第四十七話 外話 とある騎士団長と皇国の終焉
反乱が起きた。
それも首都で、唐突に。
前々からその火種が国内で燻っていたのは間違いないのだが、しかしその主軸となっていた反乱軍は潜り込ませた内通者から送られる情報を元に、以前から策を練り、数日前に実行に移した数ヶ所ある反乱軍の隠れ家全てを強襲する、一斉討伐作戦にて壊滅させる事に成功した。
討伐時は完全に不意を打つ形だったので、騎士団は反撃らしい反撃を受ける事無く計画通りに終了。
隠れ家に居た反乱軍<正当なる秩序>のリーダーであるウィリアム・オルディスタは捕縛後、当然ながら見せしめとして即公開処刑となり、既に死んでいる。
処されたのは斬首刑で、無念そうな表情を浮かべた生首を城下町の多目的広場にて、今も晒しているはずである。
そしてウィリアムを除く反乱軍の主要幹部を務めていた者達と、作戦時に集まっていた一般構成員の多くを捕える事にも成功し、その全てに対する処刑も終えている。
絞首刑に斬首刑、薬殺刑に磔刑火刑車輪刑等々、執行された処刑法は多岐にわたるが、誰も彼も無残な屍を晒している事に変わりはない。
ただ、イレギュラーだったのは作戦時に数名ほど不在だった者がいたと言う事だ。何らかの任務を終えて帰還している最中に危険を察知して隠れ家に帰る事無く身を潜めたようだが、しかし追手は放っているので問題はないだろう。
暗部の精鋭を送り込んだので取り逃がした者達を発見し、捕縛するのも時間の問題と言える。そして捕えれなかった所で、最早反乱軍には立て直す余力も残されてはいない。
反乱軍は、崩壊したと言える。それほどまでに、徹底的に蹂躙した。悔恨を残さないように、徹底的に殺した。
とは言え、確かに逃した数名の事は気がかりではあるが、最早これで内乱はほぼ収まったと安堵し、今度は虎視眈々と侵略する機会を窺っていた諸外国を牽制しなければならないと頭を悩ませたのは、つい先日の事。
そう思っていたのも反乱軍を潰した事で、国内では最早抗う気力を持つ者は居なくなり、残るのはただただ従う事を選んだ国民だけだったはずだからだ。
頭痛の種だった反乱軍を一掃して、ほっと気が抜けてしまったのは必然か。
しかし、現に反乱が起きた。それも首都で、ある日突然。
そして怒涛の勢いで、城に攻めてくる。
「くそ、諜報部の連中は何故これほどの規模の武装蜂起を悟れなかったのだ!」
「――ッツ!! も、申し訳ございませんッ!!」
「ご託は良い! 望遠スフィアを貸せ!」
口から苛立つ感情が加工される事無くありのままに飛び出していくが、それはコレから冷静な判断を下す為に必要な儀式だった。
一度鋭く息を吐き出し、深く深く呼吸した。そして大きくゆっくり息を吐く。
独特な呼吸法により、戦場に立つ時と同じ意識に切り替える。
それから、現状の確認を行った。
厳かに君臨する、兵士が慌ただしく駆けまわれるのに十分な幅を持つ城壁の上から、部下から奪い取った望遠スフィアを使って眼下に広がる城下町を見る。
最大で千メキル先まで見れる望遠スフィアは、骨董品としか言えないような錆びた剣に、農作業時に使用するような鎌や鍬や鋤、変哲の無い包丁や工事現場に転がってそうな角材、戦場で使用されるような無骨な斧や闇夜を照らす松明を手にした老若男女が、地面が見えないほどの数で溢れかえるという光景を映し出す。
望遠スフィアの倍率を調節して攻めてくる民衆の姿を観察してみると、瞳には鈍い光しか見る事ができない。また口からは唾液を垂れ流してコチラに向かってくる者や、矢を受けても怯む事無く向かってくる者がいるなど、明らかに普通ではない者ばかりだ。
稀に戦場で見かける、魔術による精神操作が成された兵士と酷似していた。が、しかし、ヒトの精神を支配する特殊系統魔術によって操られているにしては、数が多い。いや、多過ぎる。
