第二十六話 輝舟内の会話と従者の説明 前編
「――と言うわけです」
閉ざされた密室に互いに好意を抱いている若い男女――正確に言えば男は見た目以外若くはないし、女は女で自分の気持ちが何なのか分かっていない節があるのだが――が二人きりというのは些か甘い又は危ない香りが漂うものであるが、しかし今この場では至って真面目な話が展開されていた。
男女――カナメとセツナは大きいソファにゆったりと腰を据えて対面し、ポイズンリリーが事前に淹れていったコーヒーを啜りつつ、十分ほど前からこうして話し合っていた。といっても今は専らカナメがセツナから元居た次元がどのような進化を遂げているのか、という話を聞いているのが現状である。
そしてそんな二人が話しをしているのは戦略飛行宝具・<輝舟>に存在する、カナメの私室だった。
船の内部とは思えないほど大きな部屋の天井には従来のモノよりも高純度に生成された魔石を使用し、幾千もの実験の末に生み出された特殊なカット方法で魔石の形を整えた事により、より明るい光を供給できるように工夫が施されたアヴァロン産の魔石灯製シャンデリアが吊り下がっている。
床には赤く柔らかな絨毯が敷かれていた。
ビロードのカーテンが掛けられた大きな窓からは空を飛んでいる<輝舟>と同じ高度にある白雲が一枚の絵――<輝舟>が空を飛んでいるので常に変化し続ける為に、動画という方が正しいのだろうが――のように映っており、外は地表から遠く離れた空であるという事を教えている。飛んでいる高度が高度なので、通常では見えない場所まで見えている。
そして外の圧倒的とも言える景観に対抗するかのように、部屋を彩る数多の装飾品には一つとして凡庸な物がなかった。
座っているカナメの左に位置する北側の壁際に並ぶ飾り棚には、物に魔術刻印を刻む事ができる高位魔術師しか造ることが出来ない魔術礼装の陶器や分厚い書物が、まるで大安売りのバーゲンセールのように無造作に、しかし見栄えがするように計算されて並べられていた。
その隣には長い月日を掛けて大量の自然魔力をその内に溜め込んでいるので、大量の魔力を一度に得られる外部供給品として大掛りな魔術儀式などに重宝されている希少価値の高い宝石が、これまた大安売りのバーゲンセールのように幾十も詰め込まれた宝石箱が並べられている。
それも宝石箱は一つや二つではなく、パッと見ただけでもその数は十以上。
宝石一つで操れる魔術の段階が一ランクアップするというような代物なので、魔術師ならば喉から手が出る程手に入れたい品々だった。
それらが神々しく放つ輝きと装飾品全てを売り払った時に齎される利益を想像すると、最早ため息しか出て来ないというものだろう。興奮のあまり唾が口から垂れてしまうかもしれないほどだ。
そして飾り棚だけでこれなのだ。他にも目を向けてみると、驚きの発見はまだまだ見つける事ができる。
この部屋の主たるカナメとその客人であるセツナが座っているソファだって、座った者から漏れ出している微量の魔力を吸収し、座った者の身体の調子を改善する魔術と摩耗した精神を癒してくれる魔術が発動するようになっている魔術礼装の一種であるし、卓上に何も置かれていないので美しい木目がよく分かる、どっしりとした執務机も魔術礼装の一つだった。
そして宝石や魔術礼装が並ぶ飾り棚とは真反対となる南側の壁には、戦国時代に名を馳せたとある戦国武将が着ているような朱色の鎧がでんと構えている。そして朱色の鎧のすぐ隣には赤い長槍や黄色い短槍、刀身が弧を描くように大きく湾曲した片手剣などといった種々様々な武器が約十ほど騒然と並べられていた。
そして飾られた武具達は何を隠そうそれら全てが、自らに相応しき主に使われる時を待ち望んでいる、一つ金貨千数百枚以上の財宝に匹敵する宝具達だった。
まあ、もっとも、彼らが使われる機会は今の所なく、ただ<輝舟>におけるカナメの私室を彩る飾りでしか無いという悲しい現実があるのだが、それは今はどうでもいい事だろう。
気になる問題は、一体この部屋だけで金貨数億枚以上もの価値と費用が注ぎ込まれているのか、と言うことではないだろうか。
