第四十四話 不運補正ってこんな時に働くんだね
三日間にも及んだイベントが特に問題なく終了し、その裏で雑多な予定調和が密かに繰り広げられた末に訪れたアヴァロンの日常。
曜日は金曜の日。今日の天候は晴れ。雲はほどよく漂い快適な風が吹く、そんな午前十一時。
そして本日の物語は、地上部西方エリアに在る大型の魔呪具屋<枯れた老婆>から始まりを告げる。
一般的な魔呪具屋らしく瓶詰めの目玉やら魔法薬の元になる魔獣の角の粉末やらも売られているモノの、しかし魔呪具屋独特の妖しい空気で満ち満ちる訳ではなく、魔杖やら輝石を嵌めこんだ指輪やらの商品がより見栄えがするように計算されて配置されている<枯れた老婆>は、扱っている商品の質の高さと内装の良さで高い評価を得ている人気店である。
<枯れた老婆>は三階構造になっていて、一階は一般的な品ばかりで固められ、二階はオーダーメイド品やら貴重な素材をふんだんに使用して造られた品が売られている。
そして三階はカナメの気分次第で個数が変わるモノの、内包概念が少なめな宝具を卸す特別な場所でもあった。とは言え、宝具類の値段は桁が違うのは言うまでも無いが。
そして一般的な商品で固められた一階の、店としては比較的安価な商品がズラリと並べられた出入り口に近い棚の前にて、とある国のお姫様は一本の棒のような魔杖を片手に、プルプルと震えていた。
金髪碧眼の、美しいお姫様だ。
本当ならば彼女の御供と共にアヴァロンの留学生として来たのだから、平日の午前にこんな所で買い物をしていていい訳はないのだが、なにせ手続きなどがあった都合で、今日と土日の三日間は暇だったのである。
そして無論、まだ都市の地理を把握できていないお姫様が、ココに一人で来たわけではなかった。
「な……何ですの、この金額は!」
魔杖を片手に震えるお姫様の思いの全てが、その一言に集約されていたと言っても過言ではない。
フェルメリアがいま手にしている棒のような魔杖は<翡翠の忌憚>と呼ばれる、アヴァロンとしてはただの量産体制が確立された、ありふれた魔杖の内の一本だ。
道行く人に視線を向ければ、五十人に二、三人は持っている程度の比率はあるだろう。
量産品なのでココと同じ系統の店ではさして珍しくも無く扱われている品で、レアスキル<魔術師>を持つ子供が地上部にある、他国の王族貴族と共に基礎的な科目を学ぶ普通教育機関――通称“学園”に入学する時に、親からちょっと高価な御祝い品としてプレゼントされる定番の品の一つだ。
もっとも、ただの量産品とは言ってもこれを製造したのはアヴァロンである。その基本性能は決して低くは無い。
魔杖の主な能力は風と水系統魔術の属性強化であり、強化率は約二倍から三倍と言った具合だ。強化率には適正による個人差があるモノの、最低強化率が約二倍と言うのは高い部類に入る。
そして魔術師の弱点とも言える接近戦に対処できるように、魔杖の九十五パーセントを占める古代樹を径が五センチに長さが九十六センチとそれなりに長い円柱状に切り出し、近距離戦を強いられた時に棒術を使う事もできるようになっている。
そして両端には属性強化の要でもある薄緑色の風水輝石と呼ばれる鉄より硬い希少鉱石が嵌めこまれているので、突きを放てば相手に相当な打撃を与える事も可能だ。腕次第だが鎧を凹ませ、あるいは貫通して生身に痛打を与える事もできる。
それに魔杖に使用されている古代樹は丈夫なうえに自己再生能力まで有しているため、剣戟も扱いに慣れた者ならば受け止める事もできるのは評価する点である。
最後に付け足すならば両端に嵌めこまれた二つの輝石は魔力を込めると淡く発光するので、その見た目も美しいのだ。外見の上品さも、買われる理由の一つだと言える。
風と水しか強化してくれないのは難点だが、そもそもそれを承知の上で買うのだから問題は無い。他の属性強化に特化した魔杖が欲しいなら別の品を買えばいいのだし。
しかしそもそも、今現在フェルメリアが言いたいのはそんな事ではなかった。
