第三十七話 二日目 射手座と乙女座と、歪みだした聖女 前編
鎧袖一触。
まさにその言葉通りと言うべき光景が、百四階洞窟フィールドの一角で展開されていた。
「――っち。出てくるのは雑魚の地蟲ばかりでつまんねぇ。地蟲が寄生してるはずの、岩鋼竜はまだかってんだ」
軽く数百体はいたであろう、蜘蛛と蚯蚓を足して二で割ったような外見をしているハ級の疑似魔獣――地蟲を一人で屠った金髪碧眼の端正な顔立ちをした偉丈夫は、微かにだが拳に付着していた地蟲の緑色の体液に気が付き、オプションリングの転送機能を使って取り寄せたタオルで拭いながら腹立たしげに心境を吐き捨てた。
偉丈夫の周囲にはまるで爆破でもされたかのようにほとんど原形を留めていない地蟲の残骸が、それこそ山のように築き上げられている。しかしそれを作りだした偉丈夫本人が息を切らした様子は無く、また頭上に浮かぶライフポイントバーは一ドットも減っていなかった。
それはつまり、偉丈夫はハ級の地蟲数百体を無傷で殲滅してみせたという事に他ならない。
そんな事が出来る存在など、流石に国民のほとんどが高い生存能力を持つアヴァロンの中であったとしても、極一部の存在に限られていた。
「気は済んだ、レイファン?」
偉丈夫――アヴァロン最強の近接戦闘部隊<使徒八十八星座>が誇る黄金十二宮の一人であり、背中に生えた黄金の翼が最も特徴的な射手座の黄金聖鎧を身に纏うレイファン・アールダートに向けて、何処か独特な雰囲気を漂わせる妙齢の女性が、地蟲から発生している臭気のせいで、少し顔をしかめながら声をかけた。
女性は細くしなやかな肢体の大部分を乙女座の黄金聖鎧で隠しているが、乙女座の黄金聖鎧を身に纏っている事で、女性がレイファンと同じ黄金十二宮の一人である事を宣言している。
それに彼女の背中から生えている一対の赤い竜翼と、赤い鱗に守られて揺れる尻尾、それと炎を連想させる赤い長髪と赤い瞳が、魔族に分類される赤竜族の一員であるという事も証明していた。
彼女の名はアウラ・セグメイス・レウドリア。
二百年ほど前にカナメが絶滅する寸前で保護し、今はアヴァロンで暮らす者しか生き残っている者が居ない赤竜族の末裔であった。
「アウラか……分かってんだろ? この程度じゃ俺は満足できないってのはさ」
「それもそうね。レイファンは、ただ強い敵と戦いたいだけだものね。これくらいで止まれるはず、ないわよね。でも、せめて敵は綺麗に片づけて欲しいのだけれど。具体的に言えば“気”を形質変化させた状態の“焼気”を纏わせた攻撃で、残骸の欠片も残さず焼却して欲しい所ね。
もしここがカナメ様が造った空間じゃ無かったら、地蟲の腐臭が今もココに充満していたわ。そうなっていたら、流石の私も怒っていたわよ? 貴方に対してね」
レイファンの周囲で積み重ねられていた地蟲の残骸は疑似魔獣の成れの果てとも言える、大量の灰の山に変貌している。土石によって周囲全てを構築されているココ――洞窟フィールドは本来のジメジメと湿った空気に戻っていた。
つい先ほどまでは確かに漂い、アウラを不機嫌にさせていたはずの殺した地蟲の体液から発生し、密閉された洞窟内に充満していた鼻を突くような刺激臭は既になくなっている。
本来ならば、地蟲の残骸が放つ刺激臭によってデルタ・ツーの面々の嗅覚は攻撃を受け、機能停止まではいかずとも能力は低下していた事だろう。密閉された洞窟フィールドなので、回避する事もままならないはずだった。
しかしココはカナメが造った亜空間であり、地蟲は本物と同じ能力を持たされた疑似魔獣である。そのため臭いは死骸が灰になるとともに、消失していた。
「それも計算に含めてるって。それに亜空間じゃなくても、アウラが炎で臭いごと焼いてくれただろ?」
「それは、そうね。だって、あんなに臭いの、到底私が耐えきれるモノじゃないし。もっとも、臭いを消すついでに貴方の金髪も燃やしていたでしょうけどね」
