第二十四話 旅立ちと再会と、脅迫?
『初めましてこんにちは。これを君が読んでいる時の時間帯によって、おはよう、かそれともこんばんは、かに挨拶が変化するんだけど、それは置いといて。
まず初めに自己紹介をしようと思う。俺の名前はカナメ、苗字は無く、ただのカナメだ。
さて、部屋で目が覚めてテーブルを見たらこんな手紙があって驚いたと思うが、無駄に長引かせるのも面倒なので率直に語ろう。
昨晩、錬鉄場にて君を倒した黒い甲冑は、他ならない俺だ。
さらに言えば君と同郷の者で、君と同じ勇者――まあ、俺は元が付くんだけど――だ。ここでは君と戦った理由は伏せておくとするけど、漢字で書かれたこの手紙を読んでくれれば、俺が君と同じ勇者だって事の信憑性は高いと感じてもらえると思う。
それからもうちょっとだけ補足したら、君が持つ<確約されし栄光の剣>の製作者も俺だったりする。
ちょっと時系列的に可笑しいと思うかもしれないけど、俺は無駄に長生きというか、とある事情によって死に難いんだよね。
とまあ、大まかにこれだけ書けば聡明なセツナちゃんには大まかに何かが理解できたと信じる事にしよう。
しかし当然、理解できない部分も多々あると思う。それが普通だし、俺が秘匿している事もあるわけだし。
だから俺は君と話したいから俺の国――アヴァロンに招待したいと思っている。
無論セツナちゃんが還るための助力も――条件付きで――する気満々であります。
だから今から二日後、つまりは君が旅立つ日の真昼、時間にして十二時から一時までの一時間、ここから西へ八キロばかり進んだ所にあるカンピナ草原の丘の上で待つ事にした。街道も近くに通っているし、真っ直ぐ目指してくれれば此方から道案内役を送るから、安心して欲しい。ちなみに道案内役は一目で分かると思うよ。何しろ俺とその従者は無駄に目立つからね。
それから勿論の事、案内役に従って俺の所に来るのか、それとも来ないのかは、セツナちゃんの意思で決めてくれればいい。
この世界に堕ちてきて碌に選択肢なんて無かっただろうから、せめてこれくらいは自分で選ぶといいよ。
ああ、そうそう。俺の時と違ってセツナちゃんには結構強靭な護衛が付くだろうけど、そいつ等も連れてくるかどうかはセツナちゃんに任せるから。俺はどっちでも構わないしね。
というか、連れてきてもらったほうが面白い事になるかもしれないから、遠慮しなくていいからね。
では、また会った時はよろしく。
その時は、全てを話そうか。
カナメよりセツナちゃんに愛を込めて』
この二日間で幾度となく読み返したせいで、所々若干草臥れてしまっている手紙に日本語で書かれた文章を再度読み返し、私はゆっくりと息を吐き出しながら椅子の背もたれに身を預けた。
ふわふわとした椅子のクッションは柔らかく、私の身体をそっと優しく支え、全身を包み込んでくれる。その心地良さについ眠くなるけれど、それはグッと我慢した。
私がもたれ掛かって暫くすると、椅子は大気中に存在する魔力を吸引してそれを内部で圧縮し、内面に刻まれている魔術刻印に圧縮した魔力を注ぎ込んでとある魔術を発動させた。
魔術が発動すると同時に椅子は仄かな青色の光りを帯び始め、椅子にもたれ掛かっている私の少々高揚していた心はその勢いを魔術によって抑制され、何時ものように落ちついた精神状態で安定した。
フェルメリアによるとこの椅子には心身を回復させる魔術が施された魔術礼装の一種らしく、これ一つを造るのに金貨十数枚が消費されているとか。
一般的な平民が何年も懸命に働いても届かない価値がある魔術礼装の椅子を使わせてもらっている事に若干の後ろめたさはあるけれど、しかし私はこの椅子が気にいっていた。日々溜まるストレスを、多少なりとも和らげてくれるからだ。
肉体面ではすぐ回復するので、なかなか回復しない精神のケアを行ってくれるのはとてもありがたかった。
「カナメさん……かぁ……」
声に出して手紙に書かれている彼の名前を呟くと、二日前の夜に錬鉄場で起きた出来事が鮮明に思い出せる。
私をただの化物染みた人間と断言した黒い甲冑、手には私の<確約されし栄光の剣>と全く同じ形で、しかし色が真黒に染まった同等にして異質の<確約されし栄光の剣>を持ったあの立ち姿。
音速を容易く超える私の全力の一撃を、さも当然のように受け流した本当の化物。
大地を手足のように操って巨大な壁を一瞬で生成し、その身を何時の間にか紅蓮の炎に包んで佇んでいた魔神。