ここでハッキリと断定する事はできないのだが、この部屋にある者だけを全て売れば、少なくともアヴァロン以外の数ヶ国分の国家予算には匹敵する程の価値を叩きだすのはほぼ確実だった。
このような豪勢すぎる装飾ができるのも、一重にアヴァロンという国の恐るべき技術力と経済力のなせる技なのである。というか、カナメのユニークスキルのなせる技なのであった。
「母星を飛び出した人間は数多の惑星に散っていった……か。前にも他の勇者から聞いた事だったんだけどさ、それなんて宇宙世紀って話だよな。機動戦士ガムダンとか居そうだし」
「ガ、ガムダン? ですか? ……ごめんさない、ガムダンって何ですか?」
「ここでも来るのか、カルチャーショック! ああ、時というのは何と残酷なのだろうか……」
まるで信じてきた神に見捨てられ、そのショックで深く絶望している聖人のように涙を流す、という何時ものようについついオーバーリアクションをカナメはしたのであるが、そこでハッと気が付いた。
此処にはいつものような激しく且つ毒々しいツッコミを入れてくれる存在が居ないという事に。
「あ、えと、その、……そうですね」
少しどう言ったらいいのか困惑している風な表情を見せるセツナに、カナメは内心でしまったと叫んだ。カナメのリアクションに対して素人ではなかなか上手い切り返しが思いつかないのだ。
だから、絶対にセツナを責める事は出来ない。この状況で悪いのは、間違いなくカナメなのだから。
ああ、リリーよ。お前は近くに居ない時でも、普段俺の奥深くに浸透させている毒で俺を苦しめるのか。何と言う策士。俺の作品ながら、その精巧さに寒気が走る。
カナメはそんな事を思いはしたものの、長年の経験によっていち早く意識を切り替えた。
「ごほん。とまあ、冗談はさて置き、予想以上に面白い進化を見せている訳だ」
一つ咳払いを入れる事によって場の空気を一旦出来る限りリセットし、先ほどの失態を忘れさせるように朗らかな笑みを浮かべながら、カナメはセツナに視線を向けた。
無論その効果がいまいちだったというのは言うまでも無い事だろう。
しかしあまり深く考える事を放棄したカナメは、ゆっくりとセツナから聞いたばかりの内容を頭の中で反芻していった。
俺やセツナちゃんが居た次元では、神の子と言われた救世主であり預言者だった人物――イエス・キリストが生まれた時より始まりを告げた西暦は既に終わりを迎えていた。
アチラでは地球という母星より巣立ち、今や宇宙に進出した宇宙世紀の時代である、というのはセツナちゃんと話す以前に出会った二人の勇者――一人目は今から約三百八十年前に、二人目は今から百九十年前に堕ちて来た――との対話で知っていたので、俺は特に慌てる事はなかった。
一応聞いた限りの情報で簡単に説明すると、あちらの世界は二千十数年頃、ある時を境に急激に科学技術が発達し――その時に何が切っ掛けとなったのかは三人とも知らなかった。普通は教えられそうなものだが、しかし知らないモノは仕方が無いだろう――、俺がまだコチラに堕ちていなかった時に問題となっていた地球の温暖や新エネルギー問題などは解決されたのだそうだ。
そして科学技術が発展すると同時に医療技術も格段に発達したというのは実にまっとうな流れであり、そうなると自然な流れで死ぬ人間も以前と比べて激減し、科学技術の発達によって引き起こされた地球規模の人口爆発はそのまま地球人という種族を宇宙という広大な場所に活躍の場――侵略と言えなくも無いだろう――を移行させる起爆剤となったのである。
ここでも科学技術の飛躍的発達が大いに貢献したのは言うまでも無い事だ。
後は話すと無駄に長くなるので詳細は大きく省かせてもらうが、宇宙に進出してから四百数十年が経過し、幾つかの異星人と接触する事に成功した地球人は、異星人と特に大きな争いを起こす事無く平和的に交流していく事によって、広大な宇宙へさらに広がって行ったそうだ。
まさか異星人と接触していたとは……ここは以前は聞いた事の無かった事なので、俺はこの新たな事実に驚愕した。
「んじゃ、確認だけどさ、セツナちゃんには日本の血が混じってるんだよね?」
