第四話 何という急展開か! デレたと思えばこれが素ですとか! そしていきなりバトルですか!
そこは武骨な建物だった。
石造りの建物の中は壁や床の石材がむき出しになっており、大きなテーブルセットがいくつか置かれている。
余計な飾りは一切見当たらない。その代わり、ココを利用する傭兵やハンター達にとって大切なものは全て揃っていた。美味い料理と飲み物、そして頼れる仲間と、依頼や世間の情勢に関わる情報だ。
傭兵達は飾りではなくそれらを求めて集まる。だからこそ、メサイティウスの傭兵業斡旋施設は今日も繁盛していた。
その、喧騒に包まれた傭兵業斡旋施設の隣にある酒場に、俺とポイズンリリーは来ていた。ギルドが経営する一泊四十金貨もする超高級宿に当然の如くタダで泊まり、どうせ夜食を取るなら今の傭兵達の様子見を兼ねて活気のある場所で、ということでここにいる。
周りには希少な鉱石を多数使用し、名のある鍛冶場で製造された見るからに高級品だと分かる防具や、討伐した魔獣から剥ぎ取った素材をふんだんに使って生成された野性味に溢れる防具に身を包み、使いこまれた得物を横に置いて、仲間たちと共に好きなように語り合う傭兵達の姿が多く在った。
ざっと見回しただけでも軽く三百人は居るだろう。他の街からすれば比較的多い人数ではあるが、この街の特性を考えれば妥当と言える人数だ。
ちなみに此処に居る彼らが使う防具や武器は、それ単体で平民の年収単位の額を軽く超える高価な代物ばかりで、その豪快かつ自由な生き方に多くの人間が憧れて傭兵になっていくというのも頷ける。
だが、この酒場だけでも見回せば身体の一部が欠損している者や、顔に大きな爪痕がある者など多数見受けられた。傭兵業は常に命懸けだから、リスクがあるのは当然の事だった。
ここに来れば傭兵という職業の危険さを、改めて認識できるというものだろう。しかしそれを知った上で傭兵になる者は絶えない所を見るに、やはりこの事業に手を出していち早く体制を構築した昔の自分を誉めたくなったとしても、これまた仕方がない事だった。
だがしかし、これは一体どういう事なのだろうか。
こんなに種々様々な人間達に溢れ返っているというのに、俺達二人がどこまでも浮いているのは納得できない。
先ほどから、厳密に言えば俺達が酒場に入った時点から、酒場にいる傭兵達は直接視線を向けては来ないものの、俺達の動向を窺ってきているのが分かる。
何故だ。着ている服は貴族や王族が使うような最高級品の素材で造った服ではあるが、黒一色のコーディネート程度では傭兵達の派手な格好と比べたらなんて事は無いはずだ。
それにもし貴族かと思われていたとしても、どこぞの貴族がお抱えの傭兵を探しに下見しに来る事など日常的にある。貴族、という線でこのように見られている可能性は皆無に等しいはずだ。
もしや、ポイズンリリーの服が浮いているのか? いや、それも否定できる。ポイズンリリーよりも際どい服を着た女の傭兵だっているのだ。例えポイズンリリーの色香に当てられたとしても、ここまで危険物を扱うような空気に満ちるはずがない。
「カナメ様、そのような魂が抜けたような間抜け面を晒して、何がしたいのですか?」
俺が思考していると邪魔な声が割り込んできた。
当然のように、隣にいるポイズンリリーだった。
「間抜け面とか言うな。これが俺の通常だ」
思考を止めて思わず条件反射的な突っ込みを入れてしまった。人が考えているのに邪魔をするとは何事か、と内心で憤慨してみるが、ポイズンリリーに対しては何も言えない俺が居る。ので、俺はそれ以上何も言わなかった。
「そのような平凡な顔が通常だなんて……可哀そうなカナメ様」
よよよ、とやけに芝居がかった仕草で嘘泣きをするポイズンリリー。服の裾を軽く摘まんで目元の涙を拭うような仕草だ。どこで誰に教えられたのか凄く気になる。
まったく、何がしたいんだろうかコイツは、と思っていたが、流石に次の行動は長年の付き合いでも読めなかった。