私が碌に立てなくなるまで魔力を注ぎ込む事で生まれた、領域内の全てを薙ぎ払う理不尽な暴力の塊だった極光の一撃を真正面から受け止めても、その身に傷一つ負う事無く完璧に防ぎ切ったばかりか、攻撃した私を無傷で気絶させるほどの余裕があったあの圧倒的な存在感。
今思い出しても私の身に微かな震えが走った。でもこの震えは、決して恐怖から来るモノじゃない、と私は知っている。
その感情がどのようなものなのかは分からないけれど、恐怖じゃないとだけは、断言する事ができる。
結局の所、あれほど攻撃したというのに、私は彼に一太刀たりとも攻撃を当てる事は出来なかった。
どんなに速く動いた所で、彼は私以上に速く動いた。私が攻撃を繰り出す前からまるで未来が見えているかのように動き、そしていち早く動けているからこそ私の攻撃を余裕を持って完璧に防ぎきる技量が一際映えていた。
召喚されて多少の剣術のイロハを教えられたとはいえ、流石に私はまだまだド素人なんだと痛感させられたあの圧倒的な剣術と無駄のない体の動かし方は、正に幾千の戦場を歩んできた古強兵と呼ぶに相応しいと思わざるを得なかった。
正直なところ、繰り出した攻撃を防がれながらも、私は彼の動きがとても綺麗だと思っていた。
私がほとんど身体の性能だけで戦っているから、余計にそう感じたのかもしれない。
しかしそれでも、間違いなく、彼の動きはしなやかに研ぎ澄まされ、そして美しく力強かった。
だから例えユニークスキル<唯一なる神の声>が正常に働いた所で、あの戦闘の結末に変化は無かったと思う。
私では彼に勝てない。きっと、恐らくはこれからも。何となく、そう思う。
それから、もし私が彼に勝てるとすれば、その時は多分、私が私ではなくなった瞬間からだ、とそんな考えが一瞬だけ脳裏を過ったけれど、そんな益のない考えは頭を振って追いやった。
「どんな、人なのかな……」
自分が化物というのは、私の思いあがりだった、という事ではない。
私が人外の能力を持っているという事はどんな事をしても消えない事実だし、他人から見れば私は間違いなく化物として映る事だろう。音よりも速く動けるばかりか、到底人間の力では圧縮できない金属の塊を握り潰せるなんて、そんなのは化物の所業だという事に変わりない。
だけれど、それでも、あの人はこんな私を「化物染みたただの人間」と断言してくれた。
そうだ、私をあんなにも軽くあしらった彼からすれば、私程度なんてきっと自分と同列に比べるに当たらない矮小な存在だったのではないだろうか。
それこそ、彼からすれば勝手に泣いている子供でも見ているような気分だったのではないだろうか。
だから私は、仮初でしか無い虚勢の仮面を被り、心の奥底で自分が泣いている事が、急に馬鹿らしくなってしまった。
自分を化物と呼んで蔑んで嫌悪し、一人で勝手に絶望して、他人を勝手に恨んで――いや、恨むのは仕方ないとして、自分の世界に閉じこもって泣いていたただの子供だと、知ったから。
今だからこそ言えるのだけれど、少し前の私は何と滑稽な事なのだろう。正直言って、今私は過去の私が恥ずかしい。赤面モノだ。
でも、だから私は、だからこそ彼に会いたいと思っている。
彼と直接会って、ただ話がしたい。
今は魔王がどうとか、自分が化物なのかそうでないのかとか、元居た次元に還るとかよりも、私は彼に会いたかった。
何故会いたいかは私自身よく分かっていない。
でも、今私はただ彼と会って、話がしたくて堪らなかった。
「多分、カナメさんはいい人……だよね」
ぎゅっと手紙を抱きしめながら、私は窓から見える空を見た。
青く澄みきった空が、そこには映っている。空には時折パンッ! パパンッ!! と乾いた音と白い煙が途切れ途切れに生じていて、今日この日を賑やかにしていた。
打ち上げられているのは、パレードを飾る花火だった。
そう、今日は待ちに待った、旅立ちの日。
花火が上がる蒼穹は、どこか私の旅立ちを祝福しているような気がした。既に城下町には多くの人が集まっているのか、王城深くにあるこの部屋まで外の賑やかな歓声が聞こえている。
私はそっと瞼を閉じ、その歓声を聞くために集中した。
だがその時、ドアからガチャリと音が鳴った。誰かがドアを開けたのだ。
私は歓声を聞くのを止めて顔だけをドアがある方向に向け、部屋に入ってきたのが誰なのかを見た。
部屋に入ってきたのは、護衛として私と共に旅をする事となっている、一見すると山賊か盗賊に見える聖典騎士――ルシアン・エステルハージであった。
「セツナ、そろそろ時間やで」
ルシアンが部屋に入って早々、そんな事を言った。