「どうしましたか、フェルメリア様」
「ああ、パティー。丁度いいですわ。これを見なさい!」
「どうしたんですかいった……え? あれ? これって値札ミスですよね? そうじゃないと変ですよね?」
フェルメリアに<翡翠の忌憚>の値札を見せられたパティーは、可愛らしく小首を傾げてみるが、しかしその視線は値札に釘付けになっている。
何ですかこれ、と思わず言っていたのにも気付かないほど、値札を凝視する。
「魔力を流してみて初めて分かるこの感触、微かに発動させてみただけで分かるこの充実感。これは間違いなく一級品ですのに……それが、それが、たったの金貨五枚ですって!? 安すぎますわよ!!」
フェルメリアはあり得ないー、と頭を抱えるが、しかし現実は現実だ。
<翡翠の忌憚>の値札に書かれた数字は金貨五枚相当となる、250,000ポイント。
ポイントを金銀銅貨で表すと、銅貨一枚が500ポイントで、銅貨十枚と等価である銀貨一枚が5,000ポイント、そして銀貨十枚と等価である金貨一枚が50,000ポイントとなる。
ただこれはあくまでもアヴァロン内で定められた基準なため、他国だと枚数には差異があるが説明は省略とする。
「何故これほどのシロモノをこんなに安くできますの!」
<翡翠の忌憚>の材料となる風水輝石だけで普通ならこの価格以上の金がかかるのは魔術師にとっては常識だ。現にフェルメリアが祖国の自室に置いてきた、輝石を綺麗にカッティングしただけのモノでさえ、金貨二十枚の値段だった。
そこからカッティングの手間分を差っ引いても、まだ置いてきた輝石の方が高い。
その上、古代樹などそもそも滅多な事では手に入らないモノまで使っているのにこの値段だと、最早頭を抱えるしかないだろう。
古代樹が“星屑の樹海”に群生しているとは広く知られる事実なのだが、しかしそれはあくまでも樹海の奥深くにである。
名のある傭兵団が一攫千金を目論み、貴重で高価な古代樹を求めて樹海に踏み込んで運よく古代樹を見つけても、結局最後には魔獣に襲われて殺されるのはよくある話だ。だが、それでも稀に薪数本分程度の古代樹を持ちかえる者がいる為に、森に入る者が後を絶たないのもまた事実だが、それは置いといて。
古代樹は他の所では滅多に手に入らない素材なのだと理解すればいい。
だからそんな貴重な素材だけで造られた<翡翠の忌憚>を量産品として、しかもこんなに格安で扱えるのは、世界広しと言えど立地条件的に見てもアヴァロンだけだ。
他国で同じようなモノを造ろうと思えば、それこそ国の予算を切り崩す程度に大掛かりなプロジェクトになってしまう。
「いや、だってそれ、量産品だし。在庫もまだまだあるし」
あーだこーだと様々な考えを巡らして頭を抱えるフェルメリアに、ニタニタと嫌みたらしい笑みを向ける連れの男――カナメは真実を告げてあげる。
そこには若干のトゲトゲしさがあるが、それも仕方がないと言えば仕方がないのだ。
久方ぶりに全力を出して今日するべき事務を速攻で終えたカナメは、昨日の悔しさを解消すべくセツナを案内と言う名目でデートに誘った。
――ちなみに一緒に来ようとしたポイズンリリーには、まだちょっとお怒り気味のセリアンを押し付けて逃げて来ている。セリアンはポイズンリリーが大好きだし、ポイズンリリーも下には甘いので、今ごろ戯れているに違いない――
しかしセツナが「街の案内を? ああ、それは丁度良かった。私も街を見て回りたいと思っていたんだ。あ、そうだ、ついでにフェルメリアとパティーも一緒にいいだろうか? ルシアン達は早速訓練だとかで訓練場に出かけているらしいし、あの二人はまだこの国について詳しくは知らないだろうから、二人きりで出かけるなんてできないと思うのだ……その、だめ、かな?」と言ったのである。
若干の上目遣いで言ってのけたのである。
まさかのカウンターブローにカナメは内心で吐血した!
まさかのハートブレイクショットに身動きが取れなくなった!!
