第二十二話 二つの極光・燃やさない炎・我慢する獣
「さてと、楽しい楽しいサービスタイムはここまでだ。ここから先の全ては俺の独壇場、存分に本当の化物って存在を味わってくれやッ!!」
俺の宣言が高らかに響くと同時に、<流動する大地の巨人>によって支配された大地はズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!! と激しい地鳴りと共に流動し、その身を俺の思い描く形へと大きく変貌させた。
その変化速度は<侵蝕する黒き泉>によって強化されているために本来よりも数段速く、正に一瞬の間にその変化を終える事となった。
離れた場所で何が起こるか知っていた俺でさえ気を抜くと変化する瞬間を見逃していただろうから、恐らく、変化の中心点であるセツナちゃんには一体何が起きたのか把握できなかっただろう。
そして何より、彼女は俺の事をよく知らないのだから、俺が何をしたか分かるはずがなかった。
『――なッ!』
幾重にも複雑に張り巡らされた壁に阻まれて直接肉声を聞くことはできないものの、その声は壁を形成している土くれ人形経由で俺は聞いた。
その声に込められた感情の大部分は間違いなく突然の変化に対する驚愕であり、一体何が起きたのか理解できなかった為に思わず零れ出てしまった彼女の本音に間違いない。
「さてと、これでとりあえずは簡単な時間稼ぎ役の製作が完了した訳だが……」
そう呟き手にしている<聖なる湖水の剣>を腰の鞘に納めてから、俺は目の前にそそり立つ巨壁を見上げた。
巨壁は先程からずっと俺達が踏んでいた地面が変化した姿であり、爪よりも小さな石や子供の頭程もありそうな大きな石などが大量に混じっているのでその表面はゴツゴツと大小多数の突起が生え、壁は無骨で荒々しい表情を晒している。
それから見上げている土壁の高さは天上にまで達していて、俺とセツナちゃんとの間にあった空間を完全に分断していた。
ここで天井、と表現している訳だが、俺達が居る錬鉄場は野外であるのは間違いない。
その為本来なら空に天上など存在していないのだが、今現在、空間閉鎖型の宝具能力である<不逞働く白き妖精>を発動させているため、能力発動時俺が立っていた場所を起点に半径五十メートル内の空間は他の干渉を許さない閉鎖空間に成り代わっている。
そのために、今この空には天井があるのだ。
<不逞働く白き妖精>を発動させて空間を閉ざしたのは王城の兵士や騎士などといった雑多な連中による面倒な介入を避けるのと、聖都ギガンダルに居を構え、家族や友と共に生活している多くの国民に無用な被害が広がるのを避けるのが目的で展開したわけだが、しかしその為に、本来ならばもっと広かったはずの戦闘領域は大きく限定されたものとなっていた。
普通に考えれば距離を取って戦う俺の戦闘スタイルには不利な条件としか言えないが、しかしそこはほら、数え切れない修羅場を潜ってきた俺ですから、この閉鎖された環境を逆に利用する事にしたのである。
「んじゃま、とりあえず合掌を一つ」
すなわち、<流動する大地の巨人>によって人型の土くれ人形を精製するのではなく、この限定された閉鎖空間をみっちりと複雑な道順で網羅する迷宮型の土くれ人形を造るという事だ。
迷宮型の土くれ人形を造ったのには二つの目的が在り、一つは何と言ってもセツナちゃんの桁外れの速度を抑え込む事である。
レアスキル<断定者>でセツナちゃんの能力について見た所、半径一メートル内ならば音速の三倍の速度で動く事ができ、半径十六メートルまでなら音速の約二倍、それからは徐々に距離が開くにつれて速度は落ちていくらしいが、それでも充分な人外的速度を誇るというのには変化は無い。
だから率直に言わせてもらおう。
なんですかその馬鹿げた速さ、と。
だからこんな限定された空間でそんなに速く動かれたら逃げられる訳ないじゃないか、と思うのは正常な思考だと思う。
