第三十六話 二日目 空飛ぶ精霊と刻む風、あと主と従者のスキンシップ
迷宮攻略イベント二日。
まばゆく輝く巨大な十数個もの炎球が、大気中の酸素と魔素を取り込みながら燃え続け、空を高速で飛翔している忌まわしき標的を燃やすべく空を駆ける。
だが標的はギリギリの所で炎球の全てを回避してみせ、その結果に炎球の生みの親は悔しさに歯を食い縛る。避けられた炎球はゆっくりと流れていた白雲を蹴散らしたが、すでにそんなものに意味はないのだ。
しかし当然まだ何も終わった訳ではなく、これはただの始まりに過ぎない。
灼熱の炎球が不発に終わったのは確かに悔しいが、しかし魔術で炎球を生み出した魔術師たちは諦めない。魔術師だけで構成されている攻略組――アルファ・ナインの面々は、内に秘めたプライドにかけて容易く諦める事はない。
空翔ぶ標的を撃ち落とさんがために、追撃となる魔術が地上――否、ココが海面エリアと呼ばれている特性上、陸地は一切存在しないので地上というより海面と言ったほうがいいのかもしれないが――に立っている魔術師によって構築される。魔杖による外部的補助を受け、構築スピードは本来のモノよりも速い。
「構築が完了した者から放て!」
攻略組の一つ、アルファ・ナインのリーダーを務める長身痩躯の男――カダラ・エルバンキィンナは声を張り上げてたった一つの指令を出した。
隊員がそれに答える。
それを聞きながら、カダラはさっと周囲に視線を走らせた。
カダラ達アルファ・ナインの周囲には、まるで樹のように海面から伸びる巨大なワカメに酷似したオブジェクトがその身を風によって揺らされている。
一見すれば冗談とも取れるのだが、あのワカメのようなオブジェクトは触れる事によって発動する接触発動型のトラップであると、一人の犠牲によって判明していた。捕獲された隊員はワカメから分泌される消化液によってドロドロに溶かされ、哀れにも海面と一体化しているのだが、それを気にしている余裕が今は無いので気にしない事とする。
仲間が一人無残にも散っている為に、誰も近づかないようにと言うまでもなく全員がワカメから安全だろうスペースを空けているので、最早アレを心配するほどの事はないだろうし、気にしていれば自分が死ぬ。
ただ刹那だけ過って溶けた仲間に思いを馳せて、視線を一瞬だけ下に向けた。
現在立っている足元の海は澄んだコバルトブルーで見下ろすと海中の様子を見ることができるのだが、海中には凶暴な水竜型や魚類型の水中生息系の疑似魔獣が群れを成して泳いた。アレを見た瞬間は足下から強襲されるのではないかという恐怖を覚えるものだったのだが、一行に襲ってくるような気配はなかった。
しかし襲ってくる気配がないから、こうやって眼前の標的に全員が集中できているのに違いはないので、深く考えるなどという無益で無駄な事はしない。
魔術構築に意識を戻して集中する。
そして没する事のない海面に立つ、アルファ・ナインの魔術師十数人が掲げる魔杖に魔術理論は集約された。魔術理論は魔力により内包している情報から魔術をこの世界に顕現させる。
本来ならばそれ相応の時間を必要とする魔術理論による魔術構築は、アルファ・ナインを構成する隊員の腕前の良さを示すように短時間で終了、構築された魔術は術者の意思により待機状態から起動状態に移行し、そこから生み出された魔術が轟音と閃光を引きつれて空を翔ぶ標的に再び射出された。
今度は全員で示し合わせた魔術ではなく、個々人が得意とする様々な系統の魔術群である。
色鮮やかな閃光がまるで花火の様に咲き乱れた。
「【射止めし縛鎖】!」
「【轟く雷旋】」
「【羽ばたく炎鳥】」
弾丸の如く速度で魔力製の縛鎖がまるで蜘蛛の糸のように噴出し、雷がまるで竜巻のような軌道を描きながらも縛鎖と共に天を突く。重なり合った雷と縛鎖がまるで竜巻のように渦状の軌道を取り、その渦の中を巨大な炎の鳥が我が物顔で飛翔していく。