どうやら私を呼ぶために来たらしい。それからハッとなって時計を見てみれば、あと少しで約束の時間になろうとしていた。
カナメさんが残していった手紙に集中していて、私はどうやら時間の事を忘れていたようだ。
「ああ、分かった。しかしすまないけど、ルシアンは先に行っていてくれないか? ちょっとだけ、する事がある」
「了解了解。あんまり皆を待たすなよ~。国民の多くがお見送りしてくれるんだからな」
「分かったと言っているだろう。というか、さっさと行け! まったく、ルシアンは乙女の秘め事を見ないようにするような気遣いも出来ないのか?」
「あ~わりーわりー。んじゃ、早くしろよ~」
ひらひらと手を振りながらルシアンは部屋から出ていった。
バタン、とドアが閉まる音が響く。
それを確認してから、私は椅子の傍にある机の上に置かれた特殊軽金属繊維で造られている四角い旅行鞄を開けて、その中にカナメさんが残した手紙を丁寧に形を整えてからそっと入れた。
それから旅行鞄を閉じてガチリ、と閉鎖音が鳴るのを聞きながら、旅行鞄から中身が出ないようにする鍵を閉める。その後、キッチリと鍵が閉まっているのか簡単に確かめた。
ちなみにルシアンに出て行ってもらったのは、この旅行鞄の中身を見られたくなかったからに他ならない。
何を隠そうこの旅行鞄の中には、私の身の回りの物が詰め込まれている。身の回りの物が入っているというのだから、当然それは着替えとか、下着などだと理解してほしい。流石にそんな物をルシアン――というよりも父さんや兄さん達以外の異性に見られるのは、ちょっと恥ずかしいというか何というか、まあ、見られたくないものが入っているというわけなのである。
旅行鞄の点検も終わったので私は椅子から立ち上がり、机の上から旅行鞄を下ろした。
以前なら若干重かった鞄も、今では羽毛のように軽かった。カナメさんに出会う前ならこんなささやかな変化でも気にしていただろうけれど、今は気になる事も無い。
今は少しでも早く、カナメさんに会いに行きたいと、一人走り出しそうだ。
急かす感情をどうにかこうにか律し、私はゆっくりとルシアンが出ていったドアに向かった。
ちなみに私が手にしている特殊軽金属繊維で造られた旅行鞄はこの世界のモノではなく、召喚された時に持っていた私物で、友達とお揃いで買った記念の品でもある。
私がこの異世界に召喚されたのは友達と一緒に自然豊かな惑星コダールへと三泊四日の旅行に行っていた時なので、着替えなどがそのまま入った旅行鞄も一緒にこの世界に来てしまったのだ。
その為に夜、私が訓練する時には旅行鞄の中に入れていた黒いタンクトップにホットパンツという動きやすい服に着替える事ができた。
「さて、カナメさんに会う前に、ここでの最後の仕事をしないと……」
これから私は多くの人に見送られながら魔王を討伐する勇者の旅立ちという、国民に対するある種のプロパガンダとなって聖都を去らねばならない。
まあ、これくらいならしてもいいかな、と思える心理状況にまで回復しているのだから、国王には感謝して貰いたいものだ。
それに一応、不本意甚だしいけれど、一ヶ月という短い間だったとはいえ、多くの人の血税の上に胡坐を掻いて暮らしてしまったのだから、私としてもきっちりとケジメは付けたいというのもある。
だけどこれで最後だ。
魔王を――討伐するのは私が還るためにどうしても必要だからするけど、それ以上の事はもう私はしないと心に決めている。
というか、してたまるか。
まあ、だからこそ、最後の仕事はきっちりと終わらそう。
それで借りた貸しは帳消しにして貰う。というか、そうする気満々なのだけれど。
「それにしても、カナメさんの手紙の最後の部分は……」
ドアノブに手をかけた所で、私はふと思った。
「どういう意味のあるジョークなのだろうか」
この二日間悩んでも答えが出る事の無かった疑問を呟きながら、私はもう二度と入る事のない、私がこの異世界で一ヶ月の時を過ごした部屋から出ていった。
最早二度と、この部屋に踏み込むことはないと思いながら。
■ Д ■
“近ヅイテイルヨ”
“見エテ来タヨ見エテ来タヨ”
“護衛ガ警戒シチャッテルヨ”
唐突に聞こえた神の声に反応して、私は窓を開けて若干青くなっている顔を風に晒した。
「あれが……そうなのか? しかし……気持ちが悪い……」
聖都に集まった何千人もの大衆に見送られた後、私達一行は真っ直ぐ魔界がある西を目指し、街と街を繋いでいるという街道の上を進んでいた。