という事で少しでもその馬鹿げた機動性を削ぎ落す為に迷宮型の土くれ人形を造った訳である。
そして二つ目だが、それは単に俺が宝具を造るための足止め役に他ならない。
流石の俺と言えども作品を造る時に生じる僅かな時間を零にする事は出来ず、それにある程度集中――といっても俺的には文字をちょっとだけ綺麗に書こうと意識する程度だが――しなければ俺が思い描く通りの作品を造る事ができないからだ。
だから今回造った迷宮型の土くれ人形である壁の攻撃力は壁だけに皆無だが、<侵蝕する黒き泉>の能力で強化されているので土で出来ているというのに鋼鉄以上に頑丈で、何より弾性にも富んでいるので壊されにくく、例え壊されてもすぐに直る仕様になっている。
つまり斬られようが殴られようが魔術をぶっ放されようがそこに土が在る限りほぼ無制限に再構築され続けるという、何と始末に負えない土壁というか、時間稼ぎの為だけに産み落とされた哀れな人形なのであった。
もっとも、形は人間ではなく、壁だけれど。
「――っと、完成だ」
そして迷宮型の土くれ人形によって稼がれた時間の中で、俺は計画通りに一つの作品を紡ぎ出す事ができた。
今回は今まで造ってきた宝具の設計図がストックされている記憶領域から設計図をダウンロードしたので一から設計図を引くという手間を省く事ができ、物質化までに使用した時間は最速の一秒未満。
重ね合わせた掌の隙間からは作品を造った時に必ず生じる光が零れだしており、その光は早く作品を産んでくれと造物主に催促しているようである。
その催促に促されるままに俺は密着させた掌を開放し、途端物質化された宝具がこの世に誕生し、手の中で生まれた新たな宝具を俺は手に取った。造った宝具の形は、小回りのきく小太刀である。
小太刀の柄に触れると<侵蝕する黒き泉>が小太刀の能力を強化したが、俺はすぐさま小太刀の能力を使う事はせず、とりあえず手にした小太刀に問題が無いかと点検した。
手にした宝具は以前造った時と変わることなく小太刀の姿――設計図が同じだから当然であるが――をしており、鞘は存在せずに抜き身のままで、剥き出しになっている刀身全ては燃え盛る炎の赤色に染め上がっていて、一見するとまるでつい数瞬前に人を斬ったばかりのようであるが、当然ながらそうではない。
この赤色は、この宝具の特性が如実に表れているからに他ならない。
小太刀の刃渡りは一尺七寸――約五十一センチ――程しか無く、二尺――約六十センチ――前後の長さが一般的な通常の小太刀よりも更に短く、手を保護する鍔は存在していなかった。これは小太刀の刀身で相手を斬る事はないので、鍔を初めから必要としないからだ。
火炎付加補助式宝具<炎纏いし不死の鳥>。
それが、この小太刀の形をした宝具の名前である。
「これで盾を突破する方法は用意できた訳だが、どうしよっかな~。なーんか今一つ迫力に欠けるんだよな~」
ぼやきつつ、俺は柄をぐっと握り締め、誰にも聞き取れないぐらい小さな声で、
「とりあえず、とっとと起きろや<炎纏いし不死の鳥>」
と呟いた。
すると手にした<炎纏いし不死の鳥>が決められた起動言語に反応し、内包している概念能力を発動させた。
<炎纏いし不死の鳥>の能力が発動した途端俺の全身――というよりも黒い甲冑が一瞬で紅蓮に燃え盛る炎に包み込まれた。
だが、炎に包み込まれても俺は熱さを感じる事はなかった。黒い甲冑に保護されているから、ではない。
何物も燃やす事はなく、熱を感じる事のない炎を生みだせるのが、<炎纏いし不死の鳥>の能力の一つであるからにして。
ちなみになぜ炎を纏ったかと言うと、防御力アップと見た目の派手さを上げるためだ。
「……いや、プランは出来てんだけど、セツナちゃんにハッキリ見せるってのには、後一つ、スパイスが欲しい所というか何と言うか……」
