第二十八話 輝船内の会話と従者の説明 後編
「さて、では今度は貴方達に飲んでいただいた“制約丸”についての説明をします」
ポイズンリリーの説明には脈略というか、他人に分かりやすく説明しようという真心の気遣いなんてモノが存在しないかのように突拍子もなく自由奔放で、説明を受けている者にとってはなかなかに理解しがたいモノであった。
今し方アヴァロンの他国とは異なった風習や決まりについて簡単に説明し終わったばかりであるし、その前はポイズンリリーによって説明を受けているフェルメリアやパティーはどのような立場なのかや、ルシアン達近衛騎士団の軍事階級などについての話だった。ちなみにフェルメリアとパティーは他の国から留学しに来ている王族――とは言っても殆ど王位継承権を待っていないような末席ばかりだが――と同じくただの一生徒扱いであるし、ルシアン達は全員二等兵扱いである。
それにその前は説明に関して何の関係性も見いだせないような愚痴であったし、更にその前は幾つかマトモな説明を挟んで弟妹自慢などが展開されていた。
これらから察する限り、どうやらポイズンリリーは真面目に説明をする気はさらさらないらしい。ただ言いたい事を言いながら、その中で大切な事も混ぜているのである。
しかしそれも、実に彼女らしいのではないだろうか。
「“制約丸”の効果を分かりやすく噛み砕きますと、服用者が“制約丸”を飲んでから“アヴァロンに関して知った事全て”を、誰にも伝えられないようにする、というものです。つまり、情報の漏洩対策の為に造られた作品ですね。
正確に言えば“制約丸”とは、誰かにアヴァロンの秘密を洩らした所で、漏らした相手には違う言語体系にしか聞こない又は知らない文字に見える様にするモノだ、と言う事です。
一応紙に書かれた文書にも働きますが、映像スフィアに写された映像までは遮断できないという欠点はあります。ですが、まあ、死にたくなければ撮った映像を誰かに送るなどは止めておくことですね。
あとそれから、“制約丸”の効果から除外されている例外もありまして、それは当然ながら同じアヴァロンについて知っている存在だけです。“制約丸”には他にも効果は在るのですが、今はそれだけ覚えておいて下さい」
アヴァロンがこれまで発明し、造ってきたこの世界の魔学水準を遥かに凌駕している技術の多くはその特異性の為に大部分が秘匿されていて、秘匿している様々な情報を他国に洩らさない為に造られた作品――それが“制約丸”である。
人の口に戸は立てられぬ。どんなに口で約束しても、周りが知らない事はついつい言いたくなるモノだ――その考えの元に“制約丸”はアヴァロンに入る者には例外なく飲まされる様になり、その効果は今までアヴァロンの内部情報が漏れた事がない事からも察する事は十分に可能だろう。
最も、優秀過ぎる暗殺者が影で働いている、と言う事も要因の一つなのだが。
「はい、質問なのですが……」
びくびく、と微かに震えながら小さな手が上がった。それはこの中で一番若く幼い、パティーのものである。
「はい、何ですか?」
「えと、副作用とかは無いんですか?」
「ありません」
「……でも、そんなに強力な効果を発揮する魔法薬なら、普通は何らかの副作用があると思うんですけど……」
パティーの質問は確かに魔術師として外せないものだと言える。
通常、傷や病の治療に使われる回復薬や増生薬といった魔法薬は、総じて服用者の体力や魔力、栄養素といったエネルギーを消費して治すものであるし、一定時間筋力を増大させ、痛覚を鈍らせる事によりある種の狂戦士モードにする<狂鬼人薬>といった魔法薬は効果が切れた瞬間にそれまでの効果の反動として、感じてはいなかった筋繊維断裂などによる激痛が一気に押し寄せてくる、という副作用が存在している。
魔法薬は大なり小なり、必ず何らかの副作用があるのだ。
少なくとも、世界の常識としてはそうなっている。
だからポイズンリリーの説明を受けた限り、魔術師でありオルブライトの魔戦学校の中でも優秀で、魔法薬学を専攻していたパティーにはどうしても納得がいかなかったのだ。