進んでいたと言っても、地道に徒歩で、と言う事ではなく、一つの家程はありそうな大型の馬車に揺られながらだった。馬車の中には寝る所やトイレ、調理場や二階まで設置されていたりと、普通の家と大差が無い。
それに外装には所々に高威力の攻撃魔術を撃つ事ができる砲台型の魔術礼装が設置されているので、一言でこの馬車を何かに例えるならば、まさにこの世界の重戦車と言った所ではないだろうか。
これを造るのに軽く金貨数千枚以上掛かっているらしいので、ちょっと壊した時が怖い。
それに馬車を牽引しているのも十頭の魔帝馬――生体魔術によって馬を素体に生み出された人造生物。膂力や速さ、持久力といったスペックは、通常の馬の約三倍だそうだ――と言う事もあって、下手な軍隊ならこの馬車一つで互角に渡りあえるのだそうな。
もっともその重装備・生活空間の充実性の為に、馬車の重量が凄い事になっているので、一応馬車には走る衝撃を吸収してくれるサスペンションと重量軽減の魔術が幾重にも取り付けられているそうなのだけれど、私は走行時地面擦れ擦れを浮いて走るスカイカーといった走る振動では揺れない乗り物しか体験した事がなかったので、正直、こんな原始的な乗り物の揺れには耐性が無かったのだと体験している最中だったりする。
私と一緒に馬車に乗っているルシアン達からすれば信じられないくらい些細にしか揺れていないそうなのだが、私が気分を悪くするには十分過ぎる破壊力があった。
もしユニークスキル<旗持ち先駆ける救国の聖女>によって身体の治癒力とか色んな部分が強化されて無かったら、馬車に取り付けられているトイレに駆けこんでいたかもしれない。
そんな醜態を晒さずに済んでいる事に、初めて私は<旗持ち先駆ける救国の聖女>に感謝の念を抱いていた。
「窓から身をのり出したら危ないですわよセツナ。それに気分が優れないのなら、私が魔術で治して差し上げますのに」
「いえ、大丈夫ぶよフェルメリア。どうせ私はもう直ぐ馬車を降りる事になるんだし、そうなれば自然と治るから」
「……それはどういう事ですの?」
怪訝な瞳で此方を見つめてくるフェルメリアに、私はしまったと思ったけれど、今更隠す事も無いかと思いなおした。
幸いにして、今ここには私が感謝の言葉を残したい人間が全員揃っている。
「私はそろそろこの馬車から下りて、一人で行こうと思っているんだ。ああ、でも、私を待っていると言ってくれた人がこの先に居るから、何も心配しないで」
「待っている人が居る? ……そんな話、私は全く聞いていなくてよ? きっちりと説明して欲しいのですが、セツナ」
フェルメリアの澄んだ碧眼が私を貫く。瞳の中には私に向けて静かな抗議の炎が揺らめいていて、流石は王族と言うべきか、その静かな迫力に私は若干気圧されてしまった。
「なら言わせてもらうけど、フェルメリアはこの国の王女様だ。だからその身はフェルメリア個人の物だけど、それだけじゃない。この国の為にフェルメリアは安全な場所で生きるべきだし、だから私と一緒に旅をするなんて止めた方が、きっといい。
でも、危険しかない私の旅に、私と共に来てくれるという気持ちは、私は凄く嬉しく思ってはいるんだ。それはそこで座っているルシアンにだって抱いている感情だし、こんな私を慕って学生の身でここまで付いて来てくれているパティーにも抱いている感情だ。勿論、他の人にも同じだよ」
ゆっくりと周囲を見渡す。
すぐ傍には腰まで届いている金色に輝くゆるふわカールの長髪を靡かせ、特殊な魔術が施されている特注品の純白のローブを着込んだフェルメリアの姿がある。
フェルメリアが着ているローブの内側には軽く、しかし強靭な破邪の銀製の甲冑が胴や腕など要所を護るように配置されていて、遠距離からの大破壊を主とする魔術師としては、些か防御力の高い戦闘服、という服装をしていた。
皆で食事が取れるようにと若干大き目な木製の机を挟んだ向かい側には、王城の私の部屋にあったのと同じ魔術礼装の椅子にゆったりと座り、私が話し始めてから沈黙を保ったまま、私をじっと見つめてくるルシアンの姿がある。
そして私のすぐ横には、不安げな色を宿した瞳で此方を見つめてくるパティーの愛くるしい姿があった。パティーは私を狙った暗殺者を撃退する時に巻き込んでしまった少女で、聖都にある魔戦学校の構内ランキングトップの天才なのだそうだ。パティーはフェルメリアと同じく魔術師で、若干装備の質は落ちるモノの、それでも上等な部類に入る薄赤色の防具を着ている。
その他にもまだ名前を覚えていないが、三人のフェルメリア親衛隊員が今馬車の中に居て、私の言葉を静かに聞いていた。