誰に対して言っているのか自分でも分かりかねる言い訳をつらつらと積み重ね、とりあえず俺はうーん、と腕組みをして眉間に皺を寄せながら唸った。
セツナちゃんを無力化できる手段は既に俺の手の中で今か今かと解放される瞬間を待ち望んでいるのか、じくじくと悲鳴を上げて俺を内側から疼かせているし、不可視の盾を突破する際<炎纏いし不死の鳥>の何も燃やさず触っても熱くない炎によって火傷を負わせる心配をする必要もなくなり、俺が即興で考えた“完勝、俺って化物なんですね知ってます”プロジェクトを成功させる粗方の下準備は完了した。
後は適当にそこら辺の石ころでも拾って<侵蝕する黒き泉>の能力で簡易宝具に変換し、<炎纏いし不死の鳥>の炎を纏わせて投げればそれだけで即興の砲弾が出来上がり、後はその時の流れに身を任せればいいだろう。
もしくは結構疲れる方法ではあるが、新しい宝具を造りまくってド派手に行くという方法もあるにはある。だが、それだと齎される破壊と内包された概念の爆発で閉鎖空間が崩壊する危険性がとても高く、その為出来るだけその方法は避けたい所だ。
場所が場所なら最初からこの方法を取ってセツナちゃんを素早く無力化していたのだが、現状がそれを許してはくれない。
だからとりあえず、まずは予定通り投擲で牽制しますか、と石を拾った所で俺の全身は唐突に電流が駆け抜けた。
そう、これが足りないんだよと俺の直感が告げている。
計画をちょっとこんな風に修正するべきだよ誰かが囁く。しかしそのイメージがあやふやで、浮かんで来た作戦がハッキリと纏まらない。
そうだな、何と言うか、客観的にその光景を幻視してみると、イマイチ何を伝えたいのか分からないというか、ハッキリと俺が化物だって事を見せなくちゃいけないというか、一方的に攻撃するよりも何か少しやりようがあるような、喉まで出ているのに言葉にならないあのなんとも言えないもやもやっとした感覚が俺の全身を駆け巡る。
勝負が決まるのは一瞬――勿論どう転ぼうが俺の勝ちに向かうように誘導しますが――だし、やっぱり意識がある時の最後の光景ってのは印象付けるのに大切だと思う。だからこそ、もっと分かりやすく伝えなくてはならないのではないだろうか。
そう、ハッキリ自分が負けた、自分以上の化物が居るんだ、と思わせるような強い印象を与えたい。
せっかく今回は溜まっていたストレスという名のガスを抜いたのだから、次回がもしあったら、その時の為にも此処はハッキリと分からせてあげるべきなのだ。
そう、具体的に言えばセツナちゃんの手が他者の血に濡れてしまわないうちに。
もっと深く言えば、自分が殺した亡霊の呪言に慣れてしまわないうちに……。
そこまで思ってから、はてさて、どうしたものか……と唸りながら悩んでみる。
しかしそこで答えが出る事はなかった。
何故なら悩んでいる時に、俺の聴覚、というか迷宮型の土くれ人形が、俺にとある言葉を届けてくれたからだ。
言葉を紡ぐ声は間違いなくセツナちゃんのものであり――
『確約されし――――』
紡がれる起動言語を聞いた瞬間の俺の行動は実に迅速だった。
右手で持っていた<炎纏いし不死の鳥>を掌の口を使って一瞬で捕食し、捕食する事で宝剣を構築するのに用いられた素材の回収を終える。
その後すぐ様自由になった両腕を真っ直ぐ前方に突き出し、掌の口を開ける限界ぎりぎりにまで拡げた。
これ以上拡げれないという所まで開かれた口は、闇で構築され奥が見えない口腔を周囲に晒し白い歯を剥き出しにしている。ここまで口を拡げたのは何時振りくらいだろうかと思いはするが、そんな考えは即放棄。
ついでに遠目で見たら相撲の突っ張りでもしているような姿で無様に見えるだろうか、という考えも一瞬で切り捨てる。今はそんな事を思っている隙も時間も余裕も無かった。
時は一瞬を争うからだ。
(捕食形態を“収束”から“拡散収束”に変更! 捕食範囲は縦二メートル、横二メートル、前方距離も二メートルで固定ッ!!)