誰も他人とは言葉を交わしてはいなかったし、リーダーのカダラでさえ詳細な指示を出していなかった。だと言うのにこうやって正確な連携が取れているあたり、アルファ・ナインの一人一人が、慢ることなく抜かりなく、日々訓練を積み上げてきた証拠と言えるのではないだろうか。
「【凍てつく抱擁】」
「【狂い咲く樹の種】」
そして時が経つにつれて、開放された魔術はさらに積み重なっていく。
鋭利な先端を空に向けた氷の杭が円状に幾十も中空に生じ、まるでその身で突き貫き抱き締める為だと言わんが如く、鋭利な先端が標的を追尾し続ける。
直径一メートルほどの円状に小規模の爆発を引き起こす能力を持つ種が、人の唇のような形をした変な樹からマシンガンの様な速さで数百発も撃ちだされていく。
その他にも幾多の魔術が折り重なって、魔術は群れを成す。
他の隊員が魔術を打ち出したのを確認し、それらの最後に、アルファ・ナインのリーダーを勤める長身痩躯の男――カダラ・エルバンキィンナは、自分が使える最高の魔術を解き放った。
カダラが放ったのは【暴食】の概念が込められた、【罪喰らう黒竜】と呼ばれる概念魔術の一つである。
黒き竜の首から上だけをひねり出した様な、歪で不安定で巨大な頭部を魔力で造り上げ、ブラックホールのように何もかも吸い込んでしまいそうな、底の見えない暗闇を持つ口が最大にまで開かれる。そして黒竜の頭部は、自分以外の一切合切を喰らい尽くさんと空全体に向かって襲いかかった。
放たれた魔術の種類はアルファ・ナインの魔術師と同じ数だけ。しかし魔術によってその大きさと数は異なり、千には届くだろう魔術群が空を埋め尽くす。
それら一つ一つは全て複雑怪奇な魔術理論と構築術式によって構築されたもので、それ一つだけでも桁外れの威力を出せるモノ達である。
だというのに、その上から過剰に過ぎる量の魔力を燃料として注ぎ込み、無理やりその威力を底上げされた強化状態にあるのだから、一人だけしかいない標的を倒すにしては明らかに過剰殺傷に過ぎると言えるだろう。
対軍魔術と言うべき破壊力は、間違いなくある。
その上本来ならば互いが互いに干渉し、時が経つのに比例してその身を削り合って弱く儚くなるはずの魔術群は、アルファ・ナインを構成している魔術師がアヴァロン最高の魔術師集団<魔が討つ夜明け>の隊員か、それに次ぐ能力を持つ魔術師部隊である<狂おしき星姫>の隊員のみで構成されていた事によって、本来ならあるはずの魔術の減衰を誘発する事を防いでいる状態にあった。
それは<魔が討つ夜明け>の隊員が持つ最新式の補助魔具である魔杖レッドクィンに基本機能として採用され、<狂おしき歌姫>の隊員が持つ魔杖ハーレクィンに試験的に搭載されていた特殊機能――魔力共感誘導システムによりもたらされる恩恵に他ならない。
反発するはずだった魔術はシステムにより一辺の無駄なく調和され、威力が減衰されることなく本来の勢いを持って一体だけの標的を仕留めんと空を切り裂きながら飛翔する。
魔術群が生み出す魔圧だけで空に浮かぶ白雲が蹴散らされたが、しかし此度の攻撃の結果は魔術師にとって、大変嬉しくないものであった。
「これでも駄目なのか……」
「くっそ。下手に飛べば狙い撃たれ、這いつくばっていれば当たらない。空中戦を得意とするアイツを倒すのは、なんと厄介に過ぎる事か」
「くそ、何でよりによってコイツが出て来るんだよ。腹立たしい」
カダラ等は悔しさで顔を歪ませ、幾百幾千もの空を埋め尽くし逃げ道を断ったかに見えた魔術群が、しかし高速で空を駆け巡る標的に寸前で避けられ、あるいは直撃する直前に標的が発生させた力場によって防がれてしまうという光景を目の当たりにし、低く呻いた。
攻撃が当たっていないのだからカダラたちが放った魔術は空飛ぶ標的のライフポイントを削る事はできず、結果として今度の攻撃もただ魔力を無駄に消費しただけとなってしまった。
空を優雅に飛ぶ標的を見てカダラ達の中で苛立ちが更に募るが、それは攻撃を避けられただけでなく、単純に標的を一刻も早く沈めたかったからという事も理由の一つだろう。