馬車の外で四人のフェルメリア親衛隊員が見張りをしてくれているのだが、彼らは彼らで、少々慌ただしくなっているようで、私は彼らを放置して話を進める事にした。
「でも、やっぱり私のせいで危険な目に晒すのは嫌だ。だから、ここで別れよう。心配しなくても、私はほら、こんな能力があるんだから、ね?」
「…………」
しばしの沈黙が馬車の中で充満するが、その中で、最初に口を開いたのは沈黙を守っていたルシアンだった。
「俺は例えセツナより弱いとしても、何があってもセツナを護る事が仕事なんよね。つまりセツナが何を言おうが、俺は無理やりにでも付いていくだけなんよ。セツナにとっては鬱陶しいかもしれんけど、な」
おどけた様な、しかし何時も通りの彼らしい発言に、私は思わず小さな苦笑いを浮かべてしまった。
「私はこの先どれだけ危険でも、セツナ様に付いて行くだけです。例え来るなと言われたって、無理やり付いて行く気です!」
次いで、パティーが決意の籠った声でそう言い切った。
神の声が教えてくれなくても、二人の言葉に嘘は無いとハッキリ分かる。
そして次は、フェルメリアだった。
「ふふ、セツナ、気遣いは感謝するわ。でもね、確かに私はこの国の未来を担う王族の一員だけど、私が危険に晒されたとしても助力したその先にこの国の発展があるというのなら、私は幾らでもこの身を危険に晒す覚悟は出来ている」
ハッキリと言い切るフェルメリアの真剣な表情を、私はただじっと見つめた。
「それにね、セツナ、貴方は私に出来た数少ない友達でもあるの。そんな友達を一人だけ危険な目に会わせて、自分は安全な場所で待っているだけなんて、ハッキリ言って、冗談じゃないわ。だから、私はセツナについて行く。これは決定事項だから、そのつもりでね」
それだけいうと、フェルメリアは腕組みしてジッと私を見つめて来た。というより、睨みつけている、という表現に近い鋭さのある目付きで。
でも、よく見るとフェルメリアの頬は若干赤くなっているので、これは彼女なりの照れ隠しなのではないだろうか。
その可愛さに、思わず笑みが零れる。
こうやって屈託のない本当の笑みを浮かべたのは、この世界に来て初めての事だった。
ちょっとだけ、私は自分の弱さを自覚した事によって、人として成長できたのかもしれない。
心の何処かで恨む事無く、友達を受け入れるだけの度量を、私は身に付けられたのだ。
「くく……ふふふ……」
「な、何を笑っていますの!? 私何か変な事を言いまして?」
「ふふふ……いや、何でもないさ。ただ、フェルメリアがちょっと可愛いと思っただけで」
「な、何を言っているのですかッ!? 私とセツナは女同士ですのに……そのような……」
頬だけ赤くなっていたフェルメリアが、私の発言で一瞬で真っ赤になってしまった。
可愛いと言われて真っ赤になるその様子がまた可愛くて、私は微笑みを止める事ができなくなった。
「あらら。なあ、セツナさー、うちの姫さんをそっちの道に誘導されても困るんやけど~?」
「セツナ様セツナ様、私はッ、私はどうでしょうかッ!」
「ああ、パティーも可愛いぞ」
はいはいッ! と小さな体躯を精一杯伸ばしている小動物の様なパティーの頭をそっと撫でてあげると、途端にパティーは嬉しそうな顔になった。
それを見ていると私も自然と笑みが零れ、それからまだ答えを聞いていなかったフェルメリア親衛隊の三人に返事を聞いた。
すると、
「勇者様とご一緒できるなど光栄の極り、この命ある限り勇者様とフェルメリア王女に捧げましょう」
「我らは一振りの剣。剣は戦場にあるからこそ意味があるのです。どこまでも、勇者様とご一緒いたします」
「我らは騎士です。これ以上無い名誉を得るチャンスを逃すほど、軟弱者でも臆病者でもありません」
という返事を貰った。彼らの言う事にも偽りはなく、彼らの本音であるという事は間違いない。
外の四人にはまだ聞いていないけど、恐らくは同じ答えが返ってくるのではないだろうか。
そして皆の答えを聞いて、私は彼らを連れて行こうと決めた。
でも、カナメさんは護衛を連れてきてもいいと言ってくれているけれど、総勢十一人は、ちょっと多くないだろうか? と一人思う。
この人数で押しかけていいのかどうか悩んでいると、フェルメリアが、それはさておき、と前置きをしてから、
「所で、セツナが言う、待っている人、というのはどの様な方ですの?」
と、聞いてきた。
確かにその事を言っていなかった事に気が付いたものの、しかし、どんな風に言ったらいいのだろうか、と腕組みして思案する。
