第三十二話 一日目 水瓶座と魔術総帥と死骸と、あと戦場のオオカミ・前編
八十三階火山ステージの、グツグツボコボコと音を立てながら爆ぜていた溶岩を越えた先にあった円盤状の転移ポータル――後で聞いた所によると、戦闘力の劣る者が疑似魔獣やトラップから逃れる緊急手段として逃げ込む事が多いため、脱出ポータルと呼ばれているらしいのですが――に乗り、一つ上の八十四階に到達したのは、丁度午後四時を少し過ぎた時の事。
今回の唐突な迷宮攻略イベントは朝の八時に開始され、現在は午後四時だから、つまり八時間程で八十四階まで辿り着いた事になります。
ですが、まあ、私達二十四人の戦力で持ってすればそこまで困難な事でもありませんし、六十階手前までは魔獣の能力を幾分か劣化させた疑似魔獣しか出てこないので、私の力を持ってすれば軽く撫でるような一撃でも瞬殺できました。
それに、八十階まではせいぜい本物と同じ性能をしたハ級止まりでしたので、これは当然の結果でしょう。
ただ、それだけしか要因が無かったならばもっと速く到達出来たというのも驕りではなく、純然とした事実として言っておかねばならないでしょう。隊員の一人一人が高レベルの実力者ばかりで構成されていますし、イ級の竜種を屠った結果、肉体強化と特殊効果付与のニ系統を併せ持つ混合レアスキル<竜殺>を持っている私には、対等なイ級の竜種以外は下等な魔獣しかいなかったのですから。
しかしそれでも現実、八時間もかかっている。
となると、それはつまり、雑多なクエストを一切無視した速度重視だったのにも関わらず、八十四階まで来るのに八時間も時間を消費させたカナメ様のダンジョンが尋常じゃない、と言う事ですね。
事実、この私が一、ニドット程度なれども、自身のライフポイントが削られているのがその証拠かと。
レアスキル<竜殺>は、肉体を竜のそれにするようなものですから。
そんな私が参加者登録をしたのは、何も詳細な説明も無いままに集合させられた飛行場から引き揚げて、親友で同僚のメサイアと軽く昼食を済ませてから、さあ何をしようか、と話し合っていた時にオプションリングから流れた、カナメ様の宣伝放送が終わったのと殆ど同時刻の事。
こんな面白そうなイベントに参加しないなんて嘘ですよね。それにあのカナメ様による「鬼畜マゾゲー」発言。興味がない訳、無いじゃないですか。
私は、自己を高める事に至極の悦楽を感じるタチですし。
だから嬉々として登録して、それからそんなに時間を開けず、今回の総司令官を担う左大臣――アイデクセス・グラッドスートゥン氏よりオプションリング経由で指令が下されたのも、それは私の実力を考えれば普通だし自然、と言う物でしょうか。
下された指令によれば、誰よりも速く階を進め、一刻も早く最深部に到達しこのイベントを終わらせる事が目標となる攻略組として特別に編成された全五十組の一つ、第七混成攻略兵団<デルタ・セブン>の副リーダーとなり、隊を纏めつつ迅速に攻略せよ、というもの。
ちなみに親友で同僚のメサイアは第五混成攻略兵団<デルタ・ファイブ>の副リーダーですが、まあ、それは置いておいて。
指令に別に異存はなかったのですが、私が副リーダー、というのは若干癪に障ったのは事実です。
もし私よりも能力の低い者ならば、無理やりにでも行動不能にしてやろうかとも思いました。私が認めない者に上に立たれるなど、私のプライドが許しませんから。
ですが、<デルタ・セブン>のリーダーがアヴァロン最強の魔術師集団<魔が討つ夜明け>の長を務め、アヴァロンにおける魔術総帥の称号と地位を持つ偉大なる黒い男事、レオナール・クーガ・ライオネット氏だと知った時は、まあ、それなら仕方がないですわね、と納得し拳を納めました。
レオナール氏は、自分は安全な場所から一方的に敵を蹂躙する遠距離戦という血潮が沸き立たない戦闘を好む者が多い、私から言わせれば無粋の極みのような戦闘を展開する魔術師の中で、私が認めた数少ない御方の一人ですから。
彼は間違いなく天才、いえ、鬼才、でしょう。
一応、近距離戦用魔術を操る私が見ただけでは理解できないような複雑怪奇な魔術を操りますし、何より私の、いえ、アヴァロンに暮らす女性の大半が憧れを抱いているポイズンリリー様の弟であり、アヴァロンに存在する全ての魔術師の師で在ると同時に敬愛するカナメ様を守護する法剣、機玩具人形五男・魔道元帥テイワズセカンド様が特別に目を掛ける教え子なのですから、天才鬼才は当然と言えば当然でしょうか。
話していても気持ちにいい方ですし、好感は持っています。
「ふむ、時にアリエス嬢。今現在、我らが遭遇している現状をどう推察するかね?」
レオナール氏が私にそんな事を問うた。
それに、私は今見ている光景をそのまま返す。
