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第三十一話  一日目 アレクセイ第一班と炎の巨人

「――ッエィァァァァアアアアアアッ!!」


 気合いの乗った凛々しくも鬼気迫る声と共に、白と赤を基調とした騎士服を身に纏った同僚フェリオンの愛剣――炸薬加速式両断刀・撫裏十翔ブリジットが、まるで閃光のような速さで紅色に煌めいた。

 その原因は、手元のトリガーを引くことで柄内部に七個まで装填できる特殊な炸薬を爆発させ、行き場を求めた爆発のエネルギーが剣尖近くにある噴出口から吹き出し変化した紅の噴出炎と、瞬間的に凄まじい加速を獲得する炸薬加速式両断刀・撫裏十翔ブリジットの刀身が空に浮かぶ疑似太陽の光を反射させたからに他ならない。

 手首を返してトリガーを引くだけで、ゼロから最速まで一瞬で加速した斬撃を連続で繰り出す事を可能にするのが、撫裏十翔ブリジットの最大の特徴だ。そしてその性能を最大限にまで引き出せる使用者として有名なフェリオンが持つ撫裏十翔ブリジットの速度は他の奴が使うのよりも数段速く、実力の劣る俺がギリギリ見えただけでも一瞬の間に繰り出された三回の斬撃が、ほんの少しも防御する間を与えることなく敵を切り裂いた。

 今回の敵は、ニ級の魔獣に位置付けられた一角聖馬ユニコーンだ。白銀に煌めく体毛に、螺旋の巻く一角がまるで槍の様に額から伸びている。対魔力も高いため、魔術師である俺ではどうしても対処に困る相手だが、元騎士であり高速剣の使い手であるフェリオンにはあまり関係なかった。

 純粋なる物理攻撃に対して、対魔力は何の意味も成しはしないのだから当然か。

 高速剣で身体の至る所を深く斬られ、瞬く間にユニコーンの頭上に薄らと赤色で表示されていたライフポイントバーが、ヤスリで削る様にがりがりと減っていく。

 斬り付けられたユニコーンの体からは、当然の様に生々しい血飛沫は上がる。だというのに、ユニコーンの身体には一切傷がなかった。血飛沫があがったのにも関わらずである。

 最初は今まで見た事も無かったヘンテコな光景に小首を傾げたモノだが、しかしこれが今の現実なのだから納得しておくしかない。潜った門の中は、現実にして非現実なのだから。

 カナメ様が造る作品は総じて、俺達のような凡人では理解できないものだからでもある。


 不思議、その一言で全て事足りるだろう。



 などと考えていたら、フェリオンによって削られたユニコーンのライフポイントが、全体の約三割を残してようやく減少を止めた。体力は一切減っていなかったので、先ほどの攻撃で七割も削った事になる。その事実に流石だと感心のため息が漏れる。


 俺にもこれだけの技量があれば、とも思わなくもない。


 一度の連撃であれだけ減らせれば、あとは適当に数回攻撃するだけでもユニコーンのライフはゼロになって倒せる事だろう。

 だが最後の一撃とばかりに撫裏十翔ブリジットを加速させた勢いに負けたのか、フェリオンの身体が大きく流れてそこに致命的な隙を作っていた。

 これが最速を一瞬で齎してくれる撫裏十翔ブリジットが、取り扱いが難しい武器と言われる由縁である。加速を御しきれないと、武器に振り回される形となってどうしても致命的な隙を作ってしまうのだ。

 もしその隙を付いたユニコーンの鋭い一角による逆襲を喰らえば、盾を持たず身軽となり、瞬間的な速さと小回りで敵を翻弄する戦闘スタイルのフェリオンでは、苦し紛れでも痛恨の一撃に成りかねない。

 人間よりも強力な生命力を持った魔獣を舐めてはいけないのだ。三十センチ程もあるユニコーンの鋭角は、人体など容易く貫く破壊力がある。


 一瞬だけ螺旋を巻いた鋭角に貫かれるフェリオンの姿を幻視し――だがそれは単なる杞憂だったのだと思い知らされる。


 猛烈な連撃に怯んだユニコーンではフェリオンに反撃をする事もままならず、その隙に力強く繰り出されたフェリオンの回し蹴りを胴体に喰らい、ユニコーンの身体は大きく後方に飛ばされたからだ。

 どうやら先ほどフェリオンの体勢が大きく崩れたのは、ユニコーンが怯んで反撃が来ない事を見越した上で、次の攻撃となる回し蹴りに繋げるのに必要な動作だったようで、その為通常よりも加速の勢いが乗った一撃は約四メートル程もユニコーンを宙に浮かせたのである。

 一応補足しておくが、一見すると華奢なフェリオンが先ほど自分の体重の数倍はあるユニコーンの身体を四メートル程も蹴り飛ばしたモノの、それにはキチンと理由がある。

 フェリオンが自ら時間を掛けて端正に魔術刻印を刻みこんで造り、今も右手に付けられた黄金の輝きを放つ腕輪――身体強化系の魔術刻印が刻まれた魔術礼装<金剛ノ理>の存在があればこそなのだ。

 腕輪型魔術礼装である<金剛ノ理>を付ければ、誰でもあれぐらいはできる……と思う。


 いや、実際はどうなのだろうか。


 俺が<金剛ノ理>を付けた事がないので何処まで膂力が上昇するのか正確に把握していないし、一応フェリオン並の格闘技術は必要かもしれない。得た加速を逃がす事無く一瞬に込めるのは、想像以上に難しいのではないだろうか。俺には無理なので想像の域を出ないのが現実だが。