このような、常識では考えられないような効果をもたらすモノに何の副作用が無いなんて有り得ない、と。
だがしかし――
「副作用はありません」
「でも……」
「ありません」
副作用など有り得ないと面と向かって断言するポイズンリリーに圧されてか、パティーはそれ以上何も言えなかった。
若干涙目である。
端整な、と言うよりも一種の芸術品のような美貌のポイズンリリーとはいえ、流石に無表情で見られれば誰もが沈黙を選んでも仕方がない事ではないだろうか。
というか、こういった事は相手が美人ならば美人なほど怖いものだと思われる。
「納得いきませんか? なら面倒ですが、説明しましょう。“制約丸”はハッキリ言って魔法薬ではありません。完全に別モノです。
そうですね、概念魔術や、継承魔術の類似品だとでも思っておいても問題ありません。分かり難いなら物質化した魔術でも結構です」
「概念魔術や継承魔術の類似品ですって? ましてや物質化した魔術だなんて……貴女、それがどんな意味を持つのか……」
「言いたい事がある方は、挙手してから言うように」
「きぁがっ!」
再び放たれた白き流星は、前回の光景を彷彿とさせる軌道と速度でフェルメリアの眉間に直撃した。しかも今回は弾丸のように高速回転しながらである。
初撃によって施された白い粉による化粧は何とか払い落とされていたのだが、再びチョーク弾を喰らった事により、フェルメリアの顔にはまた白い化粧を施されてしまった。
その上今回は高速回転が付加されていたので、白い丸がフェルメリアの額で一際映えていた。
「ああ、姫様! 姫様〜! しっかりして下さい!」
「せっかくのお美しい顔が大変な事に! おのれ、このような状況でなければ……」
「衛生兵! 衛生兵はまだか!」
「あはははは、姫さんももうちょい学習しようや」
騒ぎ立てる聖典騎士七名に、それを笑いながら見ている同僚の聖典騎士一名。
勿論笑っているのはルシアンである。
「全く、一々私の手を煩わせないで下さい」
ふう、と腕組みをしながらため息を吐きだしたポイズンリリーは無機質な瞳で気絶したフェルメリアを見た。というよりも、軽く睨みつけた。
隠す事無く不快感を露わにしているのだ。
「さて、次は……」
『ピンポンパンポーン……――ポイズンリリー様、そろそろアヴァロンに到着致しますので、御準備下さい。繰り返します。ポイズンリリー様、そろそろアヴァロンに到着致しますので、御準備下さい――』
気を取り直して話を再開しようとしたポイズンリリーは、しかし丁度重なった中性的な声による船内放送に遮られる形となり、続きを発する事はしなかった。
ちなみに声の主は、この船の全機能を一人で管理・運用している電子精霊<揺り籠の船主>である。愛称をアシュアとされる電子精霊には明確な性別という物がなく、中立的で、中性的な振舞い方をするのが特徴だ。
「もうそんな頃合いでしたか」
戦略飛行宝具<輝舟>がカナメとポイズンリリー、そしてセツナとフェルメリアなどその他多数を拾い、ついでに超大型馬車を置いていくのは勿体ないというよりも悪用されると危険、という事で格納庫に収納してから空の小旅行に出立したカンピナ草原より早三十分弱が過ぎていた。
出立したカンピナ草原から目的地であるアヴァロンまでは、本来殺したイ級の竜種の死骸を取り込んで新たに誕生させ、アヴァロンと他国との交易などの際に主な通行手段となっている機竜であっても一時間程かかる距離がある。
しかしながら、この<輝舟>の飛行速度はそれを遥かに凌駕していた。
その結果、<輝舟>はこの世界では考えられないような速度で目的地であるアヴァロンに到着しようとしているのである。
「時間なので、まあ、貴方達の説明はこんなものでしょうか。後は分からない事は誰かから聞いてください。私はカナメ様の所に知らせに行きますから」
今カナメとセツナが居る私室は、カナメがセツナとの話を邪魔されたくないと言うのでアシュアによる船内放送がされないようになっている。その為、侍女兼護衛役であるポイズンリリーが知らせに行く事になっているのだ。