「そんなことよりカナメ様、これをどうぞ。これが噂に聞く、あ〜ん、で御座います」
口元に差し出されたのは銀のスプーン。その上にはまだ湯気が上るホカホカの卵と鶏肉が乗せられていた。香しい匂いが鼻孔をくすぐり、俺の食欲を刺激する。
これは俺が夜食に頼んだ親子丼――俺が傭兵業斡旋施設の酒場の定番食にした一品――である事に間違いないが、しかし一体、何なのだろうかこの甘ったるいシチュエーションは。
まるで俺とポイズンリリーが恋人同士のようではないか。
ポイズンリリーのこの行動で、周囲の雰囲気に怒気が混じったような気がしたが気にならない。どうでもいいと切り捨てる。というか心底どうでもいい。
突然の行動にフリーズしていた俺を余所に、ポイズンリリーは一人淡々と突き進んでいく。
俺はそれを止められなかった。今のポイズンリリーは、まるで安全装置が壊れた暴走特急のようだ。
「どうなさいました? むむ……もしやこれが足りないのでしょうか? 少々お待ちください。すぐに準備をしますから」
そう言うと、ポイズンリリーはその綺麗な朱に染まった唇に銀のスプーンを近づけた。予想に反して、食べるためではなかった。
ふー、ふー、とポイズンリリーはホカホカの親子丼に息を吹きかけて冷やしていく。その懸命に息を吹きかける姿に、俺は不覚にも癒された。――そんな気がした。気がしただけだった。気が付いてみれば、全然全く寧ろ恐怖で体が震えそうになった。
ご存知の通り、ポイズンリリーの全身には質量保存の法則を軽く無視した量の隠し兵器が備わっているのだが、その中に口腔内に設置されているものが一つ存在する。名称を毒の霧吹きとされるそれは、ポイズンリリーの吐き出す息を触媒に、一息で人間百人を行動不能にする強力な神経系の毒ガスを周囲に分布するという代物である。
しかも人間だけには留まらず、毒の濃度を調整すれば魔獣の最高位であるイ級の竜種にも通用するようなヤバいシロモノで、解毒方はポイズンリリーが作るワクチンしか存在しない。
俺がふざけてやってしまった凶悪兵器の一つなのだが、これには欠点があったりする。
無味無臭に調合するようにしたまでは良かったが、何の手違いか毒ガスは微かな紫色を帯びてしまってたのだ。紫色の方が毒々しいと心の中で思ってしまったからかもしれない
その欠点のせいで、折角放出した毒の霧吹きも、簡単に敵に回避されたりと、使い勝手の悪い兵器になってしまったわけだ。
その為、ポイズンリリーは度重なる実験と行使の末に、罠か夜間だけに使用するようになった。効率的にみて、それが一番良かったのだろう。
というのはどうでもいい事だ。
本当に重要な事は、この毒の霧吹きに使われる毒はポイズンリリーの意思とは関係なく常時体内で生成され、許容量を過ぎると自然と外に放出されるという事にある。
最近は使う機会が無かった毒の霧吹きの毒は溜まる一方であり、許容量に近づけばいつ放出されても不思議ではなかったわけで――。
「どうぞカナメ様。私の愛と誠意とエロスが混じったこれをどうぞお召し上がりください」
ずい、差し出された親子丼は、既に毒によって汚染されていた。卵の黄色は見る影もなく、肉は既に気持ちが悪い紫色の物質になり果てている。この紫色は、毒の霧吹きの神経毒に汚染された証拠に他ならない。
この一口を喰えば、確実に俺は神経毒に侵されて、意識を失う事だろう。そしてそのまま放置されれば、やがて心臓が止まって死ぬ事になる、と、思う。俺に試した事が無いためそこん所は未知数だが、とりあえず意識は確実に飛ぶだろう。
これを俺に喰えと言うのか。俺は視線だけで訴えかけた。
その返答は、言葉ではなく、行動で示される。
ポイズンリリーは、ここぞとばかりに後光が差すような笑顔を俺に向けて来たのだ。普段の無表情や、悪だくみしているような笑顔ではなく、太陽を彷彿とさせられる純粋な笑顔を俺に向けて来た。