通常、俺が掌の口で何かを捕食する時、掌の直線状五メートルまでしか捕食できない“収束”が捕食形態の基本形態にされているのだが、今回俺は口の捕食形態を意識的に変更することにより、捕食領域を箱のような形にして自分の前に展開した。
発動している間は、生き物以外は何であろうとも喰い尽くす暴食の箱を。
『――――栄光の剣!!』
最後まで淀みなく紡がれた起動言語――宝具の真の力を解放する言霊と共に、邪魔な存在全てを切り裂き焼失させる極光の大斬撃が俺の視界を埋め尽くした。
■ ゝ ■
「――ッ、はあ……はあ……」
まるで全身から生気が一気に抜け落ちていくような虚脱感に襲われて、私の膝はそれにあらがう事も出来ずに屈した。
その後地面に体が倒れそうになったけれど、それは反射的に<確約されし栄光の剣>を地面に突き刺して回避する。
寝転ぶのを拒否したのは、今は全身汗まみれだったから。
これでも私は青春真っ盛りの十代女子で、泥まみれになるのはちょっと嫌だと感じるのは、普通だと思う。
「……これでも立っているんだったら、あの人の言う事を信じれる……んだけど……」
そう言いながら、私は先ほど<確約されし栄光の剣>の能力を使って薙ぎ払った前方を見た。
そこには大量の土煙が立ちこめていて、何も見えない。
だけどそこには一瞬前までは天高く聳え立っていた壁があった場所である。それも相当頑丈だった壁が、私が数度攻撃してやっと壊せたと思った先から元に戻って行った土壁が。
でも、今は何も見えない。土で構成されていた壁も、何もかも。ただただ、無造作に破壊された残骸だけがそこにある。
そんな光景を見て、だから私は初めて考えた。私が手にしている<確約されし栄光の剣>の余りにも桁外れな能力について。
「流石に、無理、だよね……」
最初に<確約されし栄光の剣>を預かった時に教えられ、私が今初めて使った極光による大斬撃は、オルブライトの歴史を紐解くと使用された時の記述が幾つか見られるのだけれど、記述で表現されていた破壊力に嘘偽りはなかったようだ。
放てば範囲内の全てを焦土と化す極光の一撃。
オルブライトの護り手が苦しい戦をただ一発で救ったと言われる、伝説の閃光。
先ほどの一撃は正真正銘光速による攻撃で、どうやっても回避する事なんてできなかったはずだ。神の声は彼の心の声は教えてくれなかったけれど、何処に立っていたのかは教えてくれる。
神の声の指示に従ってこの光速の攻撃を撃ち込んだのだから、彼にはまず直撃しているはずである。
だから彼が私の攻撃を避ける事なんて、出来るはずが無い。どんなに速く動けても、光より早く動ける生物なんて私は知らない。
でも、どうか、立っていて欲しいと思っている私が居る。私を化物染みたただの人間と呼んだ、自称本当の化物の彼がそこに立っている姿を幻視する。
――でも、そんなものは儚い幻でしかない。
土煙が晴れた後に残るのは、ただただ破壊の跡が刻まれた光景だけだろう。神の声が今の私では敵わないと言って、それに私も同意したけれど、でもやっぱり<確約されし栄光の剣>の能力を使って攻撃した今、どうやっても彼が立っている姿を想像する事ができない。
それほどまでに、<確約されし栄光の剣>の攻撃は凄かった。凄過ぎたのだ。
私の全力に耐えきれる存在なんて……いないのだ、この世界をくまなく探した所で。
