第二十話 聖女の叫びと造物主の心意気?
今回俺が一人でセツナちゃんに会いたいが為に王城に忍び込むという方法を選んだわけだが、目的を滞りなく遂行する為に普段の秒単位ではなく、約五分程の時間をかけてじっくりと造り出した腕輪型の宝具、<隠者の腕輪>には、以前にも少しだけ触れたように幾つかの能力が秘められている。
まず、一つ目。
一つ目は既にご存知の通り、潜入するときに役に立つというか立ちすぎる、自分の姿を完全に隠蔽する不可視にして不可侵の闇の精製だ。
<隠者の腕輪>によって精製された闇は嗅覚や触覚、聴覚といった五感はおろか、所謂第六感といった人間や魔族が備えている感覚では存在自体認識する事ができない。
周囲に自然に溶け込むようになっているので、例え卓越した感覚の持ち主でも微かな違和感を覚える事すらない。
そして更にスキル、魔術といったこの世界の神秘の術を使用したとしても<隠者の腕輪>によって精製される闇の隠蔽を見破る事はできないだろう。
それくらい、闇の隠蔽は完璧だ。
まあ、闇は隠すだけで護っているという訳ではないので、範囲攻撃をされれば一撃は貰ってしまうのだが、そもそも攻撃されるような状態にならないのであまり気にする事も無いだろう。
次いで、二つ目。
<隠者の腕輪>は通常時は黒い腕輪状態なのだが、場合によっては全身を覆い隠し、敵の攻撃から装備者を守る黒き甲冑になる。
と言ってもこの状態だけではかなり上質な甲冑程度の防御力しかなく、流石に大魔術などを防ぐような防御効果は無い。
しかし黒い甲冑状態に変わると、装備者の容姿やステータスといったあらゆる情報が他者には知る事はできなくなる黒い霧を発生させる。
それによって最高ランクの隠蔽効果が発動し、何の特徴も無い黒い甲冑は見れば見るほど細部がぼやけて姿が不鮮明になるという効果こそが、甲冑状態の真価に他ならない。
接近戦で、敵の姿をハッキリと見えないというのは、敵からすればかなり厄介な事だろう。
それから、三番目。
腕輪状態から甲冑状態にすると同時に発動する、<侵蝕する黒き泉>という名前の能力。
これは身体能力が再生力以外一般人な俺の為だけに付けた俺が装着した時のみ発動するスペシャルな機能であり、その効果は狂戦士の如き肉体性能の一時的に獲得する事と、手にしたものや装備したものを自分専用の宝具に変質化させる事ができるという能力だ。
例えどんな武器、どのような道具であろうとも簡略構築された宝具へと変貌――つまりは大量生産された強力な兵器に昇華され、その結果その効果によってそこらに転がっている小石でもまるで砲弾のように成り変わるし、細い木の枝だろうとも名剣と互角以上に渡りあう事が可能になる。
ちなみに効果を発動した状態で、俺が能力に目覚めて一番最初に造った<確約されし栄光の剣>や、今から数日前にヴァイスブルグ皇国の軍勢を薙ぎ払う為に造った<流動する大地の巨人>などは勿論の事、<隠者の腕輪>が生み出す黒き甲冑なども含め、俺しか造れない宝具シリーズを手にした時の破壊力は筆舌にし難いものがある。
腕輪型宝具<隠者の腕輪>を全身を覆う黒い甲冑状態にした時に発動する<侵蝕する黒き泉>は、俺のひ弱な肉体性能を補強し純粋な戦闘能力を何倍にも強化するだけでなく、宝具を使用する際の能力増幅装置としても機能するからだ。
まさに宝具の産みの親たる俺専用と言える宝具ではないだろうか。
もっとも、全ての宝具の本当の力を引き出せるのは俺しかいないのだから、宝具は全て俺専用、という表現が正しいのだが。
閑話休題。
そして、今現在使用している四番目。
それは、俺が知る人物に変装できるという事だ。その精度は完璧にして完全であり、例えスキルで情報を探られたとしても俺が変装した人物の情報しか映し出されず、俺の情報を見る事は決して叶わない。