まるで幼い少女が、嬉しい事があった時に自然と作ったようなその笑顔に、俺はただ圧倒された。衝撃を受けたといっていいだろう。美人の純粋な笑顔は、時に凶器にもなると悟ってしまった。
もし普段のように、邪気のある笑顔や、悪だくみしていそうな笑みだったならば俺はすぐさまこのスプーンを叩き落として、新しい親子丼を注文していたに違いない。いや、それは確定事項だ。
だが、今のポイズンリリーに対して俺はそんな悪逆非道な行いをする事ができるだろうか。
俺はスプーンに注いでいた視線を、再度ポイズンリリーに向ける。
先ほどと変わらず、太陽を彷彿とさせられる笑顔がそこにはあった。
それを見て、俺は一人静かに拳を握りしめ、歯を食いしばった。
俺にはこのスプーンを叩き落とす事なんて……できない。そう思ってしまったからだ。
「ここでそんな笑顔とは……反則だってマジで」
自然と涙が流れ出た。
一度天井を仰ぎみて数秒、息を吐き出しながら俺は正面を見据え、そして口元にさしだされている、この、食べれば確実に神経毒に侵されると分かり切っている親子丼を、震えながら開いていく口の中に通した。
まだ食べてはいない。これを食べるのは覚悟がいる。
ぎゅっと眼を瞑って数秒、――――覚悟完了。
決死の覚悟を決めて、俺はそれをいっきに呑みこむ。
途端、俺の体は毒によって侵された。
毒によって俺の意識は暗転。ぐらりと横に傾いていくのを実感した後、俺の意識はプツリと断たれる。
意識が途切れる最後に――。
「ふふ、まだこの作戦は通用するようですねカナメ様――そんな所も……」
何か、何かとても憤りを感じそうなセリフが聞こえた気がした。だがそれが何かを考えるよりも、俺の意識が断たれてしまったのだった。
◆ ◆ ◆
ゆっくりと私の方に倒れかかって来るカナメ様の体をそっと支え、すぐ様ワクチンを首に打ちこむ。これで毒によって心臓が停止する心配は無くなった。そして今度はぐっすりと眠れるように、睡眠薬を打ち込む。ついでに直前のやりとりを無くす記憶操作薬も……。
ふう、と安堵の息が漏れる。
自分でこのような事をして何を言うんだと言われそうだが、こればかりは仕方がないとカナメ様には諦めてもらおう。せっかく久しぶりにカナメ様と二人っきりで旅をしているのだ。邪魔をする輩は早々に始末するに限る。
さて、一先ずカナメ様を部屋に運ばなくては――。
「お前達、カナメ様をお部屋にお連れしなさい。勿論、丁寧にですよ」
『畏まりましたお姉さま』
そう言いながら私の影から現れたのは、メイド服に身を包んだ二人の少女。
髪はくすんだ朱色のウェーブヘアで、小さな青い花の髪飾りが付いている。身にまとうのは黒と白を基調としたメイド服だが、彼女達の好みでフリルが普通よりも多く使用されている。
まつ毛の長い大きな眼、すこしだけ丸く小さな鼻、そしてとても愛嬌のある童顔をした彼女達は、細部に渡り同じ顔をしていた。黒子の位置や毛の生え方まで、全く同じだ。この可愛らしい二人は、何を隠そう私の妹達だった。
姉として、同じ顔、同じ声、同じ考え方、同じ話し方をする二人を見分けるコツが、髪飾りが左右どちらに付いているか見る事しか無いというのが情けなく思ったりする。
彼女達の名前は、左側に青い花の髪飾りがある方がリリヤ、右側に青い花の髪飾りがある方がアリヤという。私がカナメ様に造られてから数えて、十二番目の妹に当たる。
『お姉さまは、どうなさるのですか?』
彼女達の声が重なる。独特な響きのある声だ。
「私は害虫を駆除してからそちらに戻ります。カナメ様を部屋のベッドに寝かせたら、城に戻って仕事をしなさい」
『分かりました。では……』
小柄ながらも私と同じ機玩具人形であるリリヤとアリヤにとって、カナメ様の体重などあって無いようなものだ。ふらつく事もなく軽々と両脇から支え上げる。
しかしやはり身長が違うようで、カナメ様の膝が地面についたままだ。このまま動けば膝を擦る格好になるのだが、リリヤとアリヤにそのような心配は必要ない。