「はい、祖母の代までは地球に居たそうですから、それは間違いありません。私の父が仕事上他の惑星に出向かなくちゃいけないので、私は地球とは別の星で育ったんです。だから学校とかが忙しくて、私は地球にはまだ二、三回位しか降りていないんですよね」
そう言いながらセツナは苦笑いを浮かべているものの、カナメの本音を言えば、セツナが地球で育とうが違う惑星で育とうが特に関係はなかった。
重要なのは、セツナという一個人にあるからにして。
「さてと、んじゃまこの話はとりあえずここまでにして、次は俺が話をしようか。俺は何を隠そう楽しい話は後に取っておくタイプなんでね。んじゃ取りあえず、俺だけセツナちゃんのスキルについて知っているのは不公平だから、俺のスキルについて説明でもしようか。あと、セツナちゃんに協力するに当たっての条件についても、ね」
そう言うと、微かにではあったが、セツナの顔に緊張が走った。
■ Α ■
<例外しか造り出せない規格外の造物主>。
それがカナメがこの世界に堕ちて来た事によって目覚めた、カナメしか持っていないユニークスキルの名称である。
その能力は非常に強力極まりないものであるというのはこれまでに度々証明されてきたのだが、やはり何事にも得意不得意が存在するものであり、<例外しか造り出せない規格外の造物主>は完全に直接戦闘向きな能力ではなかった。
ハッキリ言ってカナメのユニークスキル<例外しか造り出せない規格外の造物主>は、完全な後方支援特化型である。
ゲームの職業を例えに出すなら間違いなく生産職である鍛冶屋や錬金術師などで、戦士や格闘家といった前衛職では絶対にありえない事である。
ただし、ユニークスキル<例外しか造り出せない規格外の造物主>によって造れる物の上限と幅があまりにも広すぎるので、自分が不得意なモノがあればそれを克服する為に、それに特化させた道具を造ればいい、という無茶苦茶が出来たりする部分があるのだが。
「率直に言って、俺のユニークスキル<例外しか造り出せない規格外の造物主>は、セツナちゃんの<旗持ち先駆ける救国の聖女>みたいに戦闘向きじゃない。
コイツは俺の肉体を強化してくれないし、思考速度を速くしてくれるとかって効果は全くない。それに一応、能力を使うにも条件が少しあるんだ」
カナメはそう言って腕を持ち上げて突きだすと、セツナが見ている前で掌の口を開いて見せた。
数瞬前まではただの掌だった部分に横に亀裂が走ったかと思うと、そのすぐ後には白い歯が生えた“口”がそこに現れるというショッキングな映像をセツナはマジマジと見つめた。
目を放す事無くである。
普通の女の子ならかなりの確率で悲鳴を上げそうな光景なのだが、予想と違った反応にカナメは若干たじろいだ。しかしそれも一瞬の事で、普段通りの顔付に戻る。
カナメの掌の“口”の中――つまりは口腔に当たる部分はカナメの腕の中、という事になるのだが、“口”から内部を覗き込むと見えるのはただただ空虚な闇だけだった。“口”の中は、別空間に直結しているので中を見る事は不可能なのだ。
「……驚いた? これを初めて見た人は大抵驚くんだけど」
「え……あ、いえ、そんな事ありませんよ? もっと変わった人をよく見知ってますから」
「見知ってる? ……ああ、なるほど。異星人か」
カナメはセツナから聞いていた情報を引き出し、一人納得した。
他の惑星で人間とは違った進化を遂げた異星人ならば、多少の異形はあって当然なのだろう。
セツナがこれを見てどんな反応をするのか若干心配していたカナメは、セツナに気付かれない様にため息を吐きだした。
怖がられるかもしれないと、不安を抱いていたからだ。
「なら説明を続けるけど、これの正式名称は外界捕食吸収器官<暴食の口>。まあ、無駄に長いから普段は“口”って省略してるんだけどね。
普通の人間にはない、新臓器とでも思ってくれたらいいよ。ちなみに“口”は生きている物以外なら何だって捕食して、捕食した物を無制限に別空間に貯蔵できる。捕食できる物にはスキルだろうが魔術だろうが死骸だろうが関係ない。
生きていない物ならどんな物でも捕食できる。
でも、これはまだまだ俺の能力の一部に過ぎないんだ。言うなれば本当の能力を使うための付属品、補助機能、つまりはオマケ。
本当の能力は――」