これほどの人数だ。城下町に住む数万以上の民衆のほぼ全てを操っていると推察できるが、普通ではこんな大勢を支配する事などできない。魔力で強引に精神を塗り潰すという大前提があるのだから、これほどの人数を支配する魔力を人間が持つ事など不可能だからだ。
こんな事は、今まで聞いた事も見た事も無い。ありえないと、口から呟きが漏れる。
しかし現に、それは眼下にて掲げられている。
密集する民衆によって支えられて夜風に靡く旗に描かれるのは、潰したはずの反乱軍を象徴する、翼を広げた鷹が蛇に絡みつかれて今にも食べられそうなマーク。皇国の象徴でもある鷹を、反乱軍である蛇が喰い殺すという意味を持つマークだ。
何を馬鹿な事を、とアレを見る度に鼻で笑っていたものだが、しかし今の状況は危うい。あのマークのような結末を迎えてしまう事も、十分に考えられるだろう。
今の状況は喉元に切っ先を突きつけられた状況に等しく、操られた民衆が城内にまで侵入を許してしまった今、激しく鉄を打ち鳴らし、血で血を洗うような乱戦が一部では既に起きている。
日々訓練を積んだ兵達は本来ならば一太刀で民間人三名程度を斬り伏せられるだけの実力を持つが、自我も無くただただ進み続ける暴虐の徒と化した民衆は、腕が無くなろうが胴体を斬られようとも関係はなく、どれほど傷付こうとも恐れる事がない。
その為、戦闘は拮抗していると言えた。兵達も混乱しながらだが必死で抗っているものの、圧倒的な数の違いから長期戦は厳しいだろう。
一体誰がこのような事を、とは思うが、しかし今はそんな答えの見いだせない問題に気を割く時ではない。
「門を早く閉めろ! これ以上中に入れさせるなッ!」
城内に入られたとは言え、まだ門を閉めれば体勢を立て直す時間が稼げると判断し、門近くで奮闘していた兵士達に指令を出す。
一瞬だけ視線が今の主戦場から逸れた。
そこに飛来する三本の矢。
鈍く光を反射する鉄製の鏃が牙を剥く。真っ直ぐ私の頭部を穿たんと飛来する。
その狙いは概ね正確で、このままいけば眉間に一本、頬に一本、胸に一本突き刺さる事だろう。
そうなれば流石に死ぬ。如何に心身を鍛え上げた私でも、そんな状態で生きていられるほど人間を辞めてはいない。例え即死を免れたとしても、結局は出血死になる。
よってこのまま何もしなければ死ぬ。
だから、三本の矢を手にした剣にて払い切る。
腰に佩いた愛剣の柄に手を添えタイミングを計り、抜刀、ただ一振りにて三本の矢全てを捕捉。高速で抜き放たれた片刃の愛剣は篝火の光りを反射させてから、矢を斬る微かな感触を手から全身に伝える。
その直後に斬った矢の残骸が“玉紫鋼”で造られた甲冑に当たるが、少々甲高い音を響かせただけで、それだけだ。
速度の乗った状態で正面から直撃するのならばともかく、斬った事で失速し、ましてやヤジリが突き刺さる事無く側面部が当たっただけで貫ける程、私の甲冑は柔くはない。
「うおおおおおおおおッ!!」
すぐ傍から咆哮が上がる。
声の主は右側にある城壁に昇る為の階段を駆け上り、そのまま私に向かって突撃してくる、右頬に傷を持つ一人の男。
手には鋼の剣を持ち、返り血で汚れた鎧を纏って真っ直ぐコチラに向かってくる。その装備からして、明らかに反乱軍の人間だ。それに幾度か鎮圧に赴いた時にも見かけた顔である。頬に走る縦の傷は私が付けたモノなので、間違えるはずがない。
数瞬だけ観察しただけでも男の眼には狂気と共に信念の光が灯っている事に気が付き、それで命を賭して私を殺しに来ているのだと分かる。急所を一瞬で穿たないと、死に体になりながらも私を殺す為に動く事だろう。
厄介な相手だ。だから、私はただ一瞬で覚悟を決めた。
命を賭けて向かってくる敵には、コチラも命を賭けて迎え撃つのが私の礼儀。