「では、貴方達も降りる仕度をする前に、少々窓から外の風景でも見たらどうでしょうか? 恐らくこの機を逃せば一生見られない光景でしょうから」
そう言い残して、ポイズンリリーは静かに部屋から出ていった。
その後外の風景を真っ先に見に行ったのは、自由人なルシアンであった。
■ Δ ■
「そう、俺は元居た世界に帰還する能力を持った宝具は、案外簡単に造る事ができるんだ。でも下位世界から上位世界に戻るためには、帰還能力を持っただけの宝具じゃ駄目だった。肝心なのは“魔王の心臓”――つまりは“夢幻の心臓”こそが、必要不可欠なモノだったんだ。
しかもただ魔王の心臓であればいい、という訳でもない。堕ちて来た勇者は、堕ちて来た時に生きている魔王の心臓じゃないと意味がないんだ。これは実際に次の魔王の心臓で試したからこそ断言できる、無慈悲な事実だ。
んで、堕ちて来た当時の魔王の心臓を手に入れれなかった俺は、今もこうして還ることが出来なかったってわけ」
コーヒーを啜りながらカナメはそう洩らし、少し悔しそうな表情を見せる。
その気取らない態度を見せてくれる事が、私に対する信頼、のようなものに思えて少し嬉しかった。
人間は身内、つまりは気を許した相手の前では自然体を曝すものだからだ。
「それは、つまりどういう事なのですか?」
「ええーと、何て言うかさ……ああ、そうそう、さっき俺は、『勇者って奴は、言うならば人型に集約された一つの異次元世界みたいなモノなんだ。何でそうなるのかと言うと、上位世界――つまりは元いた次元からこの世界に召喚された時に、上位世界の膜に包まれながら堕ちてくるから』って大雑把に説明したよね?」
「ええ、それは確かに聞いたし、自分なりの解釈はしているけど、大まかな流れは把握しているから、たいして問題ないと思うけど……」
私はカナメの言葉に頷きながら返事した。
つまり、私のユニークスキル<旗持ち先駆ける救国の聖女>や<唯一なる神の声>、それに目の前のカナメだけが持つユニークスキル<例外しか造り出せない規格外の造物主>といった常識外れの能力は、勇者だけが持ち得るユニークスキル<堕ちて来た勇者>の特性の一つ、異世界法則生成によって生じているモノに他ならない。
そして召喚された勇者が持ち得るユニークスキルが総じてこの世界の常識とかけ離れているのは、一重に勇者個人がこの世界にとっては異質にして異端の存在――人型をしている異次元世界だからだ。
スキルは一部を除いて全ては自己内により生じるモノである。
その為勇者はこの世界の法則と違う法則をその身に内包しているのだから、勇者だけが持つユニークスキルの特異性――というよりも異常性は、至極真っ当な流れから生じているモノなのだ。
「つまりだ、勇者を何かに例えるなと……そうだね。神話に出てくる白き羽を持つ神の使い――天使、とでも思えばいいかな。もしくは天使と対を成す悪魔みたいなモノだ」
「天使か悪魔、ですか?」
「そう、正にそんな所。ほら、よくフィクションで天使とか悪魔が出てくるとさ、人間には使えない――というよりも考えられない特殊な力を持ってるだろ? だから召喚された勇者ってのも、それに近い存在と呼べるんじゃないか、と俺は思っている」
そう改めて説明されると、確かに、そうかもしれない。いや、きっとそうなのだろうなぁ、と妙に納得できた。カナメの説明には、説得力があるのだ。
私の能力やカナメの能力は明らかにフェルメリア達や他の人達が持つモノと違う。そう、明らかに違いすぎる。能力の幅は勿論の事、容易くこの世界の常識を覆すだけの能力を備えていた。
簡単な例を出せば、まずは魔術についてだろう。
私がまだギガンダルに居た時に数回、フェルメリアに魔術というモノはどのようなものなのか見せて貰った事があるのだけれど、繰り出される魔術にはまだ納得できる理論がある事を知った。
見聞きした限り、魔術とは万物が内包している魔力を燃料にしてある一定の手順を踏み、各条件を順序良く消化し、その結果として意図した諸現象を生み出すという技法に他ならない。