「見ての通りでしょう、レオナール氏。私達の次の相手は、愚かにも死んでいる事に気付事無くそのまま現世に留まる唾棄すべき穢れであり、醜悪極まりない<動く死体>に<貪る死体>と<宵闇を歩く者>の雑兵が約数千体……あとは、それら雑兵を率いる知恵を持った不死者<死者の王>などが数体の、不死属性種の魔獣で固められた軍勢ですわ」
「くくっ、相違ない。しかし、相変わらずアリエス嬢は言い方がストレートで気分が良いな。だが、やれやれ、カナメ様も、人が悪い。本当に、容赦がない。漂い充満する腐臭で我の鼻が今にも曲がりそうだ。実質的には密室だから、風も生まれないようになっているのか。何ともまあ、集中力に欠けるな」
「ここで頷くのは不敬罪に当たるとは思いますが、今回ばかりは、同意致します。カナメ様も、わざわざこの様な下等種を配置しなくても……。本当に、今回の魔獣達は、私を苛立たせるだけですわね」
転移ポータルから辿り着いた八十四階は、手にし広げた羊皮紙製の地図によると、墓場フィールド、らしい。
もっとも、それは視界の果てまで乱立している数千を超えるだろう古びた墓石に、見上げれば星も月も何もない墨汁を垂らした様な真っ黒く不気味な空、更には至る所でぼんやりと青白く光り漂う鬼火の御蔭で、このフィールドは陰気で腐臭が漂う、不気味で不吉な雰囲気で充満している場所なのだから、誰がどう見ても墓場、と表現する以外に選択肢はないというモノ。
まあ一応、漂う鬼火によって特に何かスキルや魔術を使うまでもなく視界は確保できているのは行幸、といえばそうなのかもしれません。
真っ暗でしたら、私やレオナール氏は大丈夫でも未熟な隊員には幾人か、まだ出ていない退場者が出ていたかもしれませんし。
しかし鬼火が在るからこそ、見たくもない物を見てしまうと言う事もあるのですけれど。
「うはっ……あ~も~最悪。臭いし汚いし、もうヤダ~。あれに近寄りたくな~い」
「あ~、あれ系の魔獣ってさ、基本的に不死身なんだよな~メンドクサッ!! 倒すのってミンチになるまでか核壊すまで、だよな?」
「肯定。死骸を動かす核、または死骸を原形も留めないレベル――つまりミンチになるまで強引に磨り潰すしかない。魔獣ランクが低くとも、そのタフさは異常。なかなか、侮れない」
「それにただでさえタフなのに、触られたら普通に腐蝕・不運の一時的なバッドステータスあり、とかマジ勘弁ぜよ」
「そうだけど、その前に臭いでやられると思うけどね」
「ああ、違い無い。詰まる所、やる気がでんぞ、これは」
隊員の面倒くさそうなため息と愚痴が零れる。二十四名全員が全員、今回のステージにはやる気が削がれているのは恐らくカナメ様の目論見通りなのでしょう。本当に、人を弄るのが好きな方だ、と一人思う。
まあ、腐った死体にやる気を出せという方が暴論ですが。
視界に映る墓場には、ひどく緩慢な動きで、ノソノソと、ユラユラと、しかし確実に距離を詰めながら此方に向かってくる死骸の大軍が配置されていた。
それの大部分を構成しているのは<動く死体>に<貪る死体>と<宵闇を歩く者>の大体三種類。魔獣ランクは<動く死体>に<貪る死体>はヘ級、<宵闇を歩く者>だけは一つ上のホ級ですが、耐久性だけで見ればどれもニ級に近い。
<動く死体>は嫉妬や怨念などの不浄な念に汚染された魔力溜まりの近くに偶々あった人間か魔族の死骸によって生じ、<貪る死体>は特殊系統魔術によって強制的に操られた人間か魔族の死骸の成れの果て、そして<宵闇を歩く者>はそれらの強化版、とでも理解すればいいでしょう。
彼らは総じて生きてはいない。死んで、死んだ後も仲間を求めて命ある者を襲う害虫です。元々が死骸なので、大抵は何処ぞかにある中枢である核を砕くか、その身を完膚なきまでに壊すしか討伐法がない、という厄介極りない存在。
もげた腕だけでも襲ってきますしね、この害虫は。それに殺されれば強制的に仲間になってしまうのも厄介な特徴の一つでしょうか。
そしてそれらを率いる<死者の王>は、生前魔術などを用い非人道的な実験を繰り返したその末に自身の不死化を図った魔術師の成れの果て、ですから、当然魔術を使ってくる面倒な部類の魔獣です。が、今はどうでもいいでしょう。
数が少ないですし、魔術が効かない私としては心底どうでもいいので。
あと兵隊の三種類は地面から僅かに振動を感じるので、まだまだ出現する可能性は高い、というよりも絶対でしょうね。中には<死者の王>も居るかもしれませんが、それは置いておいて。
ただ、私がこの程度の相手に殺される可能性は何千何万体に囲まれてもあり得ないのですが、先に進めないという部分では厄介なのは変わりません。
後それに、もう限界ですね。グダグダと話して何とか気を逸らそうとしていたのですが……。
……あ~もう、この腐った肉の臭さッ!!
