第三十三話 一日目 水瓶座と魔術総帥と死骸と、あと戦場のオオカミ・後編
「全く、よりにもよってフロアボスエリアに踏み込むとは、我等の運は少ないものだと思うが――しかし、諦めるのは性に合わん。よって、足掻かせて貰おうか。【金剛樹】【狂走】【神風】に【宿り木の祝福】、多重同時発動」
アリエスに狙いを定めたウールヴヘジンが駆けだしたのと同時に、レオナールは飛行魔術を発動させて一応暫くは安全そうな上空に退避してから、アリエスが稼いだ僅かばかりの時間で構築し終え、そのままタイミングを合わせる為に待機させていた四つの補助魔術を、デルタ・セブンの構成員二十四名全員に対して発動させた。
四つの魔術を二十四名に対して並行使用しただけでも驚嘆に値するというのに、その上どれもこれも一級の能力上昇魔術であるのだから、それなりに詳しい知識がある者が見ていれば驚嘆を通り越して固まっていただろう。
【金剛樹】は付加されたモノの筋力などを強化し攻撃力を飛躍的にアップさせる肉体強化系統の魔術で、【狂走】は主に脚力上昇や思考速度上昇など、全体的な速度アップを促す【金剛樹】と同じ肉体強化系統魔術だ。三つ目の【神風】は【金剛樹】と【狂走】の一つ上のランクに分類され、周囲の風の流れを操作するなど外部からの干渉によって全体的な速度を無理なく底上げする風系統魔術の一つだった。
そして最後の【宿り木の祝福】は一度限りという制約があるモノの、如何なる攻撃も付加された者には届かせない、という概念が込められた概念魔術の一種だ。
概念魔術【宿り木の祝福】だけでも相当な量の魔力が必要だというのに、レオナールはどれもこれも上位魔術に分類されている三つを、自分を含めた二十四名全員に使った訳である。
だが、それでも今の所レオナールの魔力に衰えはさして見られない。
レオナールが魔族の中でも極めて魔術に長けた種族である至高妖精の数少ない生き残りであり、魔力が予め封入されていた魔弾を数発使用していたとしても、この結果は脅威としか言うしかないだろう。
アヴァロンの魔術総帥の役職は、伊達や酔狂で務まるモノではないのだ。
レオナールの芸術にも似た繊細さで紡がれた魔術がその効果を発動し、ポォー、と淡い赤と緑と白い光が全員の身体に灯る。それと同時に、内側から溢れてくる何かを皆が感じた。
「速度と膂力と、一撃限りだが攻撃を逸らす魔術を発動させた。存分に暴れてくれたまえ、アリエス嬢」
ちなみに四つともレオナールのオリジナル魔術だったので、全員に分かるよう簡潔に魔術の効果についてレオナールは声を張り上げながら伝える。
「補助ありがとうございます。ですが――」
今のアリエスの攻撃力は普段の二倍、移動速度は普段の六倍近くにまで上昇していた。
だがそれでも、剣と剣を交え敵の顔がよく見える近接戦闘では、経験豊富で近距離戦闘型として造られている長女ポイズンリリーさえも凌ぐスペックを持った、ウールヴヘジンの速さにやっと互角か僅かに遅い、といった具合だった。
「――それでも、まだ、相手の方が速いッ!!」
右袈裟懸けの軌道をなぞりながら、ウールヴヘジンが右手に持つ<阻める物無き蛮勇の剣>がアリエスをその凶刃の錆にしようと、轟と唸りながら迫る。
防ごうとすれば例え強固な防御の概念で護られた黄金聖鎧であろうとも、その封じ込められた概念の強さに負けて問答無用で斬り裂かれる必殺のソレ。
だからアリエスには、ただ逃げるか、四肢のどれかを斬られながらもウールヴヘジンに反撃する、という選択肢しか存在しなかった。ちなみにウールヴヘジン相手に完璧に避けながら反撃する、という理想的な選択肢はない。逃げるならば全力で、反撃するなら損害覚悟で挑むしかないのだ。
ただし、これらの選択肢はアリエスが一人ならば、である。
(普通の剣なら、ここまで必死になって避ける事でもありませんのに――やはり、師匠は理不尽な存在ですわね……)
と内心で歯痒く思いながら、これまで血反吐を吐きながら培ってきた経験からアリエスは反射的に避けようとして――
「大丈夫だ! 全力の一撃を撃ちこめ!!」
――上空から、レオナールの声が響いた事によってその場に踏み止まった。何故そんな事を言ったのか直ぐに判断できなかったアリエスは、しかし、逃げる事を止めてレオナールの言葉通りに-270度の氷気を纏った氷拳によるカウンターを繰り出した。