この能力に掛かればとある人物しか開かないように封印が施された堅牢な扉だろうとも、苦も無く開きその中に入る事など容易い事である。
ちなみに、この宝具が盗賊などの手に渡ればそれはもう酷い事になる事は請け合いだ。
それにそれだけでなく、この能力は暗殺や策謀などにもってこいなので、権力者達は喉から手が出るほど欲しい一品だろう。
ムカつく奴に変装して、誰か適当に邪魔な要人を手にかけワザと警備員に姿を晒し逃亡――。
結果ムカつく奴は無実の罪によって牢獄に捕われ、此方は逃げれれば後は火の粉が降りかかる事も無く悠々と生活できるのだから。
いやはや、何と恐ろしい事だろうかと、軽く震えてみたり。
ところで話は一気に変わるのだが、俺は悪戯というものが大好きだ。
悪戯を仕掛けられる側に回るのは心底ムカつくのだが、仕掛ける側になり悪戯するのは大好きである。俺は虐められて興奮するMではなく、攻めて攻めて興奮するSですから。
人が驚いた刹那に見せる表情、行動、奇声、その全てが俺の心を愉快にさせるのである。
その為、今回もちょっとした出来心で悪戯をする事にした。
先ほどセツナちゃんの情報を引き出した聖典騎士――ルシアン・エステルハージの外見を<隠者の腕輪>の第四の効果を使って完璧に複製し、それを自分に貼りつけてルシアンに変装した。
そして何気なくセツナちゃんに近づいてから、実はルシアンじゃなくて同じ異世界人なんですとネタばらし、とかしてみたくなったのだ。
ドッキリ番組的なノリは、悪戯好きな俺の心を刺激して止まないのである。
そしてその思惑は途中までは確かに順調だった。
ルシアンの言葉使いは既に情報として収集しているので目当てのセツナちゃんに接近する事はさして障害も無くクリアし、訓練して流れ出た汗をタオルで拭くために俺に背中を向けたセツナちゃんの情報を、脅かす前に知っておこうかなと<断定者>で見てみる事に。
しかしながら、何やら不可視にして不可思議な“何か”によって<断定者>の能力が遮断されてしまい、一回目はセツナちゃんの情報を見る事ができなかった。
最大にまで熟練度が上げられたレアスキル<断定者>を拒絶されるという初めての感覚に若干の戸惑いは有ったモノの、俺はセツナちゃんの周囲に展開されている“何か”の正体を瞬時に悟った。
これがセツナちゃんの能力によるものなのだと。
継承魔術<召喚門>によってこの世界に堕とされて来た勇者はそれぞれ、この世界の法則とは大きく逸脱した能力をその身に宿す。その原因は召喚された勇者のみが持つユニークスキル<堕ちて来た勇者>の特性の一つ、異世界法則生成によってもたらされるものであり、俺の能力もそれによって生じたモノの一つである。
この世界の法則とは逸脱した能力であるというのは現在進行形で俺が体現している事であるし、また、過去二回出会った勇者との対話でもその事実は確認されている。
そして今代の勇者であるセツナちゃんの能力の中に、恐らく自分に害を成すモノの遮断とかそんな感じの能力があるのだろう。
少し羨ましいとも思わないでもないが、今はそんな事どうでもいい。
既に距離は五メートルも離れていなかったので、俺は掌の“口”を開き、セツナちゃんの周囲に展開されているだろう不可視の“何か”を捕食した。その際掌の口の部分だけルシアンの変装が解除されてしまったが、小さな変化なので気にしない事にした。
俺の掌の口は生きている者以外は何だろうと問答無用で喰らう能力で、例え同じ異世界法則を有する勇者同士の能力の衝突だろうとも、生まれたばかりの赤子と五百歳の仙人のような関係に位置付けられる俺とセツナちゃんとの真っ向からの能力勝負では、当然ながら経験と熟練度の圧倒的な違いによって俺は勝利した。