鈍感な貴方と違って、私は繊細な方だから。とアウラは若干棘のある言葉を付け足したが、これといってレイファンは激昂するなどの過敏な反応を示す事はなかった。
せいぜい苦笑いを浮かべながら受け流す程度だ。
この程度のやりとり、特に何とも思わない程度にレイファンとアウラの仲はいい。
普段から厳しい訓練を共にする同僚なのだから、その仲が良くなるのは生物として自然な流れなのかもしれないが。
「さてと、カナメ様がわざわざ仕組んだこの茶番。となれば、絶対、普段はなかなか戦えないあの人達が待ってるよな」
「そうね。何せ私達の聖鎧どころか、あの化物部隊――<不接触の禁箱>の強化外骨格の使用まで許しているんですから。こんなの前代未聞だし、それにあの化物達を自分の所まで来させない自信が、カナメ様にはある。
つまりそうなると……パンドラの七名が全員で挑んで、ようやく拮抗出来るレベルにいる桁違いの存在である、あの御方が、最後に待ち受けているはずね。だから今回、クリアボーナスの豪華商品は誰の手にも渡らないわ。まあ、私としては豪華賞品が欲しいという訳ではないから、それは別にどうでもいいのだけれど」
「豪華賞品は俺も特に気にしないし眼中になかったが、絶対最後はあの人が待っているのがタマンネー。ああくそ、考えただけで本当に楽しみだ。それに途中のフロアボスエリアには、一体誰が待ってるんだって話だよ。
楽しみで仕方がねェーっての」
彼らデルタ・ツーの面々は迷宮攻略イベント初日であった昨日、フロアボスエリアに踏み込む事無く九十四階にまで到達していた強運で優秀な部隊である。しかし九十四階にて、隊員の一人がとあるミスを犯してしまい、設置されていた即死系崩壊型トラップ<一寸先は常闇ですよ>が発動してしまった。
流石に黄金十二宮の中でもトップクラスの実力者であるレイファンやアウラと言えど、フィールド全体を巻き込んで崩壊の波を巻き散らかすと言う、凶悪極まりない即死系崩壊型トラップ<一寸先は常闇ですよ>の魔の手からは逃げる事ができず、そうして初日は全滅と相成った。
それを無念とは思いつつ、カナメの本当の目的を大雑把にだが察しているレイファンとアウラとしては、他の隊員のように悔しさを他者に見せることはなかった。この程度のトラップが有ると言うのは、当然だと受け入れていたからである。
というか、カナメが国民の中からクリアする者を出さないよう今回は全力で殺しに来ているのだから、もっと悪質なトラップがこれ以上の階には待ち受けているとさえ思っていた。開始前の宣言時に言っていた抜け道がどうとかこうとかの話は多分本当だろうが、それでも最高で百四十九階というギリギリの階層までしか繋がっていないだろう、というのがレイファンの考えだった。
もっとも、レイファンとしては強敵難敵に次々と出会えるのならばどうでいい話なのだが。
と言う事で、初日を機玩具人形ではなく即死系崩壊型トラップ<一寸先は常闇ですよ>で全滅してしまったデルタ・ツーは、今だフロアボスエリアに入っていないのである。
そして現在居るのは百四階。
九十五階のフロアボスエリアにも踏み込む事は無かった彼らは、ただ上を目指して階層を進んでいた。
無論フロアボスエリアなどの情報を全く収集していないわけではない。
こまめにオプションリングから閲覧できる迷宮攻略掲示板を覗いて、【八十五階のフロアボスエリアにてウールブヘジン様が出現。ちょっとこれ手加減無いんですけど、てか無理だろ】、という報告を見ている。それにアウラがつい数十分前に覗いた時には、そこに【九十五階のフロアボスエリアにてアルフヘイム様が出現。誰かコイツ殺して下さい】と追加報告が上がっていた。
最後の文は私念が思いっきり入っていたが、それは流してあげるのが大人の嗜みである。