咄嗟に理由は分からずとも、何か考えがあるのだと考えたからだ。
レオナールがあれほどハッキリ言うのだから、何か策が在るに違いない、と思うしか無かった。そして思考は次の段階に強制的に切り替わった。
攻撃を選んだ瞬間から、アリエスは既に一撃を加え、加えられるしかない。
自分の身体が斬られるかもしれない、その恐怖を押し殺し、アリエスはただただ全力で拳を前に、抉る様に突き出す。どうせ一撃を貰うのなら、それを挽回出来る程の強烈な一撃を決める、という思いが乗せられた氷拳は、アリエスが今の状態で出せる最高威力のカウンターだった。
この一撃で決められる訳が無いとは思いつつ、少しでもダメージを入れなければならないと、アリエスは考える。そして考える時間は消えて行った。
轟、と唸り声を上げながら迫る刀身。
弩、と一筋の閃光のように奔る氷拳。
軌道の違いからか、剣と拳はお互いが衝突する事なくその横をすり抜けて、真っ直ぐ狙いすました場所に吸い込まれるかのように進んでいく。
交差は一瞬。次の瞬間には、激しい轟音が響いた。
「…………」
「…………」
爆音にも似た音と共に、周囲は一瞬だけ音を無くす。鉄分を多く含んで重苦しい土ぼこりが舞い上がる。
そして土ぼこりの中でデルタ・セブンの面々は目撃した。その面々の殆どが、皆驚きに染まった表情を浮かべている。
その原因は、強靭な腹筋と体毛に包まれた腹部に喰い込んだ、体毛の耐久度をギリギリ越える氷気が纏わりついていた氷拳によるカウンターを撃ち込んだままで静止していた無傷のアリエスと、大地を斬り裂いた<阻める物無き蛮勇の剣>を手にして止まっているウールヴヘジンの姿があったからだ。
真っ直ぐ狙い通りに撃ち込まれた氷拳とは対照的に、<阻める物無き蛮勇の剣>はアリエスの毛先数センチだけを斬るに留め、狙いを大きく外していたのである。
そしてその結果、数ドットしか削られていなかったウールヴヘジンの頭上に表示されているライフポイントバーが、既に二割ほど削られていた。
「――アァ? 何だこれ?」
ウールヴヘジンが小首を傾げた。この行為は、彼の思う所ではなかったという現れだ。
「――何が……いえ、なるほど」
そしてそれは氷拳を撃ち込んだアリエスも同様だった。致命的な一撃を受けるとは覚悟していたのに、全くの無傷で佇む自分の姿が信じられない、と言わんばかりである。
しかしそれも一瞬で、加速した思考がその原因を考える時間を与えてくれた。
アリエスは、何故自分が助かったのか気が付いた。気が付いてみればその原因が分かりやす過ぎて、逆に咄嗟に思い付かなかった自分が恥ずかしい、という思いにさせられる。
そして、そうなるという事を知っていた一人の男は、タイミング良く上空から声を張り上げた。
「速く逃げるんだアリエス嬢! 効果は一度だけしか持たないと言ったはずだッ!!」
レオナールの声を聞く前に、アリエスは咄嗟に横に跳んでいた。声が聞こえるより早く、幾多の戦闘経験が回避行動を選択したからだ。
この一撃は奇襲にしか過ぎないと、アリエスには既に分かっていた。
ウールヴヘジンが未だ呆けている隙に、一刻も早く距離を稼がねばならない。
逃げるにしても、何をするにも、だ。
「あぁ~まあ、いいか。何だろうがァなァ」
しかし、相手も何時までも呆けている訳ではなかった。先ほどの現象が何であるか考える事を放棄したウールヴヘジンの狼顔が大きく狂気によって歪み、そこから繰り出される獰猛な追撃がアリエスに襲いかかる。
地面を斬り裂いた<阻める物無き蛮勇の剣>は、獲物を求めて追随する肉食獣のような荒々しい動きで跳ね上がった。大地に喰い込んでいた刀身が、その絶対的な概念能力――【切断】を遺憾なく発揮して、邪魔な土をまるでスプーンによって抉られたプリンのように滑らかなラインを刻みながら、再び姿を現したのだ。
そして抜け出した刀身が勢いそのままに、アリエスに再び接近する。
ウールヴヘジンの280センチという巨体に加え、<阻める物無き蛮勇の剣>の刀身は二メートルもある。そしてウールヴヘジンにココまで近づかれているアリエスは、例え八メートル程の距離を一瞬で跳んだとしても、攻撃範囲ないから抜け出す事は出来なかった。
「――ッ!!!?」
「オラァ! まだ始まったばかりだろうがァ!!」