私だけが化物じゃないと、微かに見えた希望という光に触れようと跳び上がり、私の手が光りに届く寸前に消えてしまったような感じがして、それから私は今までよりも深い闇に堕ちていくような錯覚を抱いた。
一度引き上げられた分だけ堕ちていく速度は速まり、以前よりももっともっと深い所に堕ちていくような、そんな錯覚。
「ああ……私はやっぱり化物なんだ……」
そう呟いて、私の心が、ズキンと激しい痛みを訴えた。
斬られたような痛みが、削られるような痛みが、身が燃えるような熱さが私の感覚を支配する。
時が経つにつれて痛みはどんどん激しさを増して、それに耐えきれなくなった私の瞳に涙が溜まるようになった。そして溜まりに溜まった涙はやがて溢れだし、私の視界は滲んでいく。
滲んだ視界では、もう、何も正常に見る事ができない。
――ああ、私にはもう残された道は一つしかないんだ、私は化物だから、魔王を殺すしかないんだ。例え魔王を殺して元居た世界に戻っても、ずっと血に濡れた手で生きていくしかないんだ……私は化物だから。
そこまで考えた時、パリン、と何かが砕けたような音が脳内で響いた。
これは多分、私の心を縛っていた鎖が砕け散った音。
この音はきっと、弱くて脆くて情けない私の心の一部が、壊れてしまった音なのだろう。
――もう、何も考えたくない、ただ、邪魔する人には何も抱かず、何も考えずに払い除けよう。化物だから、私は化物だから。
熱くなく、氷のように冷え切った黒い感情が、私の精神を徐々に蝕みだした。
ドロドロとコールタールのような負の感情が内部から溢れだし、やがてそれは私の怒りを呼び覚ます。一度は消えたように思えた感情は、しかし消えた訳ではなかった。心の奥底で、解放される瞬間を待ち望んでいたのだ。
――もう我慢する必要なんてないだろう、思いっきりぶちまけろよ、思いの全てを。思い知らせてやれよ、セツナが抱いた恐怖と憤怒の全てを。
そう誰かに囁かれたような感覚がすると共に、私の意識は一瞬だけ肉体から離れた。
私ではなくなった私は大きく息を吸い込み、肺に空気を取り入れ酸素を全身に供給し、獣染みた叫び声を上げる準備をして――
そこでふと、唐突に微かにではあったけれど、一陣の夜風が吹いた。不意打ちの風に、私は思わず停止した。
微かに吹いたその風は私の黒髪をそっと撫で、漂う土煙を優しく押し流し、やがては綺麗に千切り取った。そして、夜空に輝く満月の光が、土煙が無くなった前方を照らした。
そこで、私は見た。
夜の闇に溶け込むような黒い色をしていた甲冑が、ゆらゆらと燃える紅蓮の炎を纏い佇む姿を。
手には私が持っている<確約されし栄光の剣>と全く同じ形をした、しかし着ている甲冑と同じ闇に溶け込むような黒い剣が握られているその様を。
「確約されし――――」
甲冑は黒い<確約されし栄光の剣>をゆっくりと掲げていく。
紅蓮の魔人から聞こえてくるくぐもった声は間違いなく彼のもので、それで私は彼が偽物じゃないと確信できた。
一瞬だけ、もしかしたら直前で私の攻撃を察知して避けただけかもしれないと思ったけれど、でも、私は彼が真正面から私の攻撃を受け止めたのだと理解した。だって、私の攻撃が破砕しただろう地面の痕が、彼の居る場所のすぐ手前で止まっていたから。
だから私は、ああ、彼の言っていた事は本当だったんだ、私が全力で攻撃してもケロッとしていられる私以上の化物なんだ、と思い、彼が黒い<確約されし栄光の剣>を振り落とすその動作の全てを、私はただ静かに見続けた。