「ああ~くそ、我慢できねェーって話だよ」
好戦的な、それこそ血潮沸き鉄風吹き荒れる熱き戦いを常に望んでいるレイファンとしては、幼い頃から羨望の眼差しを送り今も心底尊敬している機玩具人形という強敵、というよりも難敵と勝手に認定している存在と一刻も早く戦いたいと、そう思って仕方が無かった。
だから、レイファンは地蟲数百体程度では満足できない。
イ級の竜種の最上位であり、強力な個体を示す“名前付き”の魔獣を単独では無かったとは言えそれを討伐した経験を持っているレイファンからすれば、ハ級の地蟲など石ころに近い存在なのである。それは数が増えたからと言って変わる事は無く、地蟲の全てをただ一撃のもとに爆散させた事からもそれは証明されていた。
「それによ、勘なんだが、地蟲がこれだけ出てくるって事は、地蟲が寄生する岩鋼竜が近くに居やがるはずだ。ああ、早く出会いたいもんだ。アイツの外殻の硬さは、ウォーミングアップにゃ丁度いいからな」
地蟲の体液を拭って緑色に変色してしまったタオルを投げ捨てたレイファンは、肉食獣のような好戦的な笑みを浮かべていた。血に飢えた狼の様な雰囲気を纏い、アウラを置いて先に強敵と転移ポータルを求めて脚を進めていく。
獣のように一刻も早く難敵と相見えようと、レイファンは敵を探しに向かった。
笑みを浮かべたままのレイファンの後ろ姿が、薄暗い洞窟の穴の先に消えていった。
それを見ながら、はぁ、と小さくため息を漏らしたアウラは、レイファンが地蟲を掃討したこのモンスターパニック系のトラップが仕組まれていた、四方三十メートル程の空間が綺麗に切り抜かれて造られた部屋の隅でレイファンの邪魔にならないように固まり、自分達を襲ってきた地蟲だけ殺していた隊員に声をかける。
何名かは既にリタイアしてしまっているのだが、それでも十九名と生き残りは半数以上だ。
迷宮に出てくる疑似魔獣の強さは半端なモノではなく、レイファンが強敵を引き受けていたとはいえ、それでもこれだけ生き残っていれば上々、と言うべきだろう。
だから生き残っている彼らは決して弱くはないし、普通に考えて充分過ぎるほどの戦力とよべるのだが、ココはレイファンが一人でヤルと言った為に隅に追いやられていたのだ。アウラも静かに観戦していたのだから、別に非難するつもりはない。
ただ、戦うために集められたというのにあまり仕事をさせてもらえていないので、アウラは何だか彼らが不憫に思った。
デルタ・ツーは血の気の多い者が多いので、ストレスを溜め込んで居るかもしれない。
「ほら、貴方達。行くわよ」
「りょ、了解っす」
「レイファン隊長、マジパネェーッす。感動したッす」
「俺、何処までも付いて行きます!」
隊員の返事に、アウラは肩を落とした。先ほど不憫に思った感情など、既に廃棄処分されている。
何故心配したのか自分でも分からないが、きっと自分自身がストレスのせいで忘れていたのだろう。いや、忘れようと努めていたのではないだろうか。この体育会系の男共は、実力があるけど何処かノリで生きている節があると言う事を。
唯我独尊の戦闘狂いであるレイファンに従うと言う事は、それを律する立場にある自分の負担が増えてしまうと言う事に他ならないし、事実増えてしまうに違いない。脳内でシュミレーションを繰り返して見るが、どうやっても自分が振り回されている未来しか浮かばなかった。
だから、アウラの気苦労は絶える事が無いと思われる。
ズキズキと激しい痛みを訴え出した頭を諌めんとこめかみを指で圧迫しつつ、アウラ達はレイファンが消えた薄暗い通路に向かった。まだそんなに遠くには行っていないだろうが、あまりレイファンと離れ過ぎるのは好ましくない。
レイファンが殺されるから、など殆どあり得ない事が理由なはずはなく、目を離している隙にレイファンが暴走しそうだから、というのが本当の理由だった。