そしてセツナちゃんの周囲に展開されている“何か”を捕食すると同時に感じたのは、その密度の濃さとその概念の強力さだった。
普段俺が口を使って万象を捕食し取り込む際、あたかも箸で摘まんだ米を一口で食べるような感覚がするのだが、今回は全く違った。まるでお椀に入れられた米を一口で食べたような……そんな感覚がしたのだ。
つまりは普段の数倍濃いモノを取り込んだという事である。
そしてセツナちゃんを包んでいる“何か”の概念は、俺の全能力値が集約されている“口”には劣るようだが、それでも相当強力だという事は一瞬で分かった。
この“何か”を突破するには、“何か”の弱点を正確に捕捉し突破する必要がある。
普通の場合は、であるのだが。
(うっぷ……長時間喰らい続けるのはきついなこれ。まあ、一時間程度なら余裕だろうけど)
微かに感じた吐き気を意思の力によって抑え込みつつ、俺は“口”によって捕食され続けている“何か”に僅かに生じている小さな孔を精確に捕捉し、レアスキル<断定者>を発動させた。
その際<断定者>と相性が最もいい<超速思考者>と呼ばれるレアスキルも並行発動し、その特性を余すところなくフル活用して、思考速度が通常時より極端に上昇している間にセツナちゃんの情報を隅から隅まで読み、そしてその全て理解する。
理解したのだが、その情報に俺の心は素直に納得はしてくれず、口には出さず今見た情報の真偽を疑って再思考し、しかし嘘偽り無き真実であるという結論が弾きだされた。弾きだされてしまった。
(ん……、んなアホな……)
理解するのに要した時間は、僅か三秒未満。
だが、俺が驚かされるのには十分すぎる程の時間である。
心境を語れば、皆で一人にドッキリを仕掛けようとしていたら、実は俺がドッキリの標的でした的な状況を体験しているような感じである。
気を抜いていた分、驚きは通常時の約三倍以上。
(な、なんですかこの<超幸運補正>って!! <堕ちて来た勇者>の不運補正のマイナスを補うどころかプラスに転じてますがッ!)
そう、そうだ。本当に何なんなのだろうかこの俺との格差はッ! いや、まあ、俺が二つしか持っていないユニークスキルを三つも持ってるとか、更にはユニークスキルが後二つくらい発生しそうな感じがするとか、何この超戦士のような戦闘能力とか特殊能力とか、しかもこれだけいい能力のくせに後二段階進化――これは混乱している為に言い過ぎた――するとか、まるで油田の様に際限の見えない内包魔力量とか、女子高生グッジョブッ! いいプロポーションしてますね~、とか本当に言いたい事やツッコミたい事や狂喜乱舞したい事は多々あるのだが、何より、俺はそれら全ての中でこの超幸運補正という特性に最も強い感情を抱いた。
そう、まるで活火山が水蒸気・マグマ・岩塊を周囲に盛大に巻き散らかす噴火寸前のような、熱く燃え滾る怒りと憤りを感じているッ! 俺は今、超高温でグツグツと燃え盛るマグマの如し!
一応不運補正のマイナス1が超幸運補正のプラス2を減少させてプラス1となり、超幸運補正の一つ下である幸運補正程度にランクダウンしているようだが、しかしそれでも俺とセツナちゃんの差は小さいようでずっと大きいのである。
例えば、俺とセツナちゃんが道端で転んだと仮定する。
俺の場合、転んだ時に不運補正が働くと転んだ先に犬の糞が落ちていたりする。そしてその先は、態々語るまでも無いだろう。というか、言いたくも無い。
それに対してセツナちゃんの場合、転んだ先にあるのは犬の糞ではなく、五百円玉が落ちているなど、転んだのにちょっとラッキー、みたいな状況になるのだ!