臭い、臭い、臭い臭い臭い臭い臭い臭いッ! 何ですかこの臭いは! 腐臭、肉の腐った臭い、こんなのに一分一秒も我慢したくない、我慢しなくていいような環境にしたい。こんな臭いをだすゴミはさっさと焼却処分されればいいと本気で思う。
我慢できずにイライラして精神の波が大きく荒波を造り、今にも走り出して全てを屠ろうかと前傾姿勢になる。
まるで肉食獣が獲物を狩る直前のような姿勢。
本能の赴くままに腐った肉を殴りつけて粉砕し、蹴りを撃ち込んで爆散させ、その存在全てを消失させて臭いを断てと本能が急く。そうなるように肉体に命令を出そうとする。
でも、触れたくない、近づくのも嫌だと私の理性が訴え、本能と理性が真正面から衝突して、辛くも理性が勝利した。
あるとは思えないですが、万が一、億が一、飛び散った腐った肉片が聖鎧に付着でもすれば、間違いなく私は視界に映る全てが動かなくなるまで暴れてしまうでしょうし。
だから――
「レオナール氏」
「何だね、アリエス嬢」
「近辺の地表は私が凍らせて足場を確保しますし、その他の者もレオナール氏を護衛しますから、飛びっきりの広域破壊魔術、お願い致しますわ。あれ、掃除して下さい」
――私は最低限だけ動く事にして、後始末はレオナール氏に押し付けた。
「そうだね。それじゃあ、三十秒ほど稼いでくれたまえ」
「三十秒程度、容易い事です。というか、三十秒程度稼げないはずがないじゃないですか」
応え、ギュッ! と私は拳を作った。
常時レアスキル<拳剛家>によって強化されている身体が造ったこの拳は、巨大な岩石破壊などに多用される炸薬加速式突貫鎚・獲流埋離堕と同程度の破壊力を持っている。
しかしその程度は私が所属し、このデルタ・セブンに私の他に四名ほど配属されている<使徒八十八星座>の隊員なれば誰もができる事。
だが私は近接戦闘のエキスパートで構成された<使徒八十八星座>の中でも、更に特殊な存在だった。
身に纏う聖鎧は青銅聖鎧でも白銀聖鎧でもなく、その上に位置する水瓶座の黄金聖鎧。
全ての原子がその動きを停止さえる絶対零度でしか氷る事は無く、また如何なる攻撃だろうとも例外を除けばほぼ完全に撃ち滅ぼす堅牢な城壁にして自己再生能力を持った聖なる衣。付加された<対魔力>に近い特殊な特性によって多種多様な魔術に対応し、黄金聖鎧の前ではその効果を殆ど発揮する事無く霧散する。
だから私の身を護る黄金聖鎧は、防具であると同時に武具である。そしてそれを纏う私も、黄金聖鎧が無くとも一つの戦略兵器としての力を持っていた。
最初に言っていたように、自らの肉体一つで竜を殺し、死ぬ間際に流れ出る最後の生き血を全身に浴びる事によって得られる、肉体強化と特殊能力付加のニ系統を併せ持つ混合レアスキル<竜殺>を有していて、これだけでも十分に化物と呼べるでしょう。
その上更に特殊系統に分類されているレアスキル<気討使>は、魔力や筋肉とは別の力である、<気>を自在に操れるようになる。
そして私の拳はそのレアスキルを全て発動し重複強化させたもの。
つまり気を纏わせ、<拳剛家>と<竜殺>で重複強化された拳はイ級の竜種の鱗をも穿つ威力を秘め、全身の力で繰り出す足技の全ては敵の肉を紙のように切り裂く。空に撃てば天の雲を穿ち、地面を蹴れば岩盤を砕く。発動させた状態だと下手に触れるだけで弱者は爆ぜ、強者も純粋な物理攻撃に屈服する。
そんな攻撃力と防御力の全てを注ぎ込む接近戦を好む私が超絶な防御力を持つ黄金聖鎧を着ればどうなるか、火を見るよりも明らかと言うモノ。そして黄金を纏う者は、大抵私と似通った実力者ばかりです。
だから黄金聖鎧を纏う存在の事をさす黄金十二宮とは、人にして人ならざる者だけが得られる称号を持った、化物です。
「<氷河期の棺桶>発動」