「まったく、大きな坊や達の世話は大変だわ。このイベント自体、一部の溜まった膿を絞り出す作業だって言うのに。何でこんなに面倒事ばかり積み重なるのでしょうか。ほんと、損な役回りだこと」
アウラはそう愚痴を零しながら、手に小さな灯火を生み出した。赤竜族のアウラは、竜火を自由自在に操る事が可能な、権限魔術を行使する資格を持っていた。
灯火は<竜橙火>と呼ばれるモノで、その光りが薄暗い洞窟フィールドを煌々と照らしだした。
洞窟フィールドは周囲の土石の中に少量ながら混じっているとある鉱石――どんな時でも常に淡い光を放出し続けるという特性を持つ、輝鉱石が光源の役割を果たしていた。輝鉱石は洞窟フィールドの至る所に散りばめられ、明るいとは到底言えないが最低限の視界を確保し、照明という役割はギリギリ果たしている。
とはいえ言い回しからも察せれるだろうが、輝鉱石が発する光はか細く、数を揃えた所で広大な洞窟フィールの全てをフォローする事は難しい。だから洞窟は、薄暗かった。というかカナメがそんな風に造っている、といった方が正しいだろう。
理由としてはカナメの中に、洞窟とは薄暗いモノというイメージがあるからだ。
製作者であるカナメの固定概念によって洞窟フィールドは薄暗い仕様にされているので、周囲が見難いのはそのためである。
そして見難いという事は、それだけ死角が生まれ、疑似魔獣の奇襲によって遅れを取る可能性が生じると言う事だ。
だから、アウラは他の隊員の為に灯火――<竜橙火>を生み出した。アウラの<竜橙火>の光りは輝鉱石よりも数十倍以上も強いのは当然で、洞窟フィールドの闇がほとんど消えているのもまた必然な事である。
本来周囲を気遣い纏めて導かねばならないのはアウラではなくリーダーであるレイファンなのだが、レイファンがあのざまなので、副リーダーであるアウラがこうやって態々自分には必要ない<竜橙火>を生み出さねばならない状況になっていた。
それを無意識の内にしていた事に気が付いて、少々うんざりとしながらアウラはうな垂れた。
サポート役が何時の間にか習慣付いているようで、何だか嫌な気分になる。
「ほんと、損な役回りだこと」
幾度目かも分からない愚痴を零しつつ、苦労人アウラとデルタ・ツーの面々は洞窟の探索を再開した。
最初の目標は、取りあえずレイファンを見つける事である。
● Д ●
「ねえ、レイファン。どうしてウチの大きい坊やたちは、実力があるのにポカミスをするのばかりいるのかしら」
「そんなの知るか。まったく、また面倒で面白そうなトラップ引っかけやがって、よくやった! そして安心しろ、俺が懇切丁寧に殺してやるから」
いや、それ褒めてるんですか? それとも貶してるんですが? と言うか躊躇いとかないんですねやっぱり、とレイファンの発言にツッコミを入れそうになった隊員Aはグッと堪え、レイファンとアウラの背中を見ながら押し黙る。
アウラの意見には確かに、と肯定の態度を示すのを忘れない。
「で、レイファン。貴方のレアスキル<測定者>はアレが何であるか見抜いているのでしょう? 教えて欲しいのだけれど」
「ありゃ、<魔纏狼>だな。引っかかった奴の身体を触媒に、赤い色をしたモノによる攻撃しかダメージが通らない巨狼を生み出すって能力を持った、結構メンドーな部類のカナメ様製の薬品系対象者強制媒体型トラップ。
つまり今回はアルトの馬鹿が空けた宝箱に入っていたのが、<魔纏狼>を生み出す核が入った未開封の薬瓶だったんだろう。しかもご丁寧に回復薬のラベルが貼られて偽装されてたから、本当なら今ココで発動するようなやつじゃない。
もう少し後で怪我をして、ついさっき手に入れた回復薬の偽装がされた<魔纏狼>を使用、んで敵を一体増やすとか、結構悪質なトラップなはずだったんだが……」