『お姉さま、ごきげんよう』
再び影に沈み込んでいくリリヤとアリヤを、私は静かに見送った。私が近距離戦専用の機玩具人形と作られたように、リリヤとアリヤは影を触媒にした空間湾曲跳躍型として作られている。リリヤとアリヤの特性は、超長距離を瞬時に移動できる事だ。
一人では座標の固定が定まらなかったため、弟妹では珍しい双子として作られた、非戦闘用の妹達。
リリヤとアリヤの主な仕事はカナメ様または大臣達の外交の足となることで、外交が無い時はメイドとして働いている、とても働き者なのだ。その上従順で可愛い、自慢の妹達。
ふと我に返って、ついつい妹自慢をしている事に気が付いて反省した。
カナメ様の前だと無意識のうちに毒を――カナメ様がそう言うだけで、私は一度たりとも自覚した事は無い――吐いてしまうが、それ以外だと弟妹馬鹿になってしまう自分の癖を治すべきだと脳内の記憶フォルダに書き留めた。
「さて……一先ずは街の外に出なくては」
こちらを奇異の眼で見てくる傭兵達を無視し、私は一人外に出た。時間も遅く、一部の酒場を除けば石畳の敷かれた道には人影が無い。だが、闇に紛れて私を見る視線がある。それも複数。
間違いない。これが今回の獲物だ。私の心の奥底に眠る衝動が、久しぶりの実戦に歓喜しているのが分かる。私の中の魔物が、今すぐ牙を獲物の肉に突き立てて、血を啜れと咆哮する。爪を私の胸に突き立て、ここから早く出せと狂い猛る。
――無性に、何も考えずにただ全力で狩りがしたくて堪らない。
だがまだだ。ここでは人目があるかもしれないし、何よりもカナメ様に悟られたくない。
カナメ様は優しい方だから、相手が仕掛けてくるまで何もしようとはしない。不死身に近い再生力を持っているとはいえ、私からすれば軟い肉体というしかないし、絶対に不死身ではないはずだ。
もし、何かがあってカナメ様を失ったら、私はどうなってしまうのだろうか。
カナメ様の為だけに生まれた私達機玩具人形は、何を存在意義としてこの世に留まればいいのだろうか。カナメ様が居なくなれば、存在意義など無いという事など分かりきっているというのに、私はどうしてもそんな事を考えてしまう。
そこでふと、夜空を見上げた。見上げた夜空には星が輝いていて、<アヴァロン>のように街灯が無いこの街ではその輝きが一際よく見える。
あ、ペルセウス座だ……と以前カナメ様に教えてもらった星座を見つけて、気が付けば私は一人で笑っていた。カナメ様の些細な思い出だけで笑っている私は、変なのかもしれないと思った。
でも、それでいいのだと強く思う。カナメ様は私の全てで、私の全てはカナメ様の物なのだから、それでいいと思うのだ。
「さて、私に付いてこれるかしら?」
一人呟く。
これは誰に話しかけるでもなく、自然と漏れ出した言葉だった。そして戦の狼煙になる言葉になった。後は行動するのみ。
両膝を一旦軽く曲げてタメを作ってから、一呼吸の内に空に舞い上がった。跳躍する力が強かったのか、石畳の地面が軽く陥没してしまったが気にしない。この程度の力で壊れるようなら、何時か壊れていたはずだ。ただ壊れる時が早くなっただけに過ぎない。
跳んだ私は近くにあった民家の屋根に着地し、再び次の屋根に跳躍していく。それを何度も何度も繰り返し繰り返し行っていく。最終目的地は、街の外だ。
人間とは比べモノにならない運動能力で、私は夜の街を跳び続ける事で移動していく。普通の人間では到底追いつけないが、風の魔術を使って移動速度を上げれる魔術師が居ればなんとか追いつける速度を維持する。
もしこの程度の速さで追いつけないようならば、小型独立端子を送り込んで始末すればいい――そう決めて、私は少し楽しくなった夜の散歩に興じた。
この街を四百五十年という長きに渡って護る、カナメ様が造った石壁の上には三分もしない内にたどり着いた。見回りの騎士が何人かいるようだが、この程度の騎士に気が付かれるようなヘマはしない。