ささやかな事に聞こえるかもないが、これはただの一例であり、事態が大きくなればなるほど俺とセツナちゃんの能力の差によって結果は大きく変化するのだ。
ちょ、え、なにこの世界の理不尽。
いや、まあ、女の子に有利な条件を揃えるという事には異論は無いのだが、しかし、この世界の不条理に納得できるかできないかというのはまた別問題で、うん、よし、もし“神”に会ったら痕跡一つ残さず消滅させてやる。
以前までは若干冗談交じりだった神殺しの兵器の件、俺は真面目に取り組むことにした。
しかしながら、それは後で考える事にしよう。
今はとりあえず、後ろ姿を俺に向けているセツナちゃんと対話しよう。
それが本来の目的だったのだし。ココまで旅してきたのはその為なのだし。
とりあえず、当初の目的通りネタばらしをして驚かせて、この荒んだ心を少しでも癒したい。
セツナちゃんは、どのような表情を見せてくれるのだろうか、とても楽しみだ。
「――ルシアン、そう言えば以前頼んでいた事なのだが、」
「――セツナ、俺さ、セツナに言うことがあるんだけど……」
自分で話を切り出した瞬間、セツナちゃんの言葉を聞いていなかった事に気が付いた。この失態は間違いなく先ほど読み取った情報によるショックのせいであり、それと同時にセツナちゃんが此方を向いていた事に遅まきながら気が付く。
今まで後ろ姿しか見ていなかったが、この時になって俺はようやく彼女の容姿を見た。
セツナちゃんは今現在、闇のように濃い黒髪をポニーテールに纏め、着ているのは露出の多い黒いタンクトップとホットパンツとラフな格好をしている。切れ長の目で、高い鼻筋、薄く小さな唇という美貌は、どこか鋭角的で刀剣に通じる芸術的な美を孕んでいた。
そして今は先ほどまで動いていたが為に頬は微かに赤くなっており、顔の汗は拭いたようだがすらりと伸びる四肢には汗がまだ残っている。今の彼女は生来の芸術的な美だけでなく、生き生きと生命力溢れる健康的な美しさも兼ね揃えており、それら二つの魅力が絶妙な具合に混じり合っている今、彼女の魅力は何倍にも増幅されていた。
月光に照らされる薄幸の美女、というものは雑多な宝石よりも希少で貴重で美しいと、この時俺は本気で思った。
スキル的には薄幸ではないが、こんな異世界に堕とされた時点で薄幸の美女と表現していいだろう。
正直言って、セツナちゃんは俺のストライクゾーンど真ん中を球速百六十キロオーバーで貫いていった。球種は勿論、変化など一切無い閃光のようなストレート。
俺の心のミットの中心で、ズバンッ! と凄まじい音が鳴り響く。
だからだろう。
俺はルシアンの変装をしているだけで、ドッキリで、俺は君と同じ異世界人で、君と話がしたいが為にアヴァロンからここまで来たんだよー、というネタばらしするのではなく、
「いやさ、本心から思うんだけど、めっちゃ可愛いよな、セツナって」
と思わず本音をぶちまけてしまったのは。
■ ◆ ■
「……え?」
正直言って、最初は何を言われたのか分からなかった。言われ慣れていなかった単語という事もあるのだろうし、その単語をまさかルシアンに言われるとは思っても居なかったせいだろう。
しかし私が呆けたのもつかの間の事。
反射的にユニークスキル<唯一なる神の声>を発動――<唯一なる神の声>は私に対して何らかの危険あるいは何らかの秘密が無い時以外、私から聞こうと思わなければ聞こえない――させ、ルシアン(仮称)の心の声を聞こう試みる。
だけれど、直ぐに神の声が全く聞こえない事に気が付いた。
このような事は、唯一なる神の声が聞こえるようになって初めての事だった。
(今日会ったルシアンの声は問題なく聞こえた。つまりコイツは……少なくともルシアンじゃない!)