「アルトの馬鹿がうっかり手を滑らして、うっかり薬瓶を壊してしまって、その結果赤錆びた毛並みを持つ巨狼――<魔纏狼>にこうして成り果てた、と……ほんと、何故なのかしらね」
「知らんが、まあ、あれは一度戦っただけだが楽しかったぜ?」
「それこそ、そんなの知らないわよ。アレの処理は貴方に任せるわ。私はあんなゲテモノより、連鎖発動したアッチの方が好みだし。こう、ぶちっと踏みつぶせる可愛らしさ、と言うのかしら?」
アウラはグルグルと唸り声を出しながら威嚇してくる<魔纏狼>の隣で、刃渡り二十センチ程の生体剣を振り回しつつキィィーキィィーと奇声を上げて、奇妙な踊りを披露している小人を指差した。
アウラが指差している小人は、<魔纏狼>に変貌したアルト隊員が暴れまわったが為に、それに連鎖するようにして発動してしまった擬人系連隊型トラップ<不滅密集形態>である。
毛の無いつるつるとした頭部にビー玉のような瞳をした四、五歳程度の子供と同じくらいの小さな体躯ながら、手に持つ鈍色の生体剣の重量は軽く百キロを越えているというのだから恐ろしい。
それを小枝のように振り回す小人の腕力が、どれほど強力なのか見ただけで分かると言うモノ。とりあえず身体を掴まれたら、そのまま千切られそうな感じがヒシヒシと伝わってくる。
小人は見た目が可愛くても、中身は恐ろしい悪鬼。そんな言葉がよく似合うのではないだろうか。
そしてそんな小人が現在、約二十体ほど居た。
しかも一体が倒されればどこからともなく一体補充されていく、その名の通りの特性を有する小人――<不滅密集形態>。
倒す方法は二十体全てを同時に殺すことだけだ。
現在デルタ・ツーの面々が早急に対処しなければならない、厄介な存在である。
「岩鋼竜の代わりとまではならんが、仕方ねェ。俺は<魔纏狼>をもらった。アウラと他のにそっちは任せたぜ」
「はいはい、そう言うと分かっていたわ」
レイファンは右手を、アウラは左手を出しあい、お互いの拳と拳を軽く当てた。
「三十秒以内だ」
「言われなくても」
定めた標的を駆逐せんと、二人は共に駆け出した。他の隊員もそれに遅れないように加速する。
炎熱の竜巻が、洞窟フィールドの一角で吹き荒れる。
■ Д ■
『半年間でいいから、この世界に留まって、俺と共に居てくれないか。無論、約束は首を切り落とされても守るし、生活は保証する。不自由させない。だからどうかな、セツナ?』
幾度も繰り返し繰り返し再生されているフレーズが、また私の脳裏を過った。
つい今朝の事だ。
今朝私は清々しい朝日を浴びる前に目を覚まし、すでに習慣となっている自己トレーニングに出かけるため寝巻を脱いで、トレーニングする際いつも着ている黒いタンクトップにホットパンツのラフな格好になり、カナメから与えられた部屋からでた。
そこまではよかったのだけれど、問題が起きたのは、部屋を出て暫くしてからだった。
私はまだアヴァロンに来たばかりで地理の事がさっぱり分からないので、気が付いた時には迷子になっていて、途方にくれてしまったのである。
なんと間抜けな……内心で自分自身を非難し、しかし何時までもそうして居られるはずは無く、さてどうしようかと思案していると、そこで数少ない知人と遭遇した。
会ったのは、リリーだった。こんな朝早く、それこそ日も昇っていない様な時間帯でリリーと会ったのは、完全に予想外の事だった。
だからなぜこんな早朝に起きているのか疑問に思い質問してみると、返ってきたのは、
『セツナ様。以前お話したように、私はカナメ様によって造られた機玩具人形と呼ばれる存在の内の一体です。精巧に造られていますから呼吸もしますし飲食もできます。また、性交も可能なようにできています。それにこうやって自由に考える事もできるのですが、ただ、私は――私達は眠る事はありません。これは私達機玩具人形が造られた理由の一つに、『カナメ様を護る事』があるからです。
――機玩具人形は眠らない。