 まあ、面倒だから難しい事は抜きにして、本来のフェリオンの脚力ではユニコーンをあそこまで蹴り飛ばせないとだけ覚えていればいいと思う。


「ウーフェン! 予定通りに片付けるようにッ!」


「了~解、何だよ~……」


 フェリオンによって飛ばされたユニコーンが落ちるであろう地点には、<破邪の銀ミスリル>を主材料に、その他数種の金属を混ぜて作った<混合樹鋼ダマスカス>製の巨大なハルバードを手にした人狼族のウーフェンが待ち受けていた。

 俺達アレクセイ第一班の中では戦闘に置いて最強の双璧を成すフェリオンとウーフェンの鮮烈な連携に呑まれたユニコーンは、傷付いたその身を碌に護ることもできずに上段から振り落とされたハルバードの強烈な一撃をその身に受け、二つに分断されながら、当然の様に残りのライフポイントをゼロにした。


「ヒヒィ……ン……」

 

 悲痛な断末魔がユニコーンの口から零れだし、それを最後に二つに増えたユニコーンの体は段々と色褪せて、やがてはただの灰に変化する。

 この灰こそさっき迄動いて俺達を襲ってきていたユニコーンがいたという名残であり、門の中で出てくる魔獣は、全て生きているようで生きてはいないという、証明なのだろう。

 そして唐突に吹き抜けていった風に灰は巻き上げられ、一握の灰も残す事無くまるで幻の様に消え去った。 

 その光景を、何故か寂しいと俺は思った。

 偽物とはいえ、確かに動き、仮初でも生きていた存在が痕跡も残さず消えてなくなるのは、何故か無性に寂しく感じるからだ。


「あらら~やっぱり二人の連携はバッチリで、片付くのも速いですね~。でもでも、わたくしシキと相棒のマンティスも負けていないのですよ~! ね~マンティス~!!」


 人が黄昏に浸っていると、若干遠くから犬っころ元気爆裂女の大声が聞こえた。

 やれやれ、と思いながらゆっくりと振り返れば、そこには予想通り狼に酷似した、体長が280センチ程もある中型魔獣――種族名は灰氷狼フェンリルウールブと呼ばれるハ級の魔獣で、名をマンティスと飼い主であるシキは言う――の背に乗ったウーフェンと同じく人狼族の少女、シキ・シューベルナが銀色のウェーブヘアから飛び出た犬耳をピクピクと動かし、パタパタと水着のビキニに酷似した民族衣装から伸びる尻尾を揺らしながら近づいて来ていた。

 シキはアヴァロンでは珍しくない、と言うかカナメ様の作品によって国民のだいたい三割近くが持っているレアスキル<魔獣使いモンスターテイマー>の持ち主だ。

 なので、本来なら恐るべき強敵である中型魔獣マンティスは敵ではなく、シキを護る雄々しき鎧であると同時に外敵を駆除する為の生きた剣なのだ。

 それと戦闘民族として知られる人狼族の一員であるシキ個人の戦闘能力も、決して侮れるほど低くはない。腰に佩いたニ本のハンティング・ナイフから繰り出される連撃は、そうそう見切れるモノじゃない。自由奔放なシキらしく、その時その時の直感または考え無しの攻めなので、先を読み難いと言う事である。

 それに速さだけで言えば、シキは俺達アレクセイ第一班最速だ。

 ただシキとマンティスの連携は、小さい頃から一緒に育ったという長年の付き合いなだけにフェリオンとウーフェンの連携をも凌いでいるのだが、まあ、総合的な戦闘面ではやはり少々決定力に欠けていた。

 主にシキが大事な時にポカミスをするからである。

 

「そっちは何体狩ったんだ?」


「わたくしシキとマンティスは、ホ級の炎輝猿フレイムモンキーを四体ほどを瞬殺です! 後ろのテトラはへ級の狂躁狐バンディッシュを八体程ですね~。って、あら、テトラはさっきまで後ろに居たんですが~何処に行ったのでしょうか?」


 後ろを振り返りながら、しかしはて? と小首を傾げたシキに何してんだよ、という意味を込めた視線を送っていたら、不意に服の裾を引っ張られた。

 まったくの予想外な事態ではあったが、条件反射的に俺の視線は下を向く。


「頑張ったよ……褒めて褒めて」


 クイクイ、と引っ張ったのは、イエローアッシュなショートヘアと何時も眠たげな眼が特徴的な、アレクセイ第一班の一番の問題児、テトラ・シュバインであった。


「あ~……よく頑張ったよく頑張った」


「うん……」


 別にその気はなかったのだが、ちょっと返事を考える為に間を置くと涙目になったので、半ば反射的に少しだけ突き出された頭を軽く撫でてやると、くすぐったそうにテトラは細目になった。

 まるで猫みたいだ、と思いつつ、さてどうしたものか、とこの先の事を考えながら俺は周囲を見渡した。

 参加者全員に支給された古き良き羊皮紙製の地図によれば、俺達が居るのは樹海ステージ、と呼ばれる場所の様である。まあ、それは周囲を見渡せば嫌でも分かる事ながら、ただ樹海ステージと命名されている場所とは言え、そのまま手付かずの原生林ではない。

 若干だが、一応はそれっぽく整えられた道らしきモノが出来ているし、所々石のような何かで作られた巨大な像が置かれていた。巨人の顔のような、ヘンテコなオブジェクトだ。

 正直気味が悪いし、微妙に微笑んでいるような表情とかもう最悪。見ていると無性にイラっときて、視界に入ったモノ全てをぶち壊したくなるのだが、一応試した結果、俺の最も得意な火系統魔術では壊せないと判明していたりする。

 最初に見た時に火系統魔術の中でも中級に分類されている<焼き爛れる皮膚ハブ・ラホロア>を補助魔具も無しに三秒ほどで生成してぶつけたのだが、傷一つ付かない所か周囲の草木が燃えもしなかったからだ。しかし他の風系統魔術では破壊する事ができた。