そう考えるや否や、素早く私は手にしていたタオルを邪魔になると判断して遠くに放り投げ、まだ手に持っていた<確約されし栄光の剣>の柄を今一度硬く握り締めてその存在を確認し、それからすぐ後方に飛んでルシアン(仮称)から距離をとる。
高速で周囲が動き、再び地面に着地した時には既にルシアン(仮称)とは遠く離れていた。
私としては軽く後方に跳んだつもりだったのだけれど、今の私の脚力のせいで、それでも十分すぎるほど宙を跳んだようだった。
今私とルシアン(仮称)はさっきまで五メートルと離れていないかったのに対して、十八メートル程の距離を隔てて対峙している。
「貴様はルシアン、じゃないんだろう。一体誰だッ! 正体を現せ!」
鋭い声を上げ、私は<確約されし栄光の剣>を慣れた動作で正眼に構えた。
それから先ほどの訓練では抑えていた魔力を開放し、エクスカリバーの刀身に纏わりつかせる。その際まだ手足に残っていた汗が溢れ出る魔力の効果で外に弾かれ、汗を吸ってじっとりとしていた服は乾きたての服のような感触に変化した。
手にしたエクスカリバーの刀身は開放された私の魔力を喰らって、明るい満月の夜の闇を切り裂く様に黄金の閃光で周囲を照らし出す。それにより周囲の闇は一気に薄れ、十八メートル程も離れたルシアン(仮称)の顔が此処からでも鮮明に見れるほどの明るさになった。
しかし、こうやって改めて見ても、目の前の人物はルシアンにしか見えない。そうなると、ルシアン(仮称)の姿は一体どういう仕組みでああなっているのだろうか。
距離をとる事で少しだけ安心できた今、私の中でそんな疑問がふと浮かんだ。
そして先ほどから少しでも情報が欲しくてルシアン(仮称)だけを対象に神の声を聞こうとしているのだけれど、その正体が分からないどころか、神の声自体がまったく聞こえてこないのは一体どういう事だろう、という疑問が浮上する。
今までこんな事は無かったのに……。神の声は直ぐに私の知りたい事を教えてくれたのに……。
今になって気が付いたのだけれど、私は神の声を聞いている時、無意識の内に安心していたらしい。
それが、まさか神の声を聞こうと思っても聞こえないなんて……。
私が信じられる数少ない能力が初めて役に立っていない事に、私は深い不安と恐怖を抱いた。信じていたモノが一つ少なくなったこの恐怖で、胸がキュッと締め付けられる。
しかし正眼の構えを崩す事はせず、不安を掻き消す様に頭を振り、私はゆっくりと精神を集中させて――
――◆Д◆Σ¨'Α'。
聴覚が微かにだけ生じている響きを捉えた。私が精神を落ち着かせて深く集中したからこそ、先ほどまで聞こえていなかった音を拾う事ができたのだ。
声は周囲が騒がしかったら到底聞こえない程小さな音量だったのだけれど、今は静寂が支配する夜という事が幸いし、そのまま神の声を聞き逃すという事は回避できた。
でも、精神を集中させた状態の私の聴覚を持ってしても、声が小さ過ぎてその精確な内容を把握する事ができない。何を言っているのか分からない。
しかしそれでも、神の声は普段の数パーセント未満程の音量しかないとはいえ、確かに神の声は聞こえている。つまり神の声は正常、とは到底いかなくても機能しているのは確かな事実。
ならば何故こんなに小さな音量なのか、という疑問が浮かんだ。
そしてその疑問だけれど、その正解は何となく予想ができた。
今までと違う要因は、今目の前にあるのだから。
(ルシアン(仮称)が何かしている、と考えるのが正解だとは思うんだけど……)
恐らく、というかほぼ間違いなく、十八メートルも開いた距離の先で不敵な笑みを見せるルシアン(仮称)が、何か私の知らない方法を使って神の声を妨害しているのではないだろうか。
今だこの世界の事について深く知らない私からすれば、その考えはあながち間違っていない様に思えた。
「と、まあ、うっかり出てしまった本音は置いといて、その戦闘態勢を解除してくれたら嬉しいんだけれど?」
ふいに、ルシアン(仮称)がそんな事を言ってきた。
声はルシアンのモノだけれど、既に雰囲気も喋り方もルシアンとは大きくかけ離れている。
最早隠すつもりもないらしい。まだ正体を明かす気もないようだが。
「すまないが、正体が分からない者に警戒を解くほど私は馬鹿じゃない。それに私のような勇者は既に数回、命を狙われています。貴方が何者か分からず、貴方が何者か語らない以上、私の反応はいたって普通の事だと解釈してもらいたい」
氷塊のように、酷く冷たい声音だと自分で思った。そして一拍遅れて、無意識の内に自分に対して思っていた事を付けたしているのに気が付いた。
――即ちバケモノ、と。
考えて、ゾッとした。その考えを急いで心の奥底に叩き込み、無心を心掛ける。
そして先ほどまで抱いていた神の声が聞こえない事に対する焦りや、底なしの不安が抑制を振り切って荒れる前に静かに沈静化させつつ、今は目の前のルシアン(仮称)をどうやって無力化するか考えている自分を自覚する。
召喚されて二十数日余り。
以前と考え方が大きく変わっている事に内心で嘆き悲しみつつ、自分が先ほど言ったように、本当のバケモノになり始めている事に気が付いて、再びゾッとしてから、その考えを必死に心の奥底に閉じ込める。
しかし一度浮き上がってきた不安は消える事が無く、咄嗟に拠り所を求めて手にしているエクスカリバーの柄を握る力を強め、そしてエクスカリバーの僅かな異変に気が付いた。
(<確約されし栄光の剣>が、震えている?)