ウールヴヘジンが大きな口を広げながらアリエスに激を飛ばした。だが、アリエスは全力の跳躍から着地したばかりだった。その為咄嗟に素早い切り返しが取れず、僅かコンマ数秒程ではあるが、アリエスの回避行動が遅れた。
そのコンマ数秒程の有るか無いかの一瞬で、アリエスは完全に避ける事ができない状況に陥った。先ほどの不可解な軌道で逸れて行った刀身は、しかし今度は何の変化も起こさない。
自分の力量不足からくる悔しさで端正な顔を歪ませたアリエスは、再びレオナールの魔術による白い光が自分に灯った、というのを僅かに感じながらも、自分一人ではどうする事もできない現状に歯がみする。
レオナールに助けてもらってばかりで、自分ではまだまだウールヴヘジンに対抗できないと分かったからだ。
そして再び<阻める物無き蛮勇の剣>の刀身が、主人の意に反してアリエスへの直撃コースを逸れて行った。
刀身が空を斬る。
概念魔術【宿り木の祝福】
一度限りという制約はあれど、どのような攻撃でも届かす事のできない、という概念が封じ込められた概念魔術の一つ。<阻める物無き蛮勇の剣>の【切断】とは正面からぶつかれば呆気なく殺される程度のモノだが、横から邪魔をする事はできたのだった。
「――アン?」
再び不可解な軌道を取り、狩れたはずの獲物から逸れて行った自分の愛剣にウールヴヘジンは小首を傾げた。先ほどのレオナールの説明を、聞こえていても聞いていないウールヴヘジンはその歪な現実の解を得る為の情報が欠如していたのだ。
二度も致死の一撃がそれ、それを繰り出した張本人が小首を傾げている隙に、アリエスは急いで後方にバックステップをして大きく距離を取る。近距離戦闘はどんと来い、なアリエスだが、流石にあれと真正面から殴り合えないと判断したのだろう。
バックステップだったのも、背中を見せたくなかったからに違いない。
「二度、命拾いしましたわ、レオナール氏。感謝します。それから先ほどの魔術、もう一度お願いできますか?」
「それは構わないが……あまり多用させないで欲しいモノだ。言っておくが、君を二度も救った概念魔術【宿り木の祝福】は、長い月日を掛けて出来るだけ少量の魔力で発動できるように効率化していているモノだが、それでもなかなかに魔力を喰う厄介な魔術でね。
如何に我と言えど、魔力は無限では無く有限だ。テイワズ様のように無限に近い程ある訳ではない。予め魔力を封入している魔弾も、奥の手の宝石も、補充するのにはそれなりに労力が掛かるのだ。そうそう、使いたくないモノなのでね」
「……狭量な方ですね。私の見込み違いでしょうか? いえ、そんなはず無いですよね。だから取りあえず魔弾も宝石も、後先考えずにバンバン使って下さらないと、私の信用がガタ落ちですよ? それにそれぐらいしないと、狼男には到底勝てませんわ」
「アリエス嬢、我が魔弾一つに込める魔力量や、消耗品扱いの宝石一つ、一体幾らすると思っているんだ? 粗悪品は使う気もせんから、軽く金貨百数枚以上する上質なモノしかないのだぞ、我の持っているのは」
などと、軽口を交わす両者だが、既に自分の仕事は行っていた。
空中で全体的な戦場の様子を見ているレオナールは出来る限りの魔術を用いて全体のバックアップに回り、デルタ・セブンの中で唯一戦えそうなアリエスは手だけで隊員に指示を飛ばしている。
主にギリギリ何とか喰いついて行けそうなアリエスが主軸にし、何とか捻り出した隙に他の隊員達がゲリラ的なヒット・アンド・アウェイで攻めるという作戦である。
「だったら、ここで狼男を退治すれば問題ありませんわ。フロアボスは、桁違いの報酬金が出る訳ですから。勿論、強さが桁違いですけれど、ね」
「ああ、確かに、そうに違いないが、仕方ない。我も散財覚悟で臨もうか――【雷鳴】【樹牢】【空纏慟地】」
やれやれ、と肩を竦めたレオナールは、しかし怒涛の勢いで三つの魔術を一瞬で発動させる。
ソレら三つはレオナールが両手首に嵌めている、小さいながらも最新式の機能が詰め込まれた特注品である甲種甲型レオナール専用腕輪型補助魔具――<アルペンドラ・ウラヌス>の固定魔術膜に登録されていたために、魔力を流し込むだけで即座に発動出来る、特一級の攻撃魔術だった。
「相変わらず、ビックリ箱のような光景ですわ、ねッ!!」