 だからその結果から推察すると恐らく、樹海ステージを形成する草木も像も、火事対策として炎では壊せない様に設定された、限定破壊不能オブジェクトなのだろう。

 自信があった魔術でも傷一つ付かないというのは分かってからも少しショックだったが、まあ、樹海で火事になったほうが大変かと考えを改める。

 ただやはり樹海ステージは何かと障害物が多過ぎて、敵キャラの疑似魔獣による不意討ちや草木に隠されたトラップには気を付けなくてはならないだろう。

 て言うか、まだ俺達は十六階までしか到達していないのだが、出てくる魔獣のランクが高すぎるだろ、と思ってしまう。幼少の頃から鍛えられてきたアヴァロンの人間ならともかく、外国の奴等なら、ニ、三階まで昇れたらいい方だ。

 ニ十階にも満たないのにこれだと、恐らく、カナメ様曰く鬼畜マゾゲーレベルらしい八十階以降は普通にイ級の魔獣がゴロゴロ出てくるのではないだろうか。


 それ、なんて地獄絵図?


 しかも作り物なのでシキが持つレアスキル<魔獣使いモンスターテイマー>も意味を成さないのだから困りモノ。

 それにまだ俺達は運良く危険なトラップには出会っていないから何とも言えないが、八十階からは設置されているトラップも侮れないはずだ。カナメ様の事だから、危険なトラップの間に落とし穴とか古典的なモノもきっと混ぜて、掛かった者を見ながら爆笑する事だろう。

 想像だけで嫌になった。本当にありそうだ。

 だからやはり、当初の予定通り上を目指さずに、ぬらりくらりとレアアイテムでも集めてお金を稼ぐ事にした。

 それで稼いだ臨時ボーナスで今宵は皆で行き付けの居酒屋<満点浪漫>にでもよって、パーっと打ち上げをしよう。それでまた明日ものらりくらりとお金を稼ごう。


 うん、それがきっと一番賢い選択だ。

 謙虚に行こう。


「こらアレクセイ! 私のテトラに馴れ馴れしく触るなぁー!」


「ぬぅあっ!」


 思案していた為に、普段なら直ぐにテトラを撫でるのを止めていたはずの手が、半ば自動的に撫で続けていたのがいけなかった。撫でる俺の右腕を狙い、フェリオンの愛刀が振り落とされたのだ。

 フェリオンの一撃は手加減とか存在しない本気以外の何物でもなく、ギリギリ残った良識か理性かによって炸薬による加速はしていなかったものの、しかしそれでも十分過ぎるほど速く鋭い斬撃は、俺の腕は切り落として欠損のバッドステータス並びにライフポイントも纏めて削っていたかもしれない。

 だが今回は、物理的な攻撃に対してのみ効果を発揮する能力を備え、十センチ程の小盾モードから一瞬で半身が隠せる程の大きさがある大盾モードに移行する金属製の盾――<挫かれる脆弱な牙アイアス>が狙われた腕の装備としてチョイスしていたのは実に幸運だった。


 グッジョブ俺、と内心で親指を立てる。


 <挫かれる脆弱な牙アイアス>は俺が指示するよりも早く巨大化し、組み込まれたセンサーが迫る危険を察知して自動的に防御力場を精製、盾に触れる三センチ手前でフェリオンの撫裏十翔ブリジットを受け止めた。

 受け止めた衝撃は力場を伝って四方に逃がされて、俺には衝撃が伝わる事はなかった。


「危なッ! ちょ、お前ッ」


「ちぃ、仕損じたか……」

 

「せめて反省しろ、反省を見せろよッ!」


 全くダメージが無かったとは言え、突然こんな事をされれば全身から冷や汗は吹き出すし、驚いた心臓は今にも爆発しそうなほど大量の血液を全身に巡らせている。

 呼吸は粗く、驚きで身体は軽く震えていた。情けないが、仕方がない。

 俺は文官なので、心構えができていない状態での不意打ちには心底弱いのだ。


「うー……もっと褒めて……欲しいな……」


 だが、ことテトラの事に関しては阿修羅になるのも厭わないフェリオンは確かにほとほと困ったモノだが、しかしやはり、一番の問題はどんな時でもマイペースを貫くテトラ本人だろう。

 今も催促するかのように俺の裾を引っ張り、若干潤んだ瞳で見上げてくるコイツテトラをどうしたものか。

 何故か無碍にあしらえない自分が憎い。

 そしてそれに怒ってくる同僚フェリオンはどうしたものか。


「だから私のテトラに触るなと言うにぃー!」


「俺から触ってないだろうがー!」


 再び振り落とされた撫裏十翔ブリジットの理不尽な一撃を、俺は辛くも挫かれる脆弱な牙アイアスで受け止めた。今度は炸薬まで使用した本気の一撃だったが、しかしそれでも挫かれる脆弱な牙アイアスの護りは突破できない。

 挫かれる脆弱な牙アイアス撫裏十翔ブリジットはジャンケンの関係にあるので、どうやっても真正面から破られる事はありえないのだ。


「アレクセイの癖に生意気な!」


 そんな事を吐き捨てつつ、フェリオンは撫裏十翔ブリジットのトリガーを引いた。

 ヒュボッ!! という音と共に撫裏十翔ブリジットの剣尖近くにある噴出口から炎が迸り、加速ブーストした剣戟が俺本来の知覚速度を容易く越えて、挫かれる脆弱な牙アイアスに護られていない足を切り裂かんと低空軌道を取る。ガリガリと剣尖が大地に一つのラインを刻んでいく。

 しかし今度は事前に心構えが出来ていたので、視認している生物の技・動き・能力をコピーする能力を持った、カナメ様から以前褒美として頂いたコンタクトレンズ型の宝具――<明けを告げる水面リュクス>を発動する事が出来た。

 <明けを告げる水面リュクス>を使うと後で重苦しい倦怠感に襲われるので、後の事を考えればできるだけ使いたくはなかったのだが、親の仇を見るような血走った眼をしたフェリオン相手に、そんな悠長な事を言っている場合ではなかったのだ。