全力で向かってくる敵には敬意を抱いて全力で迎え撃つのが、私が私に課す一つの戒めだ。
「お引き下さい、団長!くそ、邪魔だどけッ!!」
「行かせるかよ!! トカレフの邪魔は絶対にさせねェ!!」
慌てて進撃を止めようとする私の近衛達は、しかしトカレフと共に向かってくる仲間によって思うように助けには来れない。憎悪と殺意を乗せた剣と剣が激しくぶつかり合い、耳障りな、しかし慣れ親しんだ音が高らかに響く。
響く響く響く。激しい剣戟の音が響き続ける。
そしてその間に、絶叫が混じった。
近衛が不意を突かれて倒れ、反乱軍の者からもまた同様に死者が出る。人数が多いのだから当たり前のように死人も多く、血で城壁の上に血溜まりが出来てしまう程の激戦だ。近衛は日々私が鍛え上げたので強者ばかりだが、流石に決死の覚悟で向かってくる反乱軍の男達も侮れるものではない。
剣で胸を突かれたら死にゆく身体ごと倒れ込んで近衛を道連れにし、両腕を斬られたのなら獣のように喉を噛み千切って果てて逝く。殺したかと思えば這いつくばって近衛の足を掴んで動けなくしていくなど、まさに決死隊。
人は死を覚悟し、それでも尚信念と覚悟によって行動する時、最も恐ろしい力を発揮するのだと再度理解する。それは戦場で嫌と言うほど味わいつくし、今再び実感した事実である。
しかし私は思ってしまう。それでいいと。
この戦いは、私とトカレフとの真剣勝負。邪魔する者が居てはならないのだ。
打ち倒されていく近衛の無念を胸に刻み、打倒した反乱軍の血で染まった手をさらに多くの血で塗り固めると誓う。
「俺はヴァイスブルグ反乱軍<正当なる秩序>三番隊副長、トカレフ・ストラーダ!! ゲルンヒル騎士団長に勝負を申し込む!」
「ヴァイスブルグ皇国軍部統括騎士団団長、ゲルンヒル・ガーブリエル。その申し込む、謹んで受けよう!」
交わされる言葉。しかしそれはただ一時のもので、これから先に言葉は不要。
そしてしばしの沈黙。本来ならココで探りあいをするのだろうが、生憎どちらも時間が無い。
だから、ただ一瞬に全てを込める。
「シャアアア!」
先制はトカレフ。鋭い突進だが、しかし見極めれない速度ではない。この程度なれば、充分に対処できる。
以前旅商人から持ちこまれた、東方に存在する刃風国家<ヤマト>で使用されているという“太刀”とやらを元に、思考錯誤の末に製造された愛剣の柄を握り絞める。しかし全身は脱力し、一瞬で最速に達する構えを作る。
これは“太刀”と同時に買い取ったヤマトの武術指南書に書かれた“抜刀術”なる剣技を独学で身に付け、今までに無い速さを手に入れた私の一撃を作る布石。最高の一撃を持って、トカレフの一刀よりも先にその身を切り裂く。それが私が選んだ初手だった。
準備は整い、後はただ、タイミングを合わせれば良いだけだ。
――と、そこに微かな油断が出来たのだろう。
全てを準備し終えた所で、私はトカレフの身から迸った緑光を目撃し、背後から噴き出す疾風の存在を足元の血溜まりによって確信した。波紋が広がっているのだ。
トカレフから迸った緑光は間違いなく魔術光であり、それも血溜まりに波紋を作ったと言う事は、風系統魔術で間違い様がない。
そしてこの場面で使うとすれば、速度上昇でないはずがなかった。
魔術師が傍に控えていたのか、と舌打ちする間もなく――
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
爆発的な勢いで、トカレフの身体が加速した。足を踏み出す毎に在ったはずの距離は踏破され、私は反撃のタイミングを逃す。今から愛剣を抜いた所で、振り切るだけの距離が稼げない。一撃では殺す事ができない。
驚愕に顔が歪んだのを感じた。