【雷鳴】によって空からは雷の雨が指向性をもって降り注ぎ、【樹牢】によって地面から伸びる大樹の根がウールヴヘジンを拘束して、ついでに【空纏慟地】の重力操作によって不可視の超負荷が、その身を押し潰そうとウールヴヘジンに襲いかかっている光景を見ながら、アリエス他デルタ・セブンの近接戦闘要員は距離を詰めた。
遠距離からの攻撃と、近距離の攻撃の連携でこのまま畳みかける気満々である。
皆ウールヴヘジンの怖さは骨身に染みているので、全員の顔には必死さがこびり付いている。
それを感じたウールヴヘジンの笑みが、より一層深くなった。
「いいなぁいいなぁ、楽しくなってきやがったじャねェかよォー!!」
狂気に歪んだ狼顔が、咆哮と共に獲物を迎え撃つ。
◆ Δ ◆
バキィィィィィン!! とガラスが砕け散ったような澄んだ音が、血臭漂う鉄血エリアに響いた。
「しゃぁぁぁぁぁああ! <阻める物無き蛮勇の剣>を壊したぞォ!!」
そしてそんな音が響いた後に、歓声を上げたのは白銀聖鎧を身に纏った巨犬座のアルバート・バースだった。
度重なる武器破壊を狙った攻撃の末に、既にデルタ・セブンの隊員十三名を無情にも斬り捨てていた<阻める物無き蛮勇の剣>は、アルバートが繰り出した鋭い蹴りによって刀身半ばから真っ二つに破壊されたのだった。
本来ならその程度では宝具が壊れるはずがないのだが、しかし封入された概念を【切断】だけに特化させ、ただ斬れる事だけを追及させた<阻める物無き蛮勇の剣>だけは特別で、唯一通常攻撃で破壊可能な宝具である。だから、アルバートでも壊す事ができたのだ。
そして仲間を殺した魔剣を壊せたからこそ、アルバートは油断した。油断してしまった。
その油断だけで、アルバートの行く末を決めるには十分すぎる事である。
「馬鹿ッ! 怖いのは剣だけではないのですよ!!」
アリエスは声を張り上げたが、既に遅かった。
アルバートは既に、巨大な手の捕獲圏内に入っていたのだ。
「は? ――ッ! グウゥゥゥッ!!」
確かに全てを切断する<阻める物無き蛮勇の剣>は驚嘆に値するものだろう。しかし、それだけなら別に怖くは無い能力なのだ。
ハッキリ言えば飛ぶ斬撃などの遠距離攻撃もなく、また持ち主の能力を高める事もない、ただ単純に良く斬れる長剣でしかない。
要するに、複雑怪奇で理解不能な能力を持った他の宝具と比べて、斬る事しかできない<阻める物無き蛮勇の剣>はその軌道を見極めて避ける、と実に簡単な対処法として真っ先に浮かんでくるだろう。というか、この対処法は全ての攻撃に当てはめれる事なので、自然な対応で対処できるのである。
だから<阻める物無き蛮勇の剣>の【切断】能力はそこまで怖いとは思えないだろうし、思う訳も無かった。
防ぐ事ができないのは確かに脅威だが、どんな攻撃も当たらなければ意味が無いのだから。
しかし事実として<阻める物無き蛮勇の剣>が途轍もなく怖いのは、それを操るウールヴヘジンの抜きん出た能力があるからこそなのだ。
つまりアルバートは、<阻める物無き蛮勇の剣>に気を取られ過ぎたばかりに、忘れてはならないそれを失念していた。
本当に怖いのは、剣ではなくウールヴヘジンの肉体自体であるのだと。
だから、掴まったアルバートの命運は既に尽きている。
「がははははハハははっはァ! 間抜けだなアルバートォー」
巨大な手で隙を見せたアルバートの胴体を、巨犬座の白銀聖鎧ごと握り潰せそうな握力で掴んだウールヴヘジンは、しかしそのまま握り潰す事はせずに、その巨大な口をゆっくりと開いた。
ナイフのような太く白い、唾液に濡れて微かな輝きを見せる鋭牙が剥きだしとなり、生温かい吐息が内側から漏れ出している。血肉の臭いがする息吹きが、吐き出されてアルバートの顔を撫でる。
そして血肉の臭いが漂ってくる、薄暗い食道に続く穴は胴体を掴まれたアルバートにとって、まるで地獄の入口のように見えた。戦慄がアルバートの全身を駆け廻る。
心身を支配する恐怖によって胴体を締め付けている圧痛は、既に意識の外に飛んでいた。
獲物を掴んで巨大な口を開いた肉食獣が取る行動など、知りたくなくても悟ってしまうと言うモノだった。そしてその予想通りに、アルバートの頭は大きな口の中にスッポリと納められる。
ポタリ……一滴の唾液がアルバートの頬に付着した。
「あ――止め……て……くだ……さ」
捻り出す様にして何とか出た命乞い。されどオオカミにはそのようなものは関係が無く――