私が知っている事をありのままいっていいものなのだろうか。いや、恐らく、言ってはいけないのではないだろうか。アヴァロンの事を俺の国と言っているカナメさんの情報が他国に知られていないのは、きっと知られたくないから隠しているに違いない。
なら、私の独断では判断しかねる事柄だった。というか、そもそも知っている事自体が少な過ぎて正常な判断ができない、というのが正直な所なのだけど。
「実を言うと、私も彼の事は詳しくは知らない。でも、信用はできるって断言はできるよ。まあ、彼とは直ぐに会う事になると思うんだけどね」
私の言葉に若干の戸惑いを見せたフェルメリア達だったけれど、それと同時にバタバタと足音を鳴らし、扉を蹴破るような勢いで一人の騎士が部屋の中に飛び込んできた事によって注意が私から逸れる。
飛び込んできたのは、フェルメリア親衛隊員の中でも数少ない女性騎士――シェルティナ・ハーテェスだった。
「何事ですの騒々しい。……シャルティナ、一体どうしましたの? 顔が真っ青ですわよ」
飛び込んできた騎士――シャルティナの顔は、何か恐ろしいものでも見たかのように血の気が失せ、真っ青になっている。
普段は氷のように冷たい雰囲気を纏っている彼女はレアスキル<感知者>の持ち主で、簡単に言えば親衛隊の広域索敵、つまりはレーダー役を担っている。スキルの熟練度も高く、オルブライト最優の<感知者>としても名高い女性だ。
でも、だからこそ、他の誰よりも早く敵の事を知覚できる彼女は、それだけに近づいて来ている存在の異常さに気が付いているのだろう。
新雪のように白い肌には冷や汗が浮かび、身体は微かに震えていた。
「種族的にはハ級ですが、固体としては二段階上のイ級クラスに近い実力のある魔獣が、真っ直ぐ私達の元に向かって来ています。戦闘の覚悟と、迎撃の御準備を」
冷たくも、しかし澄んだシャルティナの声が響く。
シャルティナの報告を聞いて部屋の中に緊張感に満ちた空気が充満するけれど、しかし私は少しも緊張する事はなかった。以前イ級の<狒々蛇百足>を容易く屠れたから、ではなく、ただ神の声が教えてくれたから。
その魔獣こそが、カナメさんが案内役として寄越した従者の一匹なのだと。
■ Α ■
馬車の屋上に続く階段を上り、私は停止した馬車の真正面に君臨している魔獣の姿を見た。
魔獣の姿は青き母星――地球に生息しているライオンによく似ていた。勿論ライオンとは全く異なる生物なので違う点は多く、代表的な点を上げれば、背中にカラスを彷彿とさせる二対の大きな黒翼が生え、前足にはまるで剣のように鋭く長い爪が十本生えている事ではないだろうか。
私は数えるほどしか魔獣と対峙していないモノの、目の前のライオンに似た魔獣はどこか、普通の魔獣とは違った雰囲気を纏っているのがよく分かる。それは神の声を聞くまでも無かった。
恐らく、私が円形闘技場で戦った<狒々蛇百足>よりも、目の前のライオン型魔獣の方が強いのではないだろうか。何故かそんな気がする。
しかしそんなライオン型魔獣は此方を攻撃するような素振りも無く、ただじっと私を見つめてくるだけだった。
案内役なのだから、当然向こうから仕掛けてくる気はないのだろう。
「ルシアン……対処をお願いするわ」
「姫さん姫さん、流石にこんな序盤から俺に途中退場しろって事ですかい? イ級クラスの魔獣相手に一人はちと無理すぎるって。しかも普通じゃ無さそうだし、動きが読めん」
「この程度の障害を乗り越えれなくて何が聖典騎士ですの。その肩書通りの成果は、きちんと目に見えるように表しなさい」
「んな無茶な」
ルシアンの言い分は尤もだと思う。
幾らルシアンが優れた騎士で、優れた武器を持っていたとしても、流石に一対一で勝てるほどあの魔獣は優しい存在じゃない。
恐らくこの馬車に取り付けられている大砲型魔術礼装による攻撃の直撃を受けても、あのライオンは倒れる事はないように思える。というか、まあ、繰り返すけどここで戦う必要は全然ないんだけど……。
「大丈夫だから、二人とも落ちつけ。あの魔獣は私を待ってくれている人の案内役だから、此方から何もしなかったら害はない。ほら見てみろ、魔獣が何もせずに何処かに向かいだしただろう?」
私はそう言って二人を落ちつかせ、本来なら殆ど遭遇しないらしい最高位の魔獣に若干動きが鈍くなっている騎士達の緊張を解してあげた。
ちなみに彼らの尊厳を護る為に補足しておくけど、この反応は彼らが軟弱だからとかではなく、ただイ級クラスの魔獣と言うのはそれほどまでに圧倒的な存在なのだという事の表れだった。