このまま静かに外に出てもいいのだが、ここはあえて人差し指に内蔵してある毒針を射出して、近くにいた騎士の首筋に突き刺す。毒は単純に眠らせるモノで、五分もすれば何事もなかったように眼を覚ますような弱いものだ。
――さあ、折角出やすくしてあげたんだから、私に付いて来なさいよ。
石壁から身を投げ出して、十五メートル下にある地面に降り立った。衝撃は殆ど感じなかった。私にとってこの程度の段差などあって無いようなものだ。
周囲を見回す。夜とは言え、まだ十分に私の姿は視認できる。当然、戦闘になれば絶対に見つかるだろう。このままでは外に来た意味が無いと判断し、二つ向こうの丘まで離れる事にした。
目的地を決め、私は誰も居ない平原を私はひた走る。
いや、走るよりも跳ぶようにして、私は高速で移動した。少し速過ぎたのか、後方から迫って来ていた気配に焦りが生じているのが分かる。
この程度で焦られた事に、私が逆に困ってしまった。まさかこの程度の速さに付いてこれないような輩が獲物かもしれないと思ってしまったからだ。
もしそうなら、私のこの火が灯った衝動はどうすればいいのだろうか。
今宵獲物を狩ったとしても衝動を鎮火する事ができず、心の奥底で燻り続けるかもしれない。
それは、困った。大変だ。溜まったストレスがカナメ様に向かってしまう。カナメ様にまた毒を――繰り返すが、私自身には自覚が無い――吐いてしまう。無意識のうちに虐めてしまう。ああ、困った困った困ってしまった。
しかし、ふふ、何故私は笑みを作っているのだろうか……。
ああ、困った、困った。
「さて、もう闇に隠れるのは止めたらどうでしょうか。といっても、私からしてみれば全然隠れていませんでしたがね」
ここは既に目標の丘を過ぎた場所だった。周囲よりも落ち窪んだここからでは街の姿は確認する事ができない。例えここで戦闘をしても街には微かな音しか届きはしないし、態々ここまで騎士達が見に来る事もないだろう。そして死体は、魔獣達が勝手に処理してくれる、後片付け要らずな絶好の狩り場だ。
「ふむ、気配は完全に断っていたはずだが、流石は悪名高き<美毒姫>と言った所か」
「可笑しな事を言いますね。生きている以上、気配を完全に断てるはずがないでしょう?」
闇から一人の男が滲み出て来た。ポイズンリリーが正面から対峙すれば、見上げてしまうほど大柄な男だ。
赤黒い短髪は剣山のようにつんつんと逆立て、浅黒い肌に猛禽に似た鋭い顔立ち。逞しい体は、赤黒く不思議な光沢をもつ金属で造られたアーマーに包み、背には鋼の塊のような巨剣を装備している。
深紅に光るその相貌を見た瞬間、ポイズンリリーは自分で自分を抱きしめるようにして、俯きながら静かに震えた。
「……何故震える? 今更になって怖くなったとでもいうのか?」
「ふふっふふふ――怖い? いいえいいえ、そんな感情など私にあるはずがないでしょ。私が震えているのは、貴方のような獲物が居た事に対する歓喜のせいです。それから、多少は暇潰しができそうな、貴方の部下も早く姿を見せてください。じゃないと、一瞬で終わらせますよ?」
ああ。まさか期待外れだと思っていたのに、こんな上質な獲物が居たなんて。これなら、カナメ様に対してストレスの発散をしないで済むかもしれない。これほどまで歯ごたえのありそうな獲物は久しぶりで、衝動に駆られて本能が今にもはち切れそうだ。
だが、まだ我慢。獲物が全員姿を見せてから、誰一人として逃がさないように狩りをしなくては――。
「ふん。五百年を生きる化物だと聞いていたが、戦力差も分からず、死の恐怖さえも理解できない愚か者だとはな。良いだろう、どっちが狩る側か教えてくれる。だが、邪魔なお前を殺した後には件の魔神が待っている。悪いが、祖国の繁栄の為に、手早く終わらさせて貰うぞ!」
その言葉によって隠しているつもりなのだろう気配が動き、そして止まった。それと同時に闇に炎が突如として発生し、周囲を駆け巡る。