 フェリオンと同等の能力を得た俺は撫裏十翔ブリジットの軌道上に挫かれる脆弱な牙アイアスを構え、防御力場に衝突した攻撃はその脅威を失った。

 しかしそれが悔しいのか、フェリオンは一度の攻撃で諦めず、段々と時間が経つにつれてフェリオンの攻めは苛烈を極めていく。

 <明けを告げる水面リュクス>を使っていなければ五回ほど俺はクリティカルダメージを受けていただろう。

 まあ、レアスキル<治療者ヒーラー>を持っているテトラが居るのですぐにライフポイントは回復しただろうが。


「無駄な体力を使わせるな!」


「だが断わる!! 一度斬らねば私の気が収まらん! それに一度抜いた剣をそのまま鞘に納めるなど、騎士のする事ではない!」


「いや、フェリオンは元騎士だから! 今は騎士じゃないんだからセーフだよきっと!!」


 傍から見れば不毛だとは思うかもしれないが、しかしこれが俺達の日常のやり取りなのだ。

 笑いたければ笑え、俺はもう諦めた。


 だけどそれでも、知って置きたい事もある。それはよく効く胃薬はどこに在るのか、と言う事だ。

 このままでは、ストレスで胃に孔ができそうである。もしかしたら孔が出来る寸前かもしれない。


 というか、ウーフェンやシキ、テトラが何やら笑いながらこっちを指差しているのは一体何故だ。

 正直助けて頂きたい。


 というか助けろよッ!

 








 ■ Д ■ フィー









「くっそ、マジで冗談じゃないぞあれはッ! カナメ様もちょっとは手加減して下さいッ!!」


 フェリオンとの斬り合い――魔術師である俺は残念ながら剣や斧といった武器を持ち合せて居らず、普段通り身を護る為に両腕に装備した二つの盾しかなかったので、俺が受け専門にならざる負えなかったが――をした十六階から四つ進んだ二十階で、ステージは今だ樹海。

 怒るフェリオンをテトラが宥めてくれて、何とか無傷で切り抜けた今現在。樹海ステージの特徴とも言える地表に隆起していた木の根を飛ぶようにして踏み越え、足を動かす度に落ち葉は宙に舞い上がってダンスを踊り、俺一人だけが息を荒げながらも、俺達アレクセイ第一班は全力で樹海の中を走っていた。

 後方を見る手間も惜しんで前に前にと全力で走り続け、しかし一行に後ろから迫ってくる圧倒的な存在感――というよりも周囲に輻射熱を巻き散らかして温度を急激に上昇させている化物に対して苛立ちを吐き捨てた。


 だがそれも一度限りの苛立ちの発散に過ぎない。


 俺が今する事は乱れる呼吸を何とか気力で整え、少しでもこの速度で長く走る事を考えなくてはならないからだ。

 普段から他の文官と比べれば強制的に身体を動かす機会が多いとはいえ、しかし一般的な人間の成人男子に多少毛が生えた程度の体力しか持っていない俺事アレクセイ・バーンエッジには、ほぼ全速力で走りながら喋るという芸当は、体力的に無理なのだ。

 魔術で身体を強化出来ればいいのだが、生憎俺はその術式を知らなかった。知ろうとしなかった。俺には必要ないとか思って勉強しなかった過去の自分に鉄拳制裁を行いたいと、今この時ほど思った時は無いだろう。

 唯一使える速度上昇の効果を持った風系統魔術<疾風走行ゲイルライン>も、足場が悪い樹海では、使ったら自滅するだろうから使えないのが何と歯痒い事か。

 だと言うのに――


「あ~……多分あれは<罪炎の巨人ムスペルヘイム>じゃないかな~……カナメ様があれの改良前のを、新兵とかの訓練に使っていたように思うよ~……。どうかな~、フェリオン。あれ、知ってるよね~?」


「うむ、あれが<罪炎の巨人ムスペルヘイム>で間違いない。私も一度だけ訓練の時に相手したけど、水・氷系統魔術に特化した魔術師数名で動きを何とか押さえた隙に、あれの発生源であり本体と言うべき装置を壊して難を逃れたのだが、今回は装置が何処にあるのか分からない上、ステージが樹海だからそもそも見つける事など不可能だ。

 それに、私達のパーティーの中で唯一対抗できそうな魔術師のアレクセイは、火・風に特化した魔術師。炎の化身と呼ぶべき<罪炎の巨人ムスペルヘイム>相手では、弱らせる所か逆に強化してしまいそうだな。

 まったく、アレクセイは使えないな本当に。いっそ囮になって私達が逃げる時間を稼げ、と言いたいがそれだと私がテトラに嫌われてしまう。だからあえて言わない事にしよう。

 だけど、そうなるとつまり抗う術がないのだから、私達が取れる策はただ逃げるしかないと言う事になるな、今みたいに」


 しかし、俺の横を並走する体力馬鹿二人は文官の癖に普通の武官以上に体力がある。戦闘技能も文官には必要ない程に高い。十分騎士とかで通用するレベルだ。それにそもそもフェリオンは元騎士であるから、俺の考えはあながち間違いではない。

 俺みたいにぜえぜえと息を荒げず、涼しそうに俺以上の速さで疾走できるのにわざわざ速度を合わせてくれるその姿には羨ましいやら憎たらしいやら、なかなかに複雑な気持ちにさせられた。


「頑張れ頑張れアレクセイー! 踏ん張れ踏ん張れアレクセイー! 額の汗を拭いちゃいなー! きゃっふー!」


 だが正直、これにはイラっときた。苛立ちしか覚えない。トラップである<罪炎の巨人ムスペルヘイム>を起動させたお前が何故そんなにも楽をしているのか!!