パン、とカナメは付きだしていた腕を引っ込めて合掌をした。
既に数回その行動を見ているものの、その行動が何を意味するのか知らないセツナは小首を傾げ、静かにカナメの動向を見守った。
暫くすると重ね合わせた掌から小さな光りが零れだし、カナメはふっと合掌を解く。途端零れ出た光りにセツナは反射的に手で目の前に壁を作った。
それからゆっくりと手をどけながら、もう光っていない事を確認してからセツナは再び突きだされていたカナメの手に視線を向ける。
正確には、カナメが手に持っている白銀の腕輪に、である。
「――俺が“これはこういう物である”って概念を封入させた作品を造るってのが、<例外しか造り出せない規格外の造物主>の真髄。ちなみにその過程としては最初に“口”で物質を取り込んで、あとは取り込んだ物質を使って俺が思い描いた作品を実物にするって至極簡単な流れなんだよね。
“口”で取り込んだ物質で俺が思い描いた空想の作品をこの世界に産み落とす。俺がこの剣は消えない炎を生み出せるって概念を思いながら作品を造ると、出来上がったのはその通りの事ができる作品なんだ。その原理は俺自身にもハッキリ言ってよく分からないけど、“そういう物”だから“そういう物”として機能するんだ。
つまり過程をすっ飛ばして結果だけを造り出す、って事。ちなみに、ここで深く考えちゃいけない。ただ“そういう物”だと知ればいい」
ハッキリ言って、カナメ自身<例外しか造り出せない規格外の造物主>によって生み出される作品がどのような経路で思い描いた能力を使っているのか知らない。
五百年も使い続けているが、ただ“そういう物”――概念を封入させた作品を造る能力としか思っていないし、そうだと断定している。
そう、つまりはスキルに関しては深く考えてはいけないのだ。
どんなに滅茶苦茶なスキルだろうとも、ただあるのだからあると肯定しなければならない。それが不可侵にして神秘的で、呪いにも似た世界のブラックボックスなのだから。
ただそういう物だと知っておけばいいのである。
ちなみに、取り込んだ物は固体は固体、気体は気体、液体は液体としてしか素材として使えないという条件も存在する。これは剣を造りたいなら固体を材料に、ガスなどの気体を造りたいのなら気体を材料に、液体を造りたいなら液体を材料にしなければならないという事だ。
「ちなみにこの腕輪、セツナちゃんにプレゼントする為に造ってみたんだけど、どう?」
「…………綺麗、ですね。それからとても、嬉しいです。こんなに嬉しいのは、本当に、久しぶりだと思います」
微かに呟いたセツナは、そっと、まるで壊れやすい品物を扱うような手付きで、カナメが差し出している白銀の腕輪を受け取った。
若干呆けたような表情を見せたセツナはしばしの間手にした白銀の腕輪を見つめ、ふいに顔を上げると、向日葵の様な笑顔で――
「これ、大切にしますね、カナメさん」
――とても綺麗な笑顔を見せた。
それは柔らかく、胸が温かくなるような笑顔だった。目元には微かに涙が滲み、それだけでセツナの気持ちを如実に表していた。
「う、あ……あ~、とだな。その腕輪の名前は<白銀の抑制環>。セツナちゃんがその肉体性能がお気に召さないみたいだったからさ、指定した能力の最大値を半分に抑えるって概念が封入された作品なんだよね。ちなみに、これは<確約されし栄光の剣>と同じく宝具だから、その効果は保障するよ」
若干しどろもどろになりながら、カナメはセツナにプレゼントした腕輪について説明した。
この腕輪はカナメがセツナに初めて出会った次の日には考え付いていた作品で、セツナを苛んでいたストレスの原因を多少なりとも減衰させる目的があった。
なのだが、色んな事をふっ切ったというか、人として以前よりも成長したセツナにはただ単純なプレゼントとなっていたのだが。
「あとさ、さん付けってのも違和感があるから、カナメだけでいいよ。後その畏まってるような口調とかも駄目、禁止だから。だから、俺もセツナって呼んで言いかい?」
「はい……じゃなくて、うん、でいいのかな?」
「そうそう、もっとも自然に、柔らかく行こう」
「それじゃあ、改めてよろしくお願いします、カナメさ……カナメ」