イ級クラスの魔獣は、生物というよりも一種の災害に近い。
私が一撃で倒した<狒々蛇百足>も、本当だったら軽く街一つを壊滅できる能力を秘めている。私はその辺りの感覚が麻痺しているので、彼らのように恐怖を感じないだけなのだ。
そんな自分に対して、私はため息を吐きだした。
以前よりも大分気にならなくなっているとはいえ、こう分かりやすく自分の異常さを見せられるとため息の一つでも吐き出したくなるという物だ。
ついでに私の服の裾をちょっとだけ摘まんだまま魔術の構築をしていたパティーの頭を撫でて落ち着かせ、パティーが練っていた魔術の構築を阻害した。言い方が悪いかもしれないけれど、あの魔獣にはパティー程度の魔術は通用しない。
傷一つ付けられないのだったら、そんな時は刺激しちゃいけないのが生存の鉄則だ。
元より攻撃する意味自体が無いのだし、無駄な危険を買う必要性はない。
「ほら、ぼさっとしない。さっさと馬車を操って後を追うんだ」
「あ、は、はい!」
固まっていた魔帝馬を操って馬車を動かしている騎士にそう語りかけ、おっかなビックリしながらも私の指示に従う騎士の不安げな姿に苦笑いが漏れる。
人間、恐怖の権現と言える存在に出会うと、ああも変な表情で固まってしまうのか、とこの体験を通して私は一つ賢くなった。
それから皆が不安を抱いている時に不謹慎だとは思うのだけれど、私は今、わくわくしていた事を自覚している。
ライオン型魔獣の後をついて行けばカナメさんに会えると思うと、何故だか気持ちが高揚してしまうのだ。
どんな人かな……私の中の思考は今、その一点に集約されていた。
■ _ ■
「おーこりゃ予想外に大勢で、ついでに粒揃いだ。更に女の子が居るのはグッジョブ!」
「カナメ様、発言と行動が一々オーバーリアクションです。人材で言えば中の上と言った所ですよ。というか、いい加減にしないと毒、撃ち込みますよ?」
「リリー落ちつくんだ。その全身がいい感じに痺れて神経を直接刺激する猛毒を下せ、流石にそれは勘弁願いたい」
「なら少しは自重してください」
道案内役のライオンさんに先導されて私達の馬車が街道から逸れて暫く経過し、目標地点に来て停止した馬車から降りた私達の目の前でそんなコントが展開された。
コントを展開しているのは黒く、目と口の部分しか穴のない簡素な仮面を被った男性と、今まで見た事のないほど綺麗な女性の二人組。
着ているものが頭の天辺から足の先まで全てが全て、黒一色に統一されている男性の声は間違いなくあの人――カナメさんのものなのは聞き違いようが無い。だから多分、傍らに佇む女性は、ライオンさん以外のカナメさんの従者の一人なのだろう。
それにしても、カナメさんは何故仮面を被って素顔を見せていないのか一瞬だけ疑問に思いはしたものの、今度は聞こえてきた神の声によると、私以外の人間にはとある事をするまで素顔を見せないつもりなのだそうな。
つまり無駄な情報漏洩を避ける対策として、黒い仮面は存在していたのだ。
カナメさんについてフェルメリアに言わなくて良かったと、安堵のため息が漏れる。
「さて、冗談は置いといて、セツナちゃん。付き添いの十人全員、一緒に行くのかい?」
先程までのやり取りが嘘だったかのような、仮面から少しだけ見える瞳が真剣なモノに変わったカナメさんの視線が、真っ直ぐに私の心臓を貫いた。
不思議な事にその一瞬でドクドクドク! と鼓動が急激に大きくなり、頭に不思議な衝撃が走ったのだけれど、しかしそれが何なのかは今は置いておく事にして、私はカナメさんの質問に返事を返した。
先ほど此処に来るまでに、まだ私に着いてくるかどうか聞いていなかった四人の騎士との話し合いは終わっていた。
「はい、ここに居る全員、私なんかに付いてきてくれるそうです。だから一緒に連れて行って下さい」
「そうかいそうかい、ならまず準備をしないとな」
そう言ってから、カナメさんは両手を重ねた。パンッ、と小気味いい軽快な音が鳴る。
カナメさんがしたのは、古くから何かに拝む時に捧げられる、合掌だった。
それからカナメさんが合掌してから五秒ほど経過し、隣で今だにカナメさんを警戒しているフェルメリア達の間に微妙な空気が流れだした、その時。
カナメさんの重ね合わされた掌の隙間から光が漏れだした。
「はい、完成~。んじゃこれ、全員飲んでね~。ああ、そうそう、セツナちゃんにはまた違ったの造るからちょっと待ってね」