 沸々と湧き上がる感情が黒い俺を引き出し、力強い四足歩行で先頭を走る灰氷狼――マンティスに跨って能天気な笑みを見せているシキに向けて炎系統魔術をぶつけたくなった。

 半ば本気で実行しようかと掌に自ら刻んだ魔術刻印に魔力を流し瞬時に魔術を発動できる状態にして、しかしそこで何とか踏み留まった。ここでシキのオチョクリに乗れば、俺は間違いなく脱落するだろう。

 走りながらという慣れない状況だと火系統魔術は誤爆しそうだし、安定性を求めて止まったら止まったで追いかけて来る<罪炎の巨人ムスペルヘイム>に捕まり、全身を灼熱によって燃やされながら徐々にライフポイントを削られて、結局は殺されるに違いない。

 それだけは何としても避けたい。


 班長である俺が、最初に脱落する訳にはいかんのだ!


 半ば意地で、俺は魔術の使用を自重した。


「アレクセイ……頑張って……」


 シキと共にマンティスの背に乗っているテトラが、ぼそりとそんな事を言った。か細い声だが、しかし俺の聴覚は確りと捉える。

 テトラの声援は純粋に俺を気遣ったモノだったので、ちょっとだけ嬉しく思えた。

 だからズビシッ! と声援に対して親指を立てて、ニヒルな笑みを返した。つもりだが、恐らくは汗を垂れ流した苦悶顔だろう。これが今の俺の限界だった。


 何とも情けないのだが、カナメ様曰く、人生そんなものだ、らしい。


「テ、テトラッ! 私にも、私にも何か一言ッ!!」


 俺に対してのテトラの声援が悔しかったのか、フェリオンはまるで懇願するかの様に言った。というか、普通に懇願した。俺の位置からは見えないが、目が血走っていそうな迫力が滲んでいるような気さえする。

 鬼気迫る、そんな言葉が似合っていた。

 フェリオンのテトララブも、今更ながら病気レベルだと実感させられた瞬間だ。


「えと……フェリオンも、頑張れ……」


「ブフッ!!」


 嬉し過ぎたのか、フェリオンは盛大に鼻血を噴き出した。鮮血のアーチを宙に描く。

 フェリオンは興奮しすぎて、本当に僅かながら、物理的にも心理的にも引いていたテトラに気が付いていないようだ。

 本気で馬鹿かと思いながらも、走る速度は一切落とさない変人フェリオンにちょっと尊敬にも似た生暖かい視線を送りつつ、俺達は左右に伸びる分かれ道に遭遇した。

 どちらも木々が生い茂った獣道のような道で、一見するだけではどちらに進んでも大差ないように思える。一瞬だけどちらに行くか普通は迷ってしまうだろう。

 だが幸いにも、この階層は既に俺達より速くココを通過していった攻略組によって、全てが連動している羊皮紙に描かれた地図の穴埋めマッピングは済まされていた。

 そして俺達アレクセイ第一班班長にして固定砲台たる魔術師の俺は、リーダーの責務としてこの先どちらに進めば脱出ポータルがあるのか、バッチリと記憶している。


 戦闘能力は班で一番低かろうとも、俺達の本業は文官だ。その班長である俺の記憶力を、舐めないで頂きたい!


「アレクセイ、どっちだ!」


 フェリオンがポタポタと鮮血の滴る鼻を指で摘まみながら、叫び声にも似た大声を吐き出した。追跡者がどちらの道に行くか俺達が決めかねている隙に、距離を詰めている事に焦っているのだ。

 無論フェリオンに一々言われるまでも無く、俺は右側の道を選び、全力で駆けこんだ。それに追随してウーフェンやフェリオン、シキとテトラを乗せたマンティスも大地を蹴る。

 駆ける。走る。前進する。

 少しだけとは言え、初めて先頭を走った事に微かな爽快感にも似た悦に浸りつつ、モノの四秒で揚々と抜き去っていく三つの影を恨めしく、羨ましく思う。

 おのれぇ~と羨ましく思いながら、そろそろ俺の体力は限界に達する寸前で、走る速度自体落ちている事に気が付いた。


 だけど、そろそろこのデスレースも終わりを迎える事になるだろう。


 道の先には如何なる攻撃も無効化する無敵空間となっている脱出ポータルが絶対にあるからだ。そこに駆けこめば、例え何人たりとも干渉できなくなる。システムとしてそうなっている。

 だからか、道の先にある脱出ポータルという終点が近づき、それに伴い生まれた心の余裕によって俺は一瞬だけ後方を振り返って圧倒的追跡者の姿を再確認した。


 追跡者を一言で表現すれば、轟々と燃える炎の巨人。

 俺達からみれば、全てを灰燼に帰す炎の悪魔である。


 巨人を形作っている炎の温度は確か摂氏三千度と、近づくだけで燃えてしまいそうな程の高熱のはずだ。門の中だと例え燃やされてもライフポイントが削られるだけで済むが、門の外だと骨も残らず燃やされてしまうだろう。

 しかも炎の巨人を生みだしているのはとある装置で、装置を壊さない限り、魔術などで一部を削ったり全身を消し飛ばしても、永遠に再生し続けると言うのだからどうしろというのだ。


 勝てる訳がない。


 実体があるならまだしも、実体のない炎で出来た敵なんてマトモに相手に出来る存在じゃない。しかも再生能力持ちの炎の巨人だ。はっきり言って手持ちの手札に対抗手段はなかった。

 いや、対抗手段ではなく抵抗手段なら在るには在るが、ジリ貧だと結果は見えているので却下。

 俺の奥の手である<明けを告げる水面リュクス>も、相手が生物ではないので使えない。


 だが幸運にも俺達はあれが使われた時の様子を見た事があるし、その上カナメ様が自ら筆を走らせた、簡単な説明まで記された作品リストも目にした事があった。機密書類を目にする機会が多いのは、武官にはない文官の特権である。

 その為追ってくる<罪炎の巨人ムスペルヘイム>について多くの情報を事前に知っておけたのは、生き残るのに大いに役立つのは間違いない。知らずになんとか抵抗しようとすれば、ココに来るまで屠ってきた疑似魔獣のように呆気なく全滅していただろう。


 カナメ様曰く、情報を制しモノは世界を制する、だ。


 だからあれが出現した時、俺達は真っ先に逃げ出せたのだ。

 しかし今更思うが、樹海に炎の巨人、というのは些かミスマッチな気がする。

 普通なら、樹海全体を巻き込む大火事となっていただろう。




 もしや、樹海ステージに存在している草木などのオブジェクトの全てが炎では破壊されない限定破壊不可能オブジェクトとなっていたのは、この為の伏線だったのか!