眠っている最中にカナメ様にもしもの事があれば、私と弟妹達の存在理由が無くなってしまいますからね。
だからこうやって、暇な早朝は一人城内を散歩するのが、私の日課なのですよ』
といったものだった。
リリーはカナメが造った機玩具人形と呼ばれる存在の一人らしい、と言うのは知っていたけれど、私は未だにリリーが自動人形だと明確には認識してはいなかった。私の世界に居た金属と人造筋肉と、AIで制御されている自動人形とは比べられないくらいに、リリーは凄く人間らしいのだ。
どこからどう見ても、生きているとしか思えないのである。
だから私はリリーが寝ないと言う事に驚いてしまい、私はリリーに笑われてしまった。笑うと言っても苦笑だったのだけれど、その表情は印象に残るものだった。
その後はリリーに事情を説明して、丁度いい所があるとまだ行った事が無い場所に連れて行ってもらった。
それがアヴァロンの地下に存在する地下都市第三ブロック――通称<毒蛇の狩場>と呼ばれる訓練施設である。
そう、地下都市。
驚く事に、アヴァロンには地下都市が造られていたのだ。
カナメが造った、地下都市の天井――いや、正確に言えば地表、と言えばいいのかな? 分からないので放置する事にしよう――にある大型の気象制御装置によって管理された地下都市は、地上と何ら変わりなく大気が循環し風が流れていて、私は元の世界に帰ってきたかのような錯覚を覚えてしまった。
うん、普通に凄い、としか言えないと思う。私が知っているこの世界の街が、聖都ギガンダルしかないのでこの衝撃は大きかった。
広大な地下都市に降りるエレベーターに乗って茫然と地下都市を見ていた私に、リリーは丁寧に説明してくれた。
リリーによると、地上部は国民の住宅や武器や食材などを取り扱う国営の店舗、国外に行く唯一の通行手段どある機竜が集まる飛行場、娯楽施設である賭博場や大人たちが夜に集まってくる遊廓、その他様々な施設と国の象徴である城があるのに対し、地下はアヴァロンが秘匿する技術の多くが保管され、さらには新し技術を開発している場所なのだとか。
地下都市は大きく六つのブロックが仕切りによって分けられているのだけれど、今は省略。
目的地である<毒蛇の狩場>まで道中ちらほらと様々なモノの説明をしてもらいながら到着までの時間を潰し、到着するとそこで私はリリーと軽い模擬戦をする事にした。軽く流すだけのやり取りながら、リリーには様々な技法を教えてもらって、凄く自分の為になる一時だったと思う。
それにしても、リリーは強かった。
私が<白銀の抑制環>によって能力を半分にされていたとはいえ、リリーも私の能力と同じくらいのレベルに合わせていたようだから、本当の実力は分からなかったけれど、リリーが強いというのはよく分かる。数合合わせただけで、十分に伝わって来た。
それにカナメと同じで<唯一なる神の声>が通用しなかったから、リリーとは正面から当たりたくないと思う。負けるとは思えないけど、勝てないとも思うから。
とは言え、カナメやリリーと戦うなんて選択肢自体、私の中には最初から無いのだけれど。
だいたい二時間ほど軽く汗を流しあった後はリリーと一緒に朝食をとるべく城に戻って、そこでカナメに最初の言葉を聞かされた。
私自身もすっかり忘れていた、とは流石に言えなかったから何も言わなかったが、どこかその条件を言ってほしくなかったと思っている自分に気が付いて、ひっそりと驚いてしまった。
とは言え私は帰らねばならない。私自身帰りたいし、家族や友人が心配しているはずだから。
だから、カナメの条件を私は呑んだ。
何か胸につっかえるのは、きっと気のせいなのだと言い聞かせて。
「……こんな不安定な気持ちで戦うのは、相手に失礼か」