「――――栄光の剣!!」
黒い<確約されし栄光の剣>から放たれたのは、黒き極光による大斬撃。
私が放った<確約されし栄光の剣>の極光とは比べ物にならない程様々な何かが配合されているせいか、光りの色は黒と不吉なものだったけれど、しかし私はその光がとても綺麗なモノに思えた。
何故だかは分からないけれど、そう思ったのだ。
その黒い光が私に向かって来る様を、ただ茫然と見つめ。
黒き極光が私の全身を包み込んだ所で、私の意識は予想外の過負荷を受けてプツリと電源が落ちたように途絶えた。
痛みで意識を失ったのではなく、精神を直接握り絞められるような、そんな今まで味わった事のない負の感情が私の意識を奪い去ったのだ。
意識がある内で最後に見たのは黒い光で、最後に聞いたのは、殺された人の恨みに満ちた言葉だった。
◆ Д ◆
「ふうー……ま、こんなものかな」
俺が<隠者の腕輪>によって造られていた黒い甲冑を解除してまず最初にした事は、顔に滲んでいた汗を拭う事だった。
度重なる緊張と激しい運動のせいで全身汗に濡れている。それに最後の極光をぶつけられた時にでた冷や汗は過去を振り返ってみても上位に分類できる自信がある。
だがこの冷や汗の量は妥当だろう。流石に直撃を食らえば、俺でも死んでいたかもしれない一撃だったのだから。
というか、捕食領域の半分まで攻撃が押し込まれたという初めての体験に膝が震えるのを禁じ得ない。なんですかあれ、多分俺が同じ<確約されし栄光の剣>を使ったとしても、今のセツナちゃんの一撃にはきっと届かない。
俺専用なのに俺以上の威力を叩きだすなんて……セツナ、恐ろしい子。
と戦々恐々しつつ、先ほどの破壊力の凄まじさについて考察し、その答えを俺は導き出した。もっとも、今は先ほどのやり取りに対して驚きとかその他諸々で説明は省かせてもらうが。
だがそれだけに全身がいい感じに消耗していて、このまま風呂に入って熱燗でも引っかけ、なお且つ風呂が露天風呂とかだったら最高に気持ちいいなーという考えが脳裏を過った。
そこまで考えて改めて思ったが、こうして勝っても全然ビシッと決まらないなー、と。というか、ぶっちゃけ当初の予定とは大きくかけ離れた結果となっているのは何故だろう。<流動する大地の巨人>を使ってセツナちゃんの足止め兼誘導の壁を造りつつ、がんがん簡易宝具を造って絶え間なくぶん投げて、
『ふはハハはッははははははははっ! ぬるい、ぬるいぞ、その程度で自分を化物と呼ぶとは片腹痛い!! でも攻撃の手は休めません! 獅子は子兎を狩るにも全力を出すモノですから! さあ行ってみよう、投擲フィーーーーーーーバーーーーーッ!!』
とか軽く発狂し、意味の分からないセリフを吐きだしながらセツナちゃんを攻め立てようと思っていたのに、何で一発で終わらせているのだろう。いや、それはセツナちゃんの予想外の反撃で焦ったからだろうけどさ、でも、こればっかりはどうしてこうなったと思う。
いや、その理由は分かっている。条件反射で、ついつい、やられる前にやれと行動に移してしまったのだ。
……まあ、これはこれで一つの決着の形ではないだろうか。
なったモノは仕方が無いし、これはこれで一つの終わり方だと俺は思う事にしよう。まあ、もしポイズンリリーが此処に居たら、
『はっ、だからカナメ様は……まあ、そんな庶民染みた性根は今後も変わる事はないんですね、まったく。そして結論を述べれば、やっぱりカナメ様は馬鹿なんですね』