<拳剛家>と<竜殺>によって重複強化され、レアスキル<気討使>により発生する気を拳に纏い、その上から駄目だしとばかりに水瓶座の黄金聖鎧に備わっている特殊能力が一つ――<神酒を注ぎし者>によって、黄金聖鎧が氷るギリギリ一歩手前である−270度の氷気を更に追加。
それによって今や私の拳に氷らせる事の出来ないモノは、殆ど無くなった。
触れる手前で敵を氷らし、その後から襲う拳で粉々にする氷拳。
当然使用者である私が寒気を感じる事はありませんが、それによって周囲の温度は急激に下がり、隊員が吐く息が白くなるが気にしません。
私が何かしなくても身体が凍らない程度には各自何か防御策を張っているでしょうし、例え何も無くても最低限度凍らないようにレオナール氏が温度を魔術で確保してくれるでしょうから。
「巻き添えを喰らいたくなかったら、空に飛びなさい」
だから後の事は気にせず、考えもせずにそれだけ言うと、私は地面に拳を振り落とした。私とレオナール氏を除く隊員二十二名が反応できるように、緩慢な速度で振り落とされたソレ。
タタンッ! と軽快な跳躍音を鳴らしながら、レオナール氏を除く二十二名が空に上がった。感覚で十メートル程跳んだと分かり、しかしそんなに距離を取らなくても、と思いはするがその思考はすぐさま排除。今は関係ないし、無駄ですから。
ちなみにレオナール氏はレオナール氏で私が掃除を頼んだ時から飛行魔術を使って三メートル程上空にホバリングしているので、足場を無造作に凍らせる一撃の射程外。なので、問題は無い。
何の憂いも無くなった私の拳が地面に触れる。瞬間、ビキリビシリピシリと音を立てながら氷の大地が広がっていく。
円状に広がって行く氷の大地は急速に、一切止まる事無くフィールド全体を駆け巡り、地中で出番を今か今かと待っていたであろう不死者全てをそのまま地中に封じ込めた。低級不死者如きに、私の氷が破られる可能性は皆無です。
それに例えレオナール氏が高威力の広範囲魔術を放っても、一発かニ発は問題なく耐えられるようになったそれら。多少理不尽だったとも思えなくもないですね。
「これで……って、あらあら、まさかこのような結果に終わるとは、どうやら私は少々買い被っていたらしいですわね」
視線を地面から周囲に向ける。先ほどの一撃で足元から徐々に氷っていく魔獣らに、私は、はぁ、と一つため息を付いた。まさか、あの程度の攻撃を避ける知性も無かったとは……。いえ、当然と言えば当然過ぎる結果ですね。
何せ、知恵や理性的な思考というものが皆無なのですから、当然危機感というモノが初めからないのでしょうね。何も考えず、ただ愚鈍なまでに仲間を求めて彷徨い歩くのが、不死者なのですから。
「ふむ……相も変わらず容赦が無いようで、アリエス嬢。氷原とは、なかなか絶景ではないか」
「ここは黙っておいて欲しいですわね、レオナール氏。私、自分の間抜けさに苛立ちを感じていますから」
墓場フィールドから一転し、八十四階は氷結フィールドに変貌していた。
氷浸けの数千もの死骸が乱立しているそれらは、死骸を封じ込めた氷柱という不気味なオブジェクト群と化していた。ただ、氷柱で乱反射する鬼火の光が何ともまあ、不思議な調和を成していたソレらを、私は侮蔑に塗れた視線を向ける。
一応不死者の中で唯一優秀な知性を持った<死者の王>はギリギリで避けていたようですが、最早何ができるのか、というものですね。
ロ級の<死者の王>が手足も無く私に害を成せる術などありませんし。
「見てくれも最低なオブジェクトですね。レオナール氏」
「何かな、アリエス嬢?」
「その後方に控える、馬鹿みたいな数の魔術陣群から推測するに、もう構成は済んでいるのでしょう?」
「肯定だよ。もっとも、術理を紡ぎだすのに本当は三十秒も必要なかったのだがね。十秒もあれば、この程度は容易いさ」
「私を謀った、という事ですか……」
「この階層の敵を排除するのに私は必要なかったものだからね。無駄は、省くべきだよ。なにせ魔力は有限だ」