ハッキリ言って、カダラ達は現在の標的が嫌いである。
「ふははははは、はははははははははははっ。この程度かね君たち。それでも攻略組の一つだというのなら片腹痛い。まったく、脆弱すぎるッ!! このような脆弱な敵など百年前のアルタイタとの模擬戦争時に出会った――中略――そう、あれは今から六十年前の出来事だ。城に立て籠もったブルートレンドの小童共が――中略――という具合に君たちは弱い! ああ、脆弱すぎるぞッ」
幾百幾千もの魔術の全てを避け、あるいは防いだ空を飛ぶ魔術師たちの標的――機玩具人形六男にして精霊使役空戦型として造られたアルフヘイムは、天高くより海面に立つカダラたちに対して、朗々と自分の武勇伝を織り交ぜながら蔑みの言葉をぶちまける。
苛立ちを浮かべた表情のままカダラたちは空を見上げ、侮辱したアルフヘイムの姿を射殺さんばかりに睨み付けた。
が、アルフヘイムはそれを気にした様子はない。微塵も気にしていない所か、見てすらいなかった。
ふぅ、とため息をつきながらアルフヘイムは波打つ自分の金髪をキザったらしい仕草で触り、ついで額につけている、前髪の部分を止めている白銀の円冠を撫でた。身に纏うのは濃緑のゆったりとした長衣で、銀糸によって細かい装飾が施されている。背中からはアルフヘイムの特徴とも言える、漆黒のビロードのような艶のある六枚の翅が忙しなく動く。
翅は薄緑色の燐光を放ちながら高速で動き、ビィィィィィィー、と独特な甲高い羽ばたきの音を響かせる。蟲の羽音に近い高音だが、しかし、生理的悪寒を催すような音ではなかった。
顔は、完全に造りモノとしか思えないほど端麗だ。鋭い鼻梁に、翅の燐光と同じ薄緑色をした切れ長の鋭い双眸。まるで彫刻の様な端麗さだが、しかしその全てを台無しにしているのが薄い唇に浮かぶ微笑である。全てを蔑んでいるとしか思えない、歪んだ笑み。
その笑みを見ただけでプライドが高く自己中心的な性格で、言動が他者に対して配慮の足りないものだろうと容易く想像が出来る。
「脆弱な君たちに私はホトホト呆れてしまい、どうしてくれようかこの持て余したリビドーを。しかし私は考え――中略――の相手をするのは面倒だがいた仕方なし。
今後の為にも君たちを痛めつけると言うのも――中略――なのは吝かでは無し。というわけで、攻撃とはこうするのだと、一瞬だけ教えてくれようぞッ!!」
アルフヘイムは背中に生えている六枚の翅を動かし、一度大きく後方宙返りをしながら自分を見上げているカダラたちが立っている海面に対して斜めとなるように位置を変えた。
カダラたちがその軌道を目で追う。
そして位置につき、狙いすまし、六枚の翅を羽ばたかせて真っ直ぐに急降下――否、アルフヘイムはカダラたち目掛けて飛翔した。
六枚の翅は眩い明りの薄緑色の燐光を放出し、甲高く独特な羽ばたきの音が海面エリアに響く。翅の音が響く中、その中でもアルフヘイムの声はそれでも聞こえた。
「どうしたのだね凡愚共ッ! せめて一太刀でも入れたらどうかねッ。もっとも、君たち如きが私に一太刀も入れれるはずが無いのだがねッ」
アフルヘイムが吼え、それに呼応するかのように風がアルフヘイムを囲うように集まってくる。普段は見る事の出来ない風の精霊が、精霊使役空戦型のアルフヘイムの意思に呼応し集まって来たのだ。
意思を持つ魔力とも呼べる精霊を使役することこそが、アルフヘイムの最大の能力であるからにして。
「我が盟友は我を護る盾であり、同時に全てを断つ刃となりてッ!」
風の精霊を従え飛翔するアルフヘイムの周囲に、轟々と唸る風が複雑な乱流を生じさせる。その流れに沿うように、アルフヘイムの意思に答えた風の精霊が見えない風の刃を発生させた。
吹き荒ぶ突風と共に風の刃は渦を巻き、まるでドリルの様に高速回転する事によって風の刃による切断場が出来上がった。
そしてそれだけではなく、風の精霊の補助によってアルフヘイムの飛翔速度は飛躍的に加速し、一筋の突風が海面エリアの一角で吹き荒れた。