トカレフの肩に担ぐように構えられた無骨な剣はその速度を損なう事無く振り下ろされ、私を切り裂かんと迫る。私の右肩から左わき腹を抜ける軌道。
トカレフと幾度か剣を交えた中で、間違いなく最速の一撃だった。この一撃に全てを賭けたが如き気迫、それに相応しい太刀筋、恐らくトカレフ自身の限界をも突破しているだろう一撃。
しかしトカレフがこれほどの覚悟を決めているように、私も負けては居られない。私にも、護らなければならない御方が存在するからだ。
「――――ッ!」
逆手に持ち変えて抜刀。普通に抜くのとは違い、最短距離を進む愛剣はしかし、間にあった。斜めに傾けてトカレフの一撃を受け流す事に成功する。
ただそれでもギリギリだったので避けそこなった肩当ての端が斬られ、火花と金属音が響く。切り離された破片が宙を舞う。
が、それだけだ。体勢が微かに乱れただけで、私の身体に多大なダメージは無い。
間髪入れずに地面を蹴る。無理な体勢だが鍛え上げた筋力を総動員し、無手の左手でトカレフの喉を殴り上げた。勢いだけだったので拳の威力は大したことはないだろうが、しかし急所に入った事でトカレフの身体が後方に弾かれて動きが一瞬止まる。大きな隙だ。
流れる身体を片足で抑え込み、殴りつけた左手を伸ばしてトカレフの胸元を掴み、お互いの身体を引き寄せる。右手に持つ愛剣は逆手のままなので、次の攻撃はすぐに繰り出せた。
驚愕に歪むトカレフの姿を見、躊躇う事無く剣尖をその喉に突き出す。やり投げのような格好で真っ直ぐ最短距離を突き進んだ剣尖は、ズブリと肉に食い込んだ。
更にそこで止まる事無く一歩前に踏み出す事で、深く沈むように埋没していく刀身は、やがて肉も骨も突き抜けた。
「ゴハァ……」
トカレフの口から溢れ出る大量の血が、喉から噴き出す鮮血が、私の全身を染め上げる。
大量の血を浴びる快楽に僅かに笑みを浮かべるが、意識してそれを止める。正々堂々戦ったトカレフに対し、別れの言葉を紡ぐ。
「悪いが、私の勝ちだ。だからただ、果てて楽になれ」
力を込め、引き抜くのではなく横に動かす事で首を切り裂いた。
鮮血がまるで噴水のように上方に向かって吹き出し、トカレフの頭部はゆっくりと、肉と皮が残った片側に向かって傾いた。
■ Д ■
『君は、皇国に対してではなくて、僕に永遠の忠誠を誓ってくれるの?』
ああ、今でも思い出せる、あの瞬間の光景を。
私と我が主が初めて会ったのは、もう三十数年前も遡らなければならないのだが、それでも、あの時の事は鮮明に覚えている。
当時の私はその時の騎士団長でもあった父から直々に訓練を受けた直後で、完膚なきまでに打ちのめされて訓練場に転がっていた。肌着が重くなるほどの汗を流していた為、全身は泥にまみれていただろう。
呼吸する事さえ億劫になるほどの疲労。訓練中に口内を切っていたのか感じる鉄の味。止めどなく流れる汗はやがて気化して臭いを放っていたに違いない。まあ、それも若い時の特権か。
大体十分程だろうか。やっと動けるようになるまで体力が回復してから目を開けると、私を覗きこんでいる者の姿を見た。
私と同い年かちょっと下の、十代前半だろう少年だ。
若干たれ目で青色の髪は無造作に反りかえる事で自己主張し、着ているのは見た目は質素ながらも要所要所に趣向を凝らした細工が成された燕尾服。一見すれば城に奉公に来ているどこぞの貴族の息子に見えなくもないが、今まで城内で見た事もない子であるし、何よりそんな話は聞いていなかった。
だから私は地面に寝転んだままで聞いたのだ。
『お前は、誰だ?』
今思い返しても不躾極まりない言動である。
あの時の私は無知であり、何も知らない子供だった。
『僕? 僕は、イグザルタ・フェン・ヴィ・ヴァイスブルグ』
『……ヴァイスヴルグ、だって?』