「明日また出直しなァ」
その言葉と共に、無情にも口が閉じられた。
ガチン、とまるでギロチンのように上下から迫った鋭牙がアルバートの肉を――偽身体なので本物の肉ではないが――容易く噛み千切った。噛み千切った肉や骨をバリバリムシャムシャと噛み砕きつつ、既に骸と化した肉の塊を打ち据えて、ウールヴヘジンは次の獲物を物色するかのように視線を周囲に流す。
その間もバリバリと音が漏れ、それを見ていた何人かは吐き気を我慢しながら一切の隙も見せまいと構えている。そしてそれを楽しむかのようにして、ウールヴヘジンはゆっくりとアルバートだったモノを味わいながら、その肉を徐々に嚥下している。
そして頭と胴体の少々を喰われたアルバートのライフポイントがある訳も無く、また一人脱落した事にアリエスは頭を抱えたくなった。
今やデルタ・セブンの面々も残す所あと十名。
そして今だ戦闘開始から五分と経っていないのだから、流石にアリエスも増援が来てくれないモノか……と弱気な事を思ってしまっても、仕方がない事だった。
「ココまでやってようやく五割を削れた、ですか……いい加減、勘弁して欲しいモノですが」
「いやはや、まさかここまで魔術が効き難いとは、恐れ入りましたね」
アリエスのカウンターの初撃で何とか二割は削ったウールヴヘジンの体力だが、アレ以上のクリティカルダメージは今だ無く、レオナールの【宿り木の祝福】の効果で最低限の犠牲に抑えつつ、複数回攻撃した事で何とか五割まで削っていた。
そしてその結果がこれである。
流石に、機玩具人形という存在の馬鹿馬鹿しさを再認識させられた、というモノだった。
「ガハハハはハはハハははハハはははハ! 殺し合いは楽しいなァオイッ!!」
喰らったアルバートの肉を全て嚥下したウールヴヘジンは、そう高らかな笑い声を上げた。どうやらアルバートの肉を喰った事で、一旦攻撃の手を休めてくれたようだ。
その事実が何よりもありがたかった。
(死して屍、助ける仲間あり、ですか……アルバート、貴方の犠牲には感謝します)
などと思いながら、僅かにできた小休止を少しでも長引かせようと、手合わせの中で気になっていた事を質問としてウールヴヘジンに投げかけた。
「師匠」
「ああん? なんだァアリエスよォ」
「何故貴方は、そんなに魔術が効かないのですか? 普通なら一発で痕跡残らず死滅させるような、【雷鳴】や【空纏慟地】までが直撃していますのに……ライフポイントが殆ど減って無かったですのよ?」
普通なら誰も返答する事のないような質問ではあるが、しかしアリエスにはある種の確信が在った。信頼と言ってもいいだろう。
「んなのァ、簡単だァ。物理防御力が在る俺の体毛<暴れ狼の鎧皮>の下にゃあ、物理・魔力両耐性を合わせ持ったァ竜鱗<竜血より得た鋼の竜鱗>があるからに決まってんじゃねェかよォ。
アリエスの氷拳もよォ、<暴れ狼の鎧皮>の表面を氷らせるだけで中身にまで浸透してねェのはその為だァ」
そしてその信頼通りに、ウールヴヘジンはあっさりと言ってくれた。
自分の事に対してだけは、ウールヴヘジンは容易く情報を洩らす癖が在ったのだ。
自分の情報を公開する事で自分と対等の戦いを演じて欲しい、という狂戦士としての性がそうさせるのか、もしくはただ単純に何も考えていないのか。判断に困るモノの、つまりはそういう事である。
「……本当に、過去に何故聞いておかなかった自分が恨めしいですわ」
「同じくだ、アリエス嬢。そうなのだったら、攻撃魔術など使わずに補助魔術に集中するべきだったよ」
迂闊だった自分達に対して石を投げつけたい気分になりながら、アリエスとレオナール、それから生き残っている八名の隊員は苦笑いを浮かべるしか無かった。
竜鱗――つまりは魔術に対して実に有効な、それこそ致命的とも言えるレアスキル<対魔力>を持つ竜種の鱗という事であろう。そして恐らく、この戦闘で浴びせた魔術から推測するに、ウールヴヘジンが持つ<対魔力>の強さはイ級の竜種の中でもより強力な個体としてギルドホームのサーバーに登録されている、“名前付き”の竜と同等かそれ以上だろう。
流石に魔術総帥たるレオナールであろうと、魔獣最高峰の<対魔力>を持つイ級の竜種を魔術だけで仕留めるのには、長大な時間が掛かる。ウールヴヘジンの体毛の下にあると言う竜鱗があれと同じだとすれば、ここまでダメージが喰らわせられない事も頷ける。