過去を振り返るのを一時中断、閉じていた瞼をゆっくりと開ける。最初に飛び込んできたのは鮮やかな陽光。その原因は窓に嵌めこまれたステンドグラスによるもので、ステンドグラスには何かの偶像神が描かれているのため、床にその絵が光によって映されている
参拝者が座るための長椅子を取り除いた、まるで教会のような雰囲気があるココ――聖堂エリアに床に映る絵は幻想的で、まさに聖堂と呼ぶに値する。
そんな些細な事が積み重なってか、聖堂エリアは清浄な空気が漂い、安らぎを感じられる場所だった。
とても落ちつける。
ただ――
「この服装は、やっぱり何だか恥ずかしいな……」
体勢を少しだけ崩し、今着ている服を見る。
白銀の特殊金属を使って造られた強固な胴鎧や同金属製の籠手などで、要所要所を補強している甲冑。なはずなのだが、まるで舞踏会に着て行く白銀のドレスのような装飾がなされているのだ。背中と肩が大きく露出され、ふんわりと広がるスカートが特徴的である。このまま何処かの舞踏会にでる、のは些か物々しいが、それでも籠手を脱いだだけであまり問題がないかもしれない、と思える位の華やかさがあった。
カナメが何時の間にか新しく造り変えたらしい<確約されし栄光の剣>に付け加えた機能だから、どうか使って欲しいとちょっと涙目になりながらお願いされたので、使ってみたらこうなった。
いや、別に可愛い服が嫌いというわけではないのだけれど、私には勿体ないというか、ええとその、こんな服は着慣れていないので、どうしても恥ずかしいと思ってしまう。
改めて意識してしまうと、羞恥心で頬が熱くなる。
カナメのヤツ……せめてどうなるかくらい教えてくれてもよかったのに。とは思うけど、これくらいは目を瞑ってやってもいいかと悩む。
「……と、いけないいけない。集中だ、集中」
湧いてくる雑念を無理やり振り払い、再び構え直す。鞘に納めた<確約されし栄光の剣>を杖の様に床に立て、柄に両手を置く。
姿勢は直立で、眼を閉じていても意識は一点に集中している。
集中させるのは、私が立つ位置の反対側にある転移ポータルだ。
私が倒すべき敵は、あそこからしか来ないのだから。
そして集中してだいたい数分ほど時間が流れて、ついに来た。
転移ポータルから光りの円柱が昇るのと共に、その中から出てきた人数は十九名。攻略組一部隊が二十四名編成らしいので、五名が脱落しているようだったけれど、それでも初めての敵には変わりなく、気分が高揚する。緊張で身が引き締まる。
それに反して心は落ちついているのだから、何だかなぁ。と内心で苦笑い。
「お? これはまた一転して小奇麗な場所なんだけど……誰だ?」
「え? 分からないの、レイファン。貴方の<測定者>でも?」
「ああ、何も分かんねェー。……こりゃ、もしかしてフロアボスエリアに踏み込んだか?」
先頭には黄金の鎧を着た男女――神の声によると、<使徒八十八星座>に所属し、その中でもトップクラスの実力を持つ人達。もっとも私は彼らと初めて会うのだけれど、相手の事は神の声を聞くまでも無く知っていたのだけれど。
知っていたのは昨晩カナメが見せてくれた、【要注意人物:強さ的な意味で】の題名が付けられたファイルの最初の方に、顔写真付きで乗っていたからだ。
男性の方が、射手座のレイファン。
女性の方が、乙女座のアウラ。
私同様、近接戦を得意とする戦闘スタイルをした二人に、私は狙いを定めた。他の人達もカナメのファイルの最初の方に乗っていたから強いのだろうけど、私が危機感を抱いたのはその二人だけだったので、とりあえず他の人達はそれとなく気にして置く程度の警戒レベルに設定した。
「なあ、綺麗なそこの君。君ってもしかして、フロアボス?」
黄金の鎧翼を持つ偉丈夫――レイファンが探りを入れる。
それに私は頷き返答する事で、肯定の意を表す。
「そうですね、私がカナメから百五階のフロアボス――聖堂エリアを任された者ですが、何か?」
そう言って、ゆっくりと鞘から<確約されし栄光の剣>を引き抜いていく。