セツナの可愛らしい上目遣いと、邪魔者を排除したと油断している時に現れた伏兵の出現の、その両方にカナメの心は打ちのめされた。
こうなっては流石のカナメと言えどもたじろぎ、何を言ったものかと一瞬言葉に詰まるが、しかしセツナに上目遣いのまま見つめられて断われる筈も無く、泣く泣くフェルメリア達も誘って現在に至る。
アレは卑怯ですとは、カナメ談。
しかし実は週明けに学園に入学させる都合上、フェルメリアとパティーの魔杖や衣服などの装備一式は買い換える――外と内の技術差の隔絶により、そうしないと無意味な恥を感じさせてしまうので、それを考慮した配慮である。これは無論他の王族貴族にも当てはめられる――為、後日連れてこようと思ってはいた。
いたのだが、しかしそれを思いだしたのがちょっとだけ遅かった。
もっと正確に言えばカナメから了承を得たセツナが、オプションリングの通信機能を使いこなして――流石にそこは現役女子高生、慣れが速いですとオジサンは感心しました――連絡を取っている最中に思いだしたのである。笑いながら話す姿には頬が緩んだが、しかしそれはそれ。
もう少し早く思いだしておけばと、カナメは内心で泣いた。
そんな訳で後からそんな事を言えるはずがなかったのを、どうかご理解いただきたい。
つまり現在の状況はそんな訳で、だからカナメがフェルメリア達に意地悪したくなったとしても、攻められない、様な気がする。
あくまでも気の持ちようなのは理解しているけども。
というか、自分が悪い部分も多少はあるので、これは言うなれば八つ当たりである。
いや、八つ当たりでしかない。
むしろ八つ当たりですが何かと逆に開き直った。
八つ当たりの何が悪い! と内心で叫んだカナメはきっと最低だった。
「……道行く多くの人が飛行魔術を使えるのは魔族の血が混じっているからだと思っていたし、何より浮遊船を見せられ、乗って来たから特に不思議じゃないモノだと思い込もうとしましたが……。
ココまで、ココまで分かりやすく歴然と、祖国との差を見せつけられると……流石にショックを隠せませんわ……。このレベルの魔杖が、量産品? ほんと、冗談はお止めになって」
「フェルメリア……その、余所は余所だから。何がかは私自身ハッキリとは分からないけど、きっと大丈夫だから、そんなに気を落とすな」
「……セツナ」
思わず暗くなるフェルメリアの肩に、セツナはそっと手を添えた。
そしてその場に何やら不穏な空気が満ち満ちる。例えるならば、何かの花が咲き乱れた感じに近い。百花繚乱とでも呼ぶべきか幻が、二人の周囲に出現したのである。
花の種類は、きっと純白の穢れ無き百合に違いない。フェルメリアの視線が何だか熱っぽいのもそう感じる要因か。
しかしそれをいち早く察したカナメは、言霊で造った鉄槌でもって木っ端微塵に打ち砕いた。もしくは除草剤を撒いてみたでも可。
「はいはい時間も勿体ないからさくさくと気に入ったの見繕うように。フェルメリアもパティーも、魔術師何だから杖で妥協したモノを使いたくないだろう?
ま、持ってきた杖で学園の授業に出て、恥ずかしい思いをしたいなら別だけど? 当然学園の生徒は全員これかこれ以上の品使ってるから。というか、店に入って速攻立ち止まるのは通行の邪魔だから退きなさい」
「――ッツ! わ、分かってますわよ。私の恥は祖国の恥辱でもありますもの、国を背負う者として、下手な物は選べませんものね。ほら、パティーも一緒に探しましょ。入口の棚でこれほどの品、他のモノも気になりますわ」
「は、はいです!! って、あれ“カトブレパスの呪眼”じゃないですかッ!!」
「な、何ですって!! どこ、どこですの!?」
「あ、あっちには“黒獅子の黒角”に“釘蜂の釘針”もありますよ!!」
「買いましょう! それはもう買うしかありませんわ!! ああ、アチラには“ケルピーの滑皮”に“アリアドネの聖水”がありますわ!」
恥ずかしさと少々の怒りで頬を染めたフェルメリアは、元気満々の少女・パティーを引き連れて商品棚に並ぶ魔杖の吟味に戻る。というか、目敏く棚に飾られた貴重な魔法薬の材料を見つけたパティーに促され、まるで財宝漁りの如き勢いで店内に乗り込んでいった。
上品とは控え目に見ても言えないその行動は、お姫様としてではなく、一人の魔術師としての本能がそうさせたに違いない。
もっとも、外の魔術師からしてみればこの店はまさに宝の山と同じようなモノだろうから、それも仕方がない反応と言えるだろう。過去を振り返っても、連れてきた外の魔術師は大抵フェルメリアとパティーと同じような行動をしたのだし。