ちなみにアリエスが持つレアスキル<竜殺>も一応<対魔力>を有しているのだが、流石に竜種の<対魔力>の象徴とも言える竜鱗程の力は無かった。
それに――
「それに、カナメ様が手を加えているというのだから、当然<対魔力>だけじゃないでしょうね」
「同感だ。流石に普通の<対魔力>だけなら、我の魔術は多少なりとも貫通するはずだからね。もっと何か、別の能力も備わっているとみていいだろう」
やるからにはとことんやる、を地で行っている敬愛する君主のニヒルな笑みを思い浮かべ、誰ともなくため息が漏れた。
凝り性というか、極端というか、何処かやり過ぎる事が多々ある国王が今は恨めしかった。
「しかし、そういやぁ<阻める物無き蛮勇の剣>が折れちまったなァ。仕方ねェ、次の取り出すかァ」
そしてこの発言である。
苦労して壊した<阻める物無き蛮勇の剣>が、まるでまだあるかのような言動。
デルタ・セブンの面々に嫌な汗が浮かんだ。
そしてゆっくりと、撫でるようにして特別丈夫に造られたウールヴヘジン専用のオプションリングを操作する太い指先に、皆の視線が釘付けになる。
そしてあまりにも残忍な現実が、オプションリングに備え付けられている転送機能によって齎された。
パァー、と発現した転送の際に発生する光子と共に、それらは姿を現した。
二メートルという長い刀身。余計な飾りは殆ど無く、唯一柄頭に嵌めこまれた赤い宝玉が不思議な光りを放っている。幅は十センチ程の、一見すると何処にでもありそうな、二振りの長剣。
「二ほ……ん?」
そう言ったのは誰だったのか。アリエスだったかもしれないし、レオナールか、もしくは他の隊員のものだったのかもしれない。
だが共通された認識は、万物を【切断】する<阻める物無き蛮勇の剣>の悪夢は、まだまだ終わらないという事だろう。
いや、少し考えればその可能性を思い付いたかもしれない。
<阻める物無き蛮勇の剣>は唯一通常攻撃で破壊可能な宝具だ。だから、壊れる事を想定されて、サブの<阻める物無き蛮勇の剣>が多数ストックされていたとしても、決して可笑しい事ではなかった。
「がははははハハははははハハははァ! オラオラァ、行くぜェー!」
両手に携えた<阻める物無き蛮勇の剣>の剣尖を地面に擦りつけながら、ウールヴヘジンは高らかに宣言した。
「本当に、これは決死、ですね」
「ままならんが、諦めるのは死んでからにしようか」
「そうですわ、ねっ!!」
滲む冷や汗をそのままに、アリエスは概念魔術【宿り木の祝福】でさえサポートしきれない連撃がまるで暴風のように襲いかかってくるだろう死地に飛びこんだ。
◆ Δ ◆
「助けて下さい!! もう勘弁して下さい!! ホント調子に乗ってすんませんッ!! だから助けて!! ああ、嫌だ~こっちに来るなァ~!!」
時は既に星達が輝く夜。
アリエスは美しく荘重な積層都市の夜景を見ながら、今日のフロアボスエリアにて心的外傷を刻み込まれたアルバートの叫び声を聞いた。
誰かに傷口を抉られたのだろうかと思うが、わざわざ確認する事は無い。
とりあえず手にしたコップに注がれた、赤い色合いとさっぱりとした口当たりが女性に好評な葡萄酒――マルベリッテ・ヴィヴァレートを優雅に楽しみつつ、何も聞かなかった事にして再び窓の外に広がるアヴァロンの夜景に目を向けた。
一部の人間しか使用する事ができない特別な酒場<幻鞭挽歌>にて、デルタ・セブン他攻略組の面々は左大臣アイデクセスの配慮によって今日一日に疲れを癒しているわけなのだが、酒場<幻鞭挽歌>から見られる夜景は絶景であった。
あえて古代遺跡めいた石造りで統一された建造物が、縦横にどこまでも連なっている。青や黄色、赤といった様々な色合いで輝く街灯、所々で光っては消える祭りを彩るイルミネーションはまるで星屑のような美しさがあり、そしてそれらの光りによって照らされるアヴァロンの姿は実に美しかった。
それからその中でも飛び抜けて目を引くのは、隣接している“星屑の樹海”と国内を隔てている国境――一辺が五キロもある正方形の巨壁と同じ材質で造られた、神金鋼塊製の城。
国の中心で一際高いその城が下方から照りだされるその姿は、見る者にある種の神秘性を感じさせている。
これが自分達の国だと思うと、誇らしい気分になるというものだった。
