは、いや、カナメは刺激を欲していた。
長く生き続けると言うのは、変わる事無くあり続けると言うのは、最初から長寿種でもない限り、かなりの確率で精神的に重大な変化をもたらせる。
不老不死を願い叶った男がやがて人生に絶望し、自殺しようとするかもしれない。そしてそれでも失敗し、何かを悟るだろう。
不老不死になったばかりに大切な人が死んでも生き続ける自分に狂い、他者を殺そうと走るかもしれない。そして殺し続けて、殺され続けるだろう。
不老不死になり、果ての無い苦しみを与え続けられて、発狂して精神が壊死するかもしれない。ただ終わる事の無い空虚な生だ。
分かり安く言えば、突然不老不死になった者の多くは自殺を選ぶ、かもしれないと言う可能性。
決して不老不死は良い事ばかりではなく、また、カナメのように容易く死ぬ事が無いというのは、ましてや自殺を選ぶ訳にはいかない身分ともなれば、人生は手を抜いてダラダラと過ごさねばあまりにも長い。
何か刺激が無くては、あまりにも辛い。
だからカナメは全てに最善を尽くす事はせずに、漠然と、何となく、それとなく大損にならない程度に考えて国を動かしていく。とは言え、その適当な判断はアヴァロンが巨大過ぎる為に深刻な影響を与えてしまう場合もあるが、大半は、自国の利益のみだけではなく他国の事も多少は考慮された判断が多かった。
しかし何事にも例外はある。
カナメは基本的に受け身だ。他国から罵声を浴びせられようが、経済制裁を試みようとしていようが、ただただ見続けるだけ。
アチラから手を出さない限りは、自ら手を出す事は絶対に無かった。
しかし今回、テイワズセカンドという身内が腕を斬られた。
これは重要な事である。
リュウスケが入って来るのは、ただ一度限り許したのでそちらで何かを言うつもりは一切ない。今後は転移対策で転移阻害の宝具が発動したので問題は全くないのだし。
しかしテイワズセカンドの腕が斬られた事までは許容しない。
幾らテイワズセカンド並びに機玩具人形全てが、一旦口で取り込むことでどんな状態でも復元・アップデートできるとはいえ、腕を斬り落とされたという事実は変わりない。
それは、その事実はカナメの中で宣戦布告として定められた。
これは国外の傭兵業斡旋施設に働く従業員にも当てはまるものだが、それは置いといて。
「では、どうしようか」
「そう、どうしてしまおうか」
久しぶりの本格的な争いの香りにつられてか、カナメとテイワズセカンドの瞳は爛々と輝く。
「決まっているな」
「勿論、決まっている」
「でも、まだ待とう。まだ、後少しだけ」
「まさに。今のままでは脆弱すぎる、容易過ぎる、呆気なさすぎる。それは退屈過ぎる」
「であるなら、だ」
「であるのだから、今は静かに待つ」
「そう、アイツが全てを犯すまで。侵し、冒し、犯し尽くすまで」
「その布石は、既に僕が打っている。そして僕の腕を土産に持たせたのだ、必ずアイツは行動を起こす」
「流石だ、テイワズ。正に正に、面白く」
「楽しく、嗤いながら、予定通りに」
笑う、嗤う、哂う。
魔神と機人がクツクツと、造物主と魔道師はケタケタと、心底面白そうに笑いあう。
テイワズセカンドには素体となった天才魔術師テイワズの記憶を、感情を、思想を、性格の全てをそのまま受け継がれてしまっている。
機玩具人形の中で、カナメにとって最もイレギュラーな存在であるのがテイワズセカンドだ。
その為に、そうであるが故に、生前から変わる事の無いこの悪者染みたやり取りがカナメは面白くて面白くて。
笑い、嗤い、哂い続けて、
「では取りあえず、」
「手早く頼む。アーチェやスィジィ、メイラ達が僕を待っているのだから。彼女達を満足させるには、片腕というのはちょっと、まさに手が足りない」
「ハッ! 相変わらずのモテ男め。心底ムカつくぞそのハーレム」
「それは決してカナメが言っていい事ではないと思うが。というか、あのセツナと言ったか? あの子もなかなか良い子そうじゃないか。僕にくれ」
「くたばれ馬鹿が」
「くくく、まあ、冗談だけどね。僕には僕の恋人達こそが至高であるのだから」
「まったく、しかしアーチェは可愛かったな」
「だろう? やらないぞ」
「五月蠅い、俺もそんな事を言うつもりはないっての」
「だろうね。では、さっさと頼む。雑談に耽る時間も、少々無くなった」
「そうだな。部屋の前で待ち構えてるあの子達をこれ以上待たすのは心苦しい。って事で、」
密会の時間は終わり、カナメは両掌の口を開いた。ガバリと皮膚が横に裂ける。
歯の並んだ口が開かれた瞬間にテイワズセカンドの姿は消失し、それと同時にパンッ! と音が鳴る程勢い良くカナメは合掌する。
そして脳内で右腕を欠損したテイワズセカンドの姿を完全に復元し、重ね合わせた掌を解き放つ。
――閃光。
光が止んだ時には、眼前には無くなっていたはずの右腕の生えたテイワズセカンドの姿があった。
「じゃあ、俺は宴会に戻る」
「ああ、では、僕は彼女達と楽しむとしよう」
カナメが拳を突き出し、テイワズセカンドもそれに拳で答える。
長年の付き合いがある友人であると同時に、父と子の関係にある二人は最後に、心底楽しそうに笑いあってから、静かに別れる。
始まろうとしている騒乱に、二人は期待を膨らませて――。
カナメの笑みは、まるで三日月のようで……。