そして炎の動きが止まった時には、夜の暗闇は紅い光によって消え去り、周囲には私を逃がさないように三十人の人間が円を造っていた。
隊長であろう赤黒い髪の男だけ服装が多少違うようだが、その他の人間は全員闇に紛れやすいように黒いアーマーで身を包み、更にその上から隠蔽の魔術が施された黒いフードで顔を隠している。気配を殺して標的に近づく暗殺者としては、これ以上ない服装だろう。
持っている武器は個人個人別々で、剣や片手斧や槍、弓やクロスボウといったモノから魔術師が増幅器として用いる杖まであった。
だがその多種多様な武器にも共通点があり、高位の魔術師しか刻めない魔術刻印が刻まれている。あれほどの数の魔術礼装があるという事は、相当高位の魔術師が紛れ込んでいるのかもしれない。もしあの数を揃えようと思えば、金貨数百枚は掛かる事だとは、容易に想像ができる。
赤黒い髪の男が手で指示を出した。
途端ポイズンリリーを撹乱するように、三十人全員が一斉に動き出す。縦横無尽なその動きは素早く、完璧な連携がそこにはあった。これほど速く動いているというのに完璧な連携の取れたこの行動は、一目で高度な訓練を受けてきた部隊だと分かる。
推測するに、先ほど感じた後方の焦りはこの中でも鍛錬の少ない誰かが洩らしたのだろう。まだまだ改善の余地はあるようだが、次が無い彼らには最早どうでもいい事だとポイズンリリーは思考を放棄した。
ポイズンリリーは既に、我慢できなくなっていた。最早理性的に行動できるのも、ココまでだろう。
我慢に我慢を重ねたポイズンリリーの衝動は、ココに居る獲物全員をこの牙で噛み殺すまで止まる事は無い。いや、止まれるはずが無い。こいつ達は愚かにも、ポイズンリリーが何よりも大切に思っているカナメをターゲットに入れている。
分かり切っていた事だが、それでも、そんな事を考えている時点で私はこいつ達が堪らなく殺したい! と、どこか虚ろだった顔を激情に歪ませ、紅い瞳に危険な光りを灯したポイズンリリーは言外に語っていた。
「兵装名称・六六六番の機能を限定解除。殲滅目的は敵三十人に限定、周囲索敵によりこれ以上の敵増援は確認できません。カナメ様不在の為、自分の判断に基づいて六六六番、実装します」
ポイズンリリーが宣言する。
ポイズンリリーに搭載された中で最も強く、最も邪悪で、最も絶望に満ちた殺戮兵器を、ポイズンリリーは使用すると宣言する。
ああ、やっと解放された喜びに、私の中の魔獣が歓喜しているのが分かる。何を隠そう、私も同じ気持ちだったからだ。この何の抑制の束縛も無くなった感覚は、カナメ様の腕の中に居る時のような甘美な気持ちにさせられる。
カチリ、と脳内で音がすると同時に、瞳が紅色から金色に切り替わった。
途端、ポイズンリリーの全身は光に包まれる。光は一瞬だけだったが、周囲一面を昼間のように照らしだし、敵の視界を奪った。その気になれば、ポイズンリリーはその隙を突いて簡単に終わらせていた事だろう。だが、ポイズンリリーはそんな無粋な事はしなかった。
その代り、こう呟いた。
絶望の内に冷たくなってもらわなくては、私の魔獣は満足してくれない。でも、ふふ、さあ、狩りの時間です――。
◆ ◆ ◆
突然暗殺対象である<美毒姫>から眩い閃光が放たれた。
咄嗟に腕で顔を庇ったまでは良かったが、それでも大きな隙が生まれてしまったのは否定できない。反射的に背中から愛剣を抜刀し、盾のように眼前に構える。正面からの攻撃に備えるが、予想に反して、正面からの攻撃は一切無かった。側面からも、同様にない。
周囲を見回してみるが、部下の誰にも負傷している者は見受けられない。
あのような絶好の隙を突かなかったというのか。
何故――俺の脳裏に疑問が走る。
しかしその疑問も、答えが出る事は無かった。
暗殺対象である<美毒姫>の姿が忽然と消えていたからだ。
「――っ! 総員索敵! <美毒姫>を逃がすなっ!」
まさか、ココまで来て取り逃がす事になろうとは。一刻も早く探し出さねば!