『うん、そ。普段は離宮で暮らしてるんだけど、今日は体調も良かったから、ココまで抜け出してきたんだ。やっぱり、外って凄く綺麗だね』
屈託の無い笑みを浮かべ、まるで外に来れた事が心底嬉しいと言わんばかりなその無邪気な仕草。
楽しいのだろう。その言動通りに。
確かに離宮には病弱な皇子が引きこもっていると言う話は聞いていたが、まさかこの方が、と遅まきながら気付いたあの時は冷や汗が止まらなかった。
あれが初めての出会いであり、あの時から私は主の元に通うようになったのだ。
そして初めて会ってから数年後、私は忠誠の剣をイグザルタ様に託した。
荒れた当時の皇国を建て直すと共に誓いを立てて。
それからはお互いが日々鍛え合い支え合う日々が続いた。
やがて私は騎士団長の地位に着き、イグザルタ様は政敵とも言える兄弟達を抑え込んで皇帝を継承した。
その後のヴァイスヴルグ皇国は目覚ましい発展を遂げ、小国から大国と言えるようになるまで大きくなったのである。硬度と対魔性に優れた合金<玉紫鋼>を製造出来た事も大きかった。
これからもっと皇国は大きくなると、私は確信していたのだが、しかし、その夢は崩れ去った。
第一皇女アストランチェ・ルイ・ヴィ・ヴァイスブルグ様が誕生した時から、この国は崩壊に向かった動きだしたのである。
いや、アストランチェ様が悪いのではない。
アストランチェ様は美しく、聡明で、下々の者に対しても優しく接する御方だ。
剣を振り続けて何度も何度もマメが潰れて硬くなった私の手を綺麗だと言い、戦争で騎士が怪我をして帰還すると服が汚れるのも厭わずに、生まれ持ったレアスキル<治療者>を使って癒してくれた。
スキルの行使のし過ぎで倒れる事もあったがそれに構う事無く治療をし続けたのも少なくない。その分多くの騎士が命を救われ、アストランチェ様に傾倒していくのは仕方がないことだっただろう。
本当に、素晴らしい御方なのだ。
だが、だからこそ悔やまれる。
何故アストランチェ様に、レアスキル<傾国の美女>が備わっていたのか。
レアスキル<傾国の美女>。
生まれ持ってしか得られないスキルなのだが、一定の年齢に成るまで発現する事の無いこのスキルは発見する事が困難であり、またその名の通り国を傾かせる特殊な魅力を得るので抗うのは至難だ。
アストランチェ様が目覚めたのは今から数年前。
それまでもイグザルタ様の寵愛を受けていたのだが、発現したのを切っ掛けにその愛は止めどなく注ぎ込まれた。今まで国の事を思い尽力していたのが嘘のように、イグザルタ様はアストランチェ様の為だけに尽くし続けた。拒否しようとするアルトランチェ様の意思がそこに加えられる事は無く、ただただ一方的に尽くし続けたのだ。
その行いで民が困窮し、やがて反乱軍ができあがった。
その後は、内戦に次ぐ内戦で国は疲弊し、反乱軍を一掃したかと思えば操られた民衆が城にまで押し寄せ、今まさに皇国が崩壊しようとしている現在に至る。
皇国が崩壊しようとしているのは<傾国の美女>であるアストランチェ様のせいであり、その魅力に負けたイグザルタ様のせいでもあると言えるだろう。
だが、しかし、私は誰も悪くなかったのだと思いたい。
誰も望んでこうなったのではなかったのだ。
あえて言わせてもらえるのならば、私は、<傾国の美女>というレアスキルを製造した“神”なる存在こそ原因であったのだと、言いたい。
いや、やはり確実に悪だと呼べる者は存在する。
二人のすぐ近くで止める事ができたのにも関わらずに、主に刃を向ける事を拒否し、民よりも主の幸福を願ってしまった私の存在こそ、国にとっての害悪だった。
◆ _ ◆
血を流し片膝を着いた私の目の前に居る女は、私を憎悪に染まった双眸で見下ろしている。確か、反乱軍リーダーのウィリアムの女で、名をサニラと言ったか。