「……今は、抗議は止めておきましょう。その引き換え、と言えばいいでしょうか。構築し終わった魔術で掃除していただけないかしら? あれ、不愉快です」
「元々、そのつもりなのだから何も問題も異論もないさ……<聖皇の福音>」
上空に漂うレオナール氏の軽く撫でるような手の動きと共に、後方の魔術陣群から邪を滅する聖光が墓地全域に降り注いだ。
聖光を放つ魔術陣の数は、凡そ二百。普通の魔術師では考えられないような速さと正確さで描かれた膨大な数の魔術陣群には、知っていても少々呆れましたがレオナール氏なのでそんなモノだと勝手に納得して、面倒な思考に時間を割く事を省略しましょうか。
などと考えている間にも聖光は氷原を蹂躙する。
降り注ぐ浄化の光りに撃たれ、致命的な一撃を浴びた<死者の王>は、ギャアアアアアアアアアアアッ!! と断末魔を上げながら一瞬でライフポイントがゼロになって灰と化していく。氷原に乱立する不細工で醜悪な氷のオブジェクト群もその中身が浄化され、空洞となった氷柱が出来上がる。
その数、当然ながら数千以上。
聖光による掃除は、ものの数秒で完了した。
掃除が終わると氷気にやられてか、浄化の光りによるものなのか、原因が除去されたからなのか、それは分かりませんが漂い充満していた腐臭は完全に無くなり、ここについてから初めて私は大きく空気を吸い込んだ。
冷たくも心地よい清浄な空気が肺を満たす。瞼も閉じて、先ほどまで見ていた醜悪な魔獣の姿を掻き消していく。覚えていても不愉快ですから。
そしてようやく記憶から消し終わった後、再び瞼を開ければ不気味だった墓場が、今や一種の芸術のような催しとなっていた。
複雑怪奇なトラップがあるよりも、こうやって遮蔽物が無いから一掃出来るフィールドが多ければもっと楽なのに、と思いながら私は圧倒的なまでに暴力的な氷と光りの蹂躙がなされた墓場フィールドの姿を見る。
実にあっさりと終わったように見えるでしょうけれど、普通ならここは、こんなに素早く終わらせれるレベルではない。アヴァロンの国民がどんなに優秀でも、平均的な実力しかなければ大軍戦を強いられていたという事ですからね。それこそ鬼畜マゾゲーレベルだったはずの場所ですね。
戦争は基本的に数が多い方が勝ちますからね。
今回は、ただ相性が悪かったという事でしょう。
■ Δ ■
黄金十二宮が一人、水瓶座のアリエス・フィメルマや、偉大なる黒い男のレオナール・クーガ・ライオネットが率いるデルタ・セブンの面々が、氷原と化している八十四階墓場フィールドにすぐさま戻りたいと思ったのは、八十四階の転移ポータルに乗って八十五階に進んですぐの事だった。
しかし戻る事は次の日の最初じゃないと出来ないように設定されているので、このまま進むしかアリエス達には選択肢が無かった。
鬱々とした感情が隊員の顔に出ている。
アリエス達が戻りたい、と思った八十五階は鉄血エリアと呼ばれる場所で、何処までも荒涼とした大地が続く場所だった。空は燃えるような朱色、鉄分を多く含んだような赤茶色の大地。
ただ鉄分と言っても、血液の中に含まれていたような鉄分である。
――戦場。
そう。八十五階はまさに、戦場そのモノの様な場所だった。
人間が魔族が殺し殺され、傷つき傷つけ、喰らい喰らわれ、血を流し血を流させ、涙を流し涙を流させて、お互いがお互いに命を削り、切り分け啜る様な、狂気渦巻く無情な戦場だ。
現に周囲にはヒトの臓腑が飛び散り、切り離された四肢が転がっている。虚空を見つめる瞳と憎悪に顔を歪めて転がる頭部、潰された胴体から飛び出る潰れた内臓、複雑な曲がり方をした腕部、斬りそこなったタクアンのように薄皮一枚で繋がっている脚部。
夥しい量の鮮血と肉が、この世界を彩っていた。
「オブジェクト、だけではないですね……」
アリエスは近くに落ちていた腕を手にした。