『排除標的――脱出地点ニ接近。固有能力<灰炎ノ罪ノ枝レーヴァテイン>ノ発動条件発生――解除確認』


 後方から無機質な声が聞こえた。

 間違いなく<罪炎の巨人ムスペルヘイム>だろう。どうやってあの体で声を出したのか気になるが、深く考える時ではない。考えている場合じゃない。考える暇がない。

 声が聞こえた瞬間から嫌な予感が走り、全身からブワッと冷や汗が吹き出しているからだ。

 直感が、いや全身の感覚が警鐘を鳴らしている。慣れ親しんだ魔力が急速に後方に流れて行っている。それら全ての兆候は、不吉以外の何物でもなかった。


「ありゃりゃー、何かドデカイ炎の大剣とか振りかぶってるんですがー! ちょっと真面目にヤバいっすー! 魔力収縮率とかハンパねー!」


「これは……全滅?」


 マンティスに乗っているので一番余裕がある二人――シキとテトラが後方を指差しつつ慌てるのを見ながら、俺は必死に頭を働かせていた。

 確か<罪炎の巨人ムスペルヘイム>に搭載された固有能力<灰炎ノ罪ノ枝レーヴァテイン>は、体と同じ摂氏三千度の炎が大剣の形に収束したもので、その効果は触れたモノの爆破。

 射程距離も最大三十メートル以上と長く、爆破範囲も含めれば更に広がるという容赦のなさ、だったはずだ。

 

 どうする? どうすればいい? どうすれば助かる? どうすんの、俺!!


 グルグルグルと、高速で数多の考えが脳裏過ぎては消え去り、消え去った後からまた別の考えが沸き上がってくる。この感覚は、もしかしたら一種の走馬燈なのかもしれない。

 ここでは例え攻撃を受けても死ぬ事がないとはいえ、しかしココは全てがあまりにもリアル過ぎる。大気の流れを肌で感じ、草木に触れた感触もあり、鼓動も呼吸音も自然が奏でる音楽も、門に入る前と何ら違いがない。


 普段との違いが分からない。


 だから例え理性では大剣の直撃を受けても実際には死なないとは理解していても、本能がその判断を否定する。

 だから助かる道を模索する。死にたくないと泣き喘ぐ。早くココから離れたいと、心臓が今にも爆発しそうになっても足が止まる事がない。

 何度か疑似魔獣やトラップにライフポイントは削られてココまできたが、しかし<罪炎の巨人ムスペルヘイム>は存在感とかのレベルが他とは違い過ぎた。

 他のは対抗できるレベルだったというのも、この感情に拍車を掛けているのだろう。


「見えたッ! 脱出ポータルだ!!」


 フェリオンが叫ぶ。

 それにつられて前方をよく見てみれば、そこには一見すると素朴なテントにしか見えないオブジェクトがあった。黄色く分厚い布と木の骨組みで造られた、簡素なテントだ。ただ雨風を防げればいい、と言うような適当さで構成されている。

 そんな簡素なテントまでの距離は、もう五十メートルと無い。

 七秒もあれば、例え足場が悪くても十分たどり着けそうな距離。

 だがそれでも遅いと俺の感覚が告げている。地面に伸びる影が、大きく前方に伸びていたからだ。

 これは後方の光源が迫っている前兆なのではないだろうか。

 つまり<罪炎の巨人ムスペルヘイム>がすぐそこまで来ているのか、あるいは<灰炎ノ罪ノ枝レーヴァテイン>が、すぐそこまで迫っているかのどちらかだ。

 反射的に後ろに目線を送れば、<罪炎の巨人ムスペルヘイム>は極大の燃える大剣<灰炎ノ罪ノ枝レーヴァテイン>を頭上に掲げ、それを両手でしっかりと握りしめる間際だった。

 あとはあれを振り落とせば、俺達を纏めて吹き飛ばせる事だろう。

 炎剣を振り落とすのに七秒もかけるとは考えれない。このまま何もしないと間違いなく全滅する。それが簡単にできる程度の破壊力をあれは内包している。

 しかしそれを防ぐために俺は自己内の魔力を共鳴させて密度を高めつつ、素早く懐に納めた二つ在る杖の内の一つ――風系統魔術を扱う際より強力に、よりスムーズに工程を消化する事を可能にする宝石の一種で、澄んだ緑色が特徴的な翠玉輝石スクラマグダスを木製の先端に取り付けた<暴風の予兆デアブル・エア>を抜き放った。

 長さがニ十五センチある<暴風の予兆デアブル・エア>の先端約三センチだけしかない翠玉輝石スクラマグダスの部分が、俺の魔力に反応してその名に恥じない色合いの光りを醸しだす。