地面――今回は海面だが――に落ちて行く事により得られる重力の補助だけでなく、風の精霊の風の補助を受けたアルフヘイムは時速三百五十キロ近い速度で百メートルほどの距離を僅かばかりの間で喰い尽くし、結果カダラたちとアルフヘイムは一瞬だけすれ違う事と成り、そしてそのままアルフヘイムはカダラたちに触れることなく再び空に向かって飛翔して行く。
アルフヘイムが通った軌道上の海面には余波によって壁のようにせり上がった水柱のラインが形成される。
アルフヘイムを倒す事も、また触れる事も出来なかったカダラたちは余波で拭き上がった海水によって全身を雑巾の如く濡らされた上、足場である海面が大きく動いたために体勢を崩されてその場に転倒。
二、三名程先ほどはすれ違った時の風圧によって飛ばされてワカメのトラップに掴まってしまい、その身を溶かされたがそれはいた仕方なし。運が悪かったとしか言えないだろう。
だが数秒後には、アルファ・ナイン全員が直面していた状況は急速に変動していた。
「ぐ――ガッ!」
「なに――が……」
何が起きたのかも分からない、という表情のまま、海面に倒れたカダラ達アルファ・ナインの構成員十数名の全員の身体が、唐突に斜めにずれた。まるで現実味のない光景だが、確実にそのずれは大きくなっていく。ずれていく部分はパズルのように多く、その数は一瞬で数え切れない。
これは、アルフヘイムとすれ違う事によって風の精霊により造られた、ドリルの様に高速回転する風の刃により引き起こされたもので間違いないだろう。
風の刃によって身体を細かく切断されたカダラたちの頭上に表示されたライフポイントは目に見える速度で激減し、ついには身体が完全に切り別れて肉片になるのと同時に、ライフポイントが一ドットも残る事のなくゼロとってライフポイントバー自体が消失する。
それはつまり、レアアイテム<不死鳥の尾羽>ですら蘇生できない、蘇生不可能状態であるという証拠だった。
ただすれ違っただけだが、風の刃により容赦なく切断されたカダラたちは呆気なく死んでしまった。
風の刃で切り別れた肉片は小さい物なら握り拳程の大きさで、大きい物ならボーリングの球程の大きさのモノまである。それら肉片は全て、先程まで立っていられたはずの海面の中にドポドポと音を立てながら没していく。恐らく、海面には生きている者しか立てないようになっていたのだろう。
そのため肉片が沈み、静かに、しかし確実に波紋が広がって行く。その光景は、どこか哀愁を誘う何とも言えない余韻があった。
かつてアルファ・ナインの隊員だった肉片が沈む海中では、今まで優雅に泳いでいた姿から一変し、投げ込まれた餌を求めて水中生物型の疑似魔獣達が群がって来た。群がった疑似魔獣達は元カダラたちだった肉片を一片たりとも残さず喰らい、啄んでいく。
やがて群がっていた疑似魔獣たちが再び泳ぎ散っていくと後には何も残ることはなく、空を飛んでいるアルフヘイムだけがこの場に取り残される。
空と海面とアルフヘイム。あとは若干のワカメのようなオブジェクト。
九十五階に存在するフロアボスエリア――海面エリアは、それぐらいの要素で構成されていた。
「まったく、これからが私の武勇伝朗読会の始まりだと言うのに。何なのだこの不甲斐なさはッ。私の武勇伝朗読会が遅々としていて進まんではないかッ! ええい、忌々しい」
苛立ちを発散するかのように、アルフヘイムは集合させた雷の精霊に命じて海面を雷で無意味に穿つ。
雷撃が海中の疑似魔獣を数百体ほど殺したが、それを気にした素振りも無い。
そしてある程度罵詈雑言を吐き出してから、あたかも自分自身を納得させるかのようにブツブツと呟く。
「次だ、次に期待せねばなるまい。せいぜい語り終える前に死なない様なタフな聞き手だといいのだが……」
傲慢でウザいと定評がある機玩具人形一の嫌われ者にして美男子、アルフヘイムは青空を飛翔しながら次なる獲物を待つ。
■ Λ ■
「お~、アルのヤツ頑張ってんね~。無駄に」