この階層を彩るオブジェクトか、と思い手にしたがまだ若干温もりがソレにはあった。この腕は、オブジェクトではなかったのだ。
現にオブジェクトなら『アイテムを獲得しました。入手しますか? YES/NO』と問うメッセージが視界の中に投影されるはずである。しかし今回はそれがアリエスには見えなかった。
つまりそれは、アリエスが手にしている腕は誰かの斬られた腕である証明に他ならない。
しかしこれだけならば、まだアリエス達が戻りたいと思う要因にはならなかった。この程度は、皆慣れている。
戻りたい、そう思った原因――
「ガハハハは、ハハははハハッ! おらァ、もちッと気合を入れんかィ! 気を抜くと一瞬で死んじまうぞおォ!」
「ヒ、ヒィアアアアアアアッ!」
「チキショウ、ドチキショウッ!」
「かか、勝てるかよ! こんなのって有りかよ!」
アリエス達とは若干離れた場所で、十数名の人影が動いていた。先ほどの叫び声は、そいつ等が発したモノである。
魔術師かそれに属する能力を持っているであろうローブを着て杖を構えた男女数名に、剣を構えたり斧を担ぎあげた男女が数名という内訳である。
彼ら一人一人の実力を考えれば、普通ならあのような無様な叫び声を出すなど考えられない。ここに到達しているというのは、彼らもアリエスやレオナールが率いる攻略組デルタ・セブンと同じ攻略組の一隊のはずだからである。
そして戦闘を展開しているのだから、アリエス達デルタ・セブンよりも速くここに来るほどの実力を持った連中という事になる。無論ただ運が良かっただけかもしれないが、それでも実力があるのは否定できない事実である。
しかし今、彼・彼女らの前には、一人の……いや、一匹の……いや、一体の捕食者が君臨していた。
アリエス達デルタ・セブンに背を向けた状態で、先に来てしまったが故に遭遇した不運な他の攻略組を相手にしている捕食者は、一本の宝剣を片手に十数名の攻略組と互角の戦いを――否、一方的な蹂躙を行っていた。
捕食者の体長は280センチ程と非常に高く、剣を振う腕は大人の男の胴体と同じくらいの太さが在った。それだけでなく、捕食者の全身には身体の大きさに見合うだけの隆起した筋肉が、まるで鎧のような風体を晒している。
このエリアのように血臭を纏い赤茶色い体毛に全身覆われていても、その筋肉の形だけはハッキリ見えているのだからその筋肉といったら、最早ある種の芸術である。
だがそれよりも人目を引くモノが捕食者にはあった。
それは、頭部。
肉食獣のように獲物を丸ごと食べる為に大きく裂けた口角に、ナイフのような鋭さのある鋭牙がズラリと並んだ口腔内。噛みつかれればただでは済まないとそれを見ただけで直感できるというモノだ。あの大きさならば、人の頭を三つは纏めて噛み砕けるのではないだろうか。鋼でもバリバリ喰えそうな感じさえする。
そしてその鋭牙で噛み砕く獲物を求めるかのように、爛々と金色に輝き、ナイフのような鋭さを持った瞳が周囲を素早く観察している。頭にはピンと上に突き出た三角形の大きな狼の耳がピクピクと動いていた。
捕食者の頭部は、動物の頭をそのまま取り付けた様なものだった。
――狼男。
捕食者を一言で言えば、そう言う事になる。
そしてアリエス達が見ている狼男は、全身が赤茶色い体毛に覆われている為に服、と呼べるモノは極端に少なかった。
唯一履いているのは強靭で金属製の鎧以上に硬く、それと同時に弾力性に優れた黒竜の皮製の簡素なジーパンのようなモノだけだ。
「ガハハハははハ、ハハハハハははッ。ちィーとはやる気を出さねェーと、四肢ぶッた斬ッてだるまにしちまうぞィッてんだァ!」
などと無茶苦茶な事を言いながらも、狼男は手にした宝剣――<阻める物無き蛮勇の剣>を振りまわし、ビュンビュビュンと風切り音を響かせる。
長さニメートル、幅が十センチ程の長剣の形をしている<阻める物無き蛮勇の剣>は、振われる度に魔術師が張った魔術の障壁を何も無いかのように切り裂いた。