愛剣を背の鞘に納め、一瞬で自らが猛り狂う炎になったような感覚を幻想する。途端、自らの魔力が世界に干渉し、周囲に広がる波紋のように感覚が広がった。行使したのは中級魔術――火鏡と呼ばれるもので、広範囲の索敵魔術だ。
物体の熱源を感知するこれは、今回の任務の為に連れて来た部下二十九名と視界を確保する為に魔術で生み出した三十の篝火を感知する。
そして標的の熱源は――――予想に反して、すぐ傍に在った。
「りょうか――ぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
「どうし――ぐわああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
応答しようとした部下の悲鳴が響き、途中でブツリと途切れた。まるで断末魔の途中で、強制的に中断されたようだった。だが今は、部下がどうなったかよりも優先することがある。
火鏡が掴んだ敵の居場所は、俺の右方向にいる部下の後方だった。
そこへ一瞬で回り込み、愛剣を抜刀すると同時に強烈な斬撃を叩きこむ。
俺の愛剣――竜殺しのグラムは、その名の通り竜をも殺す威力を秘めた魔剣だ。随分昔に任務で小国の王族を暗殺しに行ったついでに、国宝だったこれを盗んで愛用している。
そのグラムが俺の魔力を貪り喰い、一振りで五つの斬撃を生み出し叩き込む五重屈折斬線と呼ばれる特殊能力を発動させる。一つ一つが竜の鱗さえ切り裂く威力を秘めた斬線が、剣を振うという過程を飛ばして五つ生じる。無論、実体のある本体のグラムの一撃を忘れてもらっては困る。
叩き込んだ実体のあるグラムが、勢いそのままに標的の体に斬り込んだ。その周囲で生じている五つの斬線、その全てが標的の肉体を斬りつけた。
手ごたえは、確かにあった。
自信を持って言うが、不意打ちならば、竜でさえ殺せると確信できる一撃だ。
それなのに、敵は生きていた。
正面から渾身の一撃を浴びせたというのに、かすり傷一つ付いてはいない。
「■! ■■! ■■■■!! ■■!!」
標的から……否、化物が咆哮する。化物の姿は、先ほど見た美しい女性の姿とは既に別物だった。
「――っ!」
全身から冷や汗が流れ出る。裏の仕事をしてきて慣れ親しんだ死の気配が、そこにあった。ただ今までと違うのは、死の気配は標的ではなく俺に近づいているという事だろうか。
竜の鋭爪ですら玩具に感じられそうなねっとりとした気配が、俺の首に狙いを定めたのだとハッキリと感じられる。
完全に取り乱さなかったのは、今まで潜り抜けて来た数多の死線があったからに他ならない。
「な……なんだよこの化物は!」
「嫌だ、助けてくれ!」
「ひ、ひゃあああああああ!」
絶叫が響く。それとほぼ同時に俺の前に居た化物は霞のように消え去って、逃げ出そうと後退していた部下の前に現れていた。
化物が部下を片手で掴み、軽々と持ち上げ、そのまま地面にたたき付ける。
まるで風船を叩きつけたように、部下が四方に弾け飛ぶ。地面に鮮やかな朱色の花模様が出来上がった。
それを気だるげに見届けた化物は、次なる獲物を求めてその腕を真横に振った。適当に振われたように見えるこの行動だけで、避け切れなかった部下二人は体の骨を砕かれながら跳んでいく。恐らく、もう二度と起き上って来る事は無いだろう。
悪い夢かと思った。夢であってほしいと思った。俺に比べれば実力が劣っているとはいえ、部下は決して弱くは無い。一騎当千には届かなくとも、一騎当百には届いている猛者達だ。今までの数え切れない任務を、殆ど完璧にこなしてきた精鋭達。
それが、羽虫の如く殺されていく。殺したと意識される間も無く死んでいく。
間違いなく、今回の敵は今までで最強にして最悪だ。それに直感できる。俺の死地は此処であると。
だがだからこそ俺はグラムの柄を握り締め、今だ命のある部下に指示を飛ばす。
声には出さない。敵に知られては元も子も無いため、手の動きだけで作戦を知らせる。
恐慌状態に陥っていた部下達だが、血反吐を吐きながら体に叩き込んだ訓練はこのような時にこそ活かされた。
一瞬で指示通りに動くその姿は、何時も通りだ。だが心では恐怖し今でも逃げ出したい事だろう。俺も同じ気持ちだったのでよく分かる。
だが任務は任務。仲間の屍を乗り越えて、自らの命を断たれてでも任務を遂行するのが俺達だ。
これより俺達は、死地に置いて活路を見出そう。簡単に譲れるほど俺達の命は安くないと、眼前の化物に思い知らせてくれる!!
「はああああああ!!」
雄叫びを上げ、俺は全身全霊を以てグラムを振った。