ボツリ、と執務室で仕事を終えてアクティブトラップ任意コントロール装置――つまりコントローラー――を操っていたカナメはそんな感想を漏らした。
カナメは目の前の空中には投影装置によって生み出された二つのスクリーンがあり、その片方に空を飛ぶアルフヘイムの姿が映されている。先ほどのアルファ・ナインとの接触の様子も当然映していた。
そしてもう一つのスクリーンには、現在カナメがコントローラーで操っているアクティブトラップ・人形シリーズ全十二体の内の一体<孤高なる狼>と、カナメの宣言時のつり橋効果なんちゃらといった発言につられたのかどうかは知らないし知ろうとも思わないが、まさに青春真っただ中であろう十四から十八歳くらいの少年少女のみで構成された学生パーティーの姿が在った。
カナメが操る<孤高なる狼>は、機玩具人形次男にして特攻駆逐型として造られた<狼顔の狂戦士>と同じ狼男タイプだが、逆関節の脚部に獲物は巨大な戦斧、頭部全てが金属の兜で覆われ、右腕は完全に機械の義手のような風体をしているなど、その構成の差異は当然ながら大きい。そして能力的に見ても、<孤高なる狼>よりもウールブヘジンの方が圧倒的に勝っていた。
しかしウールブヘジンに劣るスペックだったとしても、少年少女のパーティー全員を屠るのには十分すぎるスペックをもっている。例え三十八階まで来れるほどの、世界的に見て到底学生レベルではない実力者揃いであっても、である。
『きゃっ!』
『フィロルあぶねェー!!』
<孤高なる狼>の振う戦斧が少女の構えた槍を弾いて致命的な隙を作るが、それを助ける為にノーマルスキル<剣士>を有する少年が横から飛び込んでくる。
少女を斬り殺さんと暴風の様な速度で振われた<孤高なる狼>の戦斧は、飛びこんできた剣士の少年の身体を後方に押し込みながらも、歯を食いしばり決死の力を振り絞った結果ギリギリの所で防がれ、標的だった少女も剣士の少年も狩る事は出来なかった。
そして一瞬だけ力が緩んだ隙を見逃さず、剣士の少年と槍使いの少女はバックステップで距離を取る。
そうそう。悪戦苦闘しつつも、意中のあの子を射止めるのは無意識下での行動も大切なんだよ、とカナメは若かった頃を思い浮かべてニコニコしながら、しかし最低限の手加減をしつつも少年少女を苛烈に攻め立てる。
一定の攻め、苛烈な激戦があってこそ雰囲気が盛り上がるのであるからにして。
狼男の戦斧が標的の脳天から股下まで切り裂かんと振り落とされ、それを避けてもその直後に鋼鉄の腕がまるで一本の槍のように突き出される。
それを回避してみせても逆関節の脚部がはじき出す跳躍力はその巨体を軽やかに浮かせ、少年少女の頭上を飛び越えてその背後を陣取り、振り落とされた鋼鉄の頭突きが地面を穿つ。
先の読み難い多彩な攻撃を繰り出す<孤高なる狼>に押され、少年少女の顔が苦悶に歪んでいくのがスクリーンに映し出される。それに嗜虐心を燻られたのか、カナメの表情がどこか冷たいモノになっていくが、しかし横やりが入ってハッと元に戻った。
「カナメ様、私の記憶によればアルに頑張るよう指令を出したのはカナメ様のはずですが?」
「そうだけど? 目立ちたがり屋のあいつをその気にさせるのは、その方が手っ取り早いだろ?」
「まあ、確かにそうですが……それならせめて無駄、とは言わないで上げて下さい」
「……頑張っている弟が不憫だからか?」
「いえ、確かにそれもありますが……」
そう言って、ポイズンリリーは少しだけ視線を逸らした。
それから何かをかみしめるかのような仕草の後に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ただ単純に、無駄な事をしてあの子がこれ以上嫌われるのは、何となく悲しいので……」
「……ああ、なるほど」
確かに、またこれでアルは嫌われるかもなー、とカナメは<孤高なる狼>を動かしつつ頷く。
アルフヘイムは、ハッキリ言って嫌われている。機玩具人形の中で、性格的な部分だけを抽出して言えば、恐らく一番嫌われているだろう。