微かに、普段から触っていなければ気が付かないほど微かに、エクスカリバーがカタカタと小さく震えていた。
しかしその小さな異変の原因について深く考える間もなく、ルシアン(仮称)は不敵な笑みを浮かべたまま言葉を発した。
その言葉は、容赦なく私の心を突き刺す。
「君が言う、勇者って言い方、なかなか上手い例えじゃないかな。確かに君の――いや、今代の勇者である桐嶺刹那が得た能力は、確かにバケモノって呼び方が似合っているだろうさ。
音の壁を軽々と突破する肉体を持つ自分自身と言う名の剣に、自分にとって害となる現象又は効果及び物質の全てを無効化するという強力な概念を持つ、常時発動型でほぼ無敵な不可視の盾。そして万象の声を聞き、さらには未来予知までこなす特殊能力。
そして駄目押しと言わんばかりに魔族最強の存在――魔王を魔王足らしめる無限の魔力の供給装置、夢幻の心臓に匹敵するだろう桁外れの、それこそ油田のような内包魔力量。まったく、よくぞここまで強力な能力を得たものだよ、と俺は呆れるよりも先に感心を抱いたね。
まあ、最も、上位世界から堕とされて来た勇者はこの世界の人間にとって、誰も彼も例外なく、バケモノ以外の何者でもないってのが悲しい現実だけどな」
自分が最初に吐き出してしまった言葉だというのに、他人からバケモノと一言言われただけで、私の心は大きく、そして深く抉られたような痛みを感じた。その痛みは錯覚だって理解しているけれど、それでも痛いモノは痛かった。
バケモノと、改めて面と向かって他人から言われると、自分が既に人間じゃないと実感してしまうから。
それもよりによって、私をこんなバケモノにしたこの世界の住人の姿で。聞き慣れた、憎い異世界の住人の声で。
頭ではルシアン本人じゃないとは分かっている。けれど、ルシアンの声が切っ掛けとなって、私は蓋をして必死に封じ込めていた感情が爆発しそうになっているのを感じた。
いや、もう既に、臨界点を突破していた。
私の本音を堰き止めていた心の壁が、跡形もなく砕け散ったような幻聴を、私は確かに聞いたのだった。
湧き上がる“洪水/本音”が、私の口から溢れ出た。
「……たしは、」
「ん?」
「……たしは、自分から欲してこんな力を得たんじゃないッ! 私はこんな、こんな化物としか言えないような力なんて欲しくなかったッ!」
「……」
最初は呟くような声音から、段々と、一段階ずつ階段を上るように声が自然と大きくなっていき、最後には叫んでいた。
ありとあらゆる抑制をズタズタに引き裂き、邪魔する一切を貫き、激しく燃やしながら、奥底から溢れ出る感情がついには爆発した。
自然と呼吸は激しく、そして荒々しくなり、しかし一度爆発した感情のうねりを止めるには至らない。
「今まで通り仲のいい友達や可愛い後輩、頼りになる先輩や何時も心配してくれた兄さん達や温かい家族と、笑いながら楽しく暮らしていたかった。
それなのにある日突然こんな世界に召喚されて、訳も分からない内に還るためには魔王の心臓がどうしても必要だって説明されて、訳も分からなくなって、その上自分が日が経つにつれて化物みたいに……いいえ、本当の化物に変わっていくその恐怖が、貴方に分かるッ!?」
目の縁に大量の涙が溜まっていく。それにズルズルと鼻水まで出てくる有り様が余計に涙を浮かべさせて。
それを拭う事無く、私は喋り続けた。
「前なら息切れしていたはずの距離を、苦も無く走破できるようになった。それも数十倍の速さで、軽く走るみたいに余力を残して! 今の私は何百キロもあるような大岩を片手で持ちあげることだってできるし、鉄の塊を軽く握っただけでまるでグミみたいに握り潰す事だって出来る。
でも、もうそんなの人間じゃない。私は、もう人間じゃなくなっているッ!! そう思う度に感じる痛みが、貴方に分かる!? 必死で考えないようにしていた私の思いが、貴方に分かるッ!?