つまり魔術とは魔力があって、使いたい魔術の術式を識っていれば誰もが使えるという何ともお手軽で便利な技法なのだ。そう、魔術は料理に近いと思う。
魔力という材料を元に、予め決められた手順を知っていれば、その結果として魔術という料理を作る事ができる、という感じなのだ。
ただ流石に強力な魔術を扱う為には生来レアスキル<魔術師>を持つ者しか無理――ただ単純に種族的に内包魔力量が少ない人間では、レアスキル<魔術師>がないとどんなに頑張っても小さな魔術しか起こせないから――なのだが、私のユニークスキルはその常識を覆した。それも容易くである。
私の内に馬鹿みたいにある、それこそ油田のようにある底の見えない魔力にモノを言わせれば、私は<魔術師>が扱うような魔術が使えるという事実が判明している。
<魔術師>は少ない魔力を魔力共鳴と呼ばれる特性で魔力量を補っているだけなので、私の膨大にある魔力を惜しげも無く消費させれば、魔術を生成する事にさして問題はなかったのだ。
ただまだ不慣れなので集中しなければならないという欠点があるものの、それでも集中できれば一流魔術師並みの広域破壊魔術も使う事ができる。
でも、私にはそんな小細工をしなくても真正面から突破したほうが圧倒的に早いので、戦闘時には<確約されし栄光の剣>を振るうわけなのだけれど。
「んで話を元に戻すけど、俺達のような勇者達は全員この世界の魔術師――継承魔術<召喚門>を継承する<門の一族>に限定されるんだけど――に<堕天の楔>ってヤツを身体に打ち込まれて、下位世界である此方に無理やり堕とされた天使みたいなモノなんだ。もしくは猟師に撃ち殺された鳥、かな」
バーン。
人差し指を私に向けて、あたかも銃を撃った時のようなポーズをカナメはとった。
ええと、つまりは――
「その、私達が此方に堕ちる切っ掛けになったのが、その私達に打ち込まれたという<堕天の楔>、でいいんですよね?」
「一つ訂正すれば、引きずり堕とした挙句にこの世界から出て行かない様に拘束してるんだよね。だからつまり、魔王の心臓――つまり無限の魔力の供給装置である<夢幻の心臓>は、俺達を此方の世界に拘束している<堕天の楔>を唯一解除する事ができるキーアイテムなんだ」
「……なるほど。大まかな事情は理解しました。でも、カナメ」
「ん? 何かな、セツナ」
「何でカナメは魔王の心臓を自分で造らなかったのか、私は凄く疑問に思ったのだけど……」
「ぐふッ……」
胸を押さえながらカナメは小さな呻き声を上げた。まるで吐血したかのような仕草だ。痛いところを突かれた、とでも言うような。
「そうそう、それなんだよな~……」
「心臓を造らなかった、という訳ではないのでしょう?」
「ああ、それは勿論造ったさ。でもな、問題は、“夢幻の心臓の形や質は個人によって変化する”もの、って所なんだよね。そうだな、ほら、扉の鍵穴をイメージしてごらん」
「鍵穴? なんですかそれ」
「鍵穴も知らないだと! くそ、カードキーとかそんなモノが横行する世界なんて!」
「時代は常に変化するものですから、それは仕方がないものだって納得するしかないかと」
ジーザス神は死んだー、等々、三十分ほど話している中で幾度も織り込まれたカナメのオーバーリアクションに慣れてきている自分が居る事を私は自覚した。
最初の内は戸惑ったけれど、慣れてくれば、何だかその反応が一々可愛く思えてくるから不思議だった。
「さて、話しを戻すけど、鍵穴は決まった形のモノでしか解錠できない。だから俺は鍵となる心臓を何とか複製しようとしたんだけど、“これは魔王の心臓である”って概念を封入した作品じゃ駄目だった。ここで一度でも本物を見てれば話は変わるんだろうけど、俺が心臓を見る前に、同じ時に堕ちて来ていた他の勇者が心臓を使って還っちまった。
だから完璧な複製はもう無理。本物を知らないのに全く同じ複製品を造れるはずがないんだからさ。オリジナルを知る為に過去視の宝具も造ってみたけど、世界がそれを隠蔽していてお手上げだったし。