格上と認めたモノ以外は全て小馬鹿にしたような態度で接するばかりで、アヴァロンの国民の、特に男性陣に受けが悪い。女性陣では意外とそこまで嫌われていないようだが、それでも嫌いというモノは当然いる。
統計すれば、やはり嫌いだと言う方が全体的に多いだろう。一応ヘビーなファンも居るみたいだが、それは少数派なので嫌われていると言って差し支えない。
「確かにな。ま、あの性格は仕方が無いさ。アルは機玩具人形の中でも後期に造られたヤツだから、兄姉達から甘やかされて育った世代だしなー。特にリリーとかその辺りが甘やかした。なんて言うと、言い訳に聞こえるんだけども、そこはスルーの方向で」
まだ下に二人の妹と一人の弟がいるんだけどねー、とは思うが、アルフヘイムがあんな性格に育ったのは兄姉達から甘やかされたからに他ならないので、間違った事を言っている訳ではない。
などとポイズンリリーと話をしていたら、カナメは<孤高なる狼>で何時の間にか少年少女のパーティーを全滅させていた。ポイズンリリーとアルフヘイムに思考を割いていたので、知らず知らずのウチに手加減を忘れていたようである。
何と言うミスか、とカナメは頭を掻いた。まだまだゆっくりと盛り上げて行こうと思っていたのに。
思い返してみれば、スピーカーからは『なんだ! いきなり動きが鋭くなったぞッ。ぐあッ……ち、畜生め! こんな所で死んでたまるかッ』や『くそ、コイツ力を抑えてやがったな。仕方ねェ、俺達がコイツを押し留めている隙に、フィロル達は先に逃げろ!』や『一分は最低稼ぐ。だから、ツバキ達は逃げてくれ。早くッ!!』などと少年組から青春溢れるというか、テンプレというかちょっと臭いというか青いと言うか、年を取ればなかなか言い難いエネルギッシュかつフレッシュなセリフが飛び交っていたように思える。
あと少女組からは『嫌よイシト! 貴方を置いてなんて行けない』や『馬鹿にするんじゃないわよッ。あんたより強い私が先に逃げるなんて、真っ平ごめんよ。コイツを倒して、全員で先に進むんだから』とか、コチラもまあエネルギッシュかつフレッシュなセリフが飛び交っていたわけで、ホントありがとうございましたと言いたくなる青春っぷりである。
甘い雰囲気ごちそうさまでしたと言わざるを得ないだろう。仕組んだのは自分だけれども。
まあ、健闘虚しく全滅なんだけど、しかしだからこそ少年少女らは経験できたわけだ。実力が無いと大切な者を護れないっていう事を。その悔しさと、失わない覚悟をバネに成長してくれる事を祈る。
なむなむなむ、とカナメは少し拝んだ。
カナメは神なんて存在が嫌いなので、拝んだのは当然神なんて存在にではないけども。
「ま、それはアルが自分で治さないといけない部分だし。それにアル自身が気にしてないからどうこう言う事でもないかもしれんがな」
視線を<孤高なる狼>が映るスクリーンに、ではなく、アルフヘイムが映る画面へ移したカナメが見たのは、新たに上がって来た攻略組と戦いながら、実に楽しそうに自分の武勇伝を朗々と語る姿だった。
人の意思など眼中にありません、と言わんばかりの独走っぷりは、間違いなく機玩具人形でも群を抜いている。
「……そうですね。姉の私は少々過保護になりすぎていたのでしょうか」
「かもしれん。しかしほら、これもいい機会だ。可愛い子ほど旅をさせろというし、これが終わればアルフヘイムは五年くらいは旅に出そうかね」
「そうですね、カナメ様。……ああ、そうそう。報告ですが、そろそろセツナ様の所に到着する隊があるそうです」
「もうそんなに来てんの? 予想外に早いけど、それはとても楽しみだな」
「そうですね、楽しみですね。セツナ様は、私を楽しませてくれるでしょうし」
「……笑みが怖いぞ、リリー」
「ちょっとした演出ですよ、カナメ様」
アルフヘイムを映していたスクリーンはカナメの意志によって視点移動し、セツナが攻略者を待ち構えている百五階のフロアボス――聖堂エリアの厳かにして神聖な雰囲気で満ち満ちる場を映し出す。