分かる訳無いでしょうッッッ!!」
今まで必死で考えないよう、だけどふと気を抜くと考えてしまう苦悩は、私が自分で言葉にすると同時に私の心を斬って行く。痛い、痛いよと心が叫び血が噴き出すけれど、それでも私は止まる事ができなかった。
溢れ出る複雑に絡まり合った感情の津波が、私の制御を完全に超越していたから。
そして止まらない私の叫びをルシアン(仮称)は、いえ、正体不明の目の前の人物は、ジッと黙って聞いていた。
さっきまであった不敵な笑みは何時の間にか跡形も無く消え去り、今はじっと私の顔を感情が消えた無表情で、それでいて真剣な瞳で見つめてくる。
「私はこんな異常な力に憧れた事なんてなかった。こんな化物としか言えないような肉体になんて、なりたくなかったッ!! 私は、こんな力なんて必要なかった。なのに……なのに……」
まだまだ言葉が止まらない。でも、今は最初の勢いは既に無くなっていて、声は段々と弱くなっているのが混乱した精神状態でも分かった。
次第に熱が冷めていくと、徐々に私の嗚咽が言葉の間に混じり始めて、私の言葉はとても聞き難いものになっていった。今や私の言葉からは要領を得る事ができず、何を言っているのか分からないかもしれない。
私も、何を言っているのか既に分からなくなっていた。
ただそれでも、言葉に乗せた感情の放流を、目の前の人物はただじっと聞いてくれた。
「こっちの世界の人間からすれば、私は使い勝手のいい化物で、奴隷で、道具くらいにか思われていない。上辺は取り繕っているけど、一部を除いた多くの人は、心の奥底では違う事を思っている! もう、嫌だ、嫌だよ。私は、還りたい……還りたいよぉ……お願いだから、私を還して、下さい……お願い、しますから……還して」
思っていた事を全て言い切った後で、私は自分の頬を伝っていく二筋の涙に気が付いた。
私の視界は涙によって滲んでいて、もう目の前の人物の姿さえ曖昧になっている。
もし彼が暗殺者だったら私を殺す絶好のチャンスだけれど、何故か私は彼が襲ってこないと感じていた。何故かは分からない。だけど、そう感じた。
泣きながら正眼の構えを崩さなかった――崩さなかったというだけで、剣尖は小刻みに震えていた――私に向けて、たっぷりと一分以上の沈黙をした後、目の前の人物は静かに、囁くように言った。
「化物って呼ばれる存在には、二種類あるんだ。本当の化物と、化物染みただけのただの人間。前者は手の施しようのない存在だけど、後者はまだ引き返す事ができる存在だ。だから、セツナ、君に教えてあげるよ……」
響いた声は、先ほどまでルシアンと全く同じだった声では無くなっていた。聞いた感じで推測する限り、私と同年代くらいの男の子の声のようだけど、でも本当のところは分からない。
それでも、その声は信じられる確かな何かを含んでいて、この世界で信じられる数少ないモノのように思えた。
思う事が、できた。
「――本当の化物ってやつを。そして嬢ちゃんはまだ、本当の化物じゃないって事をさ」
彼がそう言うと同時に、私の視線の先では変化が起こった。
まるでエクスカリバーの黄金の輝きでさえ飲み込むような真黒な闇が突然発生し、音も無く、しかし高速で渦を巻いているのが滲んだ視界越しでも分かる。