と鼻で笑い嘲笑を浮かべ毒を吐いてくるだろうが、ここに居ないので気にする必要性はない。というか居ないのに悩まされたくない。それにあながち間違いではないのが嫌だし。
だが、まあ、そんなあまり実益のない事を考えるよりもまず先に、今は俺が気絶させた黒髪の美少女を介抱する事が優先事項だろう。
流石に怪我をしないように調整された一撃だったとはいえ、もし何かしらの精神的なトラブルが起こっていたら大変だ。
俺はトコトコと駆けより、スッとしゃがんでセツナちゃんの状態を確かめた。と言っても脈を測ったり正常に呼吸しているか見たりとかするのではなく、レアスキル<断定者>を使って情報を見ただけなのであるが。
「……うむ、問題なし、っと」
セツナちゃんは気絶している事を除けば、特に問題は無かった。
しかしやはり、高々亡霊十人分の怨念にも耐えきれずに気絶してしまうような少女が、本当の化物のはずがない。本当の化物というのは、肉体よりも精神が強靭すぎる俺の様な存在の事なのだから。
とまぁ、そんな事を考えた後でセツナちゃんに問題が見つかる事が無かった事に改めてほっとし、俺はすぐ近くに転がっているセツナちゃんの<確約されし栄光の剣>を何も持っていない右手で拾い上げた。
これで右手には<確約されし栄光の剣>、左手には斬るという概念が排除され、その代わりに熱くもなく何も燃やさない炎を生み出す宝具<炎纏いし不死の鳥>と、以前取り込んだ万にも及ぶ数の亡霊の中から適当に選んだ十人分の亡霊の怨念を薄めて混ぜて創造された黒い<確約されし栄光の剣>という、なんとも豪勢で真逆な属性を持った武器を装備している状態になった訳だが、俺はとりあえずその両方を掌の口で取り込んだ。
ここで合掌を一つ。
取り込んだセツナちゃんが持っていた<確約されし栄光の剣>にいそいそと安全装置を組み込み、ついでに幾つか新機能を追加してから、再び物質化させる。
重ねた掌の隙間から光りが零れだし、掌を解放すると共に<確約されし栄光の剣>はこの世に再誕した。これで<確約されし栄光の剣>は他の作品同様、俺に歯向かう事はできなくなった。
再びセツナちゃんと戦う事は無いだろうが、保険は掛けといて無駄になる事は無い。
そうして俺の打算によって生まれ変わった新生<確約されし栄光の剣>を新しい鞘に納め、俺が気絶させたセツナちゃんの手の中で抱きしめるように持たしてあげる。
黒き極光に込められた亡霊の呪言による精神攻撃のショックで気絶したセツナちゃんの顔が、持たせてあげると若干和らいだような気がした。
セツナちゃんの心の拠り所になっているようで、ちょっとだけ<確約されし栄光の剣>が羨ましいと思わなくもない。
「さてと、寝室に運びますかね」
それから気絶したセツナちゃんの膝と背中に腕を回し、軽く力を込めて安定した支えが出来ているか確認してから、グッと力を込めて持ち上げた。
華奢な見かけ通りにセツナちゃんの体はとても軽く、俺でも十分持ち上げる事ができた。しかし持ち上げることはできたのだが、力の抜けた人の身体はいくら軽かろうが何百メートルも抱えて目的地にまであるくのは俺の体力的な問題のせいで無理である。
だけど大丈夫。部屋まで一瞬で行く術はある。
のだが、ここでちょっとした問題が浮上した。
俺が気が付かなければ全く問題はなかったのだが、しかし、気付いた今となってはどうしても考えてしまう重要な案件。
(なん……だと?)