スクリーンに映る聖堂エリアはまるで何処かの教会のような構造をしているのだが、ココで戦う事が前提にあるので、祈りを捧げに来た人が座るために並べられているはずの木製の長椅子などは一切無い。当然ながら、邪魔だからだ。
聖堂エリアは広さも十分とは到底言えないが、それでも接近戦ならば十分に戦える空間が確保されている。
そして一際目を引くのが、聖堂エリアの最奥上方にはめ込まれている、何らかの宗教の偶像神が描かれたステンドグラスから射し込む事で、様々な色に彩られた光に照らされている今代の勇者にして黒髪の聖女の姿だろう。
黒髪の聖女――セツナは、大理石で造られた床に鞘に入れられた新生<確約されし栄光の剣>をまるで杖のように突いて構え、その柄に両手を乗せてそっと目を閉じていた。
戦う攻略者が来るまで動く事無く待つつもりなのかは知らないが、まるで時がそこだけ止まっているかのように直立不動の姿勢を保つ。
背中に鉄柱でも入れているような立ち姿が、他者を引き付ける不可思議な何かを今のセツナに纏わせているのではないか、という考えはきっとカナメの気のせいである。
しかしそれでも構わないと言わんばかりに、ぼうっと少しの間その姿に見惚れる。今セツナが着ている服と相まって、神秘的な存在としてカナメの目に映る。
有りふれた表現だが、スクリーンに映されたセツナの姿はまるで一枚の絵画の様な光景だと思う。
セツナが着ているのは、所々に白銀の特殊金属が使用された物々しくも可憐な白いドレス。だがその本質は、セツナを護る甲冑である。
華奢な、しかしメリハリの利いたセツナの身体の魅力を引き立てるように、上半身の護りを固める白銀の胴鎧と白い衣服は身体のラインを沿うように密着し、これで護れるのかと疑問に思うほど肩と背中はセツナの柔肌を見せびらかすかのように大きく露出されている。
そして上と違い下は密着したデザインから一転して、ふんわりと広がるスカートが特徴的だ。丸く柔らかく、しかしどこか鋭さのあるセツナにぴったりなデザインで、邪魔にならないように結い上げられたセツナの黒髪とが合わさって不思議な様相を魅せていた。
一見すれば銀色に輝く胸当てと籠手ぐらいしか防具として機能してないように見れるが、【守護】の概念が込められた白いドレスのような甲冑には生半可な攻撃は通じない。【守護】の概念が装着者を護るためだ。
とは言え、そもそもユニークスキル<旗持ち先駆ける救国の聖女>によって発生している不可視の盾により、常時絶対的とも言える護りを得ているセツナに大半の攻撃は通じないので、ハッキリ言って白いドレスのような甲冑は、見栄えを良くするための装飾品に過ぎない。
<白銀王騎の聖なる衣>
カナメが安全装置を取り付ける為に取り込んだ旧<確約されし栄光の剣>にはなく、生まれ変わった新生<確約されし栄光の剣>に新しく組み込んだ、新機能の一つであった。
難しい事を抜いて一言でその機能がどんなモノなのか言えば、衣装替え機能である。
「あれで金髪とかならまんまなんだけど……でも、黒髪がアクセントになってるから、これはこれで……」
「助兵衛な顔ですよ、カナメ様」
ニヤニヤとスクリーンに映るセツナを見つめる主に、従順――かどうかはハッキリと言いきれないのが苦しい所だが――な従者は、間違った道を歩む主を矯正するため泣く泣くソレを手に取った。
泣く泣くなはずなのに従者の顔に嗜虐的な笑みが浮かんでいる様な気がしないでもないのだが、それはきっと目の錯覚である。目の錯覚だと思っていた方が、身の為だとも言えるのは公然の秘密。
従者の主であるカナメの頬を、ゆっくりと冷や汗が滴る。やがて汗は頬を通り過ぎ、顎から落ちて行ったがそれは既に意識の外だった。
「ああ、すまんすまん調子に乗った。だからさ、その手首の機器収納亜空間から取り出した電動ビームハリセン【毒付加式】は引っ込めて下さい。それ、流石に冗談とか洒落にもならないから。腕とか触れただけで余裕で蒸発するから。ついでに毒の状態異常貰っちゃうから」