慌てて溢れている涙を手の甲で拭って視界をクリアにしてから、再度何が有ったのか知るために目の前の人物を見た。
そしてそこに佇んで居たのは、黒い霧に包まれた黒い甲冑。
不思議な事に黒い甲冑を見れば見るほど細部が不鮮明になってしまい、まるで幻のようだと錯覚しそうになる。
でも間違いなくそこに黒い甲冑は存在していて、私は必死で何が起こっているのか考えていると、ふとある事に気が付いた。
甲冑の大きさは私とあまり大差ないという事と、もう一つ。黒い甲冑の雰囲気というか威圧感というか、身に纏う空気が今まで出会ってきた人とは大きくかけ離れているという事だけは、感じ取れた。
それに見れば見るほど不鮮明になっていく黒い甲冑を、それでも観察していると、黒い甲冑の手には私が持つ<確約されし栄光の剣>のように芸術的で美しい剣が握られていた。まるで<確約されし栄光の剣>と対を成すような、不思議な輝きを見せる剣である。
そしてその剣を見た瞬間、今度こそハッキリとした音量で、唯一なる神の声の讃美歌にも似た響きが聞こえてきた。
“逃ゲテ逃ゲテ”
“今ハ勝テナイヨ”
“造物主ガ来タヨ”
“アレニハ勝テナイカラ逃ゲテ”
“エクスカリバーノ兄弟ダヨ”
――と。神の声は今までにない最大の警鐘を鳴り響かせ、私に危険を教えてくれている。
ココまで一方的に逃げろと言われた事など初めてだったので、私は若干の戸惑いを感じた。
でも、今は、今だけは、逃げない。逃げちゃいけないような、そんな気がする。
神の声の言うとおり、今の私では目の前に君臨する黒い甲冑には勝てないのだと分かる。
でも、勝てなくてもいいと思っている自分が居るの事に気が付いて、私はちょっとだけ驚き、しかし何故か納得できた。
「さあ、全力で掛かってきなよ、嬢ちゃん。本物の化物と、化物染みただけのただの人間の違いってやつを、決定的な違いを、その身に叩き込んで分からせてやるからさ。
嘆き悲しむのは、俺を倒せてからにしな」
夜の闇に君臨する王のような雰囲気を纏い佇む、黒い甲冑からくぐもった声が響いた。
一度しか聞いていない声だったけれど、もう間違いようがなかった。今までルシアンに変装していた人物の声だ。
「……分かりました。全力で、行きますッ!」
彼に対して私が既に敵対心というモノを無くしている事に気が付いたものの、私は止まる事も一切の手加減をする事も無く、手にした<確約されし栄光の剣>を全力で彼に振り下ろした。
音速の壁を越え、今まで一度たりとも防がれた事のない――というか、初めて繰り出した本気の一刀が黒い甲冑を切り裂かんと邪魔な空気を切断し、夜空を駆け抜ける彗星の如く一直線に斬り進む。
この一撃は間違いなく、人に向けた事のない私が出し得る全力の一刀。
無意識の内にブレーキを掛けようとする肉体を意思の力で捩じ伏せ、私の一撃は一瞬の刹那にも満たない速さで標的との距離を消し飛ばしていく。
私は本気で、黒い甲冑を両断せんとしている。
普通なら、私は躊躇ったただろうし、そもそも人に向けて本気でエクスカリバーを振る事なんてなかったはずだ。
しかしこの一撃を黒い甲冑に撃ち込む事こそが、正しい事なのだと、私が救われる唯一の道の様な気がしたから。
だから私はただ、<確約されし栄光の剣>を全力で振り下ろしたのだ。