 仄かな緑光をそのままに、俺はまるで管弦楽団オーケストラの指揮者が振う指揮棒のように<暴風の予兆デアブル・エア>を走らせて、走らせながらも力ある言葉を紡ぎ出す。

 例えささやかな抵抗だろうとも、魔術で風の道を展開すれば爆破はある程度誘導できるはずだ。

 それに燃焼は酸素が無くては成り立たない。極力酸素を排除した障壁を張れば、あるいは――


「来たれ四風――凍てつく北風ボレアース――荒ぶる南風ノトス――そよ風の西風ゼピュロス――無限の東風エウロス――四方を守護する風よ、奏者アレクセイ・バーンエッジが規定する。四風は一つに混じり、神の御風アネモイとなりて迎え討てッ!」


 魔力を集中させた翠玉輝石スクラマグダス製の先端で、円や四角、三角形に様々な意味を持つ文字を一つに纏めて描いた幾何学模様――魔術陣を中空に素早く描き、先ほどから充填していた魔力で魔術陣に必要なだけの魔力を注入し、満タンとなった所で丁度力ある言葉が紡ぎ終わった。

 俺が知っている、風系統魔術の中で最も強固な防御力を発揮する中級魔術の一つ、<神の御風アネモイ>を発動する手順の全てを消化した。

 その結果完成された魔術が発動し、風の障壁となって展開するのと同時に、俺は前に走るのを止めて振り返った。

 <神の御風アネモイ>は極力酸素を排除した、風の障壁として皆を覆う形で形成される。これで多少なりとも炎剣の攻撃は防げるはずだ、と思いながら。


 だがしかし、俺は知った。すでに視界の殆どは紅蓮に埋め尽くされている事に。俺の考えがまだ甘かったという事に。

 後から振り返って分かった事だが、視界の殆どが紅蓮に埋め尽くされていたのは、俺が風の障壁を張って振り返ったのと同時に、炎剣が振り落とされたからだ。

 考えが甘かったのは、俺が自分の能力を無意識の内に驕っていたからだ。驕る程も無いと言うのに。


 茫然と視界を埋め尽くした炎剣が自分の魔術である風の障壁に触れるのを見ながら、無意識の内に俺は両腕に装着した二つの盾で胴体と頭を護るように構えて、ギリリと歯を食いしばった。来るだろう衝撃に備えて、半身になって踏ん張りを利かせている。

 これら一連の行動は、恐らく生物としての生存本能が働いて、俺の意識を塗りつぶして身体を動かせたのだろう。全ては生き残るためだった。


「アレクセイッ!」


 耳に木霊するのはテトラの悲痛な叫び声。ここまで必死なテトラの声は初めて聞いた気がした。

 だがそれもすぐに爆音に揉み消されて、俺の視界は一瞬だけだが真っ白に染まった。断続的に爆音が響き、その中で、パリン……と何かが砕ける音が混じる。それが聞こえたのと同時に全身を軋ませるような衝撃が走り抜けた。

 張られた風の障壁も、構えられた盾も、一切合切関係無いと言わんばかりの、圧倒的なまでに暴力的な見えざる力が俺の芯まで浸透する。浮遊感が全身に走る。

 俺と<罪炎の巨人ムスペルヘイム>の間にある純粋な実力差が、これ以上ない程圧倒的な現実と共に俺を粉砕したのだ。


 それに攻撃は真正面からだけではなかった。


 右手の<挫かれる脆弱な牙アイアス>の能力は盾を向けた方向にしか作用しないので側面から来た反射波に効果を成さず、同じく左手に装備した<逆巻く流転の咎アンダイン>も能力は似たようなモノなので、等しく無意味だった。

 ズシャア……と飛んでいた身体が重力に引かれて墜落し、それだけでは消えないエネルギーは俺を削るように地面を転がし続ける。天地が不明になり、最早何が何やら分からなくなっている。

 情報処理が追いつかない。

 やがて地面に転がっている内に勢いは弱まり、視界に色が戻ってきたモノの、グラグラとぼやける視界の隅で、自分のライフポイントを示したバーがすごい勢いで減っていくのに気が付いた。

 この威力で、この有り様だ。恐らくライフポイントは一ドットも残らないだろう。つまり俺はこの一撃で死んだ、と言う事である。

 ただ意識が無くなっていないのは、ライフポイントが完全に消える僅かなタイムラグのせいだろう。

 たった一撃で死んでしまうと言う事に何だかやるせない様な、納得したような微妙な気持ちになった。

 ただ、一応炎で直接燃やされる事は無かったから俺の狙いはそこまで外れたモノではなかったと言えなくもないだろう。唯一、衝突した際に襲いかかってくるこの殺傷力を持った衝撃まで考え付かなかったのが今回の敗因か。

 だが俺を代償にして、皆が助かればいいかとも思ってしまう。仲間の位置を教えてくれるレーダーでは、皆が脱出ポータルに到達出来ている事を表示していた。

 名前の横に表示されたライフポイントも減っていないようで、ほっと息を付く。重ダルさはあるが、痛みが無い今の状態がそんな穏やかな行動を許している。

 ただ覚悟していたその上を行った衝撃には歯痒く思いながらも、あいつ等が逃げ切れた事にだけは安堵しながら、俺の意識はそこでプツリと途切れた。


 闇が、広がった。 








 ■ Δ ■










「アレクセイは格好を付けたがるので困る」


「全くです! わたくしシキは心底驚きました!」


「アレクセイらしいけどさ〜……あんなのは全然嬉しくないな〜……」


「……馬鹿……鈍感……甲斐性無し」


「…………」

 

 アヴァロン全体が紅に染まる夕暮れ時、地上部にある行きつけの居酒屋<満点浪漫>にて、俺は小さくなりながら四人に説教をされていた。マンティスは机からちょっと離れた魔獣専用スペースで生肉を貪り喰っている。