「何を仰いますかカナメ様。たかが四肢の一つや二つ、消した所で再生しますでしょうに? 毒なんて、生きている実感を得られる良薬ですよ?」
何を馬鹿げた事を、とでも言いたげに小首を傾げたポイズンリリーにカナメは身震いした。割と本気で。ガチガチと歯が鳴りそうになるが、それは気合いで抑え込む。
流石にそれは見っとも無い。
「いや、うん、マジでタイム。それは、ちょっと覚悟が必要なんだけど。というか、覚悟したくないというか、出来れば喰らいたくないのですが……」
「まあまあ、久しぶりにSMで官能な一時を過ごすのもまた、一興という事で」
「いやそれリリーだけが悦に浸るだけだから! 俺必死でそれどころじゃないからさッ!!」
「まあまあ、ここは珍しく漢気を出して下さい!」
「出してたまるかッ」
ニコニコと嗜虐的な、されどそれでさえ綺麗と表現せざるを得ないポイズンリリーからカナメは全力で逃げたい衝動に狩られたが、しかしそろそろセツナの所に誰かが到着するらしい。この部屋から離れてもスクリーンを投影する装置は幾らでも造れるが、しかし、見る間もなくポイズンリリーとリアル鬼ごっこをするのはあまりにも益が無い。と言うかは不利益しか存在しない。
逃げて、掴まった時どうなるのか想像するだけで嫌になる。
ならば、とカナメは瞬時に思考を巡らせた。
レアスキル<超速思考者>というこんな時こそ尊ぶべき技術を無駄に駆使し、カナメは複数の考えの中から、今最もベストかもしれない一つの策を弾き出す。とはいえ、ポイズンリリーの性格を考えればそれほど難しい事ではなかったのだが、しかしそれでも回避できない可能性はあるのが怖い所。
「ようしならばここでゲームだ」
「……ゲームですか?」
さぁ一叩き、とばかりに振りかぶった電動ビームハリセン【毒付加式】がカナメの四肢のどれかを消し飛ばす事無く止まった。ポイズンリリーは小首を傾げる。
その隙にカナメは矢継ぎ早に言葉を発するべく口を開いた。そうしないと、まず間違いなくポイズンリリーが電動ビームハリセン【毒付加式】を振り落としてしまうからだ。
あな恐ろしや毒の美女。
「この丁度二つあるコントローラーを使って攻略者である国民を倒す。そして倒した数が多い方が勝者となる単純極まりないルールのゲームだ。制限時間はセツナの所に攻略組の誰かが到着するまで! 乗る、乗らない、さぁどっち!!」
自分が使っていないコントローラーをポイズンリリーに差し出したカナメは、若干震えながらその回答を待つ。十中八九乗るとは思うのだが、されど気分屋な所があるポイズンリリーが乗らない可能性も無きにしも非ず。
そうなればどうなるかなど、見なくても分かるのではないだろうか。
鼓動が爆発しそうなほど速くなり、緊張しながら固唾を飲むカナメと、俯きその表情を見せないポイズンリリー。
沈黙は僅か十秒。されどカナメにとっては半日にも感じて――実際レアスキル<超速思考者>を無意識の内に発動させてしまったので、体感時間は実際の時間よりも遥かに長かった――しまうほど長く辛い時間だった。
「……そうですね」
ゆっくりと口を開くポイズンリリー。溜まっていた唾を大きく嚥下し、カナメはあたかもその身を射抜かんばかりに一挙手一投足の動きを観察する。
「取りあえず、」
振りかぶっていた電動ビームハリセン【毒付加式】を下ろしたポイズンリリーに、カナメはほっと息を吐きだした。
されど現実は空想のように甘くはなく――
「一撃を入れて身動きを取れなくしておきましょうか。その方が、勝率が上がりますし」
――不吉極まりない言葉と共に、カナメは電動ビームハリセン【毒付加式】が自分の右腕に迫る光景を目の当たりにした。
カナメは、ポイズンリリーが効率的にゲームに勝つ事を選択する可能性を考えるべきだったのだ。
ちょまそれ話が違う、とは当然言えなかったカナメは激痛の中で悶絶する。
そんな、二人の日常はゆっくりと流れていく。