鼻腔を擽るのは女の子特有の甘い香り、左腕が感じるのは汗でしっとりと湿った柔肌の滑らかさと太もものもちっとした感触。右腕が感じるのは汗を吸って肌にぴっちりと張りついた黒いタンクトップの肌ざわりと、トクントクンと俺の鼓動と重なり合うように拍動する心臓の振動。
ふいに視線を落とすとまず目に映るのは二つの丘がゆっくりと上下する胸元で、目を閉じくてっと力なく夜空を向いている頭は俺に無防備な気絶顔を晒していた。
赤く血流の良さそうな頬はぷにぷにと指で押せばその弾力で俺の悪戯を跳ね返してくるだろうし、触れれば溶けてしまいそうな唇が俺の野生を刺激しまくる。
結論を言えば、凄く可愛くて愛らしく、襲ってもいいですか。
思わず俺の野性が騒ぎだしたが、流石に気絶している子を襲う程飢えてはいない。というか、襲っちゃだめだと理性が本能に全力で訴えかける。
理論派な理性が衝動的な本能を口八丁に押さえ込み、更には理性機動隊を投入して無理やり本能をぐるぐると鋼鉄の鎖で縛り上げて動きを封じ、そこまでしてから俺はようやくふう……と一つ溜め息を吐き出した。
一応深呼吸を二回、三回と繰り返し、三十秒ほど息を止めて精神を落ち着かせる。
それから気を取り直して顔を上げ――
「……とりあえず、<不逞働く白き妖精>を解除する前に地面を直さないといかんみたいだがな」
――さてと、それでは寝室にまで腕の中の姫君をお連れしようかとも思ったモノの、激しく荒れた、というか戦争でもあったんですね分かります的な荒れようとなっている錬鉄場の有り様を見てしまったので、とりあえず<流動する大地の巨人>を使って元の形に戻した。証拠隠滅完了である。
「さてと、本当なら起きるまで待つのが筋だが……うん、そうだな、そうしよう」
用が済んだ<流動する大地の巨人>を翳した掌の口で取り込んでから、必要のなくなった<不逞働く白き妖精>を解除し、俺達は閉鎖空間から通常空間に帰還した。
「とりあえず、セツナちゃんには考える時間が必要ですよねー」
そうぼやき、右足のつま先で、トントン、と地面を二回蹴る。
すると俺の影に微かな波紋が生じ、影の中から二つの人影が伸びあがった。
『御呼びでしょうか、カナメ様』
独特な重なった声が俺の耳を振わせる。
声の主が誰でどんな姿をしているのか、俺には見なくても分かっている。というか、分からないはずがない。
現われたのは先ほどの合図に応じ、俺の影を触媒に遠く離れたアヴァロンから一瞬でここまで跳んで来た機玩具人形七女にして十二番目の存在。戦闘用ではなく移動用として特化させた空間湾曲跳躍型として造られ、可愛らしいメイド服姿が眩しいリリヤとアリヤだった。
「とりあえず、セツナちゃんの部屋まで送ってくれ」
『畏まりました』
すっと両側から伸びてきた小さな手が、俺の服の隅っこを軽く握った。
その後身体が水に沈むような感覚と共に、視界が急速に低くなっていく。これは俺の身体が影に沈んでいるからに他ならない。
初めてこの空間湾曲跳躍をする者は大抵この不可思議な感覚に戸惑いを見せるものであるが、慣れ親しんでいる俺にとっては実に快適なものである。
それにしても、一応俺たちがいる王城には転移魔術を妨害する結界魔術が張られていはずだが、魔術とは大きくかけ離れた概念で働いているリリヤとアリヤの空間湾曲跳躍を防げる兆しは一切無かった。
なので、俺達が本気になれば、十分もたたずに王城を制圧できる自信がある。
「しかし、何と言うか、名も知らない大勢の努力を踏みにじってごめんなさいって気持ちになるな、ほんと。いっそ哀れだ。まあ、もっとも、」
王城に張られている結界魔術は魔術の英知の結晶であり、それを易々と踏みにじって行く自分の理不尽さを自覚して、軽く身震いした。
ああ、何と言う事だろう。俺という存在は、あまりにも理不尽すぎる、と。
勿論何時も通り演技である。
「マキシマム・ゴーリキー曰く、人間は哀れむべきものではない。尊敬すべきものだ、だそうだけど」
ちょっとだけ哲学染みた台詞を吐き出してから、俺の姿は完全に影の中に沈んで消えた。
その後、先ほどまで激しい攻防が繰り広げられた錬鉄場には、何時ものように深夜の静寂に包まれた。今宵ここで勇者と元勇者が剣を交えた事を知る者は当人以外には存在せず、そしてこれからも知られる事無く時は過ぎていく事だろう。
いや、夜空に浮かぶ満月だけは、その一部始終を見ていたのだが……。