当然それを張っていた魔術師は驚愕を浮かばせ、身体がズルリと斜めに動かせながら地面に倒れる。
一応偽身体なので臓腑が零れ出る事も無く、また大量の鮮血が出る事も無かったものの、しかしその一撃の強力さは一目で分かる。パクパクと金魚が空気を求めているかのように魔術師の口が動くが、それも暫くすると動かなくなった。
そして身体がずれるような一撃を受けたのだから、当然魔術師のライフポイントはあるはずもなくゼロ。魔術師は一撃で死んだ。
ただ殺されてから二十秒の間だけは、全モンスターから極低確率でドロップするように設定されているレアアイテム<不死鳥の尾羽>で復活できるものの、誰にも使われる事が無かった魔術師は外に強制退場されてしまった。
それは<不死鳥の尾羽>を持っていなかったからでもあるが、例え持っていても使う事はできなかっただろう。
「一撃たぁー面白くねェーぞォ!!」
魔術師を一撃で葬った剣戟をクルリと返し、下から上に跳ねあがるような剣戟が斬られた魔術師の近くに居た聖霊祈祷師を襲い、魔術師と同じ末路に突き落とした。
一応聖霊祈祷師は透明のキューブの形をした<紡がれる柩>、と呼ばれる特殊な魔道具によって生じていた堅牢な空気の塊によって護られていたのだが、<阻める物無き蛮勇の剣>はそれも纏めて斬り伏せてしまったのだ。
「――ック、ソオオオオオオオオッ!!」
「いい気迫だァーブリムスゥ。がァ、俺を殺すにャ足りねェーぞォ!!」
先ほど斬られた聖霊祈祷師が彼女――レアスキル<聖霊祈祷師>は女性の一部が生まれ持つしか得られないため――だったのか、白銀聖鎧を身に纏った猟犬星座のブリムス・メルザイムが怒りに身を任せて、残像でも残しそうな速さで狼男に突っ込んだ。
何も考えず、感情のままに造られた全力の拳は白銀聖鎧に保護されつつも、その防御力を攻撃力に変換させて、真正面から<阻める物無き蛮勇の剣>と衝突した。
普通の剣だけでなく、神剣魔剣の類であろうとも白銀聖鎧に保護されたブリムスの拳を防ぐ事ができず、粉砕されていたかもしくは拮抗していた事だろう。
ブリムスの一撃と白銀聖鎧の防御力は、それほどまでに強烈なモノだった。
だが、あろうことかブリムスが着ていた猟犬星座の白銀聖鎧までもが抵抗らしい抵抗も出来ず、<阻める物無き蛮勇の剣>によって呆気なく切り裂かれる。
まるで紙を斬るかのように、抵抗らしい抵抗もできずに切断されていく。
そしてそのまま<阻める物無き蛮勇の剣>はブリムスの腕を切り分け、その胴体も二つに分断してしまった。そしてその結果、ゴチャッ、と鈍い音を立てながら宙に飛んでいた肉塊が地面に落ちた。
「おらァ、まだまだだろうがァ!!」
狼男が吼える。吼えて、次の獲物を求めて駆けだした。<阻める物無き蛮勇の剣>が振われる。
そしてそれを防ごうとした者のこと如くが防ぐ事も出来ずに斬り伏せられ、ライフポイントを失って死んでいく。生物の命などまるで蝋燭の火の様なものだと言わんばかりに、<阻める物無き蛮勇の剣>が振われる度に誰かが殺されていった。
抗えない、抗う事を許さないと言わんばかりの狼男の猛攻によって一人、また一人と、アリエス達デルタ・セブンよりも先に到着してしまった攻略組の一団はその数を激減させていく。
その中で何とか四肢を斬られるだけでライフポイントを全損させずに、ギリギリの所で死んではいない者もちらほらいるが、それだけだ。
誰一人として狼男を止める事は愚か、狼男のライフポイントを削る事も出来ていない。
<阻める物無き蛮勇の剣>
鉄血エリアを支配している狼男――機玩具人形次男にして特攻駆逐型として造られた<狼顔の狂戦士>の固有兵装として採用されているソレは、<確約されし栄光の剣>などの様に飛ぶ斬撃を撃つ事ができる、や、<聖なる湖水の剣>のように刃毀れせず壊れもしない、などの特殊な効果が一切ないかわりに、その刀身が触れたモノに斬れないモノは何一つない、というたった一つの強力な概念が封じ込められている。