入って速攻見つけた<翡翠の忌憚>か同程度のレア度がある量産品で出鼻を挫かれるのも、最早鉄板ネタだと付け足しておく必要があるかもしれない。
そしてポツリと残されたカナメとセツナの二人は、フェルメリアとパティーと違ってココで何かを買う必要性がないので、若干手持無沙汰感がある。どうしようか、と視線を交えてみる。
そもそもカナメは入手しようと思えば簡単に手に入るし、セツナはセツナで魔術を使わないので魔杖が必要がないのだから、それも仕方がないだろう。
しかしこれがカナメの目論だった。自然と二人きりになるのには、丁度いい。
諦めませんよ勝つまでは! とカナメは内心で叫んだ。
「セツナ、最近夜になるとリリーと一緒に地下都市の訓練場で汗を流してるらしいけど、何か問題はないか?」
「ん? ――ああ、いや、別に何も問題はないわ。ただ、昨日は祭りが終わった後もやってたんだけど、そこにヘジンさんも混じって来て、ちょっと大変だったけどね。あの剣の特性は、ちょっと酷いよね。受けができないってのは、想像していたよりも厳しかった」
セツナの言葉にその時の様子が鮮明に想像できた。
戦闘大好きなウールブヘジンは肉食獣らしく牙を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべ、<阻める物無き蛮勇の剣>を片手、もしくは両手に持って対峙したに違いない。
一応ダンジョンではないのだから手加減は当然していただろうが、それでもセツナのエクスカリバーでも防ぐ事の出来ないデュランダルの斬撃は危険だったと想像するのは難しくない。
正直セツナの盾とデュランダルの【切断】はどちらが勝つか把握できていない――それでも恐らくはセツナの盾がギリギリ勝つとは思うのだが――ので、何かあったら大変だ。生きていさえすれば再生治療で死ぬ事はないだろうが、そもそもあまりそう言った事態になって欲しくないのが正直な所である。
それにポイズンリリーはやれやれ、とため息をついて傍観していた可能性も高いだろう。いや、絶対微笑みながら見ていたに違いない。
凄く迷惑をかけているとしか思えず、カナメの頬に一筋の冷や汗が流れた。
「それは……すまん」
「カナメが謝る事じゃない。それに、私も楽しかったしね」
「楽しかった?」
「そ。神の声で先読み出来ていても、本気で動かないとヘジンさんの攻撃は避けれなかった。それくらいに鋭くて速かった。あれ? これって下手したら殺されるってくらいには。
でもそれが、私と同じくらいの存在がいるって再確認できて、嬉しかったのかもしれない。
それに私が全力で動かなくちゃいけない事態なんて、向こうじゃ幾らでもあったけど、こっちじゃ抑制する時間の方が多いから、無意識の内にストレスを感じていたからだとも思う。
だから、ヘジンさんとのやり取りは困ったけど、楽しかった。凄く、充実してた」
と、セツナがまるで向日葵のような笑みを向けた。
う、とカナメの言葉が詰まる。
率直に言ってセツナの笑顔が、愛おしいと思ってしまったからだ。
ふと気が付くと、男としての本能が疼いた。グツグツと音を立てながら、獣欲が沸き上がってくる。若い訳ではないので正常な思考ができないほど狂う事はないが、しかし男としての思いが膨らんでいく。
こんな激しい感情を抱くのは久しぶりだが、それも仕方ない。セツナが可愛過ぎるから悪いんだと責任転嫁して。
「なあ、セツ――」
「あら、カナメ様。奇遇ですわね、こんな所でお会いするなんて」
――邪魔が入った。
反射的に声がした方向を見れば、そこには生足があった。
どうやら軽やかな足音を響かせながら、二階に繋がっている螺旋階段を降りてくる二人の女性の内の一人が、カナメに声をかけたらしい。一段一段降りるごとに女性が誰なのかハッキリと見えてくる。
それは綺麗な女性だった。スラリとしなやかに引き締まった体躯は華奢で、白い肌はまるで新雪のようだ。赤いハイヒールとスリットが深く背中の開いた赤いドレスは大人の色香を漂わせる女性にとても似合っており、足が動く度に見える太ももがとても色っぽい。
キラキラと輝く黄金色の長い髪はふわふわとまるで雲の様に軽やかで、側頭部からは山羊のようなクルクルと渦を巻く白銀の角が伸びている。
髪と角の特徴が、女性が雷遊族の一員である事を示していた。
「あ~、やっべ……」