黄金の刀身が徐々にその姿を見せて、それに合わせて私は自分の意思によって魔力を開放、溢れ出た魔力の全てを一瞬で完全掌握し、<確約されし栄光の剣>に注ぎ込んだ。
<確約されし栄光の剣>はその全てを貪欲なまでに取り込んで、歓喜にその身を震わせる。黄金の刀身が震える事によって、心が落ち着くような、不思議な旋律が響いた。
まるで讃美歌のような、響きが聖堂エリアに充満する。
「これはまた……綺麗な音色と馬鹿げた魔力なこって」
「新作の機玩具人形? いえ、そんな話は聞いていないし……」
私が操る魔力に驚き、レイファンとアウラ、それに他の人たちに驚愕が広がって行く。
「私はこれでも、人間ですよ」
それに追い打ちするように言葉を乗せて、私は<確約されし栄光の剣>を正眼に構えた。
途端<確約されし栄光の剣>がこれまで以上に眩い黄金の光りを放ち、聖堂エリアを黄金色に照らし出しているのは、とても幻想的な光景だった。
神聖さを内包していた聖堂エリアが、より一層神々しくなったように見える。
「私の名前は桐嶺刹那。すみませんが、貴方達を先に進ませる訳にはいきませんので、ココで死ぬ御覚悟を」
しかし幻想的な光景に酔いしれる事は無く、私は宣戦布告した。ざわめきが消失する。
私が何者であるのかを詮索する事を止めたレイファン達の中から、吹き上がる様な勢いで魔力が開放されてていくのを感じた。どうやら魔術師が四名ほど居たらしく、魔術師は開放させた魔力を消費して、レイファン達に身体強化の魔術を発動させていく。
魔術を使用する際にどうしても発生する系統色の、色鮮やかな魔術光が咲き乱れた。
魔術の補助を得て戦闘体勢に入った彼らの目付きは戦士のそれに代わり、私が女だからと余裕を見せる事も無い。フロアボスならばそれ相応の実力だと、先ほどの魔力開放で看破したからだろう。
それでいいと、私は内心で頷いた。
だって、手加減をした人達を倒しても、後で言い訳をされそうだから。いえ、別に後で話す事もないのだけれど、とりあえず言い訳が出来ない様な状況の方が好ましい。
それに、本気の人を叩き潰すというのは、とても楽しそうだから。あれ? 私こんな性格だったっけ? と小首を傾げそうになるけれど、今は考える時じゃないかと思考の外に弾き飛ばした。
「俺の名はレイファン・アールダート。射手座のレイファンだ」
「私の名はアウラ・セグメイス・レウドリア。乙女座のアウラです」
レイファンとアウラガ名乗りを上げて応えてくれたのを皮切りに、次々と他の人も自分が何者であるのか私に伝えてくる。
烏座のワシュウ、鷲座のメキドナ、琴座のラシャラなどなど、だれもかれもカナメのファイルに乗っていた者ばかり。
それがなんだか嬉しくて、私の気分は高揚してきた。
これだけの人達を思う存分叩き潰せたなら、どれほどすっきりするのだろうか。
だから私も、自分が何者であるのか彼らに告げた。本当の所を言えば、告げる気はなかったのだけれど。
「私は今代の勇者、セツナです。では、行きますッ!」
告げて、突撃――とはいかず、取りあえずその場から動くことなく<確約されし栄光の剣>で大気を高速で撫でる。
まず小手調べの一手にと、油田のようにある魔力に指向性を持たす事で造れる魔力刀を生じさせる。
魔力刀の本数は十三。
一つの長さは三メートル程度ながら、それが十三もあれば、実力の足りない方を蹴散らすのには十分だと判断。それが高速で飛翔していく。
この程度も回避できないような方に、用はありませんので。
「――ッツ!! 散れ!!」
レイファンが叫んでから一拍を置いて、最初なのであえて見えるようにしていた魔力刀が、敵陣を出鱈目に切り裂いた。
深い斬痕が、至る所に生じていく。
火照っていく心と身体が、どことなく心地いいのは何故だろうか。
無意識の内に、セツナは冷徹な笑みを浮かべていた。