だから、<阻める物無き蛮勇の剣>は側面を強打されたりすれば壊れてしまう可能性があった。強度的には、普通の名剣程度だろう。
だが斬ると言う概念だけを追求しただけに、魔術だろうが金属だろうが宝具だろうが、その刀身で斬るモノが何であろうとも、<阻める物無き蛮勇の剣>は防げない。防ぐ事ができない。防ぐ事が許されないのだ。
だから例え凡夫であろうとも、先に斬る事ができれば機玩具人形であろうとも斬る事ができる、出来てしまう宝剣だった。
そしてそれを操る特攻駆逐型の狼顔の狂戦士は、超接近戦特化型である。
遠距離攻撃法を一切保有していない代わりに、ウールヴヘジンでは近距離戦に置いて、機玩具人形最高の攻撃力を有していた。
彼は純粋な暴力によって蹂躙する、その名の通りの、狂戦士である。
「ガハハハハははハハハハハハははッ! おらおらァ、もうちッと俺を楽しませんかッ」
大きく裂けた口からそんな罵声が飛ぶ。
その度に<阻める物無き蛮勇の剣>が空を両断するような速度で縦横無尽に走り、その斬撃を避け切れなかった誰かが悲鳴を上げながらその身を地に横たえて行く。そして殺せば殺すほど、その速度は上昇していった。
狂戦士としての本能が喚起されていくからだ。
それはあまりにも一方的な、狩りだった。
「んだァ、終いかよ……ッと、何だ。次が来てんじャねーか。ッて、おお、アリエスにレオナールじゃねェかァ、こりャちィーと楽しめそうじャねェーかよォ」
数分と経たずに攻略組の一つを壊滅させたウールヴヘジンは、そこでようやくアリエス達が来ている事に気が付いたのか、ニヤニヤと好戦的な笑みを浮かべながらアリエス達と向き合った。
「私としては、何故貴方様がここに居るのか気になる事なのですが……」
冷や汗が頬を伝うのを感じつつ、アリエスは若干の時間稼ぎをするためにそんな事を言った。
既にレオナールはデルタ・セブンの構成員二十四名に対して補助系魔術を展開する為に、その準備に取り掛かっていたからだ。
もしすぐに戦闘が始まれば、早々時間のかかる魔術を使う事は出来ない。
「あぁ? あ、俺ヵ? 俺ァカナメの奴に八十五階で来るヤツをォ、問答無用でェよう、ぶっ殺してもいいから、って言われてるだけだぜィ。お陰で、なかなか歯応えのある奴もチラホラ居たからァ、楽しめてるぜェ」
「つまり貴方様は八十階層のフロアボス、という事ですか……全く、先ほどの墓場フィールドといい、最悪な組み合わせですね。このエリアなど、まさに貴方様にお似合いですわ」
「んなぁ難しくて面倒なこたァどうだッていいんだよォ。俺ァ、この沸き立つ衝動が抑えられるならなァ」
そう言いながら、ウールブヘジンは大きく前傾姿勢をとった。太くしなやかな生体金属製の筋繊維が、加速する為の力を溜める。
<阻める物無き蛮勇の剣>を握る五指には力が込められ、オオカミの大きな口が獲物の生き血を求めるかのように大きく開く。
その姿は正に、肉食獣のソレであった。
「お前等相手ならァ、ここで狩った奴らの中で一番歯応えがありそうだァ。久々に、<終わる事無き殺戮衝動>を使ってもいいかもなァ」
ニィタァー、と凶悪な笑みがオオカミの顔に浮かぶ。
それを見たデルタ・セブンの面々に寒気が走るのと、ウールヴヘジンの巨体が動いたのは同時だった。
爆発にも似たスタートダッシュを決めたウールヴヘジンが最初に狙いを定めたのは、既に氷拳を造り待ち構えていた水瓶座のアリエス・フィメルマ。
未だ十代後半なのにも関わらず水瓶座の座についたショートカットの天才少女は、強烈な狂気を感じつつも怯む事無く嘗ての師と対峙していた。
獲物の勇ましさに対してか、かつての教え子の成長に対してか、もしくはそのどちらかなのか、ウールヴヘジンの笑みは更に深くなった。
オオカミの狂想曲が、始まりを告げた。