普段から活気があるのがアヴァロンの特徴でもあるのだが、今回は三日間の祭りという事も会いなって、普段よりもさらに熱を帯びた活気がある様に見受けられる。
遠目ながらも、常人とは比べ物にならない位に強化されているアリエスの視力は、大通りなどで仮装行列のようなパレードが開かれている様子を捉えた。
静かにそれを見ながら、アリエスは再び葡萄酒マルベリッテ・ヴィヴァレートを飲もうとコップを傾けたが、そこで既に葡萄酒が無い事に気が付いた。
面倒臭そうに御代りを貰いに行こうかと立ち上がろうとして――
「一人黄昏ているアリエス嬢の横顔、というのはなかなか眼福モノですな」
一人夜景を眺めていたアリエスの横に、そんな事を言いながら一人のハイエルフが腰を落とした。手には背が高くなで肩で、パントは小さい形状が特徴的な、ブルゴーニュタイプのワインボトルの姿がある。
ワインボトルには、マルベリッテ・ヴィヴァレート、とラベルが貼られていた。
既にコルクは外され、アリエスのコップに中身を注ごうと斜めに傾けられている。
「感謝しますわ、レオナール氏」
差し出したコップにトプトプトプ、と音を立てながら注がれる葡萄酒を見ながら、アリエスは礼を述べた。
「いやいや、こうやって親睦を深めるなど、部隊が違う上に忙しい身である我等にはなかなか無い機会なのでね。これくらいは当然だ」
朗らかな笑みを浮かべながらそう言いつつ、レオナールは自分のコップに注がれていたマルベリッテ・ヴィヴァレートを飲みながら、先ほどまでアリエスが眺めていたアヴァロンの夜景に目を向けた。
「今回は、完敗と言うよりない……」
「そうですわね……」
レオナールが話題にしたのは、今日のウールヴヘジンとの戦闘についてであった。
二振りの<阻める物無き蛮勇の剣>を手にしたウールヴヘジンは、圧倒的という言葉すら馬鹿馬鹿しくなりそうなほどの暴力で、デルタ・セブンの面々を蹂躙した。
攻撃を逸らす概念魔術【宿り木の祝福】で一度は回避できたとしても、そのすぐ後に襲いかかってくる追撃によってアリエスは殺された。他の隊員も同様で、空に飛んでいたレオナールも馬鹿げた跳躍を見せたウールヴヘジンによって殺されている。
過去何年も、それこそ幼少の時から自分を鍛えてくれていた師匠であり教師であったウールヴヘジンが、実は自分達を殺さないように力を抑制されていたという事に、アリエス達は改めて気付かされた戦闘だった。
「まったく、少しは近づけた気がしていましたが、まだまだ全然遠いですわね……」
驕っていた訳ではなく、純粋な事実としてアリエスは自分が強くなっていると思っていたし、確信していた。何時も容赦がなく、されど遥か高みに居る師匠に少しでも認められるために、努力に努力を積み重ね、血反吐を吐きながら努力し続けて、その末に単身でイ級の竜種――とは言え正確な強さで言えば七段階のランクは更に五段階に分類されており、アリエスは単身だとイ級最弱のイの五段までしか殺せていないのだが――を殺せるまでになったのだから、少しは近づけたと思っていた。
だが現実はどうだ。
一人ではいい様にあしらわれ、レオナールのサポートがなければ数度の攻撃で死んでいただろう。
悔しい。アリエスは声には出さず、心の中で呟いた。
「……ウールヴヘジン様と再戦がしたい、かな?」
しかしながら、齢四百歳に近いハイエルフはアリエスの思いを見抜いたかのようにそう告げた。
それにアリエスは若干驚きの表情を見せる。
「……唐突ですわね、レオナール氏。なぜ、そう思ったのですか?」
「なに、表情は変わらずとも、アリエス嬢の眼がひしひしと語っていたモノでね」
「……そうですか。私もまだまだ、未熟ですわね」
「ただ単にそう思っただけで確信は無かったのだがね……アリエス嬢は、明日どうするつもりだい?」
「私の立場上、身勝手はできないのは承知でしょう? なら、今回は諦めて別ルートから先に進まないといけませんわ」
「確かにそうだが……君は少しだけ思い違いをしている」
「……どういう事ですの?」
小首を傾げ、アリエスはレオナールの横顔をじっと見つめる。エルフの特徴的な長い耳に、端正な横顔とアルコールによって若干上気した頬。普通なら鼓動が早まりそうな美男子の横顔ではあるが、アリエスとしてはそんな事よりもレオナールの言っている意味が解りかねた。