ただそれでも何千何万と自分なりに実験をした考察から推測するに、恐らくは心臓の形とか肉質とか色んな要素が関係すると俺は見ている。
んで、最終手段としてピッキングとばかりに宝具で楔を壊そうともチャレンジしてみたんだけど、呆気なくもこれも無理だった。多分<堕天の楔>はスキルとかと同じで、決まったモノでしか干渉できない世界のブラックボックスの一つなんだ。もしブラックボックスが弄れるなら、俺はとっくに不運補正を直してるっつー話なんだよね」
「そんなに明るく言えるような内容じゃないと思うんだけど……」
まるで何ともないような風に語ってはいるモノの、カナメが言っている事はつまり、カナメはどんなに還りたくても還れないという事実に他ならない。
それは、とても悲しい、と私は思った。
何も言えずにこの世界に堕ちてきて、親しかった友人や家族と会えなくなるのは、辛い事だと思うから。もし私がカナメと同じ立場なら、絶対に受け入れられないと思う。
でも、カナメが笑いながら語っているのだから、私がおいそれと触れていいような内容じゃないとも思えたから、私はそれ以上何も言わなかった。
「んで結論から言いますと、お手上げだった。俺本人は還る事ができん。絶対にだ。まったく面倒なシステムというか、構造をしてるんだよね、この世界は。
……まあ、今更還った所で知り合いなんて皆等しく死んでるし、俺は不老不死の化物にして大軍殺人者だからねー。今更居場所なんてここ以外の何処にもないんだけども」
再度言うけれど、出会ってから数日しか経っていない赤の他人である私が、踏み込んではいけないような話だとは思う。
誰だって踏み込んでもらいたくない部分はあるのだし。
だけど――
「でも案外こっちの生活には不自由ないんだよな。と言うか、俺は生産系の能力だから自由に動かせる手足が増えれば増えるほど効率がいいというか――」
私は今、カナメの本心を神の声を使って聞き出そうとしている。
でも神の声は何も教えてはくれなかった。と言うよりも、声自体が聞こえてこない。この感覚は、二度目だった。
恐らく、カナメが――意識的にか無意識的にかは不明だけど――掌の口で私の能力を喰っているのだと思う。
その行為がカナメの自我の防衛本能によるもののように感じられた。
「堕ちてきてから百年は色んな事が知りたくて、傭兵団造って人間界魔界問わずに世界中旅してる途中に暴れてた盗賊団を壊滅させたりと、国を救ったり滅ぼしてみたり、結構こっちの生活を満喫したりしてさ――」
「カナメ……」
私は彼の名を呟く。しかしその声は、何とも表現し難い悲しみによって震えていた。
何故私は悲しんでいるのか、何故カナメの名を呼んだのか自分でも分からない。
でも、何かしたいとだけは思っていた。
だからだろう。私の身体は何かを頭で考えるよりも早く、まるでそうする事こそが最善であるかのように、一切の躊躇いなく動けたのは。
「いや、初めて本物の竜に出会った時は驚いたね。体長十五メートルとか軽く越えてるのばかりだし。まあ、その中でも圧倒的なのはやっぱり魔界の秘境に住んでる灼山騎龍種の長老で名前付きの魔獣でもある“グルンカスコッサ”だな。なんてったって体長が小さな山程もあってさ――」
「カナメ」
気が付くとカナメのすぐ横に移動していた私は、ギュッと、カナメの頭を抱き抱えていた。
「……ええーと、セツナさん? 何事ですか?」
戸惑いの声が上がる。
「……自分でしておいて何だけど、私にも正確な意図は説明できない。ただ私がしたかったから、と言う事で納得してほしいのだけど」
しかし戸惑っているのは私も同じだった。
これが最善の行動だったとは思うけれど、しかし何故私がこんな大胆な行動をしているのかについては私も知らない。寧ろ知りたいと思う。
無意識だった。気が付くとしていたのだ。本当に何故だろうか。
「その、だな……うん、私がしたかったから、したんだ。カナメはじっとしていればいい」
改めて今の状況を客観的に見てみると、少々、というよりもかなり恥ずかしい事をしている事に気が付いた。
羞恥で全身がポカポカと火照り、顔が真っ赤になっているという自覚がある。