微笑みを浮かべてくる女性に対し、カナメは思わず本音を洩らしてしまった。先ほどまでなかった冷や汗がダラダラと溢れてくる事からも、ヤバいと思っているのは間違いない。
そしてピキリ、と何かが軋む音が聞こえた気がした。螺旋階段を降り切った女性を見てみれば、こめかみに何やらコメディーな怒りマークが見えるような気がする。
やっちまった、とカナメは空を仰ぎたくなった。彼女に会うとは思っていなかったので、油断しまくっていたのだ。
「あらあら、何がヤバいのですか、カナメ様?」
こめかみに浮かぶ怒りマークをそのままに、カツカツと音を立てながら女性が詰め寄ってくる。
どうやら女性の身長はカナメよりも若干高いらしく、手を伸ばせば届く距離にまで近寄って来た女性を、カナメは冷や汗を流しながら微かに見上げた。
「もしかして、今度は私をデートに誘ってくれるという約束を忘れたからとかでしょうか?」
「ん……んんん~、いやいや、そんな事は決してないん――」
「……ダウト。……カノンお嬢様、カナメ様は虚偽を申しております」
見っとも無く言い訳を切りだそうとしたカナメの嘘は、女性の後ろに控えるメイドによってスッパリと切り捨てられた。
あう、と思わずカナメは後ずさる。
赤いドレス姿の女性――カナメに嫁いできた姫様の一人でもあるカノン・カーデルベルクの威圧感たっぷりな鋭い眼光。それにカノンに仕えるメイド――長い前髪のせいで素顔が見る事のできない没虎族のメル・メルル・メルが放つ無言の重圧感の、その両方が混ざり合ったからだ。
カノンとメルはパンドラの隊員なので、カナメが感じる重圧感もそれ相応に重かった。
柔な生物なら動けなくなるか、もしくは呼吸さえ止まってしまう程度には。
「……まあ、カナメ様が忘れていたのは傷つきますが、カナメ様ですから許します。それに、ふむ。貴女が、今代の勇者ですか……」
若干拗ねたような表情でカナメをしばし見つめた後で、カノンの視線が隣のセツナに向けられる。
まるで値踏みするような視線を向けられる事にセツナは若干嫌そうにするが、数秒もすればカノンの視線は再びカナメに移った。
「カナメ様の好みドストライク、ですか。確かに美しい方ですね。黒髪がとても綺麗ですし、雰囲気も悪くないですわ」
「あ、ありがとう? でいいのかな?」
「いいと思うが……」
突然の褒め言葉に、反応に困ったのはカナメとセツナだった。
しかしそれを置き去りにして、カノンは一人語る。
「今日は上に注文していた品を取りに来ただけですし、暇だからカナメ様について行こう、なんて言いません。が、しかし、ええと……貴女、」
「……セツナ様です……カノンお嬢様」
セツナの名前を忘れてしまったのか、あるいはそもそも知らなかったのかのどちらかだろうが、名前を呼べないでいたカノンにメルはそっと助け船を出した。
カナメは何やら嫌な予感がしたが、ここでカノンの発言を妨げる理由も無かったため、黙認している。
しかしそれが悪かった。
「そう、セツナさんですね。自己紹介が遅れましたが、私カノン・カーデルベルグと申します。以後お見知りおきを」
「は、はぁ。私は桐嶺刹那と言います。コチラ風に言うと、セツナ・キリミネですね。セツナと気軽に呼んで下さい」
「ではセツナさん、私の夫が多少の迷惑をかけるでしょうが、できればご容赦ください」
完璧な礼儀作法によって行われたカノンの会釈は綺麗なモノだった。
が、しかしそれは問題にはならない。問題なのは、カノンが投下した一つの爆弾の方である。
「ぶぅーーーーーー!!」
「お……夫?」
思わずカナメは噴き出し、夫という単語にセツナは呆気に取られる。
「ななななな、何でこのタイミングで!」
「あら、カナメ様、しかし真実ですわよ? 私は、カナメ様に嫁いできたのですから」
二コリ、と笑って見せるカノンは、しかし言外にセツナを威圧していた。
ネチネチとした事はしない。真っ正面から勝負しましょうと挑発しているようにしか見えないのは、きっと気のせいなどではないだろう。
これは、カノンからセツナに対する宣戦布告だった。
ああ、マジでこのタイミングでの遭遇は、不運補正が働いたとしか思えないと、カナメは頭を抱えてどうセツナに説明しようか思考を巡らせる。
カノンが言っている事が本当の事だからこそ、こんなにも悩まなくてはならない。
説明をミスれば、ごちゃんです有難う御座いました。
そんなやり取りが交わされた瞬間から、カナメの羨ましくも苦難塗れの日々は幕を開けたのである。
いや、元々カナメの人生は概ねそんな感じなのは否定できないのだけれど。