「これは実戦でありながら、実戦ではないという事だよ。今回のは、祭りの一環だ。だから、例え攻略組だろうとも、どんなルートを進んでも問題ない、という事だ」
「それは、つまり――」
「上の命令はカナメ様が最初に言っていた通り、絶対じゃない、という事さ」
ああ、なるほど、とアリエスは納得したのか頷いた。
確かに、レオナールの言うとおりかもしれない。
だが――
「そうだとしても。他の、特にアルバートが再挑戦に頷いてくれるかどうか……」
「それもそうだが、なに、安心したまえ。誰も行かないと言っても、我だけは……」
「ヘイヘイヘーイ! あたしのアリエスに色目使ってんじゃねーぞおじい様がッ!」
「ぐあッ!!」
突然ドガンッ、と、レオナールの後頭部にドロップキックが決まった。
後頭部に綺麗に決まったドロップキックは、レオナールが常時展開していた魔術障壁によって直接蹴り込まれるという事態にはならなかったものの、その衝撃によってレオナールの華奢な長躯は開放されていた窓の外に無理やり追いやられ、あわや転落、という所で素早く伸びたアリエスの手によって救われた。
そしてアリエスは外に出てしまったレオナールの身体を片腕で軽く引っ張り上げて、凶行の犯人を振り返って見た。
子犬のように愛くるしい顔に爛々と輝く青い瞳に、腰まで伸びた金髪は一つに纏められたポニーテールスタイル。若干小柄な体躯には不釣り合いなほどメリハリの利いたボディーラインをしている女性がそこにいた。
彼女の名はメサイア・ヴァリアント。
アリエスよりも若干年上で、牡羊座の黄金聖鎧を身に纏う黄金十二宮の一人だった。
アリエスとは自らが司る星座――牡羊座――と同じ名前だと言う事で会話したのが切っ掛けで、今ではアリエスの親友兼頼りない姉的なポジションを獲得してしまっている妙齢の女性である。
一応、アレクセイ第一班に所属しているフェリオンに似た人種であった。
「き、君は少々慎みか自重というモノを知るべきだと思うのだが!」
「うるさいっすよーおじ様。いい歳ぶっこいた方が若者に色目使ってたら世話ないっすよー。というか、まあ、本音を言えばアリエス以外なら別にいいんですけどねー」
「言われも無い事で侮辱しないで貰いたいモノだが。というか、流石に今回はやり過ぎだと思うのだがね」
「あはは、笑って流す度量を見せて下さいよおじ様。で、何話してたんすか~?」
「師匠にリターンマッチしたいな、って話ですわ」
抗議してくるレオナールを無視してメサイアはアリエスに問いかけ、アリエスは会えば何時も似たような行動をする二人の姿を摘まみにコップの中のマルベリッテ・ヴィヴァレートを飲む。
ソレを聞いて、ふむ、とメサイアは腕組みしながら何か思案顔を見せた。
「面白そうッすねー。それ私も参加していいっすか?」
「……君はデルタ・ファイブの副リーダーだったように思えるのだが?」
「あ~いいんすよ~、あたしが抜けても。だってうち、双子座のカストルが『射手座のレイファンがリーダーのデルタ・ツーには負けんぞォー!!』とか一人で張りきってましたから、ハッキリ言って着いてけないんすよねー。他にも何人か不満に思ってたらしく、あたしに止めてくれって頼みこんで来る始末ですしねー。それにあたしとしても、急ぎながらもそれなりに楽しみたいって感じなんすよねー」
「まあ、双子座のカストルは射手座のレイファンをライバル視してましたし、それは仕方が無いんじゃないですか?」
「まあ、確かにそうなんだけどさー。でもね、今日隊が全滅したのって、カストルが急ぎ過ぎて疑似魔獣がトレインしちゃった事なんだよねー。しかも転移ポータルの出現条件がフィールド内魔獣掃討ってやつでね、地道に一つ一つ潰して行けばそこまで困難でもないようなものだったんすが、もう、そのフィールドの疑似魔獣プラスアクティブトラップ全部引きつけました、的な? 三個大隊みたいな? 視界一面魑魅魍魎、みたいな? もうね、一応運よくフロアボスエリアに入らずに八十九階まで行けたんだけど、流石にあれは無理だったねー。うん、ちょっと無理だったね。数は暴力だよ……うん……」
若干遠い目をして虚空を見つめるメサイアにアリエスとレオナールは苦笑いしつつ、明日どうするのかについて、夜遅くまで会議と説得は続いたのであった。
アヴァロン迷宮攻略イベントのアリエス達の初日は、そんな感じで過ぎて行ったのである。