 こうなった切っ掛けは、無論俺が死んだニ十階最後のやり取りだ。

 皆を助けるために、炎剣の軌道を逸らすという無謀な挑戦をして死んだ俺に対して、皆怒っているのである。それも猛烈に。

 俺としても逆の立場なら同じ反応をしていただろうか、全く反論する事ができないのは痛い。


「聞いているのかアレクセイ!」


 ダンッ! と強かに机を叩いたフェリオンは、まるでその豊かな両丘を強調するかの如く両腕で挟みながら身を乗り出し、そして右腕で俺の胸ぐらを掴み上げた。

 フェリオンは未だ身体強化系の魔術礼装である<金剛ノ理>を装備した状態なので、俺は既にグロッキー状態だ。

 剛腕猿ゴリラに首を絞められるような、そんな感覚。実際に剛腕猿ゴリラに首を絞められた事は当然無いのだが、そんな気がする力強さだった。


「いいか、確かに私はお前が気に喰わない。ハッキリ言って私の――にする予定である――テトラの頭を唯一撫でれるお前が気に喰わない。だが、それよりももっと気に喰わないのは、ニ十階の脱出間際の時、お前が自分を犠牲にして、私達を逃がす事を選択した事だ」


 熱が入ってきたのか更にグイッと引っ張られ、俺とフェリオンの顔と顔が自然と距離を詰め、息も感じられるようになった。

 普段なら少なからず照れるような場面であるが、しかし今の雰囲気ではそのような不埒な考えを抱く事はできなかった。


「今回は偽身体アバターを使ったイベントだから良かったものの、しかしお前は本当に死ぬような時でも同じ選択をしただろう。自分を犠牲にして他の奴らを助けると言う選択を。確かにそれで私達は助かるかもしれないし、今回も実際に助かったのは事実だ。が、それでもお前が犠牲になるのでは話に成らん。仲間を死なせて私達だけ生きろなど、そんな重荷を背負わせるな! お前も居なくちゃ駄目なんだよ、私達は。私達五人全員でアレクセイ第一班なんだ、誰一人欠けてはいけないんだ。だから、自分を犠牲にしようなんて選択は今後一切するな。例え必要に迫られたとしても、まずそうならないように全力で考え、回避しろ!!」


「……だけど、あれが一番生き残る確率の高い策で、」


「いやっかましいッ!」


 ゴツンッ! と鈍い音と共に額に痛みが走った。

 フェリオンに頭突きを喰らわされたらしい、と思い付いたのはゆらゆらと揺れる視界の中で、俺と同じように額を押さえてうずくまっているフェリオンの姿を見たからである。


「い――ッう……」


「アレクセイの石頭は有名なのに~……フェリオンは勇気あるな~」


「あはははは。違うよウー君、フェリっちは単純に考え無しだからだよ~」


「あ~……そっか~……」


 ほんわかと中々いい雰囲気を漂わせ、好き勝手な事を言い並べる人狼族二人組に対して何か言いたくなったが、止めた。

 二人ともが真剣な眼差しで俺を見ていたからだ。

 

『フェリオンと同じ思いだぞ』


 二人の眼がそう語っていた。


「すまな……」


「短慮者……考えないし……自己犠牲格好悪い」


 だから素直に謝ろうとした時、ブツブツと先ほどから何かを呟いていたテトラが何を言っていたのかようやく聞こえた。

 思いっきり俺に対しての悪口だった。

 

「あのさ……テトラ」


「鈍亀……なに?」


「……あのさ、」


 鈍亀てなんだよ、という言葉を苦労して飲み込んでから、言いたかった言葉を紡ぎ出した。


「心配させて、悪かったな、皆。これからは、犠牲とかそんな考えはしないようにするよ。俺の為に本気で怒ってくれて、ありがとう」


 と言ってから何だか照れくさくなって、俺はジョッキに並々と注がれていたビールを煽った。

 最近になってようやくその良さが分かってきた独特の味を堪能しつつ、大王イカクラーケンの足をガジガジと噛んだ。この組み合わせは、酒場での俺の定番になりつつある。


「まったくだ」


「今後は気を付けなよ~……」


「そうですよ~。というか、班長なんだからもっとしっかりして下さいよ~」

 

「約束……破ったら……ふふ……」


 謝ったら許してくれたようで、皆穏やかな笑顔になった。ただテトラが何やら怖かったので、とりあえず撫でて大人しくしておいた。

 俺の事を本気で心配してくれた仲間達に感謝しつつ、皆で笑い、酒を飲み、会話をしたりして、楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。


 だからふと、俺は思った。


 この国アヴァロンの外では最早正確に把握できないほど長い間、人間と魔族は争い続けている。人間は魔族は恐ろしく、またおぞましい者と教えられ、魔族はそれと同じような事を教えられて育つ。

 そうなったのは、好戦的で欲深い人間が豊富な土地資源を求めて、最初は争いを嫌い友好的だった魔族に手を掛けたのが切っ掛け、と言われているが定かではない。今更その真偽を図る術は無いのだから。

 ただ、世界自体がそうなるように出来ているとしか言えないほど、この世界はどちらかが滅びるでもなく、常に争いあってきた。


 でも、この国アヴァロンではそんなの関係なく暮らしている。それはカナメ様が考えた、信頼関係を無理やりにでも生まれさせる事を目的とした、幼少からの教育方針が四百年の間変わる事無く続いていたからだ。

 だからこそ、俺達はこうして笑いあい、酒を飲み交わし、未来を語り合っていられる。何物にも代えがたい、宝石のようにキラキラとした瞬間の中に居られる。

 だから、この国アヴァロンが存在して、俺達がこの国で生まれたのは本当に幸運だったと思う。お互いに意識し、時には敵対しつつも切磋琢磨する事はあれど、恨みあいながら争う事無く居られるのは。

 だからこそ護ろうと。

 絶対にこの国を護る柱になろうと、俺は心に決めた。

 大切なこの国を未来に繋げる存在に、俺はなる。

 成ってみせると、皆の笑顔を見ながら俺は空に輝く月に誓った。

 


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