カナメの頭を抱き抱えるのを止めれば治るだろうけど、今の顔は何となく見られたくない。
だから私はこの状態でしばらく固定する事に決めた。
混乱していたから動けなかったとも言う。
「……んじゃ、お言葉に甘えて」
カナメはそう言ったきり、何も話さなくなった。私も何を話せば分からなかったので、部屋は静寂に包まれた。
でも、息苦しい静寂ではなく、何か気恥ずかしい静寂だった。
「じー」
「はっ!」
ガバッ! とカナメの頭が私の拘束を振り切って離れた。
そしてまるで何かを探すようにキョロキョロと周囲を見回しながら、ダラダラと冷や汗を流している。
顔面蒼白となり、まるで誰かを恐れているように見える。というか、そうにしか見えない。
「ど、どうしたカナメ?」
「え、ああ、いや特に重要ではないけど、俺の本能が最大警鐘を発動させたからついつい」
「それは十分重要じゃないのか?」
カナメは明らかに混乱していた。恐怖に脅えていると言っていい。
私の感覚でさえ何も感じられなかったのだから、カナメの勘違いか、もしくはカナメだけに向けられた危機なのかもしれない。
「いや、うん、きっと勘違いだな。うん、そうだそうに決まって――」
ぶつぶつとまるで自己催眠をかけているようなカナメの邪魔をするかのように、二人きりだった部屋に、コンコン、と乾いた音が響いた。
音源は私の真後ろで、そこにはこの部屋唯一の出入口がある。
つまり、誰かがドアをノックしたのだ。
「あの悪寒はこれか!」
不安が当たってしまった、と絶望したかの様にカナメが叫ぶ。
私としては、何故ここまでカナメは恐怖に震えるのか分からないモノの、確か報せに来るのはカナメと一緒にいたとても綺麗な人で、確か名前は――
『カナメ様、入って宜しいでしょうか?』
「リリーさん、何カ物騒ナ代物ヲ持ッテナイデスカ?」
――そう、確かポイズンリリーさんだったはずだ。
『何を仰いますか、カナメ様。物騒な代物を、今私が持つ理由がありません』
「……本当か」
『本当です』
「……じゃあ、入れ」
ボソリ、と小さく呟かれた言葉は、普通なら扉越しに聞こえる範疇を越えるほど小さなものだったのだけれど、ポイズンリリーさんには聞こえたようで扉はゆっくりと開きながら中に入ってきた。
その行動だけを見ても、動作に全く無駄がない。
「そろそろ到着致しますので、そのつもりでお願いします」
同性の私から見ても、ポイズンリリーさんは綺麗だった。まるで一種の芸術品のような、それでいて不可侵の聖域のような神々しさがある。
色んな意味で、私は彼女が羨ましいと思った。
「後、セツナ様には別の部屋にて待機中のフェルメリア達と一緒に色々な物資を配給しますから、移動して下さい。時間も無いので、さささっと」
『ちょ! おま、その不敵な笑み、絶対俺に何かする気満々じゃねーかッ!』
「押すほど急かすんだから時間が無いみたいですけど、所で何処に行けばいいんですか?」
『あれ、ちょとセツナさん!? 俺の悲痛な叫びは無視ですかッ!?』
「失礼、説明し忘れていました。部屋を出て右に真っ直ぐ進み、二回目の曲がり角を左折して三番目の部屋です」
『ふふふふ、カナメ様。今は私が<限定音響>を発動させているので、セツナ様には声が届く事はありませんよ。というか、私が逃がす訳ないじゃないですか』
『おのれ、謀ったなッ!』
「分かりました。じゃあ、急いで行ってきますね」
「後のことはお任せください」
『ふふふ、負け犬の遠吠えとは滑稽の極みですね、カナメ様。さあ、存分に踊って貰いましょうか』
『ふざけんなーッ!!!!』
ポイズンリリーさんに背中を押されて催促されながら、私は部屋から出て言われた通りの部屋に急行する。
左手に嵌めた白銀の腕輪――<白銀の抑制環>の効果によって速さはそれほど出なくなっていたものの、それでも音速に近い速さで私は船内を一切傷つける事無く走破した。
ただ部屋に到着した時に何やら悲鳴のような響きが聞こえたような気がしたけど、多分空耳なのだと思う。
その後私は簡単な説明を受けながら、色んな物資を貰ったのだった。