ズイ、と前方に差し出されたカナメさんの両掌の上には、片手に五個ずつの小さな赤い珠が乗っていた。
どうやらこの、まるで飴玉のような十個の珠は本当に私ではなく、フェルメリア達の為にあるらしい。とは言っても、流石にフェルメリア達もはいそうですかとすんなり手に取る事など出来るはずも無く、ただじっと不審げな瞳でカナメさんを見つめた。
「なんですの、これは?」
「何って、俺の作品の、“制約丸”だけど?」
最初に言葉を発したのは、やはりフェルメリアだった。
フェルメリアの言葉には棘があって、何故私がこのような得体のしれない物を口にしなくてはいけないのですか、と言外に言っていた。
当然カナメさんもそれには気が付いているようだけれど、それはあえて無視したのではないだろうか。
「“制約丸”? ――失礼ですけど、私、そんなもの食べたくありませんわ。食べるにしても、何の説明も無いのですしね。というか、貴方、この国の王族である私に対して今だ名乗っていないというのはどう言う事かしら?」
「あっそ、んじゃワリーけどあんたは帰りな。これ飲まない奴を連れて行く訳にはいかねーんでな。それに俺としても容姿が可愛い子は相手したいけど、聞き分けのない駄々子は嫌いなもので。それが二流魔術師なら尚更だ。だから、大人しく帰りなよ」
有無を言わせず、一刀両断。
今のカナメさんの発言は、正にそんな四字熟語がピッタリと当てはめられる言い方だった。
「――ッ! ……いいでしょう、なら力尽くで、私が貴方を捩じ伏せてあげま……」
「ふむ。所で、力尽くで、とは、どの口が吐いているのでしょうか?」
その声は突然で、場の変化もまた唐突だった。
カナメさんの言葉に激昂した――フェルメリアはとてもプライドが高いし、その上魔術師至高主義者なので、自分の事を二流魔術師と呼ばれた事により、怒る動機は十分過ぎるほどあった――フェルメリアが反応するよりも、ルシアンやパティー、他の親衛隊の騎士達が認識できるよりも速く、さっきまでカナメさんの隣に居た女性が、後ろから抱きつくような格好で、小さな毒々しい色合いのナイフをフェルメリアの首筋にそっと添えていた。
私も気を抜くと気が付かなかった程の速さと気配が悟り難い動作だったので、フェルメリア達には一体何が起きたのか分からなかったと思う。
「な……んなッ!」
「ああ、動かないで下さい。このナイフは非致死性の毒だとはいえ、五日間は嘔吐下痢発熱腹痛等の諸症状でいっそ殺してくれと発狂してしまうくらい苦しみ悶える事請け合いな毒で構成されていますから」
なんて物騒なナイフ何だろうかと私は素直に思った。
というか、それ、非致死性ではなく、完全に致死性に分類できるだろう、というツッコミを私は何とか我慢した。場の空気的に、そんなツッコミを入れられる雰囲気ではない。
「ほらほら、どうしました? 自分から動いてください。私からでは貴方が攻撃してこない限り攻撃しませんから、安心して自滅してください。さあ、さあさあさあ」
フェルメリアの首筋に凶悪なナイフを添える女性が、妖艶に、されど絶対零度のように冷たい声音で、そっと囁きかける。
それに対してフェルメリアは、
「あ……うあ……」
と、全く動く事ができないでいた。それに顔も血の気が失せて、目には涙が溜まっている。今にも泣きだしそうだけど、動く事ができないのでそれもできない、というような状態だった。
あれは、怖いと素直に思う。私でも、流石にあんな状況になれば、フェルメリアと全く同じ反応になる自信があった。例えあのナイフが私の盾を斬れないと知っていても、である。
ナイフを添えている女性は、素直に絶世の美女と称えれる程の美貌なのだけれど、その行動は、まさに悪魔だった。
「姫様! 今お助けしますぞ!」
「おのれ、姫様を今すぐ放せ!」
「あーすいませんね姫さん。こりゃ無理だ、所謂詰みの状態だこれ。素直に言う通りにしましょうぜ」
いきり立つ騎士達とは対照的に、本来なら主を護るべく先陣を切るはずのルシアンは、やる気がなかった。まあ、今の状況なら仕方が無いと私も思うけど、流石にフリくらいはした方が……。
「あーはいはい。リリーも冗談はそれくらいにしなさい。話が逸れちまう」
「畏まりました」
「はい結構。んじゃもう一度、最終確認だけど、この“制約丸”を、飲む? それとも、飲まない?」
今だ固まっているフェルメリアに向けて、にこり、と微笑みかけるカナメさんだったのだけれど、浮かべられたその笑顔は何処か、薄気味悪い雰囲気があった。
というのも、にこり、と仮面の表情が動いたからかもしれないのだけれど。