「うん、よろしく、セツナ」
二人はそう言って、どちらともなしに笑みを零した。
■ Α ■
「などと言ったやり取りをしているのでしょうか。ええ、そうでしょうね、きっとそうに違いありません」
ポツリ、と機玩具人形の長女であるポイズンリリーはそんな呟きを洩らした。
顔は何時も通りの無表情ながら、しかし手にした教鞭はギリギリと悲鳴を上げている。
「ああ、まったく。何でしょうかこの処遇の差は。何故私がこのような説明をしなければならないのですか」
忌々しそうにそう呟いたポイズンリリーは底冷えしそうな視線で、数歩進んだ所で椅子に座っている十人の姿を見る。というよりも、睨みつける。
睨みつけられている十人は出来るだけポイズンリリーと視線を合わせない様にあらぬ方向を見ているか、瞼を閉じて時が経つのを待っていた。この行動はただ純粋に、今のポイズンリリーと関わるのが危険だと本能が感じていたからに他ならない。
「まあ、愚痴もここまでにして、これから貴方達の処遇について簡単に分かりやすく説明しますと、聖典騎士の方達は地獄を見て頂きます」
淡々と、ポイズンリリーはそう宣言した。
流石にその発言には対象である聖典騎士八名にどよめきが走り、聖典騎士の主たるフェルメリアは椅子から立ち上がりながら声を上げた。
「それは一体どういう事ですの」
「はい、質問がある方は挙手してから質問を言って下さい」
ズコン、とポイズンリリーが柔軟過ぎる手首のスナップを使って持っていた白い棒を高速で射出し、標的に避ける隙を与える事無く狙い通り眉間に直撃させた。白い棒は当たった衝撃に耐えきれずにバラバラに自壊してしまい、その残骸はフェルメリアに白い化粧を施した。
直撃を受けたフェルメリアの頭は大きく仰け反り、強制的に椅子に座らされる。口から若干白い何かが漏れ出しているような気がしないでもないが、きっと過剰表現なのだろう。
ポイズンリリーが投げ放ったのは、炭酸カルシウムや石膏(硫酸カルシウム)を水で練り成型したもので、つまりはチョークである。
「は~いす。質問なんやけど」
主の惨劇にあわあわと慌てている同僚を見ながら、聖典騎士の一人がポイズンリリーが言った事に従って手を上げる。
今度は流石にチョークが飛んでくる事はなかった。
「なんですか、ルシアンさん」
「地獄を見るとはどういう事なんですかい?」
「そのままの意味です。貴方達にはアヴァロンの軍人や学徒生達が最も忌避し恐れている、最強最悪の試練――特殊軍事訓練・機玩具人形担当バージョンを受けてもらいます。良かったですね、間違いなく貴方達の実力は上昇しますよ。
まあ、もっとも、貴方達の担当教官は私の弟の<狼顔の狂戦士>ですから、取りあえず忠告しておきます。
最低限、死なない様に足掻いて下さい。ヘジンは少々――というよりもかなり――暴れん坊なので、気を抜けば訓練でも殺されそうになる事が多々有りますから」
さらりとそんな事を言ったポイズンリリーであるが、その発言は聖典騎士八名に恐怖を抱かせるのは十分すぎるものであり、自分が知らない未知の恐怖というモノは、なかなか抗い難いものなのであった。
「次に魔術師である貴方達二人ですが……」
未だに意識不明のフェルメリアと、その横で小さく不安げに震えている少女――パティーを見たポイズンリリーは一度、ふう、とため息をついた。
その仕草がパティーの不安を煽ったという事は言うまでも無い。
ちなみにこのため息は、主を見習った演技である。
「二人は普通にアヴァロンの魔戦学校に入って勉強なり魔術の研究なりを自由にして下さい。一応留学扱いとなりますから、級友と友好を深めて友達と合同研究をしてみるのもいいでしょう」
「え? ……それだけですか?」
「それだけです。まあ、自分と周囲の差に愕然として、プライドをズタズタに引き裂かれる事は請け合いなのですが」
「……」
淡々とそう告げたポイズンリリーを見上げながら、パティーは口を閉ざした。
「さて、では次の説明ですが、注意事項が幾つかありまして……」
それからポイズンリリーが注意事項や禁則事項を最初からペースを変える事無く淡々と説明しながら、時折数度質問に答えて行くというやり取りが行われたのであった。