報告書に添えられていた彼女の笑顔が書かれた絵からは想像できないほど、私が心底憎くて憎くて仕方がないという表情をしている。一言で言えば、醜い。ヒトの本質を映した様な表情だ。
とはいえ、恋人を殺した者に対してそのような表情を向けてしまうのは必然か。
「もう一度聞くわ。皇帝は、どこ?」
言葉一つ一つに込められた憎悪が空気を汚染するように広がった。
今居るのは玉座が鎮座する謁見の間だが、ココには私と骸と化した近衛兵以外、反乱軍の者しか存在していない。イグザルタ様とアストランチェ様は信頼できる部下と共に隠し通路を使って城外に逃す事に成功したので、ココには居ない。
私と近衛兵はココに立て籠もる事で、あたかもココに居るかのような錯覚を抱かせたのだ。
つまり陽動である。そしてその目的は完遂された。これだけ時を稼げば、間違いなく逃げ切れた事だろう。
これで由緒あるヴァイスブルグ皇国は滅んでしまうだろうが、主を殺させないという一点でのみ、私は勝った。最早、未練はない。
しかし、死さえも恐ろしくなくなった私に対して、サニラは剣を突きつけて質問している。
思わず、嘲笑が零れた。
「ふ、言う訳がなかろうが」
既に片腕を無くし、大量の血が流れ出ている。後数分もすれば死ぬだろう我が身に今更脅しなど、滑稽だ。仮に死ななかったとしても、私が話す訳がなかろうに。
「……そう、なら、貴方に用は無いわ」
サニラの顔が歪んだ。眼は血走り、ピクピクと震える口角を無理やり持ち上げるそれは、笑み、というにはあまりにも歪だった。壊れていると言ってもいい。いや、壊れてしまっているのだろう、実際。
そして憤怒によって掲げられた剣は、憎しみによって振り落とされた。
その先に在るのは私の頭部。例え女の腕力だろうとも、間違いなく殺せる一撃だ。頭蓋は砕かれ、脳は飛び散り、目玉は転がるだろう。悲惨と言えば悲惨な最期だが、私には相応しい末路か。
思い残す事がないと、やはり死に恐怖は抱かなかった。
生涯で視る最後の映像を、私は冷めた思いで見続ける。
それにしても、やけにゆっくりと迫る剣に微かな苛立ちさえ覚えてしまうと言うのは可笑しな話だ。
これがもしや走馬燈というものなのだろうか。明確な死を目の前に、蝋燭の火が消える瞬間のように燃え上がる生に対して関心を抱くが、無用な思考は放棄する。
ゆっくりゆっくりと迫る刀身。
一瞬の事なのだろうが、数分にも感じられたそれはやっと私に到達して、ゆっくりと、ゆっくりと皮を裂き肉を裂き、決定的な“死”を私に齎してくれる。
そして裂かれた皮膚の下から血が吹く出して熱くなったのを感じた時、サニラの瞳から小さな滴が零れるのを目撃した。
――涙。
死んだ恋人に対してなのか、私を殺せる喜びから来るのかは分からないが、それを見て、私は思った。
改めて、やはり私は死ぬべき人間なのだと。今更懺悔や後悔など片腹痛いが、それでも思う。
もっと上手く経ち回りさえすればイグザルタ様が非難される事も、アストランチェ様が悲しみ嘆く事も、サニラや国民達が激情に捕われる事もなかったのだろうと。
やはり此度の責任は“神”などと言う不確かな存在なのではなく、私に在ったようだ。
主の為だと眼を瞑り、主の為だと何もせず、主の為だといいながら無意識の内に依存していた私が招いた結果か。
ニタリ、と口が嘲笑を作った。誰でも無い、自分自身に対して。
「……滑稽だな」
「……え」
思わず零れた言葉が遺言となった。
私の声に一瞬剣を止めようとしたサニラだが、しかし遅過ぎる。
刀身は頭部に食い込み、まるでスイカでも叩き割ったように脳漿が飛び散った。
それが、私の、ゲルンヒル・ガーブリエルの結末。
願わくば、来世でもイグザルタ様と出会い、今度こそ間違う事無く共に在りたいものだ。